スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第四部定理五六系&証言者

2017-02-13 19:21:54 | 哲学
 高慢superbiaおよび自卑abjectioという感情affectusが人間の無能力impotentia,potentiaと正反対の意味で無能力であることを示した第四部定理五六には,ひとつの帰結事項が付されています。それが第四部定理五六系です。
                                     
 「これからきわめて明瞭に帰結されるのは,高慢な人間および自卑的な人間はもろもろの感情に最も多く従属するということである」。
 感情に従属するというのは,受動感情に従属するという意味です。つまり第三部定理五九に示されている能動的な感情はここでは無関係です。要するにこの系Corollariumの意味は,高慢な人間と自卑的な人間ほど働くagereことが少なく,働きを受けるpatiことが多い人間はないということです。
 第四部定義八にあるように,人間にとっての力とは,人間が十全な原因causa adaequataとなること,すなわち能動的に働くことです。高慢な人間と自卑的な人間はこれと真逆の意味で無能なのですから,それだけ働きを受けることが多いというのは自明の理でしょう。したがって第三部諸感情の定義一に示される人間の本性humana naturaが,こうした人の現実的本性actualis essentiaをより多く構成することになります。
 なおまたこの系は,第四部定理五五から帰結させることも可能であると僕は考えます。なぜなら,自分自身について無知である人は,自分自身について理性的に概念するconcipereことができない人であることを意味します。しかるに理性ratioは精神の能動actio Mentisですから,こうした人は精神の能動を発揮することはできず,もっぱら精神の受動に隷属することになるであろうからです。
 そしてこの系は,スピノザが『国家論Tractatus Politicus』で展開した,女は男と同等の権利jusを政治に参加する場面で有するべきではないという見解と反する哲学的見解です。というのもスピノザはその理由を,女は理性的であることができないということに求めていたからです。しかし『エチカ』が示しているのは,最も理性的であることができないのは高慢な人間と自卑的な人間であるということなのです。高慢であったり自卑的であったりすることに男も女も関係ありません。むしろそういう人間こそ政治に参加する権利を有さないのだと主張した方が,たとえ暴論ではあったとしても,哲学と政治論の間の均一性は保たれたでしょう。

 『スピノザの生涯と精神』に訳出されている,フロイデンタールJacob Freudenthalが収集した資料のうちには,ふたつの伝記のほかに,クリスティアン・コルトホルトが1680年に出版した『三人の欺瞞者論De Tribus Impostoribus Magnis』に,息子のセバスティアン・コルトホルトが序文を付して1700年に再販されたその序文と,ピエール・ベールが1695年から1697年にかけて出版し,1702年に改訂版の第三巻として出版した『批判的歴史辞典』のスピノザの項があります。このうち,ベールの著述の中には,セバスティアン・コルトホルトによる序文からの引用があり,セバスティアンは可能な限りスピノザの生涯を調査するためドイツからオランダまで出掛けたという主旨の記述があります。セバスティアンは序文を書くにあたり,逆にベールの改訂前のものと,遺稿集Opera Posthumaに付されたイエレスJarig Jellesによる序文も参考にしたようですが,オランダに行った際にはファン・デル・スぺイクに会って取材しています。スぺイクの名前はイニシャル化されていますが序文の中に出ています。
 したがって,これら四種類の資料のうち,コレルスJohannes Colerusの伝記とセバスティアンの序文とベールの改訂版は,直接的にであれ間接的にであれ,スぺイクの証言が基になっていることになります。これに対して,リュカスJean Maximilien Lucasは伝記を記述するにあたってスぺイクに取材する必要はなかったので,スぺイクの証言が基になって書かれたという部分はないと考えることができます。
 フロイデンタールが,場合によっては親スピノザの立場から書かれたリュカスの伝記の方が,思想的には反スピノザの立場から書かれたコレルスの伝記より信用に値すると判断している理由は,その部分にあります。有体にいえば,フロイデンタールは証言者としてのスぺイクは,あまりあてにならないと考えているのです。そして確かに,スぺイクはあたかも自分の面前でスピノザがシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesからの資金提供の申し出を断ったかのようにコレルスに話したのだと想定することが可能なので,フロイデンタールのいうことに一理あるとしなければならないでしょう。よってフロイデンタールは,セバスティアンやベールの記述の信憑性も疑っています。
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国際競技支援競輪&宿主

2017-02-12 19:34:17 | 競輪
 被災地支援競輪として小田原競輪場で開催された国際自転車トラック競技支援競輪の決勝。並びは根田-小埜-田中の千葉,堀内-新田の南関東,石塚-西岡の和歌山,松川-渡部の西国。
 根田がスタートを取って前受け。4番手に堀内,6番手に松川,8番手に石塚の周回。残り3周のホームから石塚が上昇。バックで根田に並び掛けたあたりで根田も突っ張る構えをみせましたが,石塚が叩いて前に出て,根田は3番手に。残り2周のホームに入ると3番手から根田が発進。小埜が踏み遅れて離れましたが,バックで追いつき番手を確保。4番手に石塚でしたが打鐘前から堀内も動いていき,田中の後ろには堀内。新田の後ろに石塚と松川が併走するような隊列に。バックに入ると堀内が発進。しかし小埜が番手から出ていったので前まではいかれず。小埜の後ろの田中が直線入口の手前から踏み込むと小埜を交わして優勝。後方から捲った松川の勢いをもらった渡部がバンクの中ほどから伸びて1車身差で2着。最後まで外を踏み上げていた堀内が4分の3車身差で3着。
 優勝した千葉の田中晴基選手はGⅢ初優勝。このレースは根田がどういう走りをするかによって結果が大きく変わるだろうと推測できました。後ろを引き出すような駆け方になったので,展開的には自力もある小埜が有利に。しかし踏み出したとき一時的に離れてしまい,そこで脚力を消耗していたのでしょう。堀内の捲りに合わせて発進した時点で,余力はそう残っていなかったようです。むしろ小埜にはしっかりと続いた田中は余力十分で,直線では抜け出すことができました。ラインから優勝者が出ましたので,千葉勢の作戦が成功したというところではないでしょうか。

 シモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesが生前に金銭の提供を申し出たけれどスピノザはそれを断ったという逸話は,リュカスJean Maximilien Lucasの伝記にも書かれています。このことからもそれは事実であったと断定できると思います。リュカスはスピノザの友人であり,少なくともフリースの遺言による年金をスピノザが受け取っていたということは知っていたと思われます。たぶんこの話も,スピノザから直接に聞いたことであったでしょう。ですがコレルスJohannes Colerusはそれをスピノザの話として聞くことはありませんでした。コレルスの取材対象はスぺイクだったのですから,スぺイクからこれを聞かされたのだと思われます。
                                     
