たかはしけいのにっき

日々の「日記」を書いています。
何かを書いたからといって、実際に「そう思っている」とは限りません

努力の定義

2018-06-10 04:34:51 | Weblog
 「でも、先輩は、1年後にはいなくなっちゃうからさぁ♡」
 『まぁ、どんな人とでも、いずれは別れが来るからね』
 「…ねー。なんで、たかはしくんって、そういうこと言うの?」

 気持ちが先輩そのものに向いてるわけじゃなく、自分の理想を先輩に押し付けているだけだからこそ、寂しいはずの別れを楽しそうに話しているわけで、そんな自分勝手なヤツには、せめて一般化した正論を目の前にぶつけてやったほうが、ほんの少しは今後のテメーのためになるからだよ、、などと言語化する能力を、中学生の俺は持ち合わせてはいなかった。

 そう、、いずれ別れはやってくる。誰であっても、どんな関係性であっても。いずれは強制的に終了を告げる鐘の音が鳴る。
 この場合の別れには二種類ある。一つは、相手がこの世を去ること。そして、もう一つは、自分がこの世を去ることである。

 俺は、この辺りについて、いかに意識しているか?が、「最適化」と「努力」の圧倒的な差を生み出していると思うのだ。

 多くの人は、別れと言えば、その場所から単に消え去ることを想定している。自分だけはこの場所にずっと残って、相手だけが去っていく可能性を想定していることが多いように思う。
 つまりは、相手の死すら想定していないのだ。ただ、その所属している集団から離れてしまうかどうかを考えている。この場合、やがて自分に訪れる死に対してなんて、まったくの無頓着で、日々の生活の中で、自分がより自由になれるように、自分がより承認されるように、ということだけを考えるようになってしまう。この状態が、「最適化」だ。
 (現在目の前にいる)周囲からの評価基準に「最適化」することを、絶対視しがちになる。今、この瞬間に、承認されなければ、認識されないのだから、仕方ないじゃないか、ってね。

 一方、現代日本では一部に、自分がいずれは死ぬことを明確に意識しながら生きている人も存在する。メメント・モリだ。
 死を意識しながら、突然生かされることの不条理さを感じていると、たった一度の生涯の中で、このままでいいのだろうか、これは本当に自分がやるべきことなのであろうか、と常に自問自答することが日常になる。そして、たった一回の自分の人生をいかに有意義にしようかと悩み、その悩みに対してついに一筋の光が差し込んできたところで、それに注力するようになる。それを、、「逃避」と呼ぶ。うん、まだ、これじゃあ「努力」にはならない。

 「努力」とは、自分の死を意識した先に、大切な誰かの死を感じ取り、そこに不条理さとやるせなさを感じ、その生命をこの世になるべく長い間残しておくことを、どうしても、努努、怠ることができない種々の活動のこと。

 確かに、承認に対して「最適化」していることだって、「他の人よりも、とにかく頑張ったのだから、認められるべきだ」と思うのかもしれない。その通りだ。認めてあげれば良い。でも、何の哲学もない状態での個人の欲求の獲得だけでは、世界に何の変革も齎さないから、認めようが認めまいが、当人以外にとっては大したことではない。そして、実は、当人にとっても、大したことではないようになる。立場だけが得られ、他者から本質的に必要とされていない状態というのは、よっぽどに鈍感でない限り、その寂しさに気が付いてしまう。
 よく、承認を得られ、高い立場についた後に、世界に変革を及ぼせると思っている者がいるが、それは大きな勘違いだ。その程度では、運よく青史に名を刻めたとしても、何の変化もより良くもなっていない無意味な存在として扱われるだけだ。

 自分の死を意識すれば、何も意識していないよりは、当人にとって意義があることが導かれるかもしれない。一生、地味な仕事をしていたとしても、趣味の範囲で作品を作り、それを後世に価値あるものとして提供できる可能性は残る。
 でも、そんな人は、何万人に1人だ。それでも当人が満足しているなら良いんじゃないの?という声が聞こえてきそうだが、何の承認もなく、趣味だけを心の拠り所に生きていって楽しめる人も、かなりの鈍感さが必要になる。それに、たとえこのブログが500年後に世界的に脚光を浴びたとしても、俺にはそれを知る術はない。

 だが、自分よりも他者や弱者に自分以上の価値を感じ、その誰かをほんの少しでも生きながらえさせたいと思う気持ちを叶えることには価値がある。青史に名を残せても未来に書物を残せてもただただ空しいが、自分が心からかけがえのないと思っている存在に対して、ほんのちょっとでも、ほんの数日、数分でも、数秒でも、とにかく長くこの世にいて欲しいと思いながら、何かを頑張る行為は、世界に圧倒的な変革を齎す。

 誰かの死であれ、自分の死であれ、ただの所属の意味での別れであれ、、そう、大好きな先輩が先に卒業してしまうことであれ、、程度の差こそかなりあれど、悲しいことには変わりない。
 でも、死を直面することに臆病になりすぎるあまり、相手に対して自分のレゾンデートルへの侵入を絶対に死守し、挑戦するような目で「だったら、自分でやったら?」「私なんか捨てて、出ていけば?」と、先に別れを切り出してしまうことで悲しさを半減させようとする絶望に染まることは、たった一度の人生で良い戦略だとは思えない。だからといって、自分の死を意識しすぎるあまり、数年後の未来が存在しないことを言い訳に、刺激的で比較的小さな仕事ばかりを繰り返し、大きな価値ある仕事に注力しないことも、また、良い戦略とは思えない。

 だったら、どうすればいいか、もうわかるでしょ?

