スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

輪島大士&思想と生活

2017-02-17 19:19:37 | NOAH
 石川敬士が全日本プロレスを退団したのは,輪島大士が大成できずに引退したことの責任を取るためだったという話があります。石川と輪島は同じ角界出身ですが,全日本プロレスにはほかにも角界出身者がいましたから,それは退団の理由にはなりません。僕はこの話は真実か虚偽かもわかりませんし,真実であったとしてその理由も見当がつきません。
 輪島は大相撲で横綱を張り,14回も幕内最高優勝を果たしたトップアスリート。同時代に北の湖がいたのですからこれは凄い記録です。引退後は親方になりましたが不祥事を起こして1985年の暮れに廃業を余儀なくされ,翌1986年に全日本プロレスに入門しました。
 日本でのデビュー戦の相手がインドの狂虎ネイチャーボーイのNWA王座にも挑戦したり不沈艦とPWF王者決定戦を戦うなど,それなりの扱いは受けましたが,天龍源一郎阿修羅・原などと対戦するようになると対戦相手の期待に応えられず,精彩を欠くようになり,1988年に引退しています。
                                   
 『1964年のジャイアント馬場』では,輪島が「スター」になれなかったのは,輪島の人気に嫉妬した馬場が,解説などで輪島を貶めるような発言を繰り返したからだとされています。『マイクは死んでも離さない』では,輪島は視聴率が取れるレスラーだったとされていて,人気があったのは間違いありません。だからそれに馬場が嫉妬することがあったのも事実だった可能性は否定できません。ただ,僕がみる限りでは輪島のプロレスはトップで長く戦っていくことができるようなプロレスではありませんでした。重要な場面でのスピード感に明らかに欠けていたからです。なので結果論ではあるのですが,その理由がどういったものであったとしても,単に人気があるというだけで輪島をトップまで押し上げることをしなかったこと自体は,的確であったのではないかと僕は思っています。

 本題からは外れてしまうのですが,直接的にであれ間接的にであれスぺイクHendrik van der Spyckへの取材を基に書いた3人には,それ以外の共通点があります。
 フェルトホイゼンLambert van Velthuysenは書簡四十二の中で,自分はスピノザ,といってもこの書簡を書いた時点でのフェルトホイゼンには匿名で出版された『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の著者がだれであるか分かっていなかったので,単に著者となっていますが,その生活などは知りたくもないし興味もないと書いています。フェルトホイゼンにはスピノザが信仰fidesを否定しているように思えたので,無神論者とみなし,堕落した生活を送っている人間であると想定されたからです。それに対してスピノザは書簡四十三の中で,もしフェルトホイゼンがスピノザ自身の生活ぶりを知ったならば,自分のことを無神論者などとはみなさないであろうと応じています。スピノザは自分が無神論者であるとは思っておらず,むしろ敬虔pietasであるという自己認識を有していたのです。
 このやり取りは,どちらの場合であれ,信仰をもたない,というのは事実上はキリスト教を信仰しないという意味ですが,そういう人間は敬虔であることはできず,必然的にnecessario無神論者となるということが一般的な認識cognitioであるとみなしている点で共通します。フェルトホイゼンはその認識を規準にスピノザの生活を推測したのですし,スピノザの方はそれが一般的な認識であるという前提の下に,その一般的認識が誤りerrorであるといっているからです。なので無神論者とは放埓な生活を送るものであり,その場合に神Deusとはキリスト教神学的な意味での神に限定されるというのが一般的な認識であったとこのブログでは推定しています。
 ところが,前述の3人は3人とも,そうした認識cognitioを共有していません。むしろ信仰心すなわちキリスト教の神に対する信仰を有していなくても,敬虔であることが可能であるということは,自明のことであるかのように認識しているのです。つまり信仰上の無神論と生活上の無神論の間には必然的な因果関係はないという点で一致しているのです。実際に3人はスピノザが思想上は無神論者であるとみなし,しかしその生活は敬虔なpiusものであったことを主張しています。
コメント
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