たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

"学ぶ"と"慣れる"の違い

2016-06-30 01:44:07 | Weblog
 狭い分野の中にいる人ほど、その狭い分野のなかで成り立っているルールや習慣を理解してくれ、と要求する。
 よーするに、他のことは専門外なので知りません、ということを主張したいようなのであるが、これはもっと正確に言う必要がある。自分は視点が低く、頭が悪いことを考慮してくれ、と言っているに等しい。

 世の中には、習得するのに時間がかかるもの、と、習得するのに時間がかからないもの、の2種類がある。技術習得(料理、飛行機の操縦、飼育管理、楽器などなどの実際に現実世界に対して具現化することが必要な専門的な内容)についてはよく知らないが、単純に学問として"学ぶ"という視点に立てば、習得するのに時間がかかるものは、"哲学","数学","物理学"くらいだと思う。あとは、"まともに"高校を出ていれば、かなり長く見積もっても1年もあれば、学べるだろ。
 ここで、"学ぶ"ということの定義をしておかなくちゃいけない。ここで俺が言ってる"学ぶ"というのは、覚える、暗記する、ということではない。そんなGoogleの部分集合的な能力を得て、この時代に何をしようというのだ?"学ぶ"というのは、自分が理解できない内容に対して、自分の思考力を高めることで、理解できるようになる、ということである。この"学ぶ"という経験をしておかないと、"慣れる"ということと"学ぶ"ということが区別できなくなってしまうから、なんやったら、高校や大学時代を通じて、これだけは一度自分で経験しておいてくれ、というものだと思う。
 (数学で練習問題を沢山解いて慣れてくると、後からだんだん理解できるようになってくる例があるように、必ずしも"慣れる"ということと"学ぶ"ということは完全には乖離しないように思われる。だが、いくら計算問題を解いてもマイナスとマイナスをかけるとプラスになることは理解できないだろう。そういう意味では、"慣れる"と"学ぶ"が等しいかもしれない?と思う例は思考の道の途中で起こっているケースが殆どであり、最終的に何かをマスターするという意味では絶対に"慣れる"と"学ぶ"は違う。ここを考えずに、とにかく計算を繰り返してきてしまった者が、マイナス同士のかけ算の新参者である中学生が、調子にのって、この質問をしたときにイライラしてしまうのは、実力不足の現れだろうと思う。ちなみに、マイナスかけるマイナスがプラスになることについては、こちらをどうぞ。)

 "学ぶ"ということを繰り返すことで、得られることは大きい。最大のメリットは、視点が高くなる、ということである。
 あらゆるモノを見聞きして色々な経験をすることが大事、というのは半分はウソである。それは視野を広くする方法であって、たいして役には立ちません。読書家が全員頭が良いわけではないことからもわかるように、その問題に対してよく考究できてないうちに、どんどん新しいことを目の当たりにして、また同じ問題に直面しても、あー、これは私の能力じゃ理解できないからー、と繰り返していても、新たな智慧や価値観が得られるわけがないでしょう?
 そうじゃなくて、上から見下ろす、ということが必要なのです。自分の足で町を歩くよりも、高いところから町を見た方が、どんな様子かわかりますし、どこにおもしろそうなことが転がっているのか、すぐにわかります。イメージとしてはそういう感じ。

 この「視野を広げるのではなく、視点を高くしよう」という意識はすごく大事で、「視点を高くするためには、賢くならなくちゃいけない」と思っていると、普段から目に入るものが変わるし、読むべき本が変わるはずです。重要なものが目に入るようになって、自分にとって思考力を高められるような本を選ぶことができます。
 で、狭い分野のルールや習慣が、大事なことなのか、くだらないことなのか、自分で判断がつくようになるし、その分野が発展していくのか消え去るか、そのような予見も自分で行えるようになります。世の中のほとんどの人は、習得するのに時間がかかる"哲学","数学","物理学"なんかを必要としないのだから、だとすれば、なるべく早く高い視点に登ってしまって、間違ってしまっているのならさっさと切り替えて、より正しそうな場所に行き、また登って確認する、ということを繰り返し意識しているだけでも(この意味で、あらゆるモノを見聞きして色々な経験をすることが大事、は半分正しい)、安全だと勘違いしているリスクをとって、無駄な努力をすることを避けられると思います。

 これは、混乱期を生き抜く現代人には、必須になってきてしまうかもしれません。
 そう思うと、大変だなぁー、と思います。なんか他人事だけど笑
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6. 研究者として/『研究コントローラー』

2016-06-29 00:48:59 | ネット小説『研究コントローラー』
 以下はフィクションです。実在の人物や団体などとはいっさい関係ありませんし、サイエンティフィックな内容についても実際には正しいことではないことも含まれます。

前のお話 5. 殺人の根拠/『研究コントローラー』

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2016年6月27日(月)

 「その部分についてはまた次の発表で説明してもらうことにしよう。まずは有機化学として、反応がきちんとできているかどうかが重要だ。そうだとは思わないか?戸山くん?」
 山岡教授のその言葉に、俺は窓の外の久々の晴天を眺めながら、「確かに、そうですね」とつぶやいた。慶明大学山岡研究室のゼミ。発表者はM2の岸信明くん。発表内容は、医療応用できうる新規ゲルの開発。応用的な事柄が最終目標であるのなら物性評価が重要になってくると思ってコメントしたのだが、物性物理学上のベースを考慮したことが気に障ったのだろう。「化学では反応追跡ができているか?が大事」という目的と方法を裏返してしまっている論法で押し切られてしまった。物理学や数式にアレルギーがある人がいると、こういうことはよく起こる。あの世代なら余計にそうだ。それに、これ以上深入りしてはいけない。権田くんが学推を提出できるよう野崎が山岡教授にブラフをかけてから、ただでさえ山岡教授は俺に何かと厳しい。俺の発言を無力化するように努めているように思える。だとしたら、ここで折れないで発言を続ける意味は無い。
 「あ、ちょっといいですか」
 振り返ると、ポスドクの豊杉さんが手をあげていた。豊杉さんは山岡研内での空気支配率が高く、上司である高野特任准教授や山岡教授も、豊杉さんの意見には従うようなところがあった。豊杉さんは関西弁のイントネーションを保った標準語で、軽やかに言葉を続けた。
 「岸くんは、背景のところで、目標の設定を医療応用だとしていますよね。だとしたら、反応追跡は二の次でも良いんじゃないですか?むしろ、物性評価として、たとえば、皮膚にどれだけフィットしていられるかどうかとか、先にそういうことを調べた方がイイと思うんですよね。もちろん、身体に有害な副生成物ができていたら問題ですから、結局は反応追跡も行う必要がありますが、まずは、戸山くんが今言ってくれたように、物性として適しているかどうかという点を調べることが、重要じゃあないですか」
 豊杉さんの発言に山岡教授が白眉をつり上げている。豊杉さんは山岡教授が不機嫌になることを承知で今の発言をしたのだろうか?真意は定かではないが、山岡教授が口を開いた。
 「だから、その点については、次の発表で説明してもらうようにしようと、言ったはずですが、私の言葉を聞いていましたか?」
 豊杉さんが俺の方をみながら、口角をあげてきた。「ね?」っと言っているようだった。「すいません、わかりました」と豊杉さんは短く述べた。俺はその笑顔に愛想笑いを浮かべながら、スマートグラスに表示された野崎の言葉に本当の笑顔をこぼしそうになった。
 “私の指示がなくても、上手くやれるじゃないか”
 というよりも、余計なことをしないで、無難に取り繕ってりゃいいんだろ?という部分が拭えないが、それでもこれから行うべき大仕事のことを考えれば、褒められておくにこしたことは無い。
 13時5分前、ゼミが収束にさしかかり、連絡事項が伝えられた。学会の予定などについて話している。大した連絡はない。いつも通りであれば、ここで、全員でお昼に行くはずである。秘書の友川さんも含めて。
 研究コントローラーと名乗る連続殺人を臭わす手紙が野崎のもとに送られてから1ヶ月。大学院生および若手の失踪事件の僅かな増加を訴え、RC研究生という大学院生のスパイ集団を組織している野崎の意見は、どうやらそれなりに間違っていなかったようだ。野崎は犯行について強アルカリによって死体を溶かしているんじゃないかとする説を出し、その調査となるような手がかりを、RC研究生の一人である俺、都王大の大学院生であり慶明大学の有機合成研究室、山岡研に潜入している戸山渉も、常に探してきた。俺が着目したのは試薬リスト。秘書の友川さんのデスクは山岡教授の部屋にあり、友川さんのパソコンには試薬棚や試薬庫にある試薬リストのデータが入っている。このリストは、友川さん本人が試薬棚と照合してリスト化しているもので、友川さんが犯人じゃなければ、何か怪しいもの、例えば、大量の水酸化ナトリウムが保存されていれば、すぐにわかるはずだ。当然、リストに何もなくても試薬がある場所とクロスチェックするべきだが、あくまで都王大学からの部外者である俺では、試薬棚はともかく試薬庫に行くのは不自然だ。だから、まずは、友川さんのリストを見てみることが先。このお昼のタイミングで、スマホを友川さんのデスク付近にある本棚のところに取り付け、動画を取りっぱなしにする。友川さんがお昼から戻ってきたタイミングでパスワードを解錠する指の動きを撮るためだ。スマホは山岡研のどこにあってもおかしくない有機反応の本の背表紙の裏に取り付けておき、カメラだけが外に露出するようにしたものを、本棚に入れる。そして、今は、絶好の機会。友川さんが、先生達の湯のみを下げにくる。その間、わずか3分だが、スマホが入った本を取り付けるには十分な時間だ。俺は野崎に、スマートグラスで動画撮影を外部にそのまま直接出力できるやり方を提案したのだが、「バレたときのリスクが高すぎる」と言われた。確かに、どこにでもあるスマホが本の背表紙に入っていたのがわかり、それが動画撮影されていたとしても、誰のものかどんな目的なのかわかりようがないが、パラレル回線を使用したり、現在世間にはあまり普及していないシステムを使ったのだとしたら、犯人がどこまで野崎のことを掴んでいるかはわからないとしても、野崎とRC研究生との関係がバレやすくなるだろう。
 「すいません、ちょっと、先にトイレに行ってきます。どうしても我慢できなくて」
 今度からトイレで席を立つ以外の理由を考えなくちゃいけないな。まぁ、今はとりあえず良い。思い切って教室のドアを開け廊下を出ると、そこにはタイミングよく友川さんと出くわした。ふくよかな身体の割に軽やかな足取り。お茶を片付けるためのおぼんを持っている。「どうも」と挨拶を交わしながら、階段の奥にあるトイレに向かうフリをしている。僅かな時間だけカギが開いているはずだ。急げ。階段を駆け上がり3階へ。試薬リストすべてを見るには大変だが、スマホ付き有機反応本を取り付けるのには容易い時間だ。山岡教授の居室に着き、そっと扉を開けた。誰もいないことはわかっていても、どうしても”恐る恐る”の様相になってしまう。狙っていた本棚を見つけ、お腹に隠していた、スマホ付きの本を本棚に置いた。沢山の本の上に沢山の本が積み上がっており、なんでもない本に紛らわせるのは簡単に思えた。録画をスタートさせ、俺はすぐに部屋を出ようと思った。だが、ここである事実に気がつく。友川さんのデスクのパソコン画面に、ちょうど試薬リストらしき表計算ソフトウェアが開いてあるのだ。スクリーンセーバーにならないくらい短い時間、本当に僅かな時間の隙間を狙っていることに興奮と緊張を覚えた。俺は瞬時にパソコンの今の状態を脳内にスキャンし、日付順になっているリストを上の方へ、つまり過去の試薬記録を見ようと、マウスを動かした。井川さんという行方不明の院生がいなくなったのは、確か去年の11月。そう野崎から訊いている。だとしたら、10月、いや9月、この辺りに試薬記録の更新が・・・。だが、その辺りには、水酸化ナトリウムもなければ、苛性ソーダとも書かれていない。やはり強アルカリで人体を溶かしているから死体が見つからない、というのはあまりにも短絡的な発想なんじゃないか?と俺は思い始めた。そうこうしているうちに、部屋に入ってから1分半も経過しようとしている。早くここから出なくては。俺はパソコンの画面をもとの状態に戻した。山岡教授の部屋のドアを開けて廊下に出ると、自分の気持ちが自然に一息つくのを感じた。少し小走りで歩き出し、階段を下がろうとすると、おぼんの上に山岡教授と高野特任准教授の湯のみを持つ秘書の友川さんに出くわした。
 「あら」
 俺は友川さんの姿と声にびっくりした。咄嗟に俺は、言葉を探した。
 「あ、下のトイレ、偶然、空いてなくて。上のを使ったんです」
 わざわざ言わなくても良かったか?そう思いながらも、連絡事項を終えそうになっているゼミ室に戻った。
 このあとは皆でお昼ごはんだ。居室に戻り、俺はその僅かな時間で野崎に連絡した。新しいパラレルスマホにも慣れてきた。
 “スマホのとりつけは完了しました。このあと午後イチで、回収します。チェックするのは明日の深夜になります。ぱっと見た感じでは、水酸化ナトリウムなどの強アルカリが大量にストックされている様子はありませんでした“
 山岡教授の居室のカギは、実験室に置いてある。その実験室のカギは俺も普段から1つ預かっているが、山岡教授の居室のカギを取るには、記録帳にいちいちメモるのがルールだ。カギを必要としない時は、教授室に誰かしらいるということになる。だから、リストを盗み見することはできないし、誰もいない頃を見計らってメモらずにカギを持っていって何か問題があっては面倒だ。どうせ、深夜にだってこの建物には入れるのだから、水曜日は体調不良で休むことにして、誰もいないであろう火曜から水曜にかけての深夜、ここに侵入することにしよう。研究室のgogleカレンダーによれば明日の夜には誰も実験しないはずだし、ゼミは終わったばかり。研究室に遅くまでいる人はいないはずだ。お昼ごはんが終わり次第、秘書の友川さんがパソコンのスクリーンセーバーを元に戻した頃合いに、山岡教授の居室に本を取りにいく様子で伺い、そして、スマホ入りの本を回収しよう。そこに、友川さんの入力の様子が映っているはずだ。これでパスワードゲット。ここまで、何事もなく進めば良いのだが。野崎から連絡が帰ってきた。俺はスマートグラス上の文字を見る。
 “お疲れさま。まずは第一段階クリア、ってところか。日本のラボは深夜に実験してもお咎め無しな上に簡単に侵入できる。スパイする側としては楽勝だな”
 向こうからの連絡に対しては、スマートグラスをかけているだけで、内容を知ることができる。だが、発信に関しては、パラレルスマホを使わなくてはいけない。当たり前のことなのだが、慣れてくると意外とめんどくさい。そんなことを思っていると、M2の原田さんが話しかけてきた。近寄られる程に、独特な香水の匂いが増す。どうも、こいつは油断できない。なんでもかんでも、すぐに男を利用しようとしそうである。
 「ほら、早く行きましょうよー。森下さんも早くしないとー、午後イチに予約したNMRに間に合わなくなっちゃいますよ」
D2の森下さんにも話しかけながら、原田さんはみんなでお昼に行くようにしむけている。このとき、俺は何かの違和感を感じた。何だ?何がおかしいんだ?すると、森下さんが間髪をいれずに言った。
 「原田さん、NMRの予約は14時だろ。午後イチだったら、今行かなくちゃ行けない」
 原田さんは、髪を後ろに流しながら、ケロっとした表情を作って、言葉を返した。
 「あ、そっか」
 短い言葉で言い終わると、原田さんは、右側の髪だけ前に流し戻した。先ほど出した野崎のメールに俺も”午後イチ”と書いた。そもそも”午後イチ”が何時なのか知らないが、一般には13時からだろう。どうも研究室の生活が長くなると、お昼休み学部生でいっぱいの学食が空きはじめる13時頃にお昼に行くことが多く、研究行為を再開する14時頃のことを”午後イチ”と言ってしまう。そして、原田さんも俺も、偶然、同じタイミングで間違えた。偶然か?いや、偶然に決まっている。絶対にパラレルスマホは見られていないし、まして、その内容は絶対に誰にも見せていないように気をつけている。野崎に盗撮・盗聴されてから、身の回りのカメラや録音類には気をつけているし、怪しいかもしれないと思ったものに関しては随時チェックするようにしている。ありえない。ただの偶然のはずだ。俺はそう思いながら、山岡研のみんなと学食に向かうことにした。

