たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

あなたと私の理想と現実

2014-12-31 01:29:48 | Weblog
 現実がどうしようもなくなればなるほど内なる心の声に耳を傾けていたくなる。
 だって、自分で能力をつけて打破するなんて程遠くて、そういったこと以前の問題で、私の環境をガラと変えてくれるかもしれない誰かに想いを馳せるしか術が無い。

 生きるためとはいえ、それをストリップするなんて羞ずかしいし、とてもじゃないけど履歴による影響でそんなことはできっこない。それでも、正論は残酷で、"マイナスになってしまったらゼロになるまで自分で頑張らなくちゃ"と。
 小学生の頃はまだ良かった。近隣にある全然別の学校に行きさえすれば、異世界感を味わえたのだから。全然違う国に行ってみるよりも、いつも知っている状況の中で少しだけ違うほうが当時の私にとって世界が広がるような気がしたから。それも中学、高校と、学年を上がってゆくたびに、すべてが色褪せて、こんなものか、と思うようになってしまう。それは全く別の国に行ってみても同じで、私を取り巻く環境の変化の無さに戸惑うばかり。

 だから、何も起こるはずがないと決めつけて、起こりそうな現実に目をつむってきた。そのほうが頑張ってきた現在と過去の私自身を、どんなに滑稽で無駄だと思われても、くだらない作業だと言われても、私にとっての努力を繰り返すことが無駄ではないということが補償され続けるから。
 それをも貴方は嘲笑し、『賢くなったぶんだけ夢が見られなくなったんじゃ、賢くなる意味が無い』と言い放つでしょう。

 確かに、私のような末端の人間が、、つまり、繰り返していさえすれば良いと考えるような人間が現れた時点で、その分野は消滅の一途を辿る。偉そうに腕を組んでるラーメン屋に未来はないように、入ってくる人間を選び始めたサイエンスが崩壊の危機を迎えたように、どんな形でも、あらゆる可能性を受け入れることこそが環境変動に強い秘訣なのに、これしかダメだと私の理想を社会全体に押し付けた瞬間にきっと未来に崩壊する。
 でもね、そんなに甘いものじゃないの。価値観が違うから受け入れられないというのは、それだけ過ごしてしまった、その人の履歴を否定できない弱さによって生じるものなのだから。

 理想を捨てて、ただがむしゃらに走れるだけのプライドの無さを含んでいる人には、決してわからないでしょ?
 そして、そこまで達観視できる私は、何も感じていないよりもマトモだと思いこむことに、自分のレゾンデートルをおいていく。

 環境のせいでマイナスになったのだから、環境のおかげでプラスに戻って行くべきで、そんなささやかな望みを、意志がない、とか言わないで!

・・・・・・・・・

 もしかしたら俺らは、退屈な日常に、意味を求めすぎているのかもしれない。俺は、すべてにおいて意味なんて何も無いとわかりきっていると思っているからこそ、『それって何の意味があるの?』と余裕を持って誰かに訊けるのだ。大義名分を言い放ってもらって、その人の生きざまを垣間みてみたいから。
 意味なんて何も無い、どうせ死んでしまうのだから、と、貴女と違って、本当の意味で思いこんでいるから。

 ホンモノなんて無くても、意味なんて求め続けなくても、楽しく生きて行くことはできる。むしろ、意味を求めすぎて、ホンモノを欲しすぎて、苦しくなるほーが生きて行くことは難しいのかもしれない。
 ただ、だからこそ、きちんとホンモノを求め、きちんと意味を求め続けてゆくことが楽しい。だって、それを求め続けている人は確実にいるわけで、この仮想的な目標に仮想的なみんなで挑戦していくなら、それは、まだ知らないかもしれない、出会ってるかもしれない、誰かとどこかで運命的に繋がる可能性を保持し続けられるから。

 そう、だから、他人任せで、自分の意志がなくて、提出期限ギリギリなのは、本当のホントは、俺のほーなのです。

 いつだって手っ取り早い御座也の現実を語ることはできる。「現実は厳しいのだ、生きていくためには、これくらいのことでへこたれてはいけない。生きて行くためには。生き残るためには!」と胸を張って偉そうには決して言うことができないような台詞を、みんなのように、偉そうに胸を張って言い放つことは、いつでも簡単にできる。

 だとしたら俺は、甘ったれのバカみたいな理想に、いまはまだ、想いを馳せていたいと思いながら、今年を締めくくろうと思う。
 来年もそう思いながら、いつか理想を現実にできたら良い。自分が想像できてしまうくらいの理想は、いつだって現実に叶ってきたのだから。
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年賀連絡解放宣言

2014-12-29 03:42:13 | Weblog
 えーっと、ここで大々的に言っときますが、年賀LINE、年賀メールは、今年に関しては行いません。っていうか喪中だし。
 このブログを確実にみてるであろう人から年賀連絡が来た場合は、マジで無視しますから。

 もうねぇ、とりあえず、今年は、ってことにするけど、、一昨年くらいから飽きました。そもそも年賀状ってのは、人と人との関係性を確認するみたいな、繋がりを意識する、みたいな文化なわけですが、FacebookやLINEで年がら年中繋がってしまってるわけで、意味無いっしょ?
 だいたい、最近年賀メールしてくるのって、一斉に送ってくるヤツしかおりませんぜ。LINEに至っては、どっかで落とした年賀用のスタンプだけとか、、そんなんに反応しなきゃいけないほど、落ちぶれてねーんだよ、こちとら。

 というわけで、LINEカードアプリ等を使って、凝って送ってきた方には、返しましょう(笑)。それ以外にも、俺が感動すれば送り返します。

 Preziで年賀状つくってみたりせーや。俺はしないけど(笑)
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想いの容量

2014-12-28 03:23:21 | Weblog
 いつの間にか年末ですが、いやー、久々に、色んな友達と会うと楽しいなぁって思います。
 俺の友達ってクズ系真面目が多いので、斜に構えてないインテリと話してると元気が貰えます。クズに見せかけた真面目ってのは、俺、たかはしけいの目標でもあるし、なるべくなら死ぬまでずっと継続していきたいスタイル。もちろん、真面目系クズの友達もいるし、真面目系真面目の友達も、クズ系クズの友達も好きですけどね。

 今年は本当に色んな事がありました。この一年も、すべての事柄を、決して忘れないと思います(このブログを読んでれば、俺の記憶力の良さがわかってるでしょ?笑)。総じて良い一年だったと想います。
 ただ、このまま学位を取ってイイのかなぁ、と思い悩む部分もあって、というのも、理想はもっともっと高くて、想い描いていた学生最後の能力に達しているかなぁと思わなくはないです。まぁ、高校のころとか、大学のころとか、それからすると今の俺はだいぶ能力もついたし、この一年も能力がかなり上がったので、強引に前に進んでいこうと思っている年末。

breath ~想いの容量~ by Sowelu


 そういえば、今週の初めに、この曲のタイトルを思い出せない、って夢をみました。寝てる時の夢の話とか、マジで、どーでもいいですが。笑
 音楽マニアの俺からすると、現実にこの曲を忘れるなんてありえないわけですが、ある種何かのメッセージかなぁっと思ったりもしました。この曲を聴きながら落ち込んで立ち直った頃のことを、ここ数年、すっぽり忘れていた気がするし。

 この一年としては悔みながら過ごしてしまう事柄はいくつかあるけれど、必ず自分の気持ちとして思うように行動はします。取り残さない。
 "色のついた世界に戻そう!"
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クリスマスソング2014

2014-12-24 01:03:53 | Weblog
 今年のクリスマスイヴも昨年に引き続き特にネタがないので(すいません)、また、ふつーに(?)、今季に好きなクリスマスソングを紹介します。
 まずは、、

Hark! The Herald Angels Sing - Pentatonix


 唯一2014年発売の曲を紹介しますが(といってもカバーだけど)、Pentatonixのhark。もともとこの曲好きなんですが、harkのグルーヴを途中でガラッと変えて、思いきって、はねてるところが好きです。正直かなり思い切ったと想います。
 hark紹介してるのに、なんでTake6じゃないんだ!?とかtraditionalなアカペラ信仰者の誰かさんに文句言われそうですが、うるせー、俺のブログなんだここは、そんなこと言ってるから音楽がどんどん廃れる、って言うてんねん(笑)。って、まだ批判されてもいないのに、仮想批判に批判する俺。クリスマス、クリスマス、聖なる夜、、落ち着いて(笑)。
 過去に紹介しましたが、Take6やThe Blendersも、もちろん好きなんですが、まぁ新しい風を吹かせた彼らもイイかな、っと思いまして。

"Someday At Christmas" - Stevie Wonder Cover


 Stevie Wonderの名曲Someday at ChristmasをMiracle Vell Magicがカバーしてるんですが、これも今年良く聞きました。ベルちゃんが自分の世界に入ってる感が音楽的に凄くいい(んだけど、普通にしてりゃ結構タイプなのに笑)。他にもリトルマーメイドのPart of your worldとかカバーしてるんですが、それも好きです。ってか、何者なんだろ?この人。
 陽気な感じで結構真剣な歌詞です。クリスマスがなんのためにあるかを学びましょう。なんて他のクリスマスソングにはなかなかありません。

three NATION - who is it?


 この曲、全然有名じゃないんだけど、高校の頃からめちゃくちゃ好きで、毎年このページで紹介しようと思うんだけど色んな理由でずっと紹介して無かった、クリスマスソング(たぶん、クリスマスソングだと想います笑)。「on and on and on and on and lonely」のラップに合わせてJUNが裏で歌ってるのが特に好き。
 まったく有名じゃないだけあって古い曲なのにPVすらまともに見当たらないのだけど、確かただ走ってるだけなんだけどPVも結構よかったんだけど、なんであの時代でこれが売れなかったんかなぁと思います。あと言いたいのは、、こいつら活動しろよマジで。

Connie Talbot - Heal the World


 Heal the Worldは明らかにクリスマスソングじゃないですが、なぜか街中でこの時期によく聞くので(俺だけ?)挙げときます。俺がMicheal Jacksonの曲で一番好きな曲がHeal the Worldなんですが、それを天才少女Connie Talbotがカバーしたバージョン。
 完全な天性で歌っていた彼女ですが、この曲を聴くと、努力して歌っているな、っていうのが感じとれて、より良いなって思いました。また、新しい世代がこれを歌うことの意義もあると想います。

Christina Aguilera - Have Yourself A Merry Little Christmas


 Christina AguileraとBrian McKnightの2人のデュエットは前にも紹介したんですが、こちらのライブのほうが良いのでもっかい挙げときます。俺がクリスマスソングのメロで一番好きなのはたぶんこれです。まぁ、アリーmyラブが好きな俺としてはVondaの歌うバージョンも好きなんですが、歌唱力で言うとこの2人が一番です。
 どうかささやかなクリスマスを過ごして欲しい、という願いが素直に伝わってくるし、最高です。これ以上ない2人がこれ以上なく歌っています。

 というわけで、5曲、挙げてみました。
 では、メリークリスマス。
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サンタクロースは実在するのか? -The man with the bag-

2014-12-21 03:04:44 | Weblog
 君は改札を出てすぐ左にあるショッピングモールに入っていく。このモールができてから、いつも特に用があるわけではないのだが何故か吸い込まれるように入ってしまう。とはいっても、この施設ができてもう7年も経つわけだけど。
 エスカレーターを降りようとして、ふと、White X'masと書いてある文字に気がつく。

 『クリスマス戦略かぁ』
 と君はつぶやいてみたが、このモールができる前のことなどきっと知らないであろう子どもたちが、この商業的なお祭り騒ぎを心待ちにしているかと思うと、くだらない現実などどうでもよくなってくる。そして、いつもこの時期になると、君はこう考えている。
 『サンタクロースって本当にいるのかなぁ?』
 え?君はもう大人じゃん。きっと、君が目の前で見ている子どもたちのなかにも、サンタの存在を信じていない子だってたくさんいるんじゃない?

 そう想うよりも前に、君はどうしてもサンタの実在を論理的に考えてしまう。現実的に絶対に当たることがないとわかっている宝くじを買ってしまうのと同じような感覚で、
 『15歳未満の子どもの数はだいたい20億人。一晩で、これだけの数の子どもにプレゼントを配るためには、1人にかけられる時間は…。いや、待てよ、時差だってあるわけだから、サンタの夜は長いぞ。とりあえず日本だけで考えるなら、、9時間で1600万人ってことだから、、1人にかけられる時間は0.002秒。サンタが仮に1000人いても1人あたりにかけられる時間は2秒ってわけか。うーむ』
 待て、その前にどうやってソリが飛ぶんだよ?
 『へ?それはどうにかなるっしょ』
 なんないでしょ。と徐々に分かりはじめると、君はすべての論理を無意味にすることを楽しむように、君自身に対して小さくこう言い聞かせる
 『でも、サンタの赤って、コカコーラの提供なんでしょ?』

 『うわぁ』
 大丈夫?
 『うん、ちょっとびっくりした。いきなり後ろから、子どもが走りでてきたから』
 仕方が無いよ、子どもはクリスマスでうかれているんだから。お目当ての本も手に入ったことだし、そろそろ戻ることにしようと、君はエスカレーター上りの右側を悠然と歩き始める。
 『きっと今日だけでも、サンタは本当にいるのか?、という論議が世界中のいたるところで行われているはずだ。もともと、サンタは本当にいるのか?という論議は、1897年に8歳の女の子Virginia O'Hanlonがニューヨーク・サン新聞にあてて書いたもの。"Is there a Santa Claus? Because all my friends tell me it's stupid to believe." その答えは、"Yes, Virginia, there is a Santa Claus. He exists as certainly as love and generosity and devotion exist, and you know that they abound and give to your life its highest beauty and joy."』
 君は君が一番好きなドラマで語られた一節を正確に想い出す。
 『確かに、サンタを信じられなくなるなど、寂しすぎる。しかしながら、論理が得意なせいで、サンタを信じられなくなってしまっている。それは結局のところ、論理を先行しすぎて理想を語るのがバカバカしくなってしまった、賢いぶっている可哀相さとカワラナイのではないか』

 そして、君は、毎年のように行きつく、いつもの収束を心の中で唱える。
 『そう、実存する現実の世界では、確かに親がこっそりサンタを演じている。だが、それは魔法よりも魔法らしく、ありふれた映画にでてくる不思議さよりも遥かに不思議なことなのである。なぜなら、親たちが演じていると勘違いしているサンタは紛れも無い実存であり、大人たち一人ひとりが子どもを愛し、思いやる心を持っていることが世界中で比較的平等に同時に発現されることそのものが、何よりもかけがえのない、どんな奇跡よりも奇跡で、現実にサンタが存在する証拠ではないか。いわば、大人たち全員で仕組んでいる、サンタ連合とでも言うべきか、、これこそが魔法よりも不思議でロマンチックな現実』

 "Well, on whether you're willing to consider the needs of children. Or whether you're willing to remember the weakness and loneliness of people who are growing old. Or whether you're willing to stop asking yourself how much your friends love you, and ask whether you love them enough. Then, you may keep Christmas everyday."

 と、毎日がクリスマスと解釈した君は、エレベーターの中にある鏡の前で息をかけて、白さが拡散していく様子を観ることで魔法を作っている気分に浸って、それを何かのものづくりに応用できないかと、懲りずに戦略を立てている。
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歪み

2014-12-20 03:45:01 | Weblog
 甲「電車って好きじゃないの。だって、自分の意志で急げないでしょ?」
 乙「自分で急ぐってどういうことですか?」
 甲「だから、走ったりできないじゃん」
 乙「走ったとしても、1,2分しか変わらないじゃないですか」

 それでも君らは、いかにして切符を買ったら良いか?と終始するシステムにただアジャストすることを選んだように、俺には思える。
 重たい荷物に耐えられないからって、理論武装することで何かを誤魔化しても、本当に慧眼さを持つ人間から見れば何を隠しているかは明らかだ。その荷物が予想に反していかに重いかを説明するくだらない論理性でエラぶるなら、俺はそういう人達にこそ言いたい、お前らには俺の荷物は見えてすらいないだろう?、と。

 忘年会が来ても、夏祭りが来ても、桜の花が咲いても、あくなき進捗はいつまでも続く。小中高の頃のように、すべてからはいつまでも解放されないし、「もう疲れた誰か助けてよ!」そんな合図出したって、誰も観ていない、ましてタイムを告げる笛すら鳴らねぇ。
 疲れる原因を見通せば、それは、他人を卑下することでしか笑顔になれない歪みだろう。楽しそうに他人を否定したり、他人の発表を批判していることに楽しさを感じているうちは、決して幸せにはなれない。俺らは誰かより上であることを示したいからサイエンスの世界にいるわけじゃないだろう?サイエンスそのものが好きじゃない限り、この世界では幸せにはなれないんだぜ??、、と、書いている俺はいっさい笑っていない自分自身に救いを感じる。

 そもそもサイエンスなんて、あとから来た人間が現象に対して勝手に名前や式をつけたもの。
 種々の生物はそんなことは何も知らずに、そのなかで残酷な物理現象に勝つべく生命現象として悠然と振る舞っているのだ。

 前倣え、右へ倣えの欲望を消して、自分の価値観をいかに磨くかを考えていくと良いはずだ。そうすれば無駄な時間は減り、要らないモノは自然と消え、大切なモノと笑顔だけが残るはずだろう。

 もしかしたら、俺らは全員、無理に敵を創ってきたのかもしれない。
 それをしないと味方を探せないほど歪んでいるのかもしれないが、その虚勢をそろそろ取っ払ってもいいはずだ。だってもう21世紀なんだから、そんな古いマテリアル、いつまでも使ってらんねーぜ。

 だから、まだ走れる!そうだろ?

Mr.Children ランニングハイ
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提出期限ギリギリの論理

2014-12-16 01:28:18 | Weblog
 たった一つの気持ち良さを拠り所に求めてしまえば、その系全体を取り囲む空気は崩壊の一途を辿るだろう。

 J-POPがここ10年で崩壊してしまったのがその良い例だと思う。大衆受けするその場の対応を繰り返し、「さくら」「とびら」「つばさ」を含む歌詞をただ単純に繰り返すことで売上をのばし、小さなジャンルのなかで厳しいヒエラルキーを作り、どんなにしたって音楽の気持ち良さを大衆は決して捨てるはずが無いと、そこに胡坐をかいて偉そうにしてよそ者を受け付けなくなってしまった結果が、いまのJ-POPである。
 いまだに、大衆が音楽から離れていってる現実を無視して、音楽業界全体の衰退化を専門家とアマチュアがともに促進させているのだ。

 まったくもってどうでもいいことであるが、自然科学の研究もこのままいけば、この10年で確実に同じようになる。状況が音楽界の10年前に似ているからだ。
 差し当たりすぐに論文にできるような研究テーマで実験データと参考文献の水増しをし、「医療」「環境」「はやぶさ」などキャッチーなワードを申請書に盛り込むことで研究費を得て、小さな分野のなかでヒエラルキーを作ってしまうことでその分野と個人のレゾンデートルを守り、どんなにしたって「一定数は優秀な人材がそろう」「科学の楽しさは絶対的だ」「科学立国だから大丈夫」などと大衆が学問と科学を捨てるはずが無いと、そこに胡坐をかいて偉そうにしてよそ者を受け付けなくなっていってしまっている。
 誰も、サイエンスそのものが滅んでしまう、廃れていってしまうかもしれないという現実を観ようとはせず、その中の小さな分野の中の、さらに小さな研究室の中の、そのまた小さなセクションの中で権力闘争に励み、「いかにして生き残るか?」という小さな小さな現実を観ることが唯一の目的になってしまっているのだ。

 音楽やってる人や研究やってる人などという規模の、非常に大きな集団では、たくさんのクラスターを抱えている。そのクラスターの種々の目的が、非常に大きな集団に寄与するようにしなければ、全体が崩れてしまうにも拘らず、クラスターの存続のみに終始し、メタルだアカペラだクラッシックだ、物理だ化学だ生物だ、と言っているのは、バカバカしくはないだろうか?まぁ、その程度の小ささならまだ良いが、なんとかってバンドのなんとかじゃないとダメとか、有機化学じゃないとダメとか、この生物種じゃないとダメとか、はっきり言ってしまえば、俺は、そういう主張は、気持ち悪いと思ってしまう。
 なぜなら、それこそが、音楽がすべてを貫いて持っている楽しさ、自然科学がすべてを凌駕して成り立っている楽しさを、めちゃくちゃにしてしまっているからだ。

 純粋な楽しさやホンモノを諦めている人が、相手をどのように評価するかと言えば、表層上のハコだけで評価する。
 どれほどのIFの雑誌に論文を出しているか、どんな研究室にいるか、どんなバンドにいたか、どんな経歴か、どんなギターを持っているか。誰も中身を観なくなるし、誰もちゃんと価値観を持たなくなってしまう。

 心の中で、自分自身ではまったくやる気が無く、誰かやってくれるだろう、この分野で細々とでも生きてさえいければそれで良い、などと考える一方で、集団としてのレゾンデートルをたった一つの気持ち良さを拠り所に求めているからこそ、みんな「ギリギリ」になる。
 提出期限ギリギリにしか提出できなくなるし、タイムリミットギリギリまで答えを渡せなくなってしまう。それは、大きな流れに身を任せながら、時間が無くなった上で自分がどのような行動にでるかを確率解釈することで決定と事実を揺らがせ、本当の意味での責任を自分に対して負わないようにするためである。

 そして、提出先に対して、「結局のところ、世間は、あなたは、私を求めているのでしょ?だからリミットさえ守ればルール通りでしょ?」と、まさかのドヤ顔をかますのである。
 大きな流れに完全に身を任せることで自分の意志を曖昧にし、提出期限ギリギリに提出することで世間や相手が自分を根源的に欲していることを明確にさせるのである。なぜなら、弱者はこの瞬間以外は常に侮辱に耐えて生きなければならず、ここの部分の小さな小さな「勝ち」こそが弱者の唯一の生きる道であるから。

 直前だけ頑張ることで、生徒が先生に対して、政治家が国民に対して、女が男に対して、部下が上司に対して、「どうしたいの?」などと全責任を背負わすのは、お門違いだ。
 そして、そういう人ほど、表層上のハコに逃げる。それは、学歴かもしれないし、与党かもしれないし、親が連れてきた人かもしれないし、力のある部署かもしれない。

 「せめて」と選んだ表層上のアンパイは、ニセモノになるに決まっているじゃないか。それとも、そんなこともわからないくらいに、バカなの?

