たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

名古屋へ

2010-08-30 01:57:42 | Weblog
 っさ、この1週間は、旅づくしです。まず、明日から名古屋へ、そして初の海外。

 明日からの名古屋は、きっと生涯忘れることの無い出来事になると思います。というか、そうじゃないといけないですね。
 学びとれるモノをなるべく沢山学びとりまくる、ってのは、感情だけの部分だからって、簡単そうに見えて、難しい。盗めるモノをすべて盗んでやろうの精神は、いつも意識してないと、そうはならないからね。
 これが、ミクロスコピックに見た時の、チャンスを逃さない、だと思う。

 こんな慌ただしい中でも、冷静な自分を忘れずに、優先順位をつけていきたいです。

 (そんなわけで、もしかしたら、まるまる一週間更新しないかもです。っま、途中、帰ってくるので、そこで更新するとは思いますが、結構、忙しいので、念のため。)
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プライドを捨てる勇気

2010-08-29 04:21:27 | Weblog
 ついさっき、CDTVをぼさーっと見てて、スゴイものを見てしまった。
 週間ランキングのPVの中で、『あー、また、EXILEみたいに、ダンスとボーカル、みたいなんを、新しく、売り出してるんだなー。うーんと、誰だ?、、CHEMISTRY??マジで?!あっ、マジだ、声、堂珍と川畑だもんな。』

 流石に、こんなにも、音楽情報を、ちゃんと頭に入れてないのを、反省しました。はぁ、しっかし、とにかく、スゴイな。。
 もう、なんて言うのか、ヒトゴトに思えなくって。

 まぁ、とりあえず、俺の勝手な想像を御覧ください。

 プロデューサー「次、どんなんで、行こうかって、いつもの定例会議で話し合ったんだけど、今回は、4人くらいバックダンサー入れて、ダンスとか、どうかなって?2人は、どう思う?」
 川畑「マジっすか?!(どう?って、それ、俺らがやったら、完全にEXILEじゃん!)」
 堂珍「それは、僕らも踊る、ってことですか?(じゃないと、ツインボーカルだし、マジ、EXILEだってーの。)」
 P「その辺を考え中なんだけど。。」
 川畑「曲は?」
 P「いや、そっちはまだ決めてないんだけど、とりあえず、売り方の問題。」
 堂珍「じゃぁ、まず、ダンスってのは、決定なんですね。」
 P「うん。でも、まぁ、2人が踊らないとなると、完全に、EXILEだしね。」
 川畑&堂珍「(あ、それ、言っちゃうんだ。)」
 P「まぁ、考えといて。」

 っま、ボーカルも踊るのは、J Soul Brothersなんですけどね(笑)。
 大切なことなんで2回言いますが、以上は完全に俺の勝手な想像です。実際に調べてみると、堂珍が言いだして、ダンサー決めるのに、番組内で、オーディションまでしたらしい。そして、おそらく、2人とも、慣れないダンスを練習して練習して、すさまじい練習の末、俺が目にするところまで来たのだと思う。

 それが、CHEMISTRYにとって、良いとか悪いとか、そういうのをここで語るつもりは無い。だけど、ここ最近、低迷続きのCHEMISTRYは、事実、そうしないと、売れないのだ。
 よく思い出して欲しい。ASAYAN超男子のヴォーカリスト・オーディションでCHEMISTRYを選ぶ時、「日本を代表する息の長い実力派R&Bのデュオ」というオーディションの意図と、川畑・堂珍ペアが選ばれた時に、「比較的、男性アーティストにしては、女性の支持が少なく、男性の支持が割合を多く占める」という部分。(ちなみに、ここで、EXILEの現ボーカル、ATSUSHIとNESMITHは落ちている。)
 つまり、歌を上手に歌うことに憧れる男の子達が、こぞって、CHEMISTRYを聞き、練習しまくって、それに影響を受けて、女の子の支持も獲得していこうということだったのだ。

 それが、ダンスですか。マジっすか。
 人数を増やして、ダンス。それは、どう誤魔化しても、EXILEの二番煎じの何物でもない。

 良いか悪いかは別にして、これで、俺は、また、もう一歩、CHEMISTRYを好きになることができた。だって、「お前に、そういう勇気があるのか?」と言われたら、今、全然無いわけで、尊敬するしかないじゃないか。

 もともと、EXILEだって、CHEMISTRYの二番煎じのようなもんだ。
 そういうなかで、少なくとも、前に一度、実質的には確実に、自分達に負けていた者達の二番煎じをするというのは、相当の覚悟と、プライドを捨てる勇気が必要だ。そういう部分で、音楽とはまったく関係ないけど、言葉に守られ続けてきている自分と対比して、ヒトゴトとは思えない。
 負けを認める勇気、それもひとつの勝ちである気がする。この、相対的な負けは、確かに、絶対的な勝ちなのかもしれない。

 っま、そんなこと言ったら、EXILEのATSUSHIは、9年も前に、彼らより実力があると言われていたのに、実質的に負け、違う価値観を見出していて、そこでも、頑張っているのだけどね。

 ここまでしたって、CHEMISTRY+Synergyの「Shawty」は、初登場18位。彼らは、初登場のAKB48にも、2週目のPerfumeにも、実質的に勝てない。厳しい世界だ。
 色んな事に対して、夢を少し千切る勇気すら振り絞って出してるくせに、そんな勇気、お前にあんのか?、っと言われたら、次元は全然違うけど、無いと思う。ちょっとは、つけなきゃね。

 そして、まだ聞いてなくて、マジかー、っと思う人は、せめて、youtubeで、聞いてみて欲しい。
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ホンモノをエンコードしたばっかりに

