たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

改善の兆し

2009-12-31 02:53:24 | Weblog
 『もうやばいなーって思うはさ、2010年になるってーのに、何にもわくわくしないんだよね(笑)。ほら、あったじゃん、年末って、うぉー新年になるんだーって。』
 「あー、まぁ、確かにね。あれじゃない、年賀状書かないっていうのもあるんじゃない?」
 『僕、別に、年賀状書きますよ。』
 「マジで?」
 『僕、そういうのは、マメですもん。』

 と言いつつも、割と、年明けに対する期待感は、同じ世代の中では、あるほーだと思う。あくまで、同じ世代の中ではね。

 はぁぁ、でも、なんてーか、ちょい前に比べて、全体的に、本当に夢がなくなってきたなーって思う。俺だけじゃない、俺らの世代だけじゃない、と思うんですが。。
 レコード大賞もつまんなかった。今年の年末の音楽番組見てると本当に思うけど、過去の映像や昔の曲で、ごまかすんじゃねー、って思う。数字とれないから仕方ないのかもだけど、もっと今年の曲で勝負できるようにならんといけない。
 エンターテイメントで期待できるものが少ないな。お笑いも飽きたし、来年のw杯くらいじゃん?ランク的に予選敗退かもだけど、期待はあるよね。

 こりゃ、ちょっと、心がおかしくなっても仕方ない時代でっせ。
 かといって、一人一人の問題であることを認知しなきゃだけど。だって、みなさん、早く結果が出るものしか頑張らないもんね、俺も含めて。しかも、その頑張りのレベルが高くない。
 よく考えもしないで物を選ぶからブランド志向になるし、辛抱強く無いからお薬も蔓延するし。加えて、youtubeなど、すぐ欲望が満たされるモノで溢れている。
 薄っぺらいわー、ホント、薄っぺらい。

 『えーっと、マジ、予定合わないねー、、っていうか、この辺、やってろよー、予備校だろっ!』
 【えぇー、だって、その辺は、大晦日でお正月じゃないですかーー。】
 『もぅ、関係ねーだろ。』
 【そんなことないですよー、テレビみてー、美味しい物食べてー。新しい年が来るんだーってワクワクするじゃないですかー!?】
 『あー、まだ、ワクワクしてんだー。いいね、なんか、年齢差を感じるわ。』
 【どうしてですかー?】
 『もぅ、俺らなんか、あれだからね、ただの数字の羅列の変化にしか感じないからね。コロって変わるだけやろって。』
 【そんなー。】
 ……(中略)……
 【だからちょっと、将来が不安です…!】
 『今からー?!まだ高校生じゃん!もっと、今のことを考えて、生活したら?』
 【文系のほーがイイのかなーって、経済とか金融とか学んでー、そっちのが役に立ちそうじゃないですか。】
 『(あー、まだ大学を養成所か何かだと思ってるのか)あのねぇ、俺なんか、これでも、超がつくくらい、真面目な部類の大学生だぜ?なのに、何時に起きると思う?最近なんか、9時だったら、早いほーだからね(笑)。(ホント、ここ最近だけど。。)』
 【えー、そりゃ、先生は。。】
 『それに、企業つったって、ほとんどがむしろ、理系だろ。カードとかは別にしたって、たいして真面目に勉強してもいないミクロ経済学の知識なんかより、実際の技術のが役に立つと思わんか?(わりーけど、マクロだってミクロだって、経済学ぐらいだったら、たいてーのヤツより余裕で俺らのができるぞ、きっと。)』
 【じゃー、銀行とかはどうですか??】
 『あー、銀行もいたなー。うん、だから、そんなに学科名に振り回されなくっても大丈夫だって。』
 【本当ですかー?】
 『絶対、大丈夫だから。文系就職も、学科の名前と関係ないとこ就職も、できるから。大丈夫だから。』

 なんか、絶対大丈夫やからツアーみたいになってるけど(笑)。終いには、スネギロチンとか出てきそう。

 うーん、どーも、目先の結果を求めるくせに、すげー先の起きるかすら分からない将来について、不安がって、考えて、きっと半年もすれば、その未来を拠り所にする。それじゃぁ、ダメだって。
 すごい先の将来に想いを馳せるなら、すごい辛抱強く頑張らなきゃいけないし、目先の結果を求めるなら、今できることをきちんと考えないと。俺は後者のほうが賢いと思うけど、まぁ、バランスだよね。一番ダメなのは、過去に想いの拠り所を作ることだけど。

 みんな、無駄に、賢い。たいていの大人のサンプルをみて、『あー、頑張ったとしても、あの程度なら、頑張らないほうが得かも。』『超頑張ってもあれなら、あんまり大人になりたくないなー。』ってなる。そりゃ、勉強する価値を見いだせなくなるし、大学時代に遊べーってなるわな。
 それこそ、昔はまだよかった。音楽とか芸能的に輝いている大人がいたから、希望を失わずに済んだ。でも、今や、それすら、縮小されつつある。

 別に俺も、あんまカワラナイ。だって、

 「いや、不幸は幸せだよ。だけど、そこから学びとれたら、幸せじゃん。不幸だけどさ、不幸じゃないのより、幸せじゃん。」

 って聞いて、『いやいや、不幸なぶんだけ、心が損だし、別に学ぶために生きてるわけじゃねーし。』って思っちゃうし。『なーんにも知らないで、迷惑かけたことも気がつかず、不幸な人の気持ちが組めなくても、絶対的には小さい悩みを抱えながら、実際生きている人間は、たーっくさんいるんだから、そっちのが幸せやろっ』てね。

 でも、俺は、まだ夢はあるし、楽しめる。楽しいじゃなくて、楽しめる。
 どーにかして、楽しめるように持っていくマニュアルだって、いくつかある。だから、おかしくならなくて済んでいる。

 その夢を一番曖昧に言うなら、もっと全体的に改善できるだろっ、ってとこ。前みたいに、俺が世界を救うんだー、助けるんだー、ってほどの元気はなくなっちゃったけど、少しずつでも、ある部分だけでも、貢献したいな。
 しかも、うれしいことに、これについて、同じことを思っている人が、周りにいる。少ないけど、いるにはいる。自分のことだけで、精一杯な世の中のはずなのに、貢献したいだなんて、傲慢で現実味がないよな(笑)。
 だが、実は、理屈的には間違っていない。だって、自分だけで精一杯だからこそ、他人のことを考えることで、自分のことを考えなくて済むからね。そして、元気がこっちにフィードバックされる。つらい時にあえて他人の荷物を持つことは、実は理にかなっている。
 そんな奴をみると、もしくは、そうなりそうなヤツをみると、希望のカケラだなって、思えるのだ。そして、俺が、一番、そういうヤツに助けられている。

 一対一で真剣に話している時、もっと大きな、概念的な、物理的じゃない、社会みたいなモノと戦っている自分に気がつく。その瞬間に、無駄に賢くなって、こんなんじゃ何にもカワラナイんだよね、って思ったりもするけど、ミクロなモノがマクロなモノにつながっていることは間違いないんだから、今、この瞬間だって必死じゃなきゃ、って立ち直る。

 今年は、院試で、いろんな研究室を見てきたけど、どこでも、「役に立つか」と「理学興味」の価値の線引きにわさわさしていたと思う。生物系では、特にだと思う。極端な話、数学科では、この観念すらないもんね。
 この系では、俺は、目先の結果のほうが、大切だと思うから、そういうテーマでお願いしたけど、、まぁ、実践的に活躍してる人から言わせたら、ぜんぜん役に立たない仕事なのかも。

 教育実習でも、院試でも、卒研でも、誰かと話していても、自分や他人や制度の問題点は、よく気がつくし、その点だけは慧眼だったと自負しているけど、実質的に具体策が何も浮かばないし、浮かんだとしても、無力だったなって思う。
 本当に、「問題を発見したら解決したも同じ。(by Einstein)」かな?

