高校を出て東京のホテル学校に通った私ですが、夏休みや春休みは学校の方針でどこかのホテルや旅館で研修(アルバイト)することになっていました。
全国に同級生が散らばる訳ですが、私は2年続けて夏の京都でした。
一年の夏(1977年)は京都駅八条口前の「新・都ホテル」でレストラン会計、二年の時(1978年)は同じく京都駅烏丸口近くの「はとや」でお膳運びやフロント、喫茶、舞妓さんの送り迎えなどで忙しく過ごしました。
なにしろ暑かったのを覚えていますし、高校を出て学校に通って、つまり学生の身であった自分が社会の入り口に立ったような気になってワクワクしたものです。
77年の夏には昼に駅前を歩いている時に亡き桑名正博さんの「哀愁トゥナイト」が流れていたことも焼き付いています。
そんな中、やれ祇園祭、さあ大文字焼きと祭が目白押しです。
今ほどではありませんでしたが「なんでこんな暑い時に?」と思ったものです。
というのも私の育った堺の大豆塚や東浅香辺りは新興住宅地(当時)で祭りが無かったんですね。
ですから「羨ましい」気持ちと、「今でなくても」という気持ちが入り混じっていていたんです。
勿論、京都まで行かなくても同じ堺でも旧堺市街では有名な「ふとん太鼓」、鳳辺りでは「ダンジリ」があり、賑やかな祭りを繰り広げ、少し南の岸和田祭は勇壮です。
祭の無い地域で育ったからか、自分で祭りのような「何か」を企てるのが好きだったのかもしれません。高校での生徒会活動から現在に至るまで「何かしたい」んですね。
暑い夏が来ると、そんな自分の成り立ちを思います。