バイト先(予備校)などで、ちょいちょいイラダツ思想がある。それは、簡単に言えば「強制的に勉強させて、結果(合格)がでれば、それでイイじゃないか」という事だ。
俺は、勉強は、どこまで行っても、「したいときにする」モノだと思う。「勉強=嫌な事」という方程式があるヤツで勉強家ってのは、自分を過信する。こんだけ、嫌な勉強に耐えたんだから、自分は偉いってね。
そりゃー、時間迫られる勉強だってあるさ。だけど、そーいう時でも、その中で、素直に学問を楽しめるか?、だと思う。やだなー、やだなー、ってやってると、意味がない。俺は、そんな状況だったら、単位や資格は要らないというほーをとる。幸いにして、まだ、そんな時はないけどさ。A率70%を誇ってますから(←自分を過信してる?(笑))。
大学受検勉強ってのは、1年間の真剣勝負である。
辛く莫大な量の暗記内容、理解すべき内容も大変深いし、解析力(応用力)、多角的にモノゴトを見る力まで要求される。
英単語だけでも最低でも5000語は要求されるし、日本史の人物名や地名や年号、化学の反応式や結合の仕方や沈殿の色、生物の細胞内の名前やメンデル遺伝以外の例外事実、ただ単に覚えることだけでも、ちらっとこれくらい思いつく。
それに加え、ベクトルの使い方、力線の入れ方、電磁気の考え方、種々グラフの描き方、リスニング…、手を動かさなきゃいけない事や1日や2日じゃ理解出来ない事も沢山ある。
この、苦しい壁をどーにか、超えなきゃいけない。ぶち壊さなきゃいけない。
でも、そんな苦しい状態だからこそ、最高力のパワーを出して欲しいのだ。勉強に対して最高のパワーで立ち向かう…、その反応速度を著しく上げる最大の触媒は、「学問の楽しさ」だ。うれしい事に、この触媒は、反応すればするほど、塩として出てくる。あとは、一緒に混ぜるだけ。それだけのことなのだ。
これを、1年間最後まで経験したのとしてないのとでは、今後の学問へのアプローチの仕方が大きく変わるだろう。もちろん、それで、崖に突き落とされる事もあるだろう。だけど、きっと這い上がってこれるはずだ、学問は楽しいという経験をしていれば。
学問の楽しさを感じない人もいるだろう。したら、小学生までで、充分。無理して勉強する事は無い。他のことに精一杯努力すれば、それでイイじゃんか。
大切なのは、自分が大好きな事、自分で決めた事に対して、どれだけ本気で汗をかけるか?!じゃないのか…。
だから、「やらされる勉強で合格するより、自発的に『あーじゃないかこーじゃないか』と考えて、それで精一杯頑張れたほーがイイじゃん、結果がついて来なくたって…、ついてこなかったときに『縁が無かった』っと言えるくらい勉強したことのほーが価値がある」っと俺は思うんだけどな…。
まとめると、勉強はしたい時にする。勉強したって、ちっとも偉くない。音楽やってるのとスポーツやってるのと飲みに行くのと、カワラナイ。そこに、学問だからって特別な事は無いのだ。ただ、勉強してるヤツってのは、社会的にモテる。それだけ。そんなに、社会的にモテたいなら、無理してでも勉強すれば?だけど、学問の1/4も楽しんでないと思うし、恋愛的にはモテないよ(ある一部の特殊な区域では別)?
んな事言っといて、もう1人の自分がこう囁く。
「marchより下なんて、大学じゃないっしょ」ってね。
注:一応、最後の部分の真意を言うと、「たかが」という部分だけを持ってることは、むしろマイナスだと思うから書きました。「されど」も大事だから、最後の最後にひっくり返したまで、です。
だけど、俺の周りには、「されど」がはびこってるから、「たかが」をメインの記事にしてみました。
俺は、勉強は、どこまで行っても、「したいときにする」モノだと思う。「勉強=嫌な事」という方程式があるヤツで勉強家ってのは、自分を過信する。こんだけ、嫌な勉強に耐えたんだから、自分は偉いってね。
そりゃー、時間迫られる勉強だってあるさ。だけど、そーいう時でも、その中で、素直に学問を楽しめるか?、だと思う。やだなー、やだなー、ってやってると、意味がない。俺は、そんな状況だったら、単位や資格は要らないというほーをとる。幸いにして、まだ、そんな時はないけどさ。A率70%を誇ってますから(←自分を過信してる?(笑))。
大学受検勉強ってのは、1年間の真剣勝負である。
辛く莫大な量の暗記内容、理解すべき内容も大変深いし、解析力(応用力)、多角的にモノゴトを見る力まで要求される。
英単語だけでも最低でも5000語は要求されるし、日本史の人物名や地名や年号、化学の反応式や結合の仕方や沈殿の色、生物の細胞内の名前やメンデル遺伝以外の例外事実、ただ単に覚えることだけでも、ちらっとこれくらい思いつく。
それに加え、ベクトルの使い方、力線の入れ方、電磁気の考え方、種々グラフの描き方、リスニング…、手を動かさなきゃいけない事や1日や2日じゃ理解出来ない事も沢山ある。
この、苦しい壁をどーにか、超えなきゃいけない。ぶち壊さなきゃいけない。
でも、そんな苦しい状態だからこそ、最高力のパワーを出して欲しいのだ。勉強に対して最高のパワーで立ち向かう…、その反応速度を著しく上げる最大の触媒は、「学問の楽しさ」だ。うれしい事に、この触媒は、反応すればするほど、塩として出てくる。あとは、一緒に混ぜるだけ。それだけのことなのだ。
これを、1年間最後まで経験したのとしてないのとでは、今後の学問へのアプローチの仕方が大きく変わるだろう。もちろん、それで、崖に突き落とされる事もあるだろう。だけど、きっと這い上がってこれるはずだ、学問は楽しいという経験をしていれば。
学問の楽しさを感じない人もいるだろう。したら、小学生までで、充分。無理して勉強する事は無い。他のことに精一杯努力すれば、それでイイじゃんか。
大切なのは、自分が大好きな事、自分で決めた事に対して、どれだけ本気で汗をかけるか?!じゃないのか…。
だから、「やらされる勉強で合格するより、自発的に『あーじゃないかこーじゃないか』と考えて、それで精一杯頑張れたほーがイイじゃん、結果がついて来なくたって…、ついてこなかったときに『縁が無かった』っと言えるくらい勉強したことのほーが価値がある」っと俺は思うんだけどな…。
まとめると、勉強はしたい時にする。勉強したって、ちっとも偉くない。音楽やってるのとスポーツやってるのと飲みに行くのと、カワラナイ。そこに、学問だからって特別な事は無いのだ。ただ、勉強してるヤツってのは、社会的にモテる。それだけ。そんなに、社会的にモテたいなら、無理してでも勉強すれば?だけど、学問の1/4も楽しんでないと思うし、恋愛的にはモテないよ(ある一部の特殊な区域では別)?
んな事言っといて、もう1人の自分がこう囁く。
「marchより下なんて、大学じゃないっしょ」ってね。
注:一応、最後の部分の真意を言うと、「たかが」という部分だけを持ってることは、むしろマイナスだと思うから書きました。「されど」も大事だから、最後の最後にひっくり返したまで、です。
だけど、俺の周りには、「されど」がはびこってるから、「たかが」をメインの記事にしてみました。