 結局のところ、誰かに理想を夢見てしまおうが、本当に新しい価値観に出会ってそれを信仰してしまおうが、、とにかく、自分自身が本当の意味で満足するかどうかというのは、他者に委ねられてしまっている、というところが、この世の最も面白いシステムであり、同時に最も残酷な人類の普遍性なんじゃないかなぁと、思う。

 『いや、つまりだな、俺が言いたかったのは、先輩は大学に行くだけで、、先輩が死んじゃうわけでもなければ、貴女が死んじゃうわけでもない。だから、今できることを考えろよ、ってこと』
 「それって、コクれ、ってこと?無理無理無理ー」

 …ったく、だから、薄っぺらい恋愛脳は、嫌いなんだよ笑。
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暗闇が煌めく時

2018-05-26 02:46:18 | Weblog
 この舟に辿りつくまでに、いったい、どれだけの涙を流したのだろうか?
 想像してしまえば、俺は自分の無力さと自分の不甲斐無さに押し潰されそうになってしまうから、知らず知らずのうちに考えないようにしてしまった時もあったのかもしれない。

 泣きながら絶望して、絶望した先に見えるかもしれない一縷の望みを信じて、枯れ切ってしまった涙の代わりにため息をつきながら、ため息に必要な空気すらなくなると、瞳を固定しながら、自分自身を他人事へと遠ざける。
 孤独だと周囲が決めつけながらも、きっと、時に1人じゃないこともあっただろう。でも、その特異的な不条理は、確実に孤独へと突き落とす。何者をも恨めない優しさを自分だけに向けながら絶望に打ちひしがれるくらいなら、俺を精一杯に恨めば良い。それでも、自分だけの責任なんだと決め付けたがる潔癖性は、穢れない善意が刃となって自分自身の心を傷つける効果を促進させる触媒となってしまう。

 でも、そんな日々も、もうすぐ終わる。
 長く険しい道を自分自身の力で切り開いた後に、貴女は何を観たがるのだろう?

 夢が叶ったなら、また新しい目標を見つければいい。それが、本当に夢であるなら。
 そう、、きっとどこかで気が付いてしまっているように、絶望からほんの少しだけマシになることを夢にみたところで、その先に待ち受けているのは、もっと厄介な「普遍性を伴う絶望」なのかもしれない。
 誰もが無意味だと思っているモノなのに、それにしがみついてしまっているから、その事実を具現化されて否定されると、その構造に甘んじている多くのどうでもいい人達が襲い掛かってくるような普遍性について片手間に絶望している一方で、思いを馳せる俺の本当の目的を本気で危惧しながら、祈りをこめる。

 『きっと大丈夫だよ』って。

 必要なら、何回でも心から謝りたい。無能で、ごめんなさい。あの時、俺に、もう少しでも、能力があったなら。
 だからこそ、今後、あらゆる絶望を取り払ってあげたい。その資格があるのなら。無いなら、せめて、世間に貢献しよう。

 さぁ、勇気を出して、飛び立って。きっと、目の前が、金色に煌めいていくはずだ。
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Dreamy RealistとRealistic Dreamer

2018-05-14 04:29:44 | Weblog
 俺のフォロワーには大学院や研究関連の方々が多い。そんななかで、
 『とにかく論文を書くことに最適化させることだけが、研究としてやるべきことではない』
 というようなことをTwitterで書くと、「論文書けないヤツの負け犬の遠吠え」「沢山書いて、偉くなってから言え」のようなコメントを貰うことがある。逆に、必要以上に共感して、大学院や研究室に行かないこと、自分がアカデミアを離脱したことの正当化に使われることもある。

 俺は、それら2種類のコメントを見るたびに、可哀想な気持ちになる。ただ、前者と後者で可哀想の意味が圧倒的に違うので、今日はこの違いを導入として、RealistとDreamerの分類について一般化し、その後に目指すべき和解について語ろうと思う。

 まず、前者の「どーせ論文書けないから、そんなこと言ってるんだろ」というルサンチマン決めつけの意見の人は、主に「勝たなきゃ意味ないじゃん」という勝利至上主義の価値観に基づいていると思う。このスタイルを、Realistと呼ぼう。
 一方、後者の「アカデミアって、やっぱ腐ってるよね。俺が諦めたの仕方ないよね」という意見の人は、主に「仲良くないと意味ないよね」という友愛至上主義や「他者に必要とされたい」という貢献至上主義に基づいていると思う。このスタイルを、Dreamerと呼ぼう。

 誰でも幼い頃は夢を見る。いや、正確には「夢を見ることを大人から強要される」。つまり、そもそもは、誰もがDreamerでいさせられる時期があるのだ。それは多くの場合、女性が安心安定の観点からRealist寄りの男性を結婚相手に選び(夢追いバンドマンよりも終身雇用)、父親がRealistとしての役割を果そうとするため(とにかく仕事、家では疲れて寝る)、母親が子どもに対してDreamer的価値観でいることを求めることから生じる。
 すると、子どもは、ある時点で、夢を打ち砕かれる瞬間に直面する。友達から仲間外れにされれば友愛至上主義を疑うし、どんなに必死で努力しても誰のためにもなっておらず、いつまでも自分なんか必要とされていないことを感じれば貢献至上主義を疑う。
 だが、ここで、(褒められる褒められないに拘らず)周囲からの干渉が多いとDreamerのままになるのだ。夢を打ち砕かれても別の夢を探すだけで、承認が満たされ続けるからだ。逆に、本人の承認が十分には満たされ無い程度の少ない干渉しか得られないと、Realistになる。承認が満たされていないのは、親に依るところも大きく(事実、俺が、親に褒められて育ったからなぁ、という趣旨をTwitterで言うと「なんでそんなことわざわざ言うんだ?」と反発がいくつかあったりする)、その行き場のない不安を社会やシステムに(手っ取り早く)認められることで昇華しようとするからである。

 どの時点でRealistになるかは(主に)干渉具合に依ってしまうが、、最終的には、現代の日本では、大学3年生の就活を意識し始める時期になると「現実を観なさい」と突然言われることが多い。ここで、多くの人はRealistへの転換を強制的にさせられる。つまり、世間には数としてはRealistが圧倒的に多いのだ。ゆえに、「現実を観ること」が大人になることだと言い換えている人は多い。
 (しかし、アカデミアなどの特殊な世界では、そもそもがDreamer的な世界であるのに、親族がそもそもアカデミア出身だったり、お勉強の世界へのリアリズム感から、構造的な「ねじれ」が生じている。「生きていくためには論文を書き続けねばならない」という極端な現実論がマジョリティを占める中で、「サイエンスとして本当に必要なことだけを論文に書くべきだ」という、また極端な理想論が時折顔を出す)

