曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2024年9月9日〜9月15日

2024-09-17 | 日記
9月15日(日)
「家庭内隔離ライン」

我が家には個室とか間仕切り壁とかが無いので、隔離と言っても、エリアを決めて、距離で稼ぐしか無い。食事の受け渡し用小テーブルが寝室と廊下のさかいに設置されるものの、扉とかは無い。風呂と風呂の中にあるトイレが私専用になり、独立したトイレが家族用。みんなは銭湯に行ってくれている。必要な作業をバラバラと行うものの、あいかわらず仕事モードにはなれない。


9月14日(土)
「抗原検査キットの結果」

(昨日の続き)抗原検査キット規定の20分を過ぎたら日をまたいでいた。コロナ陽性の印が判りやすく出ている。初感染。正直なところ、喉の痛みも咳も無いし、体温もそれほど上がらなかったし、コロナだとは思っていなかった。。。
朝起きると、薬を飲んでいないからか37度前後の微熱。オンラインミーティングなどに対応するものの、ずっと作業は続けられない。。。


9月13日(金)
「80年代から変わっていないスーパー@北京」

早朝には37度前後まで下がり、午前中も静養をしていたら平熱に(36.3度)。昼にピックアップしてもらって、スーパーに寄ったり(内田先生がお茶を買い、六角先生が八角を買う)したあと空港へ。北京の体温を測るゲートでも、羽田の体温を測るゲートでもチェックされること無く(平熱なので当たり前)、帰国。家について、万一に備えて抗原検査キットで調べたら、規定の時間を待たずして、コロナの判定っぽい。すぐに、一緒に出かけていたみなさんにメッセージやWeChatで報告。


9月12日(木)
「借りた体温計と買った体温計はほぼ一緒だった@貴州大厦(北京)」

朝、頭が重くて熱がある気がする。。。昨晩、鼻水が止まらなくなって、花粉症かと言われていたのだけれど(最近、北京でも花粉症があって、李先生も悩まされているとか)。ホテルで体温計を借りてもらい測ると、37.8度。今日の活動は全て欠席をさせていただくことにして、ホテルの部屋で休養。その後、ピークは38.2。六角先生が持っていたカロナールと、蘇くんがデリバリーで手配してくれる薬や食事と、みなさんからの励ましを支えに、終日ホテルのベッドの上。。。帰れるのか。


9月11日(水)
「内田先生の講演準備@北京服装学院(北京)」

午前は服装学院で内田先生のレクチャー。私が今回準備した美波町の古民家の話とも繫がる、文化財的には上位の保存計画の話。面白い。内田先生の話は、こうした機会にこれまでも聞いた話題がいろいろと有るけれど、アメリカ屋研究の前夜、のような内容で、あらためて新鮮な話だった。


「裏側の路地@蓑衣胡同(北京)」

昼食のあと、胡同めぐり。比較的広めの道(福祥胡同)から、南北に繫がる数区画の四合院を抜けると背割り的な路地(蓑衣胡同)へ。こういう構成になっていたのか。いままで、なんとなく胡同の街並みを歩いたことはあったけれど、街区の構成として把握したのは初めて。
夕食の店を向かうタクシーで、蘇くんと運転手がチャンイーモウの映画の話をしている。文化的。


9月10日(火)
「シャングリラホテル@首鋼パーク(北京)

北京西郊外エリア・エクスカーション。首鋼パークは元製鉄所の産業遺産を活かしたエリア。冬季オリンピックの拠点として整備が始まり、スポーツやアートのテーマパーク的な存在になっている。ものすごく広くて、興味深いリノベーションもたくさんある。実験中で無料だった無人タクシーでの移動も。


金隅瑠璃文化創意産業園@北京西郊外

その後、瑠璃(北京の伝統建築で用いられているカラフルな瓦など)の工房跡の文化創造エリアへ。技術レベルが高くて当時の職人は社会的な地位も高かったらしい。この工房エリアのみが開発されていて、周辺の村落には開発の影響はなくて、かつての様子もうかがえる。その後、円明園へ行ったあと、今日からのホテル貴州大厦で後入りの六角先生とも合流し、夕食へ。徽州小镇。初めて体験するタイプの中華料理。美味しい。


9月9日(月)
「北京展览馆@北京」

午前中は北京の北側を案内してもらう。中心はソ連の時代に建てられた北京展览馆。隣接してと言うか一部分がレストランになっていて、そちらの内装も装飾的で興味深い。調べたところ、ソ連の専門家の監修の元で中国人技術者が設計したとあった。


「講演のポスター@北京交通大学」

北京交通大学内のホテルのレストランで昼食をとった後(軽めにといいながら、例によってガッツリ)、山家先生と講演。美波町の古民家にフォーカスした新しくまとめたネタ。山家先生の講演の内容は、後期3年生の設計演習にも関連するもので、参考になった。同じ大学の先生の話を聞くのは、想像以上に意義が大きい。

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