漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 




 27日、ロック・レジェンドの一人であり、僕にとっても特別な存在であったアーティスト、ルー・リードが亡くなった。71歳。
 突然だったけれども、まあ長生きした方だよとも思う。それ以上の言葉がない。
 さようなら。何もかも、格好よかったです。


Pale Blue Eyes

Lou Reed

とても幸せだと感じる時もあるし
すごく悲しい気分になる時もある
心から幸せだって感じる時はあるけど
基本的に君は僕をすごく怒らせるんだ
ねえ、君はぼくをおかしくさせるんだよ
消えそうな君の瞳が忘れられない
蒼く儚い瞳が瞼の裏に焼き付いて消えない

君は山の頂のようなものだと思っていた
君が僕の到達点だと思っていた
君が全てだと思っていたけど
僕には繋ぎ止めることができなかった
留めておくことができなかったんだ
消えそうな君の瞳が忘れられない
蒼く儚い瞳が瞼の裏に焼き付いて消えない

もしこの世界を
僕の目に映るような奇妙で純粋なものにできるのなら
君を鏡の中に閉じ込めておきたい
そして僕の前に置くんだ
僕の目の前に置くんだ
消えそうな君の瞳が忘れられない
蒼く儚い瞳が瞼の裏に焼き付いて消えない

人生なんて完全にすっとばして
カップの中に閉じ込めてしまえ
彼女は言う、「お金って今の私たちにそっくりね
それは偽り、そこにあってもなんにもならない
あなたにとって、憂鬱は心地良いものなのね」
消えそうな君の瞳が忘れられない
蒼く儚い瞳が瞼の裏に焼き付いて消えない

昨日はとても楽しかったね
また遊ぼうよ
君が結婚したっていう事実は
君が僕のいちばんの友達だっていう証明にしかならないのだし
だけどそれは実際のところ、どうしようもない罪なんだよね
消えそうな君の瞳が忘れられない
蒼く儚い瞳が瞼の裏に焼き付いて消えない

(翻訳・shigeyuki)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





「GENE MAPPER -full build-」 藤井大洋著 
ハヤカワ文庫SF 早川書房刊

を読む。

 もともとはkindleストアの電子書籍部門において、2012年の小説文芸部門で第一位を取った個人出版だったが、反響の大きさに押されて、日本SFの総本山早川書房から大幅な増補改訂を経て出版されたという経歴を持つ作品。
 舞台は近未来のベトナム、ホーチミン。主人公は作物の遺伝子設計を行う「遺伝子デザイナー(gene mapper)」の林田。その時代には、増えすぎた人口に対処できるように、「蒸留作物」と呼ばれる遺伝子設計された食物が重宝されており、優秀な作物を作り上げることを仕事とする「geme mapper」と呼ばれる人々が存在している。ある日の深夜、林田は自分が遺伝子設計したイネ「SR06」が遺伝子崩壊を起こしたらしいという報告を受ける(遺伝子崩壊とは、遺伝子設計において、何らかのバグのようなものがあったというイメージなのだろうか)。その事実が表に出ることがあればL&B社は深刻なダメージを受けるため、対処は一刻を争うが、その原因を探るためには、既に廃棄された「インターネット」の混沌としたゴミの山から必要な情報をサルベージしてこなくてはならない(インターネットは、ある日突然、消滅してしまった。そのことは、「追放」と呼ばれている。とそれは、検索エンジンが暴走して、ネットに繋がるあらゆるコンピュータを乗っ取ってしまい、ハードディスク内のファイルをアップロードした後、OSを検索エンジンのものに上書きしてしまったため、起こった出来事である。後に人類は使い物にならなくなってしまったインターネットの代わりに「トゥルーネット」と呼ばれるネットワークを構築した)。運良くキタムラという優秀なハッカーを雇うことができた林田は、L&B社のエージェントである黒川とともに、キタムラのいるホーチミンへと飛ぶ。……というのが物語への導入。
 最近はミステリーばかり読んでいて、ハードSFを読むのは少し久々だったせいか、最初はやや読みにくいように感じたものの、一度乗ってしまうと、夢中になった。やっぱり、SF小説は好きだ。ハードSFは、ミステリーほど誰にでもとっつきがいいものではないので損をしているのだろうが、エンターテインメント性がないわけでは決してないので、もっと読む人が増えればいいのにと思ってしまう。
 導入部こそ、イネの異常の謎を調べるという、どちらかと言えば地味なものだが、その先に展開される物語は面白いし、登場するガジェット類も魅力的だった。SFならではの世界を堪能出来る一冊だと思う。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





「濡れた太陽」(上・下) 前田司郎著 朝日新聞出版刊

を読む。

 劇団「五反田団」を主催する前田司郎による、「半自伝的(?)小説」ということ。岸田國士戯曲賞を受賞した劇作家であるが、芥川賞の候補になったり、三島由紀夫賞を受賞したこともあり、作家としても成功を収めている。
 小説の舞台は、福島県(作中では東京から二時間ほどのF県となっているが)にある高校。そこに通う、小学校の頃から小説を書いては途中で投げ出すということを繰り返している、見た目もぱっとしない少年相原太陽が、入学後に唯一できた友人がクラス合宿の行事でレクリエーション係になり、その出し物としてちょっとした寸劇をすることになったことに協力したことから、演劇の魅力に目覚めて、部員が三人しかいない演劇部を乗っ取って、自分の脚本で舞台をやろうとするというのが、おおまかなストーリー。
 面白いのだけれど、ちょっと変わった書き方をしていて、小説としての完成度とか、そんなタイプの小説ではない。最初は小説としての体裁をしているのだけれど、次第に戯曲のようになってくる。それは、作家志望から脚本・演出志望へと変ってゆく太陽の立ち位置と呼応しているようだ。したがって、小説と戯曲の中間、といった印象。著者の演劇に対する考え方が伺えるので、舞台が好きな人には興味深いかもしれないが、純粋な物語作品を期待して読むと、微妙な印象を受けるかもしれない。作中で展開される戯曲「犬は去ぬ」は、著者が実際に高校一年生の時に書いた戯曲らしいが、これは正直言って、僕にはいまひとつ面白さが分からず、読む勢いがややそがれた。けれども小劇団の台本は、舞台で演じられなければ面白さが伝わらないことが多いので、仕方がないのかもしれないし、なにせ書いたのが高一の時だというから、余計に仕方がないのかもしれない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





