スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

流星④&功績の優越性

2021-06-18 19:03:45 | 歌・小説
 トラックの運転手の歌い手の話は,で終わりではなく,まだ続きます。

                                   

     身体こわさず がんばってみなよ
     たまには親にも telしてやんな


 これはで歌を歌っていると伝えた歌い手に対することばです。運転手は歌い手のことを知らなかったわけですが,身体を大事にして頑張りなさいと言っているわけです。そして全国を巡る仕事で,なかなか親にも会うことができないだろうから,たまには電話でもしてやりなさいと加えています。このようなことを言っているところからみて,この運転手はおそらく歌い手よりも年上なのでしょう。
 しかしこのことばは,運転手の自分に対することばでもあるとみることができそうです。運転手は自分に親不孝をしているという気持ちがあり,それを歌い手に伝えているとみることができるからです。あるいは運転手の親は,もしかしたらもすでに他界していて,運転手にはそのことについての後悔があるとみることもできるかもしれません。

     吹く口笛はスプリングスティーン あれは演歌だと おっちゃんは信じてる

 おっちゃんといわれているところからして,やはり運転手は歌い手よりも年上のようです。②で演歌しか知らないと言っていたそのおっちゃんの吹く口笛は,スプリングスティーンのメロディーでした。

 僕は功績をこのように考えているのですが,すべての人が僕と同じように考えているのかといえば,そうではない人もいると思っています。たとえば,政治家とコメディアンというふたつの職業を並べて,どちらが社会的に功績を残すべき職業であるかという問いが立てられたと仮定しましょう。僕は功績の内容に差はあっても,優越性には差異はないと考えていますから,どちらであるともいえないと答えます。しかしこの問いに対して,迷わずに政治家であると答える人も,それなりにいると思っているのです。このために,〇〇の功績といういい方をするときには,慎重にならなければいけないのだと僕は考えます。
 仮に僕が想定しているように,政治家はコメディアンよりも社会的に功績を残すべき職業であると判断している人がいるとしましょう。そこでその人が,ある政治家がコメディアンについての功績を語っているのを聞いたとすれば,それを語っているのはより功績を残すべき政治家なのであるから,その功績を見倣うべきであるというように判断するのは自然な反応です。つまり,ある政治家がコメディアンに対して,新型コロナウイルスに感染して亡くなったということが功績であると語ったなら,それならその政治家自身もそれと同じようにすればよいと思う人がいてもおかしくないのです。おかしくないどころか,僕の想定が正しいとするなら,そのような反応をする人が少なからず存在するのが必然だということになるのです。
 僕自身についていえば,政治家とコメディアンの間で功績の優越性の差異はないと考えていますから,どのような事柄についてそれを功績と認識するcognoscereのかということについては相違があったとしても,政治家がコメディアンの功績を見倣う必要はないし,逆にコメディアンが政治家の功績を見倣うという必要もないと考えています。しかし僕のように考える人ばかりではないということも事実ではないかと僕は思っているわけですから,功績について語るときは,そのこともまた考慮に入れておかなければならないだろうと僕は考えます。この程度の人心も把握できない人が政治家を務めていることを,僕は残念に感じています。
コメント
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