スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&紐帯の強さ

2021-06-04 19:09:00 | 将棋
 2日に旧伊藤伝右衛門邸で指された第32期女流王位戦五番勝負第三局。
 山根ことみ女流二段の先手。里見香奈女流王位の三間飛車に先手が向飛車にしての相振飛車。この将棋は後手の1筋からの攻めがあまりうまくいかず,その分だけ先手が有利に立てていたように思います。
                                         
 後手が角取りに金を打ったところ。放置すると☗8四香という手があり,それを避けた手です。
 先手はここで☗8七香打と足しました。これに対して☖8五桂と受けたのですが,これを先手はあまり読んでいなかったようです。
 角取りが残っているので処置する必要があり,☗5五角と出て☖4四角のときに☗8五香☖同歩と桂馬を入手しておいて☗6七桂と打ちました。
                                         
 これは実戦のように☖5五角☗7五桂☖同龍☗6七桂と両取りに打つ狙いで,修正手順としては悪くなかったと思いますが,後手玉を攻めることは難しくなり,有利が消えてしまいました。第1図は怖くても☗同角☖同龍☗6七桂と攻め続けなければいけなかったようです。
 3連勝で里見女流王位が防衛第23期,26期,27期,28期,30期,31期に続く三連覇で通算7期目の女流王位です。

 第四部定理一八が感情affectusによる紐帯にも成立するという僕の見解opinioが正しければ,喜びlaetitiaによって結ばれる紐帯は,その他の事情が等しければ,悲しみtristitiaによって結ばれる紐帯より強固であることになります。したがって,愛amorによる紐帯と憎しみodiumによる紐帯を比較したら,愛は喜びの一種であり,憎しみは悲しみの一種ですから,その他の事情が等しい限りにおいて,愛による紐帯の方が強固であるということになるでしょう。他面からいえば,その他の事情が等しいような愛による紐帯と憎しみによる紐帯があると仮定するなら,憎しみによる紐帯を崩すことよりも,愛による紐帯を破壊することの方がより困難であるということになるでしょう。
 このことは一般的な意味でいっているのであって,現実的にいえば,その他の事情が等しいといえるような愛の紐帯と憎しみの紐帯があるということは,ほぼあり得ないことだといっていいでしょうから,何か意味があるというわけではないともいえます。ただ参考材料としては,愛による紐帯を崩壊させることは,憎しみによる紐帯を崩壊させることよりも困難であるということは,覚えておいて損はないだろうと思います。逆にいえば,もしより強固な紐帯を結ぼうとするのであれば,それは憎しみによる紐帯を結ぶことを目指すよりも,愛による紐帯を目指す方が得策であるということも,覚えておいて損のないことだと思います。
 ただしこうしたことを社会的分断あるいは情報の分断に対する方法として用いるというのは,僕がいう意味でのこれらの分断を社会的な分断として,社会的に解決を目指すという方法にほかなりません。予めいっておいたように,僕はそのような方法を採用するべきではないと考えています。というのは,これらの紐帯がどのような紐帯であったとしても,人間の感情によって結ばれているものなのですから,それを崩壊させるということは,人間の感情のダイナミズムを社会的に操作するという意味なのであり,それは僕がいうところの人間的自由,とくにこの場合には受動的自由を制限することにほかならないと僕は考えるからです。よって僕はそれを否定するのです。
コメント
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