「子供たちは夜と遊ぶ」(上下) 辻村深月著 講談社刊

を読む。

 辻村深月のデビュー作は「冷たい校舎の時は止まる」だが、この作品はそれより前の大学受験の時に書き始めたものだというから、実質的にはこれが第一作というべきなのかもしれない。そのせいか、随分と荒削りな部分を残した小説という印象も受けるが、それだけに作家になる以前に辻村氏が「読みたい」と思っていた小説がどういうものなのかが、分かるような気がした。
 内容的には、ファンタジーの要素が前面に出てこないので、ミステリー小説という呼び方が最もふさわしい作品だった。ただし、これまでに読んだ辻村作品の中では最も陰惨な部分がある。オチについては、なんとか叙述の力で気取らせないようにしようとしているが、最初の方でなんとなく想像がついてしまう。「やっぱりそういうことか」という感じで、意外性はない。ただ、謎解きの後に訪れるラストは、「えっ、みんなはそれでいいの?」という感じで、どうしても釈然としないが、耽美系の少女漫画を考えれば、なんとか納得できるかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「ここは退屈迎えに来て」 山内マリコ著 幻冬舎刊

を読む。

 地方の小都市に生まれ、東京に憧れながら育った少女の感じること。念願叶って、二十歳前後に東京に出てきてしばらく暮らした後、再び故郷に戻った時に感じる独特の感覚。田舎にいたときはあれほど憧れていた東京が、長く暮らすうちにやがて色あせて感じ、故郷が懐かしいと感じて帰るものの、そこにはもう自分の居場所はないのだと気付く時の孤独感。さまざまなものが色あせて、遠く見える感じ。十代から三十代の女性を主人公に、そうした淡い閉塞感のようなものを切り取ってみせた連作短篇集。
 主人公の女性はそれぞれ違うが、共通した人物がひとり、出てくる。中学、高校と、女子たちの間で絶大な人気があったが、二十代の終わりにはもうその輝きは失われてしまっている男性、椎名である。彼は女性たちにとって、「かつての憧れ」の象徴として描かれている。但し本人は、自分がそこそこもてていたという自覚はあるものの、青春の象徴のような存在として、彼女たちの心の中にずっと一つの位置を占めているということまでは知らない。
 地方から東京に出てきている人たちには、共感できるところが多い小説だろうが、逆に東京で生まれ育った人たちには、よくわからないかもしれない。一読してそう思ったが、ふと思い返した。東京の中でも、かつての古い駅舎や駅前の商店街が、大きな再開発の計画とともに次々と失われて、似たような駅ビルが立ち並ぶ風景に変っていってしまっている。ビルの中に入っているのは、TUTAYA、マクドナルド、京樽、ユニクロ、ブックファースト、パステル、スターバックス……など、どこでも同じようなチェーン店ばかりである。地方出身者が自分の故郷に対して感じる感情とはやや違うにせよ、そのことでどこか故郷を失ったかのように感じる人は、少なくない気がする。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「凍りのくじら」 辻村深月著 講談社刊

を読む。

 「ぼくのメジャースプーン」や「名前探しの放課後」と同じ世界を舞台にした作品で、共通した人物も登場する。
 ストーリーは、一言で言えば、失踪した有名なカメラマンを父に持つ高校生の理帆子が大人になってゆく物語。各章のタイトルが「ドラえもん」の秘密道具の名前になっていて、物語の内容ともリンクする。辻村深月はミステリー作家ということになっているが、これはどちらかというと、ファンタジー作品としての要素の方がずっと強い。
 主人公の理帆子は、自分という存在に対する不信感を抱きながらも、強い女性であり、対する元彼の若尾は、言葉はポジティブでありながらも、行動が伴わずに迷走してゆく弱い存在として描かれている。「若尾、キモい」という感想を持ちながら読み進む人が多いだろうが、どこか若尾のことを他人ごとのように思えないという感じを抱きながら読み進む人も多いのではないか。多くの人が、どこか若尾的なところを持っているような気がするからだ。自分も含めて。そうした部分が、この作品を印象深いものにしている。
 これまで読んだ辻村作品の中では、パーソナルな部分が多いような印象。女性の心情を綴っているので、共感を持って読む彼女と同時代の女性は多いかもしれないと思うが、物語が都合よく進みすぎるきらいはあるし、最後はちょっと反則だとも思った。悪くはない小説だが、思春期のややこしさを描いた彼女の作品なら、「オーダーメイド殺人事件」の方が僕は好きだし、仕上がりも上だと思う。
 講談社文庫の帯には、辻村作品はこの「凍りのくじら」から読むのがいいようなことを書いあったが、僕の個人的な印象としては、「名前探しの放課後」からさかのぼって読むのも悪くないと思う。「名前探しの放課後」のサイドストーリーとして「ぼくのメジャースプーン」や「凍りのくじら」があるという読み方だ。仮に、もし最初に「凍りのくじら」を読んでいたとしたら、「名前探しの放課後」にはたどり着かなかったかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )