たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

ないものねだり

2011-02-28 02:20:50 | Weblog
 ほんの少し前までは、それを望んでいたのに、得られてしまうと、一気に不安になる。よくあることだけど、実際にそうなるまで、気が付かないことも多い。
 客観的な視点を軸に思考力を纏った自分と、主観だらけの感情を纏った自分との対立が激化する。

 『あんなに、欲しがってたじゃん?っで、今、それじゃん?早く決めちゃってよ。』
 『確かにそうだったけど、そうだったらそうだったで、遠くに離れている気がして、不安。』
 『だったら、前みたいに何も無いほうがイイってこと?即物的な部分は別にしたとしても、本質的には、それはありえないでしょ。』
 『ううん。だから、問題はそこじゃないのかなぁって。だから、考えてくれない?』
 『勝手なコト言ってんじゃねーよ。』

 集合を覆うことが出来てしまえば、何も無さ過ぎだと批判して、自分が持ってる集合から離れれば離れるほど、多様的になるはずなのに、許せないみたいで。結局、ないものねだり。
 きっと、足りてないモノは、その次元には存在しないんだ。(cf.「No problem can be solved from the same level of consciousness that created it. 」by Albert Einstein)

 ただ、賢いほーの自分からの助言では、多様性を持っているほうがイイはず。もちろん、世間体的にも、そのほうがイイ。
 なにより、低級な事を認め合うために、いきてるわけじゃないから。

 対等であるためには、違う部分を沢山持っていないといけない。同じモノだったらランクをつけたがってしまうし、新しい系を形成する価値が薄れる。
 でも、そういう賢さを、感情は受け入れてはくれない。ただ、不安要因にしかならなかったりする。

 っで、だからこそ、即物的なモノや行為が必要になっていく。
 そんなことも、ちょこっとずつ、悲しい気がするけど、入り方は間違っていないと、思っている。

 っさ、問題はわかった。あとは、解決策を。
 何が問題かわかったら殆ど終わってるんだから、頑張らないとね。
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即物的なこと-感情間相互作用

2011-02-27 05:33:15 | Weblog
 『レールから落ちたら不幸になるとは色々な人から教えられたけど、レールに乗っかり過ぎて降りられなくなってしまう怖さは誰も教えてはくれなかった。』

 わかりきってる安心した道以外を歩いてみることに、あまりに不慣れでいると、もったいない。レールの先に、大きな岩があって、そのままだとぶつかってしまうとわかっていたとしても、降りられなくなってしまうのは、非常に恐ろしいことだ。
 あまり、こういうことを言っても信用されなさそうなんだけど、俺は、人一倍、レールから落ちることに怖さを感じている。レールから落ちたくないし、変わりたくもない。でも、感情以外の要因によって、これだけ、実質的にも精神的にも変わってこれた。

 レールに執着心を持ち過ぎないために一番大事なことは、色々な人から意見を沢山もらうこと。そして、自分を大切に思ってくれているからこそ、自分のやり方やテーマを全否定してくれる人を、ちゃんと大切にすることだ。
 どうしても、物事を突き詰めていくと、周囲が見えなくなる。周囲を見渡しながら、突き詰めていくことができる人は天才なんだろうけど、俺くらいアホなヤツは、異次元の誰かにブッ飛ばされて、そこで、初めて気が付く。そうなるまで、今まで自分が努力してきたことが、ほとんど全部無駄だったなんて事実を、受け入れられないのだ。

 そこから、次の一手を考え、決定を下した後、やっと努力が報われる。

 っで、結局、何が言いたいかって言うと、やっぱり、レールから落ちないことは大事だってことだ。
 それは、ここまでの文章を全否定してみた、ってして、Self-Consistentに話を繋げたというだけではない。次の一手を考えるにも、他人の意見を訊くにも、何かのレールに所属していなければ、実質的なことは精神状態と相関があるから、精神安定上、難しいということに注意しておきたい。

 即物的なことは変化させやすいけれど、長いタイムスケールを取った時には、それと感情が相関してしまい、感情は変えることが難しいんだから、即物的なことだって、長時間なら、ナメてはいけないなっ、ってことを、一個、自分に追加しておかないといけないと、最近、感じている。それは、自分自身の解析から、感じることだったりするんだけど。

 とにかく、レールに、安定性に、執着し過ぎてもいけないし、あなどり過ぎてもいけない。
 はぁぁ、平衡点を探すのが大事、って事象は、枚挙にいとまがありませんね。

 (相互作用シリーズも長いな(笑)。

 「安定-不安定間相互作用」2010/06/15
 「助けたい気持ち-演技間相互作用」2009/09/06
 「助けたい気持ち-夢間相互作用」2009/06/20
 「ヘルプ-ヘルプ間相互作用」2009/04/16
 
 これで、5個目か。あ、リンクはるのめんどかったから、自分で探してくれ!笑)
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失敗した言葉を繰り返す理由

2011-02-26 03:15:48 | Weblog
 俺は、めちゃくちゃムカついた誰かの言葉や、そのせいで大失敗した言葉を、何度も、口に出して繰り返す。
 そうすることで、悪い方向のジンクスが消えるような気がするし、そういう言葉を常に使っておくことで、その言葉が持ってる力の特性を知り、いつか張本人に同じその言葉で太刀打ちしてやろうと思っているからだ。

 年齢を重ねれば、思考力は高くなるし、知識も増えるし、経験や長年のカンで、対応できることは増えていく。だけど、どんどん、気持ち依存のみで押しつぶしてくる行動力に、勝てなくなってくる。
 だから、スキルアップについての努力のうち、半分くらいは、気持ちを残すための努力に費やすのが健全で、残していくためには、昔使っていた甘っちょろい手法で、チャレンジしてみないといけない。

 んなわけで、失敗した言葉を使うだけでなく、失敗する確率が高いと頭でわかっているような方法を使いたくなる時がある。
 即物的には前と同じ方法を使っているのに、過去では失敗し、もしも現在で成功すれば、ホンモノである確率が高いことを示唆することになるしね。

 過去の失敗と決別し、現在を信じてみるために、失敗した言葉をそのまま繰り返す。なんて便利なリトマス試験紙っ。
 必ず、超えていくはず。自分でも、誰かでも、なく、必然的に。

 …で、コトの発端の本人へ、同じ言葉で。。
 だって、まさか、張本人に、その言葉の真意を語ってるとは、思わないでしょ??少なくともその瞬間は。
 それが、一瞬の先手を取るという利点になります。
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We don't need the temporary Reference Groups.

2011-02-25 02:27:15 | Weblog
 何かをするためには、何かを発言するためには、必ず「称号」がいる。
 基本的に、「称号」を持っていない人は、「称号」を持っている人には逆らえない。だから「称号」を得る人もいる。っていうか、そっちが普通?

 称号を、もっと柔らかく言うとしたら、「言葉」だ。言葉は、ヒトを束縛する。

 自分が大学院生であること、教員免許を持っていること、日本人であること、浪人していること、転学したことがあること、それらは、上手に使えば有用だし、縛られ過ぎると、何も行動できなくなっていく。
 他の世界では違うんだ、って、どこかではわかっていながらも、日常の習慣と変調(modulate)し合って、自分のモノになっていくから、怖い。グローバルな視点が、唯一、心の逃げ場になっていて、、かといって、抜け出したくない、抜け出さない。

 『安定しているというのは、その状態から抜け出せないことを言う。調和振動子型ポテンシャルの中にボールがあるみたいに。』
 2年前くらいによく考えていたこと。ここでも、何回か書いたと思う。
 色んな事を考えながら、喋りながら、今日、一巡して、また、この答えに帰ってきてしまったなぁ。
 常に時間変化して安定な状態を得るために、絶対的な「称号」が必要で、それで、色々な「言葉」を取りに行っていたことを、最近すっかり忘れていた。

 準拠集団が動的平衡に保たれる生活の中で、いつだって求めているのは、時間依存性無し。
 そのためには、「称号」に縛られることなく、「言葉」を互いに得ていく必要があるのかもしれない。

 一過性の準拠集団なんか、もう、要らない。
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数をこなせっ!

2011-02-24 01:51:42 | Weblog
 俺は、学部時代、転学部したせーで、2つのキャンパスを移動することが多かった。
 授業終わって、そっこーで、千葉の方へ。そこでアカペラグループの練習して、ご飯食べて帰る、みたいな、一日が、結構好き。
 っま、今でも、ある意味、それと近いことしてるけどね。

 がっつり練習しなきゃいけないライブ前の時期なのに、なかなかみんな時間が無くて、練習する日が俺が最後の時限まで授業がある日だったりで、できるだけ早く向こうに着こうと、いろいろ考えたりしたことがあった。
 その最後の時限の授業も、自分の将来にとっては大事な生物系の授業で、授業はちゃんと受けたいし、でも、なるべく早く終わって欲しいし、どうしたらイイもんか?

 学生の立場から、先生の授業をいかに早く終わらせるか?、それについて、できる限りのことをしたかった。
 っで、出した結論は、、

 『まず、一番前で、誰よりも真面目に、ノート取って、きちんと理解すること。っま、普段からですけど(笑)。』
 〈えー、それじゃぁ、っぱっと、教室出れないじゃん?〉
 『だって、授業もちゃんと受けたいっちゃ受けたい授業なんだもん。俺のほーを向いて喋るようになってんのを確認。っでー、キリのイイとこで、チャイム鳴る10分くらい前に、もう、さかさか荷物をまとめ出す。いきなり冷たくする。』
 〈なにそれ??笑〉
 『一番真面目に授業受けてる俺が、今日はこの辺まででイイんじゃね?、って感じの空気を出せば、前で喋ってる人間には、心に何かが突き刺さるはず。』
 〈そんなの効果ないでしょー?〉
 『それが、もちろん、ダメもとだったけど、マジで10分前に終わったし(笑)。大学の先生とか、素直すぎるっ、ってね。』

 こういう時の俺って、どういう解釈をすれば正しいんだろう?
 真面目な演技(フリ)をしてるわけじゃない。本当に、誰よりも理解しようとして、板書はもちろん、先生が言った重要な事とかも、ノートを取る。だからこそ、効果がある、、とも思う。(特に、出席だけ書いて、あとは誰も聞いてないような授業だと、ガチ効果あるかも?)
 でも、あの日の目的は、早く千葉へ向かうこと。真面目な振る舞いの理由が2つあるって解釈すれば良いかな。1つは、本当に聞きたい話だから、ってのと、もう一つは、早く終わって欲しい、っていうのと。

 んでね、こういう行為が、本当に、授業が10分前に終わることに、寄与しているか?、なんてことはどうでもイイと思う。そうじゃなくて、こういう行為を、いろいろな角度から、たくさん行って、繰り返すことが大事。
 どんなことでも、ちょっとでも寄与するかもしれないことに関して、沢山、必死になれば、どれか1つが本当に寄与していく。
 よーするに、数をこなせ!、ってことだ。コントロールできないようにみえる系でも、沢山の、ちょっとは寄与があるかもしれないことについて、全部きちんと努力すれば、割と、自分の思い通りになっていく。

 前にも話しましたが、コツコツ頑張る、ってのと、多角的に頑張る、ってのは全然違う。
 だけど、数をこなさなきゃいけないのは、どちらも同じ。「コツコツ頑張る」方のコツコツする部分の要素で集合を作ったとき、「多角的に頑張る」方は、その集合の数自体を増やして、数をこなさなきゃいけない。

 どれか1つが、願いに届いてくれると、信じて。
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I still love U

2011-02-23 01:33:36 | Weblog
 昇格しようとすると、今の安定が揺らいじゃう。いつだって、そんなジレンマに、屈しがちだ。

 安定な状態から変化して、結果が良かったら、安易にみんな評価するから、無謀だ、本当のこと言えばイイってもんじゃない、って言ったり思ったりして、悪いところを探そうとする。そして、成功したときには、ちょっと前まであったリスクを、一切考慮に入れない自分と他人に気がつく。
 だから、いっそう、現実を見つめて沈む気持ちを、胸にしまいこむ。隠そうとする。

 どうにかリスク無しで、確かめてみたいんだけど、高くてなかなか手が出せない。だから中途半端に、グレーゾーンを使って、どんなに意味のないことで一つも変わることがなくても、今の状態を守りたい。できることなんかなくて。
 変化したく無いわけじゃない。いっそ、気持ちを相転移してしまいたいんだけど、すべてを失うのも怖い。だから、演技力や無難な術だけどんどん上手くなって、どんなに気持ちが落ちてても、周囲に対して、笑顔になれる。
 愛想笑いが得意になってく。

 本当は、この瞬間は笑いたくないし、無難な自分を出したくない。ホントは、お互いのボロボロな状態を確かめて、共有したいのに。
 でも、できないから、目を閉じて、眠りにつく。

 (Perfumeのアルバム「⊿」のリードトラックみたいな位置の曲「I still love U」。
 出会う曲の中で、毎年、何曲か、中毒かっ、ってくらい、ずっと何回も聞いてしまう曲があるんですが、これもそのうちの1つです。なんか、すべてが絶妙って感じで、面白い曲だと思います。
 歌詞の中で、「笑い合える関係を守りたい」って出てきた直後に、「笑えることよりも、寂しいねって言って欲しい」とか「I can smile」とか、上手いですよね。お互いに演技して即物的に笑うことはできるけど、止めたい、んだけど、現状維持のためにできない、ってのが、上手く表現されてる気がします。
 ただ、こんだけ聞いてるのに、色々な状態で解釈できる気がして、ひとつに定まりません。特に、いつ(どこ)に対しての「still」で今の状態がどうなのか、「rescue me」の意味の取り方が『どっち?』って思います。っま、どれでも、好きに解釈したら良いんですけど。)
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SPI3

2011-02-22 01:40:52 | Weblog
 SPI2やWebテストが、最近、ちょっと楽しい。
 なんつったって、内容は、中学受験そのもの。あの頃、全くと言っていいほど出来なかった、超難しく感じた、算数や国語が、何故かスラスラ解ける。

 ただ、もう少し、改良して欲しいよね。是非、SPI3からは、3Dメガネをつけて、テストに向かう方式を取って欲しい。名前も、「SPI3D」とかにしよう。んで、三次元的にタッチペンでタッチすると、次の問題に行くような感じで。そうそ、立体図形の問題をこれで出して…、理系は工作もさせる。
 あと、あれだな、一般常識みたいなのも追加して、もっと出題範囲を広げてみて欲しい。例えば今だったら、八百長問題とか、パンダが来たとか、スケルトンのカエルが量産されたとか、そういう問題も出してみたら、視野が広いかどうかわかるっしょ。
 ケータイで表示されたニュースを知ってる≒ケータイをちゃんとチェックする人≒友達が多いからケータイをチェックしてる≒コミュニケーション能力あり、みたいな。笑

 どんな簡単な問題でも、制限時間を短くすれば、難易度は上がる。でも、それこそ、俺らを中学受験レベルで判断しようなんて、失礼じゃないか?!せめて大学教養課程の問題を出せ!数をこなせばこなすほど、スピードも正確性も上がるけど、だから何?
 …とか思ってたのに、自分が、何も対策をしないで、たった何回か受けただけで、ちょこちょこ上がって、認められてしまったら、楽しんでやがる。そんな自分が、あんまり好きじゃない。

 まさに、今、此処が変換点。だからこそ、気をつけなきゃ。
 いつだって、最初に思ってた事が、一番正しい。そして、その想いを忘れないで、ぶつかっていけるか?、だ。

 だから、未来を想像したり、昔を懐かしんで、楽しみながらも、きちんと抱えていかないと、いつまでもカワラナイ。
 『何故かスラスラ解ける』の『何故か』は、小学生の頃の想いを、忘れてないってことなんでしょ?、今回も、ちゃんとしなきゃね。
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空間的同一と表面的相違

2011-02-21 03:39:51 | Weblog
 よく、その違いは何か?と訊かれる。

 1つは、忘れ物を取り戻すように、過去と戦うこと。
 俺に二番煎じは効かない、って先に宣言しちゃってるから、それを破らないように、躍起になる。もちろん、自分自身じゃない。だけど、そこには、いつかの自分が確かに存在していて、何かしなければ壊れそうになる。
 どうして、この行為が必要なのかといえば、忘れないためだ。その場所に入る前の感情を忘れてしまうから、場所依存性が強くなっちゃう。俺は、忘れたくない。

 もう1つは、納得できない表面的感情を、せめて理解しようとし、共有すること。
 合わせようとしないなら、意味が無い。我慢したくないなんて、矛盾してる。嘘だ。我慢したいんだ。だって、自分に無い部分だからこそ、もっと深いところで見出しているんだから、現象としても間違っていない。
 もし、変化して、同一になってしまったら、その瞬間に価値が無くなる。必要十分になってはいけない。または、と、かつ、が存在している集合こそが、自然な状態。だからっつって、歩み寄らないのも、価値が無い。もっと深いところの共通の中で、表面上の平衡点を見出すのが、具体的な仕事なのだ。

 2つとも、全然違うのに、相対座標から比較すると、同じように観えるらしい。
 っま、どっちにも言えることだけど、そんなこと、教えられなくても、分かるくらいの賢さは持っていてくれないとっ。ヒントは沢山あるわけだし。

 「嫌われたくない、無難でいたい」っていう自分勝手な感情由来の行動と、「どうにかして助けたい」っていう純粋な感情由来の行動が、同一に見えるのと、似ているかもね。
 次元が違うけど。
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不器用だからこそ筋書き通り

2011-02-20 04:27:41 | Weblog
 汎用性の高い手法には、高い評価が与えられる。
 その手法が適応できる系や対象が沢山あるということは、メンドク無くてイイってこと。系ごとに、違うプロトコルが適応されるんなら、いちいち考えなきゃいけなくて、大変じゃん?だから、応用範囲がなるべく広い手法を開発することに価値がある。

 でも、その手法の汎用性が高いかどうかを示すための方法は、あまりきちんとしていない気がする。とにかく、いろんな対象で試してみて、その対象の依存性が無いことを確認するしか、方法が無い。だから、結局、面倒だ。
 Aについて汎用性が高い≒A依存性が無い、ということ。A依存性が無いかどうかを判定するためには、いろいろなAについて、関数を試す他ない。
 よーするに、汎用性が高い手法論の開発をするということは、みんなに均等に分配されるべきだったメンドさを、一人で背負うような仕事をする、ってことだ。絶対量は、小さくなるはずだけどね。

 〈これでも、もともと、根暗なんだよー。でも、それじゃあダメだと思って、何ヶ月間か、色々なヒトと接して、沢山観察して、それで術を学んだの。で、今は、こんなに無難な自分を作れるってわけ。〉
 『でも、そんなに演じてたら、疲れちゃうじゃん?』
 〈私、気疲れで疲れないんだよねー。〉

 もう一度、同じことを言う。『汎用性の高い手法には、高い評価が与えられる。』
 どんな人間に対しても、好かれるような、嫌われないような、実質的に負けないような、器用な、たったいくつかの無難な手法論は確かに存在する。書籍化はされない。されたとしても、実践でしか身につかないから、欲しいなら、自分で研究するしかない。

 器用じゃないからこそ、メンドいのは分かってるけど、汎用性の高い無難な手法を、ヒト依存性が無いかを確認しながら、研究して身につけていったのに、何故か、ホンモノから逃げていく気がする。っと思って、そういう類いの研究を打ち消し、誰にでも適応するのは止めてからしばらく経つのに、まだまだ成果が出ないかな。
 よくよく考えてみれば、当たり前だ。教科書通りの素晴らしい手法を用いることが相応しい、自然科学のような系は、むしろ珍しい。ほとんどの系では、ケースバイケースなのだから。
 だから、学校教育では、理科系では無駄な、起承転結、で、文章を書くことを教えるのだ。

 なのに、俺が、何故、無難な手法を示唆するのかと言えば、、

 【最近の学生は、、その、、プレゼンテーションのマニュアル的な本を、一冊きちんと、読んだことはありますか?ああいった類いの本は、何冊も読む必要は無いけど、一冊は読んでおく必要は、あると思いますけどね。】

 という、バカげた気持ちと、あまりカワラナイかもしれない。気持ちはバカげてるけど、考え方は間違って無い。きっと、ただ、不器用なだけ。不器用だから、器用な方法が書いてある教科書を探したり、無難な手法を研究する。
 でも、俺のは、不器用過ぎるから、今の現状なら、ほんの少しだけ、教科書を読んだ方がイイよ、って思っているだけで、やっぱり俺とは違うな。

 そうそ、不器用によって引き起こされてしまう良くない出来事は、予想以上に、大きい代償となるんだぜ?
 不器用のままにふっきれてても、不器用だからこそ器用過ぎるほうにふっきれてても、どっちにしても。

 かといって、何も無しで、気持ちだけでぶつかっていけるだけの、度胸も無いし、経験も少ない。
 頭イイヤツって、バカだなー、ってね。

 いちいち、沢山の対象で実験して、対象の依存性が無いことを確認し、汎用性が高い、っとしなくても、必ず、賢い手段があるはずだ。
 だって、例えば、f(x,t)=4*(t-1)*x*(1/(t-1))ってなってて、fはt依存性が無いことを示すのに、tにひたすらいろんな値を入れて、適当なxでfがカワラナイことを、示すか?、普通。
 普通なら、t≠1を条件として、t-1で割るだろ?

 論理的に考え、一つひとつ、きちんと吟味して、さらに気持ちをも込めていけば、何も、汎用性が高い手法を、わざわざ研究開発して、それを用いたい系に用いるような手間がかかるようなことしなくても、必ず、ホンモノが掴めるはずだ。
 自然科学以外の系ならね、、いや、もしかしたら…。

 って、長い割に、ふつーの結論。笑
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必要無いけど欲しいもの

2011-02-18 01:17:02 | Weblog
 卓越した経験者が、どんなに素晴らしいやり方を提示したとしても、その手法を必要な本人が、きちんと吟味して、心に飲み込んで、それから使用しないなら、何も意味が無い。
 ここまで時代が進んでしまっては、なかなか、自分だけでオリジナリティを発揮することは難しいし、ダメな質を量でカバーしきれない時があるから、多くの経験者から助言は受けるべきだと思う。だけど、鵜呑みにしちゃって、それさえやってれば大丈夫ってなったらダメだし、何よりも、とにかく鵜呑みにしちゃったほうが勝つような、制度や社会じゃいけない。

 必ず最初に言うこと、言われることだけど、どのレベルの教育機関でも、最終目標はハッキリしている。
 それは、「自分一人でやっていける」だ。これが、何よりも最終目標。
 (ちなみに、誰からの助言も頼りも受けなくても大丈夫な状態、ということではない。仲間を作る、ということも、一人でできるなら、合格なのだ。難しいかなぁ?)