 このRealistの勝利至上主義は、勝てていないくせにレースに出ている者を、必死で叩く。「勝てないのに目立っちゃうヤツってバカじゃん」と。
 世間には、あらゆるレースが存在していて、それは、学歴だったり、出世だったり、収入だったり、結婚だったり、業績だったり、グループ性(俺のABCグループ理論の動画を参照)だったり、住んでる家や地域だったり、ルックスだったり、様々であるが、そのすべてにおいて勝っている者は誰もいない。たとえ、どれかで勝ったとしても、どれかで負けているという自覚があれば、レースに出ていないことにしたいのが、勝利「至上」主義なのだ。だから、Realistのほとんどは、匿名性のなかで生きていくことを選ぶ。ネットで実名で何かを発信している人(俺など)を見ると、ベースラインが「どーして、実名で、明らかに勝ってもいないくせに、こんなに偉そうなことが言えるのか?」となる。なぜなら、自分自身でさえも、どれかのレースで負けているという風に思い込んでいるからだ。

 だが、この発想は、単純に否定はできない。彼らの実体験に基づく価値観であるし、何よりも、不遇さで生じた弱さと必死に戦っている健気さがあるからだ。自分の自覚的な弱さが、満たされていない承認欲求から湧き上がるのを、社会的システムにアジャストすることで、必死に蓋をする。それはヒトとして正常であるし、、(彼ら彼女らは俺からそんなこと言われたくないだろうが)可哀想だろう。。
 そう、「負け犬の遠吠えを言っちゃってw」「きれいごと乙」とDreamerに対してルサンチマン的解釈をしながら憐れむRealistは、Dreamerから「必死に承認を得ようとして可哀想」だと思われている。このお互いに可哀想だと思っている物理現象が、実に切ない。

 Realistが、理想ときれいごとを思い切って切り捨てながら、とにかくカネを得ようとし、とにかく業績を上げようとし、とにかく出世を目指し、何が愛なのかを考えてもみずに結婚し、内容はなくともノリが良いフリをし、他者からステータスが高いと思われようとすることに必死でいる一方で、そのスタイルが多数派である現状に不満を抱きながら、友愛性に参加できなかった、努力しても(原理的に)たどり着けなかった(ことを理解した)、行き場を失ったDreamerが、行きつくのが俺の言葉だったりする。『論文書くだけが研究じゃないよね』を拡大解釈し、「論文を沢山書くことでポストを得ている大学の先生は、みんなクズ」というような極端さに移行する。
 これはこれで、報われていない状況に完全に諦めきってしまっている点が、可哀想だと思う。Realistだけの価値観が創ったものづくりのなかにも、夢見れる個所は存在するし、実際に素晴らしい成果があることに目を向けるだけの余裕がない。

 日本の歴史のなかで、Dreamerたちの大きな過ちは、特攻隊である。貢献「至上」主義は、お国のために自己犠牲を厭わない。そして、「日本国が勝つ」というナショナリズムによる仲間が、友愛性を高める。そこには、善さや美しさや潔さがあったかもしれない。しかし、強制がなかったとは言い切れないだろう。この経験が、現在の日本社会をRealistだらけにしている要因とも言える。
 たとえばアカデミアでは、このDreamer的価値観を、定年後もしくは定年間際(団塊世代とそのちょっと上と下)の教授ほど持っていたりする。若い教員から「アカデミアはこうあるべきだ」という意見は殆ど聞かないが、老教授からは「アカデミアはこうあるべきだ」という意見をちょくちょく聞く。こういうところに表れているのではないか、と勝手に思っている。だが、年寄り層は理想主義の暴走もよく知っているのだ(学生運動など)。だから、慎重になるし、その下の世代には、リアリズムを望むところが強い。

 このリアリズムが全体に行きわたりすぎてしまった現代、またバランスを崩しつつあり、あらゆるところに、おかしな事件として表れているように、俺は思う。

 そこで提案したいのは、ありきたりだが、それぞれの歩み寄りだと思う。
 
 ここまで、RealistはRealist、DreamerはDreamerという書き方をしてきたが、一個人に対して、どっちかって100%はっきり決まるなんてことは少ないだろう。
 多くの場合、どちらかに寄っていて、ほとんどの人はRealistとして、内なるDreamerを秘めているのではないかと思っている。

 まず、Realist寄りの人に提案したいのは、あらゆるいくつかの承認欲求の発散が、現実的に実現可能であるかどうかを、矛盾なくなるようにリファインしようとして欲しいと思う。すると、勝手に内なる「理想」が出現するので、その「理想」について各承認欲求をSelf-consistentに解けば良い。そうすれば、もはや完全なRealistではないだろう。これを、Dreamy Realistと名付けようと思う。
 逆に、運良く承認が満たされ続けているDreamer寄りの人に提案したいのは、あらゆるいくつかの理想が、それぞれで成り立つかどうかを、矛盾なくなるようにリファインしようとして欲しいと思う。すると、勝手に「現実」が出現するので、その「現実」について各理想をSelf-consistentに解けば良い。そうすれば、もはや完全なDreamerではないだろう。これを、Realistic Dreamerと名付けようと思う。(賢明な読者さまはお気づきの通り、俺は、自分自身をRealistic Dreamerだと信じている)

 俺には、各承認欲求or各理想が、原理的に成り立つかどうか、考えてもみていない人が殆どのように思える。
 この価値観の複数性を無矛盾に解くことで、「何者かになることで、自己実現しなくちゃいけない」という、RealistもDreamerも前提にし過ぎている、自己実現至上主義から脱することができ、現在楽しく、未来においても楽しいことが保障されていることを前提とできる、Dreamy RealistとRealistic Dreamerになることができる。
 両者はもはや、まともな会話が可能であり、分かり合うことができると俺は思う。

 Twitterを見ていると、俺が発言した内容に対して、(肯定否定に関わらず)過剰に反応しすぎている人を容易に見つけることができる。それが、ネット上だけでとどまれば良いが、そうもいかない現実もあるだろう。そんなときは、ぜひ、自分の承認欲求や理想を無矛盾に解いてみて欲しい。

 すべての人が、この奇怪な世の中を心から楽しめるように願っている。
 (↑このまとめ方は、貢献至上主義っぽいかな笑)

 参考(39:40~最後まで)
 #106山田玲司のヤングサンデー|『あの頃の少年ジャンプは僕らを幸せにしたのか!?〜ドレスコーズ「平凡」と共に問う、夢追え至上主義への晩歌』中2ナイトニッポンvol.27
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自分史3 -先生-

2018-05-08 05:59:59 | 自分史
 (俺の周囲には色んな先生がいて、「先生」という敬称を色々な人に乱発するように使っているけど、それはたいてい「先生としての義務を果たしてね」という意味で使っていることが殆ど。でも、この記事で出てくる「先生」は唯一の例外で、俺が心底、尊敬している。だから、ここではただ「先生」と呼ぼうと思う)

 高校3年生になったばかりの頃、気分だけは受験生になっていった俺は、先生に出会うまで、自分がどんなに無謀なのかを知らずにいれた。
 前回の自分史2で紹介したSS君に触発されていることもあって、極力誰の助けも受けず、予備校にも通わず、自分で勉強して、大学に受かろうと思っていた。

 そんなわけで、高3で先生と最初に出会った、数学Cと演習の授業を受けたときも、どんなに厳しい言葉を浴びても、冷静でいれた。いや、正確に言うと、冷静でいたい自分を客観視することができていた。
 先生が俺たちにした最初の授業で、先生は小さいプリントを配った。

 「平日は1日4時間以上、休日は1日8時間以上は勉強しましょう。数学は私の指導通りに勉強すること。塾・予備校は必要なし。目標は横浜国立大学工学部など」

 だいたいそんなことが書いてあったと思う。『俺は国立目指してないんだけどなぁー。そもそも国語とか社会とかやりたくないし』と思いながら、最後の一文に目がいく。「4月5月にできないことは、6月以降もきっとできない」
 『これ、どういう意味だろう?』と思っていると、先生は小さいプリントと年次計画を詳細に説明し始めた。プリントに書いてある感じの口調よりも数倍に力強い言葉で。そして、

 「そこにも書いたけど、塾・予備校は必要なし。私は本気です。必死でついてきてください。そして、明日から勉強し始めよう、などと思わず、もう高3なんだから、今日から勉強し始めること。人は、ある日突然、何かができるようにはなりません。4月5月にできないことは6月以降もきっとできません。今から必死で勉強し始めてください」

 『うわー、恐ろしい正論。こういうの苦手なんだよなぁ』と思いながらも、授業後にクラスメイトの一人が「マジヤバすぎるだろ、あれ」と言うセリフに、俺は『まぁ、高3なんだから、あれくらいでいいんじゃない?』と余裕をかましていた。
 そして、「土曜日に講習会を開きます。参加する人は、この用紙を持ってくること。一度参加すると決めたら、欠席はしないように。最後まで参加してください。それから、志望校を書くこと」と言われ、俺は参加するか否か悩んでいた。

 当時、俺の周囲で一番数学ができた、ある友達は、演習のクラスで先生が指定した問題集をわざと買わずにいた。先生が「君たちは問題集を全部終わらせたことはあるかな?私の演習の授業では、このメジアンって問題集を全部終わらせます」と言ってた問題集を「あんなんウザいでしょ」と。
 でも、先生は、彼の分も自腹で立て替えてましたね。たいして頭が良くないわりにはプライドだけは高い生徒たちが多い中で、他にもそういう生徒がどれくらいいたんでしょうか?その優しさが、あれから、10年以上たった今、どれくらい皆に伝わってきているのか、僕は不安でなりません…。

 高3になった直後、学年全員集められ、進路指導会みたいなのが開かれたとき、先生が僕たちに言い放った言葉が、その後の俺の人生に強く影響している。
 「私は理系なので、文系のことは知りません。文系には申し訳ないが、理系に対してだけ話します。理系の皆さん、必ず国公立大学を第一志望にしなさい。これは強制です。何故かと言うと、これからの世の中、自分の専門だけをやっているような態度ではいけないからです。古文や漢文や歴史を勉強した理系と、自分が得意なことだけをやった理系と、どちらが本質的に社会に必要とされるでしょうか?よく考えてみなさい。結果的に私立大学に行くのは構わない。でも、国語や社会を勉強しないで大学に受かるようなナメた態度は許しません」

 こう言われてしまうと、ナニクソと思ってしまうのが、俺の性分。都内で国公立で物理学科があるところを、大学受験の案内みたいなんでテキトウに探すと、東京工業大学という名前が目に入る。『あ、ここでイイんじゃね?』と、本当にテキトウに選んだ。
 流石にそろそろ先生が土曜日にやる講習会の参加・不参加を決めなくちゃいけない。貴重な土曜日を数学だけにとられるのがイヤだなぁと思っていたが、まぁあそこまでアツいのも面白いか、もともと早稲田狙いで、数学・英語・物理・化学の4科目の予定だったし、国立志望のフリしてればいいはずで、全体の1/4と思いながら数学やるのは悪くねーよな、という気持ちで、講習会の参加の紙を先生に持っていくと、「遅い!」と一言。そういえば、これが先生とまともに話した最初の瞬間でしたね。「みんな、決定が遅すぎる。たかはし、お前も遅い。何をチンタラしてるんだ」と。「あ、ほら、体育祭のダンスとかで忙しいんじゃないですか」とあくまで客観性を持たせた意見を言うと、「あんなもの、10年くらい同じことをやっている。まるで進歩がない」と言われ、少しだけムッとした。そんな感情をかみしめる暇もなく、「初日までに埋めてきてね」と三角関数のプリントを手渡された。

