何か一つ知るようになることは、自分の中の希望を一つ捨てることだ。
理解したり、その分野に入って通常の作業をこなせるようになることは、成長として素晴らしいことだが、それと同時に今まで憧れに思っていたことが一つ減ることでもある。
憧れは、手にしていないからこそ、輝いて見える。
小学1年生の頃は雨の日が大好きで、傘を持って学校に行けるだけで楽しかった。大学3年生のはじめの頃は、白衣を着て実験するだけで楽しめた(物理学実験は白衣無しで大丈夫なので、俺は大学2年まで白衣を持ってすらいなかった)。
それらも慣れてしまえば、煩わしささえ感じる。
憧れは、次に行くべきレールの道しるべとなってくれることも多い。
憧れの赴く方向へ進んでいく。場所を変える上での絶対的なルール「自分(だけ)は正統的な手法をとりながら、その中で上位者になってから、移動する。」ということを守りながら移動すれば、ガチの能力を高め、前の知識を利用しながら新しいことをすることができ、広い範囲の高い能力を得ることが可能となる。
こんな自分の中だけのパラダイムシフトの仕方、いいだろぅ?、って思う一方で、同じような場所で、ずっと同じようなことをしている人を羨ましがっている。能力のレンジが狭く、レールから必ず得られる能力しか得ていないのにも拘らず、高評価を受けられるし、何よりも、憧れを憧れのままで心の中に留めておけるから。
俺が最も恐れていることは、すべてのことについて、くだらなさ、つまらなさで、満ち溢れてしまいそうになることだ。
んね、理解することは、希望が無くなっていくことでしょ??
ここまで思考を繰り返していったとき、最後に残る「意味のあるモノ」が、「優しさ」に行きつくのは、せめてもの救いだ。
本当はどんなスタイルだってイイ。誰かに媚びていく生き方でも、無意味なことが大好きな性分でも、ガチの能力をつけていくスタイルだって、なんだってイイ。
能力なんて、低くても、狭くても、誰かに対する優しささえあれば、それが一番重要なことで、価値のあることで、意味のあることだ。
この優しさの部分に対して、「憧れ」を持ててはいる。これからも、もっともっと、こういう気持ちをつけていきたい。
でも、即物的な能力がどうでもイイとは、まだまだ思えない。それは、俺が、「大人」じゃないから?「大人」になったら、少しは変わるの??
突き詰めて、突き詰めて、あくなき探求、考えて理解して、マスターして、また飽きて、別のことに着手してー。
確かに、理解することは、希望がなくなることだと思う。でも、そんな希望、誰かの誰かへの優しい感情に比べれば、ものすごくどうでもイイことなのだということを、忘れちゃダメだよね。
優しいということ。誰も評価しなくても、誰かに優しく振る舞えるということ。
そんな部分にこそ、価値を感じるし、誇りに思うし、それができる人を、俺は心から尊敬している。
理解したり、その分野に入って通常の作業をこなせるようになることは、成長として素晴らしいことだが、それと同時に今まで憧れに思っていたことが一つ減ることでもある。
憧れは、手にしていないからこそ、輝いて見える。
小学1年生の頃は雨の日が大好きで、傘を持って学校に行けるだけで楽しかった。大学3年生のはじめの頃は、白衣を着て実験するだけで楽しめた(物理学実験は白衣無しで大丈夫なので、俺は大学2年まで白衣を持ってすらいなかった)。
それらも慣れてしまえば、煩わしささえ感じる。
憧れは、次に行くべきレールの道しるべとなってくれることも多い。
憧れの赴く方向へ進んでいく。場所を変える上での絶対的なルール「自分(だけ)は正統的な手法をとりながら、その中で上位者になってから、移動する。」ということを守りながら移動すれば、ガチの能力を高め、前の知識を利用しながら新しいことをすることができ、広い範囲の高い能力を得ることが可能となる。
こんな自分の中だけのパラダイムシフトの仕方、いいだろぅ?、って思う一方で、同じような場所で、ずっと同じようなことをしている人を羨ましがっている。能力のレンジが狭く、レールから必ず得られる能力しか得ていないのにも拘らず、高評価を受けられるし、何よりも、憧れを憧れのままで心の中に留めておけるから。
俺が最も恐れていることは、すべてのことについて、くだらなさ、つまらなさで、満ち溢れてしまいそうになることだ。
んね、理解することは、希望が無くなっていくことでしょ??
ここまで思考を繰り返していったとき、最後に残る「意味のあるモノ」が、「優しさ」に行きつくのは、せめてもの救いだ。
本当はどんなスタイルだってイイ。誰かに媚びていく生き方でも、無意味なことが大好きな性分でも、ガチの能力をつけていくスタイルだって、なんだってイイ。
能力なんて、低くても、狭くても、誰かに対する優しささえあれば、それが一番重要なことで、価値のあることで、意味のあることだ。
この優しさの部分に対して、「憧れ」を持ててはいる。これからも、もっともっと、こういう気持ちをつけていきたい。
でも、即物的な能力がどうでもイイとは、まだまだ思えない。それは、俺が、「大人」じゃないから?「大人」になったら、少しは変わるの??
突き詰めて、突き詰めて、あくなき探求、考えて理解して、マスターして、また飽きて、別のことに着手してー。
確かに、理解することは、希望がなくなることだと思う。でも、そんな希望、誰かの誰かへの優しい感情に比べれば、ものすごくどうでもイイことなのだということを、忘れちゃダメだよね。
優しいということ。誰も評価しなくても、誰かに優しく振る舞えるということ。
そんな部分にこそ、価値を感じるし、誇りに思うし、それができる人を、俺は心から尊敬している。