治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

どっかの当事者、テロっぽい活動継続中

2014-02-18 17:16:57 | 日記
現場を見せてあげましょう。
画伯ブログのコメント欄です。



画伯が辛抱強く答えてくださってるのは私に対する義理ですね。
そして正義感でしょう。
ギョーカイほどヘタレじゃないっていうことです。

画伯は、朝からこの粘着君のせいで気分悪くて、数ある仕事の中で「饗宴の絵ハガキ色塗り」しかできないそうです(爆)。
そう、画伯の情熱に負けて、「饗宴」のカラーバージョンを作ることに決めました。
3月9日のワクワクセラピー@大阪場所 にお越しの方
そして次の新刊を直販でお申し込みの方
進呈いたします。

それにしてもね
こうやって気に入らない本を取り上げたブログがまた気に入らず、しつこくしつこく書き込みすると
要するに私くらい鈍感じゃないと(ていうか画伯もそれほど敏感とは以下略)

仕事に差し支えるくらいいやな思いをするんです。
ギョーカイ人なんか線が細いでしょ。
だからみんな、「社会の理解ガー」をやりながらも自分たちの団体には成人当事者受け入れないなんていう不思議なことになるんですよ。

こうやってね、めんどくさいことを言ってきそうな人がいる本は出さなくなっていったりするんです。
気に入らないことがあると粘着している諸君。
「差別ガー」とか人権っぽいこと振り回して自分が正義だと思っているかもしれないけど
実は自分たちがやってることテロ行為だって承知しててくださいね。
あのながーいコメント欄の最後に私が実名でコメント書いています。
それだけ読んでもらえれば私の姿勢はわかると思いますが
どっかで拾ってきて身に付けたコンプレックスに配慮して出版活動せよ、という声には私は決して屈する気がありませんよ。
そのコンプレックスを抱え続けることは、全然正しいことじゃないから。
私は正しくないことに配慮する気はないから。
そんなことしなきゃいけないくらいなら、発達障害の本なんて出さなくていい、というつもりでやってますから。

そしてこういう粘着君は
「YTは特別な自閉症者ではないのかもしれない」という思いを世間に抱かせることでしょう。

ギョーカイの先生方
自閉症者への偏見を減らしたかったら、どっかの大事件の報道を規制するより
こうやって考えの違う他人を放っておけずまとわりついてくる迷惑な自閉症者をきちんと社会で通用する人間に教育し直してください。

自分たちが受け入れない人間を、社会に受け入れろっていうのは、本当にスジが悪い話です。






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13 コメント

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さあ (浅見淳子)
2014-02-18 18:09:02
画伯ブログにここのリンクを貼っておきましたから、また粘着君がやってくるでしょう。
そうしたらみんなで考えましょう。
本当にYTは特別な自閉症者なのか?
それともああいう思い込み、抽象的には薄っぺらい人権意識を振りかざす割りに他人の人権(画伯や私を含めて)には無頓着な性質は自閉症に広く見られるものなのか?
だとしても、社会は自閉症者を受けいれなければならないのか?
だとしたら当事者の側は、どう歩み寄ればいいのか?
支援者の役目は?

いろいろ考える契機としましょう。
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そうだ (浅見淳子)
2014-02-18 18:29:24
これも貼っておきますね。
http://wan.or.jp/reading/?p=12875#more-12875
返信する
みなさんおはようございます (浅見淳子)
2014-02-19 07:46:11
おはようございます。
粘着君は来ませんでした。
来たらいいことを教えてあげようと思っていたのですが。

画伯ブログは、普段発達障害に関心がない人も見ます。
その人たちにとって、粘着君が発達障害のイメージ作りの入り口になりました。
発達障害への世間の悪いイメージは、こうやって作られていくのです。
事件の報道統制をするより先にやることがある。
よくおわかりいただけたでしょう。

発達障害のイメージアップ作戦。
その一番強力なものは、こうした迷惑な振る舞いをしないことです。
けれども誤学習がゆえに、どうしても不適切な振る舞いをすることがあります。
そして社会は付き合うのがイヤになり、結果として排除します。
だからこそ支援者という役目を負った人たちが、ガチンコで誤学習を正すべきです。
世界観が塗り変わると本人もラクになることは
ちゅん平をはじめ社会適応している自閉っ子のみなさんが証明しています。

なのに支援者が「発達障害者は変われない」と決めつけ
ガチンコで向き合うことを拒む。
私はその態度こそ、新たな犯罪を生む土壌だと警鐘を鳴らすためにこの本を書いたのです。
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ガチンコで向き合える支援者 (LiLiCo)
2014-02-19 08:55:53
浅見さん、おはようございます。
粘着な書き込みとそれに対する誤学習の指摘のやり取り、興味深く拝見しておりました。

実際に、こういう粘着に付きまとわれた事があるので、読んでいるだけでも、あの不愉快で一日中嫌な気分にさせられた時間を思い出して、「やっぱり発達障害だなー」とますます嫌いになりました。

ところで、「支援者がガチンコで誤学習を正す」のは、全くその通りだと思いますが、こういう粘着の被害を受けるのは、たまたま家が近所、たまたまクラスが一緒、たまたま習い事が一緒、たまたま職場が一緒、といった「たまたま同じ環境下に置かれた一般の人々」なんです。そして、たまたま自分の子供が被害に巻き込まれたら、親としては、誰に助けを求めれば良いのでしょうか。
「支援者」に含まれる人々が、ガチンコで誤学習を正してくれる人だと良いのですけれど、私の知っている支援者達は、「社会の理解ガー」系でした。それでも、親として、我が子を守る為に声を上げると、支援者たちから「障害者差別」と逆に責められました。なので、結果的に、「発達さん」とは関わらないという防衛手段しか取れませんでした。