 講習会参加後も、土曜の講習会の参加を決めたことをじゃっかん後悔していると、連休明け、あの、授業で使う問題集を買わずに先生に立て替えてもらってた友達が、「あの問題集全部解いて、先生に渡したわー」と言ってきた。『え?全部解いたの?』と訊くと、「まぁね。けっこう勉強になっちゃったよ」と言ってきた。彼がけっこう勉強になったなら、これは先生についていく価値があるんじゃないか、と思い直したけど、それでも、まだまだ自分の力で勉強する時間というものを大事にしていた。
 受験に必要な計算の定石を、先生から教わっていくと、その教授法がかなり洗練されていることに徐々に気が付く。まず、問題集は分野ごとに解説をしない。わざとバラバラに解いていくやり方で、すべての分野で平均的に自分の弱点が克服されていく。問題集のレベルがうちの高校に非常にぴったりだった。そして、何より、先生自身がすべての問題を自力で解いてプリントにしてくる。
 後にも先にも、先生ほど俺たちのことを本気で考えてくれている教員に出会ったことがないのに、、どうして俺は先生をすぐに信用して、ついていこうとしなかったのだろう。あぁ、本当にバカで、申し訳ありません。

 体育祭が終わってから、「俺の高校時代って、これで良かったんだろうか?」と無駄に悩んでいる夏休みまでの俺に対して、結果的に、先生が強制してくれたおかげで、数学だけはなんとか受験生のレベルに達していた。
 そういえば、この頃だったと思う。うちの母親が懇談会かなんかで先生と話したらしく、「あんたが一番できるって先生に言われたわよ」と話してきた。その時は『お世辞だろ』って思っていたけど、先生がお世辞なんか言わないことをよく知っている今は、『先生は、本当に見る目が無いです』と思う。俺ほどやる気がなくて、俺ほど能力のない生徒も、他にいないんですよ。
 だって、、ほら、夏期講習のとき、『なんで先生はそんなに本気で教えられるんですか?』って訊いた俺に、先生、言いましたよね?「だって、本気で大学に行きたいだろう!?」と。俺はその時、『はい』とは言えず、黙り込んでしまった。大学に行きたいって気持ちは「流れ」なだけで、プラスちょっとだけ本気っぽくなってるのは、喧嘩したまんまになっているケースケに反発するように勉強しているに過ぎないんじゃないかって。『俺は本気で大学に行きたいんだろうか?』と考え込んで、先生のちょっとがっかりしている姿を見て、申し訳なさが募るばかりだった。「これで存分に涼しく勉強できるだろ」と扇風機を6台も自腹で買ってきてくれた先生の期待に応えられそうにない、と思うと、少しだけ先生と距離を取ろうと思うようになってしまう。

 浮ついた心のまま、強制されるままに勉強していた数学だけは自信がついていたが、自分で勉強できる!と思っていたはずの物理や化学がおろそかになっていた。ましてや、古文や漢文や倫理なんて、手が回ってるはずもないのに、先生は「たかはしは、東工大志望だろ。私の授業を受けることで、数学以外にも、物理や他の科目で、こんなに勉強しなくちゃいけないんだ、と気が付いてほしい」と言われ、逃げ場すら奪われ、『いや、ほんとは東工大なんて行けないと思うし、目指してもないんだけどなぁ』と思いながらも、焦って勉強した。不思議と、先生に煽られれば煽られるほど、勉強する時間そのものは増えていったように思う。

 夏も後半になると、すっかり先生は信者を獲得していった。「残念ながら、今後は文系は教えられない。数3も含めて講義する。他の教員に文系用の数学の講習会を頼んでいたが、結局、見つからなかった。申し訳ない」と言えば、文系のなかで賢い生徒から「いや、先生じゃないなら、どっちにしろ講習会は受けません。これまで有り難う御座いました」というコメントが付くほどだった。
 前回紹介した、憧れの友人であるSS君も、「忙しいし、とりあえず数3は要らないけど、先生のこと好きだから、数3になっても講習会受けるわ」と言うほどだった。

 あんなに厳しいのに、「今年は体育でプールはなかった」と誰かが言ったら、先生は「なんだ。早く言ってくれれば、毎週土曜日プール開けたのに」と返してくる。「そんなことより勉強しろ」と言われると思っていた俺らは、少し拍子抜けしてしまう。こういうところは緩い。
 のわりに、進研模試を学校で受けられるように取り決めてくれた先生は、みんなに強制的に受けるようにと促していた。何が主流なのか、いかに神奈川県の教育やうちの高校のシステムが他県の高校に比べてダメか、強く語り出したのもこの時期だ。「推薦は取るな!推薦を取りたいなら、俺を倒してから行け!!」と言い始めたのも、この頃だった。あれはあれで、、キラキラした青春ではなかったけど、楽しい想い出になってしまってるから、時の流れはすごい。

 9月に入ると先生の厳しさはさらに加速した。「皆さんは、4か月後に受験です。4か月前は何してましたか?体育祭でレッツダンスかな?あのくらいの時期と同じ時間が流れると、皆さんは受験会場にいます」
 どうして、そんなに正論のクリティカルな表現を思いつくのだろう?と感心するほど。「模試で結果の出始めた者もいるだろう。でも、これでいいんだ、と思った瞬間に失敗します。勉強しているときは、いっさいのオゴリがあってはいけない。いつまでも自分は世界で一番のバカだと思って勉強しなさい。そして、受験会場で、自分がこの中で一番頑張ってきたヤツだ、と思えるように、頑張りなさい」
 …先生、俺は、今、自分が世界で一番のバカだとは思えないし、自分の分野の中で一番研究を頑張ったとも思えません。それでも、先生は、俺のことを見捨てないのでしょうか?
 「たかはし、理学部で、本当に良いのか?大学に残ったり、教員になったりしかなくて、大変だぞ?」『あ、まぁ、大丈夫です』せめて、あの時、もっと強く、理学部行きを止めてくれたら、先生の歴代の生徒のなかでも、こんなどうしようもない生徒になっていなかったかもしれないのに。

