スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ユダヤ人の帰還&第四部定理五七備考

2023-06-21 19:33:00 | 哲学
 書簡三十三の最後のところでオルデンブルクHeinrich Ordenburgがスピノザに尋ねている,ユダヤ人のパレスチナへの帰還については,まず歴史的事実として確認しておくべきことがあります。
                                        
 この書簡は1665年12月8日付でオルデンブルクからスピノザに宛てられています。この翌年の1666年は,ユダヤ人にとって黙示の年とされていました。書簡が書かれた1665年には,サバタイ・ツヴィSabbatai Zeviという人物が,トルコで自身がメシアであると宣言しました。ユダヤ人のパレスチナへの帰還は,万事の終末に先立たなければならないので,この時期のユダヤ人のパレスチナへの帰還というのは,単にユダヤ人だけの関心事であったわけではなく,オルデンブルクのような非ユダヤ人にとっても関心事ではあったのです。
 ただし,ユダヤ人のすべてが,この路線に従っていたのかというと,そういうわけではありません。たとえばサバタイ・ツヴィをメシアとして信奉した人びとはサバタイ派と呼ばれていて,それはユダヤ教の中での主流な派閥であったわけではありません。しかもサバタイ自身は,黙示の年であった1666年に,サバタイ派ではないカバリストのユダヤ教徒に告発され,オスマン帝国で裁判にかけられました。この裁判の結果として,サバタイはイスラムに改宗してしまいます。カバリストたちがユダヤ人のイスラエルの帰還の時期というのをどのように考えていたかは定かではありませんが,少なくとも1666年までに各地に散り散りになっていたユダヤ人たちがパレスチナに帰還するという考えは,現実的なこととしては,すべてのユダヤ人に受け入れられていたわけではないだろうと思われます。
 スピノザは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の第三章で,ユダヤ人はその機会が与えられればユダヤ人国家を打ち立てると信じて疑わないという意味のことをいっています。おそらくユダヤ人が国家を打ち立てるならそれはパレスチナにおいてでしょうから,ユダヤ人のパレスチナへの帰還自体はあり得ると考えていたと思われます。ただ,機会が与えられればとしていますから,『神学・政治論』の発売以前の1665年に,そうしたことがあるとは考えていなかったのではないでしょうか。

 高慢な人間が高慢superbiaという感情affectusを抱いているがゆえに,自身の阿諛の徒adulatorや追従の徒を愛するとすれば,その愛amor自体は合倫理的であると僕はいいます。この愛のゆえに高慢な人間は阿諛の徒や追従の徒に対して親切をなすのであり,このことは合倫理的であるからです。しかし同時に,スピノザが次のようにいっている点に留意する必要があります。
 「高慢な人間はあらゆる感情に支配され,ただ愛および同情の感情から最も縁遠い」。
 これは第四部定理五七備考の冒頭でスピノザがいっていることです。そしてこのことは,第四部定理五七と矛盾しません。なぜなら,この定理Propositioでいわれていることは,高慢な人間が愛するのは追従の徒ないしは阿諛の徒だけで,そうでない人間に対して愛を感じることはないということにほかならないからです。つまりこのような意味において,高慢な人間は愛から最も縁遠い人間であるといわれるのです。
 したがって,高慢な人間が,社会societasなり共同体の一員としてみられる限りは,合倫理的であるどころか非倫理的な人間であることになります。なぜなら,愛に最も縁遠い人間は,他人に親切をなすことから最も縁遠い人間であるということになり,そうした人間は社会なり共同体に融和を齎すことはなく,むしろ亀裂を齎すであろうからです。よって,僕は高慢な人間が,高慢という感情によって追従の徒や阿諛の徒を愛する限り,その個別の愛は合倫理的であるといいますが,だから高慢な人間がその限りにおいても合倫理的であるとはいいません。愛は一般的に合倫理的な感情であると僕がいうとき,それは個別の愛およびその個別の愛から生じる個別の親切の集積についてそのようにいうのであって,それ以外の事情については考慮に入れていないからです。したがって,現実的に他人を愛している人間が存在するとして,その人間がその愛のゆえにその他人に対して親切をなすからといって,他人を愛しまた他人に親切をなしているその人間について,その人間が全面的に合倫理的であるとか,全人格的に合倫理的であるといっているのではありません。あくまでもその愛および愛のゆえの親切だけを抽出して,愛は合倫理的だというのです。
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