方向が決まって、すでに「ないもの扱い」の私は、それでもPCに向かって懸命に文章を書いた。
午前中は、働く者として、かつもうすぐこの環境を去る者の立場から、今まで本欄でも書いてきた事柄をダメもとでも直接ぶつける内容、午後は直の上司としてお世話になったS氏への私人としてのメッセージである。
公人としてのものは当然要望にも近い強い内容(特に「ザル」とも言える情報管理体制やオフィスのあまりの汚さを指摘するもの)にしたが、私人としてのものは今までさんざん社長にいじめられてきたS氏個人に多少思いを寄せる内容にした。
今日は、S氏へのメッセージのほうを公開する。
コピペとなってしまうが、原稿に時間と分量はかかっているのでご容赦願いたい。
固有名詞の部分は当然伏せてある。(黒丸で伏せてある部分がS氏。あと、同じ記号は同じ名前が入ります。見苦しいですがご容赦ください)
(以下引用)
お疲れ様です。
本日の日報には、報告といいますか最後のお願いのようなものをお付けしました。
あくまでもうすぐ当社を去る人間としての公の立場で書きましたので、耳障りのよくない内容になっていますから、適当に流していただいてかまいません。
さて、本文では、あくまで私人として私なりのメッセージをお伝えします。
確かに社長は厄介な存在でしたが、悪人などおらず、ただどうしてもかみ合わなかったということだと思います。
とは言いましても、●●さんのプライベートなことまではほとんど知らないまま終わることになりました。
ここでは、9月に▲▲▲の○○女史が話してくださったことをもとに書きます。
もう時効だと思いますので書きますが、9月24日は「△△△△△まつり」の2日目ではありましたが、平日ということもあり人通りもあまり多くなく、展示会のの受付は入り口付近に張り付かないで事務所の中におり、音が鳴ったら出るという感じで、誰もいないときは「おしゃべり」をしていました。
その日は▲▲▲は私にとってはわずかに3回目の訪問であり、もちろん○○女史とお会いするのも3回目でした。
人も来ないし、どうやって17時までと思っていましたがそれは杞憂に終わり、話がはずんではずんで仕方がありませんでした。
実質初対面の方と、時間も忘れるくらいにいろいろなお話ができたことは当社にいたわずか2ヶ月の間でも忘れられない一番の思い出です。
唐突に「▲▲▲にはお世話になったから、あいさつに行きたい」と申し上げたのにはそういう理由があるのです。
2ヶ月間同じ建物にいてもコミュニケーションがままならず「相互不信」のままお別れというケースがある一方、実質初めてでも奥の深~い話ができることもあります。
ここで理由や比較はあえて言いません。
「波長が合った」とか、「人間ふしぎ」ということで乱暴にくくっておきます。
具体的には、お互いに格好を付けず、心を開いたからこそ、ぶっちゃけの話までできたのだろうと思います。
さて、●●さんに関する話としては、一時ストレスから体調を崩されたやに聞きました。
当時、診断書までもらわれて1週間ほどお休みをいただいたにもかかわらず、2日目あたりには早くも社長から出社の要請があったとか。
この話を聞いて、少なくとも私は××社長なるものがどういう人物か、本当に恐ろしい気持ちになりました。
話は飛びますが、私が最初に面接に来て社長とお話ししたとき、いつもの威圧的なあの調子ですので、私はいい加減帰りたくなって適当にボソボソと答えていましたら、「お前、ウツ病と勘違いされるぞ」と言われました。
私も実はストレスから体調を崩した経験がありますので、こういう発言には敏感です。
半ギレ状態で「そんなものには1回とっくになっています」と答えました。
すると、社長は急にオロオロとした感じになって、「お、おれも社内でそういう人間見たことある。ほ、ほ、本を読んでウツ病のべ、勉強もした。ウ、ウツ病のことは、わ、わ、分かっているつもりだ!」などとあわてて言い訳を始めました。
私はその頃は社長をまだ信じていましたので、「精神疾患にもいちおう理解のある方なんだな」と思ったのですが、今となっては明らかな差別発言だったのです。
戻りますが、日頃の社長を拝見しておりますと、本当にウツ病について勉強したのかなと思えるような言動ばかりでした。
面接での「勉強している」という発言は「真っ赤なウソ」でした。
むしろ、被害者がいちばんウツ病になりやすいパターンの典型と言えます。
仕事そのものにとどまらず、経歴や人生そのものにまで平気で土足で踏み込んで言葉の暴力、時には手まで出してくるやり口は、もはやまともな人間の域にはなく、野蛮の一言であると思います。
こんな方がよく経営者であり、複数の公職にいられるものだと思います。
なんだかんだ言っても、社長は●●さんがいなければ何もできない。
そうでありながら、あまりにも●●さんは粗末に扱われすぎている。
イヤイヤでも自分の「右腕」として動いてくれている●●さんを、社長本人はモノのようにしか思っていない。
そうでなければ、先日のように、トイレの途中にドアを開けられ「おちおちトイレもできない」ようなことはありませんし、診断書が出ているのに無理やり呼び出そうとすることもないでしょう。
いろいろと考えましたが、心理的にはドメスティック・バイオレンスと同じようなもので、社長は絶対にお認めにはならないでしょうが、要は●●さんに「離れていってもらっては困るが、自分の思い通りに動かしたい存在」として「ベッタリ甘えている」に過ぎないわけです。
●●さんと社長は長いお付き合いのようですが、長いお付き合いになってしまったのは、●●さんが良くも悪くもガマンしてこられたからでしょう。
毎日毎日「ダメだ、レベルが低い、頭が悪い、仕事ができない、使えない」などと言っていても、決して社長は●●さんを切ろうとはしない。
今までさんざん有為な人材に逃げられていることは推測できますので、社長としては、●●さんにまで逃げられては、また逃げられた人数の「悪しき実績」(?)が増えてしまいます。
だからガミガミ言うわりには切ろうとはしません。
むしろ「こいつにやめる勇気なんてない」とタカをくくっている。
社長のような人物にとっては、「責め続けることができる存在」が必要なのです。
そうすることで、自身の中身のなさ、薄っぺらな実力を巧妙に覆い隠し、また「俺に逆らえばこうなる」ということを見せつけることによって、間接的に他の社員をも支配しようとするわけです。
まさに私が定義するところの「体育会系」のステレオタイプとも言えるのが社長です。
残念ながら、●●さんはあの系統の人間が仕掛けるワナに長年はまり続けたのですね。
私は、わずかの期間でしたが、ほとんど「被害」を受けませんでした。
私は個人のブログを持っていますが、入社1週間も経たない8月末の時点で「社長は成り上がりの小心者だ」と記述しています。
単に木っ端のバイトに言ってもという部分もあったかもしれませんが、その時点で私は社長の「人間の小ささ」を見抜いていました。
いい加減な指示にはキッチリ質問を返し、日本語が間違っていれば臆せずに指摘し、明日までと言われたものをその日のうちに仕上げる、など、とにかく「スキ」だけは見せないように注意をしてきました。
要するに「言うときは言う」「戦うときは戦う」という姿勢を見せ、イメージ(相場とも言います)を作る努力をしたのです。
努力が強すぎたのかは分かりませんが、そのうち普通に話しかけることすらしてこなくなりました。
体育会上がりの人は基本的に「弱いものいじめ」が体にしみついていますので、怖がっているとか、弱いところを見せないことが大切でした。
●●さんご自身は、▲▲▲の契約終了の3月末で1つ区切りを付けられるようですね。
あと半年足らずとはいえ、これからの毎日も大変だろうと思います。
愚痴の吐き出し口にでもなれればよかったのですが、私自身もほとほと疲れましたので、もうすぐここを去ります。
今後は、少しは強いところも社長に見せられてはいかがですか。
「一矢報いる」ではありませんが、●●さんの最後の「意地」を期待します。
和歌の朗唱とか、写真とか、ブログも書いておられて、多彩な才能をお持ちなのですから、区切りを付けられた後は、肩の荷を降ろして楽しく過ごされることと思います。
私はわずかな期間で去ることになりましたが、ここでのことは忘れないと思います。
短い間でしたが、本当にありがとうございました。
(引用終わり)
一時は印刷して本人に渡そうかと思ったが、渡さないことにした。
すでに昨日の話し合いで「相互不信」が明らかになり、渡ったところで反応一つないだろう。
それでも、直接の上司として、せめてもの感謝や表現しにくい微妙な気持ちも込めて本欄に公開し永く保存するものである。
午前中は、働く者として、かつもうすぐこの環境を去る者の立場から、今まで本欄でも書いてきた事柄をダメもとでも直接ぶつける内容、午後は直の上司としてお世話になったS氏への私人としてのメッセージである。
公人としてのものは当然要望にも近い強い内容(特に「ザル」とも言える情報管理体制やオフィスのあまりの汚さを指摘するもの)にしたが、私人としてのものは今までさんざん社長にいじめられてきたS氏個人に多少思いを寄せる内容にした。
今日は、S氏へのメッセージのほうを公開する。
コピペとなってしまうが、原稿に時間と分量はかかっているのでご容赦願いたい。
固有名詞の部分は当然伏せてある。(黒丸で伏せてある部分がS氏。あと、同じ記号は同じ名前が入ります。見苦しいですがご容赦ください)
(以下引用)
お疲れ様です。
本日の日報には、報告といいますか最後のお願いのようなものをお付けしました。
あくまでもうすぐ当社を去る人間としての公の立場で書きましたので、耳障りのよくない内容になっていますから、適当に流していただいてかまいません。
さて、本文では、あくまで私人として私なりのメッセージをお伝えします。
確かに社長は厄介な存在でしたが、悪人などおらず、ただどうしてもかみ合わなかったということだと思います。
とは言いましても、●●さんのプライベートなことまではほとんど知らないまま終わることになりました。
ここでは、9月に▲▲▲の○○女史が話してくださったことをもとに書きます。
もう時効だと思いますので書きますが、9月24日は「△△△△△まつり」の2日目ではありましたが、平日ということもあり人通りもあまり多くなく、展示会のの受付は入り口付近に張り付かないで事務所の中におり、音が鳴ったら出るという感じで、誰もいないときは「おしゃべり」をしていました。
その日は▲▲▲は私にとってはわずかに3回目の訪問であり、もちろん○○女史とお会いするのも3回目でした。
人も来ないし、どうやって17時までと思っていましたがそれは杞憂に終わり、話がはずんではずんで仕方がありませんでした。
実質初対面の方と、時間も忘れるくらいにいろいろなお話ができたことは当社にいたわずか2ヶ月の間でも忘れられない一番の思い出です。
唐突に「▲▲▲にはお世話になったから、あいさつに行きたい」と申し上げたのにはそういう理由があるのです。
2ヶ月間同じ建物にいてもコミュニケーションがままならず「相互不信」のままお別れというケースがある一方、実質初めてでも奥の深~い話ができることもあります。
ここで理由や比較はあえて言いません。
「波長が合った」とか、「人間ふしぎ」ということで乱暴にくくっておきます。
具体的には、お互いに格好を付けず、心を開いたからこそ、ぶっちゃけの話までできたのだろうと思います。
さて、●●さんに関する話としては、一時ストレスから体調を崩されたやに聞きました。
当時、診断書までもらわれて1週間ほどお休みをいただいたにもかかわらず、2日目あたりには早くも社長から出社の要請があったとか。
この話を聞いて、少なくとも私は××社長なるものがどういう人物か、本当に恐ろしい気持ちになりました。
話は飛びますが、私が最初に面接に来て社長とお話ししたとき、いつもの威圧的なあの調子ですので、私はいい加減帰りたくなって適当にボソボソと答えていましたら、「お前、ウツ病と勘違いされるぞ」と言われました。
私も実はストレスから体調を崩した経験がありますので、こういう発言には敏感です。
半ギレ状態で「そんなものには1回とっくになっています」と答えました。
すると、社長は急にオロオロとした感じになって、「お、おれも社内でそういう人間見たことある。ほ、ほ、本を読んでウツ病のべ、勉強もした。ウ、ウツ病のことは、わ、わ、分かっているつもりだ!」などとあわてて言い訳を始めました。
私はその頃は社長をまだ信じていましたので、「精神疾患にもいちおう理解のある方なんだな」と思ったのですが、今となっては明らかな差別発言だったのです。
戻りますが、日頃の社長を拝見しておりますと、本当にウツ病について勉強したのかなと思えるような言動ばかりでした。
面接での「勉強している」という発言は「真っ赤なウソ」でした。
むしろ、被害者がいちばんウツ病になりやすいパターンの典型と言えます。