 文化祭が終わると、先生はめちゃくちゃご立腹だった。何にそんなにキレているのか、最初はよくわからなかったが、これもその後の俺の価値観を大きく変えるものになる。
 「文化祭の準備や当日に、きちんと仕事をした人、お疲れさま。一方で、それをサボって、自分勝手に予備校に行った者もかなりいたようだ。私は、そういう者は、落ちてしまえ!と思う。受験生ってだけで、何か自分が特別な存在だと勘違いしているようだ。受験生は何も特別ではない。だから、家の手伝いも普通にしなさい。学校の行事もちゃんと率先して参加しなさい。そういう損しそうになってしまう生徒には、私は全力で応援する。義務を放棄して自分勝手に受かろうとする生徒については、私は応援できない」
 正直、意外だった。「文化祭なんて無視して、勉強しろ」と言われると思ったからだ。俺はそもそも予備校に通っていない。だから、偶然にこれには適応しなかっただけで、もし予備校に通っていたら、予備校を優先している可能性は多分にある。こういうところが、先生は普通とは圧倒的に違った。

 だいたい、先生は、俺にとって、担任や副担任でもなければ、部活動などの顧問でもない。ただの1科目、数Cと演習の授業の担当ってだけだ。それなのに、ほぼ毎日、俺たちに干渉してきて、ここまで実力を高めようとして、影響を与えている。もし、先生に出会えていなかったら、教育というものに不信感を抱いたまま、大人になっただろう。たった一人、本当に一人だけ、ここまで筋が通って、俺らのことを本気で考えてくれて、実際に尊敬に値する実力を有していた。

 センター試験でも雪の中、先生だけが会場の前で「頑張れ」と応援に来ていましたね。数学の試験が終わったときに、「先生、マジ、ごめんなさい」と言ってた同級生が何人もいました。それでも、
 「最近、高3の遅刻が問題になっている。特に、センター試験の次の日の月曜日は、学年の半分以上が遅刻をしているとのことだ。たるんでいる!」
 と正論で突き放す。先生、それさえ言わなければ、もう少しだけでも逃げ場を与えてくれたら、もっともっと、本当に良い生徒が、先生の傍に残るんです。
 センター後の先生の講習会は、俺を含め4人しか残らなかった。人間なんて、そんなもんなんです。先生が必死で俺たちのために、って思ってくれても、自分に都合の良いところだけを自分のものにして、その実力を自分だけのために使うクズばっかりしか、世の中にはいないんですよ。「君たち4人が残ってくれたことに感謝している。頑張れ。絶対に受かれ」と言われ、送り出された。
 でも、先生のおかげで数学だけは、それなりの実力を手にしていた俺は、受ける前から、無駄にわかっちゃうんですよ。東工大にも早稲田にも絶対に受からないって。自分の実力がまったく分からないことの幸福度合いが、身に染みる瞬間だった。

 スタートも遅いし、数学だけで精一杯。実力を突き付けられた瞬間、俺たちはきっと泣いたと思う。どこにも受からなかったことを先生が知ったあと、最後のプリントに、「一年間、よくついてきてくれました。たかはしは悪くない。たかはしが落ちたことは、学校のシステムや私の問題だ。本当に申し訳なく思う」と書いてあった。『いやいや、俺が悪い』と思ってみても、その先、何も言葉が出てこない。
 「たかはしは、予備校に通ったほうが良いと思うぞ」と先生から言われて、予備校の力を使わないと頑なに思っていた俺は、あからさまに落ち込んだ。そんな俺に、「予備校ならちゃんとクーラーが効いてるしな。浪人する人間のうち、99%は予備校に通わなくちゃいけないんだ。もちろん、俺もその中に入っている。だから、安心して、予備校に行きなさい」
 一方で、SS君には学校内でできるアルバイトを紹介したり、他にも色々支援をしてくれていたみたいだ。卒業してからも、こんなにお世話になってるなんて、と当時思ったが、それからも何かの節目には先生に連絡してお言葉を貰っている俺は、この時期が高校に通っていた頃だと認知してしまう。
 俺が博士課程の学生の頃に、SS君と先生とで飲んだときに、「毎年、近くの予備校からデータを貰って、自分の生徒がちゃんと予備校に通ってるかどうかチェックしている」と訊いて、驚愕する。どんなに裏でお世話になっているか、計り知れない。

 浪人して理科大に受かったと伝えた時に「とりあえず、おめでとう。でも、本命は東工大だろ?」と厳しいお言葉を貰った時も、転学して神楽坂に受かったけど院では外部に出たいと伝えた時に「野心家だな笑」と笑われた時も、院試で医科歯科大と東大しか受けなかったと伝えた時に「そりゃ、若気の至りだな。落ちたらどうするつもりだったんだ」と言われた時も、アメリカで研究員をしていると伝えた時に「コネもなく、頑張りましたね。シカゴに住んでいたことがありますが、あっちは自由でテキトウで面白いですよね」とメールで励ましてもらった時も、、先生に認めてもらえそうな良い部分だけを伝えている俺がいる。

 だから、今のこの変化は、先生には連絡できないでいるんです。「それは推薦だ」って言われたり、「それでいいのか?」って言われたり、どうしても、先生の言葉が先に頭に浮かんできちゃうんです。完全に清廉潔白って状況じゃないから。
 そして、愛情を持ちながら、理想と正論を押し付けてきてくれた先生に、期待されなくなるのが、たぶんどこかで怖いから。もしかしたら、みんなちゃんと巣立っているのに、俺だけ、いつまでもいつまでも、卒業できずにいるのかもしれません。でも、それだけ先生の影響力が強いんです。

 理想を押し付けられることは苦痛なことが多いけど、ある程度は期待されないと愛情を感じられない。
 あれだけのことをしてくれた人がいるから、ほんの少しだけでも、自分が助けられる人は、なんとか助けようとする俺がいる。大衆から募集した、週1本くらいの頻度の相談メールを丁寧に返したりはする。でも、俺には、この程度が精一杯。とてもじゃないけど、先生のマネはできない。

 「自分の実力を、他人のため社会のために、貢献するように、常に心がけなさい」
 僕は、先生の言葉に恥じないだけの生徒でいられているのでしょうか?自分のことだけしか考えていない人たちが多数派を占める社会の中で、それを心がけ続けたとして、僕たちは、生きていけるのでしょうか?

