[ 概要 ]
鬼平犯科帳7巻の中の短篇。
若い頃の長谷川平蔵(鬼平)の無頼な行いを改心させた恩人で、義理の重なりから盗賊となった浪人・松岡重兵衛を騙した卑怯な盗賊・惣七に、鬼平の怒りが爆発し、松岡らが盗んだ金・二千両を横取りしようとした惣七を、手下を総動員して捕縛し、獄門にかける人情味あふれる鬼平捕物話。
[ 文章を抜粋して纏めた粗筋 ]
※ 黄色で彩色した部分は、私が補足したところ。
※ 下線を施した部分は、この作品のポイントになると思われたところ
1~2
長谷川平蔵の惣領の辰蔵が、盗賊改め方お頭の役宅に来て、お頭の平蔵に、毎日、出かけている市ヶ谷の道場で、通りがかりに現れた松田十五郎と名乗る浪人の恐るべき剣法を見たと告げた。
平蔵の脳裏に、一人の剣客の顔貌が浮かび上がってきた。
(もしや……松岡重兵衛ではないか?)
20数年前に、わけあって江戸を去ったその男は、平蔵や親友の岸井左馬之助にとって恩師にあたる高杉銀平の道場で食客をしながら平蔵たちに稽古をつけてくれたものだ。
翌日、平蔵は左馬之助を浅草の蕎麦屋に呼んで、その話をし、盗賊改め方としては打ち捨てておくわけにいかぬので、探索に力を貸してくれと言う。
二人が探そうとしていたその浪人は、近くにいたのである。
老爺の泥鰌の和助という元盗賊が、浅草寺を北に抜けたところで、
『松岡重兵衛先生ではありませんか』
と、声をかけた。
泥鰌の和助は、〔大工小僧〕と異名をとった元盗賊で、平常は、腕の立つ大工職人として、大きな棟梁のもとで働いていて、大工の仕事をしながら、盗みに入るために細工をしておき、絵図面も作って、盗賊のお頭へさし出していた。 そのようにして、諸方のお頭のもとで働いていたが、5年前に心の臓を患って、お盗<つと>めの道からは足を洗っていた。
その和助が、3年ほど前から足を洗っていると言う重兵衛に、
『もう一度、大仕事をする気はないか?』
と、問い、二言三言話を交わした後、二人は、同じ方向へ歩いて行った。
3
それから4日目、辰蔵は、悪友と数度食べに行ったことがある市ヶ谷の鰻屋・喜田川から出てきた浪人を見て驚いた。〔松岡十五郎〕の重兵衛であった。
朝五ツ<午前8時>なので、むろん店は開けてなく、重兵衛が出ると、すぐさま閉められた。
―中略―
辰蔵が重兵衛の後をつけて行ってから、およそ一刻ほどして、実直そうな浪人が町人姿で、喜田川の前に現れた。 泥鰌の和助である。
和助は中に入り、亭主の惣七に、『松岡先生の引き合わせで参ったもので……』と、証明になる麦藁細工の鳩を見せて、用件を告げた。
昨夜、喜田川に泊った重兵衛と打ち合わせが済んでいたのだろう、惣七は店を出て、和助を近くの茶屋へ誘った。
4
和助は、新堀川沿いの店で小女一人を雇って小間物屋をしていた。
惣七と別れた和助は、夕暮れ前、家の近くの正行寺の墓地に寄って、墓に眠っている一人息子の磯太郎と磯太郎の育ての親の孫吉とおひろに両手を合わせてから、夕闇の中を家に帰った。
早くに女房を亡くしている和助は、始終、盗みの出稼ぎで江戸を中心にあちこちに行くので、大工の友人の孫吉夫婦を江戸に住まわせて磯太郎を預けていた。
その後、孫吉はおひろを亡くし、大工の棟梁の口利きで、磯太郎を南新堀の紙問屋・小津屋に奉公に出した。
