スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

表彰選手&講読会

2016-01-31 19:27:41 | 競輪
 昨年の競輪の表彰選手は27日に発表されています。
 MVPは福島の新田祐大選手。勝率と連対率でトップ。賞金と得点は2位。これほどの成績をあげることは困難で,文句なしの受賞でしょう。3月の日本選手権,9月のオールスターとGⅠ2勝,10月に向日町記念を勝っています。過去に国際賞の受賞歴はありますが,その他の部門ではこれが初受賞。
 優秀選手賞は3人。まず埼玉の平原康多選手。得点で新田を上回りました。1月の大宮記念と7月の小松島記念に優勝。2009年に優秀選手賞を受賞して以来の2度目の受賞。
                                     
 ふたり目は茨城の武田豊樹選手。6月の高松宮記念杯と11月の競輪祭でGⅠを2勝しました。3月の玉野記念,4月の西武園記念,10月の熊本記念,11月の函館記念と記念競輪も4勝。2004年が優秀新人賞,2005年と2009年が優秀選手賞,2010年2011年は特別敢闘賞,2012年2014年はMVPでした。
                                     
 3人目は三重の浅井康太選手グランプリを優勝したので賞金では新田を上回りました。2月の四日市記念,6月の武雄記念,7月の前橋記念,8月の四日市記念と,こちらも記念競輪4勝。2011年の優秀選手賞,2014年の特別敢闘賞に続く受賞。ここまでごく順当で,選出に難しいところはなかったものと思います。
 優秀新人選手賞は岐阜の川口聖二選手。この部門は機械的に選出される面が強いです。初受賞。
 特別敢闘選手賞には京都の稲垣裕之選手が選出されました。グレードレースの優勝はなかったのですが,GⅠで3度決勝に進出し,入着が2回,グランプリにも出走したのが評価の対象となったものでしょう。初受賞。

 シモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesが書簡八で言及している講読会というのは,コレギウムの訳語です。原語からコレギアント派collegiantenを類推するのは容易いでしょう。語源的には同一です。コレギアント派が聖書についてなしていたことを,フリースはスピノザが書いたものに対してなしていました。
 書簡八では講読会のシステムが説明されています。まずひとりがある部分を朗読します。これを出席者が順に繰り返します。その後で,朗読した部分を自分の考えで説明し,さらにスピノザの定理Propositioの配列に従って証明していきます。フリースははっきりと定理と書いていますから,読んでいたのは『エチカ』の草稿だったと考えて間違いないでしょう。つまり1663年にはスピノザはもう『エチカ』を書き始めていて,現在とは違った形だったかもしれませんが,ある程度まで購読できるくらいの纏まったものになっていたことになります。
 出席者全員が同じことをしますので,ときに見解opinioに食い違うことが出てくるのは自然です。そこで相互に話し合っても納得できない点が生じたら,それを書簡でスピノザに質問します。つまり書簡八はこういう類の質問だったことになります。おそらく未掲載の書簡十二に対するマイエルLodewijk Meyerからの質問の書簡も,同様であったろうと僕は推定するのです。
 講読会にどんなメンバーが参加していたか,僕には確実なことはいえません。間違いないのはフリースがそのメンバーのひとりだったことです。『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では,この講読会の初期のメンバーとしては,フリースのほかにイエレスJarig Jelles,リューウェルツJan Rieuwertsz,ヤン・ヘンドリック・フラゼマケルJan Hendrikzen Glazemaker,ピーター・バリンクPieter Ballingといった人たちをあげています。フラゼマケルとバリンクについてはまだ詳しく書いていませんが,どちらもスピノザの親友といえる人物です。バリンクはスピノザより前に死んだので遺稿集Opera Posthumaの編集者にはなっていませんが,フラゼマケルは編集者のひとりです。
 ナドラーSteven Nadlerによれば,アドリアン・クールバッハAdriaan Koerbaghとマイエルも講読会のメンバーでしたが,このふたりは後に加わったとされています。前述の人たちよりこのふたりはスピノザと遅くに出会っているのがその根拠です。
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