たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

本当の「研究」

2013-11-30 20:55:35 | Weblog
 相手を安心感に包ませてから論理的な議論に持ち込むと、相手の本当の実力が観えてくる。
 アウェーとホームで戦い方が異なるのと同様で、相手を安心のなかに落とし込むと、非常にくだらないことや拙い論理でも、堂々と言葉にしてくるヤツが多くなる。アウェーや公の場では、そんな意見、恥ずかしいかもしれないという不安がぬぐえなくて、言えないくせにね。

 ホームで相手を崩せれば、最高の爽快感を味わうことができる。レゾンデートルを明確に奪っていくときだけに発生する相手の底知れない力を目の当たりにしながら、真実を追うことができるのは、初対面にしてはコスパーが良いのだ。
 前にも言ったけど、俺はどの人とも勝負する気は無い。我々(研究に携わる者)の敵は自然現象そのものであり、敵は決して誰かや分野ではないのだ。相手が自らのレゾンデートルを守るために必死でこちらを攻撃し始めたら、それは俺の思考を鍛える修行にはなるけれど、この人から何かを得ることはできないな、って感じる。敵が何かがわかっていないなど、研究者として、いや、何かのものづくりを携わろうとするんなら、論外だ。

 なぜ、みんな、自らの能力や技能の部分に、レゾンデートルを求めるのだろう?
 どうして、誰かのために自分ができることを必死でやることで示される優しい気持ちの存在に、一番の自信を持つことができないのだろうか?

 この視点がもっと多くの人にあれば、もっと重要な進捗を目の当たりにすることができるし、自らの研究者人生を存続させるための研究をするなどという、非常にくだらなく意味の無い行為を、排除していくことができる。
 量産されている無駄な論文を減らし、くだらない種のレゾンデートルに縋っている人を助け、そのレゾンデートルに縋られているせいで虐げられている人を助けることができる。

 俺は日々、優しい人たちに守られているし、周囲を見渡せば、ただ有能(レ点をつけて、能力が有る)なヤツは誰もいなく、優秀(優しさが秀でている)な人しか残っていない。
 俺自身も、拙い自分ができることを探して実行していくなかで、少しは、実質的にも精神的にも、何かの役に立てていると思う。

 そんな俺のスタイルを一瞬ですべて見抜いたように、俺が普段している優しさの発現のプロトコルを俺自身にされると、どう喜んだらイイかわからなくて。。
 一言一言が、君が考えている生き方は間違っていない、と言ってくれているようで、その絶対的な能力をいつか得るであろう俺は、誰か別の人に貢献していくことで、この人にも貢献することになるのだろうか、などと考えていた。

 と同時に、もう、なかなか俺に、俺よりも高い思考力の絶対量を持ってして、心からの優しさを発現できる人が、世界中でも、めちゃくちゃ少なくなってきているのだな、っと感じた。
 本当は、能力なんてどうでもよくて、必ずしもその種の優しさが必要なわけではないんだけど、、ただ、他人の正解を観る機会が減るのは間違いない。

 そういう意味では、ココからが、本当の意味で「研究」なのかもしれないね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そこにはまだ虹があるの?

2013-11-26 02:24:14 | Weblog
 きっとまた劇的に変わっていく。
 自ら感じるその合図は、現在からの解離と、過去との決別と、未来への出会いを意味している。

 何かが大幅に変わっても、一緒に傍にいてくれる人は一定量必ず残るし、より深くなる関係性もある。総体的に離れていくのは間違いないんだけど、たとえば今になって高校時代の友達と急に近くなっていたりもするし、どうなっていくかは、俺にもわからない。
 思い入れが強すぎれば強すぎるほど、次に起こることが嘘のように劇的になる。そして、俺の気持ちは強く少ない要素で成り立っていて、それで突っ走るから、自分でもどうなっていってしまうのかはわからない。まぁ、いつも通り(の変わっていき方で)、今よりも当然より良くなると思うし、この変換点の成功は必然だ。

 本当は怖くて、本当は弱くて、本当は安心できる場所を誰よりも求めている。
 だからこそ、1つの場所に留まらないし、すべてが現実で、すべてが幻であることもよく理解しているからこそ、大胆に行動がとっていける。

 そう、言葉を得ないまま、何も示さないままで、ある程度の満足ができてしまうのは、実は、俺自身が、俺のほーが、自分のことなのにどこか他人事のように感じとれているからなのかもしれなくて、誰よりも蚊帳の外なのかもね。
 別に、何かの気持ちが無いわけじゃないし、したいことがないわけでもないのだけど、俺はそんなに焦っていないんだよ、きっと。早く即物的な印や結果を出すことよりも、ゆっくり、じっくり、きちんと、意味のあることをしていきたいし、理想通りのホンモノになっていきたい。

 輝かしい未来が観えかかっている未来である今よりも、今という未来がまったく見えなかった過去のほうが、確実に希望はあったし、不安も何も無かった。
 だとしたら、想像した輝かしい未来以上になっている今を成り立たせてくれた環境と寄与してくれた人である過去に、ほんの少しずつ貢献しても、バチはあたらないのだけどね。。

 あなたがいまだに立っている、そこにはまだ虹があるの?
 変わらずにいて、っと思ってしまう一方で、実質的には変わっていて欲しい、と我儘に願っている。

 フォトグラフ ZARD
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健気な努力を無下にさせないために

2013-11-25 03:00:03 | Weblog
 結果を出したいなら、退屈な作業を繰り返すことが必要だ。

 今までエリート志向で来てしまった人ほど、退屈な作業をせずとも成果を上げることができると勘違いしている。当人にとって人生最良のときであった受験合格の瞬間以前だって、最低限の言われたことしかやってきていないのにも拘らず、自分には最初からスゴイ能力があるから、と勘違いして、実験なんてしなくても結果が出るとか、コツコツと思考を巡らせなくても直前でなんとかなる、と思っていてはいけないんだぜ?
 作業の絶対量としての努力が足りないために、たった数回のデータだけで、何かの論理をムリヤリに言おうとすることはバカバカしい。しかし、学会や研究会やゼミなどで必ずと言ってイイほど一定の割合で、こういう発表は存在している。