 それにしても、今年は、いろんな意味で、勝率が、低かったなっ。目先の結果を求めるんなら、院試を除いて、惨敗。今までよりも、もっと大きい問題や根源的すぎる問題と戦っているからだろうけど、それでも、やっぱ、負けたくない。
 勝つまでやめなければ、必ず勝てるはずだから、まだまだ、懲りずに、ちょっとずつでも、改善しようと思う。
 まだ頑張ろうっと思える理由は、理屈じゃないからこそ大切な部分の存在を信じているからなんだと思う。

 ではでは、みなさん、きっと、よいお年を。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Why Dynamic Equilibrium States ??

2009-12-30 01:35:08 | Weblog
 何か大事なモノを無くして、本当に悲しくなるのは、その瞬間じゃない。その後、だいぶ経って、ふとした瞬間にぐわーって思いだして切なくなるんだと思う。身体が拒否反応を出しはじめる。精神的な想いが肉体的に影響を及ぼす。
 やっぱ大事だったんだーって再認識させられる。

 俺は、あまり場所に未練がない。次々に新しい場所に行くのはそこまで苦じゃないし、むしろ好きだ。だけど、ある程度の期間経って離れた場所に帰ると、俺はなんでこの場所から離れちゃったんだろぅって思ったりもする。時間によって自然にいなくなった場所なら、なんで、もっとこの場所に依存しなかったんだろうって思う。
 別にイイんだよ?これからでも…。って、どこからか声が聞こえてきそうだけど、変化の安定感から、それは除外される。この動的平衡状態が、今までは、俺にはちょうど良かった。忙しくって、自分のことを、本質的に考えなくて済むから。

 このページでも、誰かとでも、授業でも、俺は自分の事は、ほとんど喋らない。どーでもイイことや、他人の大事なポイントについてだけ本音を言うようにして、いつも本音を言っているようなフリして、自分の事はほとんど話さない。断片的に、要所要所を話すだけにして、んで、一般化して、本質的で具体的なところは、一切…。
 だから、少ない情報の中で、決めつけ覚悟で、自分の事を言い当てに来られ、それを高確率で正解する人を感じると、すげーって思う。どーしたら、そこまでになれるんだろっ。っま、でも、当たらない人には、決めつけないで欲しいですけどね(笑)。

 離れた場所に戻ってみると、その大事なモノが無くなっているのに気がつく。流れゆく変化のなかで、もう元には戻れない。例え、戻ったとしても、きっと微妙に違うはずで…。
 何度も何度も姿を変えては俺の前に現れたモノを、今日はこっちから探しに行ってしまう。

 どーせ感情依存になりきれないなら、せめて、大切なモノが大切なんだって、そのときに気がつくくらいの賢さが欲しいかも。
 それがダメなら、、どうしたら、時間を戻せる?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

色のついた世界に戻そう

2009-12-29 02:37:39 | Weblog
 誰かがなんかムカついたとする。知らず知らずに、また他の誰かに当たり散らす。これをn回繰り返したときに、想いの容量が大きい人で止まる確率は非常に高い。
 どんどんどんどん、ある人の想いの容量があふれ出し、それが、ある人の想いの容量へ。まるで、Harmonic trappedしたHubbard内で、SpinのImbalanced性を与えたFermi粒子達のように、平衡状態を探して、どんどん、さまよう。

 「わかるけど、容量が無い中で、空けようとしなきゃなんだから、、まぁ。」
 『違う。別に容量が無かったわけじゃない。使いたくなかっただけだから、自分にムカつくんだよー。』

 自分の成功を確実にするために、想いを自発的に溢れださせるのだって、立派な想いの容量の定義じゃん。そう気がついたとき、リスキーなのは承知で、限りある胸に抱く想いの容量が溢れて行きそうになっていくのを止められる触媒を探す。

 想いが溢れないようにするための触媒に音楽があったりする。生活上のたいていのイヤなことは、もう誰かが経験したことのある不幸なわけで、俺が感じる程度のイヤなことは、だいたい歌になっている。
 それでもダメなときは、相手に一枚、カードを提出する。あまりにも長い年月、握りしめてしまうせいか、ボロボロでしわくちゃな切り札であるが、いつも、予想以上に慧敏だ。

 例えば、そんなとき、ふふんって、容量が広がるのが、意識的に、わかる。その反応をしすぎた系について、ついには、触媒なしで、その広さを保つことになる。

 最近、やっと、わかった…。こういう風に、想いの容量が有限から無限へとシフトしていくのか。そりゃ、2人とも、感情も失うわけだ。
 でも知ってた?「究極的な思考」と「感情」は、原理的に、区別できないんだよっ。だから、感情を失いつつも、彼らは、極上の「思考と感情」をミクロに沢山持ちあわせる。

 俺も、きっと、そんな風になりかけてしまっている。

 だとしたら、もう、心を空(カラ)にはしない。させない。俺らで止める、絶対に。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

質問のHow To

2009-12-28 03:20:32 | Weblog
 『完全によくあるネタだけどさぁ、イチゴは、野菜グループらしいよ。』
 【え、マジで?】
 『いや、マジですよ。』
 【じゃあ、スイカもですか??】
 『はい、スイカも、ずーっと前から、野菜グループです。』
 【じゃぁ、何が、くだものグループなんですか?】
 『えーっと、バナナとか、モモとかじゃないですかね。』
 【でも、その感じでいくと、アスパラも、くだものグループっぽいんですけど?】
 『うんうん、確かに、アスパラも、くだものグループなのかもしれない。』
 【っていうか、何が野菜で、何がくだものなのかなんて、どーでもイイっ(笑)。】
 『そだね、始めといて悪いけど、どーでも良いね(笑)。』

 そんな会話を研究室でした。

 ところで、俺は、卒研ゼミでは、かなり質問率が高い。院生の発表に対しても、多少は質問をする。こんなこと言うと、「いじわるー」とか言う声が聞こえてきそうだけど、全然逆だっつーの。助けるためのクエスチョンに決まってるやろーが。…だけでも無いけどね(笑)。
 質問には、いくつか種類がある。質問が出た瞬間に、きちんと分類する必要がある。その種類とは、

 ①発表者に対する教育的な質問。

 これは、俺が生徒にする質問はすべてそうである。だいたい、この手の質問は、『これ、知ってる?』『え?ちゃんと理解してるの?』ってのが多い。知らなきゃ困るだろうから、親心として、この手の質問をするのだ。

