スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

中野カップレース&モデル

2021-06-29 19:20:51 | 競輪
 久留米記念の決勝。並びは取鳥‐桑原の中国,門田-香川の四国,山田‐吉本の九州で,吉田と岩本と稲川は単騎。
 取鳥がスタートを取って前受け。3番手に山田,5番手に岩本,6番手に吉田,7番手に稲川,8番手に門田で周回。残り3周のバックを出ると門田がゆっくりと上昇。ホームで取鳥を叩きました。バックに入ると山田が外から上昇。門田を叩いて打鐘から先行。稲川が3番手に続き,4番手に門田。今度は取鳥が上昇。ホームで山田を叩きました。このラインに続いたのは吉田。バックで発進しようとすると桑原が牽制。しかしバランスを崩した桑原が落車してしまい,この影響で吉本と稲川も落車。自然と取鳥を追う形になった吉田が直線で取鳥を差して優勝。落車の影響を免れた門田が大外から伸びて半車身差の2着。逃げ粘った取鳥が半車身差で3着。
 優勝した茨城の吉田拓矢選手は昨年末のグランプリシリーズのFⅠを優勝して以来の優勝。その直前に佐世保記念を優勝していて,記念競輪は2勝目。このレースは単騎の選手が多かった上に,落車のアクシデントがあったため,その影響が少なかった選手が上位に入線することになりました。といっても吉田はこのメンバーの中では脚力が上位ですから,優勝自体は順当なものといっていいと思います。レースのポイントは,打鐘前のバックで取鳥ラインの3番手を確保したことで,岩本がそこであっさりと引いてしまったのは,個人的には意外でした。

 社会societasや国家Civitasの成立を示す概念notioとして,社会契約説があります。スピノザもこの原理を社会のモデルとして利用します。だからといって,社会を構成する市民Civesの一人ひとりが,現実的に何らかの契約pactumを交わすわけではありません。スピノザはそのことを前提として,社会契約説をモデルに,社会の説明をします。これはそれによって社会が合理的に説明されるからなのであって,その目的finisに適うモデルとして社会契約説が有効な場合は,社会契約によって社会が成立していると考えておけばよいということです。これと同じことが,近藤が第四部定理三五を援用して社会の成立を説明する場合にも妥当するのであって,たとえ人間が常に理性ratioに従い,よってすべての人間の本性natura humanaが一致するということが現実的であるわけではないとしても,ある形で社会をあるいは社会の成立を説明しようという場合に,このモデルが有用であるなら,それを用いて説明しても構わないと僕は考えます。よって僕はこの観点から近藤のことを批判しませんし,近藤の考え方を否定することもしません。
                                   
 ただ,この定理Propositioを利用して社会の成立を説明しようとするなら,たとえば人間は人間とだけ社会的結合を果たすということは帰結するでしょうが,社会的結合を果たすのは人間だけであるということは帰結しないと僕は考えるのです。というのは,ここで社会の成立を基礎づけているのは,人間が理性に従うということにあるのではなく,理性に従うのなら本性が一致するという点にあるとみられるからです。いい換えれば,本性が一致するものは社会的に結合することができるということが基礎となるのであって,理性に従うものが社会的に結合することができるということが基礎となっているとはいえないからです。もちろん,本性が一致するのは理性に従う限りであって,その点では理性に従うということと本性が一致するということは同じことを意味するのですが,あくまでも理性に従うということはモデルなのですから,実際にこの論理がもっている意味というのは,理性に従うものが社会的に結合するということではなく,本性が一致するものは社会的に結合するということだといえるでしょう。
コメント
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