 確かに金銭の提供を断ったというコレルスによる記述は真理だったと思われます。しかしそれを宿主の前で断ったとコレルスは書いているのです。この宿主とはだれのことでしょうか。
 コレルスはスぺイクに取材したことを基に伝記を書いたのですから,この宿主はスぺイクと解釈するのが妥当です。そして僕は事実,コレルスはそういう意図でこの部分を記述したと考えます。他面からいえば,コレルスの精神のうちに,スピノザがスぺイクの面前でフリースからの金銭の提供の申し出を断ったのだという認識があったのだと考えます。スぺイクがどういうようにこのことをコレルスに語ったのかは分かりません。ただ少なくとも,コレルスがそのように認識し得るような形でスぺイクは話したのだと僕は考えます。この見解はフロイデンタールJacob Freudenthalと一致してるといって間違いありません。
 しかしこれは事実に反するのです。フリースは1667年には死んでいます。そしてスピノザがスぺイクの家に居住するようになったのは1671年5月です。なのでスピノザがフリースの申し出をスぺイクの面前で断るのは不可能だからです。おそらく申し出はスピノザがフォールブルフVoorburgに住んでいるときになされたものと推測されますので,もし断ったのが宿主の面前であるのなら,その宿主はティードマンでなければなりません。ですがティードマンは1677年,すなわちコレルスがオランダに来る前には死んでいるので,コレルスがティードマンから話を聞くことはできなかったのです。
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朝日杯将棋オープン&信憑性

2017-02-11 19:49:53 | 将棋
 有楽町朝日ホールで指された第10回朝日杯将棋オープンの決勝。対戦成績は村山慈明七段が1勝,八代弥五段が1勝。
 振駒で村山七段が先手となり得意とする角換り相腰掛銀。先手が誘導するために飛車先の歩を伸ばし,後手が留めることができたので八代五段も受けて立ったというところでしょう。この将棋は後手が突き捨てた9筋から先手が反撃した構想があまりよくなく,中盤からは後手がリードしていたと思われます。しかし終盤でややもつれるところがありました。
                                     
 後手が3二の金を上がって逃げ道を作ったところ。先手は☗6二と☖同飛と捨ててから☗5二銀打としました。単に打つと☖3二玉と逃げる手が生じるのでそれを避けたものだと思われます。
 これだと逃げると☗7二成香で飛車が捕まりますので☖同飛☗同銀不成☖同玉と進みました。この局面で☗9二飛と打てば王手馬取りですが,馬を取っても大したことないとみて☗3一金と寄りました。しかし次の☖7七歩成もいい手で,どちらが得の交換だったかは不明です。
 先手はそこで☗9二飛と打ち☖8二歩の中合いにやはり馬は取らず☗同飛成としました。このときにまた☖7二歩と中合いできるのが☖7七歩成とした効果です。
 ここで☗同龍は☖6二金と打たれるので☗同成香。この局面は先手玉が詰むか,駒を渡さずに☖6四馬と王手龍取りで引ければ後手の勝ちになります。この後の進行から察すると後手はどちらかが可能とみていたものと思われますが,☖7八と寄☗5九王☖6八と寄☗4八王☖5九銀☗3八王☖4九銀☗2九王となった局面は先手玉が詰みませんでした。
                                     
 受けに回るほかなくなった後手は☖4二玉。これには☗7一龍の一手。後手は桂馬を残して☖5一銀と受けました。先手は☗4四歩。
 この局面は後手玉の詰めろが途切れたので詰めろを掛け続ければ後手の勝ちです。それで☖6四馬と引きましたが,これは危険な手で,☖2六桂と打つのが正しかったようです。
 ☗4三歩成☖同玉☗5三桂成☖3三玉と進みました。
                                     
 ここで☗3七金と受けたのであとは分かりやすく後手の勝ちになっています。ただこの局面では☗3二金打と王手した方が難しかったようです。☖4四玉☗5四成桂☖同馬☗5一龍と進んだ局面は後手玉が詰めろ。☖3八銀打から馬を外しにいくことになりますが,まだ一山はあったものと思われます。
 八代五段が優勝。棋戦初優勝です。

 リュカスJean Maximilien Lucasは親スピノザの立場から,コレルスJohannes Colerusは反スピノザに近い立場からそれぞれの伝記を記述しました。どちらがスピノザの人生を公平な視点から評価できたのかといえば,コレルスの方であると僕は漠然と認識していました。というのも一般的にこの時代のスピノザの思想は排斥されるべきものとして認識されていたのですから,リュカスはそうした一般的な見解に対しても反駁する必要があったのに対して,コレルスはそうしたことには無頓着であることができたからです。実際にリュカスの伝記の中には,僕が読んでも必要以上にスピノザを賛美しすぎているのではないかと感じられる部分がありました。
 こうした理由から,スピノザの人生で起こった同じ出来事に関して,リュカスとコレルスが異なったことを記述している場合には,コレルスの記述の方が真実であった,あるいは真実に近かったと解しておくのが安全であろうと僕は思っていたのです。しかしフロイデンタールJacob Freudenthalは,必ずしもそうではなくて,場合によってはリュカスの方が真実,ないしは真実に近いことをいっているのだという見解を示しています。そして,ここの部分が重要なのですが,フロイデンタールがそうした見解をもつ理由について語っている内容が,僕にはとても納得できるものであったのです。おそらく僕がこれから示していく事柄は,必ずしもコレルスの記述の方が真理に近いというわけではなく,リュカスの記述の方を信頼した方がよい場合もあるのだというフロイデンタールの見解を,さらに補足することができるのではないかと思います。
 コレルスの伝記の中には,少し調べれば明らかに誤りであることが分かる部分が含まれています。まずその部分を示し,なぜそうしたことが生じたのかを考えていくことから始めます。
 コレルスによれば,かつてシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesがスピノザに金銭の提供を申し出たときに,宿主の前で丁重に辞退したとされています。フリースは死後に遺言としてスピノザに年金の支払いを命じ,スピノザは減額しましたがそれを受け取っていますから,フリースが生きていた頃にもそういう申し出と辞退があったのは事実であると思われます。
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棋王戦&コレルス

2017-02-10 19:17:17 | 将棋
 5日に焼津で指された第42期棋王戦五番勝負第一局。公式戦初対局。
 振駒で先手になった千田翔太六段は初手に☗7八金。渡辺明棋王が☖8四歩と応じたので角換りに進みました。中盤以降端からの攻めが厳しく,後手が優位に立ちました。一時的には勝勢に近いところまでいっていたかもしれません。
                                     
 先手が8五の金で銀を取った局面。これは詰めろではないので後手は攻めることができます。まず☖7七とと取って☗同桂に☖8六角と打ちました。
 この手は最善ではなく☖4三角と受ける方が優ったようです。ただ先手玉だけでなく先手の攻め駒をも攻める手なので,このように打つのも理解できます。
 先手が☗6一銀と打ったときに☖5一王と逃げたのは悪手で,☖6三王と上に逃げなければいけませんでした。☗7二銀不成☖5二王のときに☗6一銀不成とするのは連続王手の千日手に至るので先手は手を変える必要がありますが,変わって攻める手はなかったようです。
 5一に逃げたので先手は☗7二銀成としました。これには☖5二王の一手で☗6一成桂と追撃。ここも☖4三金の一手ですが☗6二成桂☖5三王☗4一龍と進んで受け難くなりました。それで☖7八成香☗5八玉。
                                     
 後手はさらに☖6八成香と追って先手の勝ちになりました。僕がウェブ上でみたコンピュータソフトの解析ではそこで☖8五角が指摘されていて,それは勝負手としてあったかもしれません。☗同金なら☖同桂と上に逃げ出そうという意図。それを避けて☗7四歩と受けるなら☖6七角成☗同玉☖6八金☗5七玉のときに☖7五角と王手で金を取り☗4六玉に☖4五歩の王手で反対側に逃げ道を作り,その後の先手の応手次第で最もよいときに☖4八角成とするという意図ではないでしょうか。それでも先手が勝ちかもしれませんし,ソフトであるがゆえに発見できた手ともいえそうですが,もしこの勝負手で難解なら,先手は☖7七角成と王手で取られる変な手ですが第2図のところで☗5九玉と逃げておいた方がよかったという結論にはなるでしょう。
 千田六段が先勝。第二局は18日です。

 もうひとつの伝記を書いたコレルスJohannes Colerusについては,最初からある程度の素性が知られていました。
 コレルスはデュッセルドルフの産まれですからドイツ人であったと思われます。神学を研究し,まず同じドイツのミュールハイムで説教師になりました。ドイツもオランダと同様にプロテスタントが多いところでしたが,オランダで王党派と結び付いていたカルヴァン派ではなく,ルター派です。マイエルLodewijk Meyerはルター派のプロテスタントで,理性ratioによって聖書を解釈するべきという主旨の『聖書解釈者としての哲学Philosophia S. Scripturae Interpres』を書いていることから,ルター派はカルヴァン派より自由思想に寛容であったと判断してよいと思います。
 1678年にルター派の説教師としてオランダのウェースプに招聘されました。スピノザが死んだのは1677年2月ですから,スピノザと直接に会う機会はもたなかったことになります。そして同年の9月にはアムステルダムAmsterdamに移り,さらに1693年にハーグに招聘されました。このときに住んだ住居が,スピノザがハーグで最初に住んだファン・デル・ウェルフェという未亡人の屋敷の三階部分の屋根裏でした。ただし,そのときにはウェルフェは死んでいたので,コレルスはウェルフェからスピノザの話を聞くことはできませんでした。
 コレルスがハーグで説教師として活動したとき,その説教を聞きに来ていた信者の中に,ファン・デル・スぺイクHendrik van der Spyckがいました。スピノザはウェルフェの家からスぺイクの家の一階部分に移住し,そこで死んだのでした。コレルスがスピノザに関心を抱いたのは,かつてスピノザが住んでいたところに自身も住むようになったからであったと思いますが,スぺイクから直接的にスピノザのことを聞くことができたので,伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaを書くという動機の最大の原因となったのは,むしろスぺイクとの出会いの方であったというべきかもしれません。
 ルター派はカルヴァン派より自由思想に寛大で,だからコレルスもスピノザの伝記を書いてもよいと思えたのでしょう。しかしスピノザは信仰心はありませんでしたから,その点は伝記の中で厳しく批判されています。つまりコレルスは反スピノザの立場に近かったのです。
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表彰選手&リュカス

2017-02-09 19:38:51 | 競輪
 昨年の競輪の表彰選手は1月30日に発表されました。
                                     
 MVPは京都の村上義弘選手。3月の日本選手権競輪KEIRINグランプリ2016に優勝。4月の高知記念も優勝しました。昨年はビッグを2勝したのが村上だけ。しかもダービーとグランプリでしたからこれは文句なしでしょう。2002年と2003年,2010年2011年2012年,そして2014年に優秀選手賞に選出されていましたが,MVPはこれが初めてです。
                                     
 優秀選手賞はふたり。まず埼玉の平原康多選手。競輪祭で優勝し,7月の小松島記念も制覇しました。競走得点が2位と安定した成績でビッグを制したのが評価の対象になったものと思われます。2009年,2015年に続き2年連続3度目の受賞。
 もうひとりは京都の稲垣裕之選手。寛仁親王牌で優勝し,その直前には向日町記念も制覇。獲得賞金では平原を上回りました。昨年は特別敢闘選手賞で初受賞。優秀選手賞は初めてです。
 ふたりだけでしたが,同じようにビッグを制し,記念競輪も1勝して獲得賞金では稲垣をさらに上回った新田祐大も選出されてよかったような気はします。
 優秀新人選手賞は青森の新山響平選手。7月に函館記念を優勝しました。このカテゴリーの選手が記念競輪を制覇するのは容易でなく,順当な選出でしょう。
 熊本の中川誠一郎選手が特別敢闘選手賞に選出されています。熊本で大きな地震があった直後にダービーを制し,さらに地元の熊本記念を優勝したというインパクトが強かったからでしょう。自然災害は選手の脚力とは何ら関係がありませんが,県別に登録され,地区ごとにラインを組むケースが多い競輪という競技の特殊性からして,これはこれでありだろうと個人的には思います。

 『スピノザの生涯』の中には,これまで僕が漠然と認識していた事柄について,それを改める必要があると感じさせられる内容が含まれていました。ただしそれは,スピノザの哲学に関係するものではありません。また,スピノザの人生の中で起こった出来事の解釈に直接的に関係するものでもありません。スピノザに関する資料の取り扱い方に関してです。ここからはそのことに関して詳しく説明していきます。
 『スピノザの生涯と精神』の中には,分量としては少ないながら,リュカスJean Maximilien Lucasによる伝記とコレルスJohannes Colerusによる伝記が含まれていました。このうち,リュカスの伝記とされているリュカスがだれであるのかは判然としていませんでした。ゲプハルトはフランス人の医師と推定していたそうです。そして渡辺義雄の調査によれば,フランスのルーアンにリュカス・ヤンセンという名の説教師がいて,1697年にハーグで死んだその息子が著者であったと結論づけられています。渡辺はこれが医師であると書いていないので,ゲプハルトが推定したのと同一人物であるかは判然としない面があるのですが,フランス人であったことは間違いないようなので,おそらくゲプハルトの推測が正しかったものと僕は判断しています。
 ハーグで死んでいることから分かるように,リュカスは産まれはルーアンだったのですが,いずれかの時代にオランダに移っています。この時代のヨーロッパではオランダが最も自由な気風に満ち溢れていた国でした。デカルトがそうであったように,フランス人でありながらオランダで暮らすようになった人というのは少なからず存在したようで,リュカスもまたそうした人のひとりであったかもしれません。そうした人たちはフランス軍のオランダ侵略にもむしろ批判的であったようです。
 オランダに移ったリュカスは,何らかの理由でスピノザと知り合い,友人となったようです。つまりリュカスは生前のスピノザを知っていた人物だったことは確定してよいものと思われます。フロイデンタールJacob Freudenthalも,リュカスはスピノザの葬儀に間違いなく参列したであろうと書いています。つまりリュカスは親スピノザという立場だったことになります。
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報知グランプリカップ&奇妙

2017-02-08 19:18:10 | 地方競馬
 第53回報知グランプリカップ。イッシンドウタイがレース直前に競走除外となり11頭。
 逃げたかった馬が不在だったようで,前の隊列がなかなか定まりませんでした。発走後に前に出ていたのはアサヤケ。これに外からエンパイアペガサスが並んでいく形。1コーナーを過ぎてから外のエンパイアペガサスの方が体半分ほど前に出て,この馬が逃げる形に。半馬身ほどで内にアサヤケ。単独の3番手にムサシキングオー。この後ろは内にモンサンカノープス,中に発走直後はかなり行きたがっていたタイムズアロー,そして外にポイントプラスの3頭が併走となりました。最初の800mは50秒6のミドルペース。
 前の2頭は内外が入れ替わることなく,外のエンパイアペガサスが半馬身ほどリードを保ったまま直線に。このあたりでアサヤケは一杯。代わって外からムサシキングオーが2番手に。ここからは逃げたエンパイアペガサスをムサシキングオーが追い掛けていくレースに終始。並ぶところまではいきましたが抜くことはできず,途中からの逃げきりでエンパイアペガサスが優勝。ムサシキングオーがアタマ差の2着。ムサシキングオーの後ろにいたモンサンカノープスが流れ込む形で3馬身差の3着。
 優勝したエンパイアペガサスは岩手でデビューした4歳馬。デビュー後の2戦は2着。その後は岩手ダービーなども含め8連勝。ダービーグランプリで2着になった後,浦和に転入。転入初戦のA2戦は4馬身差の快勝。前走のオープンは暴走気味に逃げてしまい3着。南関東重賞は初挑戦での勝利。能力的にはどう考えても勝てる馬で,折り合いがつくかどうかがポイントでした。外から先頭に立ってインの馬が引いてくれないというのは,折り合いのつきやすい展開とはいえなかったと思いますが,暴走することなく能力を発揮できました。斤量の面では恵まれていたのですが,もっと活躍することが可能ではないかと思います。3代母の半妹に1996年の京都牝馬特別と1997年の中山牝馬ステークスを勝ったショウリノメガミ
 騎乗したのは転入前の主戦だった岩手の村上忍騎手で南関東重賞は初勝利。管理している浦和の平山真希調教師は開業から5年半で南関東重賞初制覇。

 スピノザが『国家論Tractatus Politicus』で自身の哲学から帰結しようのない政治論を展開したことを奇妙といえるかは,それをどう解釈するかということと関係します。
                                     
 スピノザの哲学では必然と不可能が対置されます。その規準となるのは第一部公理三です。一定の原因が与えられれば結果が生じるのは必然であり,何の原因も与えられなければ結果が生じることは不可能です。よって第一部定理二九にいわれるように,自然のうちには必然的なものだけが存在し,それ以外のものが存在することは不可能なのです。
 ここから分かるように,スピノザが展開した政治論も,ある原因から必然的に発生したものです。この意味でいうならスピノザがそうした政治論を展開したことは何ら奇妙ではありません。『国家論』の論述をみる限り,おそらくその政治論の原因の一端となったスピノザの精神mensのうちにあった観念ideaは,男と女が等しく支配している民族や男が女より劣っている民族が歴史的に存在していないという表象imaginatioです。もちろんそれだけが原因であったとは断定できませんが,部分的原因causa inadaequata,causa partialisのひとつを構成したことは間違いないと僕は思います。すべての原因を措定することはできませんが,確かにスピノザの精神のうちには,『国家論』で展開した政治論を結果として必然的に発生させる別の観念があったのです。したがってこのように解する限り,この事態は奇妙であるとはいえません。
 しかし,もしスピノザ自身の哲学を,その政治論の原因として措定した場合には,そのふたつの間には因果関係が発生しようがないので,奇妙であるという結論になります。つまりナドラーSteven Nadlerが奇妙であるといっていることの具体的な意味は,スピノザの哲学が原因となって政治論が帰結することはあり得ないということなのであって,ある意味では同義反復です。ただこのような意味において奇妙であるということが著しく妥当性を欠くということはないでしょう。
 とくに,スピノザの哲学以外に政治論を帰結させる原因を発見できない場合,この政治論はより奇妙に感じられる筈です。でも,ナドラーはそれは分かっていたけれど,あえて奇妙といういい回しをしたのだと僕は解します。
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農林水産大臣賞典佐賀記念&ナドラーの批判

2017-02-07 19:16:52 | 地方競馬
 第44回佐賀記念
 それぞれが出方を窺うような感じからリッカルドがハナへ。単独の2番手がロンドンタウン。3番手はカツゲキキトキトでしたが,内を回っていたタムロミラクルとコーナーごとに入れ替わるような追走。少し離れてキョウワカイザー。また間が開いてストロングサウザーという隊列。スローペースだったと思われます。
 3コーナーを回るとロンドンタウンがリッカルドに並び掛けていき,コーナーの途中でこれを交わして直線では先頭。タムロミラクルがその外に出しましたが,直線ではロンドンタウンの方が一方的に差を広げていき,4馬身差の圧勝。タムロミラクルが2着。タムロミラクルのさらに外から追ったカツゲキキトキトを,2頭の中を突いたストロングサウザーが捕えて半馬身差で3着。カツゲキキトキトが1馬身差で4着。
 優勝したロンドンタウンは昨年の10月に1600万を勝ってオープン入り。その後の重賞2戦はさほど離されていたわけではありませんが,掲示板を確保できていませんでした。ただその2戦と比べるとここは相手関係が格段に楽になっていたので,優勝候補の1頭だろうと評価していました。大きく差をつけた点は評価しなければならないでしょうが,相手がさらに強くなって通用するのかどうかは何ともいえません。このレベルのレースに出走するなら優勝候補になるのは間違いないでしょう。父はカネヒキリ
                                     
