スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ベルモントステークス&自由の制限

2021-06-06 19:25:55 | 海外競馬
 日本時間の今朝,アメリカのベルモントパーク競馬場で行われたベルモントステークスGⅠダート12ハロン。
 フランスゴデイナは前にいく競馬。発走後の正面は3頭併走の真中。コーナーに入ってから控え,先頭から2馬身差の3番手でレースを進めました。前の3頭が後ろを離すレースで,最終コーナーで追い上げてきた1頭に抜かれて4番手になると,前から離され始めました。直線の入口ではすでに一杯。最後尾となると騎手が追うのをやめ,そのままフィニッシュを迎える前に走るのをやめ,競走中止と発表されましたが,歩きつつもフィニッシュはしていたので,8着が正式な記録となりました。
 ベルモントステークスはアメリカの3歳三冠の最終レースで,その中ではこれまで日本馬が最も健闘していたレースでした。ただこの馬は前走のプリークネスステークスでの負け方が,距離が長かったという印象を受けていたので,さらに距離が伸びるこのレースは不安だと思っていました。結果的に僕が不安視していたことが露呈したような内容でしたので,僕の見立てでは,この馬の適距離はもっと短いところにあるということになります。

 僕は人間的自由,受動的自由も含めた人間的自由を制限することに反対します。ですからたとえば国家的な統制によって情報を制限することに利益があるということは認めますが,それには反対します。したがって,たとえ社会的分断が発生するあるいは発生しやすくなるとしても,検閲や統制が行われるよりはまだましだと考えますし,地球温暖化はフェイクである,新型コロナウイルスは風邪と同じである,大統領選挙では不正が行われたというようなことを,固く信じて疑わないような人びとが出現するとしても,それが何らかの強制によって排除されるよりましだと考えます。あるいは新型コロナウイルスのワクチンにはマイクロチップが埋め込まれているというような情報について,それを真理veritasと思い込む人間が生じることも,強制によってそれを排除するくらいなら許容します。なので僕はこうしたことによって生じる社会的分断については,社会的な問題として社会的に解決する方法は採用するべきではないと考えるのです。そうした手法を採用する限り,必ず人間的自由を制限することに繋がるからです。これがスピノザ主義者としての僕の立場です。
 よって,これについて何らかの解決を目指すのだとすれば,それは個別に解消するほかない,あるいはそれがベストの道であると僕は考えます。すでにいったように,個別の解消を目指すのであれば,諸個人の現実的本性actualis essentiaに応じた解決策が必要とされますので,一般的な処方というのはありません。それぞれに応じた処方箋が必要とされます。ただそうした処方箋を作成するにあたって,遵守されなければならない事柄というのがいくつかあります。それをここに示しておくことは徒労ではないでしょう。僕はかつて,理性への過信を代表とするような知性intellectusの失敗について論じたことがありますが,こうした処方についても,それと同じような失敗が犯されることがあると僕は考えているからです。
                                   
 まず,喜びlaetitiaや悲しみtristitia,いい換えれば第四部定理八により,善bonumと悪malumという観点から解決を目指す場合に考慮しておかなければならないのは,第四部定理七でいわれていることです。それが第四部定理一四に繋がるからです。
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