「概要」
直木賞受賞作家山本一力氏の「仲間との約束は守る!まだ帰らない。負けたらいかんぜよ。土佐の少年は長い航海を通し、世界を肌で感じて、いま新天地に降り立つ!白熱のシリーズ第3弾。(帯の表より)」
万次郎は共に救助された仲間全員のハワイから日本への船賃を稼ぐために、ひとり、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号の乗組員となった。英語を覚え、南氷洋の凍える寒さを経て、戦場の先輩らと信頼関係を築いた万次郎は、海の男として成長し、アメリカ大陸の土を踏む。著者入魂の歴史大河小説、白熱の第3弾。(裏表紙より)
「登場人物」
[宇佐浦漁師の漂流仲間]
デロ: 筆の丞
ジュシカ: 重助
ゲイモ: 五右衛門
トレモ: 寅右衛門
[捕鯨船ジョン・ハウランド号乗組員]
ジヨン・マン: 主人公。マンジロウ。
ホイットフィールド: 船長。
レイ・ベンド: ジヨン・マン乗船時、絵で会話した通訳。
ボースン: (水夫長)
イリヤ・ハーベス: 仕厨長。
ロイ・カッシー: 船大工。
トム・シーガル: 一等航海士。
トビー・ダラス: 見張り役。
ジム・ガントレット: 副長。
ボブ・クーパー: クーパー(鯨油樽職人)
ゲリーアルデード: 鯨油取り職人。
ラス・フォンダ: イリヤ仕厨長の弟子。
ベン・ガイズ: 銛造り職人。
トム・ホール: 銛造り職人。
テッド・セイフ: チーフ・ハープーナー(銛打ち)=ザ・マン。
ギル・チャンス: 二番手ハープーナー。
デービス: 古参水夫。
[その他]
ジンジャミン・ガリソン: 船長の金主。眺望亭主人。
ランドルフ・ベイズ: 船長の金主。貸金業者。
メリー・マーチン: メリー蝋燭会社社長の娘。
ホイットフィールド船長の元許婚。
ボストンの上院議員の息子と結婚。
「あらすじ」
◎「ジョン・マン2大洋編」は、万次郎一行が鳥島にてジョン・ハウランド号に救出されて、ハワイ諸島ホノルル港に乗組員が一時上陸し、マンジロウだけを乗せて出港するまでの物語でした。
「ジョン・マン3望郷編」は前篇のホノルル港への上陸の模様から、ホノルル港を出港し、グアム島、日本近海、タヒチ島などを航海し、南米のケープタウンを回り、母港のニューベッドフォード(ニューヨークの北東部)に帰港し、上陸しての数日の物語。
時系列的には、まず、(1)~(8)では、当編の終わりの部分の、母港に帰港し、上陸してからの数日が記述され、(9)~(35)は、時系列どおりに、最初の、ホノルル上陸時の状況、そしてホノルルを出港し、太平洋、南氷洋を回ってから母港への上陸までが記述されている。
一部、時系列どおりになっていない章は、「あらすじ」の中で順番を修正した。
◎各章の大部分には冒頭、日付と場所のタイトルが記述されていたが、それ以外に、筆者が短文の標題らしいものを付加した。
◎万次郎に直接関係しないところは、「あらすじ」から省略した。
(1・2)徳右衛門が万次郎の母に彼の給金を渡し、必ず帰ってくると励ます
天保14年4月7日、土佐中の浜(1843/5/6、ニューベッドフォード)
宇佐浦(土佐市の西端)の網元・徳右衛門(万次郎の親方)は足摺半島の足元の東側の窪津港から海路で西側の中の浜に行き、漁師宿に留守番代わりに住んでいる万次郎の母親・志をに、万次郎の2年半分の給金を渡し、今後も、万次郎が帰って来るまで送金すると約束した。
(3・4)母港ニューベッドフォードの町に一歩を踏み出す
1843(天保14)年5月6日、正午。ニューベッドフォード
上陸して2時間近く経ってジョン・マンは、眺望亭のテラスのレンガ囲いに寄りかかり、30分ほど眼下に広がる港町を眺めていた。
レイ・ベントが捕鯨船では飲めなかった熱いハニー・ライムを飲めといって持ってきた。ジョン・マンはどんこの上に牛革の防寒コートを羽織っていた。南氷洋でクジラを追ったとき、水夫に支給されたコートである。ここの5月なら、これが普通の格好である。
報酬支払パーティーは午後7時から、ハリソン・ホテルで開かれる段取りだった。
ジョン・マンは船長の許しを得て、町の散歩に出かけた。途中、捕鯨船で一緒だった船大工のロイ・カッシーに出会って、カッシーからの声で、ジョン・マンは一緒することをお願いした。
(5)動く橋を見てハワイの寅右衛門を思い出す
1843(天保14)年5月6日、午後3時。ニューベッドフォード
ニューベッドフォードとフェアヘブンとを結ぶ橋が、大男が舵輪を動かすことによって何個もの滑車が一斉に動いて、水平に45°動き、橋がなくなった水路を、帆柱が高い舟が行くのである。
カッシーの説明が終わり、橋が元通りに閉じたとき、ジョン・マンは吐息を洩らした。
この橋のことを、動くもの全てに興味を示したトレモ(寅右衛門)に話したら、どんな顔をするだろうと、ハワイのトレモを思い浮かべた。その後、ハワイで待っているテロ、ジュシカ、グイモと中の浜の母と姉妹を思い出した。
(6)日本に無い銀行と利息を知る
カッシーは、堂々とした石造りの建物の前で足を止めて、ジョン・マンに、稼いだ金を預かってくれるツー・バンクという銀行だと教えてくれた。ここでは、そのまま預けておけば年3%のインタレスト(利息)がついて増えるぞとカッシーは付け加えた。
ジョン・マンは、ジャパンにはバンクはないが、親方が商いで得た金を預けていた宇佐浦の両替商の話をカッシーに聞かせた。そこでは、天変地変が重なろうとも預けた金は全額を保証してくれるのは同じようだが、利息は付かず反対に預け賃(2.5%)が必要なのだと教えた。
船長は、ジョン・マンが英語の会話はどうにかできるようになったが、読み書きができないので小学校に通わせた。
(7)ジョン・マンが手にした初めてのアメリカでの報酬
報酬支払パーティーが始まり、ジョン・マンにも小切手で109ドル23セントの報酬を渡された。その後のパーティーは、ジョン・マンが16歳だったこともあり、料理1人分ルームサービスしてくれた。
ジョン・マンは、100ドルで庭付き住宅が買えると言われる時に、それを超える報酬をもらって驚きながらも、ハワイから琉球に向かう商船の船賃80ドル4人分をどうやって稼げばよいのか、4年近くかかることに深い溜息をついた。しかし、ジョン・マンは、窓を開けて、「必ず迎えに行くき、待っちょってや」と声の限り叫んだ。
(8・12)乗組員自慢のコーヒーショップ・ロイズの店で朝食をしていた
1843(天保14)5月7日、午前8時。ニューベッドフォード
ジョン・マンは、翌朝、捕鯨船内で皆が自慢していたロイズの店に入り、朝飯を注文した。
店の親爺が自慢するケチャップに、ジョン・マンは、人差し指をくっつけた。宇佐浦で味噌を舐めたときと同じ仕草だ。その味は、ハワイで食べたマンゴーだった。
ジョン・マンは、客の少ない静かな店で、コーヒーを見つめながら、ハワイやギューアン(グアム)島で過ごした数日を思い出していた。
(次章に続く)