スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

叡王戦&結合の根拠

2021-06-28 19:01:19 | 将棋
 26日にシャトーアメーバで指された第6期叡王戦挑戦者決定戦。対戦成績は藤井聡太二冠が3勝,斎藤慎太郎八段が2勝。
 振駒で齊藤八段の先手となり,角換り相腰掛銀。工夫を凝らした先手がうまく戦機を掴み,優位に立って進みました。
                                        
 後手の藤井二冠が桂馬を跳ねた局面。ここでの選択が明暗を分けることになりました。
 先手は攻めるとすれば☗1四歩と取り込むのが有力です。これに対しては一旦☖5七銀と打ちます。☗同角☖同桂成☗同玉と清算するのは一時的には駒得ですが☖4六角が王手銀取りとなり,これは先手が拙いです。よって☗6九玉と逃げるのですが,それに対して☖1二歩と受ける手があり,この展開に成算が持てなかったようです。よって☗6八銀と逃げました。
 当たりになっている銀を逃げて5七に効かせる一石二鳥のうまい手にみえたのですが,☖4四角と引くのがそれを上回る好手。☗同角☖同飛で角交換を強要し,☗1四歩の取り込みにここでは受けずに☖4六角と打ちます。☗1三歩成には☖3一王。
                                        
 第2図まで進み,後手は2四の銀を取れることが確定。これで逆転したようです。ですから先手は第1図では,成算が持てなくとも踏み込んでいくほかなかったことになります。
 藤井二冠が挑戦権を獲得。叡王戦は今期から五番勝負になりましたが,叡王戦の番勝負には初出場。第一局は来月25日に指される予定です。

 ひとつ注意しておいてほしいのは,これから僕が人間中心主義というとき,それは,人間が思うままに自分の利益に適うように人間以外のものを利用してよいという思想のことを意味するのではありません。もし人間中心主義がこのような意味であるなら,佐藤もまた人間中心主義者であることになるでしょう。同時に僕もそうですし,スピノザも同様であると僕は解しています。ここからの人間中心主義というのは,人間だけが社会的結合を果たすという種の考え方で,近藤はこの意味での人間中心主義者であると断定することはできませんが,そうである可能性があります。しかしおそらく佐藤はそのような意味では人間中心主義者ではないと僕は考えていますし,僕も基本的にそのような立場です。そしてスピノザもそうであるというのが僕の見解opinioです。
 まず,第四部定理三五が人間の社会的結合の基礎となるという考え方については,現実的な側面から考えておくべき事柄が含まれています。これは,理性ratioに従う限りにおいて人間の本性natura humanaは一致するので,人間の間では社会的結合が成立するという意味でなければなりません。少なくとも近藤がそのように解していることは間違いないといっていいでしょう。ところが現実は,第四部定理四系によって,人間は必然的にnecessario受動passioに隷属するのであって,第四部定理三四によって,その限りでは対立的であり得る,必然的に対立するとはいえないまでも対立的ではあり得るのですから,この限りにおいては現実的には人間の間では社会的結合は成立しないということになるでしょう。つまり第四部定理三五は,現実的に人間が社会的な結合を果たすということの根拠としては,大きな弱点を抱えているのです。
 これは本来は現状の課題とは無関係なことなので,これについては簡単に僕の考えを示すことにします。もし第四部定理三五が人間の社会的結合の根拠となるのなら,それは理念的な意味おいてなのです。いい換えれば,社会的結合を考えるためには,いかにして社会的結合が果たされるのかということが説明されなければならず,それについては現実的にではなく理念的に説明されているのです。そしてそれで構わないのです。
コメント
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