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昨日はあ@花さんと一緒に牛久大仏を見てきました。
牛久といえば、何と言っても大関稀勢の里関の地元ですが、今回はおすもうが目的ではなく、牛久にお住まいのお医者さん会う目的で、くっついていったというわけです。
牛久の大仏といえば、全長120m(台座20m、大仏本体は100m)という巨大建築。
とにかくでかい!
見た瞬間、笑ってしまいましたが、意外に造作が良いのにびっくり。
司馬遼太郎のエッセイに「自分の土地だから何をしてもいいわけではない。景観を壊す大仏を建てて良いということにならない」という記述がありました(牛久の大仏だとは明記されてないものの、そんなの牛久大仏のことに決まってますがな)。
だもんで、もっとゴテゴテと悪趣味で、ただでかいだけの大仏だと思っていましたが、私の個人的感想から言うと「一見の価値あり」でした。
茨城というのは関東平野の真っただ中で、だだっ広い平野が広く横たわっているという印象です。
農地と工業地帯が広がる中、120mもの大仏が姿を現わす様子というのは、一種異様な感じはいたしますが、さりとて大仏がなければ、このあたりというのは牛久沼があるくらいで、特に人を呼べるようなものはありません。
司馬さんに言わせると、景観を壊すという意見なようですが、さりとてこの辺りは真っ平らな平原ですから、こわれるような景観でもありません。
1992年の完成から20年以上経った今でも、平日の昼間にそこそこの人が入ってましたから、地域興しの素材としてはよろしいのではないでしょうか。
大仏を建てたのは、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺。
いわゆる真宗の総本山、東本願寺ですね。
モデルになったのはご本尊の阿弥陀如来立像だそうですが、着工が1986年、完成が1992年(事業構想は1983年ですから、完成まで10年)と言いますから、当然、今のような3D技術のなかった時代に、こんな巨大なものを、よくここまでの造作を保ちながら作れたものだと、正直感心した次第です。
この牛久大仏。
巨大なのに、さほど圧迫感がありません。
顔もお若く、すでに仏になった如来さまというよりは、まだ修行中の菩薩さまの面持ちです。
全長120mですが、総重量はわずか4000t。大仏の中の鉄骨が3000t、まわりの青銅パネルが1000tだそうです。
この写真を見てもわかるように、近くから見ると、パネルの跡が見えます。
カーテンウオール工法といって、仏像のまわりにあるパネルは葉っぱのように浮いたような状態にあるそうで、隙間も開いてるそうです。
いわゆる柳の木、風に折れなしという感じで、地震や台風などの自然災害にも強いんだとか。
先の震災でも大丈夫だったのですから、地震には強い構造なのですね。
で、こちらが大仏が建てられていく過程の写真。
いや、写真だけで、まるでモダンアートです!
総工費にいくらかかったか、わかりませんが、入場料700円でいくら人が入ったところでモトが取れません。
見れば、まわりは牛久アケイディアという墓地になっています。
大仏の元で眠りたいという人もいるでしょうから、これはこれでよろしいのではないかな。
関係ありませんが、後生大事に飲まずにいた「稀勢の里・大関出世記念」の牛久ワイン。新しいステップに入るという意味でも、この機会に飲んでしまおうと思いました。
昨日はあ@花さんと一緒に牛久大仏を見てきました。
牛久といえば、何と言っても大関稀勢の里関の地元ですが、今回はおすもうが目的ではなく、牛久にお住まいのお医者さん会う目的で、くっついていったというわけです。
牛久の大仏といえば、全長120m(台座20m、大仏本体は100m)という巨大建築。
とにかくでかい!
見た瞬間、笑ってしまいましたが、意外に造作が良いのにびっくり。
司馬遼太郎のエッセイに「自分の土地だから何をしてもいいわけではない。景観を壊す大仏を建てて良いということにならない」という記述がありました(牛久の大仏だとは明記されてないものの、そんなの牛久大仏のことに決まってますがな)。
だもんで、もっとゴテゴテと悪趣味で、ただでかいだけの大仏だと思っていましたが、私の個人的感想から言うと「一見の価値あり」でした。
茨城というのは関東平野の真っただ中で、だだっ広い平野が広く横たわっているという印象です。
農地と工業地帯が広がる中、120mもの大仏が姿を現わす様子というのは、一種異様な感じはいたしますが、さりとて大仏がなければ、このあたりというのは牛久沼があるくらいで、特に人を呼べるようなものはありません。
司馬さんに言わせると、景観を壊すという意見なようですが、さりとてこの辺りは真っ平らな平原ですから、こわれるような景観でもありません。
1992年の完成から20年以上経った今でも、平日の昼間にそこそこの人が入ってましたから、地域興しの素材としてはよろしいのではないでしょうか。
大仏を建てたのは、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺。
いわゆる真宗の総本山、東本願寺ですね。
モデルになったのはご本尊の阿弥陀如来立像だそうですが、着工が1986年、完成が1992年(事業構想は1983年ですから、完成まで10年)と言いますから、当然、今のような3D技術のなかった時代に、こんな巨大なものを、よくここまでの造作を保ちながら作れたものだと、正直感心した次第です。
この牛久大仏。
巨大なのに、さほど圧迫感がありません。
顔もお若く、すでに仏になった如来さまというよりは、まだ修行中の菩薩さまの面持ちです。
全長120mですが、総重量はわずか4000t。大仏の中の鉄骨が3000t、まわりの青銅パネルが1000tだそうです。
この写真を見てもわかるように、近くから見ると、パネルの跡が見えます。
カーテンウオール工法といって、仏像のまわりにあるパネルは葉っぱのように浮いたような状態にあるそうで、隙間も開いてるそうです。
いわゆる柳の木、風に折れなしという感じで、地震や台風などの自然災害にも強いんだとか。
先の震災でも大丈夫だったのですから、地震には強い構造なのですね。
で、こちらが大仏が建てられていく過程の写真。
いや、写真だけで、まるでモダンアートです!
総工費にいくらかかったか、わかりませんが、入場料700円でいくら人が入ったところでモトが取れません。
見れば、まわりは牛久アケイディアという墓地になっています。
大仏の元で眠りたいという人もいるでしょうから、これはこれでよろしいのではないかな。
関係ありませんが、後生大事に飲まずにいた「稀勢の里・大関出世記念」の牛久ワイン。新しいステップに入るという意味でも、この機会に飲んでしまおうと思いました。