『「ファーストラブ」のあらすじ』
第二章 環菜の虚言癖と自傷癖
[環菜の元恋人?賀川洋一が現れる]
私宛に環菜から父と母のことについての手紙が届いた。
しかし、特に気になる文面はなく、『幼稚園に通っていた頃、父からスノードームをロンドンのお土産でもらったが、それが最初の最期であった。そして、母は才能のある男の人に昔から憧れていた。美意識の高い父にとっても、大学内でも一二を争う美人で母は理想だったと思います』といっただけだった。
その日、午後はクリニックにカウンセリングの予約が入ってなかったので、私は美容院に行った。
カットされている間、スマートホンを取り出し、ネットニュースを見た。
ー――美人過ぎる殺人者の元恋人が激白。「僕は彼女の奴隷でした」―--
環菜のことだと分かり、カットが終わり美容院を出たあと、すぐに迦葉へ電話し留守電に用件を吹き込んだ。
迦葉から電話があり、「一応迷ったけど、環菜に伝えるとすぐ見当がついたみたいで、賀川洋一っつう環菜ちゃんの大学のOBだと」と言ったあと、「俺、賀川洋一君に話聞いてみようかと思っている」と伝えてきた。
それって私も同行できないと尋ねたけど、話をうやむやにするように、「そちらはどうですか。なにか進展はあった?」と切り出した。
私は短くため息をついて、「まだ。就活のときに親ともめたのが殺害の同期だって繰り返すだけで」と答えると、迦葉は、「なんでそんなに反対したんだろうな」と言う。
「だから、私もそこにも何か隠されてることがあるんじゃないかと思って。その元恋人に会えば何かわかることがあるかも」と言うと、迦葉も「なるほど。ちょっと検討してみます」と言った。
[面会室で、環菜が賀川洋一についてどう思っていたのか質問した]
面会室の仕切りの穴が小さいせいか、環菜の声はその日もひどく聞き取りづらかった。
私が、「どうして、ご両親からアナウンサーになることを反対されたの」と訊ねると、
『教師とか研究者とか、そういう地道で知的な職業につけって父からはずっと言われました』と答えた。
その答に私は、父親の意見は半ば決めつけに近い印象を受けた。
そういえば、先生は賀川さんの記事って読みましたかと尋ねられ、私は一応ねと応えて、「その彼とは、付き合ってたの?」と訊ねた。
『無理やり押し切られたんです。私は最初から全然好きじゃなかったけど、別れたら死ぬとかいうから。あんな人と好きで付き合ったと思われるだけで、不名誉すぎて最悪です』
さらに、「そう。その関係はどれほど続いたの?」と訊ねた。
『大学に入ってすぐからだから……2年半ぐらい』
そんなに嫌っていたわりには長い、というのが私の率直な感想だった。
「別れるときにはうまく離れられた?」
『なんか向うが、やっぱり普通の恋愛がしたいとか言って。将来は結婚するし一生に一人の相手だと言っておいて。それなのに、いまさら被害者ぶって暴露とか、本当にただのクズですよね』
庵野先生は、賀川さんに話を聞きたがっているみたいだけど、私も同席してよいかというと、環菜はいいですよと即答した。
『ただ、あの人って事実とか、他人が言ったことを、けっこう捻じ曲げて話すところがあるから。なにを言い出すか分からないのが少し心配ですけど』(以下の賀川の発言にこのことが現れている)
こんなに環菜のほうから積極的に彼について語るとは思っていなかった。もしかしたら恋愛方面から探ることで、環菜の本心を引き出せるかもしれない、と質問を重ねた。
「あなたたちはどうやって出会ったの?」
『大学一年のときのサークルのお花見会です。そのときは賀川さんは卒業してたけど、積極的に話しかけてきて。みんなと仲の良い先輩だから、連絡先を交換して。その後すぐにメールが届くようになって……私は何度も断ったんです。でも、たまたま、そのときの彼氏がひどくて、ぶたれもしていて……賀川さんに相談したら助けてくれて。それで付き合うことになって。だけど私のことなんて本当には理解しようとしなかった。勝手に外見だけで好きになって、付き合ったら、環菜は難しいとか、嘘つきだとか、分ろうとせずに決めつけるだけでっ』
私は「嘘つき」といった言葉から、「だけど環菜さん自身が、前に自分のことを嘘つきだって言った(序章で警察から動機を尋ねられたとき)のを覚えている?」と訊いた。
『それは本当にそうだから仕方ないけれど』
重ねて、「例えばどんな嘘をついたの?」と訊ねた。
環菜は首を横に振り、具体的には今思い出せないけど、と濁した。
『でも、ずっとそう言われてきたから』
「誰に?」と問うと、
環菜の表情がどんどん張り詰めていく。残り時間はほとんどなかった。
「次の手紙で、具体的なお願いをしても大丈夫?」
彼女は、はい、とかすかに頷いた。
「初恋から事件までの恋愛について、なんでもいいから教えて欲しいの。傷ついたことでも、一番嬉しかった事でも、嫌だったことでも、思い出せることならなんでも」
次の瞬間、彼女がはっとしたように短く瞬きした。
「どうしたの?」
答えはなかった。どれだ、と私はとっさに考えた。今の言葉の中で、この子が反応したのは。
だけど、面会終了とみなした看守が近づいて来て彼女を連れ去った。
拘置所の玄関へ向かっていると、受付に迦葉がいた。
私は、「賀川洋一さんとの件、環菜さんにも了解貰ったからよろしくお願いします」と告げた。
「わかったよ」、と迦葉はあきらめたように答えた。
