T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

2094話 「 老人施設での3回目塗り絵 」 2/19・日曜(雨)

2023-02-19 13:11:37 | 日記・エッセイ・コラム

                         

 色鉛筆での塗り絵は難しい。

 色は薄いし、色を重ねないとリアリティーな色が出ない。

 色鉛筆を濡らして、筆で書く手法があるので、

 濃淡も付きやすいので、その方法をやってみたい。

 

 

                                      

 植木の木蓮は花つきが良いが、生け花での花つきはどうも成長がもう一つだ。

 午前中に塗り絵して、午後3時ごろまで生け花の花つき状態を見たが、

 花が大きくならない、蕾が花を抑え込んでいる。明日まで待つことにする。

 明日になるとよい句が浮かぶだろう。 

 

 昼食後、親子4人でのグループLINEで予定していた会話をした。

 子供の再就職と妻の一周忌の予定話で終わったのが悪かったかな。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2093話 「 再度の紫木蓮 」 2/18・土曜(曇)

2023-02-18 11:42:48 | 日記・エッセイ・コラム

                                

                            

 1週間前に再度活けられた木蓮。

 元気よく開花しだした。

 木蓮について、こんなに長く観察したことは生まれて初めてだ。

 毛の付いた蕾は大きくならずに割れて剝がれていくようだ。

 ある俳人はそれを見て、

  紫木蓮粋な女の風情にて

  と詠んでいた。

 ならば、少し下品だが、僕は、

  紫木蓮蕾剥がれて乙女肌

      と詠んでみた。

 数日後にはたくさん紫木蓮が咲くことだろう。

 そのときは、もう少し時間をかけて詠んでみたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2092話 [「102歳、一人暮らし。」を読み終えて 2/2] 2/17・金曜(晴)

2023-02-17 09:07:17 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                                         

 哲代おばぁちゃんに倣って、お風呂がない日の午後7時半からの、ルーチンの日課に一向宗の「正信偈」を読むことを入れたい

 「102歳の「ありがとうの人生」」

またここでぼちぼちやっていきたい

 2022年2月1か月ほど入院し、退院して1か月ほど、姪の家で厄介になりましたが、我が家に帰ってきました。

 来月4月には102歳になります。この歳で一人暮らしをさせてもらえる人はそうそうおらんかもしれません。

 はたから見たら冒険のように映るかもしれんけど、亡夫のおかげや、近くの姪たちや近所の方が支えてくれているから安心しとるんです。

 この安心感が私の力になるんでございます

うまいこと老いる」極意

 毎日、あれやこれやと動いております。

 やるべきことをいくつもつくって、一つずつこなしていくの。

 そうやって自分を励ましたり、健康のバロメーターにしてみたり

 無理はしません。最近、冬布団の押入れへの上げ下ろしができなくなったので、畳むだけにしています。

 80歳を過ぎたあたりから、考えても仕方ないことは受け流すのがうまくなった。

 悪口を言われても、この人は気の毒な人じゃなと思うし、自慢ばかりする人も容認してあげる。

 気張らず飾らず、あるがままを受け入れる。

 自分を大きく見せんことです。煩悩やねたみといった、しんどいことは手放すに限ります。

 その代わ嬉しいことこと楽しいことは存分に味わいます。

 元気でいるためには、まずは「心」ですから、心が体を引っ張ってくれる。

 心がしんどくならんようにするのが大切じゃと思います。

 生きとる間は楽しまんと損ですね

私らしくいるための五か条

 ➀自分を丸ごと好きになる

  子供が持てんのなら、この家におるべきでないと考えていました。

  しかし、幸い教員もしていて、思い悩む暇を作らんように、その日その日を忙しく働くことばかり考えとりました。

  そうそう、夫が亡くなる前にこう言ってくれましたの。

  「子供のことは気に病まんでもええ」って、嫁の私一人がしんどいと思うとったけれど、あの人も一緒に背負うてくれとったんかもしれん。

  あの夫の最後の言葉のおかげで、心を切り替えることが出来ました。

  しんどい時があったからこそ、肩が軽うなった今の暮らしが喜びに満ちてるんかしれんな

  自分で自分を褒めてやらんといけんな。昔から丸ごとの自分が好きだと認めてやりたい。

 ②自分のテンポを守る

  老いると、自分のテンポってものがあります

  (日課のとおりにはいきません)気の向くままでございます

 ③ひとり時間も大切

  一人で過ごすのも必要な時間です

  本を見たり、新聞を読んだりしてね、ぼーっとしとるですけどね。

  エンジンをかけるための充電とでも言いましょうか

  その時間がね、なけにゃいけないの。それが自分のテンポで働く力になっとります。

 ④口癖は「上等、上等」

 ⑤何気ないことをいとおしむ

  何気ない風景に妙に見入ってしまう。

        終わり

 

  

 

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2091話 [ 「102歳、一人暮らし。」を読み終えて1/? ] 2/16・(曇・晴)

2023-02-16 13:25:13 | 日記・エッセイ・コラム

                                     

 「心も体もさびない生き方をしている哲代おばあちゃん(副題)」のインタビューをもとにした心を打つ本。

 子供はいないが、小学校教員をしていたので、近くに今でも教え子はたくさんいるそうだ。

 夫も小学校教員で83歳で亡くなり、今はおばあちゃん一人暮らし。

 だが、姪などに助けられて、今も元気に一人暮らしを楽しんでいる。

 僕は多くのことを教えられた。何回かに分けて、記述していきたい。

 100歳から102歳の人生の物語。その一つ一つが生きた輝やかしい文章で綴られている。

                              

 「100歳から101歳の日記から」

さびない鍬でありたいの

 農協のATMを使うようになって何か愛想がない。挨拶もなしにぽかーんとして帰るだけ。

 人としゃべるのが好きな私には何かせんない。

 人と話するのは、私にとっては活力でございます。

 私の手も鍬と同じです。若いころからずっと「さびない鍬でありたい」と思ってきた。

 体も頭も気持ちも、使い続けていると錆びないの。鍬は私の一生の宝物です。

 毎晩、夫の写真の前で大きな声でお経を読みます。声も使わんと損です。

 お先祖様も私のお経を待っているようです。

嘆くより忙しゅう動きます

 悩み事は日記にちょびっと書きます。そしたら心がすーっとする。

 嘆くことにエネルギーを使うと心も体も弱るばかり。

 落ち込みそうになったら、用事を作って体を動かすようにします。

先々の楽しみが張り合い

 カレンダーに予定を書き込んでいます。

 (僕はリーチンの日課も作っていて、それを見て予定を組んでいます。)

 先々の楽しみを自分で用意して、今日を元気に迎えるというわけです。

生き方上手になる心得

 ➀物事は表裏一体。良いほうに考える。失敗もひっくり返して、良いほうに考えるのです。

 ②喜びの表現は大きく。同じ一生だから難しい顔をしたり、うつむいたりせず、にこやかに過ごしましょう。

「機嫌よく」は自分次第

 諸行無常(万物はいつも流転し、変化消滅が絶えない)というように、体の状態も変わっていくし、それに合わせて住む環境も変えていかんといかん。

 前向きに変化を受け入れ、柔らかく対応できる自分でありたいものです。

 同じ一生なら機嫌よく生きていかないと損じゃと、自分に言い聞かせています。

 情けないことも、しんどい思いも全部自分の心です。自分の心は自分で育てるしかない。

こつこつ脳トレに励む

 脳トレも楽しまんと続きません。

         「102歳の「ありがとう人生」」に続く

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2090話 「 蕾の開花競争 」 2/13・月曜(雨)

2023-02-13 15:17:49 | 日記・エッセイ・コラム

                                       

                                  

 2月中旬になると思い出す。

 末っ子の長女が、高松から配偶者の東京への転勤で長女の子(孫)を連れて転居した。

 2000年だったかな。

 上掲写真が、その時の俳画だ。

 その孫も今は就職2年目?で日本橋近くの会社へ府中から通勤している。

 今では、家族3人は、人口の多い東京の生活も全く慣れているようだ。

 僕も保育園にも行かない末っ子を連れて家族5人で松山から東京に転勤した。

 これも2月中旬のことで、その当時は連絡船だった。

 そんな昔を思い出し、エントランスの木蓮を見て、下手な一句。

  木蓮の開花を競う蕾かな

 50年も昔のほんとに厳しい競争時代を思い出す。

 僕だけでなく、子供も妻も当時の大変だっただろう生活を思い出す。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする