たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

Δ=const.

2011-11-30 03:12:09 | Weblog
 即物的に嫌いな部分が多ければ多いほど、それは好きだということだと思う。

 知れば知るほど、自分の理想とは違う部分が観えてきて、不満を言い続ける。もっとこうで、こうあって欲しい、こうあるべきである、って想いを感じるから、やっぱり好きなんだなって思えてくる。

 もちろん、時間とスケールの概念を、この理論にも追加しないといけないけどね。

 時間発展させてもずっと続いていれば、もっと大きな気持ちへと発展していく。その瞬間、その期間だけ、ってことは大いにあるし、それはそれで構わない。まぁ、悲しいけどね。
 スケールに関しては、嫌いな人もいるけどその集団は好き、とか、嫌いな部分はあるけどその人は好きとか、いろいろ。ちゃーんと、系ごとに応用して考えれば、割と正しいと思う。その集団も、その人も、それ自身ではなくって、それらを超越してる何かを欲していると考えるから、「ミクロスコピックに嫌いな部分が多ければ多いほど、マクロスコピックに好きだということ」っていう意味では無い。もっと、奥にある、そのモノ自身を、欲してるってことだ。

 そんなわかりやすさが若ければ若いほど得やすいからちょっと不安になるけど、どんなことでも乗り越えられる、って勘違いしてしまう感情こそが引き付けあうと思うから、大人になって賢ければ賢いほど、即物的に欲している、求められている、と間違える可能性は低くなるのかもしれない。
 賢すぎる、現実味がありすぎる考え方の、いわばかなり強い抵抗を掻い潜っても、そうなるのであれば、間違っていないんじゃないかな。超伝導みたいに電気抵抗ゼロになっていくのを、気持ちで感じられれば、ね。

 その超伝導状態になるかならないかの秩序変数Δは、きっと時間に依存しないし、何にも依存しない一定値をとると思う。
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優等生になりすぎないで

2011-11-29 02:21:35 | Weblog
 『だって、そんなん、絶対、最初は、バラつきあるでしょ。』
 ≪割とね、私ね、最初っから平均以上に全部出来ちゃうんだよね。だから、頑張らない、っていうか。≫
 『天才か。笑』
 ≪むしろ、バラつきある人が羨ましい。それで進んでいけばイイんだもん。≫

 能力が最初っから高い方が、気持ち依存で行動しにくいのは当然のこと。それも、ほとんどすべての分野、平均的に、優れていたりしちゃうと、どれを選んでもイイから、逆に、自分の好きなモノはおろか、得意なモノすら観えてこない。

 こういう天性で器用な人は、観点別評価の悪習も手伝って、即物的に真面目であればそれでイイや、になりやすい。
 俺なんて、天性に不器用だから、好きなことでは、いつだって最初は、誰よりも成果が出ない。で、頑張って、徐々に器用になっていくから、その点では、自分の感情で選びやすいよなぁ。

 変に器用なところまでは同じ。ここで、自分自身を二分割して、時と系によって、不真面目な自分をつくっているかいないかが、最大の違い。

 即物的な真面目に意味なんて無いよ、って伝えても、そうは思ってくれない。どうして中身の無い箱を大事そうに守るの?、それよりも価値が低いってこと?、って悩んでみるけど、どうしてかの理由くらい、何も訊かなくても正確に把握できて、大きく先回りして、器をデカくしておかなきゃいけないことを、頭では理解しているし、自分で発想していて、どうしてかも把握しているつもりだけど、どうしても、感情へ飲み込みきれなくて。。もっともっと強くなりたい。

 それに、不真面目なステップを踏ませることでしか、打開策を得られていないんでは、ダメだと思う。
 即物的な真面目から、不真面目なステップを踏まずに、本当の意味でブレることの無いマジメになるような、連続的な手段が必ずあるはずだ。時に強引さも必要だけど、その手段しかないんじゃきっとダメ。だって、それだけの手段での失敗例は、すでに観ていたじゃないか。

 真面目そのものにも価値はあるけれど、その部分が大切で素晴らしくて尊いわけではないから。
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ホンモノ至上主義

2011-11-28 03:29:10 | Weblog
 今のこの環境が完全にダメだなって思うんだったら、出ていく支度を早急に始めるべきだ。

 より良い環境に移りたいって思っているなら、まず、その環境で、一番を目指すこと。イイワケをどれだけ言っても構わないから、とにかく一番になるのが大切。あいつよりも時間無いから負けちゃってるけど、それがなければ俺が一番。あいつはこういう分野知らないから、総体的に俺が一番。
 そのダメな環境で一番じゃないなら、次に行くより良い環境に失礼じゃないか。だから、一番になってるって思いこむことによって、次の環境に自信を持ってアピールできる。自分の感情のなかで、一番になってることが大事。