 午後イチ、もとい14時が過ぎた。お昼ごはんは、置いてきたスマホが気になって、ほとんど喉を通らず、その様子を見たD1の同期の権田くんが、心配してくれてしまった。スパイとしては失格だなと反省していると、14時3分。まだ早いか。席に着きながら、論文をサーチしているフリをする。14時20分。私用で使っている通常のスマホからSNSでくだらないことを呟いて、そろそろ居室に向かうかと思い、山岡教授の部屋に向かった。手にはテキトウな論文を持っている。論文内の反応機構について不安があったために本を探しにきた、という大義名分のためだ。
 「失礼します」
 少し小さく発した自分の声に緊張が走る。大丈夫、自然なはずだ。すると、豊杉さんが共用パソコンを使っていた。どうやら、何かの解析をしているようだ。俺は恐る恐る扉を閉めて、状況を把握した。秘書の友川さんは座ってデスクワークをし始めている。ということは、スクリーンセーバーを解除するために、すでにパスワードを入力したはずだ。それが撮影できているはずである。俺は、とりあえず、スマホが入っていない本のほうへ向かい、右手に取ってみた。左手に持っている論文を確認する。これがいいかも?っという表情を作りながら、スマホが取り付けてある有機反応に関する本を取り出した。背表紙越しにスマホの感触を味わって、安心感を得る。もし、本だけでスマホがなくなっていたら、元も子もない。よし、完璧だ!と思いながら、俺は部屋を出て、すぐに野崎に連絡しようとした。すると、今自分が出たばかりの扉が開き、豊杉さんが出てきた。豊杉さんは俺に近づいてくるなり、小声で囁いた。
 「やっぱり、戸山くんは野崎先生のお小姓やったんやな」
 俺は、突然の野崎の名前にビックリしながら、豊杉さんを見つめた。
 「そんなにビックリしなくてええで。時間あるやろ。ちょっと散歩しよか?」
 豊杉さんは一度実験室に入り、高野准教授にアイコンタクトをする様子を見せた。高野先生は「わかった」とすべてを理解した表情をして、俺ら2人を送り出した。

 いっさい喋らず歩き続けて10分。慶明大学日吉キャンパスを出て、住宅街に入ってきてしまった。雲は少し多いが、今日は雨の降る心配は無いという予報である。確かに雲と雲の間から少しだけ青空が覗けるくらいには晴れている。豊杉さんはどこまで歩き続ける予定だろうか?俺はキャンパスを出るあたりで、直感的にパラレルスマホとスマートグラスの電源をオフにした。
 「ここまでくれば、まぁ、誰かに聴かれる心配もないやろ。あの本、なんかあんねやろ?それ以上なんも訊かんけど、ラボにある本は、一応、俺はすべて把握しているんでね」
 そう言いながら、やっと俺に話しかけてきた。表情は穏やかだ。
 「井川英治くんの件について、高野先生に相談したのは、もともと俺なんや。そしたら高野先生、研究コンサルタントをしている野崎って知り合いがいるから、彼に相談してみましょ、て言われてな。で、野崎先生の取り組みの資金援助をうちの親父から出してもらうことになってな。斉藤グループと比べると微々たるもんやけど、うちもそれなりに儲けてるからなぁ。ここまでトントン拍子やったで」
 俺は、驚きの事実にも拘らず、案外、なるほど、と心から納得できた。金持ちと情報の組み合わせは、何かが創発されるときには必ず共存しているってもんだ。
 「井川くんについては、どれくらい訊いてるんか?」
 突然の質問に俺は野崎の言葉を思い出してみた。
 「えっと、現在D5ですよね。野崎先生から訊いていることとしては、昨年の10月から行方知れずってことくらいで」
 「せやな。うちらがお願いしてから、野崎先生がRCを組織するまで、本当に仕事が早くてビックリしたで。俺のSNSにもRC制度の情報が流れてきたときに、マジか?と思た」
 なるほど。あれは、かなり大規模に拡散されてたんだな。あの広告に騙されて、今俺はこの人と喋っているわけか。前から、短い道を、小学生数名とおばさん数名が歩いてくる。自然と、俺ら二人は会話を止めた。やり過ごしたのを確認すると、豊杉さんは言葉を続けた。
 「俺は実は、博士課程からこの研究室に来てな。もともとは東都科学大やねん。修士までのラボが先生の定年で閉まってしもうて、それで慶明大の山岡研を受験したんや。なんとか合格して山岡研に入ったときに、同期ですでにいたのが井川くん。もうその頃からあんまりラボに来ておらんかったけどな」
 「もう、その頃から行方不明のような状態が続いてたってことですか?」
 「せやな。決定的だったのは、俺が学推の申請を山岡先生から認められて、井川くんが認められなかったことだったように思える。卒研と修士の頃から山岡研にいたのにも拘らず、俺の方が優先順位高かったことに、井川くんはショックだったんやろ。そんときは、当たり前やん、としか思わんかったけどな。だって井川くん、全然、来てなかったんやから」
 二人で歩きながら話すとき、その二人の会話が、歩き方に反映されるという。確かに今、俺らは、ほんの少し早足で、思考の飛躍の仕方がややあるように思えることと一致する。そして、豊杉さんが常に俺より少し前を歩いていて、それも豊杉さんが会話をリードしていることと一致している。
 「それでもまだ俺らがD1の頃、そうやなぁ、D2の夏ぐらいまでは、井川くんは研究室に来ていたと言える。なんでかって言うとな、ラボ内で彼が来てないことが噂になっとったからや」
 会話の主導権を取り返すために、少し先手を打とうとした矢先、意味が分からないことを豊杉さんは言ってきた。
 「え?どういう意味ですか?」
 「そら、正しい反応や。俺の説明不足。せやからな、研究室に来てない、っていうのには、レベルがあるっちゅうこっちゃ。あの人研究室に来ないよね、って噂になっとるうちは、そらまだ研究室に来てないことがレアな事実になっとるっちゅうことで、基本は研究室にいるっちゅうことやんか?せやけど、その人が研究室に来てるってことが噂になるっちゅうことは、来てないことは周知の事実になっとって、その上で来た、ってことが噂になったっちゅうことやんか?」
 俺はやっと納得した。なるほど、確かそうだ。俺は笑いながら頷いた。
 「情報の基本ですよね。あるイギリスのジャーナリストの言葉に、人が犬に噛まれてもニュースにはならないけど、人が犬を噛んだって事実はニュースになる、というのがあります。稀な事実が情報を作るっていうか・・・」
 豊杉さんは分かってもらえた嬉しさを笑顔で俺に伝えた。
 「D2の終わりには、井川くんは周囲から、研究室に来てることが、噂になっとった。まぁ、末期やな。当然そんな状態やったし、同期やけど一緒には博士号とられへん思ってたんやけど、それでも、ちょこちょこ井川くんとも話しててなぁ。彼、おもろいねん。考え方が」
 「と言いますと、どんな風に?」
 「ラボオートメーションに興味があったみたいやで。将来的に実験室はこうなるああなる、って言うのを教えてくれて・・・、あ、そういえば、彼に誘われて、一度、そういう学会というか研究会というか、そういう催しに一緒に行ったこともあったで。まぁ、今思うと、自分が手を動かしてないイイワケと連動していたような気もしなくはないんやけど、わからんとこやで」
 そう言いながら、俺らは曲がり角を曲がった。
 「俺が学位取ると、井川くんはますます来ーへんようになってしもた。まぁ、しゃーない。で、そのまま俺はJTSの研究員として山岡研におるようになって、あまりにも井川くんが来ないから、高野先生とよく相談しとったんや。もう、井川くんのことをよく知ってるのが、俺か高野先生しか残っておらへんしな。ほんで、おかしいな、って思ったのが、9月の終わりの、ある日のことや」
 核心を突くであろう言葉がここから出てくる。俺は本能的にそんな予感がした。豊杉さんは真剣な表情になった。
 「正確な日にちは覚えてへんけど、9月の終わりやったのは間違いない。その日、珍しく井川くんがラボにやってきたんや。実験ノートを開いとった。俺が、大丈夫なんか?今年は博論いけそうか?、と訊くと、井川くんは逆に質問してきた。研究者として最も大事なことはなんだと思う?、ってな」
 研究者として最も大事なこと。あまりに多くの研究者が色々なことを言うあまり、それを一言で表現することは難しいように思える。好奇心を持ち続けること?諦めない心を持って粘り強く頑張ること?思考力の高さ?文章作成力?実験を沢山できること?論文をよく読むこと?そのどれも俺はしっくり来ていない。野崎なら何と言うだろう?研究者として最も大事なことは何だ?
 「俺は、自分で考えられることじゃないか?、って応えたんや。本音では、有機合成の分野なんて、ほとんどその成果は実験量に比例するやろ、って思ってるんやで。せやけど、本当のことでも言って良いことと悪いことがあるやんか?せやから俺は、井川くんのスタイルに少し合わせた答えを言ったんや」
 「そう言うと、井川さんはなんて応えたんですか?」
 豊杉さんは井川くんのモノマネをするように表情を作りながら応えた。
 「なるほどね。でも、自分で物事を考えられても、実際にそれを具現化できないと仕方ないじゃないか?って言われた。そこまでわかっとるんやったら、なぜに実験せーへんのや?って思って、そう質問したんや。そしたら、最初からくだらないと分かってることに対して、実験するとか実験しないとか、それ以前じゃん、って言われてしもた」
 俺には、豊杉さんは2つの意味で勘違いをしている、と思える。まず一点目は、豊杉さんは、上の立場の人にとって使いやすい若手でいることが研究者として優秀であると考えているようだが、その考え方では自分が上の立場に立ったときに完全に困るということ。一生誰かに媚び諂って生きていくことはできない。これは研究者に限らず、だが。そして二点目。井川さんはおそらくそれをわかっていて、物事を自分の頭で考えられても、それが権威によって具現化できない現状を憂いでいたのだ。それを豊杉さんはわかっていない。
 「そう言うから、俺は言ってやったんや。確かに山岡教授は頭が良いほうじゃ無い。せやけども、割り切ってしもたらラクやと思うよ?とりあえず博士取るまでは、そうして見たらどうやねん?って。すると、井川くんはすごく明るい顔になって、なるほどーって感じの表情やったんやで。で、ほんなら、とりあえず、明日から毎日来るってことをしてみたら?って言うて、本人頷いて、かなり納得した表情やったのに、その日から完全に姿を見せなくなって・・・、そんな風になったの初めてやったし、それで野崎先生に相談することになるんやけど・・・」
 ちょっと待て!その伝え方が本当だとすると、井川さんは豊杉さんにムカついているだけのはずだ。野崎がそれだけで動くとは思えない。野崎なら、井川くんがそれからずっと来れなくなってしまうのは当たり前だと思うはずで、俺を山岡研に派遣するまでに至るとは思えない。
 「え?ごめんなさい、ちょっと待ってください。明日から毎日来てみる約束を取り付けた後、何か言ってませんでしたか?」
 「確か、”そうだね。信頼できるかどうかわかるためには、こちらから信頼してみるしかないからね”とか言うてた。状況に対して、あんまりフィットしてる言葉じゃないから印象的で、よく覚えとる。井川くんが何を信頼したいのか?わからへんやん。っていうか、えっらい、上からやなーって」
 俺は身体の芯から寒気を感じた。都王大学根津キャンパスの竹田講堂で行われた”科研費における審査の手順改革 2018”説明会の後に謎の女性から言われた言葉、そして研究コントローラーと名乗るこの件の犯人からの手紙にかかれていた言葉、”The best way to find out if you can trust somebody is to trust them”じゃないか。このヘミングウェイの言葉、何かあるんだ。そして、野崎も、この言葉を豊杉さんから聞き出して、この失踪事件は単なる鬱病患者の引きこもりでは無いと結論づけているのだろう。
 「どうした?戸山くん?」
 「いえ、なんでもありません。よくわかりました」
 豊杉さんは、ため息をつきながら、「そろそろ戻る方向にしよか」と言い出した。時計は15時半をまわっている。
 「それで。戸山くんとしては、山岡研で、何か掴めたんか?」
 「いいえ、全然。野崎先生が把握されている以上のことはわかりません。僕はただ、野崎先生の手となり足となるだけですから」
 それからは、世間話をしたり、山岡研内の人間関係の話をしたり、研究の話をしたり、大した情報のやりとりはしなかった。ひとつだけ言えるのは、豊杉さんは良い人だが、対応至上主義だということ。こういう人が研究者として向いていると研究の世界では言われているが、本当の意味では、研究者に向いていないように思える。それこそ、研究者として大事なことは何か?、と自分自身に問い続けていない。そして、この、研究者として大事なことは何か?、と日々問い続けることこそ、研究者として大事なことなのかもしれない、と俺は思いながら愛想笑いを続けることにした。