拘置所を出て、駐車場を歩いていると、後ろから迦葉が駆け寄ってきて早口に告げた。
「由紀との面会を終えた直後に、環菜はパニックを起こして運ばれて行った。なにがあった。あんまり無茶なことされるとさすがに困るんですよ」
「見ていたようなことを言わないでもらえる」と私は堪えかねて反論した。そして、続けた。「面会時間は15分足らずで、本人の話は穴だらけ。そんな中でも、なにかあると言ったあなたの言葉を信じて探ってるのに、一方的にこちらが彼女を追い詰めているように言われるのは心外です」
「悪かった。俺も、そっちの領域に踏み込み過ぎた」
私は、迦葉が急に引いたのでびっくりした。
私もすぐに冷静になって「環菜さんのお母さんとは話せたの?」と訊く。
「一度だけ病院でな。とにかく環菜は昔から父親と折合いが悪かったっていうだけで、あとは何も聞けずに追い返されたよ」
[賀川洋一が環菜についてどう思っているかを発言する]
賀川洋一が、私と迦葉が待つホテルに本当に来るとは思っていなかった。
ホテルのティーラウンジの席で、迦葉は賀川さんと名刺の交換をした。
そして、迦葉が口を開いた。
「迦葉さんは、あなたを名誉棄損で訴えたる気はないと言っています。むしろ僕としても、賀川さんに事件の全貌をつかむために協力していただけたら助かります。賀川さんが環菜さんと付き合い始めたのは、彼女が大学一年のときで、去年の秋まで交際していたということでいいでしょうか?」
『あ、はい。今では、自分も環菜を振ったりして、悪いことをしたなあっていう思いでいる。……それなのに、俺の発言が曲解して書かれてて。報道って本当に虚構でできてるんだって実感しました』
迦葉が、「あ、そうだったんですか」と応えた。
『あれ、聞いていませんか? 俺に他に好きな子ができて環菜と別れたって。環菜のことは本当は好きだったし、年下だし甘く見てきたけど、あいつの浮気だけは許されなかったんで……それで、他の子に癒されたかったんですね、今思うと。女子で浮気癖があるとか考えられないじゃないですか』
「男でも女でも浮気癖は困りますよね」とだけ私は言った。
『俺が浮気を責めたら、なぜか環菜は逆切れされれたこともあって。環菜はそういうところがありました。いっぺんキレたら手がつけられないっていうか、人が変わったみたいになるんですよ。本当に、俺は環菜の奴隷みたいでしたよ』
迦葉は、「だから週刊誌に喋ろうと思ったんですか?」と訊いた。
『や、別に復讐とかじゃなくて、環菜のことを一番理解しているのは俺だと本心から思ったからです』
迦葉から、「理解されているなら、環菜さんの家庭環境について伺ってもいいですか?」と訊ねた。
『家庭? ああ、お父さんとはかなり仲悪かったみたいですね。でも思春期の娘と父親ってそんなもんじゃないですか。環菜はちょっと過剰っていうか……いや、女子は被害者になりたがるところもあるから。俺は、ずっと考えすぎだと言ったんですけど』
「たとえば、環菜さんが父親から虐待されているといった相談はなかったですか?」
『虐待なんてないですって。普通に毎日家に帰ってたし』
私は口を開いて、「環菜さんは、本当はあなたにもっと自分のことを理解してもらいたかったんじゃないでしょうか?」と問い返した。
『俺は、環菜にちゃんと向き合おうと努力しましたよ。前の男からのDVの相談受けたときだって、心配して、うちに避難させて』
そのとき、迦葉が慎重な口調で切り出した。
「そのことですが……DVの相談の最中に、賀川さんから無理やり肉体関係を強要された、と環菜さんが話してるんです。それは、事実ですか?」
『そんなことするわけないじゃないですか。マジでないです。そのときのことは、はっきり覚えてますけど、自分から俺の部屋に来て、そういう流れになったときも、環菜は笑顔で。……やっぱり環菜はちょっとおかしいですよ。実はずっと虚言癖があると思ってたんです』
私は、「虚言癖?」と面食らって訊き返した。
『そうです。あいつの嘘は異常です。大学の先輩から環菜とやったことを聞かされたときは、頭に来て死にそうになりました。それでも別れ話のときには環菜が泣いて。しかもあいつ腕とか切ったりするんで俺もなかなか別れる決断ができなくて……傍から見たら、最終的には俺が裏切ったように見えるかもしれないですけど、俺もずっと辛かったんです』
彼は次の質問を拒絶するように押し黙った。
私は口の中で、腕とか切る(リストカット)、と呟いた。長袖だったので気付かなかったが、自傷癖もあったのか。
去って行く賀川洋一の後ろ姿を見て、迦葉は、「結局、賀川君は環菜ちゃんのなにを理解していたんだろうな」と呟いた。
帰りの地下鉄の車内で、私は言った。
「環菜さんが、あの賀川さんに無理やり肉体関係を強要されたっていう話は本当なの?」
「ああ。俺は確かに環菜ちゃんから、そう聞いたよ。だけど、あの反応だと賀川さんも嘘はついてない気がしたよな。俺もちょっと混乱した。まあ、別れた男女の話なんて食い違ってもおかしくないけどさ」
続けて私は言った。
「良かったら環菜さんの女友達に話聞けない? まだ環菜さんには了承を得てないんだけど、参考になる話が聞ける思って」
迦葉は、「そうだな。その女友達にはいろいろ差し入れてもらってるみたいだし、確認しておく。じゃあ、俺はここで」と言って、電車を降りた。
「第三章」に続く。