 今、日本では、無難なありきたりな生活を送ることが最終ラインとして、そこは誰も絶対に切り捨てられないだろうと老人たちは考えて、消費税を上げ、ブラック企業が成り立ち、ワーカーホリックは増え、生物の研究の世界ではピペドが量産化されている。
 そう、もっと階層の大きい意味で、、たった一つの気持ち良さを拠り所にした奴隷システムで維持しようとしてしまっているこの国は、かなりやばいのだ。

 ありきたりな幸せをダシに、若者を奴隷として使うことを正当化している。幸せに対するホンモノの気持ちをもニセモノ化させてしまっては絶対にいけない。
 だとしたら、くだらない泡沫なプライドを捨て、とにかく、意欲を、自信を、やる気を取り戻し、正当に主張していくことを諦めないように、一人ひとりがならなくてはならないと思っている。

 まぁ、、それは、俺自身が、圧倒的に一番足りないのだけれどね。
 「こんなにも好き」なのに、「そこまで好きじゃない」ことが明確化される瞬間、、俺は、まだまだ自信と能力が足りないことを痛感する。ただね、、1%でも良いから、俺以外の相手の意志が有る状況下で進めていきたい、と、どのようなことに対しても、思ってしまうのである。

 それも、、それすらも、ダメなのだろうか。今の俺にはとてもわからない。
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今年読んで印象的だった本

2014-12-15 01:32:56 | Weblog
(2014/12/16 一部追加しました)

 まとめるには早いのだけど、今日は、今年読んだ本で印象的だったものをまとめてみようと思います。

 読書離れなどと言われていますが、俺は別に、本なんて読む必要はあまりないと思っています。いま2chのまとめとか読んでる分だけ、むかし本が読まれていただけですから。ただ、個人的に本は好きなので、もしこのなかで気になったのがあったら、読んでみて下さいね。
 あと、俺のことを嫌いな人は、率先して以下の本を読んでみることを薦めます。俺自身、嫌いなヤツが薦める本を読むのが好きなんですが、かなりイイお勉強になりますので。

 なるべく時系列で示します。


 「スリジエセンター1991」海堂尊著

 「チーム・バチスタの栄光」で有名な海堂の桜宮サーガは、今年でほぼ全部読みつくしてしまいました。「ブラックペアン1988」「ブレイズメス1990」の続き、バブル三部作の完結編で、文庫化が待てなかった。。
 今年に入ってすぐに読みましたが、読み終わってマジで一週間くらい立ち直れなかった(まったく、人間失格読んだわけじゃないんだから…)。天城雪彦に憧れてフランス語まで勉強しちゃう俺にはショックがデカすぎて、たぶん実生活に影響が出てました(笑)。極北シリーズがそのさらに続編になっていて、それを再読したら少し元気にはなりましたが。

 序章で出てくる、世良くんと天城の「革命」についての一般的な考察から、ぐっと引き込まれる。かっこいいヤツがたくさん出てきますが、やっぱり主人公の世良くんと天城をメインで見てしまう。自分の心が安定していないと、再読が難しそうな一冊です。

 海堂尊著のその他オススメ…「外科医 須磨久善」「ジーンワルツ」「マドンナヴェルデ」

 「正義のミカタ」本多孝好著

 最初読んでた時、この本、割とムカついてたんですが、最後はなるほど、っと落としてくる感じです。主人公の蓮見くんがいじめられっ子で、大学で「正義の味方研究部」に入部するも、いろいろな事件が巻き起こる、みたいな学生生活のお話なんですが、その過程で様々な価値観を蓮見くんが学んでいきます。
 何が正しいのか?と悩んでいる人は読んでみると面白いと思います。

 「私の嫌いな10の人びと」中島義道著

 林先生の生きざま大辞典で紹介されていたので読もうと思ったのですが、書店になかなか無くて、仕方なくこの方の違う著書を先に読んでました。結果的にそれが良かったみたいで、他の本を読んでいたからこそ、こんなタイトルの本で、まさか泣いてしまうとは。
 著者の嫌いな人が、ものすごく世間とは違う角度から語られています。こんなに言っちゃっていいの?って感じ。それを真似した文章をここでも書いてみましたが、それでもやっぱり世間に媚び諂っちゃう。こんなに痛快に書けません。

 中島義道著のその他オススメ…「私の嫌いな10の言葉」「ひとを愛することができない」

 「Nのために」湊かなえ著

 「告白」を読んで、もう湊かなえはいっさい読まない!、と思ったのですが、話題だったので読んでみました。これはそこまで気持ち悪くない話でした。まぁ、それでも、湊かなえなのでね、って感じだけど。灼熱バードとか、まぁね、ちょっと受け入れがたい。。ラプンツェルで例えるなや!と思ったりもしました。笑
 杉下希美に共感できるところが多かったですが、女の人が書いてるわりに、男っぽい女だな、と思いました。希美が恋愛関係を足し算や引き算で考えるところが、なるほどね!、って感じで面白かった。一つの出来事を色々な人の視点から読めるので、こういうことできるところがすごい。こういう文章を書いてみたいですね。

 湊かなえ著のその他のオススメ…「往復書簡」

 「嘘と絶望の生命科学」榎木英介著

 STAP細胞に関連して、医者であり研究者である著者が、生命系の分野の研究の潮流について書いた本。普段、(ブルーバックスなどの)理系の本は、(好きなんですが)極力読まないようにしているんですが(しかも考え方が偏るし)、生物に関わる研究をしている人はこの本を読むことを強く薦めます。
 生物を題材にしていきたい研究従事者や大学院生は、表面上だけのくだらないゼミや、やってるという事実作りのセミナーに参加することで時間を浪費するよりも、この本に書いてあることを中心に、この記述はオカシイ!、ここは重要な意見だ!、などと話し合った方が、よっぽど実りがあると思います。
 かなり偏った意見ではありますが、色々な問題に対してデータがたくさんあるのが特徴。これも、(特に生命系の研究に携わる人が)元気が無いときに読むと大変なので、元気がある時に読みましょう。

 「すべてがFになる」森博嗣著

 俺は、欧米系の海外ドラマ以外、ドラマをあまり観ない人なので、話題についていくために読みました。
 正直、この著者、世襲制学歴差別主義者なんだろうなぁと思うことが多かったのですが、まぁ90年代に書いたのなら、ある程度は仕方ないか。
 全体的に数学的にキレイな論理構造をしていて、まぁ、この著者と同じような差別主義者たちは、読んでいて楽しいのではないでしょうか(俺も結局、血的に半分はそうだし)?これもシリーズ化されているみたいなので、機会があったら他の著書も読みたいと思っています。

 「イニシエーション・ラブ」乾くるみ著

 いやー、数学的にキレイな論理構造と言う意味で、乾くるみは精緻。読んでいて、その論理に、感動してしまいます。
 タロットシリーズでは一番有名な作品ですが、、いやー、僕はまだまだウブなので(笑)、素直に騙されました。もちろん色々薄々気が付いてはいましたが。うちの妹は「えー?すぐに気がついたけど?」と言ってましたが。。
 簡単にまとめると、薄っぺらい恋愛小説の皮を被ったミステリーです。最後2行で騙される!と帯に書いてありますが、まぁ、もう少し前でもわかるだろ、ってね。

 もっとエグいのが読みたかったら、「リピート」がおすすめ。「リピート」は色んな意味でオススメで、論理がしっかりしてるし、色々考えるし、楽しいし、、でも俺にとっては少し長い。。