 逆に、結果を出したいなら、単純な作業ばかりを繰り返して安心するのではなく、賢さや理解としての能力をきちんと上げなければいけない。

 今まで無難な選択肢を選び続けてしまった人ほど、退屈な繰り返しの作業を好み、何かの能力を得ようとする努力に乏しい。レールから落とされることを恐れすぎて、もはや自らレールを降りることもできなくなってしまうくらい、壁を超えて能力を得ようとしないから、自らの世界の中で、実験量さえあれば、計算量さえあれば、何かの結果がでると勘違いしている。そんなんじゃ、いつまでたっても、「実験結果」や「計算結果」が「結果」にならない。
 指でホコリの山を作ることが上手くなっても殆ど意味が無いのと同様に、ただ単に作業をすればイイわけがなく、目的に即した作業と、それを理解できるだけの頭脳を身につけなければいけない。しかし、進捗報告を訊いたり、論文を読んだりすれば、半分くらいは、ただ無意味なデータだけが何の相関関係もなく沢山示されていたりする。

 結果を出したいなら、退屈な作業の繰り返しに耐え、自らの能力を上げ続けなければいけない。

 あ、そうそう。ちょっとだけ、言葉が足りなかったかも。
 「心から価値が感じられる」結果を出したいなら、ね。まぁ、どんなに不貞腐れているヤツでも、それを望まないヤツはいないと思う。

 厳しい意見を言ったけど、みんなが思っているよりも、救いはそこらじゅうにある。

 まず、作業も能力アップも両方やることは、そこまで大変じゃない、ってこと。どちらもやるからこそ、どちらも楽しくなる。どっちかしかしてないから、今がツライんだよ。どちらもできていれば、なんも結果がなくても、結構楽しいもんだと思う。

 それから、研究など何か、ものづくりをしているのであれば、失敗は次に繋がる功績であることを忘れてはいけない。業績が無いと、このプロジェクトが成功しないと、次の仕事が無いんだから、頑張ってムリヤリにでも結果を出さなきゃ、ってのが一般的な考え方だけど、きちんとよく考えて欲しい、失敗しているなら余計にそのプロジェクトにお金をかけなきゃならないんじゃない?
 科研費や申請書を提出した当時通りの結果が出て、それで次のお金が貰える、ってほうが、研究の定義を考えてみたら、よっぽどオカシイんだよ。予定通りの進捗、なんて、むしろ、研究していない証拠であるし、なんとつまらないものづくりだろう。
 成功しなきゃ次ができない、というくだらなく拙い論理に囚われないこと。色々な結果が出てしまって、どうまとめたら良いかすぐにはわからずメンドクサイ!、ってなっているほうが研究しているのだ。

 そして、何よりも、ひとりじゃない、ってことを忘れてはいけない。
 作業の繰り返しが苦手でも、能力をどう上げたら良いかわからなくても、尊く素晴らしい仲間であることにはカワラナイ。みんなで相互作用しながら、相手の価値観をぶつけられたり、相手に価値観をぶつけたりしながら、ものづくりしていくからこそ、超スゴイ価値の高い結果になる。

 その健気な努力を無下にさせないように、俺は、一生懸命、頑張っていきたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「運命」の必要十分条件

2013-11-23 02:13:37 | Weblog
 最小限の条件を使って、信頼度が高い論理構成から価値ある方向への同値変形を示すことができれば、その研究は非常に意味のある行為になる。
 しかし多くの研究では、論文化されているから、というただそれだけの理由で、それを信頼のおける既存のモノとし、そこから必要条件だけを示していき自己矛盾なく話をまとめていくことで成り立っている。ここに、無意味な研究報告が量産化されている直接的な原因があるのだ。

 最小限の前提から、あらゆる現象について、必要なものから十分性を意識しながら示していき、精緻な論理が構築されていく。それこそが美しい論理構成であり、芸術にすら思える素晴らしい同値変形なのだ。
 俺が本当の意味で信頼している理屈はすでに多くの教科書が出版されている範囲としての物理学と数学(情報を含む)のみ。それ以外は先行研究として参考にはするが絶対視はしない。

 頑固なのかもしれないけど、だって、必要条件だけで構築されている論理構成の上に、さらに必要条件だけで何かの結論を言うことは、危険すぎると思わない??
 それが本当の原因なのか、一部だけなのか、すべてなのかどうかも、何も確実にわからないのに、自分にとって都合がイイ細胞しか観なかったり、一対一で対応できる特異的な現象しか扱わなかったり、その範囲を矮小化して話をまとめたり、ヤラセをすることで実験系の確立を主張したり、よくもまぁ、ここまで自然現象を冒涜できるもんだな、っと純粋な気持ちでは感じている。

 本当は誤魔化すことは誰だってイヤなはずだ。
 人は、誰しもが、同値変形を求めているし、十分性を手に入れて、安心したい生き物だと思う。

 何かのプレゼントをくれたから、とか、天邪鬼っぽくバカにしてきたから、とか、自分のくだらない冗談を笑ってくれたから、とか、口が滑って2人の未来のことを語りだしちゃっていたから、とか、何回2人でごはん行ったから、とか、そういうことは全部、必要条件でしかない。直接的な言葉で伝えたり、告白したり、何かの行為を繰り返したり、言葉を得たりしたからって、それらもすべて即物的なことで、所詮、必要条件。
 いつまで経っても、満たされない。These are not "sufficient".

 十分性の担保を取ることは、そんなに簡単なことじゃないのだ。
 その瞬間、物理的に満たされることはあっても、既存の論理との整合性がとれているのであったとしても、たった一つでも矛盾する現象が見つかってしまえば、同値変形は成り立たない。

 一度でも他の誰かと仲良さそうに歩いている姿を観てしまえば、その瞬間に、今まで同値変形だと信じていた論理構成は一挙に崩れ去る。それが、恋愛を法とした上での非特異性を検出しているわけではなく、交友関係を法とした上での非特異性であるかもしれない、という可能性に、ホンモノであればあるほど気がつけない。

 そこまでの厳しい審査をクリアして、得られた論理は、やはり素晴らしい。そういう研究こそ、俺が、これは価値がものすごくあるな、っと思う研究なのだと思う。

 気持ちについては、気持ちと気持ちで繋がろうとすれば、少なくともその瞬間、相転移現象のように、必要十分である、と示される。
 この現象について実空間内で宇宙年齢よりも長く続くことが自己組織化されていることを「運命」と呼ぶのだろう。だとしたら、心から相手のより良きを想って、そうでありたいと願う行動はヤラセではなく、お互いの「意志」という相互情報量をお互いの気持ちにフィードバックさせている系であるのだから、むしろ、そういうことこそがホンモノとしての「運命」であると思う。