 騎乗した川田将雅騎手は第39回以来5年ぶりの佐賀記念2勝目。管理している牧田和弥調教師は佐賀記念初勝利。

 『知の教科書 スピノザ』における『国家論Tractatus Politicus』の批判は,同時代の思想家の政治論との比較の上でなされているわけではありませんし,スピノザの哲学との関連が言及されているわけでもありません。なので僕はジャレットの批判は,間違っているとは少しも思いませんが,同時に批判として十分であるとはいえないのではないかと思うのです。
 実際のところ,スピノザと同時代に,女も男と同等の権利jusをもって政治に参加するべきであると主張した思想家が存在したわけではありません。そもそもこの時代は民主制自体が一般的ではなかったわけですから,すべての男が同等の権利をもって政治に参加するということの方が稀であったのです。そういう意味でいえば,たとえば封建制や貴族性を主張した思想家と比べたときには,民主制を最良の政治と主張したスピノザの方が進歩的であったといえます。よって,同時代の思想家と比較した上でスピノザが展開した政治論を批判するというのは,事実上は不可能であるといっていいのかもしれません。ですが,その政治論がスピノザの哲学からは帰結しようがないというのが僕の見解であり,この方面からの批判は,僕がしたように可能であるといえるでしょう。そうした批判を企てているものとしては,『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』があります。
 ナドラーSteven Nadlerはそこで,スピノザの哲学が主張しているのは,性別と関係なくすべての人間が等しく知性intellectusを授けられ,等しく理性ratioの自立を享受できるという原理であるのだから,スピノザが『国家論』において,女は政治に参加するべきでないと主張したことは奇妙であるといっています。ナドラーはこうした政治論を,スピノザの哲学の何ものも必然的にそんな結論を導くことはないと断言していますが,僕もその見解に同意します。そしてナドラーは,確かにスピノザ自身の哲学と関連させてスピノザの政治論を批判している,つまりその間には著しい齟齬があるという仕方でスピノザを批判しているわけですから,こうした批判はスピノザの政治論に対する批判として十分なものであると僕には思えます。
 ただし,ナドラーが奇妙だといっている点にはいくらかの注意が必要です。
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岡田美術館杯女流名人戦&批判の条件

2017-02-06 19:16:03 | 将棋
 湯原温泉で指された昨日の第43期女流名人戦五番勝負第四局。
 里見香奈女流名人の先手で角道オープン三間飛車上田初美女流三段が早々に1筋の位を取ったのをみて角道を止め石田流に。後手は銀冠に構えました。先手から仕掛けて飛車角交換の変化に進む将棋でした。
                                     
 先手が飛車を打ち込んだ局面。ここで後手は☖4六銀☗同歩☖9九角成と進め,もし☗4一銀から攻められたら受けに回るのがよかったのではないかと思います。駒得が大きいので受けきれば自然と後手の勝ちになったでしょう。
 実戦は☖1三玉と早逃げしたのですが,これが早逃げにはなっていませんでした。すぐに☗1六歩と突かれ☖2五歩☗1五歩☖2六歩で玉頭戦のようになったものの自ら開けた空間に☗2五銀と打たれてしまいました。
                                     
 これが☖3六桂と打たれる手を防ぎつつ後手玉の上部脱出を防ぐ攻防の好手。玉頭戦は手厚く指せた方が自然と有利になるので,第2図は先手の勝勢に近いのかもしれません。
 里見名人が勝って2勝2敗。第五局は22日です。

 スピノザが生きていたのは17世紀のオランダです。オランダに限定する必要はなく,この時代のヨーロッパ諸国に生きていた人間にとって,女が男と同等の権利jusをもって政治に参加すべきであると主張することの方が,よほど困難であったろうことは簡単に想像できます。むしろスピノザが『国家論Tractatus Politicus』で展開したように,女は政治に参加すべきではないと主張する方が容易であったでしょう。つまり現代の民主主義国家における言論状況と真逆であったと思われます。
 だからスピノザの政治論が許容されるというわけではありません。いい換えればジャレットの批判はきわめて真っ当なものです。ただ,もしスピノザが現代の民主主義国家で生きていたとしても,同じような政治論を展開したであろうとはいえません。むしろ,女も男と同等の政治に参加する権利を有すると主張したのではないかと類推します。もちろんこんなのは僕の類推にすぎませんし,仮定自体が非現実的ですから,そうした想像自体に何か意味があるとは僕も思っていません。ただ,そうした状況の相違を無視して,20世紀あるいは21世紀の民主主義国家に生きる人間が,17世紀の思想家の政治論を批判するだけでは,批判としては十分ではないのではないかという疑問が僕にはあるのです。たとえばスピノザと同じ時代に生きていた政治学者が,困難を乗り越えて女も男と同等の権利を有して政治に参加するべきであるという見解を表明していたとして,そうした見解と比較することによってスピノザを批判するのが,政治論という枠組の中では正当な批判になり得るのではないでしょうか。
 ただし,これはあくまでも政治論という枠組のなかにおいて妥当することです。すでに述べたように,スピノザが展開したこの種の政治論というのは,明らかにスピノザの哲学思想と相反するものなのです。したがってその間に齟齬があるということについては,スピノザに対する批判として時代状況と無関係に正当であろうと僕は思います。同時にそこに齟齬があるがゆえに,スピノザが現代に生きていたら,『国家論』で示した政治論とは真逆のことを主張したであろうと僕は想像しているのです。
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春日賞争覇戦&ジャレットの批判

2017-02-05 19:11:48 | 競輪
 被災地支援競輪として行われた奈良記念の決勝。並びは山崎‐内藤の北日本,郡司‐根田‐岡村‐大西の南関東,三谷‐村上‐椎木尾の近畿。
 内藤がスタートを取って山崎の前受け。この後ろが牽制になったためにかなり差が開きました。村上が3番手から前を追っていきましたが,周回中とはいえいくぶんかスタミナをロスしたのではないかと思います。村上が内藤に追いついたところで三谷が上がって3番手に。6番手から郡司という周回に。隊列が定まったところでもうすぐ残り3周。このホーム前から郡司がすぐに上がっていき,ホームでは三谷に蓋。三谷はなかなか引かず,あるいは分断作戦かとも思いましたがバックに入ると引いて7番手に。残り2周のホームの手前から郡司が発進。山崎を叩いてそのまま先行。一時的に山崎が5番手だったのですが,三谷も動いて打鐘すぎに5番手になり一列棒状。バックから三谷が発進するも前に届く前に根田が番手捲りを敢行。そのままフィニッシュまで粘った根田が優勝。直線で追い詰めた岡村が4分の1車輪差の2着で南関東のワンツー。三谷が1車身差で3着。
 優勝した千葉の根田空史選手は記念競輪初優勝。2011年ごろから頭角を現し,記念競輪制覇は近いと思っていた選手。2013年に高知記念の優秀競走で追走義務違反の出走停止処分を受けたのですが,復帰後は思いのほか伸び悩んでいました。このレースは郡司が捨て身で駆けるのかがひとつの焦点で,そう走れば絡まれない限りは根田と岡村が圧倒的に有利。結果的に郡司は早くから全開で駆ける気に溢れていたようで,三谷としては蓋をされたところで分断策に出るほかありませんでした。引いてくれたので根田には楽な展開に。かなり大柄の選手で,それは強みに出る場合もあればエネルギーの消耗が大きいという意味で弱みとなってしまうところもあるのですが,自力でのパワーも戻りつつあるようなので,今日は郡司の助けを借りたものでしたが,自力でも出走停止以前くらいの活躍は期待できるかもしれません。

 スピノザが第四部付録第二〇項で,結婚する両者を男と女に限定し,精神の自由に基づくなら,その両者の結婚は理性ratioと一致するのが確実だということは,非現実的で不可能なことをいっているわけでなく,男であれ女であれそうした精神の自由に基づく認識が可能であることは,スピノザの哲学のほかの部分と齟齬を来すことはありません。よってここでスピノザが暗黙の裡に女が理性的であり得るということを前提していることは,真理veritasであって虚偽falsitasでも誤謬errorでもありません。一方,『国家論Tractatus Politicus』で女は本性の上で男と同等の権利jusを有さないと主張するときは,やはり暗黙裡にかもしれませんが,女は理性的であることはできないと主張しているのであって,それは真理に反します。いい換えればスピノザの哲学からの帰結自体と相反します。なぜ僕がスピノザが誤謬を犯しているのは『国家論』の方であって,『エチカ』の方ではないと考えているのかということについては,これで理解してもらえるものと思います。
 『国家論』で展開されている政治論のこの部分は,研究者からの批判も招いています。
 スピノザは男の現実的本性essentia formalisについて説明した後,これについて,すなわち女が民主政治に参加するべきではないということについてはもう十分だという意味のことをいっています。つまりそれについてはもう十分に説明し終えたと判断したことになります。そしてそれが,未完に終わった『国家論』の最後の一文となっています。
                                     
 『知の教科書 スピノザ』では,その一文を踏まえて,スピノザは十分にいったというよりはいい過ぎたという主旨のことが述べられています。つまりジャレットはスピノザのその見解は誤りであると認識していることになるでしょう。
 僕はジャレットが誤ったことをいったとは少しも思いません。むしろその批判は正当なものであるでしょう。ですが,僕にはこの批判には感心できない部分もあります。ジャレットはアメリカ人ですが,現代の民主主義国家に生きる人間であれば,女が民主政治に参加するべきではないという政治論を批判することは容易であるからです。実際,ただそれだけの批判なら,だれにでもできるでしょう。
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それから&第五部定理二一

2017-02-04 19:09:11 | 歌・小説
 夏目漱石の小説の主人公の男は,コキュよりも逆に寝盗る男の方が多くなっています。ただ,主人公が寝盗るのであれば,寝盗られる男も物語の中に存在することになります。コキュというのを寝盗られる亭主という意味に解した場合には,最も典型的なのが『それから』の平岡でしょう。
                                     
 主人公の長井代助は,中学時代からの知り合いであった平岡に三千代という女を周旋してやりました。その後ふたりは関西に転勤になります。3年ぶりに東京に戻った三千代と再会した代助は,実は自分が三千代を愛していたということを自覚し,三千代もまた自分のことを愛しているのだと確信します。このとき経済的に困窮していた平岡は,代助に対して,悪くいえば脅迫まがいのことまでするようになっていて,かつて代助が知っていた平岡からは変貌を遂げていました。これは平岡が『明暗』の小林の前身たり得るように変貌していたという意味です。代助は自分の気持ちに素直になるべきであると考え直し,三千代が平岡と別れて自分と一緒になることを提案。最終的に平岡から三千代を奪うことになります。
 これは表の物語で,その背後には代助という名前が象徴するような戦前の家父長制や明治時代の民法の規定もまた物語に組み込まれていることはすでに紹介しましたからここでは重複は避けましょう。ただ,経済的に余裕がある,といっても代助はこの一件を機に仕送りを停止されるので,その後は余裕があるとまではいえなくなる筈なので,困窮しているとまではいえないといった方がいいかもしれませんが,そういう代助と貧困状態にあるといえる平岡との三千代を巡る関係は,お嬢さんを介した『こころ』の先生とKの間の関係ともリンクするかもしれないと僕は思っています。そちらについてはいずれ僕の読解を説明しましょう。
 平岡は典型的なコキュですが,寝盗られ願望はまったくないといっていいと思います。漱石の小説には,反対にコキュとまではいえないけれども寝盗られ願望があるかもしれないと思える人物が登場する小説もあります。それについてもいずれ説明します。

 『エチカ』の中で,ここまでの僕の考察の確証をさらに強くする定理Propositioとして,意外と思われるかもしれませんが,第五部定理二一があると僕は考えています。
 「精神は身体の持続する間だけしか物を表象したり・過去の事柄を想起したりすることができない」。
 僕は想起memoriaを表象の種類のひとつと規定しますので,この定理は身体corpusが現実的に存在する場合にのみ精神mensは事物を,この事物には現実的に存在している自分の身体や精神も含まれますが,そうした事物を表象するimaginariという意味です。
 まずこの定理は,人間の身体が外部の物体corpusから刺激を受けるafficiのは,身体が現実的に存在する場合だけであるということを意味します。これは表象imaginatioというのは身体が外部の物体に刺激を受けるという様式の下に発生するのだから当然です。それと同時に,これと完全に同一の様式の下に,人間の精神は共通概念notiones communesを有するのです。いい換えれば,人間はある事物を表象したとき,この場合には外部の物体を表象したときと限定する方がよいでしょうが,必然的にnecessario共通概念も形成するのです。したがって,人間が共通概念を形成するのは,人間の身体が現実的に存在する場合だけであるという意味も,この定理の中に見出すことができるでしょう。
 共通概念による事物の認識cognitioは,精神の能動actio Mentisに属さなければならないのでした。したがって,現実的に存在する人間は必然的に精神の能動によって事物を認識するcognoscereということもこの定理から帰結させることができます。そしてこうした共通概念による認識のことが,スピノザの哲学では理性ratioによる認識といわれるのですから,これは現実的に存在する人間は必然的に理性的な認識をするという意味でもあります。よって第四部定義八でいわれている徳virtusというのは,現実的に存在する人間にとっての徳であり得ることになります。
 このことは現実的に存在する人間であれば性別を問われることはありません。つまり男にとっても女にとっても妥当します。したがってこの定理自体が,男だけが,あるいは女だけが理性的であり得るということを否定し,男も女も同じように理性的であり得るということを含意させられると僕は考えるのです。
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第四部定理六三系&徳の現実性