 乾くるみ著のその他のオススメ…「セカンド・ラブ」「リピート」

 「夢をかなえるゾウ2」水野敬也著

 若手芸人がゾウの神様であるガネーシャに助けてもらいながら、夢をかなえるお話。前作ではサラリーマンでしたが、今回は芸人。そして、貧乏神も同居してしまいます。
 自己啓発系としては最も面白いシリーズです。読み進めるのがめちゃくちゃ早かったので、読みやすい文章なのだと思いますし、あなたの夢をかなえるにあたって役に立つことがたくさん書いてあるかも知れません。ちょっと理不尽で、淋しがりやで、自信家のゾウ、、とても好きなキャラクターです。

 水野敬也著のその他のオススメ…「夢をかなえるゾウ」
 
 手元に無い本もあるので、今年中に思いだしたら、もう少し書き足そうかなっと思います。
 しかし、誰かさんと同じで、読む本が偏っている。。笑
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Sing

2014-12-13 01:45:26 | Weblog
 例えば、水槽の中に、浮世からムリヤリに乖離させられた、たった一匹の生物がいたとして、餌も食べずにそれで一生を終えるとしたら、それは生命と呼べるのだろうか?
 古典的な生命の性質は、[A] Self-replication, [B] Energetic Metabolism, [C] Compartment, and [D] Capability to Evolve であるが、水槽の中に一匹しかいない生命では、そのいずれも行いえない。唯一、[C]の性質は意味があるかもしれないが、やはり何かの輸送をしなければ、閾板を設ける意図が無いのだ。

 一匹では生命として成り立たないのであれば、結局のところ、あらゆる二匹以上の社会性を無視し続けたとしても、死ぬだけである。
 二匹以上いれば競争は必至であり、そのなかで食うか食われるか、まで行かなくとも、どちらのほうが得をしている、どっちのほうがラッキーだ、というようなことが絶対に成り立ってしまうだろう。ならば、一匹だけ発生しただけではOrigin of Lifeには決してなりえない、脈々と受け継がれる連続性を有した生命は、この苦しさを常に抱えていなければいけない。

 「生きていること」を言い換えられる最も相応しい言葉の一つは、「痛みがあること」である。
 痛みを伴わなければ生きていることにはならないし、痛みを恐れてしまえばやがて緩やかに死んでしまう。

 自然科学的に「生命とは何か?」はまだまだわからないし、俺は実際のところそんなに興味も無いのだが、無機質な人間関係の水槽の中で、有機的な人間が、たったの1人もいなくなってしまったなら、それは生きているとは言えないだろう、ということはわかる。
 痛みを恐れるあまり、欲しいものを望めば全部、ただ無機質に手に入るような時代にしてしまった代償は大きい。

 だから、何かの能力をつけることも、何かの選択肢を増やすことも、それを誰かのために与えようとすることも、それは全部間違っている。自分で超えなければ痛みを知ることもできないわけで、その中での喜びを知ることも無いわけで、それをただベルトコンベアに乗るようにプランニングしたとしても、何も助けていることにはならない。

 それならば、俺に何ができるか?

 水槽の外に世界が存在している事を、明確に示し語ることに留まらず、その外にムリヤリ引っ張っていってしまうことが大切かもしれない。もしも、非生命から生命になりうる対象が魚のような種類であれば、水が無ければ生きられない。それはとてつもなく苦しいことだし、ひょっとしたら死ぬかも。
 ただ、その死にざまこそが、生きているということなのだ。それに、そうそう人の生活の中で、そのようなとびぬけた極端なことは存在せず、もっと大きな視点で見れば、環境や心境が変わることは、カラオケで部屋を変える程度のリスクなのだと思う。

 本当に厭になったら、一日中、自然現象に触れていれば、たいていのことは、どうでもよくなってしまう。
 別の正しい角度からきちんと見つめてみたら、独りだと勘違いしていたことに徐々に気がつきはじめ、悩みが大したことじゃないと気がつき、ものづくりとして何かを進捗させたほうが幸せであるという蜃気楼に向かって、歩きだせる。そして、やがて、その虚無の成果に向かっていく仲間とのインタラクション、つまりそのなかの何気ない日常こそが、生きていく本来の目標であることに気がつけるだろう。

 俺は、こんな程度の理想は、どんなに不可能だと他人に思われても、達成できるとしか思えない。
 だって、頭で想像できている程度の理想における壁なんて、成功の兆候でしかないのだから。

Sing /Goose house
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これでいいのかなぁ?

2014-12-11 02:33:12 | Weblog
 邪魔しないで!と言葉を発して離れてしまってから、本当にこれでいいのか?と自分自身に問い続けた。

 チームワークなんて絵空事だと思考の表面上で決めつけて、自分だけであらゆる物事を考えていると、論理的にまとまるのが圧倒的に早くなるのを感じながら、俺は、この、ありきたりな物理現象から、なるべく遠いところに行くことを望んでいた自分に気がつく。
 相手のレゾンデートルを守るために覚えなかったことでさえ、自分の思考力で乗り切れてしまう。先に進めば進むほど、あらゆる虚妄を利用してまで求め合っていた関係が成り立っていた事実を実感して、1人で泣いてしまう。

 ごめんなさい。俺はあの時、一番余裕が無かったし、それは誰も何も知らないところでも、余裕が無かった。
 普段なら笑ってかわせる猫パンチも、間違いを許容できて解決までできてしまう事柄も、そしてそれを事前に察知する危機感も、まったく受け止めることができなかった。

 でも、もう邪魔しないで、という言葉そのものは、俺の本心で、感情が高ぶって出た一言って、意外と真実を射ぬいてしまっている、とも思っている。それは、俺がまだ、余裕が無いから?
 予想以上に具現化することは大切だったし、それがほとんど無い状況で成り立つ関係性なんて、存在するのかなぁ?

 そんな難しいこと、俺にはわからないけれど、少なくとも俺は、カタチなくとも成り立つ関係性の存在にホンモノのひとつのカタチを求めていたし、それを欲している俺の気持ちの理解を求めていたし、だから、2人が1人1人になってからも、これでいいのか?と最後の最後まで悩み続けた。

 1人のほうがラクにカタチになってしまうからこそ、これでいいのかなぁ?と悩んでしまう真面目さに飽き飽きしながら、圧倒的な理想はこの先にあると懲りずに信じている。

 だって、邪魔、って言葉は、決別だけを誘発するわけではないのだから。
 相手を切り離さない能力はすべての最低ライン。それを安易に測定してはいけないって経験だけ、めっけもん?

 いや、どう経路を辿っても、気持ちの共鳴については最初から真実は決まっているはず。
 そして、事実はまだ、決まりきったわけではない。

 だとしたら、、
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どうせ死んでしまうのだから

2014-12-09 00:28:03 | Weblog
 他人に迷惑をかけたくないと思うあまりに委縮していく。
 無能さがバレることが怖い、って感情よりも、意見は言わないほうがみんなの時間を奪わないし、とにかく合わせて、小さく隠れて、様々な情報を収集しているほうがいい。

 どうせ何を言ったとしても、何も変わらない。どんな行動を起こしたとしても、何かを新しくやってみたとしても、新しい世界に飛び込んだとしても、どうせ何も変わらないことは、よく分かっている。
 それに、たとえ変わったとしても、どうせ死んでしまうではないか。だとしたら、リスクをとるよりも、とにかく迷惑をかけずに、ただただ流れるままにしていた方が良いではないかと考えつくわけだ。

 でもね、論理を逆から考えてみようよ。
 何かを論理的に考えたなら、逆から考えていっても成り立つか、必要十分かどうかを確認するのが定石なんだからさ。

 どうせ死んでしまうのだとしたら、何をやっても無駄である。どう生きようが、いずれは、どうせ死んでしまうのだから。
 どんなに地位や権威を手に入れたとしても、どんなに金持ちになったとしても、どんなに愛に恵まれていたとしても、どんなに知識を詰め込み、どんな智慧を創発したとしても、絶対に、どうせ、間違いなく死んでしまうのだ。何かを後世に残しても、その後世だって、永遠ではないだろう。10億年後、あなたがいた意味は、絶対に殆ど無い。