 例
 『行列のn乗を求める方法は、解法4つくらい覚えとけっつったけど、全部、言える?』
 『この係数、もし1だったらyはどうなんの?…うん、だから、1のときと、そうじゃねーときで場合分けすんだよな?』
 『こんなふうに、that節の中の動詞にshouldをつけるか原形にしなきゃな、主節の動詞、あと何個知ってる??』

 ②質問者がマジで知らない質問。

 これは、俺がOne×Oneで先輩や先生によく聞く質問。この手の質問は、自分のわからないところを、恥ずかしがらずに、明確に質問する必要がある。困っていることをきちんと伝える必要がある。

 例
 『クロネッカーデルタをプログラムで表すには、どのようにすればいいですか??』
 『この秩序変数はペアを壊すって言う意味があるのに、なんで、ゼロのときに、通常状態なんですか?』
 『こんな分野って、あと、どこの研究室がやってるか、ご存知だったりします?』

 だいたい、この類を想定するんじゃないだろうか。だが、俺は、この2つの種類の質問は、卒研ゼミなどの対等な立場では、しないようにしている。
 だって、①は単純におこがましい。そんなところで実力を見せつけなくても、俺は自信家だしー。②は、わざわざ発表中に聞かなくても、そんなに他人の研究が気になるなら、あとで個別で聞けば良い。だから、この2つは、なるべく、しない。
 先に、ルールを言っておこう。まず、俺は、その場にいる人の5割以上が何を言っているのか、その概要すらわからないような質問はしないようにしている。同じように、その場にいる人の5割以上がきっとわかっているであろう質問も、しない。なら、どのような質問をするか。それは、、

 ③聴講者の多くにとって、発表内容の理解を促すような質問。

 これに尽きる。少なくとも、しようとはしている。
 この質問は、多くの聴講者が欲している情報と不安な箇所の中で、「こんなこと言ったら馬鹿にされるんじゃないか」というような言いにくい質問を、勇気を持って質問することが、大事だ。だから、なかなか難しく、ケースバイケースすぎるので、例を挙げることもできないけど。
 ゆえに、必然的に、俺がわかりきっている内容も、質問する場合もある。そんな時に、「え?そんなこともわかってないの?」って思われると非常にムカつくけど、別に良い。だって、俺は別に、その少数派のために、質問しているわけではないし。
 あと、緊張しまくってる発表者には、

 ④精神状態を落ち着かせるための超簡単な質問。

 もする。完全にわかりきっている、みんなの共通常識を確認するのだ。この後、③をすると、効果的。
 ③の性質は、大きいところ、アウトラインの質問になることが多い。難しい専門用語とか、そーいうんじゃなくって、だいたいどんな風になっているのか、っていう質問になることが多い。

 俺は、この③に関連するような質問以外、する価値はないと思っているので、先生を除く、他の聴講者が、①とか②で質問すると、『あー、もう、いいからいいから。』『そんなんわかったところで、どないするねん?』とか思ってしまう。①みたいなのって本当に発表者を傷つけるときがあるから、明らかに①のときは、答えられる質問なら、あえて、その質問に俺が答えたりして、暗に『そーいう意味のねーことするなよ』『どーでもいいよっ』っと伝える。

 そろそろ読者は、「最初のくだものと野菜の話と何が関係あるんだよー?」っとなっているだろう。読者の5割以上が思っているであろう、その質問に答えよう。

 『アスパラが本当はくだものグループかも、って話、どうでもイイ話の代名詞じゃね?!』
 【確かに。じゃーさ、したらさ、今度、ゼミで誰かどーでもイイ質問したら、それ使えばイイなじゃない??】
 『(んな、また、てめーでできもしねーこと言うなよ(笑))またまたー、先輩、そんな、アスパラは本当はくだものなんです、みたいなこと言わないでくださいよー、って?』
 【そう。】

 こんな会話をして、はや1ヶ月、割とマジで機会を窺いつつも、今だに、成功に至っておりません。

 Reference:
 テキストワールド
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決めつけないで

2009-12-27 04:51:09 | Weblog
 数学の問題を解くとき、手が止まったら、考える価値のある手法がいくつかある。『定義に戻る』『図を描いてみる』『対称性に着目する』などなど。その中でも、一番誰でもやる∧役に立つ頻度が非常に高いのが、『下位の問題をいくつか解いてみる』だ。
 これは卒研でも使っていて、いきなり研究テーマは出来ないから、まず一番単純なのから考えてみることをさせられた。そのプログラムが理解でき、実行が成功したら、今度はそれをちょっとムズくしたやつ。それができたら、いよいよ、本来扱いたい問題の結果を目指す。
 このように解きたい問題を下位の問題にわけることで、流れを実感することができるし、本来解きたい問題をきちんと把握することができる。学習するときの基本的な手法であり、研究でもそうらしい。

 この手法において、特に注目すべき要素は、時間だ。時間に依存している問題を扱いたい時、いったんある時間に固定し、その時間の空間変化を追うことを考え、その中で、系(システム)を見に行く。
 すると、たいていの場合、どのような問題でも、今後、だいたい何が起こるのか、予想をつけることができる。その流れの曲線を見つめることで、この先、相転移を起こす可能性はどれくらいか、実際には把握しきれない空間領域の状態をどのように解釈するのがベストか、などを査定することができる。

 与えられた情報をきちんと解析し、時間依存性に気をつければ、確率的に、真実を見つめることができる。しかも、割と高い確率で。経験則は、ほとんど要らない。まったく無いのはダメだけど、経験則に縛られ過ぎた解は、そうでないものよりも、真実から遠いことが、経験的に多い(矛盾?(笑))。

 すごく抽象的な話を長くしてしまったので、簡単な具体例を出すとしよう。
 塾講師として、生徒が第一希望の大学に受かる確率を示唆するのは立派な仕事だ。受かる確率を算出してみるときを想像してみてほしい。
 この系では時間依存している問題なので、まず、その子の現在の学力レベルを査定してみる。国立大学なら5教科7科目、今現在、センター試験型の模試でどれくらいの点数がとれているのか、単純にこの問題が解けるのか?などを考えてみる。普通の全国模試では、あまりあてにならない。大学別の模試なら話は違うけど。。などと考えていく。
 これはこの系特有であると思うが、この系では、必ず、その時点での合格は難しいと判定されるはずだ。そりゃ、第一希望の大学を今すぐ受けても、受からないだろう。
 そして、ここから時間依存性を加えてみる。今までの伸び具合、精神面、直前まで諦めないタイプか、上手い負け方を探してしまうようなタイプか、どれほど賭けているのか。。そんなことを考慮に入れて、未来の可能性を判断していくのだ。

 こうして考え出された答えをもとにして、もっとこうすれば合格の可能性が高まるんじゃねーか?っていうのを、解析過程の条件から伝えれば良い。

 この例は、もっと大事なことだって教えてくれる。時間依存性のないモノこそ、ホンモノだってことだ。
 いつ受けても受かる。どんなに調子が悪い時でも、今すぐ受けても、どんな精神状態の時でも、この大学は受かる。そういうヤツは、実際、その大学はちゃんと受かるし、ホンモノの優秀な受験生だ。
 たいていの系で、もし、あなたがホンモノを見つけたいのなら、今までは別にして、ここから先については、時間依存していないかを考えれば良い。今後、時間依存性無しになる可能性を考えれば良い。時間によって揺らぎまくっているんなら、問題あり。

 以上のように、頭による解析は、ヒトにとって、貴重な武器となる。
 しかし、困ったことに、こういう作業をするのが、試験1週間前だったりするときが多々あるのだ。いやいや…、もっともっと前に俺に解析を求めたなら良かったけど、1週間前じゃ解析はできるけど、それによって算出される、「できること」は少ないぞ。。ってね。
 合格って判断できる場合は全然良い。だけど、ヤバいかもっと判断された時、どう伝えれば良いのか、本当に難しい。もっと最悪な場合だと、相談者にとっての不幸な事象が、時間依存性無しで、ほぼ確実であると解析されてしまう場合(つまり、不幸がホンモノってこと)だって、少なくない。

 こういうときは、冷酷に、頭による解釈をそのまま語るより、情を持って、相手の望みを考慮した解釈を語るのが大切だ。そうすることによって、その勝負はダメでも、絶望感にならず、次、頑張ることだってできるし、そもそも解釈自体が完全に間違っている可能性だって、十分にある。

 『っていうのが、大事だと思うけど、どう思う?』
 「当然。人から相談を受けるときの、基本中の基本だね。」
 『でも、(その相談者が抱いている幻想よりは真実によりきっと近いであろう)真実を言うほうが、良い事もあるっちゃあるし、だから、全部宣告する場合もあるんだけど…。』
 「うーん、っま、そうかな。あとね、僕は、所詮、確率でしょ、ってところに、自分の逃げを作っておく。」
 『え?』
 「だから、どんなにすごい解析力をもってした解釈でも、未来や見えないモノを語っている限り、確率でしかないじゃん。だから、極端じゃない程度の少ない確率でも、それが希望なら、そっち側へ切りつめていく。」
 『それは、なんか、性格悪くない??(笑)』
 「そうか?(笑)」

 結局行きつく先は、頭と心か。
 頭の解釈なんて吹っ飛ばす、心依存で働く、ものすごく強いパワーを知っているからこそ、こんなまわりくどい相談手法になっちゃうんだろうな。。

 何事でも、絶対に負けない方法が1つだけある。それは、何も期待しないことだ。少なくとも、期待していることを決して表に出さないようにする。そうしたら、実質的に負けることは絶対にない。
 だから、人は『あの科目は勉強してないから単位とれないと思う』『っま、別にそこまでじゃなかったけどねー』っと言いたがる。

 心で期待している事実の可能性が頭の解析によって矮小化されてしまったときに、その事実を期待している気持ちをも矮小化しようとすることが慣れてしまっている状態こそが、一般に、大人である、っと言うのかもしれない。
 きっと誰でも、そこに1%の可能性すら無くても、賭けてみたいっと願う子供の心を大切にしたいのに、スベテをさらけだすのが、とうとう難しくなってしまったんだ。

 いや、それでも、そんな気持ちを本当に大事にしたい、もしくは、それを誰かに求めるんなら、、
 決めつけないで。

 『なんで??なんで、お前は、そんなに全部について、勝てるんだよっ。ありえないわー。』
 「あー、ばんちょー、それはね、何事も勝つまでやめないからで、勝ったモノしか他人に言わないからだよ。」

 そこまで強くなりたいから、気持ちを矮小化したくない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Physical Review Letters

2009-12-25 03:37:40 | Weblog
 俺は、なかなかモノが捨てられない傾向がある。
 すんげーくだらないモノでも、とりあえず、とっておく。暇つぶし用の本のレシートは必ずその本の最後のページにはさめておくし、一個しか式を書いてない計算用紙でもとっておくし、消しゴムがちょこっと割れてしまっても、俺はその小さいカケラを見捨てることは絶対にしない。

 ここまでなら、あんまり困らないのだけど、さらに困ったことに、そのどーでもいいようなモノでも、なくしてしまうと、ものすごい不安にかられる。やべぇ、かわいそ、、とか思うのだ。
 そいつを見つけ出すために、俺のシコウを最大限に使いまくる。えーっと、あーして、こーして、このような可能性もあったな。うーん、イヤ、待てよ、あれから、こー動いたのかもしれないんだから、こっち側を探した方が、あーだったとしても、見つかる可能性が高い。あそこを探す時間があったら、こっちを探した方がいいよな。ってな感じで。

 これに加えて、いつも持っていなきゃ不安症も持ちあわせているので、必然的に、荷物が重くなる。他人に俺のカバンを持たせると、必ず、「こんなに何が入ってるんだ?」っと言われる。もう慣れっこなので、表情を変えずに、『あ~、爆弾です』って答えるようにしている。
 仲良くなればなるほど、俺の、なんでも持っている&とっておく性質に気が付かれているので、

 『うゎ、開かないや。』
 ≪カギ持ってないし、せんせー、待つしかないね。≫
 『仕方ないね。』
 ≪ってか、ばんちょー、カギ抜けの道具持ってるでしょ?早くだせよ。≫
 『流石にねーよ。』

 なんつー冗談を言われることもある。ま、はっきり言って、いちいち、ムカついてるんですけどね(笑)。
 さかのぼれば、小学生の時、なんか無くしモノをして、授業完全にさぼって、探しまわったことがあったな。普段、そんな子じゃなかったから、先生がびっくりして俺を怒ってたけど、今から考えれば、それくらい解析できろよ、っとも思う。無理だろうけど。

 過度な一般化を避けるために言及しておくが、物理的にカタチあるモノが物理的に壊れてしまうのがとてつもなくイヤなだけで、精神的にカタチあるモノが精神的に壊れてもそこまででもない。
 だから、貸したハサミが返ってこないとか、マジで、さいあくー。貸す時は必ず、『別に良いけど、あなただけが使ってね。他の人にさらに貸すときは、俺にちゃんと一声かけてね。いい??わかった??』って聞く。そこで人間関係がギスギスするほうが、ハサミを無くすよりマシなのだ。

 大事な大事なモノをなくしたときの心の持っていき方も人一倍知っている。

 『まぁ、なくなってしまったことは、ショックだけど、きっと、ヤツが、俺に降り注がれるはずだった不幸の一つを防ぐために、犠牲になってくれたんだろう。ありがとう、お前のことは、きっと忘れないよ。』

 っとすると、割と、早く復活できる。

 これらの感情のせーで、誰かを傷つけたことは確実にあるし、自分にとって不利益になってしまったことも、何回もある。

 『ほら、これ、あなたのでしょ?』
 「ほんとだー、よくこんなもん、とっておいたねー。」
 『ちゃんとしとかないと、ダメだよ。』
 「こんなもん(笑)。捨てちゃって良かったのに。」
 『何言っとんじゃ、ぼけー。もっと、モノを大事にせんかーーい。』
 「え?」