今も、色々な場所で、大学の権威ある先生の講演の元、ペアレント・トレーニングとか、よくわからない「支援活動」が行われていて、ますます、「たまたま同じ環境下に置かれた一般人」の被害が増大しています。
一般の人には、ガチンコで向き合う権利も無ければ義務も無いですので、自衛手段としては「避ける」しか無いのが現実だと思います。

返信する
平身低頭 (お頭)
2014-02-19 10:33:45
とてもためになります、あ@花さんの論旨。
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饗宴カラー、UPしました (マスオさん)
2014-02-19 12:07:43
こんにちは、先ほどはありがとうございました

粘着くん、来なくなりましたね。
退治していただいたようで、ありがとうございました。

珍しく締切りが重なっていたところで、ああいう手合い。本当に迷惑ですね。

>ていうか画伯もそれほど敏感とは以下略

何をおっしゃいます。
私だった気分わるくて、饗宴カラーの仕事してたくらいだもん(笑)。

いや、真面目なな話、昨日はカバー絵と装丁を同時にやるという仕事の予定だったのですが、それは人さまが精魂かけて作った作品の化粧をするという大切な作業です。装丁となると久しぶりですので、相当な神経と準備が必要なのですが、神経を使う作業は、気分が悪くなってはなかなかできません。

そんな意味で、ああいう行為は著しく社会正義に反しますね。なんでそれがわからないんだろう・・・ていうか、いわゆるギョーカイが教えないんでしょうね。

「死んだフリ」の意味、わかってはいましたが、体で実感した次第です。


そんな時だからこそ、饗宴カラーバージョンの仕事。いいですよ。
ちゅうか、それしか出来ない感じででしたね、昨日は。

そらまあわたしだって、敏感なところはありますよん。
敏感さには分別(ぶんべつ)が必要ですが。

あ、ありゃ敏感じゃなくって、ビン・カンか・・・なんて、ウフッ♪ 
返信する
かまってくんかどうかは (浅見淳子)
2014-02-20 09:08:14
画伯、ようこそ。
お忙しい中、おつかれさまでした。
昨日ちゅん平と粘着君がかまってくんかどうか話し合われていましたが、私が黙っていたのにお気づきでしょうか。実は私、彼がかまってくんかどうかにはあまり興味がないのです。
というか、神田橋先生は「双極性障害と想定して治療するとよくなる人が双極性障害」みたいなアナログな診断基準を駆使されていますが、私はギョーカイが彼みたいな人をかまってくんだと思っているからこそ死んだふりしてきたのだと思うのです。なぜなら行動分析的には、それが合理的な選択だからです。
でも、もりしー風に分析すると、ああいう人は親亀から育っていない人です。だからかまってくんかどうかは関係なく、彼が治る方法は誰かにかまわれることなのです。彼は「かまわれなれてないくん」です。
ああいう独自の正義感を振り回すことは、かつてちゅん平もやっていたのです。もちろん育ちのいい分、もっとかわいげはありましたが、私たちでも悩んだことがありますから、ご家族はぶっちゃけもっと大変だったかもしれません。
それが「それいゆ」の支援で見事に止まったのです。それいゆは決して、独自の正義感を放っておかない支援でした。魔法のように止まって、私はびっくりしたのです。
だからきちんとやれる支援者はいるのです。
そういう人が少数なだけです。
死んだふりが死んだふりの再生産体制に入っていますが、私は本を出したりセミナーに人を集めたりすることで(支援者の方も読んだり来たりしてくださいますので)心ある支援者を応援していきたいのです。
そのための饗宴の絵はがきです。色つけ、ありがとうございました。
またお越しくださいませ。
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えへへ (浅見淳子)
2014-02-20 09:09:27
お頭さん、ようこそ。
えへへ。
私には喧嘩の師匠がいます。会ったことはありませんが、模範にしている人がいます。今度お会いしたとき、誰だか教えてあげます。
またお越しくださいませ。
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公平な視点から (浅見淳子)
2014-02-20 09:14:10
LiLiCoさん、ようこそ。
「たまたま同じ環境下に置かれた一般人」の被害、ありますね。それに対しては現実的に、かかわらないという方針しかとれない。ギョーカイを頼っても無力だからです。
私の仕事は、ギョーカイの「社会が理解すればいいのです」を真に受けていると、こうやって避けられる人生が待っていますよ、とここできちんとお伝えすることです。発達障害者をさんざん受け入れ、配慮もし、それでも保護者と支援者からの要求に疲弊したある大学関係者が言いました。「合理的配慮だから、合理的ではない範囲まで配慮を広げる必要はないはず」。ここの大学では今、反動的に発達障害者をとらなくなっています。ギョーカイが言うとおりに振る舞っていると、こうなります。
私が目指しているのは「社会との共存」であり、「発達障害者に対する加保護」ではありません。私は社会人ですから、社会にもフェアにふるまうつもりなので。ですから「たまたま同じ環境下におかれた一般人」が被害を受けていたら、ギョーカイを頼らないこと、かかわりを避けること、をアドバイスします。そして同時に、ギョーカイの言うことを真に受けているとこうなりますよ、きちんと育てましょう、やればできる子たちですから、と保護者の皆様にお伝えするのも私の役目です。
その立場から言えることは「いやな思いをしたのなら、近づかないで」ということだけです。そしてもちろん、社会生活を送る上ではまた発達障害者にいやな思いをすることはあるかもしれませんが、そのときにはギョーカイを頼らないでください。警察に持っていけるものは、警察にまっすぐ持って行ってください。それが実は一番の「発達障害者支援」なのです。
またお越しくださいませ。
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誤字訂正 (浅見淳子)
2014-02-20 09:19:33
加保護→過保護
訂正いたします。
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