2016年6月29日(水)

 いくつになっても、真夜中の学校は薄気味悪い。昨日の20時半から共通実験室やリフレッシュルームを転々とさせられている。スマートグラスで野崎から指定された部屋に転々と移動しながら隠れ続けること六時間弱、ほとんど誰とも出くわしていないし、もう十分だろう。RCの収入で新調した腕時計を見る。さて、午前2時過ぎか。野崎からの連絡も30分前を最後に入っていないし、そろそろ実行して良いだろう。俺は実験室に向かうことにした。
 あれから、秘書の友川さんがパスワードを打ち込んでいる動画を野崎に送り、解析してもらった。パスワードは、”TornaDo69”。あのおばさん、ジャネオタだったのか。トルネードロックは、低迷が続くJ-POP界で唯一成功している、ジャネーズの5人組アイドルグループ。意外な事実に俺はビックリしたが、そんなことよりも、野崎からの直前の沢山の指示の変更を受けるほうが大変だった。ここに隠れろ、次はここに隠れろ、何時に見に行け、やはり30分待て、試薬リストをスマートグラスで撮ってくれ、いや、やはり、普通のスマホで撮っておいてくれ、と要求がやたらに二転三転した。
 ゆっくりと3階の実験室および教授室に向かう。やはり、格式の高い建物が緊張感を煽る。何か知らないが、嫌な予感がする。別に大したことじゃないはずなのに、と俺は思った。よほどJTSシンポジウムのときに質問させられるほうが大変だっただろう?と自分に言い聞かせた。当然ながら、誰もいない。教授室に入るには、実験室から教授室のカギをとらなくてはいけない。実験室の扉を開け、部屋を真っ暗にしたまま、カギをとりにいく。電気をつけてはいけない。これも、野崎から言われていることだ。普段とは違う実験室の雰囲気に緊張感が走る。あった、カギだ。暗くてよく見えない場合は、スマホの明かりを頼りにしてっと。スマホの画面を見ると少し安心した。たわいもないことでさっきまで話していた内容について、彼女の香奈からSMSのポップアップが入っていた。実験室の扉をゆっくりと締め、教授室に向かう。今度は教授室の扉にカギを指し、ゆっくりとカギを回し、ゆっくりと扉を開け、教授室の中を見回してから内カギをゆっくり閉めた。友川さんのPCをつける。ぼーん、という音が鳴り響き、俺はビックリする。だが、これは仕方ない。そんなに大きな音でもないだろう。デスクトップに試薬リストというファイルがあり、それを開く。月曜にチェックしたはずだが、証拠の写メを撮っていこう。2014年4月から試薬の存在記録が購入記録と一緒に残っている。購入記録を日付順にして、2014年4月から写メを撮っていく。”水酸化ナトリウム”という文字は見つからない。やはり、強アルカリで人体を溶かしているというのは、おかしいんじゃないだろうか?そう思っていると、2014年度までの写メが終わる。意外と短い。10分足らずで作業が終わった。さて、去年だ。2015年。4月なし。5月なし・・・。そして、ここは、一昨日も見た、9月だな。ここも、ないはず・・・。何っ!?俺の目に、”洗剤用水酸化ナトリウム”の文字が見える。機械のように写メを撮っていた、右手が止まる。容量は?10Lが4本。薄めて使えば、ヒト一人を溶かせる量ではある。場所は?試薬庫か。何故だ?一昨日見たときには何もなかったはず。何故?そう思いながら、やっと手が動いてくれた。写メを撮る。これだけで十分なはずだ。
 どうしてだろう?野崎率いる我々RCチームが水酸化ナトリウムを疑ったら、都合良く水酸化ナトリウムが試薬リストに追加された。こないだは絶対にこのリストには無かったはずなのに。試薬リストの更新日時を見てみる。すると、驚くべきことに、一週間前になっている。いや、絶対にこないだは”水酸化ナトリウム”の表示はなかった、俺はそう思った。化学に疎い俺でも、流石にこれは見逃さない。ここで、ふと、”午後イチ”という言葉を思い出す。あいつ?M2の原田愛菜。スマートグラスに表示された文字を読み取っている?確かに、パラレル回線上で、”水酸化ナトリウム”という文字を使ったのは、一昨日が最初だ。それをどこかで見られているのか?そう思いながら、ひとまず、秘書の友川さんのPCをシャットダウンした。その瞬間に、教授室の扉のドアノブががちゃがちゃと回りだした。俺は、硬直してしまった。内側からカギをしておいたから、ここには簡単には入れないはずだ。内カギと外カギは違うものだからだ。だが、このままではいつドアを壊され、ここに入ってこられるかわからない。どうする?どうする?!