 世の中には、アベさんやショウさん(自分史1参照)のように大して頑張っていなくても優しい人はいるし、何でもできちゃうし優しいけど不遇だったSS君(自分史2参照)みたいな人もいるけど、自分のことだけを考えた結果、成功した風味を醸しだし続けたいクズがマジョリティ。こんなにも不平等な世の中で、僕たちは、どうやって生きていたらイイのですか?

 もがきながら絶望して、絶望の淵で少しだけ期待して、そんなことを繰り返していたら、10年以上経っていた。
 だからこそ、次の一歩を、迷ってしまっているのかもしれない。でも、最後には、その期待に応えたいと願っています。だから。。
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自分史2 -憧れの友人-

2018-04-15 07:24:53 | 自分史
(今日の主人公のSSくんは仮名です。今度会った時にでも話して、許可が出たら本名に変えようかと思います(忘れそうだけど笑)。ちなみにイニシャルじゃありませんよー笑)

 はじめて彼と一緒にバスに乗って、座席に座ったとき、俺は少しだけ緊張していた。
 時は2003年、高2になりたての4月の初旬、たくさんの教科書を貰い、学校は午前中で終わった。クラスメイトになったばかりのSSくんと、高校から駅までの30分間、バスのなかで他愛もない話をすれば良いだけだ。ただそれだけなのに、俺は、同じ高校の同級生と勉強の話をしなくちゃいけないのが、どこか怖かった(前回の自分史1を参照ね)。

 教科書をめくりながら、SSくんは一つひとつ偉そうにコメントを入れていく。
 「まぁとりあえず、数学は余裕だな。ベクトルなんて、最初は上に矢印つければいいだけだし」(注;そんなこたーありません笑)
 自信満々に教科書の内容を評価していく様子に、俺は無難なちゃちゃを入れながら、バスは木々でいっぱいの住宅地やだだっ広い風景を進む。

 「問題は英語なんじゃないか。これ、とか構造取りにくいし。あと、この倫理ってのもよくわからないな。こりゃ、定期試験、やばいぞ!」
 俺は、意味が分からなかった。まだ授業が始まってもないのに、どうしてそんなにも真剣に学校で習う内容を理解しようとしているのか。そして、勇気をもって、その気持ちを言ってみることにした。
 『ハハハ、いや、まだ授業が始まってもいねーんだぜ?大丈夫だろ』
 俺がそう言うと、SSくんは一瞬の真顔のあとに、すぐ笑顔を作り、
 「確かに、それもそうだな笑」
 と返してきた。

 何気ないこの会話が、価値観のクラスチェンジだったのだと思う。これだけ真面目な態度の人間が、"ノリ"に流されるのを目の当たりにした初めての瞬間。
 俺にとって、SSくんは、生まれて初めてできた「優等生なのにノリの良い」友達だ。そして、俺にとって、今も昔もずっと、最高の「憧れの友人」である。

 彼は知れば知るほど良いヤツで、あらゆる分野で能力が高かった。

 めちゃくちゃ背が高いわけでもないのに、高跳びでは3クラスで最後の2人にまで残るレベルで高く飛ぶ。みんなに、
 「SSは実力で飛んでるからな」
 と茶化されても、笑って流しながら、ジャンプする。

 昼休みにはサッカーやバスケをやっていて、決まって自分の成果を自慢してくる。いつも自信満々で、でも、クラスの中で(俺みたいに)浮きそうなヤツがいれば率先して話しかけて、あだ名もつけていた。
 俺がつけられたあだ名は、「番長」。目つきが悪いからだそうだ。今でも、SSくんからは「ばんちょー」と呼ばれる。

 あんなにスポーツが好きなのに部活はやっておらず、日々バイトをして、特待生で入ってる予備校に通う。
 「反省もできないほど忙しいからこそ、見えてくるものがある」
 そんなことを言ってたこともあったっけ。。色んなことに手を付けているのに、どうしてそこまで自信があるのか理解できなかった。しかし、まぁ実際に、能力も高い。俺が、いま、根拠もなく自信満々な態度をとるのは、このSSくんの影響をかなり受けている。

 彼からスポーツの楽しさも学んだ。体育でテニスをやれば一緒にペアを組ませてもらったし、球技大会でサッカーをやることになれば、放課後、彼の仲間たちと一緒に練習をしたりした。
 そうそう、あの頃、まだまだ集団が怖くて怖くて、俺自身がスポーツ音痴すぎるので、みんなでてきとーにやってた練習試合で失敗しまくっちゃって、休憩中に誰にも言わずに黙って帰っちゃったんだよね。そうしたら、その夜、SSくんからメールが来て、「ばんちょー、なんで、いつ帰っちゃったの?なんか用事?」と。罪悪感というか、安心感というか、その時の気持ちは一生忘れないと思う。

 そんなわけで、それなりに練習して挑んだ前後半10分のクラス対抗のサッカーは、俺の人生を変える試合となる。
 俺とある程度、仲良くなると、必ずされる「あの」話です。

 それまで、うちのクラスは他のすべての球技(バレー男子と女子、バスケ男子と女子、ドッジボール女子)で1回戦を突破していた。サッカー男子の1回戦は順番的に一番最後だった。
 だが、俺が参加してたサッカーでは、前半終了時、うちのクラスは3-0で負けていた。完全なる負け試合だったのに、SSくんを含め、俺以外の他のクラスのメンバーは誰もあきらめていなかった。SSくんはフォワードもできるタイプだが、「キーパー、俺にやらせろ」と言ってファインセーブの連続。地道に1点2点と点を重ねるサッカー部のフォワード。少しでも諦めていたら、絶対不可能なプレーを俺の目の前で連発していた。
 そして、試合終了時4-4。PK戦では、SSくんがファインセーブをし、うちのクラスは勝つのだった。歓声に包まれる中、俺は、自分にはもう永遠に訪れないであろうその瞬間を深くかみしめた。

 俺は今でもスポーツの楽しさをよく知っているタイプではない。でも、もしかしたら、スポーツの一番気持ちの良いところを経験してしまったのかもしれない、と思う。この経験がなければ、きっと今も、すべてのスポーツを馬鹿にしていたと思う。
 たとえ、可能性が低くても、全力でぶつかっていくことに価値がある。次の2回戦ではあっけなく負けてしまったが、「とにかく勝つ」なんてことよりも、得られてしまった充足感は、実際に俺の人生を変えた。「最後まで絶対にあきらめない」という、ありふれた名言を、常に信じてしまうほどに。

 試合直後、SSくんは言った。
 「決勝だったら、絶対に泣いてたよ」
 と涙ぐみながら。

 最近になって、俺がこの話をしたときに、SSくんは
 「ばんちょーが、いまだにそんなに覚えてくれていて嬉しいよ。あぁいう体育会系のノリってさ、そうじゃない人には受け入れがたいものだし、あの時、俺らは、そうじゃない側の人に、申し訳ない気持ちもあったからね」
 と言いながら、「あれさ、ほんとはさ、、」とPK戦の心理戦の裏側を嬉しそうに語っていた。

 夏休みには、学校でやってた物理の夏期講習に一緒に参加した。少人数だから、お互いはじめて習う範囲なのに自分よりもSSくんのほうが理解が早いことを、直面する。もちろん、今では俺のほうが物理ができるけど、、それでも、SSくんに物理や数学について何かオフェンスされたら、ビビってしまうかもしれない。
 そこで今も連絡を取っている、高2のときの物理の恩師、A先生が、俺とSSくんに、昼飯にコンビニでパンを奢ってくれた。SSくんは「うまいな。ありがたいな…」と噛みしめるように食べていた。

 長い夏休み、SSくんと一緒にテニスをやろう、ってことになって、俺は中学時代の友人のケースケを誘い(自分史1参照)、SSくんとテニスコートを借りてテニスをすることになった。当時ケースケはテニス部で、ケースケは他に2人ほど連れてきていた。
 正直、この時のことは断片的にしか覚えていない。俺が当時好きだった2大友達がお互いに会う。そんで、テニスする。途中まで、かなり仲良く、SSくんのおかげでいい試合をしていたと思う。当時、それ以上に楽しいことなんて想像もできないはずなのに、あんまり覚えていない。ただ、間違いなく分岐点で、この日を境に、ケースケと会わなくなって、放課後にケースケと会わなくなったぶん、よく勉強するようになった。何かキッカケがあったはずだし、何かの言い争いをした記憶もあるんだけど、具体的にどうだったかあんまり覚えていない。
 その帰り、SSくんから、何かのバイトを紹介された。その時に、『いや、俺はバイトする気はないんだけど』と言うと、SSくんはいつもよりも強い口調で、
 「だったら、ばんちょー、部活もやってないんだから、学年で1位とるくらい勉強しろよ」
 と言われた。それは非常に正論で、ちょうど良いキッカケだった。確か、それからだったと思う。定期試験があるわけでもないのに、勉強する時間がやたら増えて、受験にむけての勉強を自分なりにし始めた。

 それから、あっという間に冬が来て、それで、あの2003年のクリスマス。その日に、あらゆるすべての糸が繋がり、どうしてSSくんが常に自信満々なのか、日々勉強し、出来る限りスポーツを楽しみ、バイトまでしているのか、、そして、何より、弱者に非常に優しいのかを、理解した。いや、今でもきちんと理解できているかはわからないけど、、一応の解釈を与えることができるようになった。
 あんな大変な状態のときでも、俺なんかに気を遣ってメールをくれるSSくんは、数少ない尊い人類の一人だと思っている。

 大学受験を迎えた時も、浪人中も、ずっと応援してくれた。俺からSSくんにできることは少ないのに。浪人中の受験期間(って、実は一番怖いんです笑)、もうダメかもしれないってときに、助けてくれたのはSSくんからのメールだ。
 D2の終わり、学振DC2に落ちた俺に、忙しいなか会ってくれて、「もう一度、学位を取れるまで、できることをやってみたら?」と諭してくれたのは、SSくんだ。彼はアカデミックに明るいわけじゃないけど、研究室やアカデミックにいるあらゆる連中なんかよりも、よっぽど、日本の研究を本当の意味で支えていると思う。

 アメリカに行くって伝えた時に、面と向かって、すぐに「おめでとう」って言ってくれなかったよね。いつもの自信満々の表情がちょっとだけ消えて、帰ってからLINEで「気を付けて、頑張って来いよ」と言ってくれた時、俺自身がアメリカの研究室に行くことに何の価値も感じていないことをすっかり見抜かれていたことを察したよ。
 お互い大学受かったときだってそうで、、いつだって、短絡的には「おめでとう」と言わない、そんな考究されつくした配慮が、どんなに俺を助けてきたか、わからない。

 こないだは、ごめんね。4月1日のエイプリルフール、『日本に帰って結婚します』って、たなかくんとなおちゃんと仕組んだ、Facebookの投稿。一番最初に引っかかったのはSSくんだった。「寝耳に水だけど、結婚おめでとう」って、やっぱりちょっと含みのある言い方でさ、一番騙しちゃいけない友達が一番最初に引っかかっちゃって、俺の罪悪感はマックスで…(だったらするなよ、って話ですが笑)。だって、これまでで、結婚式で心から感動したのは、SSくんの結婚式だけだから。
 すぐにLINEすると、「日本に帰るのは嘘じゃなくて良かった」って。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、泣いちゃったよ。

 っていうか、そもそも、引っかかるほうが悪いんだぜ?
 12年前の4月1日エイプリルフールにも、俺がこのブログをやめる、って言ったら、「ブログはやめないんだよな?」と言ってきてたじゃん。毎年やってるんだからさ。

 お前と一緒に作った、ABCグループ理論、今の中高生にウケてるみたいでさ、俺のYouTubeチャンネルの一番の再生数だよ。5000回以上も再生されてるなんて、いまだに信じられないわ。
 また、何か、価値あるものづくりを、一緒にさせてもらえたらな、って思っていたりするけど、、きっと忙しいもんね。俺は、お前が、本当の意味で暇になるまで、ずっとずっと待ってる。そして、そのためにできることがあるなら、なんでもしたいと思っている。

 …というわけで、高3の時の話をごっそり抜いたんですが、それはまた次回。
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