たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

慧眼と幸せ

2008-07-26 03:12:16 | Weblog
 頭的にも心的にも賢くなれば賢くなるほど、相手は自分になんて言って欲しいのかが解るように、いや判ってしまうようになる。
 名前に従うように、慧敏になったり、慧眼を磨いたり、智慧をつければつけるほど、相手の次の行動が読めて、真意がわかり、人の3歩先や10歩先まで読めてしまう。

 優しいウソは拒絶より残酷だし、相手のしたいようにしてあげることは悲しい。そんなとき、それを振り払うかのように、作って笑ったり、わからないフリをしたり、何も考えないようにしたりする。
 どうしてそれほどの力があるのかわからないけど、それは周りの空気どころか、自分自身をも騙す。そして、真実の記憶を真実から遠ざけ、まるで本当に起こった事のように記憶に焼き付ける。だけど、それが塗り替えられたウソであると、本当はわかっちゃってたんだという事だけは知っていて、後々苦しめたりする。

 慧眼は役に立つ。名前に刻みこまれたその言葉は、俺をいつも安全な状態にしてくれるし、誰かに優しく、誰かを守ることができるからだ。
 洞察力はいつも俺の味方のはずだった。だけど、俺は、むしろ、そんなものがいらないような状況こそを臨んでいるし、不幸が幸いだとは思えない。
 幸せのまま、そのまま、例え、そこから学び取らなかったとしても、それでいい。
 生きている意味は、笑いつづけ、楽しみつづける事だから。

 でも、そんな想いとはウラハラに、毎日毎日、自分の能力を必要とする問題がむこうからやってくる。
 本能のまま生きることがマジメなことだとしたら、逆に、本能に自然に従うことによって多くの人間が不利益を生じるから法があるとしたなら、「人間としての自分」は?「生物としての人間」とはなんであるのか?それよりも前に、What is life??という問いに答えがあるのだろうか。

 どーでもいいけど、学問的になった瞬間に、つまらないね。
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全力少年…

2008-07-25 04:45:37 | Weblog
 昨日(今日?)は、生化のテストでした。いやー、まる6年ぶりの生物のテスト…。中学3年生以来でしたが、なんとかAとれたかな…?

 中学の頃なんかは、テスト簡単だったし、理科得意だったから、特に得意だった理科Ⅱ(生物と地学)では、確か85点以下をとったことがない。すげー、マニアックな事を覚えるんでも苦痛じゃなかったし、楽しんでいた。
 生化の勉強をしてるときに、その感覚を少しは思い出せた気がした。ただ、中学→大学へといきなりレベルアップしたから、少しだけ対策をミスった。

 普段、物理や数学の試験勉強をしているときは、定性的にも定量的にも理解をして、さらに手を動かす事を慣らす。試験中あんまり考えなくても、手が勝手に動いて、解けちゃうような問題を増やすのだ。
 だけど、この生化の試験対策には、手を慣らす作業をしなかった。そんなことをしなくても、知識のみで点数が取れると思ってしまったのだ。手を慣らさず、暗記や理解ばかりに走ってしまったな…。そのせいで、試験中少し、焦った。っま、学問の会得には理解を重要視したほうがいいのかもしれないけど、この前言ったように、生化の試験で良い点を取る事も「生化の実力」だと思うしね。

 そんで、テストが終わってから、生物が得意、っとはどういうことだろうか??っとかなり疑問に思った。今んとこ、暗記力(50%)+理解力(20%)+解析力(30%)、かな~っと思ってますが、どうでしょうか?理解力のウエートが低いのは、理解するのにそんなに難しい話ではないから。もちろん、興味のあるなしは、かなり依存してきますけどね。

 それでは、明日も、試される事を恐れずに、遊び心を忘れずに、全力を尽くすかな。
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ただいま戦闘中。

2008-07-23 02:37:09 | Weblog
 試験期間中というのは、いろんな意味で世界が変わってみえる。
 ものすごく物理的に世界がよくわかったり、倫理的なことを考えなきゃっと思ったり、自分のルックスなんてどうでも良いと思えたり(だから、今、いろんな人に会いたくないですが(笑))する。