 死は平等に訪れる。遅かれ早かれ死は誰にでも訪れるのであるが、しかし、死から今の状態へと蘇ることは決してありえなく、死ぬことはいつだってできるのである。
 だとしたら、死ぬまで生きてしまった方が得ではないか。まぁ、どうせ死んでしまうのだけれど。どうせ死んでしまうからこそ、生きてしまった方が面白いかもしれない。

 そう思うと荒んでいる心が少しは和らぐんじゃないだろうか。
 どうせ、みんな、死んでしまうのなら、少しくらい他人に迷惑をかけても、自分の気持ちが達成されるように強引に喜べるように行動してしまった方が良い。そんな、すごい迷惑をかけるわけじゃなくて、皆が帰るのが1時間くらい遅れてしまう程度の迷惑なら、別にそれでいいんじゃないだろうか。
 迷惑をかけてはいけないと心の中で唱えるあまり、委縮した自分のなかで鬱になったり、しまいには自決してしまうよりも、ちゃらんぽらんで自分のことしか考えていないバカのほうが、よっぽど迷惑でないだろう。

 待って!!でも、これは半分しか正解じゃないでしょ?
 その通り!論理がいつでも自分のなかで正解ならね。俺は、論理そのものが半分だから、前半の、あの行動できない自分を肯定化してしまう答えは、四分の一。論理的には半分でも、感情では行動している自分を肯定化したいから、四分の三で、他人に少しくらい迷惑をかけても、自分が楽しいように行動していきたいと思っている。
 まぁ、厄介なことに、自分だけが楽しいように行動したら絶対に楽しくないわけで、他人に迷惑を直近でかけてしまっても、その後にみんなにとってのより良きが保証されていないといけないわけで、ここまで単純じゃないけどね。

 ただ、俺が、論理的にも感情的にも確かに言えることとしては、「どうせ死んでしまうのだから」という空しさを享受していなければ、他人に対して、もしくは、みんなに対して、より良くしていきたい!、と優しい気持ちを本当の意味で発現することは絶対にできないということ。

 だから、だとしたらさ、、どうせ死んでしまうのだから、今はとことん苦しんで生きて、それに辛くなったなら、少しくらい色々な人に迷惑をかけても、いいんじゃないかな?
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解けてる歌

2014-12-07 00:16:17 | Weblog
 歌詞はメロの翻訳である。

 歌詞を書いたことはないけど、こういうことを意識してつくった(であろう)曲を聞いたり演奏したりしたほうが楽しいとは思っている。
 たぶん、歌詞で自分の意見を書いてはいけない。歌詞は、あくまで、メロが主張していることやそれらが織り成す感情を人間の言葉に翻訳するべきなのだと思う。

 っと、言ってもわからないと思うので、具体例を出そう。以下に出す例では、主にカバーを挙げます。
 まずは、メロがあまり翻訳されていないケースを。

おしゃかしゃま/RADWIMPS(Cover)


 (何かの研究内容を批判するよりも遥かに)音楽とかラーメンとかって強い信念持った人が多いので、めちゃくちゃ注意しときますが、俺はRADWIMPSもGoosehouseも大好きですし(radはカバーしたこともあるし)、なんやったらこの曲も大好きです。
 ただ、開始30-40秒だけでも聞いてくれればわかりますが、メロの主張以上に言葉での主張が強いのです。メロの主張も歌詞の主張も共感出来るのですが、マッチしていないために、こういう曲は、俺は、そこまで心には残りません。

 あと、これも。

EXILE / Choo Choo TRAIN -Short version-


 俺、かなり昔(2001年くらい)からEXILE好きなんだけど、一番の代表曲なのに、Choo Choo TRAINは、あんまり好きじゃありません。iPodの再生数2000回以上突破してるのに好きじゃない曲とか存在してるんですか?って感じだけど、だって歌詞の意味がわけわからないんだもん。しかもメロとあってないし。
 ちなみに、ATSUSHIだけがソロで歌ってるアコースティックバージョンがあるのですが、それは、このChoo Choo TRAINよりだいぶ好きで、、このメロって、たぶんダンスミュージックに合ってないんじゃないかと俺は思うのです。アコースティックバージョンも、やっぱり歌詞による翻訳が上手くできてない(と少なくとも俺は感じる)ので、そこまで好きじゃないという印象(まぁEXILEだから聞くけど)。

 では、パーフェクトにマッチしてるな、って思う代表曲はこちら。

 ロビンソン/ゴスペラーズ


 この曲も、歌詞の意味がよくわかりませんが、この曲はむしろ、こんなに完璧に翻訳できてる曲が有り得るのか、って感じ。もう、このメロにはこの歌詞以外ありえないし、それは、誰がどんな風に歌ったとしても、曲の完成度として高くなってしまうわけです。何よりも意味が分からないのはロビンソンというタイトルです。まったく意味が分かりません。でも、この曲にピッタリのタイトルです。

 こういう曲を、俺は勝手に、「解けている」と呼んでいます。

 それから、

Dreams Come True - Love Love Love 高画質 高音質


 これも「Love Love」言ってるだけの曲なんですが、素晴らしい翻訳。ここまでシンプルなのに、めちゃくちゃ奥深いし、メロと歌詞がきちんと解けています。

 えーっと、たぶんですね、あぁ、歌詞が曖昧な曲ならイイのね?って思うかもしれませんが、そんなこたーありません。具体的な歌詞で上手く解けているのはこちら。

Even if - 清水翔太(歌詞付き)


 平井堅のeven ifですが、この曲は「バーボン」「カシスソーダ」「終電」などの具体的な風景が出てくるのにも拘らず、めちゃくちゃ解けています。この曲、俺、とても好きなのですが、この曲が好きだって言ってる女は大嫌いです(笑)。ディズニー好きだって言ってる女が嫌いなのと同じ感覚かな。
 前半よりも後半のサビで歌詞が具体的になりますが、それでも翻訳の純度は落ちない。きちんと細部まで丁寧に訳されている印象です。

 このページで、紹介したばかりですが、

 チキンライス/浜田雅功と槙原敬之(Cover)


 これも素晴らしい。正直、Goosehouseは若い世代なので、この曲にフィットしないかと思いきや、合ってる。やっぱり世代とかそういうんじゃなくて、心そのものを歌う、ってのが意識できているからじゃないかと思います。実はこの曲は、松本人志の歌詞ありきで、その歌詞にマッキーが曲をつけたのですが、こんなに泥臭い歌詞なのに曲の柔らかさで、めちゃくちゃ解けてる。
 チキンライスもかなり具体的な内容ですが、解けてる度合いで行くと、かなり上位です。

 おしい!、てのも挙げておきましょう。

Honey L Days / 奏(かなで)(スキマスイッチカバー)


 この曲、ほぼ完璧に解けているのですが、Cメロの「夢中で呼びとめて抱きしめたんだ、君がどこに行ったって僕の声で守るよ」が興醒めすぎる。夢中で呼びとめるのは構いませんが、この曲は、明確に「別れなくちゃ」いけないメロだと俺は思います。夢中で呼びとめても、君は去っていかなくちゃいけないのです。それから、大切な誰かを声で守れたら苦労しません(笑)。
 だからって、俺はポエマーじゃないので代案は思いつきませんが、ここがダメってことは分かるのですが、どうでしょう?