 まぁ、、それが起こるきっかけとして「運命」がやって来るのなら、ね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Specific Feelings and Non-specific Thinking

2013-11-22 02:16:25 | Weblog
 執念と優しさが共存していれば、必ず成功するし、毎日楽しく生活することができる。
 だから、自分が何に拘り、何を知りたいのかを明確にしていく行為を、なるべく若いうちに行うべきだと思う。そのうえで、相手のしたいことを手伝ってあげる、誰かのためになるようなことを常に考えることが大事だ。

 それが最も色濃く出てしまう「研究」をするなら尚更で、根源的に自分は何に興味があるのかを明確にしていかなきゃね。
 理系の中高生で、数学が好きだという子の殆どは、自分は数学の問題が解けるから好きだ、と答える。大学生以上はそれではダメだと思う。できるから好き、という程度では、学問を進捗させられないし、理解すら危うい。その好きという気持ちが、解ける、という技能的な部分から解離していき、学問そのものに興味が持てるまでやってみなきゃね。もちろん、数学に限らず、あらゆるすべてのことについて。

 研究とは、新たな分野を創る、という目的に即した行為だ。だから、いま取り扱っているその分野の普通から脱しなければいけないし、そこでやる無難な実験や定石手法から解離しなくてはいけないし、先行研究を否定するまったく新しい論理展開が必要なデータがでてきたら喜ばなくちゃならない。これは、まったくの当てずっぽうを称賛しているわけではなく、組みあがっていく学問体系としてのより精緻な論理構成を得ようと思ったときに、当然必要になることを主張しているだけだ。
 こんなこと、自分が何を知りたいのか?、が明確になって執着しているならば、当たり前に着眼することだし、周囲のやる気の無い人によって気付かされる壁でもある。

 permanentという制度が、それを難しくしているのかもしれない。
 そうである人は冒険しようがしまいが自らは傷つかず、そうでない人はそうなるために成果や業績を一つでも多くしようとして、無難で、どうでもイイ、価値の無い研究になっていってしまう。
 研究のストーリーをまとめるために、書き方や伝え方が一番大事、実験量がとても大事、って言葉で誤魔化すことを助長するような研究では、未来は冥いんだぜ?

 確かに伝え方は大事だし、実験量も大切だと思う。しかし、実質的にそれ以上に大事なのは、自らの研究を、なるべく自分の執着している興味に近づけようとする思考であり、ここについてどれだけの時間、どれだけ多角的に考えたか?、が一番大切なのだ。
 そういう意味で、すべての研究は、どんなに価値のないように感じるものであっても、価値のあるものになりうると思う、きちんと信念がある人に変わればね。

 あとは、誰かのためになりたい、という優しい気持ちを前提にしていれば、必ず、超意味のある研究にいつかなる。

 だから俺は、一緒に研究を進捗させようと頑張っている仲間に対して、感謝の気持ちを忘れないでいることが、「研究」という行為において、何よりも大切だと思う。たとえ、どんなに相手の能力が高くて羨んでも、どんなに論理が拙くてダメだなーっと思っても、一緒に存在してくれているということそのものが、尊い。それにさ、自然現象の掌握において、誰の論理が上とか、誰の技術がスゴイから正しいとか、この意見のが一枚上だとか、そういうことは存在しない。
 だって、真実は、いつも、たった一つしかねーんだから。

 特異的な感情を満足させることは、常に、非特異的な行為によって達成される。

 誰にどんなことを言われようが、たった一つの執念に対して、たった一つの想いに対して、多角的に思考し、あらゆる違ったみんな同士で試行することこそが、研究だと思うし、、もっと大きく言ってしまえば、だからこそ楽しくなって、それこそが生きている意味だと俺は思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当のことを言うこと

2013-11-18 03:09:58 | Weblog
 今まで、本当のことを言って、後悔したことは一度も無い。むしろ、その場を凌ぐための言葉を選んだり、何かの安定を維持するために発した言葉のほーが、後悔する。

 自分の気持ちを誤魔化さず、その気持ち通りの行動をとっていけば、必ず前に進める。明確な意志を持っていれば、どんな派閥や権威も鼻で笑い飛ばせるようになるし、それらだけでは一生手にすることができないくらいの大きい結果を手にすることができる。

 だが、中途半端な行為は、一番わかりやすい、しかし誰もが陥りがちなワナであり、本当のことを少しだけ言ったり、伝えたり、素直な自分を少しだけ見せてみても、不器用すぎて何も意味が無く、目先に不利益のほうが多くなってしまう。

 どんなに本当のことを言っても、それが論理的である限り、俺に対して最終的な責任が及ぶことは一切ない。本当のことを言われてムカついた論理的でない人が俺を責めても、俺には痛くも痒くも無いのだ。
 俺が、誰もが思ってはいるけど絶対に口にはできないような、本当のことを言う理由は、自分にとってプラスだから、という理由と、相手の心を考えている時と、半々くらい。それを冷徹な自分を持ってして止めてしまうとき、罰は俺に与えられるのではなく、言うべきであった本人に与えられてしまう。自然現象は俺よりも遥かに冷徹だから。

 だとしたら、今よりも、もっともっと、本当のことを、本当の気持ちの中から、伝えていくことが大事なのかもしれない。
 それこそが道を照らし、光を持ってくる。俺が言うことは、いつだって、早すぎる。だから、その思考について来れない程度の優しさしかない人は、自分の精神的な周囲には必要ないのだ。

 中途半端に、ではなく、まっすぐな気持ちと精緻な論理は、いつだって共通になっていくのだから、恐れずに楽しめればイイ。
 っま、そんなんじゃ、「重い」のかもしれないけど。。

 もっとラフに、自然体で、でもストライクゾーンが観えた時にはまっすぐ投げられるような身構えで、日々、笑っていたい、笑っていて欲しい、と願っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物理学と数学の特殊性