 いつも、この時期に思う事は、俺は案外、暗記が得意なんだなーっと思ったりする。今日も、記憶力だけ(理解力や解析力などをまったく使わずに)でかなりの点を稼いだ。理系では珍しいのかもしれない。けっこう、みんなに「そんなこと(そんな式)、よく覚えてるねー」っと言われたりする。
 あー、でも、まったく興味ないことは覚えられないかも。やろうと思えばできるんだろうけど、やろうと思わないし。だから、俺は、人の顔と名前を全然覚えないのかな…(笑)。

 んなわけで、あと10日間、異世界を旅したいと思います。
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今日は、生体を物理側面で。

2008-07-20 00:12:30 | Weblog
 そんなわけで、今日はほぼ1日中、勉学に励んでおりました。0930~1700みっちり。途中メシをはさんだりしたが、友達と、物理トーク、テストトーク、教授トーク。しかも、暇だなーっと思った時間は、だいたいノート見てたし。
 こんなに頑張ってるのに、超、不安。すげー不安。もう、難しすぎるんですよ、固体物理とか固体物理とか固体物理とか。だって、固体物理専攻の卒研の先輩が、その教科書はわかりにくいよ、って言ってたのに、学部3年物理レベル2くらいの俺が、ムリっしょ。
 ってなわけで、半分諦めモードです。いえ、負け試合モードです(過去記事参照)。最後に頼むは出席点。

 受験生はもっと勉強しているんだろうか。なんか、させられてるような気がするが(一般の受験生は)。俺も、そろそろ受験生の意識をもたなければ。
 最高のパワーで、ぶつかりたいが、いろいろなものが邪魔して、先に進まない。例えば、ドラクエⅤとか。買ってないっすよ、書店に参考書を立ち読むしに行く途中で、大々的にCMしてるんすよ。もう、心が揺らぐ。
 そして、試験期間中に、ハリーポッター最終巻が発売される。1番に読みたいが、それは叶わぬ夢か。

 でも、体が1番大事。また、口の中にいくつか、口内炎ができているのだが、ストレスか??そんなもん感じている感覚はないんだけど。
 どっちにしろ、最終ラインは突破させないぜぃ。

 訂正:昨日の記事で、「人間というだけで、みんな、遺伝子が99.9%同じ」という事を書きましたが、今日の勉強で、「人間というだけで、みんな、ゲノムが99.9%同じ」のが正しいことがわかりました。遺伝子はゲノムの一部ですから、コードされない非コード領域においても、ここまで一致してしまうということです。不思議度が高まりましたね。こんなに多様に見える人間社会ですが、こんなにもみんながみんな遺伝情報が一致してるとなると、キライなヤツでも、見捨てられない気がしてきません??
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君色想いなheat beats

2008-07-19 03:06:14 | Weblog
 『好きな人の行動パターンやクセというのは真似してしまうものである』
 そんなことを大学のなんかの講義で聴いたとき、「そうかっ」っと初めて気がつかされた気さえした。

 実験ノートや板書などで小見出しにニンジンマーク、大見出しで渦巻きを使うのも、高音域で地声を張らないで裏声へいくのも、クラップを刻むとき腕を横へずらすのも、ドラクエが好きなのも、数学の解答の書き方があんなんなのも、このブログの書き方がこんなんなのも、そのせーか。マジか。
 だけど、そんなん言ったら、かなり俺のオリジナルってのは、少なくなるな。っていうか、無いかも。
 でも、好きになる人種ってのは様々だし、みんながみんな、俺が好きな連中が好きなわけじゃないだろ-から、っま、その辺が、オリジナリティーなんだろうけど。

 生化学の見解によれば、人間というだけで、遺伝子の99.9%以上が同じらしい。なのに、こんなに多様に見える事が不思議で、俺が大好きな誰かと俺が大嫌いな誰かの遺伝子も99.9%以上一致するってのは、マジで??っと純粋に疑問に思う。
 使われないゲノムのなかの非コード領域に何かがあるのか?それとも、やっぱり、これ(生化学)だけでは、人間の気質や性格、クセや行動パターンは読めないと言う事なのだろうか。

 よく、「周りの環境がその人をすべて決めている」っと言う事があるが、俺はそれは信じたくない。それよりは、ゲノムのなかに気質があって、それにも依るでしょっと思いたい。だけど、そうじゃなくて、そんな決まってるもんじゃなくて、学問以外の何かが、理屈じゃないその想いが、その人を、uniqueにでなくても、決めている一変数であってほしい。
 例えば、勉強ができるか否かということに関して言うなら、遺伝的であってほしくない。頑張れる気質、頑張れる才能、頑張れる才能になるための環境は、あってもいいかもしれないが、基本的には『想い』や『努力』に依ってほしい。
 現状、『運』は最大の要因になっている。先進国に生まれない限り、深い知を獲得することは難しくなっている。