 全然最近の曲を紹介していませんでしたので、最近の曲から解けている曲を。最近の曲って普段もここでアップしにくいんですよ、まずyoutubeにあんまりないし、なにより俺も追えてないし(笑)

恋するフォーチュンクッキー 平井堅


 最近って、去年の曲じゃん!、ってツッコミは無しで(笑)。
 恋するフォーチュンクッキーは、実はそこまで好きな曲でもないんですが、解けてるっちゃ解けてると思います。「カフェテリアながれるミュージック」などふわっと自然と入ってくる感じがとても良いです。まぁ、「いつだってかわいい子が人気投票1位になる」って歌詞はAKBで下位のやつに歌わせないと意味がないと思いますが。

【高音質】ゴールデンボンバー / ローラの傷だらけ 音楽の日【高画質】


 いやー、鬼龍院は天才やな。この曲、すごく残るし、好きです。今年の8月ならまぁ「最近の曲」だろ?っていうか、最近、解けてる曲、なかなか無いな、マジで。
 おふざけのなかにも、「ローラ、君を知ったから、他の誰も愛せない、ヒドイじゃないか」と、完璧な和訳が入ってるのが素晴らしすぎる。


 ≪いや、むしろK君はそのまま裏でいい。むしろ、3rdコーラスのサビが地声で張って、メインボーカルがまるでふわっとハモってる感を出した方がいいと思う≫
 『あー、そうね、、なんか、すいません(笑)』
 「まぁ、このままでも、そこまで悪くはないと思うけどね」
 『なんていうか、あれだよね、どうアレンジしても、成り立つ強さがあるよね』
 ≪それって僕らがじゃなくて、この曲が、でしょ?≫
 「そうそう、星かけ、は、どう歌っても、誰が歌っても、曲として成り立ってしまう、曲そのものの完成度の高さが半端無い」
 『なるほどねぇ』 

 その秘訣は、メロと歌詞のマッチだと思うのだ。ある程度、みんなの前で、本気で歌ってみればわかるけど、歌詞を歌えばメロは消えるし、メロを奏でれば歌詞が消える。

 でも、誰がプレイヤーであっても、どんなフェイクやどんなアドリブが摂動として導入されたとしても、それに合わせて曲そのものが変化し(可塑性)、曲として成り立ってしまう強さ(ロバスト性)が、歌としての生命力を決定づけているのだ。

星のかけらを探しに行こう Again / まぜごはん アカペラ @CLUB RIVERST


Labradorite - 星のかけらを探しに行こうAgain


スキマスイッチ / 星のかけらを探しに行こう Again from Sukimaswitch in Augusta Camp 2013


 確かに、星かけ、って、歌い手が変わっても、そこで個性が出て、イイ曲になってしまう強さが半端無いなぁ、っと思う。
 あぁ、俺も、マジで、解けてる曲を音楽したい!また、緊張感を持って「今宵」っと歌いだす日を楽しみにしている。

 (なんとなく、youtubeで共有してる数が一番多い記事が書きたかった笑)
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俺の嫌いな人びと

2014-12-04 23:25:30 | Weblog
 今日は俺の嫌いな人達の種類をまとめておこうと思う。
 最初に厳重に注意しておくが、あくまでも、その集団にそういう傾向があると、俺が勝手に勘違いしており、そのせいで俺はその集団の人達が嫌いだ、ということである。存在を否定しているわけではない、俺が勝手に嫌いなだけである。なので、無視して読み流してくれたまえ。笑

 では、俺の嫌いな人達、スタート。


 1.文系

 いやー、一発目からめちゃくちゃ叩かれそうだけど、俺が嫌いなんだから仕方ない。笑
 具体的にきちんというと、数学を一切勉強してこなかったくせに、大企業や公務員として働いている、もしくはそれを目指している就職系の大学生が嫌いなのである。なので、弁護士や経済学者などは確かに文系であるが、これには当てはまらない。

 そもそも、この世の中では、物質的もしくは情報的に、何かを生産するか調達してくるかしなければならないことは明確である。そこに、それらを上手に売る人達(=営業)やそのコミュニティーをまとめる人達(=経営者)がいるわけだが、これらが得意な一部の人達はいいのだが、いま世に溢れているほど、数は要らない。
 人事に営業に経営に広告に経理に、ハッキリ言って、こんなに人は要らないはずだ。技術に世間からの要求という適確な指示を与えられるという意味では必要なんだけど、極論、それって理論研の人の能力と何が違うの?と思うわけ。で、理論研の人って、まぁ大小はあるにせよ、たいていの理系より、たいていの文系よりは遥かに賢いですから、そうなってくると、社会人になってから文系になりましたってのはともかく、大学生の頃から文系って、能力的にはどうなの?って思うわけっすよ。

 そうすると、文系の人って、すぐ「コミュ力がー」とか言うけど、それってつまるところ、この世にはたくさん人がいるから、そのクオリティを維持するためには文系の力が必要だ、って言いたいってことでしょ?
 つまり、文系とは、多数決によって無能が数多く占めることを利用した存在意義の作り方をしている人達、と言いかえることができるわけで、そんなやつらがエラそうに、女何人抱いた?みたいな自慢話してたり、高級車とか乗ってると、クソだなって思うわけです。笑

 もっと、特に日本は、理系にイイ想いをさせる国にならないと、この20年あまりで急激に衰退していってしまうだろうね。

 2.Bグループの女

 俺は、ノリが良い順に、Aグループ、Bグループ、Cグループと定義していますが、そのなかで、Bグループの女は最も苦手です。
 えーっと、なぜかというと、理由は簡単で、俺がBグループの女に一切支持されないからです。俺って、C上グループと一部のAグループの女子からの支持で成り立ってるんですが(笑)、Bグループからって、本当に評判悪いです。

 たぶん、Bグループの女にとって、俺って、いてはならない存在なのでしょう。まぁ、ホントのことしか言わないですからね。Bグループの女って、誤魔化しの境地みたいな感じですし。昔は、嫌われてるから嫌い、みたいな感じでしたが、今は確かに、Bグループの女って一番クソだなって思います。
 美貌があるわけでもないわけでもなく、個性が強いわけでも弱いわけでもなく、目立たずおしとやかさを装ったと思うと、上に書いたような文系の年上男とくっつくのがだいたいの傾向です。まぁ、こいつらから嫌われてもいいや、って最近(っといってもかなり長いけど)は思います。

 しつこいですが、例外はいくらでもいますけどね?笑
 でも、経験論的に言うと、確かに、友情、愛情に拘らず、Bグループの女を本気で好きになったことは、一度もありません。

 3.バスケ部の男

 っていうか、俺、基本的に、背高い友達いません。
 バスケが好きな男、バスケをサークルで楽しんでる男、などは、むしろ仲イイですが、バスケ部のノリやバスケ部出身の男は嫌いです。

 どうしてなのか?うーん、わかりませんが、、面白い野球部、かっこいいサッカー部は、俺は全然体育会系じゃないですが、話してて楽しいし、面白いヤツが多い気はするんです。でも、バスケってなんか、背じゃん?あのスポーツ、ほとんど。
 っで、それわかってて、バスケやってるでしょ、だいたい。その感じが嫌いなんです。あ、だから、それ以外のスポーツも適度にやってて、バスケ部でした、みたいなバスケ部は、そこまで嫌いじゃないです。

 っというわけで、共感や尊敬できるバスケ部は、赤木剛憲でも桜木花道でもなく、大谷敦士ってことで(笑)
 そうそ、ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!ってね。あれ、それはリョータ君か?