2017-02-03 19:22:01 | 哲学
 第四部定理六五は,もしも僕たちが理性ratioの導きに従うなら,小さな善bonumよりは大きな善を選択するであろうし,大きな悪malumよりは小さな悪を選択するであろうと述べています。これは善悪を比較されるものとしてみた場合には,小さな善というのは実は大きな善に対しては悪であり,逆に小さな悪は大きな悪に対しては善であるということを意味します。つまり第四部定理八により,AもBも喜びlaetitiaを齎すものであるとしても,Aの方がより大きな喜びを齎すならBはAに対して悪です。また,AもBも悲しみtristitiaを齎すのだとしても,Aの方がより大きな悲しみを齎すのであれば,BはAに対しては善であるのです。
                                    
 では,なぜ理性に従うなら,僕たちはより大なる善を選択し,より小なる悪を選択するといえるのでしょうか。それを証明するときに鍵になるのが第四部定理六三系です。
 「理性から生ずる欲望によって我々は直接に善に就き,間接に悪を逃れる」。
 ここでいわれている善と悪もまた,第四部定理六五が示唆するように,比較の上での善と悪です。
 理性から欲望cupiditasという感情affectusが生じ得ることは,第三部定理五九から明白です。そして同じ定理Propositioから理解できるように,その欲望は喜びとは関連し得ますが,悲しみとは関連し得ません。したがって理性から何らかの欲望が生じるなら,第四部定理八によってそれは善の認識から生じているのであって,悪の認識から生じるということはあり得ないことになります。いい換えれば理性から生じる欲望は,善だけを希求する欲望であって,悪を希求するような欲望ではあり得ません。このゆえに理性から生じる欲望によって,僕たちは直接的に善を希求することになります。一方,善と悪は比較の上でいわれるという点に注意するなら,僕たちは直接的に善を希求することによって間接的に悪から逃れていることになります。なので理性に従うなら,小さな善より大きな善を希求し,小さな悪より大きな悪を忌避するということもまた帰結するのです。

 現実的に存在する人間の精神mens humanaが何らかの観念ideaの十全な原因causa adaequataになることが可能であることを論証するのは難しくありません。ここでは一例を示しましょう。
 第二部定理三八系により,すべての人間の精神のうちには何らかの共通概念notiones communesがあります。そして共通概念というのは第二部定理三八または第二部定理三九の様式でのみ人間の精神のうちに生じます。このとき,人間の身体corpusが外部の物体corpusから刺激されるのは,その人間の身体とそれを刺激する外部の物体が現実的に存在するからです。いい換えれば共通概念というのは,現実的に存在する人間の精神のうちにのみ存在する概念notioなのです。確かに第二部定理三八の方は,人間の身体と外部の物体について言及しているわけではありません。ですが第二部定理三八系は岩波文庫版111ページの第二部自然学①補助定理二に言及しているのですから,現実的に存在する人間の身体と外部の物体のことを前提していると考えていいでしょう。
 次に第一部定理三六から,もしある現実的に存在する人間の精神のうちに共通概念が生じたら,その共通概念を原因として何らかの結果が発生します。このとき,共通概念は十全なので,第三部定理三によりその思惟作用は現実的に存在する人間の精神の能動Mentis actionesであることになります。したがって第三部定義二により,これはその精神が十全な原因となっているという意味です。つまり現実的に存在する人間の精神は共通概念を必然的に有し,その共通概念を原因として何らかの思惟の様態cogitandi modiをやはり必然的に発生させるのですから,必然的に十全な原因であり得ることになります。というか,否応なしに十全な原因とならざるを得ないといった方が正確かもしれません。
 したがって,第四部定義八で示されている人間の徳virtusというのは,単に人間の身体の観念であるその人間の精神が,思惟の属性Cogitationis attributumに包容されているとみられる場合にのみ徳であるというわけでなく,現実的に存在するといわれる場合にも同じように徳であるとみなされなければなりません。上述の論証は現実的に存在するすべての人間に妥当しますから,それは人間にとっての徳です。男にとって徳であるし女にとっても徳です。
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王将戦&人間の本性

2017-02-02 19:59:34 | 将棋
 大田原市で指された第66期王将戦七番勝負第三局。
 郷田真隆王将の先手で久保利明九段の角道オープン四間飛車。先手から角を交換して,お互いにその角を打ち合っての駒組。そのあたりは先手がうまく指していたように僕は思いました。後手は左の金が使いにくかったのですが,先手はその金を使わせる代償にと金を作り銀と交換。ただし後手も金を捌くことができました。
                                     
 先手が3二に飛車を打って後手が受けた局面。6三から駒を打っていくのかと思いましたが☗5三歩と垂らしました。これは確実な攻め方で,それで勝ちなら分かりやすいのですが,手数がやや掛かります。このために後手の反撃を食うことになりました。
 まず☖4二歩と打ち☗同飛成に☖2四角と龍取り。ここで☗3三歩と受けるのは気が利かない感じですが止むを得ないでしょう。後手は☖6八銀と打ち込みました。
 攻め合っては先手の勝ちは見込めないので受けるほかなく☗7八金と逃げました。そこで☖5七角右成の追撃。ここも☗8九金と受けるほかありません。
 ここで後手の攻めが繋がるかが焦点でしたが☖6七馬☗同金と切って☖7九銀打と絡んでいきました。少し重い感じもするので9筋に逃げたい気もしますが☗7八王。後手は☖6六歩と打ちました。
 これで攻めが繋がっていたようです。先手は☗同飛と取るほかありませんでしたが☖5七銀不成で飛車取り。これも☗6五飛と逃げるほかありませんが再度の☖6六歩が厳しすぎました。
                                     
