T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1136話 [ 「ジョン・マン3望郷編」を読み終えて -4/4- ] 7/24・金曜(晴・曇)

2015-07-23 18:22:59 | 読書

(27)南氷洋の澄んだ夜空に星座を見る

 1843(天保14)年3月17日、金曜、午前9時。南米ホーン岬近海

 船長から重大な発表があった。

 諸君の見事な働きで大漁を得た。嬉しいことに南氷洋にはまだまだ多数の鯨がいるので、明後日の日曜は働いてもらう。クジラを取るのではなく皆が入るバスタブを作ってもらい、バスの利用回数を増やす。そして、その次の週から土曜、日曜を連休にする。月曜から5日間はなお一層クジラ獲りに精を出してもらたい。

 その頃から、マンジロウがイリヤに強く進言して、クジラのステーキを食べるようになった。

 3月17日、陽が沈んだ後も晴れて星座が綺麗に見えていて、レイはマンジロウに星や星座の説明をしていた。その時、長く白い尾を引いた彗星が本船の上空を目がけて飛来してきた。レイは、上体を反らし過ぎてバランスを崩し、後ろ向きに船から落ちた。

(28)同じ時期、徳右衛門は宇佐浦でほうき星を見ながら万次郎たちを思う

 略

(29)マンジロウは、海に落ちたレイを助けるために海に飛び込む

 1843(天保14)年3月17日、金曜、午後8時半過ぎ。南米ホーン岬沖合

 マンジロウは、凍った海に飛び込むことを決意し、救命ボートへの乗船を要望した。

 保温に秀でたウールの肌着をクーパーが貸してくれた。救命ボートには、お湯が入った風呂桶と保温のためにマンジロウにかける鯨油を入れた桶を用意して海に下された。

 皆の尽力でようやく助けられたレイは、風邪が治らず4日間ストーブの火が絶えない船倉の特別ベットで寝ていたが、その間にクジラが多く獲れて、大漁を祝うボーナス・ビールの時には、体調も正常に戻っていた。

 ボーナス・ビールでは、キャビンに戻ったレイへの祝杯と、凍った海に飛び込んで仲間を助けたマンジロウを、アルデードの提唱で「勇敢なるジョン・マン」と敬意を持って呼ばれて乾杯された。

(30~34)

 略

(35)ロイズの店で新しい暮らしの朝を迎えるマンジロウ

 1843(天保14)年5月7日、日曜、午前9時前。ニューベッドフォード、ロイズの店

 長い長い思い返しから、いまに戻ったジョン・マンの席に店の親爺が寄ってきた。何だか遠くに行っていたみたいだがと訊ねて、親爺はウェーターに自分が飲んでいる同じコーヒーをジョン・マンに頼んだ。

 ジョン・マンは、ジャパンの土佐の漁師ですと言って、鳥島で捕鯨船に助けられたこと、ハナロロに残った仲間4人の船賃を作るために捕鯨船に続けて乗り込んでいるといった話をした。

 店の外に出たら、港の時計が午前10時を告げ始めた。ジョン・マンの新たな暮らしが、向こう岸のフェアヘブンの町で始まる朝である。

「読後感想」

 一力さんの小説は、いずれも一気に読める読みく面白いもので、当編も変りはなかった。

 しかし、望郷編ということもあってか、心を打った章は、(17)~(19)ぐらいだったかな。

 次編は米国内でのマンジロウの苦労の生活が始まるようなので期待したい。

                                            (終)

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1135話 [ 「ジョン・マン3望郷編」を読み終えて -3/4- ] 7/24・金曜(晴・曇)

2015-07-23 10:50:29 | 読書

(20)ハナロロにいる仲間に会えずにギューアン島に向かう

 1842(天保13)年6月5日、日曜、午前9時。オアフ島の手前20海里

 右舷の彼方20海里(37km)の位置にオアフ島があった。全帆のジョン・ハウランド号が追い風を受ければ、1時間半で行けつける海路である。天候に恵まれてさえいれば、この位置からでもオアフ島が遠望できたかもしれないが、本船はハナロロから離れるばかりでギューアン島を目指していた。