 ちなみに、女バスはむしろ好きです。ノリが好きなのもそうなんですが、なによりも、このクズみたいな俺みたいなヤツのまったく別の視点からのめんどくさい意見とかもちゃんと上手く汲んでくれて、みんなに代わりに主張してくれたりする女神のような優しい方が多い気がします。こういう気遣いが、(人間関係部と言われる)自分の(推薦の)ことしか考えていない吹奏楽部とは違うんですよ、やっぱり(笑)。
 っま、吹奏楽部ってBグループが多いですからね。吹奏楽部でもCグループの人は、Cグループですから、なんやかんや俺に優しいんですが、、少数意見は無視しないと、自分が生きていけないんですや。その点、女バスはAグループがメイン。そういうことです。

 4.理系東大生

 あの、、しつこいですが、全部、傾向の話ですから、、例外はいくらでもあります。笑

 なんつーか、お前らが取ってる態度ほど、お前ら頭良くねーし、自分の知ってる最大の知識を披露して自分のが上だってムリヤリ押し通してくんじゃねーよ、っと、たいていの理系東大生と3分も話していれば、絶対に思います。いえいえ、俺が勘違いしてるのは分かってるんですけどね、、そう思ってしまいますです、はい。笑

 理系東大生って、1%の天才と、99%の言われたことをただその通りにひたすらできてしまうロボット君、の集合ですから、まぁ、殆どの人は、指定校推薦の雰囲気と変わらないんですよ。残念ながら、主体的な人ってあんまりいない印象です。どちらかというと、日大とかのほうが、主体的なヤツそのものは多いかと思います。
 研究の世界に足を踏み入れた頃に、意外と、推薦タイプが多いな、って思いましたが、信念や自分固有の価値観や考え方などは持たずに、言われたことをただやってるのが得策になってしまっているのが研究世界の現状ですから(理研の事件みてりゃわかるでしょ?)、そりゃそうですね。推薦入試タイプと理系東大生が、研究社会では生き残りやすいっちゃ生き残りやすいです。

 推薦入試で大学に入った人と理系東大生の違いは、謙虚か否かです。俺的には本当にそれだけです。根本的な能力(それが何かは非常に曖昧ですが)としては、そう変わらない気がします。
 あの、本当に注意ですが、俺は、推薦入試で大学に入った人で尊敬している人もいるし、もちろん、東大理系出身で尊敬している人はたくさんいます

 そうそ、彼らの全然違う部分で、研究の世界では、絶対に、彼らの能力が必要なのですが、今日はそういうことを話す回じゃないのでー、それが何かを知りたい人は俺に直接訊いてね(笑)

 5.「55~70歳」の人

 こいつらが、今の日本をダメにしたからです。説明不要でしょ?
 こいつらのせーで、俺ら若者は低賃金になり、高学歴ワーキングプアになり、精神的に追い込まれ自殺する若者が増え、年金は貰えそうになく、晩婚化し、明るい明日が簡単には想像できない状態になってるわけです。

 ついでにいうと、こいつらにアジャストすることしか考えていない、30代~40代前半も嫌いです。というよりも、この辺の世代ってのは、学生の頃からアジャストすることしか考えていないから嫌いなのです。
 学生ってのは、学ぶのが仕事ですから、政治力学など考えずに、きちんとガチの能力をつけなくちゃいけません。だから、仕事になったから、お金をくれる人にアジャストするってのは(俺は完全にそれだし)わかるのですが、学生のうちからアジャストしてるので奴隷根性が染みつき過ぎてる印象があるのです。

 今の日本で、俺が期待してるのは、20代以下、40代中盤~50代前半、70代以降だけです。これらの世代には、本当に能力が高く、期待が持てる人が、多い。
 まぁ、もちろん、嫌いだって言ってる世代の中でも好きな人や尊敬している人は沢山いますけどね(親とかね)、基本的には嫌いです。


 なんか、俺って、ほとんどの人間嫌いなんじゃないか?、ってくらいだけど、好きな人もたくさんいますよ?笑
 例えば、Macユーザーとかそれだけで好きなんですけど、、まぁ、近いうちに、好きな人達のほーもやるかな。

 参考
 中島 義道(著) 私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)
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理系博士号取得者を教員免許無しで教員にする制度

2014-12-03 00:26:42 | 自然科学の研究
 今日、研究室の後輩から教えてもらったんだけど、理系の博士号所持者は一部の地域で高校の教員に教員免許なしでなれるらしい。今回新しく和歌山県で導入された制度では、採用されたのち特別免許状が発行される。
 県立高校の採用試験に教員免許不要 来年度から理系博士号取得者

 これは、このブログにやってくる色々な人にとって朗報なのではないだろうか。俺が知らなかったのは問題なんだけど。。

 そもそも、教員というのは、色々な人がやったほうが、生徒にとってイイと思うのだ。
 色々な人ってのは、マジで色々な人ね。博士号なんて取得しちゃうような、どCグループの人やコミュニケーション下手な人、Aグループでノリノリな人、障害を持った人、元ヤン、おじいちゃんおばあちゃん、(英語を教えるだけじゃなくて)外国人や起業家など、様々な人を先生として迎えたほうが、生徒はきっと楽しいはずだ。
 なによりも、生徒本人が、その色々な先生のなかに、自分が目指すべき成功のイイ例を見出しやすくなる。

 博士号もってるヤツ、博士課程にいるヤツ、博士課程に行こうとしてるヤツなんて、世間からみたら、ただのモノ好きの変態ですから、そういう人で教育に携わりたい人が、SSHなどに行って、熱心に高校生に向き合ったら、たぶん楽しい。
 SSHなら学会発表とかもするみたいだし、これからのサイエンスは、もっともっと、常識にとらわれない自由な発想が大切だと思うので、このキャリアパスも、ほんの少しだけでも、心に留めておくと良いだろう。

 っま、数学も理科も免許持ってる俺には関係無いんですけどね。。
 あれ?でも、更新性の賞味期限を気にしなくて良いってことか?、やったー!!...一部の地域だけどね。笑
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このページについて141202

2014-12-02 01:28:43 | Weblog
 最近は執筆活動が多い日々で、そろそろ、それも終わりです。
 いやー、こういう時にブログやってて良かったって思うんですよ、なんでかって、ブログさえやめてしまえば、その時間使って、いくらでも書ける!、みたいな自信があるので(笑)。重い胴着を常につけてる、みたいな感じ。でもまぁ、いつも、そこまで切羽もつまらないし、英語だろうが日本語だろうが、俺の作業としてはあんまり変わらないのよねん。

 この重要な時期に、何故か周囲のモノが色々壊れます。きっと俺にふりかかる不幸を物が代わりに被ってくれているのでしょう(笑)。
 今日は2年以上使ってたイヤホンが壊れました。といっても、音はちゃんと出るのですが、ほんの少しだけ、右側から出る音のうちサブの音のボリュームが弱い。俺って、耳だけはマジで良いので、こういうの耐えられないのです。

 そういえば、こないだまで、またアクセス解析の無料体験期間でした。これって、俺のページだけなの?それとも、みんなこのくらいの頻度でやってるの?だって、年6回くらいあるぜ??
 あ、そうそ、それでわかったのですが、このページの、研究室の選び方、のページが、NAVERまとめってサイトの研究室選びにサイテーションされていたみたいで、有難う御座います。どれくらい有難いのか(僕はバカなので)わかりませんが、どうもです。参考になっていれば幸いです。次はMERYとかにサイテーションされるように頑張ろう(笑)

 このブログ、来年度からどうしよっかなぁ、っとか思っていますが、まぁたぶんなんかのカタチでやるんじゃないかと思いますので、とりあえず今後ともよろしくお願いします。
 本来なら大学生になったらやめるつもりだったのに...(笑
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