2010-08-27 00:43:25 | Weblog
 どんなキレイな言葉を自分の口から言ったとしても、本を読んだり、誰かとの話で聞いたり、そういうことを、結局並べ換えてるだけだから、口を開く前に、その言葉を自分の心の中に飲み込んでいないんだったら、何も意味が無い。
 極端な話、その人の解釈や想いこそが重大であって、他はどうでもイイ。たとえ、解釈が間違っていたとしても、全部が間違ってる可能性すらある混沌さの中にいるのだから、その人がどう考えているのか、その人がどういう想いを持っているのか、だけが、重要である。

 「最近の若者は、よく、『努力だけは認めてください』というヤツが多い。困ったもんだ。」と言われているらしいが、その理解をしようとしないことのほうが、よっぽど思考力が低いと思う。
 あまちゃんで、弱っちくて、それでも、大人で構わないのだし、素直にそっち側に価値を求めることができてしまう若者に、嫉妬してたりして?

 その言葉の能力に達していない人が言葉を得てしまったり、実際に努力だけは、きちんと認められるだけ頑張っているのに、言葉を得られない人がいたり、、そういったことは、言葉に縛られていないなら、本来は、どうだっていいことで、ただのコンタミだ。大切なのは、ひとつひとつの言葉を、ちゃーんと心の中に飲み込みながら、放出しているか?ということだと思う。
 最終目標を忘れちゃいけない。例えば、受験なら、大学に受かることが目的じゃなくって、モノを覚え、理解することが、最終目標のはずだ。

 しかし、現状としては、言葉そのものこそが、重要になってしまっている。そこを打破しようとする気配は見えてきているけど、まだあと、少なくとも、50年くらいはかかるんだと思う。

 ただのエンコードの予定だったのに、むしろ、エンコードしているモノがホンモノに対して支配的になってしまったのだ。
 もっと、個人的な系でも、気をつけなきゃだよね。
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過去4回のまとめ

2010-08-26 04:00:13 | Weblog
 読み返してみると、ここ4回くらいの日記は、まったく同じ、共通のネタを喋ってるっ。笑
 『外から見ると矛盾しているけど、中では矛盾していないよ?』ということを書いてるだけだ、と思った。

 理想を持ちながら現実を進めていく、ということも、後に引けない感情、ということも、熱力学が何を支配しているかがわかりにくい、ということでも、西田幾多郎が提唱する絶対矛盾的自己同一でも、すべては、『矛盾している両者の共存によって、両者が成り立っている』ということを示したかったのだと思う(あんまり、後になって、読み返さない+その時の気分で書いているので、定かじゃないですけど)。
 なかなか、思考とか、感情とか、行動とか、の、いつもの、ここでのパラメーターで展開するには難しいテーマですが、このような系は、大事な部分であると思う。

 複雑な割に、賢いから生じる感情でもなく、小さい頃から持っている複雑さ。感情が持っている特質とでも言うべきか。
 ただ、こういうことが、熱力学という学問に、ちょこっと表れているような気がするのは、面白いことだ。自然科学も、感情の側面を持ってるかのような、振る舞いをするのか。なんか、哲学じみて、イヤだな。そういう、一般的なことを、叫びたいわけじゃないので。(っま、倫理で習う、西田幾多郎を例に出してる時点で、アウトだけどさ。)

 でも、それこそ、一般化を語ることも、個人の体験を語ることも、両方共存して、両方で成り立つ、って感じで、また絶対矛盾的自己同一なのか。
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絶対矛盾的自己同一

2010-08-25 03:17:54 | Weblog
 自分よりも能力が低いのに、何か権威を表す言葉を持ってるってだけで、上から目線で、自分のことをダメ出ししてくる人は、世の中、多い。だからこそ、権威的な言葉を得にいく必要がある、と思っている。
 そんな矛盾に気がついたときに、言葉を持ってる、ってだけの、上の人に、無理矢理、さらに上から目線で、モノを言うことが、大事だと思い始めた。

 俺自身、自分よりも言葉を持っていない高校生に対して、本気で思考してない瞬間は多い。
 かなり難しい問題を一緒に解いている時だって、それよりさらに難しい生活の中の問題を一緒に考えている時だって、自分が大学の授業でのレポートや発表に対して気をかける、半分も使ってないくせに、『俺が言ってるんだから、正しいでしょー』みたいな感じで、喋ってしまうことは、よくある。

 それほど、権威的な言葉が持っている力が強いということだけど、きちんと俺に反発してくる瞬間だって多い。
 それは、わりーけど、俺らの世代が、上の世代の人よりも、なんでも言って良いよ、の、受け入れキャパが大きいからだと思うし、俺よりも下の世代のほうが、優秀だから、きちんと意見を言える、からだとも思う。
 っま、実は、年齢が近いから、ってのが、理由だったりもするんですけどね(笑)。ただ、それを考慮に入れても、ということだ。

 「強い」「上手い」「上」と、されている人達に対して、ほら、ちゃんと本気だせ!いくら、思考力がまだまだ甘い俺が相手でも、本気で噛み殺しに来い!!って思ったりする。
 相手をその気にさせるには、こっちも本気で思考してないといけない。「俺の言ってることなんだから、正しい!」って思ってて、しかもそれを、何十年もかけて、アホな腰巾着によって習慣化してしまっている勘違いヤローには、理詰めで、正しい!、って示すしか、改善の道はないのだと思う。

 (ここからが、今日の重要な論点なわけで。。)
 こういう、系、大枠で見た時に、こういう、言葉による呪縛やその改善があって、俺が、初めて、存在できる。逆に、俺がこういう風な振る舞いを上下にする、それによって、初めて、上下の振る舞いが存在する。というような、絶対矛盾的自己同一を感じることがある。
 んなら、また、さらに、新しい境地に達することができるんだろうか。

 つまり、なんで、何十年もかけて、悪習を許してしまったの?、今までで改善できなかったの?、って思う一方で、それがなければ、俺自身の価値が生まれない気もする。
 そして、それに気がついたんだったら、さらに、違う領域に踏みいることができるのかもしれない、ということだ。

 いつも通りですけど、、意見のことや、世代のことや、権威を表す言葉の呪縛が、どーとか、何が正しいとか、違うとか、そんなんは、俺は、どうだって良い。
 どれほど俺自身を殺し、どれほど相手を考えるか、というような、匙加減やケースバイケースの話ではなく、自分と相手、その2つの存在に関する矛盾によって、その2つとその2つを結ぶモノが存在できている、ということが、系の中での正しい理解であるのだと思っている、ということが言いたい。

 そう、自分を押し殺して相手のことを考えまくって行動することと、相手のことを考慮せずに自分の意見をそのまま行動に移すこととは、実は、まったく同じことで、共存しうることなのだ。
 だから、、難しいのか。。

 よーわ、厳密さを壊して、非常に簡単に言うと、素直になりたい自分も、素直になりたくない自分も、どっちもある、というのは、理にかなってるってことです。
 じゃぁ、ツンデレは、絶対矛盾的自己同一、ってことか(笑)。
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熱が出たから

2010-08-24 00:36:07 | Weblog
 きちんと勉強したつもりなのに、熱力学が、どーもしっくり来ない、という人は多い。俺も、その一人だけど、どうしてそうなのかを、ちょっと、考察してみようと思う。

 まず、他の物理の科目に比べて、やけに、条件設定が複雑だ。
 定圧変化や等温変化、閉じた系なのか開いた系なのか、それぞれで、成り立つ式が少しずつ変わってくるし、高校までは、この辺りは変化ごとに丸暗記するから、どうも、関連が掴みにくいんだと思う。

 そして、それに関連して、変数の多さ。系を支配する変数は、座標と時間の、せいぜい2個が、物理学を学ぶ者は慣れている。
 なのに、熱力学は、といえば、系を支配している変数は、だいたいの系で、3個。3個に選出される4つの変数は、体積、圧力、温度、粒子数が基本(もちろん、ケミカルポテンシャルやエントロピーがなったりもするよ?)。これら4つが、状態方程式を介して、関連し合う。
 これに加えて、多くの熱力学関数(上の4つもそうなのだが。)が定義される。熱、内部エネルギー、エントロピー、エンタルピー(この2つ、名前似すぎ(笑))、ヘルムホルツの自由エネルギー、ギブスの自由エネルギー…。これらの物理量を、きちんと定性的に、言葉で説明するのだけでも、疲れそうだ。

 華やかし過ぎるんだよっ。騙されないぞ!っとやればやるほど、わけわからない思考回路にハマる。

 『だから、高熱のため欠席します、ってのは、間違いなわけ。』
 【えー??なんでですか???】
 『だって、熱ってのは、移動するときに、熱って言うわけで、体温計では、その場所での温度を測ってるわけでしょ。だったら、内部エネルギーじゃん。』
 【あーなるほど。】
 『だから、高内部エネルギーのため欠席します、が正しい。』
 【笑】

 完全に授業のネタだけど、熱力学の世界では、正しいから、困っちゃいますよね。

 さらに、全微分の数学的関係から導かれる、熱力学関係式が存在する。んで、それを発展させて、導かれる関係式もある。例えば、エントロピーを内部エネルギーで偏微分すると、温度の逆数になっちゃったり。マジ、わけわかんないけど、試験前は覚えるよね。導いてらんないから。
 ていうか、「マジ、マックスウェルって、まとめんの、好き過ぎるだろ。笑」

 よーわ、何が、何を決めているのか、が見えにくい、っというか、相互しあって、見えない。だから、どーもしっくり来ないのだ。
 だから、3年で、統計力学を習って、そっちからのアプローチで、熱力学は、なんとなく、正しそう、って思う人が多いのだと思う。しかし、この感じは、完全に因果関係を逆にしてしまっていて、本来、熱力学がありーの、量子力学がありーの、で、初めて、統計力学が正しくあれる。

 でも、まぁ、かたい事言わずに、どーせ、相互しあっちゃって、見えないんだし、単位取りたいし、院試にも受かりたいし、とりあえず、熱力の中身を信用して、使いこなそう、って、発想は非常に大切で、ここで地団駄踏んで、前に進めないと、結局理解できない。
 こんなに難しくて意味わかんない内容、俺レベルの常人は、テキトウに覚えて、あとで、暇な時に、振り返って、話がちゃんとSelf-Consistenceに回っているかを確かめれば良いと思う。

 とりあえず、中身を信用して、それで、その中で、実行しながら、考え続けてみれば良い、、か。
 見かけの華やかさや即物的な感情に、騙されないと、騙されたフリをしないと、いけないのかもしれない。そういう意味では、あの頃、間違った速度で走ってたんじゃなくって、ただ、ちょっと歩幅が合わなかっただけ、だった?

 『じゃぁさ、急性上気道感染症のため、欠席します!、って言えば良いんじゃね?』
 【それじゃぁ、嘘じゃないですか。なんですか?その病気。】
 『嘘じゃねーし、急性上気道感染症は、風邪の、正式名称。』
 【マジ、詐欺。笑】

 やっぱ、見かけの華やかさに騙されちゃダメなシーンのが、多い、かな。笑
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後には引けなくなって

2010-08-23 03:53:00 | Weblog
 物理的に、でも、精神的に、でも、場所が変わるのは、キツイもんだ。
 そのキツさは、強さにもなるし、弱さにもなる。場所に留まる強さと場所を捨てる強さは、いつだって、相反しあうからだ。

 物理的に、どこに行ったって、自分は自分。どの場所で俺を見ても、きっとカワラナイ。
 精神的に、場所を変えようとしなければ、本当の意味で変わることはない。いくら物理的に場所を変えても、だいたいの場所は、同じ系なんだから。
 だけど、ゼロスタートしてみたいんなら、やっぱり、どんどん、物理的に、場所を変えていったほうが、面白い。ゼロスタートの数だけ、残る友達が増えるしね。

 『一番イヤなのはさ、これから5年、10年後くらいになったときに、あの頃はまだ若くて、それで、どんどんステップアップしようとしてたよなー、って、お前と語り合うのはイヤだわ。』
 《あー、それは絶対にイヤだね。まだまだ加速をつけて、いつまでも上にあがり続けたいね。》

 自転車みたいに、前に進まない限りは転んでしまうから、その心配は無いと思うけど、何をもってステップアップとするか?は、常に可変であると思う。
 今までも、人とは少しだけ違って、変わってきたから、変化し続けてきたから、これからも変わり続けなきゃ、っという気持ちは、、

 『…んなこと言うんだよー?もう、ダメじゃね?!』
 「それは、わからないよ。」
 『なんで?』
 「うーん、なんか、それは、ただ単に、言い出した手前、後には引けなくなって、そう言っただけ、な気がする。」

 って、感情と似ている気がする。
 このとき、心では思っても無いモデル系を理論的にアプローチすることによって、別の気持ちを伝えているのかと思ったけど、、『そっちかっ!』って。

 よくよく考えてみると、ここの感情の解釈って、いや、感情って、すごくキワいな、って思う。下手すると、両方。
 間違いなく言えることは、これらの振る舞いは、どちらであったとしても、変換点で不安定である、ということだけだ。

 いつからか価値観が違う方向に少しだけ変わって、もう一度、その変わった同じ方向に大きく変わろうとしている今、理屈に合わないことをし続けても、面白いのかも。
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最初の理想で動く

2010-08-22 02:49:43 | Weblog
 精神的に、かなりの変化を伴った、あの1ヶ月から、1年が経とうとしてる。
 色んな意味で忙しかった生活から一変して、本当に、今は、ゆっくり時間が流れてるな、って印象を受けている。そういう時こそ、考える時間が増えるわけで、もしかしたら、忙しすぎて考えないくらいが、ちょうど良いのかもしれない。

 もっと前から考えると、こういう、実験したり、自然科学の本を読んだり、論文を読んだり、するような生活を自ら望んでから、ちょうど7年。
 まさか、本当に、こうなるとは思わなかったけど、今、あの頃の理想に本当に近いと思う。

 高校生の時、理想のイメージとしては、白衣で、試験管で、結果待ってる感じ。感情のイメージとしては、そんな感じで、化学とか生物っぽいのに、周囲の人たちが言うには理系は物理選択だからって、生物じゃなくて、物理にして。
 最初は、本当に、わけわかんなかったけど、ゆっくり、本当にゆっくり、物理を理解してきた。そして、まだ、その最中。

 あの頃、周りの言うことを聞かずに、自分のイメージだけで突っ走って、生物を選んで、それで受験して、生物学科の大学生になり、生命系の大学院生になってたら、どうだったんだろう??
 別に、お勉強の事なんて、どうでもイイから、だから、物理を選んだところはあったけど、なんで生物できないの?、って思ったもんだ。

 周囲の言うことを聞かずに、自分のイメージだけで突っ走ってみたら、それはそれで面白いのかもしれない。正解を知らない強さだけが原動力になっている瞬間、一番、輝いていたりして?
 だけど、あまり好きじゃない、面倒なことをやってみることの強さは、さらに楽しくなるための、ステップであったりもする。
 はっきり断言するけど、思考力を使うレベルとして、生物は簡単で、物理は、より難しい。

 力をつけるためには、辛く厳しい修行が必要だ。それだけ考えたり、身体を鍛えたり、つまんないことを、耐えないといけない。これを耐え抜いた者だけが、さらに楽しすぎる、領域に到達できる。
 量子力学でも、物性論でも、本当に面白いと思っている人達は、俺の周りに多い(俺も、まぁまぁ面白いと思っている)。だけど、それらがマジで楽しめるには、最低でも、高校数学で習う、三角関数でも積分でも確率統計でも、きちんとできていないといけないし、大学教養過程の力学や電磁気だって理解してないといけない。そうじゃない状態で、マンガでわかる量子力学、みたいなヤツを読んでも、そりゃ、本来の面白さから半減されちまう(それでもかなり面白いから、こういうのを読むのも、楽しいけどね)。

 全然違う分野でもこういうことは起こって、例えば、物理を知らない人よりも、物理を知ってる人が生物をやる方が、同じことするんでも、超楽しめると思う。
 ダンスを心得てる人が、アカペラをやったほうが楽しいと思うし、バスケを心得てる人が、野球をやったほうが楽しい(例えが、完全に、マイケル・ジョーダンだな(笑))。
 総体的にラクなほうに移動するんだって、変換点で、めちゃめちゃ苦労するんだから、より楽しくなって、当然。

 楽しさの閾値は、低いほうが、得じゃね?