 どうも第1図は先手がすでに思わしくなく,☗6三銀と打って千日手を狙うのが最善であったようです。
 久保九段が3連勝。第四局は13日と14日です。

 第二部定理八系は,個物が現実的に存在するといわれるようになると,その個物の観念も持続的な存在を含むようになるという主旨のこともいっています。したがって,ある人間の身体corpusが現実的に存在するようになると,その身体の観念であるその人間の精神mensも現実的に存在することになるのです。ここでは現実的に存在する人間の精神,とりわけ女の精神が理性的であり得るかを検討しているので,こちらの場合についても考察しておかなければなりません。
 たとえば第四部定理三とか第四部定理四で示されているような事柄が人間の本性humana naturaに属するとみなす場合には,それは現実的に存在する人間の本性にのみ属するのであって,人間の精神が神Deusの思惟の属性Cogitationis attributumに包容されている限りにおいては妥当しないと考えなければなりません。いい換えればそれは人間の現実的本性actualis essentiaにのみ属するのであって,永遠から永遠にわたっての真理veritasであると認識されるような人間の本性に属する,あるいは生じる事柄ではありません。このことは,第四部公理は現実的に存在する個物にのみ適用することが可能な,つまり有意味な公理であるということから明らかだといっていいでしょう。したがって,第三部諸感情の定義一に示されているような本性が人間の本性であるのは,人間が現実的に存在している場合だけであると考える必要があります。
 しかし第四部定義八でいわれている人間の徳virtusが,人間の本性であるといわれるのは,単に人間が現実的に存在している場合には限定されないということはすでに示した通りです。問題は,このような意味での人間の徳が,現実的に存在する人間にとっても徳であるといい得るのかということ,いい換えれば,この種の徳が現実的に存在する人間にとって妥当する,すなわち可能な徳であるのかということです。そしてこの問題は,その定義Definitioにおいて,人間が自己の本性のみによって理解されることをなす力potentia,つまり人間が十全な原因causa adaequataとなった場合の力といわれているのですから,現実的に存在する人間が十全な原因となることが可能であるか,なかんずく現実的に存在する人間の精神が十全な原因となり得るのかを問うているのと同じことになります。
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農林水産大臣賞典川崎記念&人間の徳

2017-02-01 19:17:52 | 地方競馬
 第66回川崎記念
 ケイティブレイブとオールブラッシュが前に。外のオールブラッシュが先手を奪いました。控えたケイティブレイブは2番手。単独の3番手にバスタータイプ。この後ろはケイアイレオーネ,コスモカナディアン,ハッピースプリントの3頭。さらにビービーガザリアスとミツバが併走。ここから差が開いてメジャーアスリートが続き,サウンドトゥルーはその後ろに。1周目の正面で外の方からミツバが上がっていき,単独の2番手に。このために隊列が変わり,ケイティブレイブ,バスタータイプ,ケイアイレオーネ,コスモカナディアンまでが集団で逃げるオールブラッシュを追う形に。少し開いてハッピースプリントが続き,サウンドトゥルーも2周目の向正面ではその外まで追い上げてきました。ミドルペースであったと思われます。
 3コーナーを回るとオールブラッシュにミツバが並んでいき,その外のケイティブレイブまでの3頭が雁行に。ですが直線に入る前で真中のミツバは手応えが悪くなり3番手に。ケイティブレイブが一旦はオールブラッシュに追いついたものの,直線ではまたオールブラッシュが引き離し,そのまま逃げ切って優勝。大外から追い上げたサウンドトゥルーが3馬身差で2着。ロスなく内を回り直線も最内から伸びたコスモカナディアンが1馬身半差で3着。直線でまたケイティブレイブの内から盛り返してきたミツバがクビ差の4着でケイティブレイブはハナ差の5着。
 優勝したオールブラッシュは1000万と1600万を連勝して大レースは初挑戦。上昇馬ではありますが圧勝していたわけではなく,サウンドトゥルーやケイティブレイブが相手では分が悪いだろうとみていただけに,予想外の逃げ切りでした。この開催は先行有利の馬場状態ではありましたが,このメンバーを相手に逃げ切ったこと自体は評価しなければならないでしょう。ただ,今年はメンバーのレベルがあまり高くならなかったので,過大に評価するのも危険かもしれません。能力の高さは証明した形ですが,今後の走りをみてから評価を定めたいと思います。控えても能力は出せるでしょう。
                                     
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は有馬記念以来の大レース制覇。第56回,58回に続き8年ぶりの川崎記念3勝目。管理している村山明調教師JBCスプリント以来の大レース制覇。川崎記念は初勝利。

 スピノザが結婚しなかった理由が,スピノザの哲学的見解を理由としたものではないという場合には,その規準となっている哲学的見解が真理veritasであるとみなさなければなりません。したがって結婚について直接的に言及している第四部付録第二〇項の内容は真理であると僕は考えているのです。なのでスピノザが誤謬errorを犯しているのは『国家論Tractatus Politicus』において展開している政治論の方です。ここからはなぜ僕がそのように考えているかを説明していきます。
 スピノザは第四部定義八で,人間についていわれる徳virtusとは何であるかということに言及しています。この徳というのは,人間が精神mensと身体corpusが合一unioしたものであると解される限りにおいて,人間の精神の徳でもありますし,人間の身体の徳でもあります。ここでは説明を分かりやすくするために,人間の精神の徳についてのみ照準を合わせます。というのは,『国家論』でスピノザが犯していると僕がみなす誤謬は,理性ratioについていわれているからであり,それは人間の身体の徳ではなくて人間の精神の徳であるからです。ただ,ある観念ideaとその観念の対象ideatumの秩序ordoと連結connexioは一致するのであり,人間の精神の本性を構成する観念の対象はその人間の身体なのですから,人間の精神についてこれから説明する事柄は,人間の身体の場合にも妥当するということにあらかじめ注意しておいてください。
 第四部定義八は,一般に人間の徳,この考察では人間の精神の徳についての言及です。であるからにはそれはすべての人間にとって妥当するような徳でなくてはなりません。これはそれ自体で明らかでしょう。なのでこの徳は,男であるか女であるかに関わらず,人間であればだれにとっても同じように徳といわれるのでなければなりません。他面からいえば,この徳は人間である限りはその人間の本性natura humanaに属するような徳でなければなりません。
 第二部定理八系から明らかなように,人間の身体の観念,すなわち人間の精神は,神の無限な観念Dei infinitia ideaが存在する限りにおいて,永遠aeterunusから永遠にわたって存在します。したがって人間の本性に属さなければならない徳も,永遠から永遠にわたって存在すると考えられなければなりません。
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