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「つながっている世界」の経験

2024-06-29 07:31:59 | 透明を観る
 自死する人は多い。年間2万人だとしても、死にたい人を含めれば相当多い。もし仮に私の周りに自死したい人がいたら、私はその人に何を語りかけることができるだろう。
 安易に「この先良いことあるよ」「人生は塞翁が馬だから」などと励ましたり、「希望を持った方が良い」などと無責任なことは言えません。ただ「透明を観る(後述)」ことをすすめることしかできないだろうなと思っています。
 
 死にたいと思っているのは、ココロを含めた意識です。それは意識の中の半分であり、あとは「すべてがひとつにつながった世界」です。と言っても物理的に意識の中が二つに分かれているのではありません。また私たちが見ている世界と別に他の世界が存在するのでもなく、同じ世界を観ながら、違う見方(分節の仕方)をすることで、違って観えるのです。普段のココロや意識は言葉で考えるので相対的になり、個々のモノがそれぞれ分かれます(バラバラな世界)。対して、すべてをつなげて観ることもできます(ひとつにつながった世界)。「透明を観る」というのはそういう観方です。
 この方法は死にたい人だけではなく、悩んでいる人、自分らしく生きられない人・・・相対的なモノの見方の強い人には意味があると思っています。
 
 ココロが折れても半分です。ココロは半分、後の半分は「つながっている世界」。と言っても「つながっている世界」だけで生きた方が良いのではありません。「つながっている世界」は、それを経験することで身心が変わります。感受性が変わり、モノの考え方が変わるのです。「死にたい」と思っている気持ちが、「そうでもないな」となる可能性は十分あるのです。

*透明を観る」とはココロの中で三つの言葉を唱えること。「わたし 透明」「あなた 透明」「すべて透明」。

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