 今朝、朝食前に、総員集合の号令が発せられ、船長から、クジラが予定通りに取れていないため、進路を変更し、ギューアンに向かうことになったと告げられた。

 ハナロロに立ち寄らないと分かり、水夫たちは落胆を隠さなかった。誰よりも気落ちしたのがマンジロウだったに違いない。が、マンジロウは人に悟られまいと踏ん張った。

(21)マンジロウは、ズボン店を紹介するザ・マンの英語が理解できた

 1842(天保13)年9月3日、土曜。ギューアン(グアム)島アガニア港

 明日、下船予定のマンジロウに、ザ・マン(チーフ・ハープーナー)のテッド・セイフが、アガニア港のズボンの店を紹介した。レイが通訳する前に、マンジロウはザ・マンの英語を理解していたのだ。

(22)マンジロウは自分ひとりで船乗りに必要な地図とコンパスを購入した

 マンジロウはひとりでテッドから紹介された店に行くと、店の主人からテッドに話は聞いている、お前にはこのズボンが良いと選別してくれていた。そして、金も支払って貰っていると言われた。

 次に、地図の店に行った。そして、色鉛筆とスケッチブックを購入して、一番大きく書かれた世界地図を紙に模写し始めた。コピーできた時点で、店主に聞いてジャパンとハワイとニューベッドフォードの3箇所を赤の色鉛筆で描いた。

 店主から、お前も船乗りなら、これを持っていれば役にたつぞと言われ、言われる通り2ドルでコンパスを買った。

(23)マンジロウ、南氷洋の氷山を始めて見る

 1843(天保14) 年1月15日、日曜、午前10時。南氷洋まで25海里

 見張り当番に船長がまだ氷山は見えないか、氷の塊が幾つも見えていると言うと、見張り番はマンジロウを呼んでくると甲板の昇降口へと駆けた。

 氷山を見つけたマンジロウの知らせを受けて、見張り番は船長に知らせた。

(24)氷山の見張り番を言いつけられる

 1843(天保14)年1月15日、日曜、正午前。南氷洋にて

 氷山が前方と右舷彼方に現れ始め、ボースンから総員集合の号令が発せられた。

 そして、ボースンから、これから気温はますます下がるので、素手で鉄に触ってはいけないと告げられ、これからのメインマスト見張りは2名ペアで30分交代とすると指示された。

(25)船長から世界地図の学習を受ける

 南氷洋に入ったあとのジョン・ハウランド号は帆を何枚もたたみ、船足を大きく減じた。

 昨年の12月末から、マンジロウは、船長から世界地図について学んでいた。船長はマンジロウがギューアンの地図屋で世界地図の模写したものやコンパスを購入したことを高く評価していて、南氷洋に入って数日した今日も、その地図を持って船長室に来るように言いつけた。

 船長は地図の横に地球儀を持ってきて、両者を比較して実態を勉強させ、現在地や南米のホーン岬を回って帰る母港への帰路、イタリアの旅行家マルコ・ポーロの旅行記録、西インド諸島の発見を話して聞かせた。

(26)氷山番をしながら捕鯨を見る

 18843(天保14)年1月17日、火曜。南氷洋にて

 マッコウクジラ1頭とセミクジラ2頭が右舷に見えると知らせがあり、マンジロウはボースンから、右舷に立って氷山番に就き、本船が氷山に近づき過ぎたら操舵手に知らせろとメガホンを渡された。

 目視できる氷山の裾から150ヤード(137m)以内には近寄らないのが、南氷洋を走る捕鯨船の操舵だった。

 ザ・マンのテッドは、ベンが丹念に仕上げた一番銛をマッコウクジラの急所を目がけて銛を打ち込んだ。テッドと同時に二番手のギルがセミクジラのメスに一番銛を打ち込んだ。どちらも最初の一撃で動きを完全に封じた。

 ギルは、土佐の羽指を真似て、山投げを習得していた。

 メスが動けなくなると、オスは狼狽えてその場から離れなくなるので、2頭を得たも同然だと、デービスは、したり顔で相棒に講釈を垂れた。

 テッドはマッコウクジラに5本の銛を投げ入れ、次に日本の漁師のように、右手に小さな銛を握って凍りつく海に飛び込み、打ち込んだ銛を左に掴んでクジラの背中に登り、右手の銛を突き刺した。

                                  (次章に続く)

 

 

 

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1134話 [ 「ジョン・マン3望郷編」を読み終えて -2/4- ] 7/23・木曜(曇・雨)

2015-07-22 11:13:19 | 読書

(9)マンジロウ、本船の上から「バナナ」の屋台が目に留まる

 1841(天保12)年11月20日、午前11時。ハナロロ(ホノルル)港

 ジョン・ハウランド号はオアフ島のハナロロ港に入港した。

 あの店で待っているぞと、レイに言い残して乗組員は下船した。船の甲板に残っているのは、船員手帳を持っていないマンジロウやデロたち5人と残されたその5人が不安だろうと志願して残った通訳のレイである。

 本船の正面彼方に幾つもの物売り屋台が並んでいた。マンジロウは、レイから画板と鉛筆を借りて黄色の房が積んである屋台をスケッチし、What?と聞くと、レイが「バナナ」と教えてくれた。

 マンジロウが何だと聞こうとしたら、タラップ下に戻ってきたボースンが、レイに、5人を連れて入国管理事務所に来るようにと、船長が言っておいでだと告げた。

(10) マンジロウ一行はハナロロでの自由行動を許される

 マンジロウ一行は、入国管理事務所の官吏と船長の折衝で上陸は許され、しかもドーナミトリー(施設)外での自由行動も許された。

(11)マンジロウは始めて自分で物(バナナ)を購入する

 1841(天保12)年11月21日、午前10時。ハナロロ(ホノルル)港

 マンジロウたちは、他の水夫と同じ宿泊所に泊り、宿泊代の半分もする高い5セントの朝食をとる。

 朝食を終えたマンジロウとダイモは、ハナロロ港の物売り屋台で食べ物だろうと確信して3房3セントの「バナナ」を買った。食べ方を屋台の娘から教わって、1房12本をその場で2人で食べてしまい、残りの2房を土産に仲間に持ち帰った。

 歩きながら、2人は同時に「高岡の大網引きの縁日」と同じだなと宇佐浦を思い出した。

(13)絵描き通訳のレイからカレンダーの仕組みを教わる

 1842(天保13)年3月13日、日曜、午前9時。ギューアン(グアム)島沖

 マンジロウは、バウスプリット(船首から前に向かって突き出している棒)の根元に立って、ギューアン島を探して前方の海を見張っていた。

 ハナロロを出港してから、2日が過ぎた昼下がり、レイから教わったカレンダーの仕組みを思い返していた。11月は30日のショート・マンス、12月は31日のロング・マンスと教わり、土佐の暦の「小の月」「大の月」と同じだと思った。

(14)生まれて初めて娼館に上がった

 ジョン・ハウランド号はアガニアの港に接岸されて、マンジロウも丸1日の上陸が許されて、アルデードに誘われ、生まれて初めて娼館に上がった。

(15)ウマタック村で船に必要な水と薪を購入する

 1842(天保13)年4月2日、土曜、午後2時。ギューアン(グアム)島ウマタック湾

 ギューアン島には港が2つあり、アガニアは町で、鯨油を売り、ウマタックは村で、長持ちする水と脂をたっぷり含んだ薪を購入ことにしている。

(16)土佐国室戸岬の鯨組の組織

 天保13年3月15日、室戸岬津呂組(1842年4月25日、月曜)

 土佐国室戸岬には津呂組と浮津組の2つの鯨組があった。

 鯨を取るための3種の漁船、勢子組・網組・持双組を備え、配下に400人の鯨漁師を抱え持つのが鯨組だ。

 太平洋に突き出した室戸岬を境目として、岬の東側、西側をそれぞれの鯨組が漁場としていた。

 津呂組の山見(見張り役)二番手の徳蔵は、山見頭の常太郎に、昨日、来ていた役人は何を言っていたのかと尋ねると、常太郎が、最近、異国船が何杯も足摺岬の沖を通り過ぎるらしいので、異国船を見たら室戸市庁に届けるようにとのことだと答える。それを聞いて、徳蔵はマッコウクジラの見張りで手一杯だと語気を強めた。

(17)マンジロウは涙でどんこを濡らし室戸岬を眺めていた

 1842(天保13)年4月26日、火曜、午前9時。室戸岬の沖合40海里

 ジョン・ハウランド号の左舷に寄りかかったマンジロウは、長そでのシャツの上にはどんこを羽織って、海面を見つめていた。頭に被っているのは、ウマタック村の雑貨屋で買ったつばの広い帽子で、麦わら帽子によく似た帽子で、宇佐浦を思い立たさせた。

 4月3日、ギューアンを離れたジョン・ハウランド号は、マッコウクジラを追って、いまより本船は北上すると船長の命令があった。

 琉球手前のフォルモサ(台湾)で、水、食料、薪の補給を済ませて、琉球諸島のわきを通り過ぎたのは、4月23日の昼過ぎだった。船長は士官とボースンに、ジャパンは今も「サコク」を続けているそうだ。安全確保のため、ジャパンの島影が見えている海での捕鯨は一切行わないと告げた。

 ボースンはレイを伴って、マンジロウに、あと2日ほどのうちに、本船はジャパンに大きく近寄る。今見えている島と同じ隔たりで通り過ぎることになるが、「サコク」をしているのでお前を送り返すことはできない、辛いだろうが我慢してくれと、肩に手を載せた。レイは、ボースンが告げたことを正しく伝えた。マンジロウはボースンを見上げて敬礼をした。

 室戸岬に違いないと分かる陸地が見えてきた。マンジロウは、どんこを脱いで強く抱きしめ陸地を眺めて涙でどんこを濡らしていた。

(18)マッコウクジラを追う津呂組の漁師

 天保13年3月16日、室戸岬津呂組(1842年4月26日、火曜)

 常太郎が支庁に出張ったので、徳蔵が見張りをしていると、遠眼鏡の中に外国帆船を見つけた。支庁に知らせるべきか判断がつかぬまま、もう一度、帆船と浜の距離を測るため遠眼鏡を見ると帆船の後に水平線が見え、遠眼鏡を浜のほうにずらすとマッコウクジラが潮吹きをしていた。

 徳蔵は一瞬もためらわず、小屋の半鐘を叩いた。半鐘の種類は、クジラがすぐ近くにいる報せの槌で半鐘の内側をこする擂半(スリバン)である。真っ先に船を出したのは、クジラに銛を打ち込む何杯もの勢子船である。舳先に銛を手にした羽指(ハザシ)が乗り込み漕ぎ手8人の勢子船がクジラ目がけて走り始めた。続いてクジラを取り囲み浅瀬のほうへ追い込む何杯もの網船が走る。網船も八丁櫓の快速船だ。最後にクジラを浜まで運ぶ持双船が2杯である。

 徳蔵は孟宗竹を振り続けてクジラの居場所を知らせていた。

(19)マンジロウの前で津呂組の漁師がマッコウクジラを仕留める

 マッコウクジラに襲いかかる漁船の群れから半海里(926m)離れた場所でホイットフィールド船長は減速を命じて、副長に近くに軍艦や砲台がないか確かめろと指示した。

 船長は安全を確認して漁船の群れまで70ヤード(64m)のところで停船を命じた。

 津呂組の羽指は銛をクジラに向かって投げず、空に向けて放り投げる。頂点に達した後は弧を描いてクジラに突き刺さる。捕鯨船の水夫たちは、始めてみる光景に驚き声が上がる。その銛も既に20本を越えて突き刺さっている。さらに6本の銛が突き刺さったときにマッコウクジラの動きが止まった。しかし、クジラが息絶えていないのはマンジロウにも判っていた。

 その時、腰に包丁を差した羽指の2人が、海に飛び込みマッコウクジラ目がけて近寄っていき、突き刺した銛を手掛かりにクジラの背中に登っていった。瀕死のマッコウクジラの凶暴さを知っている水夫たちは誰ひとり考えたことはなかった光景に目を瞠っていた。漁船の漁師たちが「じょうらく、じょうらく、……」と合掌して唱え始め、背中の羽指は頃合いを見てクジラの頭部の噴気孔わきの急所へ両手で掴んだ包丁を突き刺した。

 後日、マンジロウは、水夫たちから「じょうらく」の意味を聞かれ答えられなかったが、水夫たちは、「あれは息絶えるまで死闘を繰り広げたクジラへの、尊敬の表現に違いない」と言っていると、レイの通訳にマンジロウはその通りだと思った。

 全速前進、船長の指図にボースンが号令した。どの水夫の顔も気を昂ぶらせて上気していた。ボースンの指図で水夫たちは鯨組漁師に敬礼をしていた。

 マンジロウは本船の艫に移って、勢子船を見つめていた。勢子船まで1町(109m)泳ぐだけでよいのだ。在所につながっている海である。が、マンジロウは飛びこまなかった。ハワイのハナロロには約束した4人の仲間がいるのだ。

                           (次章に続く)

 

 

 

 

 

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1133話 [ 「ジョン・マン3望郷編」を読み終えて -1/4- ] 7/22・水曜(曇・雨)

2015-07-20 16:53:30 | 読書

「概要」

 直木賞受賞作家山本一力氏の「仲間との約束は守る!まだ帰らない。負けたらいかんぜよ。土佐の少年は長い航海を通し、世界を肌で感じて、いま新天地に降り立つ!白熱のシリーズ第3弾。(帯の表より)」

 万次郎は共に救助された仲間全員のハワイから日本への船賃を稼ぐために、ひとり、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号の乗組員となった。英語を覚え、南氷洋の凍える寒さを経て、戦場の先輩らと信頼関係を築いた万次郎は、海の男として成長し、アメリカ大陸の土を踏む。著者入魂の歴史大河小説、白熱の第3弾。(裏表紙より)

「登場人物」

[宇佐浦漁師の漂流仲間]

 デロ:   筆の丞

 ジュシカ: 重助

 ゲイモ:  五右衛門

 トレモ:  寅右衛門

[捕鯨船ジョン・ハウランド号乗組員]

 ジヨン・マン:  主人公。マンジロウ。

 ホイットフィールド:  船長。

 レイ・ベンド:    ジヨン・マン乗船時、絵で会話した通訳。

 ボースン:     (水夫長)

 イリヤ・ハーベス:  仕厨長。

 ロイ・カッシー:    船大工。

 トム・シーガル:   一等航海士。

 トビー・ダラス:   見張り役。

 ジム・ガントレット:  副長。

 ボブ・クーパー:   クーパー(鯨油樽職人)

 ゲリーアルデード:  鯨油取り職人。

 ラス・フォンダ:    イリヤ仕厨長の弟子。

 ベン・ガイズ:    銛造り職人。

 トム・ホール:     銛造り職人。

 テッド・セイフ:    チーフ・ハープーナー(銛打ち)=ザ・マン。

 ギル・チャンス:    二番手ハープーナー。

 デービス:      古参水夫。

[その他]

 ジンジャミン・ガリソン: 船長の金主。眺望亭主人。

 ランドルフ・ベイズ:  船長の金主。貸金業者。

 メリー・マーチン:    メリー蝋燭会社社長の娘。

            ホイットフィールド船長の元許婚。

            ボストンの上院議員の息子と結婚。

「あらすじ」

◎「ジョン・マン2大洋編」は、万次郎一行が鳥島にてジョン・ハウランド号に救出されて、ハワイ諸島ホノルル港に乗組員が一時上陸し、マンジロウだけを乗せて出港するまでの物語でした。

 「ジョン・マン3望郷編」は前篇のホノルル港への上陸の模様から、ホノルル港を出港し、グアム島、日本近海、タヒチ島などを航海し、南米のケープタウンを回り、母港のニューベッドフォード(ニューヨークの北東部)に帰港し、上陸しての数日の物語。

 時系列的には、まず、(1)~(8)では、当編の終わりの部分の、母港に帰港し、上陸してからの数日が記述され、(9)~(35)は、時系列どおりに、最初の、ホノルル上陸時の状況、そしてホノルルを出港し、太平洋、南氷洋を回ってから母港への上陸までが記述されている。

 一部、時系列どおりになっていない章は、「あらすじ」の中で順番を修正した。

◎各章の大部分には冒頭、日付と場所のタイトルが記述されていたが、それ以外に、筆者が短文の標題らしいものを付加した。

◎万次郎に直接関係しないところは、「あらすじ」から省略した。

                                                

(1・2)徳右衛門が万次郎の母に彼の給金を渡し、必ず帰ってくると励ます

 天保14年4月7日、土佐中の浜(1843/5/6、ニューベッドフォード)

 宇佐浦(土佐市の西端)の網元・徳右衛門(万次郎の親方)は足摺半島の足元の東側の窪津港から海路で西側の中の浜に行き、漁師宿に留守番代わりに住んでいる万次郎の母親・志をに、万次郎の2年半分の給金を渡し、今後も、万次郎が帰って来るまで送金すると約束した。

(3・4)母港ニューベッドフォードの町に一歩を踏み出す

 1843(天保14)年5月6日、正午。ニューベッドフォード

 上陸して2時間近く経ってジョン・マンは、眺望亭のテラスのレンガ囲いに寄りかかり、30分ほど眼下に広がる港町を眺めていた。

 レイ・ベントが捕鯨船では飲めなかった熱いハニー・ライムを飲めといって持ってきた。ジョン・マンはどんこの上に牛革の防寒コートを羽織っていた。南氷洋でクジラを追ったとき、水夫に支給されたコートである。ここの5月なら、これが普通の格好である。

 報酬支払パーティーは午後7時から、ハリソン・ホテルで開かれる段取りだった。

 ジョン・マンは船長の許しを得て、町の散歩に出かけた。途中、捕鯨船で一緒だった船大工のロイ・カッシーに出会って、カッシーからの声で、ジョン・マンは一緒することをお願いした。

(5)動く橋を見てハワイの寅右衛門を思い出す

 1843(天保14)年5月6日、午後3時。ニューベッドフォード

 ニューベッドフォードとフェアヘブンとを結ぶ橋が、大男が舵輪を動かすことによって何個もの滑車が一斉に動いて、水平に45°動き、橋がなくなった水路を、帆柱が高い舟が行くのである。

 カッシーの説明が終わり、橋が元通りに閉じたとき、ジョン・マンは吐息を洩らした。

 この橋のことを、動くもの全てに興味を示したトレモ(寅右衛門)に話したら、どんな顔をするだろうと、ハワイのトレモを思い浮かべた。その後、ハワイで待っているテロ、ジュシカ、グイモと中の浜の母と姉妹を思い出した。

(6)日本に無い銀行と利息を知る

 カッシーは、堂々とした石造りの建物の前で足を止めて、ジョン・マンに、稼いだ金を預かってくれるツー・バンクという銀行だと教えてくれた。ここでは、そのまま預けておけば年3%のインタレスト(利息)がついて増えるぞとカッシーは付け加えた。

 ジョン・マンは、ジャパンにはバンクはないが、親方が商いで得た金を預けていた宇佐浦の両替商の話をカッシーに聞かせた。そこでは、天変地変が重なろうとも預けた金は全額を保証してくれるのは同じようだが、利息は付かず反対に預け賃(2.5%)が必要なのだと教えた。

 船長は、ジョン・マンが英語の会話はどうにかできるようになったが、読み書きができないので小学校に通わせた。

(7)ジョン・マンが手にした初めてのアメリカでの報酬

 報酬支払パーティーが始まり、ジョン・マンにも小切手で109ドル23セントの報酬を渡された。その後のパーティーは、ジョン・マンが16歳だったこともあり、料理1人分ルームサービスしてくれた。

 ジョン・マンは、100ドルで庭付き住宅が買えると言われる時に、それを超える報酬をもらって驚きながらも、ハワイから琉球に向かう商船の船賃80ドル4人分をどうやって稼げばよいのか、4年近くかかることに深い溜息をついた。しかし、ジョン・マンは、窓を開けて、「必ず迎えに行くき、待っちょってや」と声の限り叫んだ。

(8・12)乗組員自慢のコーヒーショップ・ロイズの店で朝食をしていた

 1843(天保14)5月7日、午前8時。ニューベッドフォード

 ジョン・マンは、翌朝、捕鯨船内で皆が自慢していたロイズの店に入り、朝飯を注文した。

 店の親爺が自慢するケチャップに、ジョン・マンは、人差し指をくっつけた。宇佐浦で味噌を舐めたときと同じ仕草だ。その味は、ハワイで食べたマンゴーだった。

 ジョン・マンは、客の少ない静かな店で、コーヒーを見つめながら、ハワイやギューアン(グアム)島で過ごした数日を思い出していた。

                                (次章に続く) 

 

 

 

 

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1132話 [ 屋根の無いカーポート? ] 7/18・土曜(曇)

2015-07-18 09:14:38 | 日記・エッセイ・コラム

 7月16日夜から7月17日朝方まで、いわゆる「強い台風」の暴風雨で、

 一睡もできなかった。

 ここ、20年ほど経験したことがない強い暴風の台風で、何回も家が揺れるように感じた。

 気象情報によると最大瞬間風速は29m/sということであった。

 体感では、外にいたら立っていられないような風だったろう。

 少なくとも35m/sの風が何回も吹いたのではないかと思われた。

 おかげで、25年前に建てて10年程前に改修したカーポートの屋根が全部飛んでしまった。

 屋根はボードを上にのせ、ネジ止めしたもので、構造的に弱いものを感じている。

 今は、近所の付合いもあるので、屋根無しでいこうかと思っている。

 

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