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7. 桜タワー/『研究コントローラー』につづく

 関西弁が難しかった6話目でした。
 もう、7話目はすでに書き出してますので、次回は早いはずです。ここまで、事前に読んでくださってる、お二人、有り難う御座いました。また、来週も宜しくお願い致します。

 というわけで、意外とあっという間に、折り返し地点。12話で完結予定です。完結したら、プロットと、ネタばらしなどしますが、それまで、これに関しては、なるべく文章だけで楽しんでもらいましょ。
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「星野君の二塁打」議論後 + 予告

2016-06-28 00:48:07 | Weblog
 さて、「星野君の二塁打」について、から行きましょか。
 たなかゆうきくんとのディスカッション、信州読書会宮澤さんとの考察、東大某授業でこのブログの星野くん部分が取り上げられた、2ch拡散、、と、そろそろ落ち着いたと思うので、一応、今一度、俺が思うことを少しは書いておこうと思います。
 まぁ、とりあえず、2chでもともとスレ立てた1さんに言っときますが、あらすじ、俺のところから引用したなら、ちゃんと書いてね。いや、まぁ、あのあらすじはもともと別のブログから持ってきているから、うちをサイトしなくてもいいとは思いますけど、その、もともとのブログはすでに閉鎖されているので、じゃぁ、俺の文章ってことになるやん?え??違う。まぁ、本当のところ、その場合どうなるのかは知らんけども、その辺の微妙さを利用して、あえてサイトしてないだろ?そういうの、こっちはお見通しなんだからな!笑 あ、いや、全然いいんですよ。べつに。でも、サイトしてくれたら、もっとバズったなぁーって、ただそれだけ。まぁ、十分っちゃ十分でしたか。

 以下、Twitterに書いたことと同じですけど、まぁ、こっちしか見てない人もいると思いますので・・・。

 やっぱり、この「星野君の二塁打」を改めて今読んで、色々難しいなと思います。
 贅沢を言うなら、高校の倫理で習うレベルでイイから、ベーコンの帰納法とデカルトの演繹法を学んで、批判哲学としてのカントやって、で、最大多数の最大幸福とリバタリアン、それから、ハイデガーの存在と時間、アーレントの全体主義の考え方(高校倫理では範囲外です)を一通り触れてから、この文章読んでほしいなって思います笑。じゃないと、議論できないんじゃないかなぁと。小学生に読ませたら、「従ってりゃいいじゃーん」にしかならないと思うから道徳の教材にするなんてダメだと思うし、普通に大人が読んでも難しい。

 んなわけで、内容は超難しいんですが、「星野君の二塁打」を初見で読んだ人の最初の言葉で、俺との相性が簡単にわかるという点がおもろいです。

 以下、俺とのタイプ相性を書いておきましょう。ヒソカの「念能力の系統別性格診断」と同じで、俺の独断と偏見です笑。

 監督の言うことは絶対だよ!
 →最初は意見が合わなくても、最終ラインまで話せばわかる。「だから俺野球嫌いなんだよねー」で納得される。

 なんか嫌な話だね
 →何かを一緒にやったら楽しいかも。俺がその人のことを好きになる可能性が高い感想。
 
 他の問題を持ち出したりロジックをやたら組みまくる
 →最終的にわかりあえない可能性が高いから薄い壁くらいは用意しておかないと喧嘩になるかも。

 監督も星野くんもクソ
 →好き嫌いがはっきりわかれる。正直なところ、直感的には俺もこの感想であるため、同族嫌悪か、類友かどっちかです。
 
 これは難しい問題だね
 →問題を先延ばしにして、無かったことにして、とにかく前へ進んでいけてしまうタイプ。俺の親友たちに多い。

 と、こんなところでしょうか?
 個人的に、星野君の二塁打を読んだ第一声の感想としては、「なんかイヤだよね」という感情の部分を共有したい。そして、色々議論したあとに、最終的にこの「イヤだ」に戻ってきたいと思う。別に、嫌だよね、だけで終わっても良いのだけど。「なんかイヤ!」というベースの感情を無視してはいけないし、論理的にもそれこそが根幹なのだと思う。これは、星野君の二塁打に限らないことだ。誰かに何か言われて嫌だと思ったり、何かされて嫌だと感じたら、誤魔化さずにその感情を持ち続けないと、嫌な思いをした分だけ損じゃん!だから、せめてその存在を認めて、できれば、はき出そう!

 どんなにロジックでぎちぎちにしてみたとしても、その中心に感情や気持ちが入ってなかったら、なーんも意味ないです。
 それだったら、多少アホでも、感情だけのほうが、俺は好きです。

 感情のロジック化。俺が最も得意とするところですが、まずは、感情の存在を認めないと、何にも始まらない。あらゆる皆さんとのディスカッションを通じて、改めてそう思いました。俺とこのテーマを議論してくれた、すべての皆さん、ありがとう。たなかくん、宮澤さん、K先生、M先生、K先生のクラスの皆さん、そして、先輩、後輩、友だち、あと、2chに書き込んでくれた人たち。本当に俺は議論する人材が尽きないなぁと思います。また、やろうね。ありがとー。
 というわけで、このテーマはひとまず、おしまい!


 あと、2つ予告です。

 ネット小説「研究コントローラー」は明日あげます。一部の読者さん、お待たせしました。「6.研究者として」です。ただいま添削中。お一方がお厳しいので(とか書くと怒られるかも、、許して笑)、書直しています。いや、普通に、それだけ、今回はひどかったと思います。間違いが多かった。あと、関西弁がてきとーだった笑。完璧は無理なので、テキトウなところであげちゃいます。
 その次もプロットが定まっていまして、タイトルは「7.桜タワー」です。この6と7は対になっているので、今度こそ、7月分は早めにアップできるはずです。

 Twitterでは言いましたが、おそらく次の動画は、「ハンターハンター初見の俺が玄人と感想を語り合ってみた」になると思います。チャラい同期の「彼」が登場して、飲みながら話す予定です。お楽しみに。その前に宮澤さんともっかいやるかな?まだわかりませーん。

 んな感じで、また、よろしくね〜
 え?研究してるのか?って??論文が、、でると思う、夏中くらいには。まぁ、別に、それは、ここでもTwitterでもCMしないんだけども。え??論文書くことは研究じゃないって言ってたじゃないかって?せやな。実験もしてるで、多少・・・笑。。
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とにかくバカにしたい病

2016-06-24 00:29:46 | Weblog
 隙あらばとにかく誰でもバカにしたい病患者を、いかにして健常者に戻すか?
 これはなかなか難しい問題である。

 この病気の患者さんを発見するのは、いたって簡単。わざと間違えたことを言いましょう。自然な流れで。瞬時に突っ込んできた人が、とにかくバカにしたい病患者です。
 だいたいこういう人は、集団になったときに、ほとんど話しません。ボロを出してバカにされたくないからです。とにかくバカにしたい病患者が一番恐れているのは、自分がバカにされること、そして、いままで自分がやってきたことを全否定されること。どちらも実は大したことが無いのですが、彼ら彼女らは必要以上に恐れています。この瞬間を見つけると、可哀想で可哀想で、涙すら出てきます。って、それは流石にバカにしすぎ?笑
 バカにすること、というのは、本来、笑いに変えてしまう絶好の機会です。そこをおいしいと思えるかどうか。そんなこと言ったって、本気でバカにして冷たくしてくるヤツだっているんだじょーー!、まぁ確かに。でも、そんなヤツ、そんな発想、C下グループ(ノリの良さで一番下のグループ、のなかの最下層部)なんだから、気にしなけりゃいいのです。

 知らなかったなら、普通に教えてもらえばイイ。知っているなら、普通に教えてあげればイイ。ただそれだけやん。
 それが普通にできないのは、シッタカをするから。知ったかぶりを前提とした空気がそこに成り立ってしまっているからだ。

 これのリトマス試験紙として、エントロピー、って、すごい良い指標だよね。文系からこれをシッタカされると、めちゃくちゃ面白い。
 「片付けなきゃ汚れるってやつだろ?」『え?それって、エントロピーじゃなくて、エントロピー増大則なんじゃ』
 ただ逆に、いかにも絶対に知ってるヤツが謙遜するのもイライラするよね。
 「私なんか物性理論としてのエントロピーしか知らないので、たとえば、いわゆるホログラフィック原理におけるエントロピーなどについては何も知らないんですよ。なので、エントロピーについては全然よくわかりませんね」
 こういうヤツも、自分で分かってる。自分が叩かれないことを前提にこういう発言をしている分だけ、シッタカ前提の空気形成に一役買っていると言える。じゃぁ、どう言えば良いのかって?そうねぇー、俺くらいの理解度だったら、
 『うーん、エントロピー知ってる度、5段階評価で4くらいかな』
 って感じかな?数値化しましょう。(←まどろっこしいだろw)
 冗談抜きで言っておくと、どこの学部学科でも、普通に、熱力学(もしくは物理化学、と表紙に書かれている教科書)でエントロピー勉強したら、それで知ってるって言ってイイくらいの緩さは欲しいよね。ただ、エントロピーは物理学から出発しているので、物理学専攻の人が厳密なことや本来的な正しいこと言ってきたときに、化学ではー、生物ではー、とか言って、誤魔化そうとしないでね。めんどくさいから。

 ソース見つけてきて、「これ読んだんでしょ?」とか「これ見たでしょ?」とか言ってくるヤツも、めんどくさい。それで笑いになってりゃいいけど、コミュニケーション削ぐ感じで言ってくるヤツとか、で、お前はどうしたいんだよ?っと思うことは、めちゃくちゃ多い。

 いいんですよ。そんな、知ってるとか、知らないとか、理解してるとか理解してないとか、自分で考えた考えてないとか、そんなん、くだらない。
 あなたの価値はそんなところにはありません。とにかく暇があれば見下す素材を探したりしていないで、もっともっと、別のことに気を使いましょ。誰かに優しくするとか。ね、シッタカとか、やめましょうよ。

 ただし、15歳以下の子供とカワイイ女子の、とにかくバカにしたい病は、認めます。認めますっていうか、もっとやれ!
 俺が許します。「何が普通か」に対して必死になっている姿、いいです。めっちゃいいっす。きゅんきゅんします。もともとがカワイイ素材であれば最高なのです。カワイイは正義。若いはJustice。

 ちょっと、あなたは60代のおっさんですか?ダメです!シッタカなんてしないでね。
 え?理不尽?60代にもなって、今さらですか?人生はそもそも理不尽なんですよ笑
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気持ちが冷めたら上手くいくなんて空しい

2016-06-21 00:44:53 | Weblog
 何をしていても虚無感が漂ってしまう原因は、本質的なテーマに対してきちんとアプローチできていないからだと思う。
 ある意味、完全自由な環境に対して、ほとんど久しぶりに"反応"だけすることにしてみた弊害がでてきているのかもしれない。ぐいぐい来るものに対しては付き合い、そうでないめんどくさいことは徹底的に無視or放置することに決めて以来、ラクはラクだけど、何かが足りないという気持ちは強くなった。

 周囲に迎合したり、周囲にとっての無難を選び続けていくと、確かに失敗しないし、叩かれることもないし、ラクだし、傷つかない。叩かれたとして、陰で馬鹿にされたとして、誰とでも交換可能な、どーでもいい人たちや、何かと人の粗を探して馬鹿にすることにしか毎日の楽しみを見出せない人たちは、俺の"周囲"ではない。"周囲"とは、彼ら彼女らが、このページを見ているなんて周囲に言えないのだが、細々と生きながらも、どうにか希望を見出そうとしている人たちだ。この層の人数を増やすために、この層に対して耳障りの良い言葉を投げかけていれば、そりゃ絶対数は増える。
 だけど、それをすればするほど、こちらが本当の本当に伝えたい人は、去っていく。そういう人から、いなくなってしまう。こちらからの提案に対して、そっちが選んでるわけでしょ?、って最終ラインを確認して強がりながらも、これがめぐりめぐって最終目標になるのだ、といくら自分の心に力説しても、結局のところ、空しい現状に、一人泣いているのかもしれない。

 そう思ったら、すべてをほったらかしたくもなってきた。
 「気持ちが冷めてきたくらいが物事が上手くいくようになっていく」という法則が、あらゆる事柄に適応できるのだとしたら、空しすぎる。だったらいっそのこと、他人事として片付けたくなってくる。冷笑できたら、どんなにラクか。ずっと、思考回路のどこかでは考えていたことだ。

 だから、言ったじゃん。長くはないって。
 自分の気持ちは自分でも認識しきれないし、矛盾している感情に気がつきながらも、今は"ラク"に"反応"することをやめられない。

 想いの容量が溢れるその前に、器そのものを広げようとしなくちゃなぁ、どうにか。
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歌よ ありがとう

2016-06-20 02:47:14 | Weblog
歌よ ありがとう


 小学校の卒業式でこの歌を在校生から送られた。それ以来、この歌が大好きで、よく俺がふわっと自然に口ずさんでしまう曲の一つだ。
 入学式と卒業式で違う点は、卒業式には練習があるということだ。この歌を2月くらいから何回も何回も聴かされていたが、そのたびに心地よかった。ここまでメロディが素晴らしい曲が存在するのか、と思ったほどだ。前奏から良いし、全部良い。この歌さえ思い出せば、どんなに辛くなったとしても、生きていける。そう思えた歌だった。

 好きな歌は沢山あるけど、この歌は少し違う。長い間、俺の記憶の中だけで流れていた歌だからだ。
 公立小学校から私立中学校に進学したせいで、ほとんど誰も知らない中に飛び込んでいくとき、この歌詞とメロディはかなり助けになった。その後、県立高校に進学するときにもこの歌を思い出していたし、、思えば、この曲から、俺の移り変わり続ける人生は始まったのかもしれない。
 あの頃、YouTubeがあるわけではないし、周囲にこの歌を送られた体験がない人たちばかりになって、それこそYouTubeなどができるまで7年間くらい、俺の記憶の中だけで、この曲は再生され続けていた。
 中学時代高校時代にそれぞれ1回ずつ、放課後の教室から合唱部がこの歌を歌っているのが聴こえてきたことがあった。そっと教室の前まで近づいて、自分の記憶と整合性を確かめていた。

 いつまでも忘れられない一つの歌。まさに、そういう歌だし、その後に沢山、そういう曲が刻まれていくが、俺にとって、その先駆けとなってる一曲である。
 歌よ、ありがとう。
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「笑い」の8割は権力

2016-06-15 02:27:39 | Weblog
 「笑い」の8割は権力だと思う。
 グループ性を高めながら、場をコントロールして、おかしなことやぶっちゃけたことを言う。大衆に対して「笑ってもいい」という雰囲気に持っていくためには空気支配率をそれなりに占有することがどうしても必要で、それなくして、たとえば空気支配率が5%未満で何かふざけたことを言ったとして、それがどんなにめちゃくちゃ面白かったとしても、周囲はしらける可能性がものすごく高い。

 だから、笑いを取りたければ、まずは空気支配率を高めろ。これは鉄則である。

 周囲の空気がすでに形成されているならその空気にまずは迎合し、空気支配率を占有しているキングに次いで2番手になること。周囲の空気がまだ形成されていないなら、さっさと自分でキングになってしまうこと。あとは小さい笑いを繋いでヒット率を高めることによって、その場での権力が高まってきて、笑いが生じるまでの閾値がどんどん下がってくる。ちなみにここまで、わずか30分で行えるはずだ。空気があまりに決まり切っているような気持ち悪い集団じゃなければね。

 はじめ、「おもろいヤツ」としての権威獲得のために発する笑える話題は、こちらから事前に用意しておいたほうがいい。いわゆる「鉄板ネタ」だ。
 あまりに無理に話を誘導するのは滑稽だが、上手くこっちのほうが面白い話題だろ?という方向に持っていくことはいくらでも可能だ。そこで、手始めに、「あ、こいつ、おもろいこと言うんだ」という保障を作ってしまえ。このとき「ややウケ」で構わない。

 それで、次はノリの中から笑いを取ったりしてみる。理想は、リズム、内容、ノリのうち、どれかひとつは変えたパターンで次々と笑いをとれると良いと思う。こうやって、小さい「ややウケ」を繰り返しながら、笑いの閾値が下がっていくことに優越感を覚えよう。

 ここまできたら、あとは何もしてなくても笑いを取れるわけだが、明確な印が欲しい。
 ここで、ノリとリズムを場にアジャストして、とっておきの、悲しいぶっちゃけた話をすれば、その場にいる全員を無理矢理に笑いへと引きずりだしてくることができるだろう。

 やっぱり、笑いのうち、狙ってやる場合は、重要な要素のうち8割は、権力。
 残り1割は心が揺さぶられるか、最後の1割が偶然性。

 これさえ意識していれば、どんなに新しい場所に行っても、笑いを取れると思う。あくまで、言語が通じれば、ね。
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この気もちはなんだろう?