おりしも、小津屋は、店舗と住宅の大改築を行なったばかりで、ちょうど和助もその改築に携わっていて、抜け目なく、密かに〔盗み細工〕を施していたのである。
和助は孫吉から磯太郎の奉公話を聞いて、
(磯が奉公にあがっる店に、まさかに実の親のおれが、押し込むわけにもいくめえじゃねえか)
と思ったが落胆する一方で、
(小津屋で勤め上げたら大したものだ)と、嬉しくもあった。
―中略―
それから、9年後の今、和助は墓地の磯太郎に呼びかけた。
(見ていなよ。お前の敵<かたき>を父がきっと取ってやる。小津屋の身代を洗いざらい盗み取ってやるからな)
磯太郎は、今年の正月に自殺したのだ。
小津屋の跡取息子が、先代に可愛がられていた磯太郎を目の敵にし、先代が死ぬと、磯太郎を追い出しにかかった。 お店の金を57両、磯太郎がごまかして懐に入れたと、磯太郎の行李に隠していていたのである。
それを悔しがり、磯太郎は自害してしまった。
養父の孫吉も磯太郎の死を哀しみ、和助に看取られ、この夏に亡くなった。
和助は、わが子の敵を討つために小津屋へ押し込みをかけようとしている。
―中略―
その夜、重兵衛の後をつけた辰蔵は、役宅へ駆け込み、あの浪人は、南新堀のあたりを行ったり来たりして、下谷の通新町の公春院という寺の近くの家に入り、出てこなかったと尾行の始末を父・平蔵に報告した。
5
平蔵は、翌日、軍鶏鍋屋・五鉄へ行き、重兵衛をよく知っている密偵の彦十と相棒のおまさに、重兵衛の家を見張ることを命じた。
彦十は、おまさに、昔、平蔵が、お前の親爺のところでどくろを巻いて無頼な生活をしていた頃の話をし出した。
「20数年前のことだが、深川蛤町の泥鰌の和助という盗み細工の盗人が、この彦十に、軽く盗めをしたいので、6人ほど〔助け働き(助っ人)〕を集めてもらえないかと頼まれて、当時、兄貴と慕っていたお頭〔平蔵〕と左馬之助さんを誘ったのだ。
盗みに入る当日、舟で集合場所へ行くと、盗賊の一味だった重兵衛が舟に乗り込んできて、お頭と左馬之助さんの声を聞いて、二人の覆面を外して、『きさまら。 こんな真似をして何が面白い。 高杉先生がこのことを知ったらなんと思われる。 馬鹿者め!!』と言うや、岸辺に引きずり出し、殴りつけた。 そして、自分はおれと和助たちと舟で大川に滑り出したのだ」
6
さあ、急ごうと、彦十とおまさは、重兵衛が住んでいると教えられた下谷の通新町へ向かった。
しかし、家はもぬけの殻で、その夜、二人はしょんぼりと平蔵の前に現れ、そのことを報告した。
平蔵は沈黙した。 予感がないでもなかった。
喜田川の泥鰌屋へも、密偵の伊三次を差し向けていたが、少し前に、その伊三次から、店の主人も雇人も消えていて、店の表戸に釘が打ちこめられていたとの知らせを受けていたのだ。
(松岡さんは、昨日、辰蔵が後をつけたいたのを気付いたのだ。今朝早く通新町の家を引き払い、その足で喜田川へ急を告げたのであろう)
がっかりした平蔵は、その代わり、重兵衛も喜田川の亭主も盗賊らしいと見極めを付けることを得た。
平蔵は、翌日、左馬之助を五鉄に呼んで、これまでの顛末を告げて、これからは、重兵衛がうろついていた南新堀一帯を当たろうと言う。 すると、
『このうえは、松岡さんのことは放念してやったらどうだね』