 さて、では、苦労して培った、物理学の考え方に従って、このモデル系に対して、きちんと、反論を加えてみよう。

 一人の人間の振る舞いだけを追ったら、そりゃ、こういう風にしていったほうが、楽しめる。だけど、人は一人で生きてるわけじゃないし、そうじゃないんだったら、こんなことよりも、誰かと、っていうのを、意識した方が、楽しい、かどうかは別にして、感情を強く動かされるんじゃないかな。
 それに、楽しもうとしてるのに、単純に、『重いんだよ!』。

 それぞれ個人のレベルがまちまちで、それでグループを組む時、よくできる人が、見えないところで、ハンデをくれたり、素人に気を使って演技する瞬間、高いレベルに合わせようとして、そこで、初めて、素人が、がむしゃらに頑張ろうとする瞬間、そういう時のほうが、ひとりでひとりが勝ちにいって楽しむことよりも、遥かに、楽しい、、かどうかは別にしたとしても、遥かに感情が揺れ動くに決まってる。

 だったら、じゃぁ、だったらっ、個人は、最初の憧れへのイメージに、より近い言葉を選んで、それで、突っ走ってみた方が、結局は、楽しいのかも。辛けりゃ善、ってわけじゃないんだし。
 大切なこととして、おこがましい気持ちじゃなくて、本当の意味で、誰かのためにっ!、って想うことにこそ、サービス精神の部分にこそ、モチベーションが存在するというところがある。そういうことを思わないで、安定のためとか、権威をもって押さえつけるためにとか、習慣がそうだからとか、で、何かを目指したとしても、立ちはだかる現実を目の当たりにして、モチベーションが下がる一方なんじゃないかな。

 だから、、今、ここから、始まっている何年間かに対して、気持ちで動いて、イメージで突っ走ってみたいと思う。
 現実主義者が言ってくる、くだらない格言に騙されたりは、もう、しない。どんなことに対しても、その時その時を一番大事に、気持ちを自分の気持ちで判断して、それで決定づけていくようにしたい。

 それが、命を運び、命を運ばれる、ということなのかもしれない、と、最近、思う。
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夢かうつつか幻か

2010-08-20 01:03:09 | Weblog
 眠っていて、夢を見るとき、これは夢だ!、ってわかるとき、あります??
 夢だと分かって見てる夢を明晰夢と言います。明晰夢を、マスターすると、究極のシミュレーションが可能なのです。

 思うより、夢の中の世界はリアルです。ものすごい細部まで、きちんと映像が構成されてるのを感じると、俺も賢いんだなぁ、って実感が持てますが、あんまり意識しすぎちゃうと目覚めちゃうから、落ち着きながら、自分の好きな行動をしまくる必要があります。
 感覚の中では、制限時間は3分ほど。これ以上長く明晰夢をみることは難しいみたいで、俺は経験がありません。

 すごいリアルだけど、あくまで俺の頭の中にいるはずで、原理的には、全部、コントロール可能なはず。
 だとしたら、あんなことしてー、んで、こんなことしてー、っと、ものすごく、有意義かも。

 これは、誰でも、本当に誰でも、リア充になる手法を発見したかっ?!って思うんですけど、残念ながら、インターネットの世界よりもリアルじゃない、夢の話なんですな。ネットのが、まだ、現実に近いですよね。

 もし、明晰夢と明晰夢が連続性を持って、話に繋がりがあるようになったなら、どっちの世界が本当なのか、わからなくなったりして。
 っというか、実は、現実世界も明晰夢と同じで、自分の魂を地球にあるたんぱく質という物質に預けているような気もする。

 現実の世界だって、明晰夢の世界だって、そんなに、カワラナイのかも…?

 だったら、さぁ、今こそ、自分の気持ちの中で、相転移するべきなのかもしれない。長年の感情を振り払うべきで、俺の事を直観によって判断してくれる、みんなの言うことに、従ってみてもイイ頃かもしれない。
 いつだって、いきなり変わる決定打を、自分自身で、打ってきたじゃないか。みんなはただの酵素であって、変わるべき俺自身こそが基質なんだから。

 でも、、現実と明晰夢は、違うんだけどさ。
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できるだけ努力しない

2010-08-19 01:56:21 | Weblog
 何が真実かを知る方法はいくつもある。その中で一番手っ取り早いのは、正解となる現象を目の当たりにすることだ。

 『あーなるほど、こりゃわかりやすいっすね、画像でこうやって見せられたら、そりゃこれが正解ですもんね。』
 <そうだね、こういうのは、こっちの分野のがイイよね。素粒子でも、理論でも、見えないから、頭良くないと、わからないけど、その点、これは、やっちゃえば、、わかんねーけど、いや、っていうか、でてるしー、って言えちゃうし(笑)。>
 『確かにー。』

 実験して、手さえ動かせば、必ず正解がわかるってのは、手っ取り早いもんだ。

 しかし、実験なんかしなくても、後に、もし知らなければマジでヤバかったかも、というレベルの運命的な真実は、必ずと言ってイイほど、向こうからやってくる。恐ろしいほどの統計的確率を掻い潜って、俺の目の前に登場し、思考の無力さを痛感させられる。
 こういう時に、
 「それはさ、ばんちょー…、最近、よく思うことだけど、運命的で重要な偶然は、重要な人間にしか、訪れねーんだぜ?」
 っという、褒め言葉なのか、けなされてるのか、よくわからない言葉を思い出す。

 もちろん、自分で選びに行ってる部分が大きいけど、それでも、こんな小さい確率なのに、、という瞬間に、命を運ばれている、と思う。
 レ点をつけて「命を運ばれる」ような感覚を持つのは、支配されている気さえするが、心地良かったりも。

