気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

差別心を少しづつ減らす

2024-09-08 07:28:52 | 透明を観る
 私たちは言葉(意味)によって万事を分けています。そしてその「分ける」ことによって差別が生まれます。差別と言っても「人種差別」や「性差別」のような大きなものだけではなく、日常には小さな差別もあります。地位や肩書きで人を分けてみたり、技術・能力の優劣で分けてみたり、美醜で分けたり、利害で分けたりとほとんど無意識にしています。それが単に言葉という記号上の形式的なもので、全くココロ(感情)が伴わないのならば良いのですが、そういうわけにはいきません。必ずココロでも分けてしまいます。本来平等であるはずの人を上下に分けてしまうのです。この程度のことはたいしたことではないと思われる人もいるでしょう。しかし小さな差別が大きな差別になる可能性はいつでもあります。
 
 言葉を使えば、各個人(物)の間には違いができるので、このような差別は当然なのかも知れません。裏を返せば、言葉を使わなければ(言葉が無ければ)、差別は生じません。
 「透明を観る(身心調整法)」では、物事を「透明」にしていきます。結果として物ものがつながり、言葉の生じる(言葉で分ける)前の状態を感じることができます(個人差があります)。そのとき、他者を差別する意識が限りなく少なくなります。
 
 身の回りの差別がそれほど甚だしくなければ、なんとなく無難に過ごせるかも知れません。ヘイトスピーチやsnsなどでの他者への誹謗中傷などは大きな問題ですが、先に言ったように小さな差別は至るところにあります。しかしながら差別しないようにしたり、他人にそれを求めることは大変難しいことです。「透明を観る」のような方法で、自然に差別心を少なくすることもできます。はじめは練習中だけできますが、次第に少しづつ日常が変わってきます。

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