 生化学というのは、案外、意味のない学問なのかもしれない。だって、そこにあるのに、それで存在できているのに、自分自身なのに、わざわざ理解しにいくなんて。
 多くの人は生体内の化学式や酵素反応を理解していないが、関係なしに、人間の身体は、きちんと代謝をするし、きちんと複製や転写や翻訳をするし、セックスをすれば新しい生体である子供ができる。
 それでいいじゃないか。どこへ向かうんだ。
 だけど、俺は、この面白すぎる生化学という仕事をやめるつもりはない。ただの好奇心以上に、倫理的にも、理屈で示せない事があると、示しにいきたいからなのかもしれない。

 そして、科学を生半可に理解しているつもりの俺は、まるでそんな事とは関係のないかのように、日々、好きな人の真似をし、好きな仕草をして、好きな音楽を聴き、弾き、歌い、好きな科学を嗜み、誰か色に染まる事もあれば、独特のオーラをだすこともある。
 それが、0.01%の遺伝子の違いでも、非コード領域でも、それ以外の何か「想い」的なものが作用しているとしても、人間同士の相互作用が影響しているとしても、こんなにも多様な人間がいることは事実で、それらをすべて尊重しなければならない。
 まったく、大変な世界ですね。
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ヒトナミの経験

2008-07-18 01:47:56 | Weblog
 昨日、バイト先の個別指導で、初めて、浪人生に出会った。

 あれ以来(2006.4以前の過去記事参照)、生の浪人生と直接喋る機会がなくって、ちょっと想いだすところがあった。彼も、この予備校の中では、浪人経験者と触れ合う機会が少ないのではないかっと思って、強引に喋ったところがあったかもしれない。

 レベルはどうであれ、浪人生というのは、どこか寂しい。まだ、4月くらいの段階だと、高校生っぽい顔をしてるんだけど、このくらいの時期というのは、楽しそうな大学生じゃないし、高校生じゃないし、独特の雰囲気を醸し出してくる。っま、経験者としては、面白いんですけど(笑)。
 日本の教育レールは殆ど一本道。高2か高3で、二つの道(俺は三つだと思っている)文理に分かれるが、それ以外は一本道。それゆえ、途中下車して、駅でふらふらするのに、慣れていないのだ。彼にも言ったが「レールから落っこちたら不幸になると、よく言われたけど、レールから一回落っこちてしまった俺等からみれば、レールに乗っかり過ぎて降りられなくなってしまうほうが、よっぽど怖い」っと思わない??

 あの一年がなければ、俺は、今のような文章力は無かっただろう。少なくとも、文を書くことが苦痛でないのは、確かだ。テキトウに済ますモノはそりゃーテキトウだけど、書こうと思えば、いくらでも書けてしまうほどの自信すらある。
 あの一年がなければ、俺は、授業がエンターテインメントであるという事に気がつかなかった。代ゼミはスゴイところだった。講師にとって過酷なところだった。ただ単にパフォーマンスだけでは、生徒はついてこない…。「受からせ、満足させ、板書してるだけである程度頭良くなる」事が揃ってないと、講師として、残れない。そういえば、ある先生から、「君等が大学生になってバイトで塾講や家庭教師をやれば、人より上手いのは当然だ」っと言ってたが、確かに。だけど、今、俺はそうではないような…(笑)。
 あの一年がなければ、俺は、今以上に大抵の人間をナめきっていただろう。努力すれば、なんでもできると思っていただろう。努力だけでは、人生は動かない。高校の先生が、「自分の夢を叶えるためには人の3~5倍の努力が必要」と言っていたが、あれは数学的に「必要」なのであって、「必要十分」ではないのだ。努力だけがファクターではない。運、感情、努力の方向によっても変わり、それによって、どうしようもない人たちのことを、考慮できなかっただろう。
 あの一年がなければ、俺は、レールから飛び出す勇気を持てなかっただろう。浪人したからこそ、大学に入ってからも、偏差値を上げ、場所と3年間のムダな時間を縮めたのだ。
 あの一年がなければ、俺は…っ!