2016-06-11 04:11:36 | Weblog
 とにかく何かの気もちだけが強く発現してきて、自分でも実態が掴めないことはよくあることだ。
 その瞬間に、俺自身がどうしたいのかよくわからないままに、声にならないさけびとなってこみあげる、この気もちはなんだろう?

 喜びでもあるし悲しみでもある。苛立だけど安らぎがある。憧れはあるけれど、そこに到達するまでの感情は怒りによって支えられている。
 感情は常に反対側とペアになっているし、それらの強弱が時間変化していく。もう誰もがスマホを手にする時代になって、感情が変化したときにいつでも発信できるから、現代は感情そのものが押し殺されることはないのだけど、でも、そのぶん、昔よりも躁鬱の変化がはっきりと外部に漏れてしまう。あとで見直すと恥ずかしくて死にたくなるようなSNSの投稿があったりする。
 そして、心のダムにせきとめられていた、あらゆる種類のすべての感情が、溢れようとする瞬間、自分でも、わけがわからない状態になっていく。

 感情があるからこそ何もできないこともあるし、感情があるからこそ何かができてしまうこともある。何かを変化させられるチャンスを逃せば決定的に落ち込むし、何かを継続させられるチャンスを逃しても落ち込むのだけど、この"もどかしさ"こそが本質である気もする。

 全然違う世界へと地平線のかなたにむかって歩き続けたい一方で、この草の上でゴロゴロじっとしていたい気持ちもある。
 声にならないさけびとなって、こみあげる、この気もちはなんだろう?

春に (混声合唱曲集「地平線のかなたへ」より)


 (歌詞だけ聴いてると荒唐無稽ですが、曲としてのまとまりが素晴らしい合唱曲。結構好きなんだけど、意外と過去に紹介したことなかったか。
 少なくとも男はみんなそうだと思いますが、聞くなら混声4部、歌うなら混声3部が良いよね笑)
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「嫌いな人のオススメの本を読め」なんて馬鹿げてる

2016-06-09 01:43:48 | Weblog

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 昨日と合わせて過去3回ほど宮澤さんと対談させてもらって、信州読書会の会員の方や読者の方が少しはこちらにも流れている(気がしなくもない)と思いますので、このページの主旨を今一度説明しつつ(年4回くらいやってるなぁ)、たまには完全ネタバレで書いてみます。
 このページは、大前提、俺の日記です。一部お役立ち系文章やネット小説などは別ですが、俺が読み返すと、その日やその日の近辺(なるべく"その日"でやってる)に、何があったのか?わかるようになっています(開設当時から)。そのうえで、特にここ5年以内の文章では、俺自身の気持ちだけを書くわけではありません、というのをやってます。つまり、この人だったらこう思ってるんじゃないかなぁとか、こう思っている人がいるんじゃないなぁ、と考えられることを書く、という文章も沢山あります。それから、「研究」に関することや「ディズニー」以外で、主に書いているのは、「感情のロジック化」で、ほぼ必ず実在する誰かにむけて書いています。

 んなわけで、昨日は宮澤さんと対談しましたので、そのことについて書こうかと思います。(←ここがネタバレね笑)
 昨日の収録中に俺自身が言った言葉の中で一番印象的だったのは、「嫌いな人のオススメの本を読め!」かなぁと思います(一応、言っときますけど、俺は、だーい好きな人のオススメの本を読む趣味もあるからね?笑)。今日は以下の文章で、この発言に反対するであろう人の気持ちを書いてみようと思います。俺のアンチの気持ちを想像して書いてみよう。
 自分が「これは完璧なロジックだ!言語化だ!」と思ったら、それを無理矢理に否定するロジックを考える癖を付けておくと、思考力の器が一気に広がると思いますので、おすすめです。ではスタート。

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 私の良いところは、他人に何も期待しないところ、だと思っている。
 他人に何かを期待している人って疲れるし、何よりも他力本願だと思う。だって、他人に何かを期待するって、本当はあの人は純粋なはずだ!、とか、あの人は本当は優しいはずだ!、って思うってことでしょ?それって、自分が主導してどうにかしたいってよりは、誰かがどーにかしてくれるだろう、って思ってるわけじゃん。私はなんでも自分自身でやっていきたいし、自分が心から納得できる人を選びたいと思っている。

 何事も自然体が一番いいのだ。自然に集合化していく人同士のほうがフィーリングが合うし、期待していなければ、自分の気持ちが落ち込むことも少ない。
 「期待」って書き下すと、「期を待つ」って意味。チャンスは自分で掴むものだと私は思うから、「期待」って嫌い。誰かが何かのムーブメントを持ってきてくれるチャンスを待ってばかりいてもダメダメ。自分から、自分の気持ちにフィットする場所を見つけにいかなくちゃ。
 最初から期待していないんだから、コミュニティーに入ってから誰かに裏切られたとしても、全然傷つかない。他人なんてそんなもんでしょ、って思えることこそが大人だと思うし、社会で生きていくためには必要なことだと思う。

 人間関係を客観視しながら一歩引いて付き合う。これが大人だと思う。自分と合わない人に対して、変に争ったりする人って子供だと思うし、なんでもかんでも自分の想い通りになる訳じゃないんだし、たいていの場合、意見を言ったって何かが変わる訳じゃ無いわけで、時間の無駄なんだから、どうして、そういうワガママな人がいるのか理解ができない。
 でも、私はこういう子供っぽい人を避難することもしない。だって、期待していないから。まぁ、そういう変なヤツもいるよな、関わらない方が良いよな、って思える。

 そう、自分とフィーリングが合わない人とは、徹底的に関わらないようにするべきだと思うし、仕事の関係上どうしても離れられないのであれば、超表面的に付き合うべきだと思う。
 学生時代であまりにこうゆうことをクラスでやってると「いじめ」とか言われかねないんだけど、でも、大人の社会では職場はお金を稼ぐところなんだから、割り切らないとね。それに、自分が嫌いな人と同じ空気を吸っていると気分が悪くなってくるし、その日の体調も悪くなってくる。みんながイヤな気分になることを平気で言う人は案外多いけど、私は期待していないから、プライベートなシーンで無視し続ければ、いっさい負のイメージを取り込まないで済むのだ。

 だから、私は、嫌いな人が所有している物とか、嫌いな人が好きな事柄っていうのは、なるべくなら自分の領域に侵入させない方がイイと思う。
 確かに、嫌いな人が奨めている本を読むことは勉強になるかもしれないけど、読んでるその瞬間は不幸だし、嫌な気分は嫌な気分としてそのまま味わうわけだから、その先に何か素晴らしいユートピアがあるんだとしても、この瞬間損じゃん。

 彼は『嫌いな人が奨める本を読むと、自分の幅が一気に広がる』とか言ってたけど、それって自分自身が別の誰かに浸食されてるってことだよ?
 自分が無い人の典型的な意見だし、他人に期待し過ぎ。だって、嫌いな人にまで学ぶところがある、って姿勢は、聞こえはいいかもしれないけど、嫌いな人にまで自分が期待してることを認めることなんだし。

 私は自分自身を変えるつもりはないし、それをそのまま受け入れてくれる人を選びたい。
 だって、それこそが、本当の意味で幸せなことだと、私は思っているから。
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うるるんの論理

2016-06-06 02:22:08 | Weblog
 『そんなんでよく泣けるな、って思っちゃったんだよね。薄っぺらいなって』
 「K君は涙に関する敷居が高いってだけだよ」
 『そうか?あんまり理解できないんだよね』
 「だって、別れっていうだけで、その事象だけで悲しくて泣ける人は沢山いるんだぜ?」

 感情の高ぶりを極々自然なものだと矮小化するために、ヒトは演技する。そこに感動があるということを先に定義しておいてしまうのだ。
 だから、恋愛の各シーンでは、これこそが恋愛なんだ、という行為をとにかく繰り返す。その権化である結婚式まで。そこに自分の本来の感情を投影しながらも、ついには投影すべき着ぐるみそのものが本質になってしまい、感情やその対象すらを押し殺すことで、文明としての自身の地位の高さをアピールするのである。
 ここに縛られていない人間なんて、ただの一人もいない。就活にスーツを着ていく時点で、このシステムの一端を担ってしまっているからだ。

 こういう、「みんなで定義した感情の儀式」ってだけでは、俺は泣くことは絶対にありえない。不自然な不条理さや、そこに対抗しようとする心、みんなで事前に決めた感情の儀式であったとしても、その中心となっているホンモノの気持ちを感じ取れば、人一倍に感情が高まっていくが、、まぁ、それでも、滅多に泣かないからなぁ。
 やっぱり、俺って、涙の敷居が高いのかしら?

