現実がどうしようもなくなればなるほど内なる心の声に耳を傾けていたくなる。
だって、自分で能力をつけて打破するなんて程遠くて、そういったこと以前の問題で、私の環境をガラと変えてくれるかもしれない誰かに想いを馳せるしか術が無い。
生きるためとはいえ、それをストリップするなんて羞ずかしいし、とてもじゃないけど履歴による影響でそんなことはできっこない。それでも、正論は残酷で、"マイナスになってしまったらゼロになるまで自分で頑張らなくちゃ"と。
小学生の頃はまだ良かった。近隣にある全然別の学校に行きさえすれば、異世界感を味わえたのだから。全然違う国に行ってみるよりも、いつも知っている状況の中で少しだけ違うほうが当時の私にとって世界が広がるような気がしたから。それも中学、高校と、学年を上がってゆくたびに、すべてが色褪せて、こんなものか、と思うようになってしまう。それは全く別の国に行ってみても同じで、私を取り巻く環境の変化の無さに戸惑うばかり。
だから、何も起こるはずがないと決めつけて、起こりそうな現実に目をつむってきた。そのほうが頑張ってきた現在と過去の私自身を、どんなに滑稽で無駄だと思われても、くだらない作業だと言われても、私にとっての努力を繰り返すことが無駄ではないということが補償され続けるから。
それをも貴方は嘲笑し、『賢くなったぶんだけ夢が見られなくなったんじゃ、賢くなる意味が無い』と言い放つでしょう。
確かに、私のような末端の人間が、、つまり、繰り返していさえすれば良いと考えるような人間が現れた時点で、その分野は消滅の一途を辿る。偉そうに腕を組んでるラーメン屋に未来はないように、入ってくる人間を選び始めたサイエンスが崩壊の危機を迎えたように、どんな形でも、あらゆる可能性を受け入れることこそが環境変動に強い秘訣なのに、これしかダメだと私の理想を社会全体に押し付けた瞬間にきっと未来に崩壊する。
でもね、そんなに甘いものじゃないの。価値観が違うから受け入れられないというのは、それだけ過ごしてしまった、その人の履歴を否定できない弱さによって生じるものなのだから。
理想を捨てて、ただがむしゃらに走れるだけのプライドの無さを含んでいる人には、決してわからないでしょ?
そして、そこまで達観視できる私は、何も感じていないよりもマトモだと思いこむことに、自分のレゾンデートルをおいていく。
環境のせいでマイナスになったのだから、環境のおかげでプラスに戻って行くべきで、そんなささやかな望みを、意志がない、とか言わないで!
・・・・・・・・・
もしかしたら俺らは、退屈な日常に、意味を求めすぎているのかもしれない。俺は、すべてにおいて意味なんて何も無いとわかりきっていると思っているからこそ、『それって何の意味があるの?』と余裕を持って誰かに訊けるのだ。大義名分を言い放ってもらって、その人の生きざまを垣間みてみたいから。
意味なんて何も無い、どうせ死んでしまうのだから、と、貴女と違って、本当の意味で思いこんでいるから。
ホンモノなんて無くても、意味なんて求め続けなくても、楽しく生きて行くことはできる。むしろ、意味を求めすぎて、ホンモノを欲しすぎて、苦しくなるほーが生きて行くことは難しいのかもしれない。
ただ、だからこそ、きちんとホンモノを求め、きちんと意味を求め続けてゆくことが楽しい。だって、それを求め続けている人は確実にいるわけで、この仮想的な目標に仮想的なみんなで挑戦していくなら、それは、まだ知らないかもしれない、出会ってるかもしれない、誰かとどこかで運命的に繋がる可能性を保持し続けられるから。
そう、だから、他人任せで、自分の意志がなくて、提出期限ギリギリなのは、本当のホントは、俺のほーなのです。
いつだって手っ取り早い御座也の現実を語ることはできる。「現実は厳しいのだ、生きていくためには、これくらいのことでへこたれてはいけない。生きて行くためには。生き残るためには!」と胸を張って偉そうには決して言うことができないような台詞を、みんなのように、偉そうに胸を張って言い放つことは、いつでも簡単にできる。
だとしたら俺は、甘ったれのバカみたいな理想に、いまはまだ、想いを馳せていたいと思いながら、今年を締めくくろうと思う。
来年もそう思いながら、いつか理想を現実にできたら良い。自分が想像できてしまうくらいの理想は、いつだって現実に叶ってきたのだから。