 ってな感じで。
 ったく、世の中、優しくねーよな。

 …うん、やっぱ、ヒトが人として最重要な、あの2つを感じ取っているのは、幼い頃からの根源的な想いからなんだなっと、思う。それをなんと罵倒されようと(あんま罵倒するヤツもいねーと思うけど)、この2つだけは、感情に従っていたいと思うのだ。
 基本的には、絶対に、メンタルよりフィジカルなモノが優先されるべき。例外は、たった一つだけ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラジカル連鎖反応

2009-12-24 03:25:11 | Weblog
 ………
 0845~

 『はーぃ、したら、朝の連絡始めまーす。えーっと、、ほら、そこ、静かにしなさいっ。っていうか、席戻れっ!!』
 【マジ、こいつが、俺のケータイ見てくるんですけどー。(笑)】
 【見てねーし、ちょっと、触れただけだろ。(汗)】
 『(あー、あれ、生徒側だったら、超面白いんだろーな、みんな笑ってるし。とりあえずマッスーはいじっとく、みたいな感じだろ?だがしかし、教員サイドだと、超つまんねー、はぁあ、生徒側になりてー、、)はいはい、いいから、あとでね。今、連絡してるんだっつーの。ほら、座れっ。えーっと、図書委員の人、今日のお昼休みにお弁当を持って、図書室に行ってください。あ、図書委員の人は?手挙げてー。。』
 【はーい。】
 『あ、君らね、んじゃ、よろしくー。』
 【せんせー、今日、私、学食なんですけどー。】
 『(知るかよ、んなん。)したら、10分休みのどっかで、図書の先生に聞きにいったら、いんじゃん?』
 【はーい、そーしまーす。】
 『(うわぁ、やべ、こんな時間だ。)んじゃ、これで終わりまーす。(はぁ、5分もオーバーしてる。。っま、しゃーないか。)1時間目は体育ですので、早く行ってください。』

 【うゎ、もう0855じゃん。】
 【ホントだ、0855終わりは、ねーよな。】
 『(てめーらがうるさくしとったんだろーーがーーーーっ!!…いやいや、落ち着け。俺は顔に出やすいんだった。やばいやばい。。ほら、こいつも、若干、俺の表情を読み取った感じを出した表情をしてる。よしとするか。っていうか、そんなん考えてる暇ないな。俺も1限のクラスにさっさと行かなきゃ。ぎゃぁー、朝の健康管理チェックしてねーー。いつもなにかしら忘れんだよな。っま、いっか(←良くない(笑))。)』

 ………

 というところで、目覚めた。やけにリアルな夢だったな。。

 そーいや、俺も、学校生活や団体生活のなかで、基本的に急がねーもんな。中高はもちろんだし、大学でだって、実験を一刻も早く終わらせようなんて、その先の時間に何か無い限り、考えもしねーし。のわりに、文句は超言う。俺もカワラナイな。
 なんてーか、他力本願ってーか、指示待ちヤローが多いよね。高校生はイイとしても、いくらなんでも、もっとどーにか、自分で考えて動けやっ、って思ったりすることも多い。自分自身に対してもね。

 んな思考をすべてちゃんとしている夢の中の自分に気がついた。はぁー、まだ、あの2ヶ月間の疲れを引きづってるんかなー。ちなみに、これは完全に俺の夢だが、これと同じようなことは、何度も経験している。
 去年、ラジオで松本人志がよく言ってたことと、まったく同じこと言うけど、1ヶ月くらいお休みが欲しい。なーんにも無い期間が欲しいっす。もぅ、ホントに、精神的にも肉体的にも慢性的に疲れました。本気で休ませて下さい。
 っま、人生での大イベントと言ってイイくらいのことが、立て続けに来たからな。院試と教育実習。そりゃ、まだ、疲れが残ってて当然か。しかも、2つとも、超ギリの成功。体力がない俺としては当然。

 「高橋君。」
 『はい、何ですか?』
 「君の実習ノート、私が点検しました。」
 『(マジで?)あ、それは、どうも。』
 「直して欲しいところは付箋を付けましたが、特に再提出の必要はありません。」
 『あ、ありがとうございます。』
 
 事後指導も終わったし、これで教職界とも、おさらばかな。何個か単位が残ってるけど。

 『マジ、教職やめてぇ。』
 ≪いやいや、このタイミングでやめたら、超バカだろ。≫
 『教育実習まで行ったのに、今さら、授業が重いんだよ。。マジ、やめどき間違えたな。まだ、どちらかというと、卒研してぇーっつぅの。』
 「我慢して免許とっときなって、人生何があるかわからないよ。」
 『怖いこと言わないでくださいよ(笑)。』

 ちょっと早いが、今年の自分を解析してみると、何事も、

 問題の元凶が、物理的に、目の前にいるシーンが多かったな。

 って思う。元凶っつっても、悪いもんばっかでもなくて、俺が悩んでる原因をもたらしてるモノが目の前にあったり、俺がムカついてる根本原因がすぐそこに、手を伸ばせば届いてしまうほど近い位置にあることが多かった。

 東大至上主義すぎる教員と闘ったり、ループ&ループになりかけている誰かの思考と闘ったり、諦めそうな自分自身と闘ったり、逆に、なかなか諦めない自分自身と闘ったり。。そんで。。。
 まだまだ、沢山あるし、今、現在も、その死闘は続いていたりするモノもある。俺なりに、まっすぐ闘ったつもりだけど、問題は山積みだな、って思うし、俺の周りの、お助けバイタルが超ある方々に、ものすごく感謝をしている。

 すべての問題点の行きつく先は、驚いたことに、中高の教育制度や学校生活の中にある。だから、まだ、あんな夢を見るんだろう、とも考えられる。
 少なくとも、小さい問題が大きい問題に寄与していることは、自分の中で証明された。高校生が、どんなに、俺にとっては、くだらない悩みを持ってきたとしても、案外、それは、俺や大切な誰かや自分を指導する教員達が抱えている問題と、類似するところが認められる。
 さらに、その大きな問題とされる問題が、小さい問題に影響を及ぼし、つながっていることは、言うまでもない。

 だから、教員になるつもりは皆無でも、自分の中では、真剣に教職が取り組めたんだと思う。
 それは実際には損だけど、すべてのことにつながっていると、思っている。連鎖的に、自分にも跳ね返ってくる。

 そのさらに根本原因を、もっと小さい子達に感じることはあったし、そのことをここで書いたりもしたけど、小学生間で起こる現象を自分の身の回りに適応させることは、素粒子で使える考え方を力学で扱うくらいマクロな系にそのまま適応させるほど無謀な話なわけで、俺は、もっと、実質的に問題と闘いたいから、今はまだ、やめておくとしよぅ。

 だから、、生物やるんだから、卒研は、素粒子じゃなくて低温物理にしたんだしね。ちょっとでも大きいほうが、その後の得かなって思ったから。
 あと、生物だから、ボソンじゃなくてフェルミオンとかね(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Have Yourself A Merry Little Christmas