 ただ、みんなで、これはすごいものだ!、これは楽しいことだ!、これは感動して涙するものなんだ!、って定義したことに対して、それだけで感情を震わせているのだとしても、そうじゃなくて特異的な感情があるのだとしても、その感情そのものがあるということは、絶対に否定できない。どんなに否定されたって、どんなに疑わしくたって、感情は感情だもん。
 しかし、それと同様に、とことん誤魔化さないで、とことん真実を見つめようと努めるスタイルと、その滑稽さを、みんなに分かってほしいのだ。俺が大衆に対して定義的な感情への忠誠心を理解する必要があるのと同様に、大衆的価値観を絶対的な真実として信じてやまぬ人たちが(彼らにとって)特殊な考え方をする人たちへの配慮をもっともっとすべきだと思うからだ。
 たとえ、若くして亡くなった人の葬儀に参列するのだとしても、そこに自分にはどのような感情が働いているのか、自分と亡くなった人の関連性を深く考えながら、いま、この一瞬も、全世界でもっともっと幼い子達が何の学びも得られないまま殺されていく現状があって、どうして、自分は、この瞬間に、この特異的な事象に涙しているのか、考え抜く必要性が俺にはあると思う。

 感情にウソは無い。
 それを、どう、儀式的にのせるか。儀式的にのせないで、個人で味わうか。たった、それだけのことなのに、どうしてこんなにも悩まなくちゃいけないことばかりなのだろう?まったく、泣きたくなってくるぜ笑
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賢さにおける基本中の基本

2016-06-04 01:51:16 | Weblog
 本当の意味で頭がイイっていうのは、必ずしも自分の得意なジャンルに持ち込まなくても、あらゆる領域に対して自らの思考力で突破できることを指す。
 自身の承認欲求にのみ従って、一つの分野の中だけで狭く勉学に取り組んできた賢い風味を装いたいヤツにありがちなように、「○○の分野ではー」「○○の人はー」と繰り返しているようでは、本来の賢さをまだ得ていない。

 圧倒的な論理性や、きちんとした思考力をもっていれば、どんなことについてでも役に立つ。そのスポーツでしか使えないような小手先のテクニックではなく、ちゃんと筋力や基礎体力をつければ、どんなスポーツでも役に立つのと同様に、本当の意味での基礎の基礎である鍛錬を磨きながら、思考の体力を極めていくようにすれば、この混乱社会である現代を生き抜いていけるだろう。

 思考における体力は、簡単にいえば、何手先まで正確に読めるか?将棋はよく知らないが、どれほど先の分岐を読めるかが重要になる。
 当然のことだが、あくまで分岐であるので、仮説に仮説を重ねればいいというわけではない。ありえる分岐をすべて予測したうえで、求める解や抽出してきたい未来に対して、ベストなチョイスをこちらがしていくことにこそ、意味がある。
 これくらいのことすら考えていないモブキャラが世間では圧倒的大多数なので、一対一の心理的な戦いにおいて、2手先くらい完全に読めれば、だいたいはこちらの想い通りになる。
 まぁ、ただ、2手先を読む、というのは、実はかなり思考を巡らせないといけない。慣れないうちは、けっこう苦戦するはずだ。なぜなら、2つの分岐についてどちらもただの2択であったとしても、4つの原理的にありえる道順を即座に考えだし、考えていることを悟られないようにポーカーフェイスをしながら、4つのうちのたった一つのこちらが選んでほしい道順について、相手に選ばせなくてはいけないからだ。俺の思考力の基礎は物理学。こちらが場所を指定したい場合は相手に時間を選ばせ、こちらが時間を指定したい場合は相手に場所を選ばせる。これが、空間rと時刻tで分けて考えるという基本中の基本。日常生活では、これに加えて各々の感情の軸が入るが、、それらを、どちらも相手が指定したように錯覚させるために、どんな提案をすればいいか、考えていないフリをしながら、確率論的に考えていく。

 大目標達成にむけて、年単位でひっかかる暗示とテストを組み合わせながら、相手の選択肢を削っていくことで自分が欲しい未来を抽出する。それは、年単位の大目標を設定しながら試行錯誤し、パラメータを最小限にすることで自分が欲しい事実を主張する、自然科学における研究の進捗のさせ方とまったくの同値。この基本を忠実に守っていないから、ただただfigure(と著者と参考文献)が多いだけの、沢山実験しましたー、っと主張しているだけの、紙クズ論文が量産されてしまうのである。
 (ミクロに)複雑だから(マクロに)複雑です、などと主張したいのなら、論理は要らない。そんな論文に何の価値もない。複雑さのなかから単純な原理を抽出して、その単純さを操作することで未来を掌握することこそが、賢さの基本中の基本であり、自然科学の真骨頂なのだ。

 そういう意味で、今は、計画通りっちゃ計画通り。自分すら騙せている過去の目的が達成されつつあるが、、ただ、最近、そこに多様性が生じてきている気もする。

 まぁ、それはそれでいいか。
 だって、考えに考え抜いて、分岐を沢山読んだ挙げ句に、その賢さを捨てられるのが、本当の意味での聡明さや慧眼さだとも思うから。聡明さや慧眼さが、ただの賢さや利口さと違うのは、「心」(の文字)が入っている点なのだから。
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「友だちはいいもんだ」は自己欺瞞的か?

2016-06-01 02:27:49 | Weblog
「友だちはいいもんだ」


 この曲を最初に聴いたのは小学校3年生の時だ。どんな曲であっても、最初に聴いた時の感想というのはものすごく大事で、それはどんなに若かったとしてもそうだと思うのだが、俺がこの曲を最初に聴いた直後『本当にイイ曲だとは思うけど、こんなに理想的なことは現実にはなかなか無いよな』と思っていた。あまりに世間にアジャストしている人達からすれば、今の俺よりもだいぶ大人な意見だな、と感じるかもしれない。

 "One for all, all for one"というのは、キレイゴトのなかでは良いことを言っている風味があるが、よーするに全体主義を肯定化しているだけにも考えられる。全体の空気や平均(的な人の考え方)からの標準偏差内にいることこそが大事で、例えば、その軸と、手っ取り早いアンチテーゼを主体とした論理性を上手く組み合わせれば、俺たちは最強、と思っている、自己欺瞞の強いズルい人たちからすると、この曲はその哲学を象徴したような曲ではある。
 「みんなはひとりのために」は「偉い先生に従ってりゃいい、上司の指示に従ってりゃいいんだよ」という風に解釈することができるし、「ひとりはみんなのために」は「出る杭打たれないように、みんなの空気に合わせてりゃいいんだよ」という風に解釈できてしまう。

 この曲、YouTubeで観てみると、幼稚園生から小学生が歌ってる動画が多いんだけど、こんなに小さな子達に、全体主義の価値観を植え付けているとしたら、マジでヤバい。

 だが、本当にそうだろうか?本当に、多くの人々が心に持っている「なるべく周囲の価値観に合わせて、権力にはへーこらしてりゃ、無難」という自己欺瞞を認めるための、それをわからせるための歌だろうか??
 あの頃よりも子供っぽくなってしまった俺には、そうは思えない。最初の、イイ曲だ、という感想だけを抽出したい。

 「本当の友達っていうのは、目と目で物が言えるんだ」こういう友達が、何人いるか?
 「本当の友達っていうのは、言いたいことが言えるんだ」そんなにも現実社会は言いたいことも言えないのか?

 本当の友達同士、という稀有な現象だからこそ、この曲は、その尊さを歌っているように俺には思える。レアなホンモノこそが、生命としてのダイナミクスを継続させていく。
 「みんなはひとりのために」は「みんなのなかで、ひとり違う価値観を持っているヤツがいても、決して切り捨てないで、付き合い続けるための度量を持とう」という風に感じるし、「ひとりはみんなのために」は「たとえみんなから疎まれたとしても、みんなにとって、少しでも、より善くしていこうよ」という風に感じる。これを達成することが現実的にはめちゃくちゃ大変なことであったとしても、誰もそんな理想的なことは起こせないんだとしても、俺はその存在を信じている。一過性であったとしても、その瞬間の想いだけは永遠に残るということを信じている。

 俺はそう思っている。大人になっても忘れはしない。
 たとえ、深夜でも、絶交状態の相手だとしても、いつでも誰でも連絡してきてくれたら嬉しいし、それを快く迎え入れて楽しめるだけの度量を俺は持っているつもりでいる。困った時は力を貸そう、遠慮は要らない。そして、この気持ちだけは、自己欺瞞的でないことを、俺自身に対して切に願っている。
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