2013-11-16 00:59:35 | Weblog
 論理的に確実なことをやっていくだけでは徳が低いが、価値がある楽しいことを確実な論理を用いずにやっていても徳は低い。
 確実な論理をしっかり理解したうえで、価値がある確実に上手く行くとは限らないことに取り組んでいきたい。これは、どんなことをしていても、俺はそう願っている。

 そう考えると、物理学と数学は、論理的に確実な、非常にわかりやすい、唯一の構造をとっていることがわかる。
 それゆえ、物理学と数学は、唯一、高校卒業後の賢さのレベルよりも、論理的思考力を高めなければ理解できない。他の分野には非常に酷な正しいことを宣言するが、その他のどの分野の学問も、高校数学や高校物理以上の思考力を使わなくても、研究レベルになってしまう。

 というよりも、学問がそこまで成熟していないのだ。
 たとえば、分子生物学にしても、有機化学にしても、素粒子理論の研究をしている人がそれらを学習することは(彼らにとってみれば大した論理を使っていないから)原理的に可能だが、素粒子研究に必須な相対論的量子力学を物理学科や数学科以外の人が学習することは、分野が違うから慣れていなくて無理、ということではなく、賢さの絶対量が足りなさ過ぎて、自らの思考力を向上させようとしないならば、原理的に無理だと思う。

 よって、学部で物理学と数学に関わる学問を専門としたにも拘らず、大学受験のときのままの思考力の絶対量でいいや、と思ったら、何も学べずに4年間を過ごしてしまうだろう。
 他の分野の人が、大学レベルの物理学や数学を学ぼうと思ったなら、まず、賢さを上げようという意識が無くちゃいけない。だから俺は、(他の分野の人には)高校の理科や数学の教科書をきちんと理解できるまでよく読め!っと言っているのである。高校の教科書を完璧に理解する、って結構難しくて、俺も何かが理解できない時に、行きつく先が高校の参考書を開くことだっていまだにあるし、こんなこともわかっていなかったのかって思うこともある。それだけで、かなりの思考力が得られるはずだし、専門書を読む上での基礎になる。

 現状として、研究の世界の特に融合分野では、青チャートの例題も論理的に解けない人達も多くいる中で(実際に問題が解ければいいわけではなく、論理として理解していなくちゃ意味が無いけどね)、物理系のゼミをしたり、統計力学と生物に関する輪読をしていたりする。物理学と数学の特殊性から考えるに、それを意味ある行為にすることは無理だ。賢さの絶対量がそのレベルに達していない人が、いくら、それ以上のことをしても、いつまで経っても理解できないし、言葉だけを覚えるマニアくんになって終わりなのが目に見えている。
 なんと悍ましいことよ。笑

 かといって、(俺は数学は知らないが)物理学が、完璧に素晴らしいわけではないし、むしろ魅力は感じない。
 なぜなら、物理学の研究対象そのものというのは、非常につまらない。素粒子でも、物性でも、堅い論理や、脈々と続いてきた論理構成の土台の上にそのまま論理を上げていくことがつまらないわけではなく、現象自体が楽しくないのだ。

 輝かしい研究興味は、宇宙(地学)や生命にある。無条件で、誰もが楽しいと思えるはずだ。
 そういう楽しいモノに対して、地に足のついた論理構成で、少しでも人類が知らなかった領域にアプローチできたら、めちゃくちゃ楽しいと思う。そして、俺らが成熟させた分野が、いつの日か、物理学や数学が今持っている特殊性の仲間入りを果たすようになることを夢見ている。

 この夢を現実に変えるための武器が、いくつかある。「生命現象」についてだったら、分子生物学と有機化学の二本柱だ。
 物理学を専門とする人は、もっと価値のあるテーマを扱うために、この2つを学ぶべきだと思うし、すでにこの2つを武器として持っている人は、賢さの絶対量を上げるべきだと思う、両者とも、くだらないプライドを捨てて、ね。

 その数珠つなぎをしていくにあたって、人と人との関係性が最も大事だし、何よりも他人に対して優しくしようという気持ちを持っていることが大事なのだと思う。

 え?じゃぁ、そんな厳しいこと言うなよ、って?

 そんなんだから、賢さの絶対量が足りねーってんだよ。
 答えを教えてあげよう、「未来においての優しさ」が「厳しい」の定義なのさ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

論理的な感情を超えて

2013-11-13 01:17:16 | Weblog
 立ち向かわないことの言い訳はいくらでもできてしまう。
 教育制度がそうさせるのか、もともとの気質としてそうなのかは知らないけれど、ほんのちょっとの勇気をだして、その場所に向かい、そこで自己実現してみようという意欲を否定することは、大人になればなるほど、習慣化されつつある。

 複雑な数式を理解するだけの思考力をつけなくてもいい大義名分を分野の習慣の中に落とし込んだり、物理学を土台にしている学問であるにも拘らずその中で元々の表記法を使用することに億劫になってみたり、明らかに目の前に利益があるにも拘らずほんのちょっと恥ずかしい想いをすることもイヤがってみたり、変化を妨げる向きに力が働く法則であるレンツの法則を、みんな、良いように使いすぎなのだ。

 知りたい!理解したい!よりよくしたい!楽しませたい!って感情を叶えるために、自由自在に使える論理性や思考力を持ってして、現実を見つめなきゃいけないのに、何かの習慣や分野が先に来ていて、それで何かを見つめようとしているようじゃ、他人(ひと)にも自然現象にも、簡単に愛想尽かされてしまう。

 たったひとつの感情を持ってして、論理的に考えまくって、それなのに、空振る、なんてこと、ほとんどないのに。
 現実なんてこんなもんでしょ、どーせこうなる運命、結局タイミングが大事なのか、などと論理的な感情で先回りして悟る前に、もっともっと気持ちや想いをめいいっぱいに入れ込んで、「答えを知るにしても、一人ぼっちはイヤだ。あなたとがイイ。」って俺自身が素直に言えたなら、少しは現実が変わるのかもね。

 それなりの言葉は、きっと、お互いに用意できているのだから。
 運命という物理現象にも、タイミングにも依らないこと、、時間依存性の無いモノこそがホンモノであるのなら。

 格子の心臓
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Raison d'etre -存在意義-

2013-11-12 00:25:48 | Weblog
 誰もが集団内での自分の存在価値を考えてしまう。
 俺も、他人との差別化を考えているからこそ、物理学が一番得意なのに生物系や化学系と一緒にいるわけだし、物理が得意で生物をやってる人はもうすでに沢山いると知ったから今は化学を所属として選んでいる。

 その場所に存在していて大丈夫なだけの大義名分を、みんな、常に欲しがっている。そして、よく行きついてしまう結論は、上の指示に忠実に従うスタイルをとることだ。
 能力が無かったり、自分に自信が無ければ、とりあえずは、誰かの言うことを何も考えずにただ訊いていれば、存在理由はある。それは手足としての身体的な存在理由であり、ロボット化が進むであろうこれからを生きる上では適切な対応ではないのは明らかだ。

 ヒトは、論理性が無くても、自らの存在意義を危ぶまれる存在には、本能的に敏感だ。
 あなたなんて必要ない、と何も言わなくてもアピールされてしまうくらい有能な人材から、何かの助言を貰ったり、正しいことを言われることは、絶対に耐えられないし、論理性があっても無くても、今ある権威で無理矢理に押し付けようとするばかりになってしまいがち。
 そんなに必死で自分勝手になっても、その程度の能力じゃ、たった一人じゃ結果なんて出せないのにね。

 存在意義の範囲を超えられることにも敏感だ。
 たとえば、小さな小さな環境下で、必死に存在理由をアピールしている真横で、全然違う価値観を持ってして、そんなのくだらねぇっと言い切られて、もっと大きい世界で自己実現しようとしている人に対してだって、素直にはなれないし、何とかして粗を見つけたくなっちゃうよね。

 手っ取り早い存在意義を掴むために、毎日頑張ってるフリをするのは、疲れるんじゃない??
 無意味だと感じながらも何も発言できないのにも拘らず、忠誠心を示すために毎回くだらない会合には出席するし、少し内容を変えたほーがいいと思っているのにも拘らず、命令に背くことは絶対にできないから意見一つまともに言えない。
 そんなんじゃ、賢いあなたのボスは不満足だと思うよ?そんなんじゃ、デューティーをこなしたとは言えないんじゃない?

 必要な意見を言えたり、より良く変えようとしたり、無意味なモノを意味あるものに変えようと努力して、はじめて、デューティーをこなしていることになるのに、なに従ってりゃイイと、ただそこにいればイイと思ってんだよ?!仕事はきちんとしろや!!

 そんなロボットみたいな振る舞いをしていては、原理的に、物理現象を超えられるわけがない。

 だからこそ、辣腕であることを望むだけじゃなく、自分の気持ちや心の優しいところに絶対的な自信を持って生きていく必要がある。
 俺の周囲には、こういう人しかいないし、即物的な能力なんかよりも、俺はこういう本質的な部分を周囲に対して尊敬していたいと思う。

 絶対的に優しい気持ち、それを持ってして、系をより良くしたい!、という想いこそが、唯一の存在意義に、みんながみんな、なっていけるように、日々、頑張っていこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心の不一致で

2013-11-11 03:22:24 | Weblog
 誰も解決していないことを何か解決したいなら、多角的な視点が必要になる。
 一方向から物事を観るだけではなく、上から、下から、中から、右から、左から、ひとつの物事をあらゆる側面から観察することが大切だ。

 でも、ひとつの問題解決だけじゃなく、真理を掴みたいなら、なにかひとつの物事にだけ執着していてもダメで、あらゆるものをあらゆる方向から観察しなくちゃね。
 その上で、コスパーのイイ観察材料を自分のテーマとして扱う。そうじゃないなら、実験屋は、理論屋のひとつの点にしかならない。まず、何が真理となりうるのかを見定めるためには、あらゆるものを観て、思考して、知っておかなきゃならないのだ。

 たったひとつのデータ、たった一つの系に、ものすごく思考力をかける姿勢では、何も得られない。
 むしろ、情報が溢れている現代では、余分なデータや不必要な系を切り捨てていくことが大切で、それこそが相互情報量を高め、価値あるモノを解明していくための指針だと思う。

 感情では、そういうことは一切介在させずに、たったひとつのデータから、結論まで一気に言おうとしてしまう。
 本当は、まっさらな心で通じ合えばいいだけなのに、ちょこっとした違いや不一致から、色々なことを思考してしまうその心は、ホンモノである証?

 だから、離れれば離れるほど近くに感じ、近くなればなるほど遠く感じたりするのかも。
 その奥にある関係性を感じ取っているベースラインをお互いに失わないならね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二者択一

2013-11-10 03:40:28 | Weblog
 いつだって望んでいるのは、完全に安心感を持ってインタラクションできるような環境を創ること。

 それにはまだまだ程遠い。俺に対して、上から押し付けようとしてくることも多いし、時間の中に誤魔化しの論理性を落とし込まれそうになることもあるし、無駄に賢くなって、これくらいならダメなことも正当化されるんでしょ?って態度をとられることもある。
 論理や根拠を持たず俺に対して偉そうにしたいなら、せめて、俺を完全に守ろうとしてみろよ(笑)。そんなことすらできないくせに、中途半端に優しくするだけのくせに、偉ぶりたがらないで。自己の存在を肯定化するために、俺を傷つけないで。

 別に俺は、誰かに道を創って欲しいなんて、さらさら思っていない。道は基本的に俺が創る。
 ただ、自己の存在を肯定化したいがために、無難な忠告をして足を引っ張ったり、タイミングが無いなら誰も何も動かないことが正当化されると主張したり、空気で形成される権威を盾に自分勝手に独占したり、そういう、みんなにとって迷惑なことはしないで欲しいってだけだ。

 っま、また、こういうことが社会にとって迷惑になる、ってことがわかっていないことが、問題なんだけどさぁ。
 偽善が一番の悪なわけだけど、こういうことだって、俺に対してだけで、かつ、俺のことを完全に守ってくれるんなら、まぁアリ、ってだけだ。

 自己の存在を肯定化したいなら、行動力がかなり必要。そうじゃなきゃ、なかなか、心から自分に自信を持って、自分って必要だなぁ、なんて感じとれない。
 なぜなら、、というよりも、ヒトがヒトである限り、これがプログラムされていると思うのだ。

 猫であり騎士でありたいと願っている俺は、しないことの理由づけよりも、しないことを断念する理由づけの方が、遥かに得意だ。

 人生は常に二者択一。やるかやらないか。変えるか変えないか。
 意外とやってしまったらラクで、変わってしまったらラクだし、変わったことすら、変わらなかったことすら、その変換点を過ぎれば忘れてしまう。

 もう完全に一生ここでいいや、っと思えるほどの信頼関係の煌めきの一端を、ここで魅せてくれ。
 俺が道を創るが、そんな覚悟を心に宿した唯一の仲間候補は、いつでも歓迎する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

騎士からの助言

2013-11-08 01:39:38 | Weblog
 彼は俺に光と闇を同時に残していった。

 「君、の言ったことは、正解だと思う。生命とは何かに対しての、答えだと思う。」
 『この流れで、まさか(笑)。いえいえ、ありがとうございます。』
 「本当にそう思いますよ。でも、君の歳で言うのは早すぎると思います。」
 『なんでですか?笑』
 「確かに正解なんです。でも、武器を手に入れてから言った方がイイと思うね。アイディアだけでやっちゃうのはつまんないよ?」

 その言葉を無視し続けて、2年が過ぎようとしている。俺も彼と同じように、騎士であり続けたかったからだ。
 彼が言っていた懸念が今になって徐々に現れ始めてるのかもしれない。

 「お前、早くからそんなん言いだしてたら、大成せーへんわ。」
 『なんでっすか。早くに真理に気がついたほーがいいじゃないですか。』
 「いや、君はいつか飽きてしまう。学会に行けば、すべての研究がくだらない、と思うようになり、政治なんか、くだらなすぎる、っと感じるようになるはず。」
 『いやいや、そんな風には絶対なりませんよ。』
 「そう思った時に、君はどうするか?きっと、このつまらない世界からいなくなってしまうだろう。だから、学生なんて、パップーじゃないとダメなんだよ。」

 懸念されていた途中までは確かに起こり得る。
 でも、俺は今も昔も周囲に恵まれているし、共に優しくしあいながらモノづくりを遂行できる仲間もいる。何よりも自然現象が好きだから、この世界から離れることは絶対に無い。

 っま、「自然科学」にしか分野を規定していないから、くだらなさを感じることは確かに多い。
 だが、例えば物化生地の中のさらに細かい分野しか興味がない研究者は一生真理を掴めないが、俺はそうならないように選択することができる。
 キングやクイーンのような規則的な動きでは目の前の障壁を超えようとするときに誤魔化しになってしまうが、四方八方に飛び回る変則の動きをし、目前の障壁を軽々と乗り越え敵を撃破するナイト(騎士)であるからこそ、真理が掴める。

 それこそが俺のアドバンテージで、自然に対して、あらゆる武器を使って、掌握してやるぜ。

 『正しいことは人を傷つけるし、その主張が正しすぎて通らないことだってあるでしょう?』
 「でも、半々じゃない?結局、自分の味方になる人と敵になる人を、きちんと仕分ける行為になってるだけで、半分以上、イイ想いをしてるでしょ??」
 『まぁ確かに。でも、仲間が欲しいですよね。』
 「おめーは、もぅ、いてるやん。」

 確かに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平等と不平等

2013-11-07 02:06:14 | Weblog
 世界中の誰もが選択肢を共通に持っている状態が一番の理想だ。
 それは、あることを望み、そこに対して直向きに努力してさえ行けば、必ず得られるという意味である。こういうことこそが、平等だと思う。

 でも、それまでの履歴を一切考慮せずに、いきなりそこから平等、ってしてしまうことの不平等さを、平等だと定義している、間違ったケースを社会ではよくみかける。
 例えば、理系と文系は対等ではないと俺は思うし、理系のなかの各分野についても対等ではないと思う。それなのに、無理矢理に分野を平等化して、すべてを平均場に落としてしまうことは、全体の士気を落とすことになる。理系は文系よりも給与を貰うべきだと思うし、物理系の研究の科研費配分やNatureとScienceの採択はもっと多くすべきだ。ファクターがあるからって対等にしてしまえば、確かに対等にはなるが、平等ではない。
 そんなんだから、みんなラクなほうへ行こうとするし、ラクなほうへ行くことが賢いことのように促されるのだ。

 一般に、ネットワークのなかでは、要素数が少なければ競争が激しくなり、多ければ順番が大事になる。
 だいたいは多いときで平等か不平等かを考えればいいわけだけど、果たして、順番を大切にする、よーわ年功序列、って平等かな?そして、そのネットワークに入らない、つまり上の言うことを絶対視しないんだったら、完全に自分の力でどうにかしてね、ってやるのは、本当に平等??

 当然、今のこの世界は平等ではない。
 俺がアフリカ生まれであれば、今、こうやってこんな風に思考力を巡らせられているかどうか、わからない。こうなりたいと思ったとしても、大学に通うことだって(俺の持っている遺伝子としての実力じゃ)困難だと思う。

 平等か不平等かを考えるときに、大事なのは未来への選択肢であって、それが均等になっているなら平等であり、上から即物的な何かをただ均一に与えることを平等とは呼ばない、むしろそれは不平等なのだ。
 平等という名の不平等の正体は、ここにある。時間依存性をしっかり考えながら解釈すべきだよね。

 最後にひっくり返しておくけど、、社会は、不平等であるからこそ、そこに一個体としての意志が働き、生命として機能する。
 不平等だからこそ、人は頑張るし、他人に対して優しくなれるし、信頼関係も生まれる。

 まぁ、だからって、それを自分の都合のいいように大義名分化してはいけないけど、完全に平衡状態である平等から動的な振る舞いが創発されるわけがないよね?
 人生は魂を鍛える場であると定義するなら、不平等で当然なのだ。ありがたや、不平等。

 だから、極限まで、みんなで楽しもうとしたり、誰かを褒めたり、大切な人を喜ばせたりする価値がある。
 どんなに機械的な振る舞いでも、諦めきってるような不貞腐れてる態度をとっても、それこそ平等のなかに照れ隠しを落とし込んでも、褒めてあげたら、一瞬喜んだ顔をするし、喜ばせてあげれば、必ず煌めく表情が現れる。

 その一瞬だけで、俺は多少損をしても、徳高く生きていこうという気持ちになる。
 平等という虚像を描きながら、不平等を生きよう。誰かを、ありがたい不平等という実空間から理想的な平等という虚空間に引っ張って上げる行為をすればするほど、心は鍛えられるし、一緒に楽しくなれるのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大学院教育とは誤魔化し方を教授する場なのか?

2013-11-06 00:51:16 | Weblog
 任意の根源的なやる気の無さを解析すると必ず行きつくのは、誤魔化すことを権威によって強いられることが社会の常、だと感じとってしまう瞬間の積み重ねにある。
 それを不十分な論理性を持ってして、社会はそういうもん、大人はそういうもの、ってしたり、意欲があっても、そこに立ち向かう努力もしないで、自分は若い頃は何も言わずに我慢した、などと言ってると、呆れて何も言えないほどだ。そんなくだらない人達が、現実を見ろ、って偉そうに言っていたり、諦めが肝心、期待しないほうが得、などと言ってると、なんとまぁ徳の低い人生を歩んでいるのかと心配になる。

 っま、だから、雑音は聞かないに限る。大衆から何かを聞いたところで大した意見はでないし、自分の問題は(ヒントは他人から得たとしても)常に自分で解決していかなきゃ何の意味も無い。
 たとえ、大切な人の意見であっても、大衆のような意見は無視して、本当の意味で、自分の今も未来も考えてくれている意見だけを抽出していくべきだ。

 いや、普通はそうしなくてもいいかもしれないけど、真理を追究していきながら、気持ちを大切にしたいのなら、こうするしかない。
 だって、みんな、誤魔化すことを正当化してばっかなんだもん。理系で大学院なんて来る人は、真理を追究していきたい人だけのはずなのに。

 果たして、大学院教育とは誤魔化し方を教授する場なのか?

 この疑問に対して、ほんの少しでもyesだと思った毎日大学に通う者は、今すぐに大学を去るべきだと想う(「思う」ではなく、その人のためを「想う」と、ってこと)。まぁ、そんなことを本当にしたら、半分以上いなくなることはわかってるんだけどね。笑

 研究のストーリーの作り方と言いながら誤魔化し方を教えてしまっていないか、大義名分をつけながら権威によって不平等を正当化して誤魔化していないか、都合のイイ解釈やただの習慣を着地点に論理展開して自分を納得させていないか、過度のヤラセをして開発だと言っていないか、よくよく考えてみて欲しい。

 俺はこう断言する。研究とは、真理の追究の過程であり、そこに一切の誤魔化しと枚挙主義があってはいけない。
 そして、真理をひとつ掴むということは、その分、何かを失うということ。だから、その覚悟が無いのだったら、知りたいという望みを捨てるべきだ。さらに、もし権威が欲しいなら、こんなにコスパーの悪い分野は無いんだぜ?

 本当に素晴らしい研究は1%未満。それでも、その1%未満に、ものすごい価値があり、すべてを支えてくれる、少なくとも俺を踏み止ませてくれる、輝かしい未来がある。

 どんなにくだらないことを強いられて根源的なやる気の無さを抱いても、それらを吹っ飛ばしてくれるだけの力となっている、真理を追究してくれた先人と、自然科学の論理性と、俺がここまで理解できるようにしてくれたすべての人に、日々、心から感謝している。

 あとは、俺が関わる全ての研究が、全体の1%である素晴らしい研究になるように、多角的に努力をするだけのことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研究の未来

2013-11-04 02:57:46 | Weblog
 今日は特別編。自然科学の研究の世界の未来を年号順で予想してみようと思う。

 確実にこんな未来がくる、っという現実を(研究してるくせに)観れていない人が多い気がするし、最近ぐんぐんアクセス数を伸ばしているので、ちょうどいい機会、俺が「大切な未来」という「現実」を魅せてあげますね!
 「現実」とは、レ点をつけて「実が現れる」と書きます。だから、それ自体で未来を示しているのですよ。笑


 ~2018年
 ・ほとんどの学会のポスター発表で、A0紙での印刷が無くなる。A0専用のスクリーンにUSBをさして、スクリーン上で発表するようになります。さらにすべての学会の口頭発表もポスター発表も、来てくれた人や聞いてくれた人の「イイね!」機能がポータブルで簡単にできるようになり(昨年の分子生物学会などではそうでしたが)、ポスター賞やベストプレゼン賞が本質的に評価されるようになります。
 ・研究結果をクラウドで管理するのが通常になる(dictyBaseなど今でもありますが)。実験ノートが無くなって実験padになり、プロトコルも簡単なモノであれば、そこを直接観ながら、作業するようになります。書き込みもすぐできるし、どれだけの実験者がそのプロトコルを使ったか?で、そのプロトコルや実験系の信頼を評価することも簡単になります。
 ・原著論文や学位論文のfigureで、動画が本論の結果として載せられるようになる。今はsupportingに回ることが主ですが、今後すぐに動画がメインになるようになるでしょう。
 ・蛍光3色以上が当たり前の時代になり、顕微鏡観測では、多点3Dタイムラプスができるようになる。よって、顕微鏡観察と粒子観測が原理的に同値になる。

 2018~25年
 ・世界中で大学および大学院の授業のサテライン化が(今さら)始まる(ただし、ライブの授業はひっそりと残る)。同時通訳、質問もリアルタイムで書き込みすることが可能で(そのためにTAが配備される)、本格的で専門的な世界中の講義を、どこに居ても受講できるようになる。評価は、世界共通のテストセンターが行い、世界基準で大学生として自分が何位にいるのかが一発でわかるようになる。理系の日本の成績は35位。先進国として焦った文科省は対応策に追われる。よって、ほとんどの大学の教員は、授業を持つことが少なくなり、代わりに実験や実習やテストの採点に追われるようになる。
 ・短い期間で原著論文に掲載する雑誌が一気に減る。同じイントロ、同じようなストーリー展開で、いちいち論文にするのはコスパーが悪いということに多くの研究者たちが気がつき、クラウド化がよりいっそう進み、どれほど価値のあるschemeとfigureが出せたかで、method系なら多くの人に使われるプロトコルを提示できたか、理論系なら価値のあるモデルを提案できたかで、評価されるようになる。こうなるためには、現在存在している論文至上主義者たちが研究の世界から退かなくてはいけないわけだが、こういう人達の世代が今の50代後半からいるわけだから、ちょうど10年経つくらいでそうなるはずだ。
 ・日本全国の研究室を分野別にランキングするようなHPが設定される。これによって、各研究室間での競争が正しい方向へ激化。優秀な人材を集めるために、本質的な競争が始まる。

 2025~30年
 ・欧米ではとっくに主流になっていた教員選択性のシステムがやっと日本で導入され、東大京大をはじめとする国立大学で、指導教員のシステムが無くなる(現在、実際にこのシステムを導入している大学が世界にはあります)。自由に好きなタイミングで研究室を移動することが可能となり、学生自ら主体的に本質的なテーマは何か?っと思考するようになる。本当の意味で「主体的」ではない大学院生、サービス精神と向上心と実力のないPIがいなくなる。
 ・国際学会の多くで、大御所の先生が、実際には現地に行かなくなり、3Dスカイプで学会発表を行うようになる。各選考に1~3台、3Dスカイプ用の球形の装置が置かれるようになり、それをレンタルして発表を行う。質問もリアルタイムででき、移動の手間が完全に省かれる。
 ・分子生物学系の基本操作(電気泳動、PCRなど)がオートメーション化される。生物系のテクニシャンの制度がほとんどなくなり、生物種や薬剤や配列をPCに打ち込めば、あとは自動で簡単な実験操作はしてくれるようになる。それに伴って、15年前くらいに新設された生物系の多くの学科が廃校となる。
 ・超汎用性の高いプログラミング言語が発明される。非常に計算速度が速く、インターフェイスも重視。ほとんどの自然科学の計算はこの言語で対応できるようになり、しかも小学生でも簡単に扱える。情報系の分野は勢いを増すが、そこに留まるわけにはいかず、様々な分野との共同研究が(今以上に)盛んになる。実験系の研究者でも簡単に複雑なプログラムを組むことができるようになるので、モデルを立てるだけの理論系が仕事を失い、昔ながらの数式を使った理詰めでの理論系が復活する。
 ・多くの実験装置のソフトウェアが一本化される。これにより、装置の扱いが単純になり、誰でも様々な分野の研究を行うことが可能になる。
 ・分子コンピュータを使った汎用的な薬が開発され、それさえ飲んでおけば、風邪くらいは治してくれるようになる。と同時に、バグに対応する医者とIT系を組み合わせたような人材が増える。

 2030~35年
 ・学術雑誌が10誌以下になる。どんなに優秀な研究者でも、(大学なら)准教授以上でないと原著論文を書かなくなる。
 ・学会や海外留学が極端に少なくなる。3DスカイプとSNSを組み合わせた技術が発達し、自宅に一台以上が当たり前。必要があれば常にネット上で研究者と自由に話せるからだ。それでもカンファレンスは開かれるが、ネット上が主になり、学生を含め、誰も実際に足を運ばなくなる。(ちなみに一般社会では運動不足が深刻化する。世界の先進国で、多くの人が「実ひきこもり」になり、家に居ながら社会に参加できるため、おしゃれすることそのものも実際には行わなくなり、多くのファッション業界や化粧品業界はネット参入を開始する。)
 ・有機合成、低温実験、顕微鏡観察など、ほとんどすべての実験がオートメーション化され、コンタミを完全に防ぐため、実験ロボット以外は実験室への立ち入りは一切できなくなる。院生2人に実験ロボ1台。事実上、理論研と実験系の区別が無くなり、実を伴った理論系、理論をしっかり理解している実験系以外は、必要なくなる。
 ・(よって、)研究室や大学に毎日通わなくなる。ミーティングやディスカッションやゼミも、自宅に居ながらできるし、実験ロボットの操作も、自宅のスーパーPCでできてしまうからだ。
 ・世界初の人工生命(大腸菌などの原核生物)ができると同時に、生命現象とは、混合系であることによって「ゆらぎ」が一本化されている現象である、ということが実験的にも理論的にも示される。

 2040年までに起こっていること
 ・地球外生命体が(いそうな順で)エンケラドスかエウロパかタイタンか火星のどれかで発見される。
 ・ブラックホールの理論式が完成。
 ・ミクロな理論(量子力学)からマクロな理論(熱力学)へと完全に論理的に筋の通った理論が確立される。
 ・地震の予知が完全に可能。
 ・原子力の安全性の技術が確立し、エネルギー問題が解決。
 ・様々な料理を作ることが有機合成で可能になり、食糧問題が解決。
 ・3DスカイプとSNSを組み合わせた技術により、障害のある人や開発途上国の人や子どもなどの研究者が増え、学歴や人間関係に依らず、きちんと本当の実力を持った人が研究室を持つようになる。
 ・育児と研究の関係が、もっとスムースになる。


 ちょっと正しいことしか言わな過ぎたかな?笑
 確実に来る未来だと思うし、俺やあなた方が想像するよりも、もっと早く、色々な未来が訪れると思います。

 今よりも、より良い方向に向いていくし、それは昔から今を考えてみれば当たり前のこと。これらのより良きが実現されるようになるまでに、多くの気持ちが守られることのほうが、これからの課題。
 俺は技術面や理解に貢献していけたらともちろん思っているけど、それ以上に、研究者や技術者の気持ちを踏みにじりながら、大衆にとっての、大勢のより良きになっても仕方ないと思うから、優しさの気持ちを発現できていけたらと思います。

 分野のなかの慣れ合いでも、ダメなことを肯定することでも、今ある空気の中で安定へと落とし込むだけの優しさでも無く、その人の今と未来の気持ちを守る優しさを、研究の世界の中でも発揮していけたら、世界はきっと、今も楽しくて、大切な未来もずっと楽しい保証を得ることができると想う。

 今は、創作者の気持ちを削りながら、大衆にとってのより良きに向かうことが多い。
 毎日同じ作業を繰り返して身も心も削りながら研究している人も多いし、不条理に権力を振り回されて、本質的な能力アップができないまま、時間を無駄にしているケースだって多い。

 だけど、研究の未来は、明るい。それは技術面や自然現象の理解についてだけでなく、本当の意味で、研究者の、技術者の、、いや、すべての人の気持ちも明るくなるはずなのだ。
 ならない、って??俺がそういう風にしてみせるぜ!そうやってひねくれてしまった人の心すら明るくなるように。

未来のミュージアム - Perfume
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする