たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

心のデカンタージュ

2019-06-30 23:40:24 | Weblog
 文字を見る前から、何が終わりを告げたか、もちろんわかっていた。
 ちゃんと直視した時、俺の心に訪れたのが混沌ではなく安堵だったのは、自分自身でも意外だった。

 落ちていたのがどちらなのかは言うまでもない。
 目を開けて現実を直視することで惨めさを自覚するくらいなら、糸を切ってしまうほうがラクだ。切られてしまった糸を見つめながら、『これで引きずりこまれなくて済む』と誰かの言葉を思い出していた。

 『そういう人って、どうすればいいんだろうね?』
 「無理でしょ。どうしようもない。意識を変えなきゃ。でも、きっとそれをするつもりもないんだろうから、だから、不幸せになれ、って思う」

 まぁまぁと思いながらも、自分の力の限界を感じていた。でも、能力不足を悔やんでいるわけじゃない。原理的な限界だから。
 クズから脱するためには、自分自身で過去を捉え直し、その直向きさを現在に活かすことで、誰かに奉仕させてもらえない限り、どうにもならない。いくら誰かが力を貸したとしても、本人が扉を開かなくては、先には進まないのだ。
 それを無視しながら、単純な関係性の継続を狙った場合、研ぎ澄まされた直観と論理の容赦のない攻撃を受ける羽目になる。通常、耐えられるわけがない。

 誰かへの嘘と秘密は、未来の自分達への投資を意味する。「今はわかってもらえないかもしれないけど、関係が長くなれば、きっと」ってね。だから、その投資額が多くなればなるほど、恐怖は蓄積される。そして、ある一定のところで、自ら破産するしかなくなるのだ。ご利用は計画的に。

 貴女の望んだようにリセットできたなら、それでよかったんじゃないかと思う。そろそろ言動に責任を持たなくちゃね?考え方のヒントは沢山あげたと思うし。
 押し殺していた心のボトルを開いて、高い位置からデカンタージュ。存分に空気を与える。素直さでいっぱいになったら、ゆっくり眠りにつこう。
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「あたしにあなたの才能を…委ねないで」

2019-06-24 01:03:11 | Weblog
 最適化する能力が人一倍高ければ、それがどんな難関であったとしても、達成できてしまう。
 継続できるだけでも通常だったら困難なところを、最高の称号を得れるまで最適化できてしまうだけの天賦の才は、大きな混乱をそれぞれに齎す。

 もともと俺に与えられた問いではない。その問いを、勝手に解こうとして、勝手に振り回して、勝手に傷つけて、勝手に傷ついただけ。ほんと、ただそれだけなんだよね。
 もちろん、直観レベルでイイのなら、言いたいことは沢山ある。刻一刻と流れる時間の中で、『そういう風に仕向けてきたでしょ?』というオフェンスに、ディフェンスし切れるとはとても思えない。でも、、それは、予測の範疇を出ない。

 だから、聲が聞こえてくる。
 「あたしにあなたの才能を…委ねないで」ってね。

 理想を押し付けられることには慣れている。
 みんなは、俺から理想を押し付けられていると思っているみたいだけど、、その程度でそんな風に思えるなんて、本当に幸せだよね、って思う。そして結局、貴女も、そうだったんだね、って。
 "特別"が大衆の一要素へと変わる瞬間、叩かれ慣れている俺は、つい笑っちゃう。最も不必要な賢さが、自己認識を上回ってしまうのだ。

 カルマとしか思えないほどの懲罰を終えた今、そして俺にとっての贖罪を終えた今、固執する理由がない。呪縛から解放され、最適化することで得られた能力を単純に日銭に変えて生活していても、世間から称賛されてしまうことに、飽き飽きする。
 直観に加え、論理性とその表現手法まで卓越してしまったからこそ、あらゆる刺激的な取り組みが一過性のものに感じる。まぁ、刺激なんて、一瞬だからこそ刺激なわけだけどね。

 無難に「ありがとう」と終えるには、あまりにも長い時間が経っていて、他の言葉を探したくなるんだけど、あんまり思いつかない。
 一つだけ言えることがあるとすれば、俺は自分としてはベストを尽くせたと思う。あれ以上は無理。不条理へのチャレンジを、俺なりに真摯に行い続けたと思うし、これ以上は、俺のそもそもの能力と環境からして、酷でしょ?

 でもね、、あまりにも長い時間、勝手に最適化しちゃったから、他に何に最適化したらいいのかわからない。
 「自分のために」何をすればいいのか、迷っているんだと思う。別に、その時その時の都合で、単純に生きていれば、それでいいはずなのにね。
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かぷかぷ

2019-06-18 18:51:08 | Weblog
 自分にとって都合のいいストーリーを構築していく目的は、誰かを納得させるためであるはずだ。
 しかし、自分にとって都合のいい情報のみを入手し続け、自分にとって都合のいい言葉だけを拾い読み続けて、その行為に最適化させることを繰り返していると、いつの間にか"今の"自分にとって都合がいいだけになっていたりする。

 そう、自分にとって都合がいいはずのストーリーが、じわじわと自分自身の首を絞めていくのだ。

 人生にとって最も重要な能力は、間違えたY字路までUターンできる能力なのだが、多くの人は、先が行き止まりでもアリジゴクでも崖でも、それを認知しているにも拘らず、突き進んでしまう。自分がやってきたことを無意味化することに躊躇いがない人間なんていないからね。
 そのような状態では、あらゆる忠告と助言は、「(今の私にとっては)現実的でない」と、現実と妄想をひっくり返した言葉で断絶されてしまう。適切であればあるほど、純粋であればあるほど、深く深く傷つける。

 Uターンしないことの正当化の一環として、「生きていくためには仕方ない」の言い換えで「大人になればわかるよ」と繰り返してくれた貴女に、俺が期待していたことは、俺の言葉を閑却し続ける力。だって、そういう立場のはずじゃない?
 猫パンチのつもりが、いつの間にか心の中央部にまで侵食してしまっていた。お互いにね。イイワケは今も昔もカワラナイ。『勝手に検索して、勝手に読んで、勝手に解釈して、勝手に傷ついていたのは、そっちでしょ。本当の心情だとは限らない、とあれだけ書いていたのに』ってね。あの頃と違うのは、最後に素直な一言が加えられること。『ごめんなさい』って。

 この世界は特に弱肉強食の色合いが強い。だって、曖昧さが許されないのだから。
 だからこそ、違う世界で知り合いたかった。せめて、違うタイミングで。

 今は、行き過ぎてしまった論理展開と、都合のいいストーリーを巻き戻すことにとても忙しい。そんなストーリー性の強い過去に圧倒されて、かぷかぷ笑ってみると、同じようにかぷかぷ笑う懐かしい声が確かに聴こえた気がした。
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諸行無常

2019-06-10 23:12:16 | Weblog
 高い視点から多角的であることは、あらゆる事柄を掌握し、過去の失敗を確かな糧に変えてくれる。たった一つの事象に対してだって、最も高いところから最も深いところまであらゆる道筋から考究し、自分の直観に当てはまるようにロジックを組んでいけば、かなり有意義な結論を導き出すことができる。
 その圧倒的なメリットを自分自身へと吸収させる一方で、デメリットを与え続けてしまっていることにも思考の一端を捧げてみる。

 多角的に肯定化できる能力があるということは、多角的に否定もできるということだ。
 純粋な直観と狡猾な論理の両刃は、容赦無く、現在と過去を切り刻む。何をもって瞞着させ合ってしまったのか、何が渇望させたのか、そして、どんな調和だったのであろうか、考え尽くすことそのものに価値があるのであって、それをもって幸福を得たいわけでもなければ、それをもって同じ失敗を繰り返したくないわけでもなければ、それをもって何かを正当化したいわけでもない。ただただ、清く正しくありたいだけ。それこそが、この人生の目的であると直観しているからだ。

 もし、それで苦しめているのだとしたら、、いや、謝らない。
 だから、言ったよね?『見るな』って。

 生まれながらの圧倒的な直観と鍛え上げられてしまった論理によって放出される価値観とストーリーは、すっかり俺の手元を離れ、逆に俺らをコントロールしてくる。疎外を受けてしまった我々は、見切りをつけたはずの苦しい過去を直視せざるを得なくなる。「きっと変わる」と思っていた幼い自分と、「カワレナイ」と思ってしまった少年だった自分と、「カワラナイ」と悟ってしまった大人になった自分と、「変わってほしい」と願ってしまっている今の自分が、それぞれに泣き出して、残酷な自然現象に圧倒されそうになる。それなのに、すべては、ただただ諸行無常だと教えてくれる。

 「ワタシ、笑っちゃったよ。最初にLINEで聞いた時」
 『ひど!人が真剣に悲しんでる時に笑』
 「だって、一致するような要素、最初から無かったじゃん。わかってたでしょ?」

 ・・・ああ、わかってるよ。会った瞬間から、、そして、10年前からね。

 不幸で普遍的な事実を直視したくなくて、問題を転嫁させ続けた。だって、原理的に解決できないように思えてしまうほどの難問・奇問は、解決できそうな問いに帰着させてみるのが、定石でしょ?って、何も気がついていない、勉強ができるだけのバカなフリをしてみたりして。

 一つだけ確かなことは、感情の一端を転嫁させられてしまったのだとしても、事実における正論そのものは揺るがないし、正しいければ正しいほどに、その正論を発現させた人間に責任が向くなんてことはあるはずがなく、享受されるべき人間にのみ向く、ってことだ。だから、俺には、もともと俺だけに与えられた問題の責任のみ、発生している。

 だからね、どーせなら、ぜひ上手に使って。その覚悟こそが、貴女達にとって、まったく新しい、より善い一歩となるはずだから。
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