 だからっつって、みんな、簡潔すぎる論理展開で、最終目標からのステップが近すぎる。いきなり、「じゃぁ、一人でやれー」って、劇的な変化は出来ない。そのために、まず必要なことは、放任じゃなく決別でも無く、きちんと「認める」ことだ。
 とにかく認めること。それをし続けるだけで、1年くらい過ぎてしまって、全然問題ないと思う。認められることで、初めて、本音で話せるし、こちらも認めてもらえる。
 それをする中で、ひとり立ちするためには足りてないかもなぁ、って思う事柄を、ひとつひとつ、物理的に述べれば良い。すると、相手を「認める」という部分がどれだけ難しく、さらにそれがどれだけ「自分一人でやっていける」に寄与しているかがわかるはずだ。
 足りてない事柄なんて、即物的なんだから、死なない限りは、いくらでもやり直しがきくのだし、大丈夫、ゆっくり確実に変化していったほうがイイ。

 すると、出会った頃よりも、いつの間にか、相手の顔つきが変わっていることに気が付く。
 ボヤーっとして無関心だったり、チャラチャラしてたり、ふわふわしてた瞳が、一新して、芯が通っている表情に変わる。声色もしっかりしたトーンに変わる。こうなれば、もう、大丈夫。

 相手も、自分も、研修生から、晴れて、仲間になれたのだ。
 自分一人でやってけない人を、一緒に歩く仲間には出来ない。これは「俺は、」だけど、ペットを飼う気は無いから。

 ここまで、とても難しい。でも、難しいからこそ、変えられたときに、変え合えたときに、楽しい。。
 っていうか、、そうそ、別に優劣のある関係だけじゃなく、対等な関係でも、成り立つギロンをしてたつもりだぜ?

 一人で歩けるから、仲間は必要ない。必要はない、けど、欲しいの。
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追い風参考

2011-02-17 00:41:03 | Weblog
 この1年間くらい、自分の心の中に言葉を飲み込みながら喋らナイト、ってよく思ってきましたが、本当は、それだけじゃ足りないんだよね。ホントは、自分で言葉を飲み込みながらも、さらに、相手にも飲み込みやすいような言葉を選んで、喋らないといけない。
 だからって、変に教育的になりすぎちゃいけないし、まったく、なんて疲れる作業なんだ。

 今、色々な立場の中で感じることだけど、例えば、部下のほーが、上司よりも、常に、相手の心に飲み込みやすい言葉を探しているだろう。自分の心に飲み込んでるかは別としてね。
 そして、上司は、イイ気になりながらも、合格ラインまで到達してくれることを願っている。

 だけど、本当の意味で「対等」を望むなら、本来は、どちらも歩み寄らないといけないと思う。人間関係なんて、初めは我慢することから始まる。それは、関係に(実質的だろうが精神的だろうが)優劣があったとしても、カワラナイだろっ。
 っま、それこそ、ここまで来てみて、初めてわかることだから。。その「対等」を、あの程度の立場から、いきなり望んじゃダメだったなぁ。今、立場がそっくり逆だから、初めて、わかることだ。

 だからって、仕方なかっただとか、ダメじゃなかっただとか、そういうことではない。
 悪い方向へ向かう徒競走についての追い風参考記録に考えられるかな、というだけの話だ。
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「命を運ぶ」直観

2011-02-16 03:37:05 | Weblog
 どこで、どういう風に、もう一度、その重要人物と巡り合うかわからない。だから、どんなにムカつくヤツでも、常に、すっきりさせた関係で、終わっていたいもんだ。
 次の場所では、大きな味方であるかもしれないからだ。

 広い意味で、レ点をつけて「命を運ぶ」物理現象に、時に、自分でも恐ろしくなる。やっぱり、そっち側に向かっていくんだ、って、肌で感じるから。
 まぁ、自分で引き寄せているところもあるけど、それにしても、確率論的に、普通、こんなに沢山あるのかな。。

 俺は、暗記力、解析力、多角的に物事を観る力、さらに最近は、瞬時の判断力にも、相当の自信がある。専門性がそこまで高く無い、ごく一般的な系であれば、なおさら、世界の誰にも負けたくない。
 
 だけど、俺の切り札は頭を使うことじゃない。

 それを思い出せ、って、言われているような気もするけど、本当の実力と対等であるからこそ、今まで、認められてきた。
 だから、スタイルをリセット、基本に立ち返り、思考、感情、行動の3つを対等に、直観で使っていくことにしよう。切り札に頼らないで、なるべくなら、とっておきたい。

 ここからの半年強が、もう一度、大きな勝負!

 『将来が想像できなくなった時、かな。。』
 ≪えー、普段から、そんなに先まで考えるんですかー?私は、その時その時で楽しければ、いっか、ってなりますけど?≫
 『そぉ?なんでもそうだけど、目的が見えないで努力するのって、大変な気がするけど?』

 でも、確かに、自分でも目的がわからないくらいのほうが、努力していて、楽しいかもしれないな。
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典型問題が解けないとき

2011-02-15 03:16:05 | Weblog
 高校の範囲に初めて出会ってから、もうすぐ9年目くらいかな。現役時代も含め、こんなに長い期間扱ってると、数学や理科なんかは、高校生が何分かかかる問題でも、一瞬で答えを当てられる問題もいくつかある。当然っちゃ当然だけど、高校生によっては、全ての問題を、俺が一瞬で答えられると勘違いしてるヤツもいる。それは、いくらなんでも、無理っす。

 例えば、超簡単な例でいくと、二次方程式。因数分解できるものなら、理系の皆さんなら見ただけで、2つの答えを、ばしーっと言える人が多いと思う。これは、中学生にしたら、魔法だ。
 二元一次方程式、二次方程式、一階の微分方程式など、何度も解いているよーな方程式は、初めて解く優秀な人よりも、スピードも速く、かなり正確に解くことが出来る。

 これはすべてのことに言える。

 色々なシチュエーションを経験していれば、教科書通りの正解を、正確に、素早く解答することができる。さらに、この教科書通りの対応から、微妙にズラして表現する技法まで、教科書通りに、素早く解答できる。
 それは、高校生が大学院生に、典型問題でスピードと正確性が敵わないのと同様で、いかに経験したか?、に大きく依存しているのだ。

 ほら、そういう時は、、瞳はこれくらい開いて、ちょっと下を向きながら、これぐらいの音程で喋る教科書から、ちょっとだけ高い音で…。
 だからこそ、自分よりも遥かに経験豊富な相手が典型問題で手こずってるのは悲しい。けど、それ以上に、そういう自分に気が付くときに、本当に焦り出して、気持ちの絶対量が大きくなる。

 感情を込めると結果は変わる。
 だから、高品質に改良した、よりイイ結果の出て欲しいサンプルを、Flowに流す時、願いを込めないように努力しないといけない。たかが実験でも、感情は、物理現象とデータ破棄の理論(=ショーブネの判断基準)に、直接、寄与する気がするから。

 それが、感情を込める、だけではなく、感情のみの依存にならないように、みんな、必死になっている。
 感情依存分だけ、あとで、ショーブネの判断基準を適応しても、実生活では、無駄だから。
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変わらなくても楽しんでもらうために

2011-02-14 03:55:51 | Weblog
 『だから、ちょっと迷ってるんですよねー。』
 ≪うーん、研究だからさ、結局、どの分野でも、ある程度は、楽しいわけよ、たぶん。なら、やっぱり、内容や実績以外の部分で、決めた方が良いんじゃないの?≫
 『なるほどー。』

 『で、卒業研究って、どれくらいその後に大事なのかなーって。』
 〈あぁ、意外と大事かな。僕なんかは結構、卒研の時の経験は今でも活かされてるし。でも、僕らからすれば、卒研も修士も、まぁ結局、博士課程も、お遊び的な感覚が強いし、修士でそっち、って決まってるんなら、卒研では全然違うことやってみたら?楽しそうだし、最初は大変だろうけど、後に活きるんじゃないかな?〉
 『うーん、そうかぁ、もうちょい考えてみなきゃですね。』
 〈まだまだ考える時間があるんだから、沢山悩めばイイんじゃん?笑〉

 『っでさ、どっちが良いかなーって。』
 <えー、そんなの私に分かるわけ無いじゃないですかー。笑>
 『じゃぁさぁ、単純に、言葉的に、どっちがモテそう??笑』
 <うーん、こっち良く分かんないんでー、って、どっちもわからないですけど、、そっちのが、ポイ!、って感じします。>

 沢山場所を変わってきた俺は、いつも、色々な人から意見をもらってきた。どんなに、勝手にすりゃ良いじゃん、って思っていても、最終的には、ちゃんと意見をくれる人ばっかりだ。
 対等に意見を訊いてきたつもりだけど、そういう言葉を1つひとつ、自分で選んでいるところも強いと思う。

 共通しているのは、実質的な部分からかけ離れたところに利益が存在する、ということを、示唆されることが多い。
 それぞれ自分が辿ってきている場所で、本気でムカつくことはとても多いけど、大筋は間違っていないと思っているし、他の場所の話を聞けば聞くほど、今の場所は、まだ、恵まれているのかもな、って思うのだ。っと同時に、理系の社会ってのは、いや、社会ってのは、こんなもんか、まだまだこんなに狭くるしいのか、って思うけど、自分が少しずつ、変えていけるところを、変えていくしかない。

 相手の言葉を利用して攻撃したり、攻撃を全てかわしてカウンターしたり、俺の超必殺技である、笑いに変えてしまう技法は、すべて、少しでも変えたい、って想いから、修行してきたものだ。
 ちょっとやそっとで、真似できるもんでは無いと、自負している。

 ボールがゴールに入らない可能性が高いのに、シュートし続けてきた。その結果、これまで、全ての系で、ちょっとずつは、改善してこれた。だから、大丈夫。
 それに、まだまだ十分に時間は残っている。それが、、繋がるはずだ。
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「コミュニケーション能力」って言うな!

2011-02-13 03:34:04 | Weblog
 高校生の頃から想っていることだけど、自分を一つの世界に閉じ込めないほうが、身のためだと思う。

 何かの世界でメインメンバーに入るためには、その場所にずっと居続けるのが手っ取り早い。でも、一つの世界だけに住んで生活する、ってのは、リスクが高すぎるのだ。
 確かに、俺自身も、色々な事に手を出して、手を出しているフリをして、どこの場所でもメジャーな感じになることができない時期は長かった。だけど、少なくとも、一つの世界で失敗したときの不利益は、とても小さく済んできている。一つダメでも他があるからね。
 そして、最近はやっと、自分を色々な世界に存在させても、どこでもメインになっていけるくらい、色々な場所を観れてきているかな、っと思っている。

 っていうか、多くの場所を自分の中で持っていた方が、色々な類いの人から意見を貰えるから自分を見失いにくいし、単純に楽しくね?
 そうそ、別に海外に行くことだけが、視野を広げることじゃなくって、かなり十分、東京の中で、視野を広げることは可能だ。
 俺の周りには、偶然、高校進学も危ない中学生から超エリート人間まで、色々な人が、いてくれている。何らかの形で学問に従事している人が多いので、その辺り、もっと視野を広げないといけないけど、こんなんでも、混乱することは多い。

 気をつけなきゃなのは、中学生からのお話も、大学の先生からのお話も、対等に、同じだけ、自分にとって、学ばせていただくところがある、ということだ。
 誰の意見も対等に、その正統性や気持ちだけを評価する、ってのは、本当に超難しい。
 しかし、できた時に、かなりの知見を得ることができるし、その瞬間に初めて、本当の意味で、幅広い視野を手にすることができる。

 んなわけで、関係を大切にしていきたいな、っと俺が勝手に思ってる方々には、それぞれ、沢山の世界に自分を存在しているようであって欲しい。じゃないと、俺と対等には、なってかない。
 ただし、今、そうでなくても、そうなっていくように少しでも方向性が向いていれば、いくらでも待っていられるくらいの器は、あるつもりだっ。

 それは、俺が、コミュニケーション能力が本当に無くて、色々な場所で苦労しているから。
 だから、コミュニケーション能力が大事、とか言われると、イラっと来るし、そんな曖昧なモノ、どうでもいいだろ?、って思っちゃうんだよね、どうしても。

 『いやー、俺、コミュニケーション能力無いもん。』
 ≪Kさんは、無いんじゃなくて、使わないだけ(笑)。そのグループの中で、何もメリットが無いと、関係をパサっと遮断するんです。≫
 『うわぁ、バレバレ(笑)。だって、メンドクサイじゃん。』

 だから、それを含めて、俺には、コミュニケーション能力が無いんだよ。
 多くの場所で、共感が得られるようなことを言い続ける忍耐力が、コミュニケーション能力なんだろ?

 俺には、そんなの無い。
 むしろ、俺は、別世界など知らず、一つの世界だけで、ひっそりと、井の中の蛙で、満足していきたい、っと、心の奥底では、そう思っているのだと思う。
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