スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ロンジン賞ジャパンカップ&第一部定理六

2017-11-26 19:37:14 | 中央競馬
 アイルランドから1頭,ドイツから2頭,オーストラリアから1頭が招待された第37回ジャパンカップ
 ワンアンドオンリーは逃げる気があったように見えましたが,発馬後のダッシュを欠いていたために先にハナに立っていたキタサンブラックがそのまま逃げることに。2番手にギニョールとディサイファ。追い上げたワンアンドオンリーは4番手になり5番手はシュヴァルグラン。その後ろにブームタイム,ソウルスターリング,シャケトラの3頭。さらにレイデオロとラストインパクト。11番手がヤマカツエースでその後ろにマカヒキとサトノクラウン。あとはアイダホ,サウンズオブアース,イキートス,レインボーラインの順で続きました。最初の1000mは60秒2のスローペース。
 わりと単調なレースとなり,3コーナーを回るとディサイファが単独の2番手,ギニョールが3番手となり,2番手と3番手の差が開くことに。ただ能力の違いがあるのでこの時点でキタサンブラックの手応えは楽。直線では追っていたディサイファを置き去りにして抜け出ました。これを追い掛けることができたのは2頭で,外の方に回ったレイデオロと,内目を回ってキタサンブラックとレイデオロの間を割ったシュヴァルグラン。レイデオロの勢いがよく見えましたが坂を上がったあたりで脚色が鈍り,真中のシュヴァルグランがキタサンブラックを捕えるとそのまま抜け出して優勝。レイデオロがフィニッシュ寸前でキタサンブラックを捕えて1馬身4分の1差で2着。キタサンブラックがクビ差で3着。
 優勝したシュヴァルグランは昨年のアルゼンチン共和国杯以来の勝利で大レースは初制覇。宝塚記念だけは2年続けて大きく負けているのですが,それ以外のレースは大敗といえる戦績はなく,ここも間違いなく好勝負はするだろうと思っていましたし,大レースを勝つ能力も確実にある馬だと見立てていました。3着と4着に4馬身も差がついたということは,ここは上位3頭の能力が上であったと考えるべきでしょう。好枠を引けてそれを生かすレースができたことで,大レース制覇まで辿り着くことができたということだと思います。中距離より長距離の適性が高いタイプではないでしょうか。父はハーツクライ。祖母がハルーワソングで3つ上の半姉が2012年にクイーンカップ,2013年にヴィクトリアマイル,2014年にヴィクトリアマイルを勝ったヴィルシーナ。ひとつ下の半妹が昨年の秋華賞と今年のドバイターフを勝っている現役のヴィブロス。Cheval Grandはフランス語で偉大な馬。
 騎乗したオーストラリアのヒュー・ボウマン騎手は日本馬に騎乗しての大レースはこれが初勝利。管理している友道康夫調教師はドバイターフ以来の大レース制覇。国内では昨年の秋華賞以来。ジャパンカップは初勝利で大レースは9勝目。

 理性の有entia rationisがある人間の精神mens humanaとだけ関連付けられる思惟の様態cogitandi modiであり,無であったとしても真verumではあるので,人間が何かを論証する場合には有益であるということの実例をひとつ示しておきましょう。第一部定理六は以下の事柄の論証Demonstratioを目指しています。
                                
 「一の実体は他の実体から産出されることができない(Una substantia non potest produci ab alia substantia.)」。
 この定理Propositioもまた,一の実体Una substantiaと他の実体alia substantiaという複数の実体が存在するのでなければ,実在的に意味を有することができません。
 スピノザによるこの定理の証明はすでに証明された定理を援用していますが,ここではそうした証明は目的に照らして適切性を欠いてしまうので,別の論証をします。これはスピノザが第一部定理六系を論証するときに用いる方法とほぼ同じです。
 実体Aが実体Bを産出するとするなら,実体Aが原因で実体Bは結果でなければなりません。これはそれ自体で明らかだといえるでしょう。したがって第一部公理四により,その場合は実体Bの認識cognitioが実体Aの認識に依存しているのでなければなりません。ところが第一部定義三が示すところによれば,実体はそれ自身によって概念されなければならないのです。よって実体Bの概念conceptusが実体Aの概念に依存するということはあり得ません。もし依存しているなら実体Bは単にことばの上で実体といわれているだけで,実際には実体ではないということになってしまうからです。したがって実体Aから実体Bが産出されることはありません。しかるにAもBも任意であり,すべての実体に妥当します。よってある実体が別の実体から産出されることはないのです。
 第一部定義三によって,僕たちは実体を概念することができます。いい換えれば実体の十全な観念idea adaequataを有することができます。このことにより,複数の実体というのを理性の有として仮定すれば,どの実体も別の実体から産出され得ないということを論証することができます。それは複数の実体が実在しようがしまいが同じことなのです。
 さらに,ゲーテJohann Wolfgang von Goetheの考え方に対して重要なのは,この種の理性の有は,単に論証に用いることができるということだけではなく,ある種の定義Definitioの場合にも有効であるということです。
コメント
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