だって、自分で能力をつけて打破するなんて程遠くて、そういったこと以前の問題で、私の環境をガラと変えてくれるかもしれない誰かに想いを馳せるしか術が無い。
生きるためとはいえ、それをストリップするなんて羞ずかしいし、とてもじゃないけど履歴による影響でそんなことはできっこない。それでも、正論は残酷で、"マイナスになってしまったらゼロになるまで自分で頑張らなくちゃ"と。
小学生の頃はまだ良かった。近隣にある全然別の学校に行きさえすれば、異世界感を味わえたのだから。全然違う国に行ってみるよりも、いつも知っている状況の中で少しだけ違うほうが当時の私にとって世界が広がるような気がしたから。それも中学、高校と、学年を上がってゆくたびに、すべてが色褪せて、こんなものか、と思うようになってしまう。それは全く別の国に行ってみても同じで、私を取り巻く環境の変化の無さに戸惑うばかり。
だから、何も起こるはずがないと決めつけて、起こりそうな現実に目をつむってきた。そのほうが頑張ってきた現在と過去の私自身を、どんなに滑稽で無駄だと思われても、くだらない作業だと言われても、私にとっての努力を繰り返すことが無駄ではないということが補償され続けるから。
それをも貴方は嘲笑し、『賢くなったぶんだけ夢が見られなくなったんじゃ、賢くなる意味が無い』と言い放つでしょう。
確かに、私のような末端の人間が、、つまり、繰り返していさえすれば良いと考えるような人間が現れた時点で、その分野は消滅の一途を辿る。偉そうに腕を組んでるラーメン屋に未来はないように、入ってくる人間を選び始めたサイエンスが崩壊の危機を迎えたように、どんな形でも、あらゆる可能性を受け入れることこそが環境変動に強い秘訣なのに、これしかダメだと私の理想を社会全体に押し付けた瞬間にきっと未来に崩壊する。
でもね、そんなに甘いものじゃないの。価値観が違うから受け入れられないというのは、それだけ過ごしてしまった、その人の履歴を否定できない弱さによって生じるものなのだから。
理想を捨てて、ただがむしゃらに走れるだけのプライドの無さを含んでいる人には、決してわからないでしょ?
そして、そこまで達観視できる私は、何も感じていないよりもマトモだと思いこむことに、自分のレゾンデートルをおいていく。
環境のせいでマイナスになったのだから、環境のおかげでプラスに戻って行くべきで、そんなささやかな望みを、意志がない、とか言わないで!
・・・・・・・・・
もしかしたら俺らは、退屈な日常に、意味を求めすぎているのかもしれない。俺は、すべてにおいて意味なんて何も無いとわかりきっていると思っているからこそ、『それって何の意味があるの?』と余裕を持って誰かに訊けるのだ。大義名分を言い放ってもらって、その人の生きざまを垣間みてみたいから。
意味なんて何も無い、どうせ死んでしまうのだから、と、貴女と違って、本当の意味で思いこんでいるから。
ホンモノなんて無くても、意味なんて求め続けなくても、楽しく生きて行くことはできる。むしろ、意味を求めすぎて、ホンモノを欲しすぎて、苦しくなるほーが生きて行くことは難しいのかもしれない。
ただ、だからこそ、きちんとホンモノを求め、きちんと意味を求め続けてゆくことが楽しい。だって、それを求め続けている人は確実にいるわけで、この仮想的な目標に仮想的なみんなで挑戦していくなら、それは、まだ知らないかもしれない、出会ってるかもしれない、誰かとどこかで運命的に繋がる可能性を保持し続けられるから。
そう、だから、他人任せで、自分の意志がなくて、提出期限ギリギリなのは、本当のホントは、俺のほーなのです。
いつだって手っ取り早い御座也の現実を語ることはできる。「現実は厳しいのだ、生きていくためには、これくらいのことでへこたれてはいけない。生きて行くためには。生き残るためには!」と胸を張って偉そうには決して言うことができないような台詞を、みんなのように、偉そうに胸を張って言い放つことは、いつでも簡単にできる。
だとしたら俺は、甘ったれのバカみたいな理想に、いまはまだ、想いを馳せていたいと思いながら、今年を締めくくろうと思う。
来年もそう思いながら、いつか理想を現実にできたら良い。自分が想像できてしまうくらいの理想は、いつだって現実に叶ってきたのだから。