スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

私の個人主義&クラスターの発生

2023-06-26 19:55:47 | 歌・小説
 『文芸の哲学的基礎』と同様に,講談社学術文庫から出版されている漱石の評論集として,『私の個人主義』があります。5つの評論と,編者である瀬沼茂樹の「この本によせて」と解説からなっています。
                                        
 漱石は1911年8月に,関西方面で講演会を行いました。これは大阪朝日新聞が主催したもので,明石,和歌山,堺,大阪の4か所で行われています。各地でそれぞれ漱石は別の話をしました。この『私の個人主義』にまとめられている5編のうちの4編は,その講演で漱石が話したことです。明石でのものが「道楽と職業」,和歌山でのものが「現代日本の開化」,堺でのものが「中味と形式」,そして大阪でのものが「文芸と道徳」です。同じ主催者による各地の講演ですから,分量はそれぞれが同じくらいになっています。また講演の標題から分かるように,文芸評論の趣が強いものもあれば,社会評論のような内容も含まれています。漱石は朝日新聞の社員としてこれらの講演を行ったのですが,作家としての漱石という顔と,評論家としての漱石という顔の,ふたつの顔をもっていたことになります。
 文庫版の標題となっている「私の個人主義」はこれらより後,1914年11月25日に,学習院での講演です。これは学習院輔仁会からの依頼によるものでした。漱石は1916年12月9日に死んでいますが,年表をみますとこれ以降は講演というのは行っていません。よって「私の個人主義」は,漱石が公の場で行った最後の講演であったことになります。
 これらはいずれも講演として行われたものなので,文体が講演の内容そのものになっています。要するに人に対して話しかけるような文体となっています。これはこれらの講演がいずれも文章化されることがなかったためです。たとえば朝日新聞に掲載されるということになれば,新聞の文章として相応しいものに書き直されていたことでしょう。文章化されることがなかったものという点では,貴重なものといえるかもしれません。

 この電話で,通所施設はこの時点で閉鎖しているということを伝えられました。
 僕がグループホームの利用者から新型コロナウイルスの陽性者が出たということを伝えられ,利用者の全員がPCR検査を受けるためにその週末の迎えは控えるようにとの依頼を受けたのは14日です。そして16日の夜にはその結果が伝えられていますから,検査は15日か16日に行われたことになります。その時点で15日から出勤していないといわれましたから,おそらく14日は通所施設に出勤したと思われ,その日は通所施設は閉鎖されていなかったのでしょう。通所施設の閉鎖が15日からであったのか,それとも18日の週に入ってからであったのかは分かりませんが,妹は15日以降はグループホームにずっと待機していたということになります。
 通所施設が閉鎖になったのは,通所施設の新型コロナウイルスの感染者が多数であったからです。要するにこれは通所施設でクラスターが発生したということです。知的障害者が通う施設ですから,新型コロナウイルスの何たるかを理解できない利用者が多く,密を避けるということも困難ですから,クラスターが発生したことは不思議ではありません。グループホームの利用者は全員がこの通所施設を利用しているわけですから,グループホームの利用者の中から罹患者が出たのは,通所施設でのクラスターの影響であったかもしれません。なおこれはクラスターですから,感染者というのは利用者だけに限ったことではなく,職員の中からもおそらく感染者が出たのではないでしょうか。
 妹は幸いにも陰性でしたので,迎えに行くことができました。対応してくれたのはこの日に電話を掛けてきた地域担当支援主任の男性でした。女性職員が不在だったということはないと思いますが,グループホームに滞在している利用者は妹だけではありませんから,少人数で対応していることもあり,妹には対応することができなかったのだろうと思います。このときに25日も通所施設は閉鎖されたままなので,グループホームに送るようにとの指示を受けました。
 この日は直帰せず,О眼科に寄って目薬を処方してもらいました。
コメント
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