 今とはまったく別の新しい環境に移りたいと思っているんでも、一番になっておく必要がある。俺は、この分野ではやっていけないって自信を失ったから去りました、って感じになっちゃいけない。こっちでも十分通用できてたけど、もっとやりたいことがあるんだ、ってなってなければ、どこに行ったって同じだ。

 だから、まず、その環境で、一生懸命じゃなきゃいけなくて、それが最低ラインだと思う。

 よく、そんなにしてまで、環境や現状を変えようとしたり、ホンモノにしか興味無いと、疲れないのか?って言われるんですが、そりゃ、疲れます。当たり前に、もっと、妥協したいです。
 だけど、気持ちを一番大事に行動していると、それ以上の結果がついてくることを知っちゃってるから仕方ないです。

 だって、毎日毎日のほうが、ある特別な一日よりも多いんだから、その毎日でホンモノが感じられなきゃ、もっと疲れちゃうじゃん。
 月曜日から、朝っぱらから、ずっとずっと楽しいように、(自分のでも、誰かのでも、)気持ちだけを大切にしたい。そうなるには大変なことも多いけど、俺は、そっちしか選べないんだと思う。

 妥協すれば、得られることはわかってる。能力的にも、潜在的にも、いくらでも得られる。妥協すれば、ラクになって、見栄えも良いかもしれない。
 でも、それだと、毎日が結局辛くなっていくから、今多少辛くて何も得られなくて淋しくても、気持ちを捨て去らないでいたい。

 そういうスタイルそのものを選んでるのは、俺自身ではないのかもしれないけどね。
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負けるが勝ち?

2011-11-27 04:14:40 | Weblog
 手っ取り早く、効率的に自分の実力を出したいんだったら、無心になると良いと思う。邪念みたいなんを消して、心で感じとっていることを一切無視し、ただ、いちばん、良い方法を冷酷に選択していく。
 選んでる方法を、心に飲み込まなくてもイイ。ただ、機械的に、そうやっていればイイ。そうすれば、自分の能力だけが出てくるし、しかも感情が入って無いってことは、当然、期待もして無いから、出来なかったとしても傷つかない。

 ただし、これで得られるのは、実質的なモノであって、精神的な満足が得られるかどうかは、他の部分で査定される。

 精神的に負けたくないなら、期待しないこと。
 実質的に勝ちたいなら、無心になること。

 精神的に勝つためには、どうしても、感情から導入しなきゃいけないのが難しいところだよね。負けない≠勝つ、に気をつけて。
 期待しないってのは、ハナっから勝負しないってこと。だから、負けることはないけど、勝つこともないのだ。

 詳しく言うと、無心になって、機械的に動くってことは、完全に想いが消え去るわけじゃない。すべての多様な感情の種類が、何かひとつの決心に、束縛されるってことだ。
 だから、そこに期待を残すことはできて、100%実質的に勝って、さらに、心が満足するってのもあり得ることだと思う。まぁ、ただ、何かひとつの決心、が、言葉だけを取りに行くようなことであることが多いから、大抵は不満足になっちゃうんだけどね。

 感情や心や気持ちってのは、色々な方向に向いて、多様性を持っているからこそ、価値がある。あまりに、何が何でも、って感じになっちゃいけないと思う。だって、優しくなくなっちゃうからね。

 自分のスタイルややり方、もしくは新しく導入する、スタイルややり方、を、ちゃんと自分の心のカラムに通してから使わない限り、精神的かつ実質的に、勝つことはできないのかもしれない。

 『悪いけど、、俺の今の立ち位置的に、俺がお勉強のやり方に関して言ってることは、すべて正しいと思いがちになってしまうと思う。でも、俺が、いくらこう言ってたとしても、あなたたちはあなたたち1人ひとりのやり方で、違っていてイイ。俺らってのは、お前らの立場に立って話してるようにみせてるだけで、お前らの立場では無いわけだから、それぞれの事情に合わせて、やり方は自分流にすべきだと思う。こういうやり方を聴いても、いや、俺のやり方のが正しいっ、って思うんだったら、そっちで貫いた方が、そのせいで、実質的に、下位の学校に行ってしまったとしても、きっと、そっちのが満足できるし、その後のことを考えたら、自分のスタイルを貫いた方が絶対イイと思う。
 よーするに、俺のスタイルでも、他の誰かのやり方でも、君ら自身の方法でも、それを選ぶときに、ちゃんと納得してから選ばないんなら、ダメなんだよ。自分のスタイルの主軸(感情)からブレないことのほうが、こんなたった1つの過去問の問題が(実質的に)解けることよりも、遥かに大事だって、思ってね。だから、、』

 あなた自身のやり方で、俺を、負かしてください。
 非常に簡単。何重にも思考を重ねているやり方をとっているとはいえ、精神的にはすでに俺は負けてるんだから。
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そんなに負けたくないの??

2011-11-26 00:49:53 | Weblog
 期待をすればするほど、そうじゃなかったときに、虚しくなって何もしたくなくなるから、期待する感情に歯止めをかけようとする。

 実験をしていて、重要で一番欲しいデータが、いきなり、ばーんって出るってことはまず無い。必ず、少しずつ、できるかも?、ってデータが出てくるのが常だ。
 ステップみたいなデータを観察して、次の実験計画を練る。この次の実験計画を練る時、期待している。次のデータこそが、最後の重要なデータであると。

 それが、長い時間のせいで、ファジーな部分に向かって誤魔化されていく。あれ?、ずっと期待してたけど、いつの間にか、一ヶ月以上経っちゃったよ?、なのに結局何もデータが無い、ってね。
 ツライ。結局、ホンモノだって証拠はどこにもなくて、期待した分だけ、損なのかな。

 もう、この言葉も、2年以上使ってるけど、『絶対に負けたくないなら何も期待しないことだ』。
 はじめっから一切の期待をしなければ、実質的に負けたとしても、精神的には負けない。いかに、自分の中だけで負けることがキツイか。いくら即物的に勝っていても、それが自分にとって本当の意味で重要じゃなければ、意味が無いのだ。

 期待したい感情と、傷つくだけだからその感情は規制すべきだと煽ってくる思考。

 ただし、その思考は、一体系のみ(自分自身のみ)で物理現象を語っている点に注意しよう。
 二体系、もしくはそれ以上の多体系で考えた時に、自分は負けてもイイや、って思えたら、少なくとも、自分からの相対座標系からはその系はホンモノだということだと思う。

 そう思っていたとしても、自分の中だけにしまいこんで、隠して、強がる。少なくとも、実質的には負けないように。期待してないし、期待しないよ、ってね。
 やっぱり、期待したい、という感情は、そこまで無理して規制しなきゃいけないもんでも、ないのかもしれないなぁ。

 帰着された一体系の理想状態を観察するとね。
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高校生と同レベル

2011-11-25 01:09:55 | Weblog
 高校数学(数学Ⅱ)の三角関数の範囲で、2倍角の公式とか半角の公式とかって、加法定理から導けるから、覚えなくてよくね?って、よく言われる。
 しかし、そう言ってる高校生に、実際に導いてみろ、って言うと、実は案外できないことを、俺はよく知っている。

 先生や賢い人がそう言ってるし、バカだって思われたくないから、とりあえず、導けるから覚えなくてイイ、って言っておく→みんな導けるらしく、自分だけ導けないと思う→みんなそう言ってるから、言っておく→っで、結局覚えない。テストになって、公式導けるってことは知ってるけど、導けなくて、公式書けなくて、使えなくて、点数が下がる。

 ここで、要領のイイ子は、自分でヤバいって気がついて、2倍角の公式や半角の公式を丸暗記するんだけどね。こういうタイプが、だいたい推薦とる(笑)。

 実際、特に、半角の公式に関して、確かに導けるけど、たいていの高校生は覚えてイイと俺は思っている。導く思考力のが得るの大変よ?導くときに、導く公式のなかの角度には一般性がある、ってことの視点が無い限り、導かれない。多くの高校生はここが理解できなくて、結局覚えている。
 まぁ、俺くらい、修行を積むと、あんなの1分以内に算出できるから、ホントにいちいち覚えてないけどさ。それでも、もし、定期試験があるんだとしたら、俺も覚えると思う。

 そして、怖いこと言おうか。たぶんね、その言葉を放ってるオオモトの、高校の数学教師も、2割くらいは、ガチで導けねーぞ。たぶん。笑

 こういう高校生の生態を多くの大人はバカにするんだけど、たいていの大人も同じようなコトやってる。
 だから俺は、高校生がこうなってしまう、つまり、口先だけでキレイゴトを言って、納得していない言葉を喋る、ってのは、仕方ないことだと思うし、ほほえましいことだと思っている。若いんだから、そのほーが健全。ゆっくり治していけばイイ。

 大人、っていうか、俺ら以上の年齢になっても、こういうことやってるヤツは、ホントダメ。

 理系の大学生以上だったら、
 
 ヘルムホルツorギブスの自由エネルギー
 モル(物質量)の概念(なぜ、モルは定義されるのか?)
 ベクトル解析で使うローテーション
 (量子力学の)ヒルベルト空間
 ファンデルワールス力

 など、言葉としてよく使うけど、意味や原理をきちんと理解していない確率が高い言葉を、っぱっと、挙げてみた。

 これらに対して、案外、専門分野の人でも、ちゃんとしてない率は、高い。この言葉を言ってりゃイイんだろー?ってなってます、みんな、マジで。精神年齢は、案外、大人も、高校生と一緒。
 わからないなら、わからない、って、確認をした方が良いけど、理系って、コミュ力無いわりに、みんな、無駄にプライドだけは高いからね、俺は、そういうの観てると、楽しいんだけど。笑

 口先だけで喋らない、そして、誰かの口先だけの発言に騙されない、ってのは、難しいけど、やっていかなきゃいけないことだと思う。

 キレイすぎる言葉に騙されずに、ちゃんと自分の言葉を飲み込みながら、喋らないとね!
 それは、自然科学の系に限らない。もう、高校生じゃねーんだからさ。
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繋がりそうなとき

2011-11-24 00:34:24 | Weblog
 今日気がついたんだけど、なにげ、修論と卒論は近いかもしれん。
 考え方とか、使ってる理論とか、ホントに似てる。全然分野違うんだけど。

 コンパートメント、って点が唯一似てるかなー、くらいだったんだけど、電磁気学を基本とした考え方やロンドンの侵入長などに代表される相互作用が起こる領域を定量する考え方(統計力学を用いている)など、ホントに、物性論(物性物理学)っていろんなとこで役に立つんだな、って思う。
 物性、って、まぁ、全部だもんね。そりゃ、やっといて、損は無いよね。

 期待して、頑張ってれば、必ず報われるもんなのかもしれない。この件だって、素粒子志望から、生物をやるために、急遽、物性理論の研究室に志望を変えた、3年前くらいの狙いが当たった(かな)?

 どこでどう繋がるかわからないのが楽しい。そして、繋がりそうだと、そりゃ、嬉しくなる。

 ただし、俺は「結果」に対しても厳しく観るから、ここから冷静に対応していきたいと思う。どんな系でもね。
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俺が即物的なとき

2011-11-23 02:02:02 | Weblog
 想いの容量が溢れてくとき、無音になってく。
 そのとき聞いてた音とか曲とかのこと、そのせーで、嫌いになりたくないし。そのときくらい、即物的にならせて。

 もっと俺の容量が大きければね、って思うけど、少なくとも、そのフリはできてたわけだし、あと、我慢できることと想いの容量が溢れないことは、イコールじゃないと思うしね。自分が本当の意味ではできていないから、他人に対して何度も繰り返す言葉だけど、やっぱり、自分自身を大切に出来ない限り、幸せにはならない。

 そうそ、こんなにツライ想いをするなら、自由で孤独なほうがイイや、自分自身だって大切な人だし、って思うとき、想いの容量が溢れる。まぁ、溢れて心がカラになるわけだから、どんな系でも、誰かからの自由、ってよりは、(自分の)気持ちから自由になれる、ってことだけど。

 すぐに気持ち依存の行動を切り替えるためには、それまでと同じ行動をとって元気に振る舞うこと!
 同じ言葉で、同じ行動で、終わらせ続けるのが一番イイ。

 だから、もう次は無い『またね』がありえる。

 やっぱり、1人の人間が、誰かを、集団を、変えようなんて、限界がある気がする。きっと、かなり出来てるほーだよ、って慰めてくれる人は沢山いるけど、、
 「だって、それって、何も言えないよ。K君なら出来るよ、って言葉を、K君は望んでいないし、、私がそう言って応援しても、きっとダメなんでしょ?」

 もちろん、その言葉を、一般的に諦めているわけじゃないけど、ちょっと、お休みが欲しいかな、って思っている。
 だって、能力やステータスだけがあることだって、とても稀有でとても価値があることなのかな、って思えてきちゃってるから。
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プロテイナーゼKei

2011-11-21 23:35:35 | Weblog
 その時に、俺は、今だっ、ってわかってたよね?
 『うん。』
 じゃぁ、なぜ、あえて、見送った。
 『あの時は、そうするって、決めてたから。ホンモノなら時間依存性が無いから、タイミングなんて関係ないかなって。勝手にあってくるでしょ。それに、そっちのが、実質的なリスクが低いし。』

 そりゃ、時間をかければかけるほど、実質的なリスクは減っていく、俺にとってのね。
 『だから、別に、イイじゃん?』
 いやいや、それは、わがままだろ。もっと、改善しなきゃだよ。

 『そもそも、曖昧じゃん?』
 そうだけどさ。それは別の価値観を受け入れてかなきゃいけないんじゃないの?っていうか、なんで、ホンモノには時間依存性が無いと思ってるんだっけ?
 『えーっと、だって、どんな物理的変化に対してもカワラナイ感情や想いって、ガチっぽいじゃん。』

 まぁ、そっか。でも、結局、言葉には勝てなかったってことじゃない?
 『そりゃ、そうでしょ。あそこまでの現実を突きつけられたら。』
 面白いよね。その直後は、もうそれ以上ツライ現実を観たくないから歩きたくも無いんだけど、しばらくすると、それでもイイから、って感情が芽生えてくる。
 『で、そう思う頃には、出来ること、は、一切無くなってる。自分自身すらも、上手く、仕組んでるでしょ?』

 そんなに理詰めで、でも満足できないから、悲しくなってくる。最終的な賢さだけは天下一品だね(笑)。
 『そうそ、やっぱ気がついてた?ラストチャンスを設定できるアドバンテージは俺らにあるんだぜ?』
 それは、、じつは、悲しいことなんじゃない?
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何ができるか

2011-11-21 00:45:19 | Weblog
 さて、もうすぐ終わってしまう。そろそろ最後を意識しないとね。
 いつも通りの生活が短くなっていくのを感じながら、何を残して、何をもらっていくか。ちゃんと変えていかないといけないと思っている。

 たとえば、終わってしまった時に、何かの後悔が無いようにしたいよね。昨日までが一挙にウソみたいに思えてきて、どんなに言葉を選んだとしても、まったく伝わらない状況になってから、こうすればよかったとか、ああすればよかったとか、思わないようにしたい。
 できることを全部してれば、そういう風には思わないと思うから、もうちょっと頑張らないと。

 助けることの最低ライン、それは、自分自身がしっかりしているということ。だからこそ、この選択を取らせてもらったけど、諦めてるわけじゃない。必ず、小さな突破口を見つけてやる。
 俺がいないその環境で、もっと楽しめるように、もしくは、その環境を取っ払って先に進めるように、何ができるか。

 ちょっとずつ改善されているのを感じることが出来ても、それで甘んじてはいけない。まだできる。もっと変えられる。この環境を変えて、それによって自分自身も能力を得られれば、最高じゃん。

 あの頃、今の自分の半分でも能力があれば、もっと、こんな結果にならずに済んだ。だから、その分も加えて、さらに、今できることをし尽すことが大事だと思っている。

 言葉が変わっても、終わっても、信頼関係を失わないために、むしろ増大していけるように。
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日常のスーパープレーの裏側

2011-11-20 03:46:30 | Weblog
 俺は、たったひとつの行動をするために、いくつもの伏線をたてたり、行動を用意したりする。

 いつチャンスがやってくるかわからないから、チャンスがやってくるまでに、自分ができることをやりつくしておかないといけないし、チャンスが来た時にひるんではいけない。常に準備しておくっていうか、常にチャンスを取り逃がさないように、チャンスを得やすいような努力をしておく必要があると思っている。

 それがダサくても、かっこ悪くても、バカだって思われても、やらないといけない。生半可な気持ちでは、誰かを助けられたりしないし、ホンモノがつかめることはないし、気持ちがホントに満足できる結果が得られたりはしないし、そこまで世の中は甘くねーんだよ。

 たとえば、軽くやってるようなことでも、俺がそこまで考えて、そういうことをしてるって周囲から思われないと思う。
 他人には観えにくい分岐点。チャンスをモノにできるかの、その分岐点が観える人こそ、俺が信頼している人だし、大切な人だと思う。

 仮にすべてが上手くいって何かが得られたように観えても、ダメだったりすることもある。そうしたら、これはまだ、チャンスのための伏線だったんだ、っと考えて、また、できることを探す。
 そういうことを繰り返していくことこそが努力だし、もし繰り返していけないんだとしたら、即物的に生きた方がラク。

 ピンチはチャンス。不安定な点、変わることができうる時間帯だ、という風に考えれば、当たり前のこと。
 ピンチをチャンスに変えられるか、チャンスをチャンスのままで維持できるか、も、事前の準備もしくは準備の準備、にかかってると思う。

 秘密が明るみになった時。誰かがどこかへ行ってしまう時。体調不良。先にとられた。

 すべてがチャンスになりうる。それらをチャンスに変えたいなら、今はまだ観えないチャンスに向かって、しっかり準備して、準備の準備もして、気持ちも準備すべきだと思う。
 それがしっかりできていれば、日常生活の中で、スーパープレーを起こす確率が高まる。

 本当に地道な努力ってのは、誰からも評価されないし、観えない。自分だけが知ってるんだけど、それを陰で観てくれてる人は必ずいて、そういう人を、俺は信用している。

 よーするに、正しく評価したり、褒めたりするってことは、利口だけではダメで、超聡明じゃなきゃできないってこった。
 俺も、そういう努力をし続ける中で、誰かのそれを、見逃さないように、努めたいと思っている。
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水仙

2011-11-19 02:12:17 | Weblog
 この時期になると、必ず自分の生徒(受験生)と話題になるのが、学校の授業で内職すべきかどうか。

 特に現代文とか顕著で、理系はもちろん、文系もみんな授業聞かないのがデフォルトになってたりする。だって、その文章でないしー、ってね。
 っで、俺はどう思っているかと言うと、ハッキリ言って、どうでもいい。内職していることを俺に言ってきてくれることは嬉しいことではあるけど。

 内職するんでもしないんでも、それが自分で決めたことであれば、それで良いと思う。自分できちんと決めて方針を立てて将来のこと考えているのは素晴らしいことだ。高校生の割には。
 ただし、自分で決めて授業をきかない、きく、ってんなら、俺は主体性があってイイと思うけど、そうじゃないなら、ちゃんと考えた方が良いと思う。先生によく思われたいし推薦だからっつって授業真面目にうけてるフリしたり、周りの友達がみんな授業聞かないから自分もーみたいなファッション的要因で授業きかない、ってのは、ダメだよね。

 教育実習のとき、高3の子で、あきらかに別の教科のテキスト開いて、勉強すんのかな?って思ったら、ただずっと友達と喋ってるヤツがいたりした。授業中だぞ、うるせーし、意味ねーし、マジ出てけ、って思った。
 そういう風に、目的意識も無く、ファッション的に内職してるんだったら、まだ、真面目なフリしてるほーがマシ。

 っで、俺は、というと、高校時代、ある時期まで、マジで授業きかなかったんだけど、ある現代文の先生の言葉で、授業めっちゃ訊くようになりました。

 「こんなに平均点が落ちるのはいくらなんでもダメなんですよ。いくら、80%以上の人が内職している、内職が横行してるようなこの授業であったとしても。。」

 割と、無表情な先生で、何考えてるのかわかんないようなタイプで、この先生は自分の授業で内職されてもどうでもよくて、リーマン教師やってるだけなんだと思ってたんだけど、この先生のこの言葉で、なんとなく、なにかの信念がある感じがして、授業を訊きたくなったんだよね。そして、それ以降、現代文に限らず、すべての学校の授業を、それまで以上にマジメに受けるようになる。だから、直前期のが、高校の授業きいてた気がする。

 まぁ、直前期に学校の授業なんて真面目にきいてるから、だから、お前は浪人するんだよ、って言われれば、その通りなんだけど、自分できちんと選んでるから、そこまでの後悔は無い。

 そして、やっぱり、今になってみると、あの時、あの先生が伝えたかったことが、なんとなく理解できてきて、やっぱり、訊いておいて良かったなって思うのだ。しつこく注意しておくけど、俺は、授業きくもきかないも、どっちでもイイと思うよ?

 特に、最後に現代文で扱った、教科書に載って無い、その先生が取り上げてくれた文章、太宰治の「水仙」が、印象的で、いまだに思いだすことがある。
 その後の、俺の、考え方とか生活に、この小説がかなり寄与している(あくまでこの文章から学んでいるだけで、この小説の主人公や登場人物の誰かに共感してはいない)。やっぱり、感情を感情で選んでいった方が、精神的な面で満たされるのは当然のこと、結局、実質的にも得られることが多いなと思うばかりである。浪人しちゃったけど(笑)。

 ちなみに、この「水仙」、内職するかどうかがとりまいている、受験生にとっては、とてもイイ文章だと思いますので、是非、おひまでしたら、一読されてみたら良いと思います。
 まぁ、わりと、こういう文章を、批判的に読めるかどうかが、(今も未来も)楽しく生活できるかどうかとニアリーイコールだったりするのじゃないかな。
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本当に美味しいトンカツを食べよう

2011-11-17 00:50:19 | Weblog
 表面的とか即物的とか、そういうことだけじゃダメだよ、って最近ここでよく言ってるけど、じゃぁ、具体的に、どうしたら、そういうことから脱して、もっと本質的なことである、楽しさだとか信頼だとかに重きを置くような価値観を得られるのか?って言われると、難しいなって思う。

 例えば、好きなことを一生懸命やったらいいんだろうけど、実質的に表面的になっている人って、好きなこととかやりたいこととか無い、みたいなこと言うし、すると、好きなことを探そう、って発想になるわけだけど、なにせ、ガチで好きなことが無い人に、好きなことを見つけようとするのは難しい。っていうか、今まで、一対一で、狙って出来たことって無いと思う。
 どうにか、俺が好きなことを、とりいっていくしかないのかな、って思うんだけど、もう少し広い目で、かつ長い目で観たいなって思う。その手っ取り早さに負けないほうが、最終的な結果を考えた時に、きっと良いんだよね。

 ≪たとえばね、トンカツを食ったことないヤツに、トンカツのおいしさを伝えることはできないと思う。≫
 『また、すごい例え話ですね。。トンカツか!笑』
 ≪K君は、まだ、トンカツ食ったことないから、わからないんだって。≫
 『どー?トンカツ美味しいの?』
 ≪うん、すごく美味しいよ。食ってみ?≫
 『えー、そりゃ、食べてみたいけど、イイの?』
 ≪何が?≫
 『トンカツ食ってみたいかもってだけのために、トンカツ食ったら、いくらなんでも、失礼じゃない?』
 ≪じゃー、やっぱり、そのままかな。でも、いち友達として、トンカツを食って欲しい。≫
 『うーん、なんとも言えないな。。』

 相手が、体験したこと無いこと、観てもいないこと、やってもみてないことについて、楽しさや醍醐味や面白さや素晴らしさを伝えることは、難しい。
 だけど、俺らは理系であり、それが得意な連中なのだ。俺らでも、それは難しすぎるから、それが難しいことを確認したくなる。そして、ただ確認することで、諦めてるわけじゃなくて、そこから、もっともっと分かりやすい説明を考究し、楽しい自分の研究内容について語るのだ。
 っで、俺らは、とても優秀ゆえ(笑)、非常にイイ線まで行ってると思う。

 ただの賢さや知恵は、簡単に手に入る。どんなに高級な分野であっても、テキストを読めばいいし、偉い人に言われたことをやってりゃイイのだ。この世界は、言われたことやってりゃ、それで、実質的には上手くいってしまう系ばかりだと思う、自分で開拓しなきゃいけない「研究」の世界でも例外ではない。
 でも、慧眼さや聡明さが欲しかったら、楽しさを伝えようと一生懸命努力することが必要だと思う。そのためには、まず、自分がガチで楽しいことを見つけなきゃいけなくて、、それには、やっぱり、(本当の意味で)優秀な誰かから、どうにか伝えてもらう他ないんじゃないかな。

 ただし、俺にだって、トンカツそのものの美味しさを納得したくない系はある。少なくとも、とにかく、なんでもいいから、トンカツを食ってやるっ、って思えない。
 なんとなく、まだ、その、即物的なことに、委ねる必要性は感じていない。のくせに、時間が過ぎると、言葉が無くて、不安になって、寂しくなる。

 じゃぁ、言葉を得ることが必要?って思うんだけど、ただ単純な即物的にはなりたくなくて。。
 この自己矛盾している理想を治さないとなっ。
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2011-11-15 00:52:25 | Weblog
 ≪そっち側も味見してみたら面白いかも、って思われてるところが、もうダメだと思う。≫
 〈しかもさ、それを、K君に対して悪気があってやってるんじゃなくて、悪気が無くやってるから。〉
 ≪そうそ、タチが悪い。≫
 〈うん、タチが悪いよ、それ。なるべく遠くへ離れよぅ。〉

 大学1年のとき、物理学科で数学を扱うんだったら、深く考えて、うーん、って正解出来るだけではダメで、むしろ理屈はよくわかってなくても、当たり前のようにそれがパサパサ計算できるようになるまで練習しなきゃダメだよ、って言ってた先生がいた。おっしゃるとおりだと思う。
 当たり前になっていると、習慣化されていく。それが、正しいことで、正しい方向に寄与していれば、それでイイと思うし、何かを発展させたり、開拓したりするためには、必ずこれが必要なシーンがあると思う。

 ただ、それが、悪いことに対して、習慣化されていると、悪気が無くなっていく。しかもそれが、自分だけがのし上がったり、自分だけの利益(メリット)を考えた時に、非常に正しいことであると、周囲のみんなにとって良くないことが習慣化されている可能性が高いから、怖い。
 そして、悪気が無く、悪いことをし続ける人間が出来上がる。

 あなたが、もし今後、こういう人間に出会ったら、俺が最も信頼している親友2人の俺への助言通り、走って逃げる、べきだと思う。それしか、術は無い。
 だって、〈変えられる、変えられない以前に、それまでの過程で、K君自身がダメになってしまう可能性が高いから、それは俺はイヤだから、離れろ、って思う。〉

 今は、自分で判断できる(と思う)。どの人をどれほど信頼しているかの視点を使わなくても、タチの悪さは見抜ける。
 ただ、信頼関係で物事を決めることは重要な事だから、きちんと行った方がイイ。そして、どんなにタチの悪い人間と一緒にいたとしても、絶対的な信頼関係や信念さえあれば、必ず、自分自身へメリットを残せる。いかなるメリットかは発掘してみなきゃわからないけどね。

 信頼は、創るのは非常に難しく、しかしいとも簡単に崩れる。創るのは大変、崩すのは簡単。砂のお城よりも、その性質は顕著だ。
 崩れる原因は、俺には無い。誰よりも、ホントの意味で、寂しがり屋だから、そんなこと、しない。選んでるのは、いつだって相手の感情や気持ち。その荒んでしまった気持ちが、いや、隠しきれなかった汚れた本心が、俺をあきれさせて、信頼ゼロへと落ち込んでいく。

 だから、、気持ちの表現の仕方が下手っぴなくらい、考慮できる。そのくらいで怒ったり、諦めたり、しない。
 能力が無いだけってのは、たとえ努力しないんだとしても、我慢出来るよ、きっと。
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The One-Step Mapping

2011-11-14 01:48:02 | Weblog
 言葉→こころ


 『眠い。』→『なんか面白いこと言ってっ!』『そういうことを望んでるわけじゃないんだけど?』『あんま寝てない状態でここまで出来てる俺、スゲー。褒めて。』『たいくつ。』『10分以内に帰るわ。』『もう、この感じ、飽きたから、違うことしようよ。』『気まずいから、とりあえず、リズム的に言っとこっ。』『じゃー何喋ったらイイの?』

 『頑張ってね!』→『マジで変われよ!俺が関わってるんだし。』『お前が成功できなきゃ一般論的にヤバいんだよ。』『成功したら、俺に忘れず感謝してね。』『諦めそうだな、コイツ。』『勝手なこと言うなら、勝手にやってください。』

 『ホントにそう思ってる?』→『てめーのキレイゴト聞くために時間割いてやってんじゃねーんだよ。』『そんな薄っぺらい理詰めで高橋慧を納得させられるって本気で思ってるんだとしたらバカなんじゃないの?』『めんどくせーな。さっさと本音言えよ。』『俺にこう思われた時点で、それは嘘なの。もっと言葉選んで喋れや。』

 『キモい。』→『そんなところが大好き!』『俺はキモいって思ってないけど、世間の多くはキモいって思うはずだから、やめたほうがいいよ?』『けど、だからこそ、俺は安心して、お前と一緒にいれるわ。』『古いよ、それ。』『うわぁ、明らかに俺より人間ランク下じゃん。』『俺も、そのキモさ、あるわ。』

 『俺的にはー、』→『一般的にはー、』『みんなも絶対、心の底ではこう思ってるはずだって。』『って言えば、この議論終われるんでしょ?』

 『お疲れ様です。』→『って言ってりゃイイんだろ?』『この言葉キライ。』『ほら、もっと疲れろよ。』

 『ダメだろ!』→『そこさえ直せば、最高になりえるんだけどね。』『迷惑なんだよ、マジで。』『って言われてるうちが、華だよ?』『ラストチャンスね。これで。』

 『俺、そんな感じにしちゃうじゃん?だからダメなんだよなー。』→『はーいっ、俺のが先に、俺のこの悪い部分言ったから、お前、それ言えなーい。』『先に言ったから、もうここはツッコミ入れないで。お願い。』『ほら、「そんなことないよ?」って早く言ってよ。頼むから。』『ってところがあるからこそ、俺と一緒にいても大丈夫なんでしょ?』

 『そんなに気ぃ遣わないでくださいよ。』→『その調子で気を遣い続けろ。』『あなたの俺に対する距離感、正解!』『そこまで俺に気を遣うと、周りが、俺が気遣わせる、って思うだろ、やめろよ。本当の意味で気を遣ってくれ。』

 『またね。』→『また、このマンネリ感を使って、話そう。』『もう二度と連絡しないから、そっちもしないで。永遠にさようなら。』『次会う時は、俺は、もっと変わっているはず。』『きっと、きっと、また、どこかで。』

 『ホント、キライ。』→『前は好きだったのに、その期待、返して。』『俺の目につかないとこに行って下さい。』『「ごめんなさい」って言え。』『でも、好き。』


 ホントのこと言いまくってるはずなんだけど、こんなもん。
 あくまで、可能性だし、言葉のまんま、ってこともかなり多いですけど。

 ちなみに、これらは、まだ、1回だけ関数かませばイイだけだからね。たった1回の解析。1回の写像(The One-Step Mapping)を観てみれば、良いだけ。
 3回はかまさないと読めないなんて、他の人だとザラだし、このくらいは頑張って完璧に読めるようにならないといけないと思っています、自分にはね。

 まぁ、言葉なんてアテにならん、ってマジで思っていますが、その言葉ってのは、かなり重要な部分を占めてしまうんですよね、時には、行動よりも。
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