たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

最後の最高のプレゼント

2020-09-21 05:11:58 | Weblog
 この世界は、俗物的なモノ(ルールや慣習)と魂的なモノ(気持ちや価値観)の相互作用を上手にコントロールすることによって、学びを得ることができるし、本当の意味で成長することができる。
 よく間違えてしまうのは、俗物的なものを重要視しすぎてしまい、個々人の気持ちや価値観等のヒトの根幹となっている事柄を蔑ろにしてしまうことで、他者を傷つけてしまう状態になってしまうことだ。手段が目的化してしまうのである。それは往々にして、クズの状態になってしまう。

 しかしながら、その逆に関しても、クズの状態になることは、あまり認識できていない人が多いらしい。
 気持ちは純粋だから、価値観は素晴らしいから、魂は綺麗だから、という大義名分さえあれば、俗物的なことについては無視して良いとしてしまえば、それも同時にクズ的な行為になってしまう。
 こんなに大好きだからしつこく付きまとっても良いよね?、君はこの仕事が大好きなはずだから給与が出ていない時間帯でも働いてくれるよね?、こんなに純粋な気持ちだから卑怯な手段や根回しをしたり、突然にアプローチして理想を押し付けても成り立つはずだよね?、というのは、相手の俗物的な準備を考慮しなさすぎて、ただの自分勝手で、ただの押し付けで、クズになってしまうのである。

 僕らは、時間と空間で規定される、この現実世界に生きている。だからこそ、ルールや法則性はそれなりに重視されるし、もし気持ちだけですべてが成立するならば、この世界には存在しないはずなのである。もちろん、だからといって、この現実世界でも感情や気持ちは存在してしまうわけだから、それを無視してしまうことも同じようにダメダメ。魂をこの世界にどのように具象化し、そこで得られた知見をどのように魂に持ち帰っていくか?ここって、ただそれだけの場なのですよ。

 そんな大前提を無視して、最後にルールだけを持ち出したり、最後に気持ちだけを持ち出してしまうクズ性こそが、最も俺が拒絶した結果であるにも拘らず、垣間見るアプローチのやり方がまったく変わらずクズのままであると、自分の選択に間違いがなかったと確信させてもらえる。

 自分の人生をドラマとした時、シーズンが変わったのである。
 特に重要でない脇役や以前のシーズンのメインキャストからのハートフルな摂動に対して、当然のようにハートフルな対応を期待され、その要求に応えたとしても、何も学びがない。確信させてくれて、ありがとう。

 それこそが、俺への最後のプレゼントなのであれば、有り難く受け取らせてもらおうと思う。
 手にしてみると、自然と笑みがこぼれてくる。だって、これまでくれたどんなプレゼントよりも、最高なのだから。

 周囲を見渡すと、今シーズンのメインキャストがずらっと並んでいる。さぁ、俺らで物語を繋げていこうぜ。
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