2009-12-22 00:48:03 | Weblog
 寒い。超寒いっす。寒いの苦手だから、着込んで、モモンガを抱っこする。うー。
 そして、意味もなく、眠い。ぐーぐー。
 今日も、そんな研究室での日常でした。

 ボストン帰りのポスドクの方に、『むこうは、もっと、寒いんですか?』っと、わかりきってる質問すると、「そりゃもう、なんたって、夜は-20℃くらいだからねー。北海道より寒いよ。」って。いくらなんでも、そんなに寒いのかよ。なんか、Fahrenheit使う意味がわかった気がする(笑)。
 ってか、ボストンってそんななのかいな。。寒すぎてその辺にありそうじゃない、超伝導状態とかが。

 「今日はめっちゃ寒いね。」
 『うん、そだね。おー、サンタだー。』
 「ホントだ、あのヒゲ、明らかに、つけヒゲだね。」
 『だね、、ってか、うわ、なんだろ、あの人、めっちゃ挙動変。』
 「こらこら、指ささないっ。」
 『あー、あれ見て。超伝導状態になってるよ、あの物質っ!』
 「うぁ、そりゃ寒いわけだよ。」

 ってな感じで。だって、この世で超伝導状態を確認してなかったかもな物質はありそうなわけで、-20℃くらいで起きてるかもしれないじゃん?
 っま、実際んところ、っパっと見ただけで、超伝導状態かは、わからんですけどね。

 そんなことを想像したら、東京なんて暖かいもんだ。ボストンより25℃近く高いじゃないか。夏だな、うん。

 街が寂しさを帯び始め、誰もが落ち込む、この季節、どうかあなた自身のクリスマスをささやかに楽しんでほしい。トラブルだらけの繰り返される生活を締め出し、いつかの遠い日々のように、どうにか、楽しんでほしいと思う。
 クリスマスの季節は、いつも、あんまりイイ事がないけれど、プラスの方向に傾く兆しが見えるのも、悩みがなくなりそうになるのも、この季節だ。

 きっと、今だけ。そう信じるように、くだらない冗談でごまかす。
 だから、今は、いつかの懐かしい日々と同様に、無邪気に戻っていたい。

 (今年、俺が一番好きな、クリスマスソング。またかなり古い曲であるが、曲名は知らなくても、聞けば、あー聞いたことあるって、なると思う。White ChristmasやJingle Bell Rockなどからは、ちょい定番からずれるのかもしれないけど、この曲が一番、クリスマスの独特な寂しさを伝えていると思う。
 そういや、なんで、クリスマスソングってーのは、聞けばクリスマスソング、ってわかるんだろうか??なんとなく曲の持っていき方が似てるような気がするし、ベルや鈴の音が入ってるからか?)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう一度ゼロスタートしたい

2009-12-20 04:07:22 | Weblog
 なんか、見てるこっちが疲れるような試合だったなーって思いました。
 後半の早い段階で、バルサがペースを取り戻せば、なんでもない普通の試合だったのでしょうけど、遅かったおかげで、いろいろとドラマチックになった感じですね。
 そして、エストゥディアンテスは、セットプレイされるのが上手いんですな。身長的問題なのかな?途中から、コーナー意味ねーって思っちゃった。

 完全にドラマチックな展開を期待するなら、エストゥディアンテスが勝ったら面白かったかもだけど、リアリティなドラマとしては、とっても見ていて満足な試合だったと思います。
 ずっと勝ってて、同点に追いつかれてから、もう一回、ゼロスタートするのって、難しいんだな、、サッカーでも。そこで、実質的にゼロスタートなのに、精神的には、守りきれなかった、って負けな気分に入っちゃうのが原因だってことなんて、きっと、わかっているんだろうけど、でも、気持ちの面だから難しいんだよね。
 あと、その瞬間に、やっぱ並大抵のヤツじゃないんだから、そりゃそうだよね、ってなって、現実に引き戻される感も、自信喪失の原因なのかもしれないです。こんな感覚、ここ最近、ずっと味わされてる気がします。

 そんなんなっちゃっても、今日のエストゥディアンテスみたいに、必死になって、あきらめない、を貫くしかないんだよね、足痛めてても。延長後半の最後のコーナーもフリーキックも、めっちゃイイボールで、おしかった。もしかしたら、ってんじゃなくて、絶対勝つんだ、って思わなきゃ、あんな局面であのボールは無理だと思うし。

 確かに、俺の場合も、それを、きちんと実行した事象の勝敗は、勝っている、少なくとも、めちゃめちゃおしかったか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EXTRA WORKs

2009-12-18 23:51:27 | Weblog
 仕事を少しだけ引き受けた。どーも、俺も、押しに弱いのね。
 ただし、自分の今後の勉強になるかもって腹の内で思っているところが、イヤラシイ。The Cellやマッキーを読む中で、色々な新しい知識を得て、これが本当は目的だったのかもって思っているのが、ちょっとヤダ。
 まぁ、結果オーライなんだけどさ。

 それ以上に、久々だからこそ、ちゃんとやりたいってーのがある。連続的に同じことをしていると、どーしてもテケトーになっていくし、ループになってつまらなくなってしまうけど、間が空いたから、ちゃんとしたい。
 でも、そんなんしてる場合でもないんだな。今日の話だと、プログラムを回すのに、時間がかかるらしいし、さっさか完成させないと。。ラフになるって決めたから、ある程度は、手抜いちゃうかもだけど、また、習慣依存性が高くなって、ちゃんとやっちゃう自分がいるのでしょう。こんなことまで予測できたって、なーんにも得にはならないから、どーでもいいけどね。

 っさ、この大きい延長戦も、楽しんでいこう。そして…。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理由が無いから大切

2009-12-17 02:12:23 | Weblog
 先週、うちの研究室の先生に2人目のお子さんが誕生した。なんとも喜ばしいことだ。
 それによる周りの大変さの不満もあるかもしれないし、何よりも学部の講義がしばらくテキトーになりそうだけど(笑)、でも、そんなくだらないことよりも、子供を大切にしたい気持ちを、そのまま大切にしてほしいと思う。

 ここしばらく、子供と直接触れ合う機会が結構あったけど、勉強になったってよりは、ものすごく感化された気がする。
 まだ高校生を見てる時は同期や後輩と話してる時とほとんどカワラナイけど、流石に、小学生以下になると、全然違う。彼らは、感情からすぐに表現に繋がるし、思考も浅い。だけど、周りの大人が思っているよりは、子供は賢いし、繊細だ。
 何より思うのは、俺が褒めれば褒めるほど、あまりに褒められる機会が少ないんだなぁっと思う。子供なんだから、もっともっと褒めて、育てていけばイイのに。。それも、多少、巧妙にね。1重の演技じゃ、子供だって、見抜く。
 褒めると意識するよりは、かまう、ってのが、正解かも。

 『っお、うまくできたじゃねーか。市販されてるやつみたいじゃん。』
 【ここんところがね、ほら、セル描いたんだー。】
 『cellって何?』
 【え?怪獣。】
 『(あ、ドラゴンボールね。)日曜やってる、改、見てんの?今、どこまでいってるんだろぅ。。』
 【うん。え、せんせー、フリーザ様とギニューどっちが好き?】
 『俺は、ベジータかな。』
 【えー、、ベジータ??】
 『あいつが一番かっけーんだぜ?』

