たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

自らを解く具体的なプログラム

2011-06-10 01:14:05 | Weblog
#include <iostream>
#include <CausalityLapack>
#include <FACT.h>
#include <idealLapack>

using namespace std;

 void Test(double *Assump){
  double FinalCondition, FirstCondition, SecondCondition,;

  FirstCondition = CausalityFunction0(*Assump);
  SecondCondition = CausalityFunction1(FirstConditon);
  FinalCondition = CausalityFunction2(SecondCondition);

  return FinalCondition ;
 }

 int main(){

  const int LL = 10; /*10でも20でも可能性がある限り、何個でも可*/
  const double Fact = FACT;
  double S[LL];

for(int s=0; s<LL; s++){
S[s]=Supp[s];
double F[s] = ideals;
}


  for(int tt=0; tt<LL ; tt++){for(int t=0; t<LL ; t++){

  double CONDITION[t] = Test(&Supp[t]) ;

if(CONDITION[t]==Fact){
  cout << "頭で考えると" << S[t] << "は正しい。" << endl;

int count=0;
 
  do{
double dm= fabs(S[t]-F[tt])/fabs(S[t]);
 count++; if(count>20){cout<<"NG"<<endl; break;}
}while(dm>0.001);

 cout << "心で思っても"<< S[t] << "はホンモノ。" << endl;

  }else if{
  cout << "頭で考えても" << S[t] << "は正しくない。" << endl;}

} }
            }
 return 0;
 }


 頭と心(理想)を考慮して、C++で、Self-Consistentに解いてみました。なんか、もうちょっと良くなる気がする。っぱ、っと、書いてみただけだから、許して。あと、当たり前ですけど、ふつうのコンピュータではコンパイルできませんので(笑)。人間じゃないとコンパイルできません。

 まぁ、感情を20回もまわしてみて、0.1%の誤差に落とすのは難しいと思いますけど、マジメならこれくらいするよな?ちなみに、F[tt]は逐一変わるってことで(その感じをもっと書ければ良かった)。自分の言葉を心に飲み込むのって、大変なんだな、こうやってみると。
 だいたいの系や、だいたいの人間は、NGって出力されちゃう気が。。笑
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Don't let the world win!

2011-06-09 03:58:16 | Weblog
 もし、あの日のあの時間、理想とは全く違う光景を偶然観ていなければ、俺は今の場所にはいない。
 この偶然があったからこそ、俺の言動が敵に対しての対応になってしまって、きつくなり、本当のことを吐き出させることになる。

 いつだって、導かれるように、その場所に到着している。この最悪の偶然が、まさか今にまで影響するとは夢にも思わず、目の前の現実にただ絶望していた。いつものメールを書きながら、その中で、輝いて見えた別の系に賭けていったから、今、この場所にいるわけで、そんな昔の自分をきちんと想い出す必要がある。
 だからこそ、外向的になること、集団主義を取り入れることの必要性がわかったし、そうなろうと思って頑張っていることは、今、ちゃんと結果になっている。

 『うーん、でも、こういう世界では違うのかなーって思って。こんなに純粋な気持ちが間違ってるわけ無いって思うんですけどね。』
 「いや、これは、どの世界でも間違ってるよ。やっぱり、いくら上だからって、人格を否定するようなことを言われたら、それは、なんかイヤだなーって思うと思うし、辞めても仕方ないと思う。」
 『そうですよね。っま、良かったかなぁ。』

 確かに、それは、世間知らずな意見なのかもしれない。集団というもの、社会というものを、全然考慮していない、戯言なのかもしれないし、やっぱり《それはそうでしょ、だって、人生なんて、ただの時間の浪費でしかないんだから。》って言葉のほうが、社会に適合するのかもしれない。

 だけど、どんなに実質的に正しくても、そんなつまらない考え方は認められない。だって、たった一人の勝手のために、みんなが泣くようなことはしたくないし、一人が泣けば、それでみんなハッピーとも到底思えない。

 楽しいことは、絶対に近くに落ちている。
 自分の気持ちを世間体なんかに毒されていないほうが、世間を知っている風になって自分の純粋な部分を捨ててしまった気持ちより、崇高な気持ちであると、俺は評価し続けていく。

 The world is no longer a romantic place. Some of its people still are however, and therein lies the promise. Don't let the world win!!(世間なんかに負けるな!)
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一体系におけるホンモノ

2011-06-08 01:16:44 | Weblog
 論理的な展開をしていって、とりあえず解が出たけど、その答えが不安になってきちゃったら、やることは決まっている。まったく別の方法で答案を考えてみることが大事。
 例えば図形問題なら思考の流れは簡単で、とりあえず幾何学的に解けたから、じゃぁベクトルでもやってみるか、って確認してみれば良い。

 汎用性があったり、とっても一般的であるんだったなら、条件を極端にして、定性的に正しいかを考えてみるって手もある。
 けど、普通みんなが知りたい系ってのは、特異的な条件下の物理学のみだと思う。

 実際には、測定方法や実験装置を変えてしまえば良いのだ。それでも前と同じような物理系が観察されるのだとしたら、それは、きっとホンモノ。
 実験には、どうしたって、個性が付きもので、その個性は主に方法や装置に依存している。観測する上で絶対に拭うことのできない系統誤差から逃れるためには、いくつかの装置で試すことが必須だ。絶対に正確だって思っていても、結構幻想で、多くのストップウォッチには3%、ほとんどの電流計には5%ほど、系統誤差が含まれているとされている(たしか(笑))。

 測定を繰り返すだけで低くなるランダム誤差なんてカワイイもんだ。同一の方法や装置を用いている限り、系統誤差は繰り返しでは拭えない。
 つまり、回数さえ重ねればイイと思っているヤツは多いけど、どんなに回数を重ねたって、ホンモノは見つからないってこと。ちゃんと理系で習うことを日常に当てはめられるなら、こんなこと簡単に理解できる。

 自分自身を装置と見なしたとき、使えるモードは、大きく3つ。思考と感情と直観。
 今まで、このページで、この3つのモードで結果が異なってしまうことばかり議論してきたけど、3つが同じ結果になっていれば、間違いなくホンモノ、こんなに嬉しいことは無いと思う。

 今現在、この基本モード3つの解がすべて同一じゃなかったとしても、未来に同じになる見込みがあるんだったら、ぶつかっていけばイイ。
 っま、そうなるのは、たいてい、感情や直観でGOサイン、思考でストップの場合かな。
 逆に、直観が習慣によるモノだって見抜いてくれるのは、思考だ。

 この3つは対等だけど、重要度が増せば増すほど、最初は思考以外で動いたほうが良いんじゃないかなぁ、って思う。どうでもイイ事は思考にしといたほうが得策なんだけど、本業のことなのに、扱っているうちに、だんだん好きになっていきました、ってのは、なんとなく信用できない。
 それでも、、ってんなら、いちいちちゃんと、思考によって得られた言葉を自分の心に飲み込むことが大事になってくる。自分自身を自己矛盾なく解かないとっ。

 3つのモードでのそれぞれの測定結果が共通になるまで、そりゃ多少は努力しないといけない。
 だけど、自分自身ってのは、生まれてきてからずっと使ってる、一番扱い慣れている実験装置なんだから、そこまで大変じゃないよっ。

 一体問題である、そこまではね。
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今更な『ありがとう』

2011-06-07 00:55:11 | Weblog
 物理的なことには敵わない。
 どんなに頑張っていても、どんなに気持ちがあったとしても、どんなに情熱を持って実際に行動していたとしても、残酷な物理現象に対しては、人は簡単にやられてしまうもんだ。

 だけど、本当に肉体的に失われてしまうのは別として、そうじゃない外部要因に関しては、運命に変えることができる。重要だなって感じとるシーンは、ちゃんと、時間が止まってくれる気がする。
 というよりも、ダメな部分だけを取り除いてくれるんだよね、偶然。それが後から思うと、やっぱ必要だったんだなー、あの時はめちゃくちゃ大変だったけど、って思う。

 もちろん、単純に、ラッキーな運命もある。でも、そういうのって、なんか忘れちゃうんだよね。

 何が足りないと思って、何を手にしようとしていたかを、きちんと思い出そう。そして、その初心からは、今の自分はほとんどブレてないことも、それはそれで運命なんだと思う。
 実質的に手にするようなモノはもう十分すぎる。手に入れるようなものじゃないモノが本当に大事だって、ちゃんと気が付いたからでしょ?

 そう気がつかせてくれたのが、どんなに最低なモノであったとしても、その表面的な部分にだけ、今、心から感謝したい。
 うん、やっぱり、心から感謝したいとき、もう、その人は、物理的にも、傍にはいないんだな、って思う。ごめん、請求してなかったポイントで全部チャラにさせて、たぶん足りないけど。

 残ってくれている、すべての方々について、これからは、そうならないようになっていけたらイイな、って心から想っている。
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不一致に負けるな

2011-06-06 02:18:24 | Weblog
 自分の立場や自分の身の程を知るために自分についての即物的なことのレベルを理解しておくことは大事だ。
 例えば、誰かに誰かのことを、変な人だよね、って言うためには、自分はその変な人よりも、普通とは何かを、確実に知っていなきゃいけない、ってこと。じゃないと、お前のが変じゃね?、ってなっちゃうからね。

 「自分の立場」とかって言葉を使うと、どうしても年齢とか先輩後輩とか、そういう言葉とリンクされがちだけど、俺が言ってるのはそういうことじゃなくて、何か言葉を持ってるということを介さない、即物的なことだ。
 自分と相手と、この意味で、総体的にどっちが上で下か。もちろん最終的にはどうでもよくなっていくけど、まず最初は、自分と相手は対等ではないということを理解して、それがどれくらいの差なのかを把握する必要があると思う。じゃないと、「違い」で想い悩めないから、ホンモノには辿りつかない。

 まぁ、よーするに、私はありのままでイイ、このありのままで評価し続けて欲しい、って思ってんじゃねーぞ、ってこった。時間発展すれば即物的な部分も良くなっていくだろうから、だからこそ、ものすごく評価しているのに、、精神的に向上心のない者は馬鹿だ。

 【じゃぁ、俺に何が足りないと思う??】
 『え?ハッキリ言ってイイの?』
 【うん、まぁ。】
 『俺も、一般からすると、あるほうじゃないから、あんまりこれを言える立場ではないけど、お前から、まったく、特典を感じない。』
 【得点?】
 『ううん。DVD特典とかの特典。』

 がないと、退屈じゃね?

 即物的な特典を数多く品質良く拾っていくためには、経験の絶対量が必要だ。すると自然に、特典が多い友達が寄ってきて、そういう情報をピックアップすることが出来て、高め合っていける。カードが多いから、カケヒキにも強くなっていける。
 薄っぺらい事だって、これは薄っぺらい、って割り切っているなら、必要なんだと思う。それが、大本命のために培っていきたい能力なのだとしたら。

 ただ、やっぱり、俺みたいに目的から逆算してばかりのタイプの人は、ホンモノの気持ちが介在してないと、スキルアップしてやろう、って心から思えないんだよね。

 多角的に動くと薄っぺらくみられて、一直線に向かうとキモがられる。難しいところですが、どちらのイイ部分も取り入れることで、批判的に統合していったらイイと思います、カントみたいに。

 『したらさー、いつもいるくせに、一人でやりたいから、って帰っちゃうんだよ?せっかくみんなもいるのに。なんか、もうダメだなって。』
 <それはどうかなぁ。だって、ほら、それって、いつもの誰かさんに似てない?>
 『あぁ。まぁ。。っていうか、いつも、すいません。』
 <それは、別にいいけど(笑)。>

 どっちのスタイルも大事。だから、歩み寄ることで向上できる関係は、即物的には、素晴らしいのだ。

 不一致も、結局は、上手く使っていける。
 一致は時間と場所を共有するために必要なことは明らかだ。でも、それだけじゃぁ、即物的に一致するからってだけで繋がってるのかと不安になる。
 だから、不一致が必要になってくる。不一致は歩み寄るために必要なのだ。でも、っま、かといって、それだけじゃぁ疲れてしまうから、不安になるけどね。

 それぞれの長所だけを抜き出していこう。
 不一致を利用することはとても大変なことだけど、その奥にある、ちゃんとした気持ちがあるんだったら、超えられない壁ではないと思し、それが出来なけりゃホンモノじゃなく、きっとホントの意味での勝者にはなれない。

 そして、この世には、この部分すらも考慮して演技できてしまう悪魔が存在していることも、決して忘れてはいけない。俺は、演技はココまで行くと、やりすぎだと思う。どんなにそれがお前のセルフアイデンティティでも。
 ニセモノは簡単に見抜けることも多いけど、どこまでいっても、ホンモノだけは、解析したって分からないのだ。人間の頭ではね。
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ホントのこと言わないで

2011-06-04 01:49:11 | Weblog
 いつもいつも、グレーゾーンが上手くなれたら、って思う。
 だけど、そんなに器用じゃないから、どうしたって、キツイ言い方をしてしまって、ストレート。だって、それしか手法を知らないから、冷たくなるしか、冷酷になるしかないじゃん。

 いくら本当のことだって言われたくないことは俺だってあるし、絶対に触れちゃいけないラインって、ものすごくハッキリしていて、守ってる。
 のくせに、察するのは難しいから、つい具現化しがちで。

 『でも、あってるかあってないかはそうですけど、伝わらないと意味が無いじゃないですか。』
 〈そうかなぁ。物理学によって得られた思考力で、確実にこっちが真実を掴んでいるってわかったら、もうそれで満足できるんじゃないかな。だって、こっちがあってるんだから。〉

 それは、ある意味では正しい。
 だけど、堅くない、柔らかい事象に対しては、思考力が矮小化され続けるから、やっぱり、伝わってなんぼだって、僕は想います。

 何を信じるかは自分次第だけど、自信をもって、極端な妥協をしなければ、ホンモノは目の前に存在しているのかも?
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目の前の真実に

2011-06-03 02:05:45 | Weblog
 数学の問題は、一ヵ所でも間違えたら正解に辿りつかない。
 ある程度ちゃんと勉強したことがあれば、そんな恐怖に、初めのほーで出会うと思う。

 ずっと同じものを扱っていると、こういう最初の頃の当たり前の感情を忘れがちだ。最初に想った事はだいたい最後まであっていることが多いから忘れちゃいけないんだけど、今日、実験結果をみて、やっぱりこの思考(感情?)って大事だな、って改めて思い知らされた気もする(すいません、具体的な内容はここでは言えませんけど)。
 必要な変数を沢山ある関数の中にきちんと通過させるのは、大変なことだ。そんな面倒なデータよりも、目の前で見えていることの方が、真実に近い。それをいかに、より一般的な指標に持っていて、ディスカッションするかが大事。

 だから、自分が信頼していればいるほど、好きであればあるほど、関数を介して、渡してはいけないと思っている。すべてを「ありのまま」に、それで認めてもらった方が、、だって、どんなに本当のことでも、演技力なんて、脆いから。

 もう、能力があることをかうことも、能力がないことをかわれることも、こりごり。

 そして、それから、逆も。
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作り笑いでもイイんだって。 2

2011-06-02 03:28:51 | Weblog
 俺は、何を隠そう、顔に出やすい。
 だから、どうにか出さないように気をつけよう、ではなくって、思い切って、むしろ強調して出っしゃえ、って思ってる。自分の特性を活かす、って、大事じゃね?

 その言葉を聴いて、自分が落ち込んでるなって思ったら、思い切って、その表情をもっと強調して出すようにする。少しでも緊張してたら、こうしたら緊張してる感がもっと出るかな~、とか考える。
 で、そういうのって、本当の感情を隠すのと同じくらい努力が必要で、思い切って怒ってる表情を出しても、全然気が付いてくれない無頓着なヤツもいたりするから、まだまだかなー、って思ったりもする。

 え?ほら、こんなに感情を表情に出してるんだからさー、っで、こう思うってことは、いくらなんでも、もう分かるでしょ??って思っても、感度が悪いと全然。
 まぁ、感じとってるけどリジェクトされてるのかもしれないし、受け取ってるけどどうしたらイイのかわからないのかもしれないし、時と場合と人によって色々だけど、普通、そういうのって、待ってくれないんじゃないかなぁ、白黒はっきりしろよ、って迫ってくる気がする。

 俺は、能力みたいな即物的なステータスがあることはもちろん、無いことも、プラスにもマイナスにも、考慮に含めない。本当に、即物的なコト以外だけを超重要視しますけど、一般社会じゃ、そうはいかないんじゃないかなぁ。

 っま、これに関しては、一般社会がオカシイ気もするけどね。

 単純に、能力があるから選びました、とか、逆に、能力が無いから選びました、とか、ルックスが良くて選びました、とか、ルックスがダメだから選びました、とか、お金があるから選びました、とか、お金が無いから選びました、とか、そういうのって、これらの言葉自身がいかに表面的でも、不安で仕方なくなっちゃう気がするんだけど、そんな当たり前の感情すら、きちんと確認しなくちゃいけないなんて、なんてメンドクサイ社会なのでしょう。

 それくらいのことって、20年も生きてりゃ、痛い目みるだろ、一回くらいは。即物的なコトで評価されることがいかに空しいか、その時の感情をきちんと覚えてるだけの暗記力も無いのかっ。いくら年号覚えられても、公式暗記できても、それじゃぁ意味ねーだろ。
 だから、俺、本当の意味で頭悪いヤツって嫌い。メンドクサイから。

 もっとシンプルに、物事を考えてみて欲しいな、って、一般社会様には思います。
 例えば、面白いってちょっとでも思ったら、大きく笑ってあげることも、立派な能力だと思っていますが、重要なのは、その行為が、優しさを伴っているかどうかであって、そんなこと、当ったり前じゃないかっ。

 (ちなみに、前回は、2009-04-27です。内容の感じが似てたので、同じタイトルにしてみました。)
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地球の物事に飽きたところよ

2011-06-01 01:11:55 | Weblog
 なんか、ホント、ここ最近だけど、地球という閉空間にいる限り、つんでいるんじゃないか、って思えてきた。笑

 何かに縛られたくないなら、自立するしかない。あれ、じゃなくて、自律かな?
 まぁとにかく、自分ですべてをやっていくしかない。っか、自分が好きな人に従う。

 っで、自分一人がトップに立ってやってく、って結論にずっと達してきたけど、だいたいのモノは世界に行きわたってるし、突発的に何か新しい産業が生まれるとも思えない。生まれたとして、既存のグループが行うしかないくらい、科学技術が発達してしまった。
 大きな集団にとりあえず入って(おいて)、時間が経つまで我慢してればいいじゃん?、って、そりゃそうだけど、そんなの楽しく無いじゃん。

 最近の新しい感じって、どんなんだろう、GREEとかか。あっ、そういえば、無所属の理論物理の研究者がいる、って話を聴いたことがある。
 論文とかどうやって読んでるんだろう?いちいち買ってるのか。っていうか、理論なら余計に、お金はどうしてるのかな?何かお金になるような理論やプログラムが書けるとも思えないし。

 うーん、困ったなー。っで、俺が出来ることの中に、凄まじく金になりそうなのは無いしね。強力な手に職が無いんです。無難に楽しめてそこそこのお金がもらえる、俺が持ってる言葉は、教員免許くらいか。

 ガチで自己PRをするなら、、僕は、自然科学全般に広く明るく、教育学も適度に学び高校の教員免許が数理の二科目あり、実験もプログラミングも一応でき、音感が良く、ピアノとギターとドラムがそれなりにできて、人間関係に対して独自の理論を展開できる。
 どれも中途半端な感じなんだよねー。

 っま、つまらないことを楽しむことにかけては、俺は天才的だと思ってますけど。
 あと、本当の意味で通じ合ってる友達が多い、とかは、マジで強みだなって思います。

 教育学に知見があるとこから、カウンセリングとかしてみるか。自然科学も交えて思考して、お客さんをサンプル数とみて、誤差解析しまくる。プログラミングでシミュレーションとかしても良いかも。っで、音楽セラピー。それを本にする。
 おお、鬱産業。これはいけるんじゃないか??新しいし、俺が知ってる限りまともな本無いし、理系ってこういう人間関係的something苦手だし、って、もう、3年近く同じこと言ってますけどね。笑

 ただ、本当の意味で楽しむためには、理想的になるには、もう、世界的を超えて、宇宙的にならないと、たぶん無理なんじゃないかなぁ。
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