(俺の周囲には色んな先生がいて、「先生」という敬称を色々な人に乱発するように使っているけど、それはたいてい「先生としての義務を果たしてね」という意味で使っていることが殆ど。でも、この記事で出てくる「先生」は唯一の例外で、俺が心底、尊敬している。だから、ここではただ「先生」と呼ぼうと思う)
高校3年生になったばかりの頃、気分だけは受験生になっていった俺は、先生に出会うまで、自分がどんなに無謀なのかを知らずにいれた。
前回の自分史2で紹介したSS君に触発されていることもあって、極力誰の助けも受けず、予備校にも通わず、自分で勉強して、大学に受かろうと思っていた。
そんなわけで、高3で先生と最初に出会った、数学Cと演習の授業を受けたときも、どんなに厳しい言葉を浴びても、冷静でいれた。いや、正確に言うと、冷静でいたい自分を客観視することができていた。
先生が俺たちにした最初の授業で、先生は小さいプリントを配った。
「平日は1日4時間以上、休日は1日8時間以上は勉強しましょう。数学は私の指導通りに勉強すること。塾・予備校は必要なし。目標は横浜国立大学工学部など」
だいたいそんなことが書いてあったと思う。『俺は国立目指してないんだけどなぁー。そもそも国語とか社会とかやりたくないし』と思いながら、最後の一文に目がいく。「4月5月にできないことは、6月以降もきっとできない」
『これ、どういう意味だろう?』と思っていると、先生は小さいプリントと年次計画を詳細に説明し始めた。プリントに書いてある感じの口調よりも数倍に力強い言葉で。そして、
「そこにも書いたけど、塾・予備校は必要なし。私は本気です。必死でついてきてください。そして、明日から勉強し始めよう、などと思わず、もう高3なんだから、今日から勉強し始めること。人は、ある日突然、何かができるようにはなりません。4月5月にできないことは6月以降もきっとできません。今から必死で勉強し始めてください」
『うわー、恐ろしい正論。こういうの苦手なんだよなぁ』と思いながらも、授業後にクラスメイトの一人が「マジヤバすぎるだろ、あれ」と言うセリフに、俺は『まぁ、高3なんだから、あれくらいでいいんじゃない?』と余裕をかましていた。
そして、「土曜日に講習会を開きます。参加する人は、この用紙を持ってくること。一度参加すると決めたら、欠席はしないように。最後まで参加してください。それから、志望校を書くこと」と言われ、俺は参加するか否か悩んでいた。
当時、俺の周囲で一番数学ができた、ある友達は、演習のクラスで先生が指定した問題集をわざと買わずにいた。先生が「君たちは問題集を全部終わらせたことはあるかな?私の演習の授業では、このメジアンって問題集を全部終わらせます」と言ってた問題集を「あんなんウザいでしょ」と。
でも、先生は、彼の分も自腹で立て替えてましたね。たいして頭が良くないわりにはプライドだけは高い生徒たちが多い中で、他にもそういう生徒がどれくらいいたんでしょうか?その優しさが、あれから、10年以上たった今、どれくらい皆に伝わってきているのか、僕は不安でなりません…。
高3になった直後、学年全員集められ、進路指導会みたいなのが開かれたとき、先生が僕たちに言い放った言葉が、その後の俺の人生に強く影響している。
「私は理系なので、文系のことは知りません。文系には申し訳ないが、理系に対してだけ話します。理系の皆さん、必ず国公立大学を第一志望にしなさい。これは強制です。何故かと言うと、これからの世の中、自分の専門だけをやっているような態度ではいけないからです。古文や漢文や歴史を勉強した理系と、自分が得意なことだけをやった理系と、どちらが本質的に社会に必要とされるでしょうか?よく考えてみなさい。結果的に私立大学に行くのは構わない。でも、国語や社会を勉強しないで大学に受かるようなナメた態度は許しません」
こう言われてしまうと、ナニクソと思ってしまうのが、俺の性分。都内で国公立で物理学科があるところを、大学受験の案内みたいなんでテキトウに探すと、東京工業大学という名前が目に入る。『あ、ここでイイんじゃね?』と、本当にテキトウに選んだ。
流石にそろそろ先生が土曜日にやる講習会の参加・不参加を決めなくちゃいけない。貴重な土曜日を数学だけにとられるのがイヤだなぁと思っていたが、まぁあそこまでアツいのも面白いか、もともと早稲田狙いで、数学・英語・物理・化学の4科目の予定だったし、国立志望のフリしてればいいはずで、全体の1/4と思いながら数学やるのは悪くねーよな、という気持ちで、講習会の参加の紙を先生に持っていくと、「遅い!」と一言。そういえば、これが先生とまともに話した最初の瞬間でしたね。「みんな、決定が遅すぎる。たかはし、お前も遅い。何をチンタラしてるんだ」と。「あ、ほら、体育祭のダンスとかで忙しいんじゃないですか」とあくまで客観性を持たせた意見を言うと、「あんなもの、10年くらい同じことをやっている。まるで進歩がない」と言われ、少しだけムッとした。そんな感情をかみしめる暇もなく、「初日までに埋めてきてね」と三角関数のプリントを手渡された。
講習会参加後も、土曜の講習会の参加を決めたことをじゃっかん後悔していると、連休明け、あの、授業で使う問題集を買わずに先生に立て替えてもらってた友達が、「あの問題集全部解いて、先生に渡したわー」と言ってきた。『え?全部解いたの?』と訊くと、「まぁね。けっこう勉強になっちゃったよ」と言ってきた。彼がけっこう勉強になったなら、これは先生についていく価値があるんじゃないか、と思い直したけど、それでも、まだまだ自分の力で勉強する時間というものを大事にしていた。
受験に必要な計算の定石を、先生から教わっていくと、その教授法がかなり洗練されていることに徐々に気が付く。まず、問題集は分野ごとに解説をしない。わざとバラバラに解いていくやり方で、すべての分野で平均的に自分の弱点が克服されていく。問題集のレベルがうちの高校に非常にぴったりだった。そして、何より、先生自身がすべての問題を自力で解いてプリントにしてくる。
後にも先にも、先生ほど俺たちのことを本気で考えてくれている教員に出会ったことがないのに、、どうして俺は先生をすぐに信用して、ついていこうとしなかったのだろう。あぁ、本当にバカで、申し訳ありません。
体育祭が終わってから、「俺の高校時代って、これで良かったんだろうか?」と無駄に悩んでいる夏休みまでの俺に対して、結果的に、先生が強制してくれたおかげで、数学だけはなんとか受験生のレベルに達していた。
そういえば、この頃だったと思う。うちの母親が懇談会かなんかで先生と話したらしく、「あんたが一番できるって先生に言われたわよ」と話してきた。その時は『お世辞だろ』って思っていたけど、先生がお世辞なんか言わないことをよく知っている今は、『先生は、本当に見る目が無いです』と思う。俺ほどやる気がなくて、俺ほど能力のない生徒も、他にいないんですよ。
だって、、ほら、夏期講習のとき、『なんで先生はそんなに本気で教えられるんですか?』って訊いた俺に、先生、言いましたよね?「だって、本気で大学に行きたいだろう!?」と。俺はその時、『はい』とは言えず、黙り込んでしまった。大学に行きたいって気持ちは「流れ」なだけで、プラスちょっとだけ本気っぽくなってるのは、喧嘩したまんまになっているケースケに反発するように勉強しているに過ぎないんじゃないかって。『俺は本気で大学に行きたいんだろうか?』と考え込んで、先生のちょっとがっかりしている姿を見て、申し訳なさが募るばかりだった。「これで存分に涼しく勉強できるだろ」と扇風機を6台も自腹で買ってきてくれた先生の期待に応えられそうにない、と思うと、少しだけ先生と距離を取ろうと思うようになってしまう。
浮ついた心のまま、強制されるままに勉強していた数学だけは自信がついていたが、自分で勉強できる!と思っていたはずの物理や化学がおろそかになっていた。ましてや、古文や漢文や倫理なんて、手が回ってるはずもないのに、先生は「たかはしは、東工大志望だろ。私の授業を受けることで、数学以外にも、物理や他の科目で、こんなに勉強しなくちゃいけないんだ、と気が付いてほしい」と言われ、逃げ場すら奪われ、『いや、ほんとは東工大なんて行けないと思うし、目指してもないんだけどなぁ』と思いながらも、焦って勉強した。不思議と、先生に煽られれば煽られるほど、勉強する時間そのものは増えていったように思う。
夏も後半になると、すっかり先生は信者を獲得していった。「残念ながら、今後は文系は教えられない。数3も含めて講義する。他の教員に文系用の数学の講習会を頼んでいたが、結局、見つからなかった。申し訳ない」と言えば、文系のなかで賢い生徒から「いや、先生じゃないなら、どっちにしろ講習会は受けません。これまで有り難う御座いました」というコメントが付くほどだった。
前回紹介した、憧れの友人であるSS君も、「忙しいし、とりあえず数3は要らないけど、先生のこと好きだから、数3になっても講習会受けるわ」と言うほどだった。
あんなに厳しいのに、「今年は体育でプールはなかった」と誰かが言ったら、先生は「なんだ。早く言ってくれれば、毎週土曜日プール開けたのに」と返してくる。「そんなことより勉強しろ」と言われると思っていた俺らは、少し拍子抜けしてしまう。こういうところは緩い。
のわりに、進研模試を学校で受けられるように取り決めてくれた先生は、みんなに強制的に受けるようにと促していた。何が主流なのか、いかに神奈川県の教育やうちの高校のシステムが他県の高校に比べてダメか、強く語り出したのもこの時期だ。「推薦は取るな!推薦を取りたいなら、俺を倒してから行け!!」と言い始めたのも、この頃だった。あれはあれで、、キラキラした青春ではなかったけど、楽しい想い出になってしまってるから、時の流れはすごい。
9月に入ると先生の厳しさはさらに加速した。「皆さんは、4か月後に受験です。4か月前は何してましたか?体育祭でレッツダンスかな?あのくらいの時期と同じ時間が流れると、皆さんは受験会場にいます」
どうして、そんなに正論のクリティカルな表現を思いつくのだろう?と感心するほど。「模試で結果の出始めた者もいるだろう。でも、これでいいんだ、と思った瞬間に失敗します。勉強しているときは、いっさいのオゴリがあってはいけない。いつまでも自分は世界で一番のバカだと思って勉強しなさい。そして、受験会場で、自分がこの中で一番頑張ってきたヤツだ、と思えるように、頑張りなさい」
…先生、俺は、今、自分が世界で一番のバカだとは思えないし、自分の分野の中で一番研究を頑張ったとも思えません。それでも、先生は、俺のことを見捨てないのでしょうか?
「たかはし、理学部で、本当に良いのか?大学に残ったり、教員になったりしかなくて、大変だぞ?」『あ、まぁ、大丈夫です』せめて、あの時、もっと強く、理学部行きを止めてくれたら、先生の歴代の生徒のなかでも、こんなどうしようもない生徒になっていなかったかもしれないのに。
文化祭が終わると、先生はめちゃくちゃご立腹だった。何にそんなにキレているのか、最初はよくわからなかったが、これもその後の俺の価値観を大きく変えるものになる。
「文化祭の準備や当日に、きちんと仕事をした人、お疲れさま。一方で、それをサボって、自分勝手に予備校に行った者もかなりいたようだ。私は、そういう者は、落ちてしまえ!と思う。受験生ってだけで、何か自分が特別な存在だと勘違いしているようだ。受験生は何も特別ではない。だから、家の手伝いも普通にしなさい。学校の行事もちゃんと率先して参加しなさい。そういう損しそうになってしまう生徒には、私は全力で応援する。義務を放棄して自分勝手に受かろうとする生徒については、私は応援できない」
正直、意外だった。「文化祭なんて無視して、勉強しろ」と言われると思ったからだ。俺はそもそも予備校に通っていない。だから、偶然にこれには適応しなかっただけで、もし予備校に通っていたら、予備校を優先している可能性は多分にある。こういうところが、先生は普通とは圧倒的に違った。
だいたい、先生は、俺にとって、担任や副担任でもなければ、部活動などの顧問でもない。ただの1科目、数Cと演習の授業の担当ってだけだ。それなのに、ほぼ毎日、俺たちに干渉してきて、ここまで実力を高めようとして、影響を与えている。もし、先生に出会えていなかったら、教育というものに不信感を抱いたまま、大人になっただろう。たった一人、本当に一人だけ、ここまで筋が通って、俺らのことを本気で考えてくれて、実際に尊敬に値する実力を有していた。
センター試験でも雪の中、先生だけが会場の前で「頑張れ」と応援に来ていましたね。数学の試験が終わったときに、「先生、マジ、ごめんなさい」と言ってた同級生が何人もいました。それでも、
「最近、高3の遅刻が問題になっている。特に、センター試験の次の日の月曜日は、学年の半分以上が遅刻をしているとのことだ。たるんでいる!」
と正論で突き放す。先生、それさえ言わなければ、もう少しだけでも逃げ場を与えてくれたら、もっともっと、本当に良い生徒が、先生の傍に残るんです。
センター後の先生の講習会は、俺を含め4人しか残らなかった。人間なんて、そんなもんなんです。先生が必死で俺たちのために、って思ってくれても、自分に都合の良いところだけを自分のものにして、その実力を自分だけのために使うクズばっかりしか、世の中にはいないんですよ。「君たち4人が残ってくれたことに感謝している。頑張れ。絶対に受かれ」と言われ、送り出された。
でも、先生のおかげで数学だけは、それなりの実力を手にしていた俺は、受ける前から、無駄にわかっちゃうんですよ。東工大にも早稲田にも絶対に受からないって。自分の実力がまったく分からないことの幸福度合いが、身に染みる瞬間だった。
スタートも遅いし、数学だけで精一杯。実力を突き付けられた瞬間、俺たちはきっと泣いたと思う。どこにも受からなかったことを先生が知ったあと、最後のプリントに、「一年間、よくついてきてくれました。たかはしは悪くない。たかはしが落ちたことは、学校のシステムや私の問題だ。本当に申し訳なく思う」と書いてあった。『いやいや、俺が悪い』と思ってみても、その先、何も言葉が出てこない。
「たかはしは、予備校に通ったほうが良いと思うぞ」と先生から言われて、予備校の力を使わないと頑なに思っていた俺は、あからさまに落ち込んだ。そんな俺に、「予備校ならちゃんとクーラーが効いてるしな。浪人する人間のうち、99%は予備校に通わなくちゃいけないんだ。もちろん、俺もその中に入っている。だから、安心して、予備校に行きなさい」
一方で、SS君には学校内でできるアルバイトを紹介したり、他にも色々支援をしてくれていたみたいだ。卒業してからも、こんなにお世話になってるなんて、と当時思ったが、それからも何かの節目には先生に連絡してお言葉を貰っている俺は、この時期が高校に通っていた頃だと認知してしまう。
俺が博士課程の学生の頃に、SS君と先生とで飲んだときに、「毎年、近くの予備校からデータを貰って、自分の生徒がちゃんと予備校に通ってるかどうかチェックしている」と訊いて、驚愕する。どんなに裏でお世話になっているか、計り知れない。
浪人して理科大に受かったと伝えた時に「とりあえず、おめでとう。でも、本命は東工大だろ?」と厳しいお言葉を貰った時も、転学して神楽坂に受かったけど院では外部に出たいと伝えた時に「野心家だな笑」と笑われた時も、院試で医科歯科大と東大しか受けなかったと伝えた時に「そりゃ、若気の至りだな。落ちたらどうするつもりだったんだ」と言われた時も、アメリカで研究員をしていると伝えた時に「コネもなく、頑張りましたね。シカゴに住んでいたことがありますが、あっちは自由でテキトウで面白いですよね」とメールで励ましてもらった時も、、先生に認めてもらえそうな良い部分だけを伝えている俺がいる。
だから、今のこの変化は、先生には連絡できないでいるんです。「それは推薦だ」って言われたり、「それでいいのか?」って言われたり、どうしても、先生の言葉が先に頭に浮かんできちゃうんです。完全に清廉潔白って状況じゃないから。
そして、愛情を持ちながら、理想と正論を押し付けてきてくれた先生に、期待されなくなるのが、たぶんどこかで怖いから。もしかしたら、みんなちゃんと巣立っているのに、俺だけ、いつまでもいつまでも、卒業できずにいるのかもしれません。でも、それだけ先生の影響力が強いんです。
理想を押し付けられることは苦痛なことが多いけど、ある程度は期待されないと愛情を感じられない。
あれだけのことをしてくれた人がいるから、ほんの少しだけでも、自分が助けられる人は、なんとか助けようとする俺がいる。大衆から募集した、週1本くらいの頻度の相談メールを丁寧に返したりはする。でも、俺には、この程度が精一杯。とてもじゃないけど、先生のマネはできない。
「自分の実力を、他人のため社会のために、貢献するように、常に心がけなさい」
僕は、先生の言葉に恥じないだけの生徒でいられているのでしょうか?自分のことだけしか考えていない人たちが多数派を占める社会の中で、それを心がけ続けたとして、僕たちは、生きていけるのでしょうか?
世の中には、アベさんやショウさん(自分史1参照)のように大して頑張っていなくても優しい人はいるし、何でもできちゃうし優しいけど不遇だったSS君(自分史2参照)みたいな人もいるけど、自分のことだけを考えた結果、成功した風味を醸しだし続けたいクズがマジョリティ。こんなにも不平等な世の中で、僕たちは、どうやって生きていたらイイのですか?
もがきながら絶望して、絶望の淵で少しだけ期待して、そんなことを繰り返していたら、10年以上経っていた。
だからこそ、次の一歩を、迷ってしまっているのかもしれない。でも、最後には、その期待に応えたいと願っています。だから。。
高校3年生になったばかりの頃、気分だけは受験生になっていった俺は、先生に出会うまで、自分がどんなに無謀なのかを知らずにいれた。
前回の自分史2で紹介したSS君に触発されていることもあって、極力誰の助けも受けず、予備校にも通わず、自分で勉強して、大学に受かろうと思っていた。
そんなわけで、高3で先生と最初に出会った、数学Cと演習の授業を受けたときも、どんなに厳しい言葉を浴びても、冷静でいれた。いや、正確に言うと、冷静でいたい自分を客観視することができていた。
先生が俺たちにした最初の授業で、先生は小さいプリントを配った。
「平日は1日4時間以上、休日は1日8時間以上は勉強しましょう。数学は私の指導通りに勉強すること。塾・予備校は必要なし。目標は横浜国立大学工学部など」
だいたいそんなことが書いてあったと思う。『俺は国立目指してないんだけどなぁー。そもそも国語とか社会とかやりたくないし』と思いながら、最後の一文に目がいく。「4月5月にできないことは、6月以降もきっとできない」
『これ、どういう意味だろう?』と思っていると、先生は小さいプリントと年次計画を詳細に説明し始めた。プリントに書いてある感じの口調よりも数倍に力強い言葉で。そして、
「そこにも書いたけど、塾・予備校は必要なし。私は本気です。必死でついてきてください。そして、明日から勉強し始めよう、などと思わず、もう高3なんだから、今日から勉強し始めること。人は、ある日突然、何かができるようにはなりません。4月5月にできないことは6月以降もきっとできません。今から必死で勉強し始めてください」
『うわー、恐ろしい正論。こういうの苦手なんだよなぁ』と思いながらも、授業後にクラスメイトの一人が「マジヤバすぎるだろ、あれ」と言うセリフに、俺は『まぁ、高3なんだから、あれくらいでいいんじゃない?』と余裕をかましていた。
そして、「土曜日に講習会を開きます。参加する人は、この用紙を持ってくること。一度参加すると決めたら、欠席はしないように。最後まで参加してください。それから、志望校を書くこと」と言われ、俺は参加するか否か悩んでいた。
当時、俺の周囲で一番数学ができた、ある友達は、演習のクラスで先生が指定した問題集をわざと買わずにいた。先生が「君たちは問題集を全部終わらせたことはあるかな?私の演習の授業では、このメジアンって問題集を全部終わらせます」と言ってた問題集を「あんなんウザいでしょ」と。
でも、先生は、彼の分も自腹で立て替えてましたね。たいして頭が良くないわりにはプライドだけは高い生徒たちが多い中で、他にもそういう生徒がどれくらいいたんでしょうか?その優しさが、あれから、10年以上たった今、どれくらい皆に伝わってきているのか、僕は不安でなりません…。
高3になった直後、学年全員集められ、進路指導会みたいなのが開かれたとき、先生が僕たちに言い放った言葉が、その後の俺の人生に強く影響している。
「私は理系なので、文系のことは知りません。文系には申し訳ないが、理系に対してだけ話します。理系の皆さん、必ず国公立大学を第一志望にしなさい。これは強制です。何故かと言うと、これからの世の中、自分の専門だけをやっているような態度ではいけないからです。古文や漢文や歴史を勉強した理系と、自分が得意なことだけをやった理系と、どちらが本質的に社会に必要とされるでしょうか?よく考えてみなさい。結果的に私立大学に行くのは構わない。でも、国語や社会を勉強しないで大学に受かるようなナメた態度は許しません」
こう言われてしまうと、ナニクソと思ってしまうのが、俺の性分。都内で国公立で物理学科があるところを、大学受験の案内みたいなんでテキトウに探すと、東京工業大学という名前が目に入る。『あ、ここでイイんじゃね?』と、本当にテキトウに選んだ。
流石にそろそろ先生が土曜日にやる講習会の参加・不参加を決めなくちゃいけない。貴重な土曜日を数学だけにとられるのがイヤだなぁと思っていたが、まぁあそこまでアツいのも面白いか、もともと早稲田狙いで、数学・英語・物理・化学の4科目の予定だったし、国立志望のフリしてればいいはずで、全体の1/4と思いながら数学やるのは悪くねーよな、という気持ちで、講習会の参加の紙を先生に持っていくと、「遅い!」と一言。そういえば、これが先生とまともに話した最初の瞬間でしたね。「みんな、決定が遅すぎる。たかはし、お前も遅い。何をチンタラしてるんだ」と。「あ、ほら、体育祭のダンスとかで忙しいんじゃないですか」とあくまで客観性を持たせた意見を言うと、「あんなもの、10年くらい同じことをやっている。まるで進歩がない」と言われ、少しだけムッとした。そんな感情をかみしめる暇もなく、「初日までに埋めてきてね」と三角関数のプリントを手渡された。
講習会参加後も、土曜の講習会の参加を決めたことをじゃっかん後悔していると、連休明け、あの、授業で使う問題集を買わずに先生に立て替えてもらってた友達が、「あの問題集全部解いて、先生に渡したわー」と言ってきた。『え?全部解いたの?』と訊くと、「まぁね。けっこう勉強になっちゃったよ」と言ってきた。彼がけっこう勉強になったなら、これは先生についていく価値があるんじゃないか、と思い直したけど、それでも、まだまだ自分の力で勉強する時間というものを大事にしていた。
受験に必要な計算の定石を、先生から教わっていくと、その教授法がかなり洗練されていることに徐々に気が付く。まず、問題集は分野ごとに解説をしない。わざとバラバラに解いていくやり方で、すべての分野で平均的に自分の弱点が克服されていく。問題集のレベルがうちの高校に非常にぴったりだった。そして、何より、先生自身がすべての問題を自力で解いてプリントにしてくる。
後にも先にも、先生ほど俺たちのことを本気で考えてくれている教員に出会ったことがないのに、、どうして俺は先生をすぐに信用して、ついていこうとしなかったのだろう。あぁ、本当にバカで、申し訳ありません。
体育祭が終わってから、「俺の高校時代って、これで良かったんだろうか?」と無駄に悩んでいる夏休みまでの俺に対して、結果的に、先生が強制してくれたおかげで、数学だけはなんとか受験生のレベルに達していた。
そういえば、この頃だったと思う。うちの母親が懇談会かなんかで先生と話したらしく、「あんたが一番できるって先生に言われたわよ」と話してきた。その時は『お世辞だろ』って思っていたけど、先生がお世辞なんか言わないことをよく知っている今は、『先生は、本当に見る目が無いです』と思う。俺ほどやる気がなくて、俺ほど能力のない生徒も、他にいないんですよ。
だって、、ほら、夏期講習のとき、『なんで先生はそんなに本気で教えられるんですか?』って訊いた俺に、先生、言いましたよね?「だって、本気で大学に行きたいだろう!?」と。俺はその時、『はい』とは言えず、黙り込んでしまった。大学に行きたいって気持ちは「流れ」なだけで、プラスちょっとだけ本気っぽくなってるのは、喧嘩したまんまになっているケースケに反発するように勉強しているに過ぎないんじゃないかって。『俺は本気で大学に行きたいんだろうか?』と考え込んで、先生のちょっとがっかりしている姿を見て、申し訳なさが募るばかりだった。「これで存分に涼しく勉強できるだろ」と扇風機を6台も自腹で買ってきてくれた先生の期待に応えられそうにない、と思うと、少しだけ先生と距離を取ろうと思うようになってしまう。
浮ついた心のまま、強制されるままに勉強していた数学だけは自信がついていたが、自分で勉強できる!と思っていたはずの物理や化学がおろそかになっていた。ましてや、古文や漢文や倫理なんて、手が回ってるはずもないのに、先生は「たかはしは、東工大志望だろ。私の授業を受けることで、数学以外にも、物理や他の科目で、こんなに勉強しなくちゃいけないんだ、と気が付いてほしい」と言われ、逃げ場すら奪われ、『いや、ほんとは東工大なんて行けないと思うし、目指してもないんだけどなぁ』と思いながらも、焦って勉強した。不思議と、先生に煽られれば煽られるほど、勉強する時間そのものは増えていったように思う。
夏も後半になると、すっかり先生は信者を獲得していった。「残念ながら、今後は文系は教えられない。数3も含めて講義する。他の教員に文系用の数学の講習会を頼んでいたが、結局、見つからなかった。申し訳ない」と言えば、文系のなかで賢い生徒から「いや、先生じゃないなら、どっちにしろ講習会は受けません。これまで有り難う御座いました」というコメントが付くほどだった。
前回紹介した、憧れの友人であるSS君も、「忙しいし、とりあえず数3は要らないけど、先生のこと好きだから、数3になっても講習会受けるわ」と言うほどだった。
あんなに厳しいのに、「今年は体育でプールはなかった」と誰かが言ったら、先生は「なんだ。早く言ってくれれば、毎週土曜日プール開けたのに」と返してくる。「そんなことより勉強しろ」と言われると思っていた俺らは、少し拍子抜けしてしまう。こういうところは緩い。
のわりに、進研模試を学校で受けられるように取り決めてくれた先生は、みんなに強制的に受けるようにと促していた。何が主流なのか、いかに神奈川県の教育やうちの高校のシステムが他県の高校に比べてダメか、強く語り出したのもこの時期だ。「推薦は取るな!推薦を取りたいなら、俺を倒してから行け!!」と言い始めたのも、この頃だった。あれはあれで、、キラキラした青春ではなかったけど、楽しい想い出になってしまってるから、時の流れはすごい。
9月に入ると先生の厳しさはさらに加速した。「皆さんは、4か月後に受験です。4か月前は何してましたか?体育祭でレッツダンスかな?あのくらいの時期と同じ時間が流れると、皆さんは受験会場にいます」
どうして、そんなに正論のクリティカルな表現を思いつくのだろう?と感心するほど。「模試で結果の出始めた者もいるだろう。でも、これでいいんだ、と思った瞬間に失敗します。勉強しているときは、いっさいのオゴリがあってはいけない。いつまでも自分は世界で一番のバカだと思って勉強しなさい。そして、受験会場で、自分がこの中で一番頑張ってきたヤツだ、と思えるように、頑張りなさい」
…先生、俺は、今、自分が世界で一番のバカだとは思えないし、自分の分野の中で一番研究を頑張ったとも思えません。それでも、先生は、俺のことを見捨てないのでしょうか?
「たかはし、理学部で、本当に良いのか?大学に残ったり、教員になったりしかなくて、大変だぞ?」『あ、まぁ、大丈夫です』せめて、あの時、もっと強く、理学部行きを止めてくれたら、先生の歴代の生徒のなかでも、こんなどうしようもない生徒になっていなかったかもしれないのに。
文化祭が終わると、先生はめちゃくちゃご立腹だった。何にそんなにキレているのか、最初はよくわからなかったが、これもその後の俺の価値観を大きく変えるものになる。
「文化祭の準備や当日に、きちんと仕事をした人、お疲れさま。一方で、それをサボって、自分勝手に予備校に行った者もかなりいたようだ。私は、そういう者は、落ちてしまえ!と思う。受験生ってだけで、何か自分が特別な存在だと勘違いしているようだ。受験生は何も特別ではない。だから、家の手伝いも普通にしなさい。学校の行事もちゃんと率先して参加しなさい。そういう損しそうになってしまう生徒には、私は全力で応援する。義務を放棄して自分勝手に受かろうとする生徒については、私は応援できない」
正直、意外だった。「文化祭なんて無視して、勉強しろ」と言われると思ったからだ。俺はそもそも予備校に通っていない。だから、偶然にこれには適応しなかっただけで、もし予備校に通っていたら、予備校を優先している可能性は多分にある。こういうところが、先生は普通とは圧倒的に違った。
だいたい、先生は、俺にとって、担任や副担任でもなければ、部活動などの顧問でもない。ただの1科目、数Cと演習の授業の担当ってだけだ。それなのに、ほぼ毎日、俺たちに干渉してきて、ここまで実力を高めようとして、影響を与えている。もし、先生に出会えていなかったら、教育というものに不信感を抱いたまま、大人になっただろう。たった一人、本当に一人だけ、ここまで筋が通って、俺らのことを本気で考えてくれて、実際に尊敬に値する実力を有していた。
センター試験でも雪の中、先生だけが会場の前で「頑張れ」と応援に来ていましたね。数学の試験が終わったときに、「先生、マジ、ごめんなさい」と言ってた同級生が何人もいました。それでも、
「最近、高3の遅刻が問題になっている。特に、センター試験の次の日の月曜日は、学年の半分以上が遅刻をしているとのことだ。たるんでいる!」
と正論で突き放す。先生、それさえ言わなければ、もう少しだけでも逃げ場を与えてくれたら、もっともっと、本当に良い生徒が、先生の傍に残るんです。
センター後の先生の講習会は、俺を含め4人しか残らなかった。人間なんて、そんなもんなんです。先生が必死で俺たちのために、って思ってくれても、自分に都合の良いところだけを自分のものにして、その実力を自分だけのために使うクズばっかりしか、世の中にはいないんですよ。「君たち4人が残ってくれたことに感謝している。頑張れ。絶対に受かれ」と言われ、送り出された。
でも、先生のおかげで数学だけは、それなりの実力を手にしていた俺は、受ける前から、無駄にわかっちゃうんですよ。東工大にも早稲田にも絶対に受からないって。自分の実力がまったく分からないことの幸福度合いが、身に染みる瞬間だった。
スタートも遅いし、数学だけで精一杯。実力を突き付けられた瞬間、俺たちはきっと泣いたと思う。どこにも受からなかったことを先生が知ったあと、最後のプリントに、「一年間、よくついてきてくれました。たかはしは悪くない。たかはしが落ちたことは、学校のシステムや私の問題だ。本当に申し訳なく思う」と書いてあった。『いやいや、俺が悪い』と思ってみても、その先、何も言葉が出てこない。
「たかはしは、予備校に通ったほうが良いと思うぞ」と先生から言われて、予備校の力を使わないと頑なに思っていた俺は、あからさまに落ち込んだ。そんな俺に、「予備校ならちゃんとクーラーが効いてるしな。浪人する人間のうち、99%は予備校に通わなくちゃいけないんだ。もちろん、俺もその中に入っている。だから、安心して、予備校に行きなさい」
一方で、SS君には学校内でできるアルバイトを紹介したり、他にも色々支援をしてくれていたみたいだ。卒業してからも、こんなにお世話になってるなんて、と当時思ったが、それからも何かの節目には先生に連絡してお言葉を貰っている俺は、この時期が高校に通っていた頃だと認知してしまう。
俺が博士課程の学生の頃に、SS君と先生とで飲んだときに、「毎年、近くの予備校からデータを貰って、自分の生徒がちゃんと予備校に通ってるかどうかチェックしている」と訊いて、驚愕する。どんなに裏でお世話になっているか、計り知れない。
浪人して理科大に受かったと伝えた時に「とりあえず、おめでとう。でも、本命は東工大だろ?」と厳しいお言葉を貰った時も、転学して神楽坂に受かったけど院では外部に出たいと伝えた時に「野心家だな笑」と笑われた時も、院試で医科歯科大と東大しか受けなかったと伝えた時に「そりゃ、若気の至りだな。落ちたらどうするつもりだったんだ」と言われた時も、アメリカで研究員をしていると伝えた時に「コネもなく、頑張りましたね。シカゴに住んでいたことがありますが、あっちは自由でテキトウで面白いですよね」とメールで励ましてもらった時も、、先生に認めてもらえそうな良い部分だけを伝えている俺がいる。
だから、今のこの変化は、先生には連絡できないでいるんです。「それは推薦だ」って言われたり、「それでいいのか?」って言われたり、どうしても、先生の言葉が先に頭に浮かんできちゃうんです。完全に清廉潔白って状況じゃないから。
そして、愛情を持ちながら、理想と正論を押し付けてきてくれた先生に、期待されなくなるのが、たぶんどこかで怖いから。もしかしたら、みんなちゃんと巣立っているのに、俺だけ、いつまでもいつまでも、卒業できずにいるのかもしれません。でも、それだけ先生の影響力が強いんです。
理想を押し付けられることは苦痛なことが多いけど、ある程度は期待されないと愛情を感じられない。
あれだけのことをしてくれた人がいるから、ほんの少しだけでも、自分が助けられる人は、なんとか助けようとする俺がいる。大衆から募集した、週1本くらいの頻度の相談メールを丁寧に返したりはする。でも、俺には、この程度が精一杯。とてもじゃないけど、先生のマネはできない。
「自分の実力を、他人のため社会のために、貢献するように、常に心がけなさい」
僕は、先生の言葉に恥じないだけの生徒でいられているのでしょうか?自分のことだけしか考えていない人たちが多数派を占める社会の中で、それを心がけ続けたとして、僕たちは、生きていけるのでしょうか?
世の中には、アベさんやショウさん(自分史1参照)のように大して頑張っていなくても優しい人はいるし、何でもできちゃうし優しいけど不遇だったSS君(自分史2参照)みたいな人もいるけど、自分のことだけを考えた結果、成功した風味を醸しだし続けたいクズがマジョリティ。こんなにも不平等な世の中で、僕たちは、どうやって生きていたらイイのですか?
もがきながら絶望して、絶望の淵で少しだけ期待して、そんなことを繰り返していたら、10年以上経っていた。
だからこそ、次の一歩を、迷ってしまっているのかもしれない。でも、最後には、その期待に応えたいと願っています。だから。。