 【お前、まだ終わってないのかよ。】
 ≪うるさいな。≫
 【ほら、オ(↑)レ(↓)のなんて、市販されてるやつみたいだろぅ。】
 『これこれ、そーやって、ちゃちゃいれないの。。早くできたんだから、ちょっと手伝ってあげなさい。』
 【はーい。ほら、こーやって、ここをつけるんだよ。】
 ≪そっかー。≫
 『あれ、あなたのそれ、何?4-2って。』
 ≪あ、4年2組だから、つけたの。≫
 『カワイイなー。めっちゃ、クラスラブだなー(笑)。』
 ≪ええー。へへ。じゃー、消すー。≫
 『うわぁっ、別にイイのに、そのままで。』
 ≪クラスラブだって、思われるの、イヤだもん。≫
 『別に、クラスラブでいいじゃねーか。悪いことじゃないじゃん。っま、その上になんか絵描いときな。絵得意だろ?』

 【っていうかさー、先生なんで、髪染めたの?】
 ≪うん、なんでー??≫
 『また、その話かよ。おめーらも染めればいいじゃねーか。』
 ≪えー、やだよー。≫
 『なんで?染める時、痒くなっからか?』
 【だって、カッコつけだって言われるもーん。】
 『なんじゃそりゃ(笑)。』

 なんか子供と喋ってると、男の子も女の子も素直すぎて、悲しくなってくるんだよね。どっから俺らはこんなに素直じゃなくなっちゃったのかなって思って、悲しくなる。
 その中で、根源的な感情の存在にも気づける。相手より有利に立ちたい気持ちだとか、世間体を気にする気持ちだとか、好きなモノを知っていてほしい気持ちだとか。 
 どの気持ちにも共通していて、収束できる感情は、認められたいっという想いだと思う。

 こっちから話しかけるまでは、大人は大人、って思ってて、こっちに全然関心がない。んで、ちょっと突っ込まれたり、かまわれたりすると、もっと褒めてー、かまってー、って叫んでるように聞こえる。だから、しなきゃいけないことをほっぽっても、かまって、褒めたくなる。ものすごく大切な一人一人の存在を、きちんと認めたくなる。

 しっかし、昔から小学生の流行ってーのは変わらないもんだ。ポケモンにドラゴンボール、サッカー、キャラクター入りの筆箱に、香りつきのティッシュ。まだ流行ってんのかよって思う。俺らのときと違うのは、モンハンと新インフルくらい。

 『だって、そこで、子どもが、褒めてーっていうサインを出していたら、そりゃ褒めますよ。』
 〔でも、そうしちゃいけない瞬間だってあるでしょ?〕
 『そんなのありません。褒めるのが一番優先です。だって、求めてるんですから。』
 〔じゃー、君は、全部、褒めるの?子供からの褒めてっていうサインを感じ取ったら、全部褒めるってこと?〕
 『はい。』
 〔ホントに?〕
 『当然です。出来る限り。』
 〔………。〕

 俺自身、褒められまくった子供時代だった。最初は、なんだって、それから入る。褒められて、自分はできるんだって勘違いするからこそ、ホンモノになれてこれた。
 褒められたいという気持ちや存在を認めて欲しいという気持ちは、もしかしたら、生きる根本原因なのかもしれない。誰かから存在を認められたい、僕が、私が、存在してる意味って、あるでしょ~?、って思う気持ちこそが。

 それが満たされないまま大人になってしまうことは多いだろう。失敗したって別に良いんだ、失敗しようが成功しようが変わらずたった一人の大切な存在なんだ、ほらすげーじゃん、やっぱり成功してるじゃん、って、どんな子供のどんな周りの大人でも思っているはずなのに、きちんと伝えられなかったなら、その認めて欲しい感情は少しづつ歪んでしまう。
 ちょっとでも自分の存在を認めてくれるモノであれば、むこうにまったく違う腹のうちがあったとしても、それに縋るようになるし、何より、他の誰かに、褒めを提供できなくなってしまう。まだ、自分自身が満たされていないのに、相手の事を考える余裕なんてあるはずもない。
 だから、攻撃する。自分よりも実質的に弱いモノに対して、理不尽で無意味な攻撃をすることによって、自分の価値を測ってしまうようになる。
 このヘルプや褒めを供給できるためのバイタリティを得る方法なら、いくつか知っている。だけど、どの方法も、誰かしらが犠牲になる。だから、どうしようもないのかもしれない。

 だとしたら、誰かみたいに人を助けることに対する無限のバイタリティが無いにしても、有限であったとしても、出来る限り、提供しなきゃなんだと思う。そのバイタリティを少しでも持っているなら。

 …というわけで、卒論仮の添削が遅くなっても、別に結構ですから(笑)。どーぞ、2人のお子さんを対等に、大事にしてくださいね。

 そして、俺自身については、もう少しだけ幼くなって、素直に感情を表現する必要性も感じている。
 ただし、それによって、ボロボロになってしまうケースが周りにたくさんあったりするから、頭を使って冷酷にアドバイスすることも増えてしまうけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒論を楽しく

2009-12-15 00:02:00 | Weblog
 卒論をLaTeXで書いていく中で、どーも教科書ちっくになっていくので、ちょっと嬉しくなる。注釈とかつけまくって、説明を割と丁寧に書いてくと、どんどん教科書みたいになる。
 こりゃ、高校の範囲で、教科書ってーか、参考書みたいなん、書いてみたいな。時間無いけどさ。
 案外、先行研究の論文訳して、訳注つけてるだけで、フォーマルなモノになっていくので、楽しい。

 授業するのは集団でも個別でも割と好きだし、ここで文章を書くのも好き。それが融合される論文を書くのだって、嫌いなわけがない。本筋をいかにわかるように伝えるかを考える一方で、あんま関係ない話もちょいするし、気づくか気づかないか微妙なラインのサインを文の中に入れるのも考える。
 超くだらない事も沢山します。例えば、名前んとことか、

 卒研生 高橋 慧\footnote{(1987-)神奈川生まれ。21世紀最大の物理学者にして最高の生化学者であり音楽家。}

 とかね。っま、流石に、提出の時には、こんなの抜くけど(笑)。
 あと「関数」を全部、「函数」って書いたり。これは、そのまま提出して、何て言われるのか実験してみよっと。

 今日は初めて、図を入れて見たんですが、LaTeXに図入れるのって、超めんどくさっ。
 しかも、図がパワポのになってしまうので、ちょっと教科書ちっくから外れてしまう。普通の教科書にある図みたいなのをつけたいんだけど、なかなか難しいのね。研究室のOSがMacだからWindows環境でどう入れるのかすらも分からないし。

 そして、和訳の難しさを痛感している。
 普通に訳すことは特に苦なくできるけど、わかりやすく日本語っぽく伝えようとすればするほど、なんとなく原文の雰囲気からズレていくし、かといって原文の雰囲気をちゃんと伝えようとすると、普通の日本語にならなくなっていってしまう。
 すいません、今まで、キッテルやマクマリーに、俺がわからないのは訳が悪すぎるせーだっとか八つ当たりして、マジで本当に申し訳ありません。最高っすよ、ベストな訳です。
 他人の苦労を知るとは、こういうことなのですね。

 っさ、先生がワサワサしてるうちに、仮提出しちゃえ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

命を運べ!

2009-12-14 01:12:29 | Weblog
 昨日、いろいろ話を聞いてもらって、自分自身の問題点が露呈した気がする。
 問題点って、大袈裟な言葉ほどでも無くって、性質なんだなと思った、目的や目標から逆算するのが。それも、相当、先の目標から逆算する。

 自分の感情までをも先読みして、その感情を恐れたりして。さらに、そんな風に解析していること自体に、悩んだりして。。こんなんだから、眠らないで見る夢からも、レ点をつけて書き下す『命を運ぶ』かもな事態からも、逃げ出す。

 『あー、アホになりたいっ。偏差値30くらいになりてー。』

 そう呟くと、同時に、

 「クズだなっ(笑)」『サイテー発言だけどね(笑)』

 って。
 よかった。ある程度は真剣、もしくは深刻な話をしてる途中、俺が耐えられなくなって、冗談を言った時に、割と自信があったのに、そのすべての意図を見抜かれて、笑われなかったときは、ツラすぎるから。それ以上に、泣き笑いされたら、もっと、ツライけどね。

 なんで思考なんて、面倒なモノがあるんだろ。確かに、今まで、それをひけらかすことで、お金と資格を得て、ボロボロにならないようにしてくれたけど、全員が思考を持っていなかったら、それでオッケーなのに。
 自然現象を、物理学などを用いて常識的に考えたら、生体すら出現するのはおかしい。そこには、それこそ、自発的対称性の破れ(Spontaneous Symmetry Breaking)があるわけだけど、自発的対称性の破れって、

 「フルハウス、手元にそろってんのに、わざわざ、5枚チェンジするようなもんでしょ?」

 どうして、そんなにも、上を狙いに行くんだろう?自然現象は。
 そんなの、アホじゃねーとできねーよ。

 いや、アホすぎてもそれはそれで問題だよ?ってなって、実質的にはバランスが大事、みたいな議論になるのは目に見えてるから、しないけど、命を運ぶ、って存在をどこかで信じていたいから、そこに関しては、アホでも、賢くても、関係ないって、本気で思っていたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『まだ大丈夫』が口癖になり始めたら

2009-12-13 00:29:48 | Weblog
 今日は、3ヶ所回らなきゃだったんで、単純に移動で疲れました。よー考えたら、今日の移動時間、長っ。

 でも、音楽聴きながら、いろんなこと考えて、思って、外の景色が変わっていくのは、好き。それに、そういう時って、案外、良いアイディアがでるもんだ。んで、それを、こーゆーとこで、書きたくなる。
 なのに、そろそろi-podが限界なのかなぁ、電池の減りが早い。これって、買い直すしかないの??電池交換とかできるのかなぁ。。
 それも面倒だから、まだ許容範囲っしょ、って偽って、あまりi-pod君を光らせないようにと、同じ歌手の曲を続けて聞くようになっていく。

 そういうようなことを、実生活では、あまりしたくないな、って思うのです。だって、古いモノは切り捨てろっ、ってことじゃなくて、ただの電池交換だからね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The End Of The World

2009-12-11 02:54:36 | Weblog
 最近、外出用に使っているイヤホンの、耳に装着する部分が、パカパカ外れる。実際、何度か床に転がり、危うく無くすかもってこともあった。
 まったく。上手い戦略だな。
 だって、音が聞こえないわけじゃないから、修理に出すと、音楽から離れなきゃいけない分、損だし、かといって、いつ無くすかわからない。一部分を無くせば、いくら保障期間中でも、修理代は無料ではないだろう。価格も1900円ほどっと微妙なもん。最近、一番安いモノで、1000円を切ってる中、壊れにくいだろうっと、ちょいだけ高めのモノを買ったら、これかよ。

 俺が経営者側だったら、この戦略を思いついた社員を、昇給させるだろう。素晴らしい微妙な加減だ。
 でも、仕事(学校)とプライベートは別。あんまり、そういう汚いことをしたくないときのが、当然、多い。

 ヒトは手に届きやすいモノを選びたくなるようにできている。だからって、掴みやすい、つまりは価格が低いモノを選ぶとサイテーってーのも、わかってる。だから、価格と価値を関数として、変分計算を行うのだ(価格と価値をリスクとベネフィットで駆け引きして、中間点を探す)。
 きっと、それが賢いんだ、って教えるような教育が、一般的になってしまっている。それは、「利口だけど聡明じゃない。」。つまり、現象として、傍から見ると愚かではないけど、自分自身が、納得できにくくなってしまう。

 「弱虫!並で良いんだったら、もぅ仕方ないっ、どうぞ切り捨てて。だけど、手ごたえのある結果が欲しいなら、努力してっ。その価値はあるはずっ!」

 価格と価値を駆け引き計算しろ、なんて、ホントは言いたくもないんだよね。そんなんじゃなくって、せめて大切なフィールドの中では、もっと、、ホンモノを信じていたい、たとえ、自分自身は、今、掴めていなくても。

 何か、どデカい大きな事態の前には、いつも、こう思う。『これが終わったら、死んでもイイ』
 それが成功しても、失敗しても、次の日、朝起きると、周りが、なーんにも変わっていないことに、ビックリする。どうして、世界は終わったはずなのに、こんなにも、何事もなかったかのように、日々は続いていくのだろう?って。理解できないな。あ、みんな知らねーんだ、世界が終ったってことを。。(日本語にすると、過激だな…)

 それと同じような、終わってしまったら、失ってしまったら、世界は終わりだって思うほどの、ホンモノを、信じ続けたい。
 確かに割と長い時間、世界は終わったって思ったりするけど、だけど、たいてい、その先に、どこか不価値さを探して、見出して、そこを理由に、ホンモノでなかったと、言い分ける。
 今後も、そんなんじゃ、ダメなんだよね。

 だから、、だから、実習の進路決めの時間のとき、『たいした夢がないヤツは、第一希望は、とりあえず、東大にしろ。試験で点数さえとりゃ、下剋上できるもんなんて、そうそうねーぞ。』と繰り返していたのかもしれない。
 努力すれば手に入れられるモノ、しかも人に迷惑がかからないなら、実質的な価値だけでも、掴んだほうが得だし、そこから悩めばイイから。

 実質的で、仕事上のモノのほうが、こーやって割り切れるから、ラク。計算が正しいだけ、ラク。
 大切なことにまで駆け引き計算し始めて、何も感じないロボットみたいに、どんどんなっていって、しかも、それが大人に見えたりもするけど、でも、まだまだ、そんな風には、なりたくないな。。

 だって、おとぎ話やよくあるストーリーの、言葉の表面上だけをさらって、その言葉に操られて、翻弄されて、束縛されて、決定を急ぎたくはないから。
 それをロマンチックとは言わない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする