たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

Wind Runners

2013-08-30 00:57:17 | Weblog
 周囲の気持ちを大切にしながら実質的な結果を出していくためには、論理性の中から未来をきちんと予測する慧眼さを持つべきだ。
 このままではどのような未来になるのか?、どのような制度や意識を設定すれば、純粋すぎる理想に近づけるのか?、日々考究していなければ、時代に取り残される大衆とカワラナイ。

 電磁気学で有名なマクスウェルは、19世紀に電場と磁場の相互関係から電波の存在を予言し、通信社会をも予測したらしい。実際に、マクスウェル方程式を発表してから約10年後、ベルが電話を発明する。
 その大元になっているのが、ファラデーによる電磁誘導の法則の発見だ。導線の周囲を取り囲む磁場を、源の無い力線として描き表し予測した結果である。

 ここまでの素晴らしい予測は中々できないにしても、ある程度、先を見据えながら生きていくのは大切なことだと思う。
 意識として大切なことは、怠惰で誤魔化される夢のない現実ではなく、信念を貫くことによって観えてくる光り輝く現実だ。特に自然科学を純粋に追究する上で、それを忘れてはいけない。

 ただ、よく勘違いされるから言っておくが、俺が普段言っている理学の最終目標「すべての自然現象を一本化された理論や方程式で書き下す」は、あくまで自然科学というヒトによって創られた範疇のなかでの理想であり、こんなもの、極端な話、どうでも良い。
 気持ちを気持ちで感じとれる尊い存在に対して、絶対的な論理性が無いせいで、失ってしまうことを恐れているから、仕方なく論理性が必要なだけで、自然科学を追究することを通して、これさえ得られれば、自然科学という限られた分野について関心は消えてしまうだろう。

 そして、この理学の最終目標を達成する上で、もっともコスパーが良さそうな観測例が生命なのだ。
 生命とは何か?、ということに明確に答えるべく練習問題を通して、いくつもの本質的な問題を解いていけたら良いんだと思う。

 そのためにも、あらゆる集団についての関心事について思案し、それらを経験・再構築することで、未来を正確に予測する必要があるのだと思う。

 たとえ、その瞬間、心がかき乱されたとしても、、風を肌に受けて走り続けなきゃね。
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クラウチングスタートの準備

2013-08-29 01:28:27 | Weblog
 能力が高くなればなるほど、実力がつけばつくほど、誰が本当に俺のことを考えてくれているか?が観えにくくなる。
 能力を向上させなければならない理由は、信頼関係を結ぶために一緒に問題解決まで到達できるほどの能力を得たいからなのに、能力を向上させればさせるほど、その周囲に、自分のことしか考えないヤツもたかってきたり、俺の能力だけに群がる輩だってでてくるのは、メンドクサイことだ。

 だからこそ、純粋な気持ちを圧倒的な論理性を持ってして、相手に押し付けていく必要がある。
 こうすることによって、俺のことを考えているフリをしているだけの相手にはコスパーが悪いと思わせて、それらを排除することができる。俺の仲間に、相手の気持ちを考えないヤツは、必要無いのだ。

 ゼミや研究会でよく言ってることだけど、生命現象とは物理・化学現象からのanomalyである。そして、その実空間上での具体的な振る舞いとして、(細胞)運動が観察されている。その動きは、自己保持するだけの単純な物理現象とは異なり、時として一個体が意志を持った系としての「損」が観測される。
 その意志が優しさであり、発現が「損」であるならば、それは非常に尊いことであり、逆に言えば、そこに日々、着眼点が持てないようでは、それが本質的なヒントとなる、生命とは何か?、に一生答えられないだろう。一個体として、ダーウィン進化を受けることができる自己保存的な化学系(NASAの「生命」の定義)で止まっているような人生では楽しくない。

 優しさを発現しようとする意志を持った人としか俺は組まないし、そうじゃない人は近寄って来てすら欲しくないくらい。たった数分であったとしても、短い人生、楽しいほうが得だもんね。
 まぁ、誰が敵で誰が味方かがわからないくらい、能力を向上させることができてきているとも言えるし、少しの新しい自信が芽生えていて、だからこそ…。。

 とにかくこれで、誰が優しくて、誰が自分のことしか考えていないか、はっきりわかった。我ながら、すべての行為が、コスパーの良い実験であったと思う。
 俺は、この仲間と一緒に、実空間上においてきてしまった本質的な問題を一番大切な人のために取り組んでいきたいと願っているし、落ち着いたら、実質的にも精神的にも切り捨てた、優秀さ(優しさが秀でる)に欠ける人達を本当の意味で助けたいと想っている。

 クラウチングスタートの準備は完璧。
 さぁ、ここから、もう一歩、踏み出すことを始めよう。
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本質的に何が相手のためになるのか?

2013-08-27 02:13:33 | Weblog
 本質的に何が相手のためになるのか?、を考え続けることこそが、系をより良くする上でも、かわいい後輩達をなるべく幸せな方向にもっていくためにも、そして、一番大好きで大切な優しい誰かを守ろうとする上でも非常に大切で、自分ができる範疇の事柄の中から、それを達成していけばイイ。

 正論が相手を傷つけることもあるし、俺が干渉することそのものが相手にとって良くないこともあるだろう。仲間に帰属させないほうがその人の満足になることもあるし、自分ですべてを片づけたい人もいるだろう。
 今と未来についてのすべての可能性を考慮しながら、自分の無意味な私利私欲を排除して、相手のことだけを考えて、信念を貫く。簡単なようで非常に難しいことだが、こういうことを繰り返しできるようになるために、修行している。

 俺自身のスタイルとしては、そっちのほうが後悔が無い。
 真実がわからなくても、事実がどうだったかわからなくても、俺は、そのときその瞬間、確実に、相手の今と未来を考えていた自分自身が存在していたということのほうが、想い出としても、大切で尊い。だって、自分の気持ちや感情は、正確にわかるわけだから。

 周囲を取り巻く問題は、すべて、自らが置いてきてしまった、本質的な問題を解く上でのヒントになっている。
 どうしたらイイか?を冷徹に教えてくれる。だから、手を抜いてはいけないし、俺は俺の周囲にあるすべての問題を解く。それはその当人たちのためであり、同時にたった一人のためでもある。

 これが、結果的に、そのたった一人の大切な存在にとって、何の意味も持たないモノであっても、俺自身の能力アップに繋がるし、各個人の助けには確実になるわけだから、コスパーがイイ。笑
 …って、こういうのが、ダメなんだよね?!

 本音をこの場で少しだけ言うと、、多角的に考え、あらゆる手段で解にアプローチしていかなくちゃいけない、この問題は、本当は必要無い能力をいくつもつけなければいけないほど、複雑であることを自覚しているからなのだ。

 本質的に何が相手のためになるのか?
 その研究を、どの階層の、どの分野についても、怠らない、っと俺自身の心に刻み込もう。
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技術じゃない何か

2013-08-26 03:45:44 | Weblog
 ものづくりで心が無いと、何も意味が無い。
 俺は普段そう繰り返してきているので、今日は、LIVE映像で、これは技術じゃない何か別のモノが伝わってくるぜ、って俺が勝手に想っている動画をyoutubeから紹介します。

 っま、自分が忘れないようにとっておいてる感が強いけど。笑
 こういうものづくりの結果を観ていると、何のために、共同作業をさせてもらったり、毎日を楽しんでいるか、何を目指したいのかが、明確になってくる気がします。

SMAP - 夜空ノムコウ


夏の幻 GARNET CROW


Your eyes only ~曖昧なぼくの輪郭 EXILE
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因果応報の意味

2013-08-25 01:49:34 | Weblog
 良いことをすればいずれは自分に返ってくるし、悪いことをしてもいずれは自分に返ってくる。
 それは、誰かが仕組んだり、ヤラセたりしなくても、自然現象として、そういう風になってるもんだと思う。だとしたら、誰かのせいで何かが奪われたとしても、自暴自棄になって自分まで何かを失う必要はない。

 誰かの心無い言動で気持ちが傷つくとき、相手の気持ちそのものが悪である場合もあるし、能力が足りなくて自分の存在を守るために仕方なく誰かを傷つけているケースだってあるし、習慣が足りなくてそれが悪いことだと気がつかないこともある。
 気持ち以外の場合は仕方ないことも多々あって、強い者や上の者から傷つけられたから今度は自分が弱い者や下の者を傷つける番だ!、なんて、それこそ、社会ではよくあることだ。

 でも、自然現象はこれらの理由で、因果応報なし、と許してくれるほど寛大ではない。
 自分で蒔いた種は、必ず自分で処理しなきゃいけないようになっている。それは、みんながそれをやってしまったら収集がつかなくなってしまうってことまで考えられない程度の思考力しか持っていないから身勝手な行動に走ったり、これまでこの環境ではずっとそうしてきたからって不条理なことを弱い者に課したりすることも、例外ではなく、すべて、その本人のもとに、巡り巡ってしまう。

 だからこそ、悪いことは悪い、ダメなことはダメ、っと、みんな知る必要がある。
 能力が無いことを本人の存在を理由に正当化したり、習慣だから仕方ないって結論付けたりしても、何の意味も無く、悪いことをすれば、自然現象からの制裁を受けてしまう。

 能力や優しさを持って、そうしないようにしてあげなきゃいけない。これこそがisolateしない、他人とインタラクションをとる大きな意味の一つだ。
 因果応報によって制裁を受けるから、何かを奪われても、ほっといてOK、なんて、意味の無い、無慈悲な結論を述べる気は、俺はさらさら無い。

 そこに、心からの哀れみを抱きながら、何かを奪うつもりの人間に対しても優しさで接して、あらゆる能力を駆使して、どうにかより良い状況下に持っていくことこそが、良いこと。だって、気持ち以外の何かのせーで悪いことをして、それが本人に返ってくるなんて、可哀相すぎるもん。そういう人に対して、ほっておかず、できることをする。
 そうじゃないなら、そうし合えないのなら、まったく関係無い、好きでも嫌いでもない、どうでもいい他人とインタラクションをとる意味は無い。

 それほど良いことをし続ければ、必ず自分に返ってくる。
 どうでもいい人すら助けようと試行錯誤することによって得られる気持ちで、一番助けたい人を、より良くしたい人を、その望み通りにすることができるのだと想う。

 ね、その視点に立ってみても、敵は、残酷な物理現象、でしょ??
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遥か彼方の理想

2013-08-23 02:12:23 | Weblog
 繰り返しの毎日のなかで、どんどん色々なことがなぁなぁになっていって、楽しさが即物的になっていってしまうことに危惧したなら、その原点に返る必要がある。
 仲間全員で楽しいことが継続されている、この保証を得るために、もっとも尊くて大切なことを犠牲にしていることを、一日も忘れてはいない。思考力を上げなきゃいけないことや、誰かをより良くすること、系を改善させる方向へ向けられる力を得るために、離れたのだから。

 目の前にある結果は、すべて、捧げるためにあるが、極論突き詰めれば、自分のためだけにやっている。まずは、本当の意味で、そのことを飲み込まないといけない。
 じゃなきゃ、本当に大切な尊さやその人の価値観を、心の底から受け入れる指針が立たない。壊れかけていた心を、知らない間に埋めてくれているくらいの想いの深さを守るために、すべての気持ちの容量を広げよう。

 遥か彼方にある、今はまだまだ遠い理想。
 辿りつくためには、まだ起こってもいない問題を恐れすぎず、かといって軽視しすぎず、明確に起こるとは限らない理想そのものに、きちんと自信を持つこと。
 その莫大な量の気持ちの絶対量を、俺自身が持たなきゃ、何の意味も無い。

 穏やかな時に寄り添える、この場所で、(俺の切り札である、)最高に優秀なメンツと一緒に、可能性を切り開いていこう。
 どんなに協力を仰いでも、実際に動き出すのは俺自身。

 切り開きながらも自然とより良きに近づくことこそが「命を運ぶ」意義であり、それすらも変えられる意志の強さについて自信を持って、帰っていかなきゃね。

JUJU - ただいま MTV Unplugged
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事前に用意してある優しさ

2013-08-21 00:30:21 | Weblog
 論理で勝負するなら、ディフェンスをしっかりしておけば、負けることは絶対に無い。ディフェンスが足りないときは勝負しない、ってことにしておけば、勝負していないんだから勝敗は決まっていない、って逃げることができるしね。
 オフェンスのパワーがいかに強くても、自分が気が付いていないことでオフェンスされたらそれまでなんだから、勝負に負けたくないなら、ディフェンスをしっかりしておくことだ。

 ただし、こんなことをずっと繰り返していて、気持ちが満足するか、って言ったら、また話は別だ。
 本当の気持ちを隠したいからディフェンスをするわけで、くだらない大義名分ばっかり、イイワケばっかり用意して、価値のないテーマを考究していては、いつまで経っても進捗しない。

 孤独の時間が長かったから、失敗したっていつでも孤独に戻ればイイんだから、って想いながら、研究内容に対しても、友達や仲間に対しても、全力でオフェンスし続けてきたけど、本当の意味での孤独を口実にして、本当の俺の気持ちをディフェンスし続ける自分自身が、バカバカしくてイヤになってくる。
 どうして、素直な、ありのままの気持ちを、相手の気持ちにぶつけることができないの?って、自分に聞いてみたりして。。どうでもいいイイワケを創る能力が高いのは別にかまわないけど、それを自分の気持ちを隠すために使う俺自身に腹が立ってくる。

 お互いに、論理的思考によって事前に用意してある優しさだけは、どうにか抱きしめることができて、ギリギリのところでどうにか繋がっていたりして?
 それを感じることで溢れだす想いは、懐かしい感情を潤すことしかできないのだから、論理的思考を一切介在させず、リアルタイムで気持ちを発現していけるように、素直な気持ちに正直になって、自分の本当の気持ちに自信を持つしか、術は無いんだよね。

 俺がもっとも苦手なことなんだけど、そうしなきゃホンモノはいつまで経っても掴めない。
 それがわかっていても、今この瞬間だけは、この、事前に用意してある優しさに、身を委ねていたい。

 そんなんだから、いつまで経ってもCグループなんだよな、俺は。笑
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生命を理解するためには

2013-08-19 01:38:51 | Weblog
 学問は積上げ式であり、例外は無い。この意識が「生命」「生物」を研究する人達に足りない。
 途中のステップを飛ばして理解できる学問など存在しないのだ。

 「生命」を理解するためには、いわゆる「生命科学」として「分子生物学」「生化学」「生態学」などを理解するだけではなく、生命を構成する分子がどのように反応し合うかを考える「有機化学」の理解と、それらの統計的な振る舞いを考える上で「非平衡統計力学」の理解が必須だ。

 「有機化学」はほぼ完成されていると言ってイイ学問だが、その「有機化学」を理解するためには「量子力学」と「電磁気学」の理解が必須となる。
 未開拓事業である「非平衡統計力学」を理解するためには、これまた未開拓である「平衡統計力学」の理解が必須となる。俺は普段、非平衡理論を理解するためには平衡論の圧倒的な理解が大事、っと言ってるけど、単純な知識や公式の暗記ではなくて、本当に飲み込んだ上での、マジの理解が大事なのだ(って形容ばっかで説明できてない気がするけど笑)。

 そして、「平衡統計力学」を理解するためには、「熱力学」や「量子力学」が必須となる。
 「量子力学」を理解するためには、「解析力学」と「波動論」を理解しなきゃいけないし、「解析力学」および「電磁気学」を理解するためには「古典力学」を学ばなくちゃいけない。
 これらすべてのベースになっているのは「数学」で、特に、「微分積分学」「微分方程式」「ベクトル解析」「数理統計学」「複素函数論」「特殊函数」「線型代数」「グラフ理論」などが重要で、ある程度きちんと使えなきゃいけない。これらは理解している必要は無く、(さすがに)使えれば良いと思う(とか言うと基礎系の理論研の人に怒られそうだけど)。

 理解、っと簡単に言っているけど、たとえば、いまだ世界中の誰も「量子力学」を理解してはいないと思う。正しく使えはするけど、理解の域には達していない。良いぃ?覚えちゃダメなんだよ。
 けれども、生命現象を理解したいのであれば、「量子力学」だって(ある程度には)理解しなくちゃいけなくて、それくらい難しいことを扱っている自覚は、みんな、あるのかな?

 だからといって、高校数学もままならなかったり、高校の理科もきちんとマスターしていないのに、プライドがあるからって、いきなり「非平衡統計力学」の本を読んだって、(読まないよりは良いけど)何の理解にもならない。
 繰り返し言うが、学問は積上げ式なのだ!

 っそ、今一度(普段の)みんなに聞きたい、『本気か?』って。
 今から、這いつくばって、泥沼から抜け出すくらいの気持ちで、例えば、高校の参考書を本気で理解するところから「非平衡統計力学」と「有機化学」を理解するまで、頑張る気力があるのか?、ってね。

 それを、細分化された分野の存在を示すことで自分の存在を維持しようとしたり、小学生みたいに権威を主張してきたり、無駄に手だけ動かしたり(実験量で誤魔化したり)、式は信じない!なんて言う人もいるし、「生物の人はー」「有機化学としてー」って誤魔化したりして、そんなことしていたら、いつまで経ったって、生命を理解する指針が立たない。

 分野はね、思考力を標識にしたら、平等ではないんだよ。
 だけど、現象そのものは平等だし、そこにいる人間は平等だよ。

 なのに、意地を張ったり、縄張り争いをしてる、自称大人たちは滑稽だよね。もう一度訊くけど『本気なんだよね?』
 遊びの俺だって、これくらいはマジなのにさ。いつの時代だって、子どもは大人を冷酷にきちんと評価する。能力が無いのは仕方ないことだけど、本気のフリして、細分化された分野内に逃げることで無意味に(俺を含む)誰かを傷つけないで!
 ちゃんと、その本気を発現させるように、努力し続けて欲しい。対等な、俺の仲間として。

 ちなみに、「生命」を題材にするなら、下地となる理解として、これだけでは足りない。
 超速く動くときの理論である「相対論的量子力学」や極低温のマクロからの要請がモロに効く「低温物理学」の世界だって、きちんと理解していたいところ。生命の環境を理解するためには「地学(岩圏、大気圏、海洋圏)」も「地球物理学」も必要だし、自然科学以外では「心理学」だって、きちんと学んでいた方がイイに決まってる。

 分類したり、枚挙主義になってる暇は無い。
 「基礎に忠実になれ。」

 そして、それをコントロールせよ。まぁ、それを、今まさに、ここで、やってるんだけどね。
 何かをコントロールするためには、相手にコントロールさせていると錯覚させる必要があるからね(笑)。
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And still so far

2013-08-18 04:29:21 | Weblog
 この世の中は、みんなが言うように、確かに、悲しみだらけで、苦しみの世界かもしれない。
 "しなきゃいけない"与えられたタスクばかり増えて、その意味を見出そうとはしないで、年齢を重ねるにつれてロマンチックな夢について足を止めてしまうことが称賛されている世の中。"しなきゃいけない"ことは、時間変化すれば、すべてが、自らの"したいこと"に行きつかなきゃ、意味が無いのにね。

 理想は、想い描いている限り、必ず実現する。誰のどんな望みも、本質的に叶うようにできているし、それが当初思い描いていたカタチと違うものになってしまったとしても、結局のところ、心に落とし込めば、夢は叶うようになっているのに、繰り返しの毎日に誤魔化されて、それをさらに言葉で誤魔化して、そういう大事なことに気がつかなくなっちゃってる。

 一喜一憂から心の奥底まで、すべての気持ちを大切に扱い合える世界になるし、くだらない競争は、いつかきっと止まる。

 そういえば、そんな理想を、「そんな真空のようなクリーンな状態はありえない」と卑下されたこともあったけど、その発言そのものが悲しいし可哀相。
 だって、真空は何もない状態であると勘違いしがちだけど、現代物理学では、真空とは、無限の自由度を持った、ある状態空間で定義されると考えているんだから、真空そのものだって混沌としてるし、俺の理想だって混沌としてる。
 「真空のような状態」と呼ぶのなら、真空そのものをよく理解してから、その状態がありえない、っと発言しなきゃね。その程度の思考力、つまり現実世界(物理現象)に対する理解じゃ、理想が追い求められるかどうかは決して判断がつかないし、実空間だけで判断しない俺は、論理性という厳しい現実を持ってして、理想をずっとずっと追っていける。
 このメンツで、系をより良くしていける。時間が経った今、やっと、そうやって言うことだって、その一端。

 俺に、現実を見ろ、っと言う人のほとんど全員が、俺よりも現実をきちんと観ていないことが、ちょっとだけ悲しくなる。
 この世は実空間で決定されるが、その実空間を規定しているのは、明らかに他の空間であることが、理論物理学できちんと示されているのにね。

 この世界には、おとぎ話よりも遥かにロマンチックな要素がいっぱいあるのに、それを感じていけないなんて、損しちゃうよ?おとぎ話のように、たった一日でどうにかなってしまうような状態よりも、よっぽど現実世界の方が、おとぎ話チックだ。
 どうなってしまうかもわからない、突然やってくる日常生活のなかのターニングポイントも、誰かを見つめることによって子どもの頃の夢を傍に感じられることも、現実世界には確実に存在していて、おとぎ話では出てこないことだけど、とてもロマンチックだし尊い。

 俺はそう想っているから、どんな結果になっても、どんな言葉が得られても、失っても、冷静に、でも、とても楽しく過ごすことができる。
 それも自分の強みだし、あの有名なハッピーエンディングを現実にすることができると思うし、この世界で高級な永遠の幸せが存在していることを信じられる。

 もちろん、まだまだ、遠いけれど。

"Enchanted" So Close
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時は遅くても

2013-08-17 03:13:13 | Weblog
 現在進行形でホンモノを感じ取ることは至難の業だ。
 ホンモノだ、って認知できた途端、過去形になっているなんて悲しすぎる現実だよね。気づいた時は遅くて、ほとんどどうにもできないことに、もやもやする。

 その瞬間から、許せないとか、許さないとか、同じところをずっとひっかかれて傷ついてしまったこととか、そこまでの能力をつけてこないから無理なんだとか、本気で怒りを感じていたこととか、そういうことの一つひとつについてだって、切なく感じるようになる。
 ホントの本当はそんな不満はどうでも良いし、最低ラインとしてベースとなる信頼関係があってこそ成り立つのに、どうしてそれを現在進行形で気がつけないの?、って。だとしたら、すれ違ってる?

 でも、このすれ違いが必然のような気もしてきちゃって、原理的にわかりあえないのかも?って解析している、今のこの思考回路は、次に繋げるため?、それとも、まだどこかで期待してるから?って、そんなこと、自分自身だって、わかりゃしない。

 時間が過ぎて、落ち着いて、はじめて見えてくるところが、別々の道を選ぶことで自分が成長できたせいなら、まだマシだよね。
 あの関係性を超えられるような能力の付け方を、オトナになり方を、今の俺ならもう少しできる?

 どんなに時が遅くても、どんなに時間が経っても、どんな混沌が襲ってきても、何もカワラナイ心の奥での基盤があって、その上で即物的には可塑的になっていけるのが理想だとしたら、たとえ実空間的に離れていても、その時系列変化に賭けてみたい気持ちが確かに胸中に湧き上がる。
 そんなこと想う権利、果たしてあるのかな??

 どんな事実も受け入れる勇気を持って、心の内側を露わにできる素直さがあったなら、どちらにせよ、
 "quod erat demonstrandum that it is proved"と自信を持って言えるようになれるのだから、この賭けは価値があるモノ。

 ふと気がついたその瞬間にいつも想い出す素直な気持ちに忠実になってみたら、変わるべきものが変わり始め、カワラナイ理想を追求できるのかもしれない。
 そうなったらいいな、って願いながら、変わらない日々を過ごしていくのは、もうイヤ。

 そんなキッカケだって、もしかしたら、命を運んでいるのだということを意識できたら、尋常じゃないくらい時間を要する俺だって、もう流石に、解答や証明を明確に出せていけるよね。

EXILE 運命のヒト
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いつも輝く未来

2013-08-13 00:23:58 | Weblog
 何かをものづくりしようと思ったときに、価値観をきちんとぶつけあえるかどうかが、良いものを創れるかどうかに直接寄与すると思う。
 仲間同士でなぁなぁになってはいけないし、誰かを絶対的なリーダーとして崇拝して言われたことに忠実に従うだけ、ってのもダメダメ。見てくれる人のことを一生懸命想像して考えながら、どうしたらより良いものづくりができるか?っと、仲間内で真剣に考究しなきゃ、楽しくない。

 どうしたって、そのようなメソッドを知らないメンツが仲間になることが多いから、集団のなかの事なかれ主義や自分で物事を考えないスタイルの人を、上手く巻き込まなきゃいけない。あらゆる変数と、あらゆる種々の問題に対して、優しさと向上心を幹にしたきちんとした論理性を持ってして、ひとつにまとめていく。
 それも、相手が上の立場だったり、年上だと、ちょっとやそっとじゃ、習慣を拭え切れない。「人には7回」っという言葉を信じて、繰り返し改善点を指摘し続けるしか術は無いのだ。 

 こういう行為ができるのが、ホントの意味でのリーダーだと思うのだけど、これほどのリーダーシップをとると、形だけのリーダーやエースよりも求められることは多いのに、実力を認められない。君ならできるさ!、って他人任せにされたり、都合のいいように解釈されてしまいがち。
 自分ならできる!っと、いつも通りに乗り越えながらも、本当に心許せる仲間が、この仲間のなかから育つことを期待している。全員が主体性を持つべきで、そこにイイワケはできないはずなのだ。

 時に空回りしながら、雨が降り続け、どうにもならずに投げ出す日々があっても、いつかの夢を捨ててはいけないし、この実存している仲間達と、それらを必死に達成していく。
 その主目的がいつか変わってしまったとしても、自分こそが主体性を持って、このものづくりを達成させよう、って思いながら、みんな全員で楽しもう。いつか輝く未来(あした)として、全員がぶつけ合うべき素晴らしい価値観を持つようになり、それらをぶつけ合えるようになることを信じて。

 だって、どんなに不満を言っても、仲間の誰かがダメだなーって思っても、実力が無さ過ぎてムカついても、俺は好きなんだし、好きになったもん負けだよね。
 まぁ、だからこそ、好きになったもん勝ちなんだけど。

 だとしたら、気持ちの一番根源的な部分を掃き出す「素直さ」を持ってして、取り組んでいけばイイ!かな?
 それこそが、いつも輝く未来(あした)、なのだと思う。

EXILE Carry On
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ホンモノの一端

2013-08-10 15:52:21 | Weblog
 賢さにも、知識にも、能力にも、気持ちにも、感情にも、心にも、レベルは存在している。
 だから、誰かとインタラクションを取ろうとした時に、自分とリスナーのレベルを一つひとつ多角的に考えながら、話したり伝えたりするしか術は無い。

 こういうことを伝えなくちゃいけない、ってことと、相手はここまでは理解できる、っというところとが解離してしまっている場合、俺は、せめてここだけはわかってね、って伝え方をよくしてしまう。
 『あのさぁ、例えば、この函数だとこうなるよね?高校の数Ⅲで習うけど。これくらいは、最低、みんな、理解しようね?』
 『中学の頃の理科2で、細胞膜ってでてきたでしょ?これがそれだってことだけは、持って帰ってね。』

 でも、こういうことを繰り返していたり、習慣化してしまうと、伝えなくちゃいけないホントのところが、いつまでも伝わらない。相手と相互作用するために、離れないために、せめてわかりあうために、ってやってる行為が、意味をなさなくなってしまうような時間変化じゃダメだよね。
 それに、そもそも、ハナっから相手の能力を見限るって、失礼だし。

 向上心を持っていれば、ちょこちょこ、本当に伝えたいことだけを純粋に伝える、ってことに特化していける。
 相手の何かを変えようと想っても、想われても、本人がそう思っていなければ、何もカワラナイけど、(また)せめて、こういう部分の気持ちは持っていて欲しいな、って想う。

 気持ちのほうが、そういう意味では、まだ、インタラクションしやすい気がする。
 大抵の場合は、素直にならないことでの、すれ違いって、だけだから。それが勘違いだったとしても、そう想っていたいし、少なくとも、そう思っている俺の心だけは、真実なのだから。

 何かのレベルを、時間に依らずに、超越して相互作用を引き起こす時、それこそが、ホンモノの一端を担っているのかもしれない。
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行き場をなくした情熱

2013-08-08 01:12:17 | Weblog
 成果を上げることも、権威を掴むことも、昇格することも、言葉を得ることでも、そこに気持ちが入っていないのなら、なんの意味も無い。無理して何かの言葉だけを得たって、お金を得たって、今を無意味に変えるだけで、むなしいだけだ。
 本当に意味があることは、自分が(集団へのアピールの意味ではない、本当の意味での)主体性を持って、自らの想いを共鳴させながら、集団をより良くすることだ。

 身のまわりでも、主体的じゃないのを誤魔化すために、あらゆることを言葉で覆いかぶせることが多くて、残念な気持ちになったりする。
 不安に立ち向かっているように見せかけて、不安そのものを答えにしてみたり、「生命とは何か?」という疑問を結論にもってきてしまったり。誰も、解答集に載っていない、自らの解答を描こうとはしないし、そんなことは無難じゃない、って思ってる。

 だから、言われたことをやって我慢。理不尽なことをされても我慢。それが当たり前になってゆく。

 ただ何かを我慢した先に、未来など、あるはずがないのだよ。我慢するのがエライ、って、まだそんなバカみたいな意見を言うヤツが多いけど、我慢した先で、自らの意見も言えず、(下手すると)持っておらず、他人任せなだけで、下の世代には無理矢理押し付けるだけなんだから、そんなんで自己実現できるわけがないじゃん。
 そして、我慢しないで意見を言えば、「この世界に向いてない」とか「この世界は我慢できなきゃ残れないんだ」とか、自分が本当に意味がある行為を主体的に出来ていないだけなのに、自らの存在を肯定して、我慢を推奨する行為が目立つ。そんなんじゃ、いつまで経っても、ダメダメだよね。意見を言うことも、無難から解離してしまう点で我慢とカワラナイ、って、どうして気付けないのかな。

 そんな状況だからこそ、たったひとつの理想を目指すために、色々なことを身につけなきゃいけない。理想はすごくシンプル。一人ひとりが、自分の気持ちをみんなの気持ちにぶつけていくことで、一つにまとまっていこうとする状況こそが、最高の理想。それを目指すために、主体的に動いていきたい。

 主体的であればあるほど、完璧を求められる。俺に完璧を求めてくる、自称オトナな人達にもガッカリさせられるけど、それと同じくらい、ちょっと完璧を求められたくらいで諦めてしまう同じくらいの世代の人達にも、もっと頑張っていこうぜ、って思う。

 もっともっと、みんなの純粋な気持ちを発現させながら、楽しく、みんなで自己実現できるはず。

 どんなに諦めそうになる瞬間でも、優しい方へ倒れ込んでゆけるように、優しい光に包まれるように、意識を失いながらでも、ほんのちょっとでも、より良くすることを諦めないでいたい。

 『そうすれば、いつかきっと。。』
 …って、不確かな気持ちを抱えながら、今は、行き場をなくしたこの情熱を、せめて大衆へと与え続けることで満たされることを期待して。

 Holy Ground-GARNET CROW
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みんなの今と未来を楽しく

2013-08-05 03:26:54 | Weblog
 未来を犠牲にして今を楽しむことなんて、誰だってできる。それと同様に、今を犠牲にして未来に楽しさを見出すことなんて、誰だってできる。
 本当に価値があるのは、確かな今を楽しみながら、未来に楽しさがあることが保証されるようにすること。俺は、それを目指さなくちゃいけない。目指したい、ではなくて、目指さなくちゃいけないのだ。

 二兎追うものは一兎をも得ず、っという言葉があるが、これは正確性に欠けている。何を追うべきかが明確でない場合は、っという条件が入る。何を得たいのかが明確であるならば、N兎追うものはN兎を得ることができる。だから、確実に、今も未来も、楽しさで溢れさせることは、原理的には可能であると思う。

 今も未来も楽しい、っというのは、そこで形成されるメンバー全員が目標達成以前のあらゆる場面で楽しいと感じながら、みんなの目標達成とそれぞれの自己実現が共存しているような時間変化を指す。

 このとき、圧倒的な誰かの勢力によって、まとまっている、と錯覚することが多い。ノリの良さですべてを押し通そうとしたり、綺麗な言葉を並べただけだったり、権威を自分の都合の良いように使っているような人に、ただ全員が従うだけで、何かが達成されるわけがない。

 よく、(物理学で習うように)二体問題は解析的に解けるが三体問題は解けないから、ということを理由に、こういう問題については難しい、で議論を止めたり、それ自体を答えにしてしまうようなことが多いけど、そこで問題を止めてしまうなら、物理学から何も学べていない。もっと深く考えて欲しい。
 なぜ、みんな、二体問題だって果たして本当に解析的に一体問題として解けているのだろうか?、っと疑問を持たないのだろう??

 二体問題の代表的な例である太陽と惑星の運動(の軌道)について考えてみると、数値計算をするときは、換算質量を惑星の質量と同値にしてしまうことが多い。量子力学で考えてみても、相互作用が2粒子の相対距離にのみ依存する場合(中心力など)にのみ、二体問題を一体問題に帰着することができる(強い相互作用については反映されない、ってことだったっけか?、ちょっと不安なのでここは書き直すかも)。
 それなのに、二体問題は一体問題に帰着される、っというところばかり覚えているから、いけないのだ。

 そう、人間関係における二体系だって、ほとんどの場合、対等な関係でホンモノになっているわけではなく、どちらかが圧倒的な勢力を出していて、片方がそれに屈しているだけ。
 個人と個人を認めながらも、心からの価値観をぶつけ合うことで、解析的に解こうとはしているわけじゃない。

 よっぽど、平均場近似(Hartree-Fock近似)のほうが、同じ近似でも、まだ本質的に解けていると思う。
 それだって、すべてがなぁなぁで、ただ単純に、惰性を表しているだけになってしまっていることだって多いけど、独占よりは、まだマシ。

 多体系で、全員にとって、今も未来も楽しくするためには、心と心でぶつかり合う必要があるし、そのためには、気持ちをきちんと言葉に落とし込みながら、論理性を向上させようとしていかなきゃね。
 この系は、古典力学や量子力学を理解する以上に、遥かに大変なことだし、それに加えて時間変化するから、マジでキツイけど、そこをチャレンジすることこそが、何かを追究する行為である「研究」の一番楽しいところだと俺は思う。

 圧倒的な質量である太陽と僅かな質量である惑星。
 古典力学において、圧倒的な太陽に比べてー、っと考えるわりには、換算質量ではその圧倒的な質量を無視してしまうが、俺はそんなことはしない。圧倒的な勢力にみられる繊細な数値の最後のケタだって俺は見逃さないし、かといって、ちっぽけな心の揺らぎとして観られてしまう一喜一憂な誰かの感情も大切にする。

 そうすれば、きっと今が楽しくなるし、論理的に考えまくることによって、未来の楽しさの保証が得られるはずだ。
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このページについて 2013年8月3日

2013-08-03 01:49:33 | Weblog
 そういえば言ってませんでしたが(確信犯?笑)、先週と今週は、アクセス解析のお試し期間でした。
 ペースがだんだん早くなってるけど、この機能、もう有料にしないほうが良いんじゃないかな??

 まぁ、そんなこたーどうでも良いんですが、また皆さまの傾向が少し掴めた気がします。このような素晴らしい期間を提供してくれて、gooブログを管理している方々、ありがとうございます。
 っていうかね、前回も言ったんだけど、googleで「俺の本名 俺の関連用語」でこのページに入ってくるのは、いい加減やめてくれよ(笑)。マジで、怖いんですよ。どうかこのページをお気に入りに入れてあげてください。

 っで、アクセス解析なんてことをしなくても、誤差解析がめちゃくちゃ得意な俺は少しずつ感じるところがあるんですが、俺といくらか関連ある人達が、しかも大勢来て下さってるのがなんとなくわかります。

 そこで、今一度、以下のことを注意しておきます。

 ・このページは、あくまで、俺の「日記」です。ほとんど全ての記事で、俺が読めば、その日に(少なくともその日ら辺に)、何があったかがわかるようになっています。確かに、なるべく意味のある言葉を使おうとはしていますが、何かの意見を述べているように感じても、何かで批判を受けたように感じても、本当は俺がそうとは思っていないこともありますので、皆さんがこのページを読むことで、変に日常生活(の俺)に落とし込み過ぎないようにしてください。

 ・とは言っても、意見を述べていたり、日常の中からの理想や不満を語っていたり、そういうこともかなりあると思います。ですが、このページを見ることによって、俺を出し抜けるぞ、などと思わないでください(笑)。ここで語る内容は、世界中の誰が観ても、俺は困らないように書いてますし、本音5歩手前くらい、20%も本音は言ってはいませんから。それに、俺に心理戦みたいなんで、勝てるわけないでしょ??よっぽど、あなたの目の前にいるときのほうが、本音です。

 ・コメントはいつでも歓迎です。アクセスを確認すると、かなり初期(2005年とか)の記事のアクセス数もありますが、どんなに古くても、コメントは必ず返すようにしますので、何かありましたら、いつでもコメントください。ちなみに、正体を隠したり、なり済ましたりしても、なんとなく俺にはわかってしまうので、それもご了承ください。

 っと、これくらい冗談を言っておけば、大丈夫だろう。笑

 かなり理系の皆さんが来て下さっていると思いますので、もっともっと、難しい概念を、意味のある形として提供しながら、自分の日記を書けるように頑張ります。
 このページも8年目!これも読者の皆さんあってのこと。ありがたや。なにはともあれ、これからも、この「Kei Takahashi Room」をよろしくね!!
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