 浪人は良い事ではない。だけど、俺にとっては、不可欠な経験だった。そして、多くの日本人にとっても、そうだと思う。それだけだ。これは俺の願いであるのかもしれないし、3年経った今も、少なからず引け目を感じているからなのかもしれないが、このように思わせてくれ。いや、そうなんだ。

 何もできないけど、きっと彼に伝わったと信じたい。「一浪と書いて、『ヒトナミ』」。天才にはなれないけど、賢くはなれるはず。いや、ひょっとしたら、天才にもなれるかもしれない。
 あのEinsteinだって、浪人生だったんだから。

 大学受験が終わって、俺に「本当に、この大学のこの学部でイイんだね??」っと尋ねる恩師に、「イイんです、院入試がありますし」と答えた。彼は親切にも院試の事を教えてくれたが、大学受験が終わって一週間も経っていないのに、3年半も先の院試のことを考えていた自分に気がつき、あきれた。
 そう、勝負はまだ、終わっていないのだ。最高峰へ、全開のパワーで向かおう。その前に、それにつづく、定期試験を頑張んなきゃな。
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いつもの手

2008-07-16 23:01:30 | Weblog
 『能ある鷹は爪を隠す』
 今日はそんなシーンを垣間見る事が多かったように思います。
 本当に能力のある者は、その実力を隠して、決して見せびらかすような事はしない。慎重に様子を覗い、相手や敵や集団を吟味し、最小限必要なだけ、能力を使う。
 こんな人、大好き。クールで、カッコいいし、何よりミステリアス。素晴らしい。

 だけど、俺は、違う。こんなメンドクサイ事はできないし、自分には合わない。もっと純粋にぶつかるのが、俺のセールスポイントであり、これまでもずっとそれできてしまっている。
 そもそも、能力を隠すという行為ってのは、その能力に自信がないという理由も少なからずあるはず。それよりも、俺は、自分の能力を試してみたい、だから、能力以上のことをしようとして、失敗したりするけど、最近は、それでイイんだ、っという風に思えてきた。

 例えば、俺は物理学科にいるが、今までで、自分の物理の力と、相手の物理の力を、本気で戦いあわせている瞬間は、実験のプレゼンの準備で、ペアと喋ってるときくらいだ。それ以外のテスト、プレゼンの最中、レポートの点、授業中などは、すべて表面上の戦いだと思う。全然、どっちがどの点で上か下かも、どこに素晴らしい力があるのか、どこがウィークポイントなのかも、わからない。
 
 おそらく、この世界で(スポーツ以外)、本気で、能力をぶつかり合わせる瞬間は少ない。だったら、『自分の能力が高いと演技する能力』や『高い能力があることを演技しつづけ、誤魔化しつづける能力』も『本当の能力(例えば物理なら、物理の能力)』で良いんじゃないだろうか。プレゼンテーション能力やコミュニケーション能力が低い人は、特に、ものすごい反発してくるだろうけど、やっぱ、対人に強いということも『本当の能力』なんだと思う。

 んなわけで、俺は、自分の能力をなるべく見せます。自分ができる以上の事を、見せたりやったりします(してるように見えます(見えてるかな??(笑)))。ボロがでたら、ボロがでた時に、考えよう。ウソや演技が本当になるように努力する事だって、できるんだし。
 ただ、能力を隠す事は、悪い事やいやらしい事じゃないことは、強調しときます。それは、クールで可愛くてミステリアスな作戦であり、賢いです。俺は、誰かをそんなヤツだとを見抜くとき、悲しくも嬉しくもなる。やっぱり能力があったんだ、強敵だっと思うのと同時に、俺は見抜いたぞという満足感もあるからです。
 だから、鷹は大好き。

 ちなみに、『切り札はすぐに見せない』というのは、俺もやります。
 その場にとってメインの能力は持ってる能力以上に見せておき、メインではないけど使えそうな能力は、切り札として決してすぐには見せないで、とっておきます。
 それが、ジョーカーである俺が使う、どこでも通用する、常套手段。
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What is tha real nature??

2008-07-15 00:25:53 | Weblog
 ここ何年間か、なんて言っているのかはっきりしない歌い方をする歌手が多い。まず、日本語なのか英語なのか、わからないし、ひどいときはフェイク的な何かだったりする。

 曲を扱う時ってのは、いきなり歌詞から読む人はいないだろうから、耳で拾ってくる。んで、気になって、歌詞カードを見ると、唖然。マジか。もう一回聴いてみると、確かに…。
 そんな経験、一度はあると思うんですが、どうでしょうか?

 っま、はっきり歌えよっと言うのも一理ありますし、きちんと歌詞を見てカラオケに備えましょうってのも一理あると思う。

 でも、最近、俺は、こーゆーときは、あえて歌詞は見たくないという立場をとる。音楽を音楽のまま相対的に捉えた方が、本質じゃない??
 だって、本当は、歌詞カードは、作詞的には、そうであったとしても、自分が聞いて感じ取ったモノのほーで、それでそのまま素直に受け入れれば、いいじゃないか。
 それに、アーティスト側もそれを狙っている可能性がある。つまり、2重に意味を伝えるというか、別の捉え方も用意しておくというか、別解みたいな…(笑)。

 実は「相対的なモノ」のほーが、「絶対的なモノ」よりも、本質なのかもしれない…。

 っま、そんな難しい表現よりも、平たく言えば、「解きたくない謎は沢山ある」ってところかな。これまで、俺は問題を解き過ぎてしまった気がする。「この謎は謎のままが美しい」「この曖昧さは残しておいたほうが自然である」
 最近、そっちに興味をもっていかれてしまった…。
 なんでもかんでも問題を解いていけば良いというわけではない。なんでもかんでも『思わずに』問題ばかり解いていくことは、利口であるが、聡明でないのかも。

 でも、俺、賢いですから(笑)、自然に解いちゃってたりします。そんなときは、解いてないフリをして、解いてないこととして、モノゴトに向き合う。それはそれで、面白い。
 やっぱり、最終的には、歌詞は見ちゃいます。だけど、なるべく見ない期間を長くして、この感覚を忘れないようにしておいて、答え(歌詞)を見ると、なんとも言えない楽しさに襲われ、しかも(理屈も感情も)両方楽しめるっていう最高の状態になれます。

 音楽って、素晴らしいですね。
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戦いに出かける前の一休み…♪

2008-07-12 01:01:00 | Weblog
今日は、プレゼンテーションでした。いつものプレゼン目標である『無難』はクリアーかな。色々、楽しかった気がします。あ、プレゼン以外の、微妙な時間とか、準備とかも。
 そして、レポート、試験へと、移行していきます。頑張ります。

 こんなに戦闘したくない状態で、試験期間に突入するのは初めてかも。でも、俺は負けません。戦闘力ハンパないですから。戦闘したくなくても、ある程度の戦闘力はあるんです。
 戦意喪失のなかで、超戦わなくてはいけないシーンというのは、案外、よくあるもの。そんなときでも、ぶち壊す勇気とパワーを湧かせなきゃなのだ。
 なのに、昨日とかも、失敗続きだな…。いくら戦意が無いとはいえ、ダメだ。
 ヲーシ、戦うぞ。ぎゃー、ぐわー!!

 夏休みは間近。summer time loveなんてもうイヤ♪、きちんと秋以降も続く何かを、始めたいと思います。
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想い込み禁止

2008-07-10 23:58:39 | Weblog
 『オズの魔法使い』の曲で、『虹の彼方に』という曲がある。俺は、どーも、この曲に、何か感じるトコロがあって、不意に聴くと、ビクッとする。やっぱ、20世紀最高の名曲と言われるだけのことはある。

 この曲の、たぶんみんなが想像できる部分、「somewhere over the rainbow」のとこで、この「some」から「where」への音の急激なギャップは、発表当時、衝撃だったらしい。それまでの曲では、ここまでの音の変化をいきなりつけるということは、なかったのだろう。今でこそ、普通にこのくらいのギャップは沢山存在するが、この当時は、かなりの衝撃で、それにより、人々に印象を与え、こんな世代が違う俺の心まで乱すとは、やっぱりスゴイなっと思う。
 あんまりにも、普通にとらわれていると、当たり前のことができなかったりする。こんな音のギャップは無いっしょ、っと思ってるヤツは、音楽界には不必要だったりするのかもしれない。

 今日、授業で、ポアンカレ予想を証明するというドキュメント番組を見せられた。このドキュメントの主旨とちょっとズレるかもしれないが、人類が100年もこの問題を証明できなかったのは、このポアンカレ予想が位相幾何学の範疇の問いであると多くの人が思い込んでいたせーもあると思う。結局、この問題を解くにあたって、微積分幾何学が使われた。そして、この問いを示した張本人であるペレルマンは、物理学も深く学んでいたそうだ。

 どっちの例も、思い込みはダメ、先入観はダメっと示している。もっともっとグローバルになりたいなっと思ったりします。
 それは、すべてにおいて。感情も、思考も、娯楽も、etc…。

 そうすれば、「あなたが想い描くような夢は、本当にやってくるはずさ♪」ってね。
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天才の物語

2008-07-09 00:19:35 | Weblog
 「名探偵モンク5」で、来週、やっと核心に触れるらしい。スッゲー楽しみなんだけど、コナンもそーだが、たまに核心に触れる物語って、ちょっとウザイですよね。っま、ハマっちゃうから、なんとも言えないんですが。

 BSでやってるモンクにハマっていることは、随分前に書いたが、まだまだ見てます。
 元刑事のモンクは、奥さんが殺されてから、潔癖症や恐怖症にさらに陥っちゃって、今は副業を目指して、犯罪コンサルタントをしている天才的な切れ者という設定で、数々の事件を解決するというお話だ。
 どーも、このコンプレックスを抱えた天才って設定が好き。いや、可哀想なんだけど、でも好き。

 コナンは、ちょっと天才すぎるんだよね。だって、苦手なモノ、音楽と恋愛だけとか、そんなヤツどーでもいいだろ(笑)。英語ペラペラで、各学問分野幅広く教養があり、スポーツ万能で、有名人。そんなんなら、さっさと黒ずくめ、どーにかしろよっと思う。
 いや、でも、単行本買っちゃうんですけどね。

 今日、俺からテレビトークを聞かないっという指摘を受けたので、ムダに気にして、テレビ話題にしてみました。っても、マイナーすぎたかにゃ。同じ火曜なら、ロンハーとかぷっすまとかのが良かった??
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本質を助けるための戦闘態勢

2008-07-06 22:45:58 | Weblog
 今日で、すべての化学実験が終わりました(実験的にもレポート的にも)。っま、ここは、普通に喜んどくかな、やったーっ。
 が、もうあの実験室に入らないかと思うと寂しいな。せっかく、ビーカーとかフラスコとかの場所覚えてきたのに。せっかく、イオン交換水を増量しまくって豪快に使う事を覚えたのに。せっかく、白衣の裏側のボタンが、スムースに留められるようになったのに。
 …って、いえいえ、こんな面倒なもの、終わって、良かったー(じゃあ、なんでわざわざとったんだっつーの)

 んなわけで、化学の、スターウォーズでいうところのフォースが、ドラゴンボールでいうところの「気」が、上がりました、っと言いたいところですが、あんまり…、実感もないし。っま、実力アップなんて実感がないもんだし、化学実験とってないヤツに比べれば、上がっただろ。
 俺は、もともと、化学が苦手だから、きっとこの実験で実力維持のヤツも沢山いるんだろうけど、俺にとってはアップになってしまった。
 前向きに。

 作法としての化学実験、簡単なモル計算、科学常識の獲得、最小二乗法などの誤差論、化学式をワードで書くこと、…そんな当たり前が身についた気がします。物理学実験より奥が深かったのは間違いないです。レールに乗ってるだけで、そんな深さを感じれるようなカリキュラムを組む実験指導員の方々、マジでスゴイっす。尊敬します、化学科。
 
 そして、生物学実験でも、何かスゴイことがあることを期待してます。でも、そもそも、とれんのかな??まだ、わかんないけど、この辺は、いつも、流れに身を任せて。きっと、また、いつも通りに、必然が導いてくれる気がする。

 さて、テスト週間の幕開けだ。今回は、期間外試験なし。3年になって、今のところ、すべての授業、皆勤賞だし、大丈夫。乗り越えられるさ。

 出席といえば、ある有名私大で、出席をSuicaでとるようになるらしいです。代返ができない…。俺は、授業はきちんと出る人ですが、それはモッタイナイからで、授業は必ずしも出席しなくてもイイと思ってるし、それが本質なのに(詳しくは過去記事参照)、好きな大学なだけに、ちょっとこの決定に残念。
 授業はあくまでペースメイカーと、ある方もおっしゃっています。いや、供給側はそうじゃいけないんだけどさ。 
 うーん、でも、まぁ、俺だったら、代返なんて頼まないけどね。そこは、潔く、欠席でいいじゃんってなる。誤魔化すのは、基本的にはキライだし。
 
 うっしゃ、明日も、頑張るぞ。
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強さの切り札

2008-07-06 00:03:25 | Weblog
 はぁ、なんだかやる気がおきません。単にコツコツと努力して達成することに、なんだか美学を感じなくなってきています。これはマズイな。
 でも、単純演習や基礎練習が一番大事で、それが無いと、楽しめないもんな…。頑張らなきゃなのに、ハァァ…。

 イイワケを言いたくないけど、最近、コツコツを否定される事ばかり起こるんだもん。ズルしてもマジメにも生きていけるような気がして、いや、だからって、戦力を失ってるわけではなくて、ちょっと休憩したいってだけかな。

 修行を続けよう。音楽に関しても、学問に関しても。
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その終止コドンは、まだ??

2008-07-03 23:23:11 | Weblog
 はぁ、どーも、上手くいきません、何事も。

 なんかさー、俺、いつもいつも、回り道人生なんだよね。目的に真直ぐ向かわず、回り道をして目的を目指す。あー、そんな自分がちょっと嫌い。
 でも、最終的には、きちんと目標を達成してる率が高いから、まぁ、いっかとも、思うんだけど…。はぁ、背だけじゃなく、小さい自分を感じます。

 さて、明日は、アカペラ練習日!気合いを入れねばっ。
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大切な感情のひとつ

2008-07-01 00:24:07 | Weblog
               …………………………
 そんなわけで、今回で、500記事目になります。500個、文章を書いたことになります。これも、皆さんが、こんなグチをだらだら書いてるだけのブログを、見てくれたからだと、思っておりますです。(消した記事とかもあるし、未完のまま公開したり、完成してても色々な事情で途中までの記事とかもあるけど、細かい事はどーでも良くねっ?)
 これからも、「高橋慧の頭の中」をよろしく~。
               …………………………


 俺は、どーも、なくしモノに弱い。どーしても、許せない。
 質量保存が成り立つのに、なんで無いんだー、許せんっ、ってそんなアホなことじゃないです。
 純粋に、そのなくしたモノが可哀想になってきちゃうんです(カワイイでしょ??(笑))。

 小さい頃からそーだった。
 小学校の頃、なくしものを探していて、休み時間中に見つからなくて、授業サボって探したことがある。俺は、当時からずーっと、自他ともに認める、マジメ君だ(笑)。だが、なくしものに関しては、そのルールが切れる。授業サボって、なくしもの探す事は、当然じゃん、っと思ってた。だから、「どこ行ってたの??勝手にどっか行っちゃダメでしょ?」っと言われても、なぜ怒られているのか理解できず、さらに泣いた覚えがある。小学校の先生って大変ね。

 そして、今日、ケータイの一部分をなくした。なんか、電源入れるとこのフタみたいなのあるじゃないっすか。あれです。ケータイ落とした瞬間にどっかいっちゃって…。
 なんか、久々に、なくしモノに対する猛烈な執着心が戻ってきちゃって。というか、もうあんまり、なくしモノしなくなってるから。しかも、なかなか見つからなくて、教室内にあるはずなんだけど…。あんな、どーでもいいようなものでも、可哀想になってきてしまって、ホント、この感情ヤダ。
 んなわけで、量子力学、統計力学、全部集中ができませんでした(笑)。大学の授業なんて、休んだってどーだってイイんですが、っま一応、ちゃんと出席はしましたよ。いつもの10%も力が入らなかったですが。

 そして、統計力終わった後、そっこーでその教室に行き、さらに10分捜索の後、発見。
 「ばーか、まったく、どこ行ってたんだよ?」「てめーが俺をなくしたんだろ。もう、落とすなよ」「はーい、よかったよかった、んじゃ、帰りますか。」「おぅ」

 あー、何やってんだろ、俺。男小せーな。っま、それくらい、俺は優しいってことで、許して。

 なんか病的ですが、案外、もっと大事な、なくしモノを拾った気がする。この感情もやっぱ大事。ヤダし、ウザイけど、やっぱ、絶対、大事な感情だと思った。
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