 だったら、多少、解析力不足でも、どうだってイイ部分に関しては、どうでもイイかも。それよりも、相手の感情由来の行動や発言をしたいと俺はいつも思っている。

 『だから、頭無くて、感情で突っ走れるほうが、イイのかなー、って思いません?』
 「うーん、私自身が頭で考えすぎちゃうから、そういう感情で突っ走れるほうに、憧れはあるけどね。」

 そうそ、感情が大切は大切だけど、賢さについて修行してることは、それだけプラスになる。無駄な努力なんて存在しないし、その分のカムバックは必ず存在する。
 ただし、勉強でも努力でも、できるだけやりたくない、っという意志を持っていた方がイイ。別に、見えない何かを得るために仕方がないから努力をするだけで、努力すること自体は善でもなんでもない。
 (非常に注意しなければならないが、見えない何かを得るために仕方がない、のであって、言葉を得るために仕方がない、ではない。)

 例えば、相手が先生でも、

 『でぇ、ごめんなさいねー、もう一つ、教えてください。えーっと、そこのそれは、こっちなんですか?それとも、あっちなんですか?、そこ、はっきりさせないと、次、ちょっと分からないと思うんですけど。』
 《あー、それは良い質問だね。。……》

 なんて言われると、とても嬉しい反面、俺の質問に対する、てめーの感想なんて、聞いてねーよ、さっさと質問に答えろっ、って思ったりもする(笑)。
 ゆえに、逆に、

 『っていうかさー、ここ、こーなってるんだから、実は、場合分けじゃね?xが、正か負か、で。正の時と負の時で、グラフ、全然違うじゃん。』
 【あ、そっかー。はい。計算します。】
 …
 【あれ?すいません、ここのxって、ゼロも分けなきゃいけないんじゃないですか?】
 『あー、そうかも。ちょっと待ってね、うーんと、こうだから、うん、その通り、そうだね、それで分けて、計算して、最後、まとめてみて。』
 【できたー。】
 『っじゃ、解答集様の解答を見てみっか。』
 『あってた?』
 【はい!】
 『イェーイ!笑』【イェーイ!笑】

 敵は、誰かではなく、物理現象だってことを、忘れちゃいけない。
 だから、対等を追求してみたり。アプローチのひとつとしてね。

 『えーぇ、俺、結構、誰に対しても対等だよ?』
 〈うん。っていうかね、誰に対しても対等、、過ぎ。笑〉

 はいはい。なんでも、慣れ合いは良くないよね。

 んなわけで、今日、一緒に、カラオケしてきた、俺含め、4人全員に対して思うことですが、
 『なんでもかんでも、3度上で、ハモりゃイイってもんじゃねーよ。』
 って。笑
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言えないから言わないんじゃない

2010-08-18 02:59:24 | Weblog
 どうしても、言葉でも、習慣でも、そういうモノにとらわれて、正しく物事を観察&解析することができない。
 長年、ずーっと、だと、なんとなく正しいような気がしてきちゃうし、っま、いっか、みたいな、感じになる。だから、俺は、強制的に、物理的に、移動してしまうことが多いんだけどね。

 冷静に、前々からの情報を消し去って、この状況だけを見つめる。そんなことができれば、わかることは多いのに。

 真実を直視することは誰だってやりたくない。
 点数でも、名前でも、そういうことは、なるべく見ないように、生きていたいもんだ。でも、真実を見なきゃいけない、大切なシーンはやってくる。それを抉ることが空気を読まないことだと決めつけられるんだとしても、俺は100人が相手でも、戦う、、
 それをしなかったら、自分やその場所の100人やそれ以外の人が、とてつもなく困るかもしれないと、解析できるほどなら。

 ルールや空気を破って良い唯一の場合は、破った時に生じる総体的なベネフィットが多く、ある程度高い確率で良い方向になる見込みがあると考えた場合、かつ、そのリスクに対して、破った個人で責任を負える場合のみだ。そうでないなら、破る資格は無い。
 もっと、言ってしまえば、発言や行動する資格も、無いかもしれない。

 多くの人は、発言することや行動することの、「本当の意味でのリスク」というものを、よくは知らない気がする。
 誰も土俵に立たないシーンで、自分だけが土俵に立つということは、ベネフィットばかりが映し出されるが、非常にリスクのあることで、恐ろしいことだ、っということを意識している人は少ない。

 もし、解析が、間違っていたら?
 もし、この感情が、ホンモノじゃなかったら?
 もし、その行動は、正しくない行いだったら?

 だから、、

 言えないから、言わないんじゃねーし、
 行動できないから、行動しなかったんじゃない。

 単純に、勇気が無いから、の一言では片付けられないリスクこそ、「本当の意味でのリスク」なのだと思う。
 まだマシなのは、俺は、自分の中に内在しているモノさえあれば、何でも行動できる、ほどの勇気を持っているということかもしれない。
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不本意なディハイブリダイゼーション

2010-08-17 02:48:50 | Weblog
 今日は、417君ともう一人と、シミュレーションゴルフとかしてきました。いやー、ゴルフ、ってムズイな。
 ここにコメントをくれる417君たちは、教育関連にとても詳しいので、そういう部分でも、とてもお勉強になります。

 ≪だって、平方完成できないし、グラフも描けないからね。≫
 『マジか。平方完成は、まぁ、ムズイとしても、グラフは2種類しかないじゃん。』
 ≪いやいや、そういう問題じゃないんだって。≫
 『じゃぁ、高校生で、分数できないのは、どう??』
 ≪あー、全然、いる。1/2+1/3が、2/5だからね。≫
 『2階建(分数)は、流石にできろよ、ねぇ、417君??』
 「っていうかさ、ケーキで考えれば良いじゃん。半分のケーキと1/3のケーキ、、あれ、2/5じゃ、半分超えてなくね?笑」
 『確かに。笑』

 毎日、理系に埋もれていると忘れてしまいがちだけど、世間の中高生達は、俺のどうでもイイ度を遥かに遥かに超えて、自然科学に対して、どうだってイイっという感情を持っている。俺だって、かなりどうでもイイんだけどね。
 あんまり興味ないよー、っていう立場を一回考えてみた上で、相手の立場に立って、話し出すことは、どの立場のどの理系の人間でも、必要なことだ。

 よーわ、自分の研究分野や専門分野(俺だったら、物理学や分子生物学)なんて、たかがしれてる、くだらない、小さい分野なんだ!っていう感情を持つことが大事で、本当の意味での謙虚さが必要なのだ。
 そうじゃなければ、最も大切な、誰にでも理解させようと努力する、っというフォーカスがズレてしまう。俺らは、俺らでしかできない面倒なゲームのために、ひたすら頑張って、このゲームをしている、よーな、自分勝手な人間じゃなかったはずだ、少なくとも高校生の頃は。

 勘違いして欲しくないのだが、教育に従事する人間のみでなく、理系全員が、自分の専門に謙虚さを持たなければならない、ということである(not only~but also...で英訳したくなったのは俺だけじゃないはず(笑))。実際に、そういうことを、きちんと、学生に伝えている大学教授も、何人か、確実に存在する。
 中高の教員はそこをより確実に留意しなければならないが、すべての理系が、このことを留意しなければならない。そうじゃなければ、外に味方を作りにくくなってしまう。
 もうすでに身を持って体験していることだけど、前に所属していたから、という理由以外で、外に味方を作っておくことは、どこの分野でも、重要だと思う。

 つまりは、自分の大好きな分野を世間にさらすためには、その分野を多少、自分の手で汚してからでないと、ダメだということだ。
 そうすることによって、外からの視点を取り入れた、より真実に近い副産物を得ながら、自分と自分の専門分野とのハイブリダイゼーションを起こしやすくなり、結合がより強くなって、安定化する。相補的に、繋がっていられるんだと思う。

 実は、こういうことは、人間関係のシーンでは、誰でも、自然にやってのけている。

 自分と前から仲が良い人を、違う誰かに紹介するときに、自然と、けなしたり、バカにしたりすることは、誰でも、自然と、身についている作法なんじゃないだろうか。
 『こいつは、なんつーか、本当に、バカなヤツで、、でも、こういう部分だけは天才的でさー、まったく、使えねーんだけど。笑』
 みたいな。

 そういう風に言うことによって、より仲良しの度合いが増すような気がする。
 俺ら同士だけで、実は、前々から、こういうこと言っちゃっても、大丈夫です、的な、話し合いしてましたー、みたいな、ノリを出して、仲良しさをアピールしたり、それによって、仲良しを確認したり。

 だけど、自分と自分の専門分野とのお話とは違って、相手が人である場合、相手の感情は刻一刻と変動し続けるもんであるし、言葉はそれだけで生命力を持っているのだから、やりすぎちゃうと、極端に、ディハイブリダイズしてしまうのだ。

 さっき言った言葉みたいなことを本当に思っているわけじゃなくて、ただ、自分が好きなモノを、世間にさらすことによって、好きなモノに、より近づきたかっただけだったのに、相手はそうは受け取らず、もしくは、そう受け取っても、言葉の生命力に、参ってしまった。。一言で、あの、たった一言で、すべてを失ってしまった。 
 そんな経験をしたことが、きっと、あるでしょ?

 ここまでのリスクがあるということを、きちんと留意しないといけない。
 冗談だったのに、本物になってしまった、ってことは、日常茶飯事で起こっている。気をつけなきゃだよね。

 ほらぁ、自然科学なんかより、重大で難しいでしょ?!
 そんなことに比べれば、別に、1/2+1/3=2/5でも、大したミスじゃない。馬鹿にされるだけだし。
 そして、もっと言えば、そんなことに比べれば、研究分野を自分の手で汚して紹介できなくても、大した損失ではないのだ。

 ただ、、自分が、その時は、まだ、この重大性に気がつけていなかった、とか、けなす匙加減を間違えてしまった、とか、そんな程度で、失う人間関係など、大したもんではない、っと思っている部分もある。
 気をつけるようにはしなきゃだけど、こういう、じゃれ合いは絶対に必要だとも思っているし、それが失うキッカケになってしまうんだったら、ホンモノじゃなかったのだ、縁が無かったのだ、っと考える、半ば、冷めてる自分も存在する。
 頭で、でも、心で、でも、行動で、でも、すべて、自分の意志で、決めてきているんだから。

 なのに、捨ててきた、もしくは、捨て続けているモノに対して、ときどき、動いていないエスカレーターを歩いているような気分になるのは、、どうして??
 きっと、すべては、時間によって、消えていくモノなのだけど。
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かげおくり

2010-08-15 03:31:29 | Weblog
 今日は終戦記念日ですね。
 あんまり、戦争の悲惨さとかをここで話すつもりはないけど、今年で、終戦から65年。昔の映像とか見てイメージする場面が、たった70年くらい前のことだとは、到底思えない。
 少なくとも、200年くらいは前のことのような気がする。日本って国は、なんつーか、環境順応性が高いって言うか、復興が早くね?!総体的に、気持ちの切り替えが早いのかな。イイ事なんだけど。

 あれだけの信じていることを掲げて、それに本物の命をかけて挑むことが流行りだったのが、たった65年前で、今、こんなにチャラチャラした世の中が形成されるのも、とてつもない話だと思う。