と、左馬之助が言ったので、平蔵はさびしげな表情を浮かべ、
『おぬしは、松岡さんのおかげで、我々が盗みの垢を点けずに済んだことを、いまも有難く思っているだろうな。 おれは、そのうえで松岡さんを捕えると言っているのだ。 そのおれの心がおぬしには分からぬのか』
と言う。
7
冷え冷えとした冬の大気が江戸の街々を抱きすくめてきた。
あれから、重兵衛や喜田川の惣七の行方について、手掛かりが全く掴めていない。
いずれにせよ、重兵衛が、
(どこぞの盗賊と組んで、盗み働きを仕掛けていることは、確かなことだ)
と、平蔵は思う。 なればこそ、事を未然に防ぎたい平蔵である。
その盗賊一味の犯行が現実のものとなる前に、彼らをひっ捕らえ、松岡を御縄にかけてしまえば、
(事と次第によっては……松岡さんの始末も、何とかうまくつけられよう)
そう考えているだけに、平蔵の焦慮は強まるばかりなのだ。
20余年前の、あの夜……。 若かった自分と左馬之助をたしなめるため、いささかのためらいもなく、わが覆面を自ら外して、正体を見せたうえで、一喝してくれた松岡さんの、
(あの、男らしい、潔さというものは……)
忘れようとしても忘れられるものではない。
平蔵は、いつもの見廻り姿で、ひとり町へ出ていて、帰途についていた。
〔泥鰌の和助の姿は、まだ、平蔵たちの前に現れていない〕
その時分、小女を帰した和助の店に、和助と重兵衛と惣七の三人が、湯豆腐で静かに酒を酌み交わしていた。
三人が交わす話に注目すべき声が聞こえた。
『死んだ倅の敵討ちに、小津屋へ押し込むというわけか。 それにしても、小津屋に盗み細工を施していたとは……』と、重兵衛の声。
『惣七どん。 集めてもらった、あの8人なら大丈夫だ。 ところで、亀井村の隠れ家の具合はどうでございます。 不自由のことがあれば何なりと申し付けてくださいまし』と、和助の声。
『今度の盗めは、お前が頭取なのだ。 押し込む日はいつにする』と、重兵衛の声。
『年が明けて、元旦の夜に……』と、和助の声。
8
12月18日、辰蔵は、7日ぶりに市ヶ谷の道場に出かけた。
悪友の阿部弥太郎が、店を閉めた喜田川の女房のおかねを、広尾の天現寺境内にある羅紗門堂門前の茶屋で見たと話してくれた。
辰蔵は、早速に清水門外の父の役宅へ駆けつけて、平蔵に知らせた。
夜に入って、密偵の粂八、伊三次、彦十、おまさが集まってきて、平蔵の指示を受けた。 4人とも、この夜は役宅に泊った。
彦十とおまさは旅の巡礼に変装して、翌朝暗いうちに、同心・酒井祐助と一緒に、麻布の広尾に向かった。
毘沙門堂前のかの茶店を通り過ぎた二人は境内に入った。
おまさが、彦十に、
『顔を知られているので、私じゃ駄目ですよ。 私が狐火の勇五郎お頭のところにいたとき、あの女は引き込みをやっていたことがあり、名はおかねといって、役者くずれの料理人の不破の惣七という亭主がいるんです』 と言う。
後の見張りを彦十と酒井祐助に任せて、おまさは役宅に急いだ。
平蔵は、おまさの報告を受けて、密偵の大滝の五郎蔵と舟形の宗平を呼び寄せた。
宗平が、平蔵に、
『惣七というやつは、他人のお盗めを横取りする、盗人の風上にもおけねえ奴でございます』と、知らせる。
(では、重兵衛も惣七に、騙されかけているのではあるまいか……?)
と、平蔵は気が気ではなくなってきた。
9
師走も押し詰まってきた。
平蔵は手の者を動員して、万全の備えをとった。 といっても、見張り場所は広尾の茶店と日本橋・南新堀一帯なのだが、何処に目をつけたら良いのか、それが判らない。それに、広尾の茶店に惣七も怪しい奴も現れないといった状況で12月27日になった。
―中略―
天現寺で僧に化けて住み込んでいた同心・木村忠吾は、おかねの茶店に若い浪人が来て、結び文を貰って出て行ったところを見た。
その情報をもって彦十が役宅に走り、伊三次と酒井祐助がその浪人の後をつけた。
彦十から知らせを聞いた平蔵は、彦十に、南新堀一帯を見張っている粂八、おまさ、五郎蔵が役宅に戻るように連絡しろと命じた。
夜になって、酒井祐助が役宅に駆けつけてきた。
『その浪人は、目黒の碑文谷村の竹藪に囲まれた百姓家に入りました。 中には数名の浪人どもが住み暮らしているようです』と、平蔵に知らせる。
平蔵は、酒井の一報を一緒に聞いていた粂八、おまさ、五郎蔵に、酒井と碑文谷村に行って、見張るよう命じた。
翌朝、平蔵は、碑文谷村へ急いだ。
百姓に化けた粂八が、平蔵を迎えて、気が許せない面構えの浪人が10人いることを告げた。
10
元旦の朝、和助は浅草・阿部川町の店から亀戸村に向かった。
―中略―
元日の朝まで、碑文谷村の百姓家の浪人に動きがなかったが、昼過ぎ、浪人3人が百姓家が出ていったので、粂八とおまさが後をつけた。
その後、浪人どもは2人3人と別れ別れに百姓家を出て行った。 密偵たちは少数の同心たちを残して、それぞれに後をつけた。
広尾の茶店には動きがなかった。
11
元旦の夜、五ツ。
亀戸村を出た和助、重兵衛、惣七と助け働き8人が舟2艘で霊厳島、堀川べりの南新堀町にある紙問屋小津屋に向かった。
舟に助け働きで船頭の2人を残して、小津屋裏側に回った和助ら9人は、和助が仕掛けた盗み細工を使って、母屋の一部にある土蔵の床下から土蔵の中に入る。
用意した木箱に二千両と大事な書類・証文類を入れて持ちだし、11人は大川に漕ぎ出した。
―中略―
碑文谷村を出た10人の無頼浪人は、三々五々の形で、和助が借りていた亀戸村の百姓家の後ろの木立の中で、盗めを終えた和助たちが帰って来るのを待っていた。
浪人どもが潜んでいる木立の周りは、すでに、火付盗賊改め方によって包囲され尽くしていたのである。
平蔵は、近くで、与力・佐嶋忠介らと待機し、見張りの報告を受けている。
『佐嶋。 浪人ども目、動かぬな。 木立の外には百姓家が一つあるだけだな?』
『伊三次が、さっき、百姓家を探ったところ、人の気配はございませぬようで』と答える。
八ツ〔2日の午前2時〕近く、見張っていた密偵が、平蔵に、怪しい男9人が百姓家に入ったことを知らせた。 平蔵は、『押し詰めよ』と命令を下した。
もう、そのときには、木立の中から躍り出した10人の浪人が、一斉に刀を抜きはらって百姓家へ殺到していた。
―中略―
和助逃げろと叫びながら外へ飛び出した重兵衛は、待ち構えていた浪人の太刀を受けた。
浪人ノニの太刀が、重兵衛の胴を払った。 しかし、その浪人も、平蔵の太刀で斬られ、首筋から血を吹き転倒した。
平蔵は重兵衛を抱き起した。
『松岡さん。 私だ。 長谷川平……いや、本所の銕ですよ』
『あ……』
『あんたの仲間の不破の惣七が裏切ったのだ。 そやつが浪人どもを手引きして横取りを計ったのですよ』
『わしも、焼きが回ったものだなあ』
『松岡さん、いつぞやは、左馬之助ともども、えらいお世話になりましたね』
『今を時めく鬼の平蔵。 あの時、わしに叱りつけられてよかったのう』
『ええ……ええ……。 いま、手当てをします』
『佐間は、いまもお前にくっついているのか』
これが重兵衛の最後だった。
和助も浪人の刃を受けて即死。 しかし、穏やかな死に顔であったという。
引き立てられて行こうとする惣七に、平蔵が、待てと呼び止めた。
『惣七。 己は、この場で首を撥ねてやろう』
惣七は、全身を瘧<おこり>のように震わせる。
刀の柄へ手をかけた平蔵が、掃き捨てるがごとく、
『虫けらめ。刀の汚れだ。どうせ獄門だぞ。むしろ、そのほうが苦しいのだ、馬鹿め!!』
と言った。
ところで、小津屋では、盗まれた二千両は戻ってきたが、以来、商売のほうが上手くいかず、4年後に、倒産してしまった。 和助が大川にふりまいた書類・証文の影響が大きかった。
終
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