『「ファーストラブ」のあらすじ』
第一章 始動
[環菜から新文化社の辻を通じて本を書いてほしいとの手紙を受け取る]
しばらくして、辻さんから次のようなメールが届いた。
「環菜さんのほうから、やはり真壁先生にご協力をいただいて、本を出したいという強い希望がありました。ご検討いただけないでしょうか。環菜さんからは先生宛のお手紙を受け取っていて、クリニックに郵送しました」
月曜の朝、クリニックで環菜からの手紙を開いた。
【 真壁由紀先生
………。
先日は言えなかったが、庵野先生が本を出すことに反対してたんです。
だけど真壁先生に会って以来、私は、『私のことを知りたい』と思うようになりました。
どうして私は親を殺すような人間に育ってしまったのだろう。
………。
自分は頭がおかしいのかもしれない、と何度も思ったことがあります。お願いします。私を治してください。私をちゃんと罪悪感がある人間にしてください。
聖山 環菜 】
[隠されている動機]
辻さんの招きで、ある喫茶店に私と迦葉と迦葉の相方の北野先生が呼ばれた。
辻さんから、環菜の意向を話して、裁判に支障がないように配慮し、刊行時期は判決が出てからにしますので、本の発刊について、よろしくと申し出る。
迦葉は、「被告人の希望ですから最大限尊重したい」と応える。
………。
私から、「ちなみに精神鑑定はもう出てますか」と尋ねる。
北野先生が、はいと頷いて、「問題なしで責任能力は認められています」と答えた。
そのとき、迦葉から驚いた発言があった。
「問題は、彼女の母親なんですよ。迦葉に殺意があったことを覆すのは、ほぼ無理だから、少しでも情状酌量してもらうためには母親の証言が頼りだったんだけど、こっちの証人として出ることを拒否された。検察側の証人として出るらしい」
私はしばらく言葉が出なかった。代わりに辻さんが、「母親と娘が対立する形になるってことですか」と質問した。
迦葉が、「環菜ちゃんは父親を殺したことは認めてますけど、計画的犯行でなかったし、動機もいまいち曖昧なままなんですよ」と答え、北野先生が、「就職に反対されたからっていう動機だけじゃ、あまりに」と言ったあとを受けて迦葉が、「そう、短絡的ですよね。だからこそ、北野先生、なにか他に理由があったとは考えられませんか」と言う。
そんな論議があって、私から仕事が入っているので゚失礼すると言うと、じゃーと自分たちもと、皆が散会した。
車内で一人になると、私は急に頭が冷えて、本の執筆を本当に受けるべきなのか、と悩んだ。被害者ならまだしも、自分の名前を出して加害者側の本を出すことにリスクがある。また、下手に裁判の邪魔をしたくない。ただ、母親が検察側の証人にまわったという話だけが引っかかっていた。
私がクリニックに向かう途中、迦葉からのスマートホンが鳴った。
「ちょっと伝えておきたいことがあるんだよ」と迦葉が先に切り出した。
「北野先生が言ってたように、現段階ではこっちが不利なんだ。そして、環菜ちゃんの証言にはやっぱり不自然なところが多い。俺も最初は正直、ただの父親殺しなら同情の余地はあまりないと思っていた。だけど母親が検察側にまわったことで、なにか隠されてる気したんだ」
「それは、私も思ったけど」と私は慎重に答えた。
「そう。だから俺らは本当に見つけなくちゃならないんですよ。あの家庭になにが起こっていたか。もしかしたら、由紀の立場からだったら、また違う手がかりが掴めるかもしれないと少し思ったんだ」
[環菜に、母親の思い出の手紙を依頼する]
拘置所の面会室で向かい合った環菜は、前回よりも心を開こうとしているように見えた。
環菜は、私に嬉しそうな笑みをさえ滲ませて、『昨日も庵野先生と北野先生が来てくれて、それに友達がこれを差しいれしてくれたから』と着ている白いパーカーの裾を両手で掴んだ。
私はちょっと気になって「友達?」と聞くと、『小学校からの友達で香子ちゃんといって、私のことを一番の友達だと思ってくれていて、大学は別れちゃったんですけど、毎月、買物したり食事に行ったりしていた』と知らされた。
私は、小学生の時から交友のあった頭のよい親友なら、環菜の家庭環境もある程度、客観的に把握しているかもしれないと思ったが、私たちの信頼関係が浅いうちに、その親友にも会って聞きたい、と切り出せば拒否される可能性もあるので、まだ心の中にしまって置くことにした。(後日、由紀が迦葉に話すことで、迦葉から環菜に香子と会うことの了解をもらう)
私から、「環菜さんからの手紙(本を書くことを了解した手紙)を読んで、私も色々と訊きたいことがあって。ただ面会ではどうしても時間が限られるから、どういう形にしたらいいかは難しいところだけど」と訊ねると、お任せするとのことで、「じゃあ良かったら次の面会までに、お母さんとの思い出を手紙にしてもらうっていうのはどう?」と提案すると(迦葉が動機を探るために依頼したこともあってだろう。家庭環境や母親への心理を探るために)、環菜は一瞬眉根を寄せて、え、という顔をした。
『私が死なせたのは父なのに、どうして母のことを訊くんですか?』と答えたので、「もちろんお父さんのことが混ざってもいいから」と押し付けると、『いいけど、べつに母とは……普通だから』と告げられた。
私は、「あなたがくれた手紙の中に、治してほしいって一文があったけど、これは具体的にどんな自分になることをイメージして書いたの?」と別のことを問いかけた。
『それは、他人の痛みがわかる、とか、そういう人間らしい心を持った』と答えた。
この環菜の答えに、「他人の痛みの前に、あなた自身が、自分の痛みを感じられてる?」と問うと、環菜はなにを言われたのか分からないというふうにぼんやりとして、呟いた。
『いえ、でも、私が悪いから』
その虚ろな目に魂を戻すように、今言ったことをちょっとよく考えてみて、と私は念を押した。
「第二章」に続く