 そういう見地に立ってみると、学業ででも、サークルででも、テキトウに楽しんでることは、全部、正解な気がする。
 だって、この楽しさの裏側には、ものすごい辛さが世代を超えて含まれて「かげおくり」されている。俺らは、その未来に生きているわけで、いわば、自分たちが、本当の意味で、とことん楽しまないといけないんだと思う。DFがボールを守ってくれて、MFがボールを渡してくれて、俺らはFWなわけだから。

 ただし、かげやボールをおくってくれた人達への、感謝を忘れてはいけない。そうじゃなきゃ、楽しんでいる意味も無い。
 別に実感できないモノに感謝をする必要はないけど、んなら、その分、実感できるモノに、きちんと敬意を払う必要があるんだと思う。

 何人もの人々が同じ人間の手によって死んでいった場所が、今は公園になってたりするわけで、その同じ場所で、毎日、くだらないことで笑ったり、論文を読んだり、友達にムカついたり、将来に悩んだりしていることを、どの世代の日本人でも、年に一回くらい、時々は意識する必要がある。
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time will tell

2010-08-13 02:33:43 | Weblog
 たった、1分でも、10秒でも、1秒でも、やり直すことは決してできない。
 だから、力が出し切れなかったと思っても、もっとできたはずだって考えちゃっても、本来の自分はこんなもんじゃないんだとしても、悩んだって仕方ないよ?あせらなくっても大丈夫、心配しなくても大丈夫、実質的に、関係ないから。

 でも、誰だって、そんなつもりで、泣くわけじゃなくって、感情が勝手に放出されちゃう。

 その頑張りの結果は、時間だけが、持ってこられる。どんなに、ここから努力したとしても、正式には、認められない。待つことしかできない。
 手で掴めるくらい近くに感じられたのに、今じゃ、自分さえ誤魔化せない言い訳ばかりを、まき散らしたりして。

 辛いけど、言い訳ばかりじゃカッコ悪いから、ダメな時はダメになっちゃえっ!!
 どんな系でも、雨だって雲の上へ飛び出せばいつも青空なんだから、その時のために、心を整えておければ、それでイイんだと思う。明日へのズルイ近道は存在しないんだし、とりあえず、今は、休憩しとこー。

 そして、「総体的に」で良いから、、雨に負けないで。。

 (突然の活動休止を宣言した宇多田ヒカル。そのデビュー曲の1つが、この「time will tell」。
 ここで紹介する曲は、全部好きですけど、これは別格中の別格。ガチで大好きです。俺が知ってるすべての曲の中で、片手以内に入るほど、好きな曲です。
 98年、小6で初めて聞いてから、何度、この曲に助けられたか、わかりません。曲、歌詞、編曲、すべてにおいて、完成度が高すぎるっ。さすが、ギネス級のアーティストの曲はスゴイな、って思います。)
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二番煎じ

2010-08-12 02:53:25 | Weblog
 《…、知らなかったでしょ?》
 『うん。でも、なんとなく、なんかあったのかな、って思ってたけど。』
 《やっぱり、確実には掴まれてなかったんだぁ。》
 『本当に、そう?確実にそう、って思われるより、なんかあったかな?って思われるほうが、イヤじゃない??』
 《うーん、、そっかなー?笑》
 『えー、本当に、そう思ってる??笑』

 ふわふわしているのも、ふわふわした感じで思われるのも、俺は好きじゃない。なんかあった!、って思われたくないから、自分で最初に言っちゃう。
 それがいつもの手法だから、その逆を突かれると…。単に、解析力不足、情報収集不足って言われるのが、ムカつくだけだけどね。

 いつしか、それすら面倒になってきて、なるべく、みんなの前で、引きずり出してきておいて、それでコトを起こした方がラクかも、なんて、思うようにもなった。でも、弱いから、まだまだ実行になんて、移せなくて。
 じゃぁ、むしろ、コトを起こさないような巧い手法に切り替えてみたら?

 ナメんじゃねー。てめーなんかより、そういう頭は十二分に持っている。
 巧くやりなさい、って方法を示されるたびに、いつも思うことだけど、やろーと思えば、そんなことはいつだってできる。無難にこなす術だったら、ほとんどの系で、誰よりも得意だ。
 巧くやったら、面白くないから、やらないだけ。

 「誰が?」
 『え??』
 「だから、誰が面白くないの?」
 良い質問すぎる。
 『もちろん、、その当人達が、ですよ。』

 いや、、その物理現象の方が面白い、っという、学者視点かもしれなかった。
 巧くやったら、いつもと同じ、誰かと同じ。だけど、自分の信念に従ったり、感情に従ったり、理想に従ったりする方が、オリジナリティがありそうで、二番煎じにならなそうじゃん。

 『いつも、そんな失敗してるって言ってたから、大丈夫だと思ってるんだけど。』
 ≪それは甘いな、K君。≫
 『なんで?』
 ≪だって、感情の話をしてるんだよ?頭でそれがダメだって分かってても、心でその思考を消せるんなら意味無いじゃん?!≫
 『そっか、確かに。』

 議論の中で、時間依存性を欠いていた。
 確かに、その時のその感情は正しいモノかもしれないけど、その感情を修正しようとしていない時間変化は、見逃せない。だから、自らの二番煎じをし続けることになるんだと思う。

 ネタに関しても、言葉に関しても、研究に関しても、音楽に関しても、何でも、二番煎じばかりじゃぁ、上達はしないよね。

 ただし、良い二番煎じだって、ある。
 それは、自分の好きな人、尊敬する人、友達が、自分の二番煎じをしてくれた時だ。嫌いな人やどうでもイイ人にされてもムカつくだけだけど、そうじゃないなら、この上なく、嬉しいに決まってる。

 言葉を盗まれても、笑っていられる。
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