仕事そのものにとどまらず、経歴や人生そのものにまで平気で土足で踏み込んで言葉の暴力、時には手まで出してくるやり口は、もはやまともな人間の域にはなく、野蛮の一言であると思います。
こんな方がよく経営者であり、複数の公職にいられるものだと思います。
なんだかんだ言っても、社長は●●さんがいなければ何もできない。
そうでありながら、あまりにも●●さんは粗末に扱われすぎている。
イヤイヤでも自分の「右腕」として動いてくれている●●さんを、社長本人はモノのようにしか思っていない。
そうでなければ、先日のように、トイレの途中にドアを開けられ「おちおちトイレもできない」ようなことはありませんし、診断書が出ているのに無理やり呼び出そうとすることもないでしょう。
いろいろと考えましたが、心理的にはドメスティック・バイオレンスと同じようなもので、社長は絶対にお認めにはならないでしょうが、要は●●さんに「離れていってもらっては困るが、自分の思い通りに動かしたい存在」として「ベッタリ甘えている」に過ぎないわけです。
●●さんと社長は長いお付き合いのようですが、長いお付き合いになってしまったのは、●●さんが良くも悪くもガマンしてこられたからでしょう。
毎日毎日「ダメだ、レベルが低い、頭が悪い、仕事ができない、使えない」などと言っていても、決して社長は●●さんを切ろうとはしない。
今までさんざん有為な人材に逃げられていることは推測できますので、社長としては、●●さんにまで逃げられては、また逃げられた人数の「悪しき実績」(?)が増えてしまいます。
だからガミガミ言うわりには切ろうとはしません。
むしろ「こいつにやめる勇気なんてない」とタカをくくっている。
社長のような人物にとっては、「責め続けることができる存在」が必要なのです。
そうすることで、自身の中身のなさ、薄っぺらな実力を巧妙に覆い隠し、また「俺に逆らえばこうなる」ということを見せつけることによって、間接的に他の社員をも支配しようとするわけです。
まさに私が定義するところの「体育会系」のステレオタイプとも言えるのが社長です。
残念ながら、●●さんはあの系統の人間が仕掛けるワナに長年はまり続けたのですね。
私は、わずかの期間でしたが、ほとんど「被害」を受けませんでした。
私は個人のブログを持っていますが、入社1週間も経たない8月末の時点で「社長は成り上がりの小心者だ」と記述しています。
単に木っ端のバイトに言ってもという部分もあったかもしれませんが、その時点で私は社長の「人間の小ささ」を見抜いていました。
いい加減な指示にはキッチリ質問を返し、日本語が間違っていれば臆せずに指摘し、明日までと言われたものをその日のうちに仕上げる、など、とにかく「スキ」だけは見せないように注意をしてきました。
要するに「言うときは言う」「戦うときは戦う」という姿勢を見せ、イメージ(相場とも言います)を作る努力をしたのです。
努力が強すぎたのかは分かりませんが、そのうち普通に話しかけることすらしてこなくなりました。
体育会上がりの人は基本的に「弱いものいじめ」が体にしみついていますので、怖がっているとか、弱いところを見せないことが大切でした。
●●さんご自身は、▲▲▲の契約終了の3月末で1つ区切りを付けられるようですね。
あと半年足らずとはいえ、これからの毎日も大変だろうと思います。
愚痴の吐き出し口にでもなれればよかったのですが、私自身もほとほと疲れましたので、もうすぐここを去ります。
今後は、少しは強いところも社長に見せられてはいかがですか。
「一矢報いる」ではありませんが、●●さんの最後の「意地」を期待します。
和歌の朗唱とか、写真とか、ブログも書いておられて、多彩な才能をお持ちなのですから、区切りを付けられた後は、肩の荷を降ろして楽しく過ごされることと思います。
私はわずかな期間で去ることになりましたが、ここでのことは忘れないと思います。
短い間でしたが、本当にありがとうございました。
(引用終わり)
一時は印刷して本人に渡そうかと思ったが、渡さないことにした。
すでに昨日の話し合いで「相互不信」が明らかになり、渡ったところで反応一つないだろう。
それでも、直接の上司として、せめてもの感謝や表現しにくい微妙な気持ちも込めて本欄に公開し永く保存するものである。