漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

貸本屋のはなし

2008年01月11日 | 漫画のはなし



 最近、帰り道にある小さな貸し本屋さんに、時々だけれども立ち寄って、漫画を借りてくることがある。
 ひっそりとある貸本屋さんで、場所は内緒にしておきたい。
 いわゆる貸本時代の本まではないけれども、比較的古くからある貸し本屋さんらしく、古書店に並ぶと数千円はするような漫画本もごろごろしている。数万冊の在庫があるとかで、まさに所狭しと本が詰め込まれている様は、ちょっと圧巻である。

 seedsbookさんの記事を読んで、この記事を書こうと思い立ったのだが、ちょっとビールも入っているし、上手く纏められるかどうか。

 僕はそれほど漫画を沢山読むわけではないけれども、それは嫌いだからではなく、単に機会がないからだ。これほど沢山の漫画が出版されていると、どこから手をつけてよいのかわからないし、新刊書店では軽く立ち読みもできないので、自然と買う機会も減る。漫画は、買い始めるときりがなく、あっという間に書架を占拠してしまう。ちょっと読みたいからといって、片っ端から買う気にはなれない。だから、基本的には漫画は買わない。漫画喫茶にゆく習慣もないし、買わなければ、読む機会もないというわけだ。

 最近、日本の漫画が世界で大人気だという話をよく聞く。
 それはそうだろうと思う。日本の漫画は、良くも悪くも、明らかに別格である。呆れるほど下らないものも多いが、はっとするような作品もたくさんある。少なくともハリウッドの下らない娯楽映画や、テレビの連続ドラマなどよりは、漫画のほうがずっと優れているんじゃないかと僕は思っている。文化が全てサブカルチャーになってしまうことはよくないと思うが、漫画には確かに大きな可能性があるのは間違いない。
 ただ、漫画に対する批判もかなり多くなっているようだ。その多くは、子どもの情操教育によくないというものだ。
 まあ、それは多少あるかもしれない。だけど、それならばテレビでおかしな心霊商法まがいの番組を放送するのはどうなのだろう。あるいは、意味のない贅沢を煽るような宣伝はどうなのだろう。漫画なんて、テレビに比べれば全く罪がないんじゃないだろうか。
 漫画そのものが悪いのではなく、今の漫画の本当の問題は、商業主義に牛耳られているところにあると思うのだ。週刊誌連載なんて、人気がなくなれば打ち切りである。次第に過激になってゆくのは、どうしたって避けられない。本人も、何を描いているのか分からなくなってくるのではないか。ケース・バイ・ケースだろうが、中には本来は作品志向の作家だっているはずだ。だが、主導権は常に出版社側にあるのである。
 漫画がこれから先、芸術の一つの分野として認められるためには、漫画家やアニメーターの地位の向上が不可欠だろう。だって、あれだけの作品を作りだすのがどれだけ大変か、考えてみたことがありますか。労働に見合った地位や収入があるとは、とても言えないはずだ。漫画家たちがもっとアーティストとして認められるようになれば、作品の質もきっと底上げされるだろうと僕は思うし、本来はそうであるべきじゃないのだろうか。

 うーん、やっぱり上手く纏まらなかったかな。