漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

月の雪原 / 序章・2

2007年05月30日 | 月の雪原
 ツァーヴェの脳裏に記憶が幾つも去来し、混沌とした感情の断片が降り積もった。降り積もった記憶の断片は殆どが淋しい色彩を帯びたものだったが、それを制御する術はなかった。だがその寂しささえ、どこか遠くにあるような気がした。感情がまるで他人のもののようだった。
 感情がどこか他人事のように感じるのは、今に始まった事ではなかった。それは馴染み深い感覚であった。ツァーヴェにはまだ幼い頃からずっと、まるで自分が他人のように感じる事がよくあった。何が起こっても、どこか人ごとのようで、真摯になれなかった。勿論喜んだり悲しんだりはする。だがそれをどこかで醒めた自分が見ていた。少なくともそう感じた。心と頭が一つになれないという感覚は、我ながらじれったかったが、どうすることもできなかった。そもそもそう考えていること自体が分裂しているのだ。それをツァーヴェは、自分には欠けたところがあるからだと考えていた。だが生まれたときからそうだったわけではなかったはずだ、とツァーヴェは思った。まだずっと幼い頃、母と父がまだ生きていた頃には、自分はもっと完全な感情を持っていたし、今こうして感じるような、欠けたところもなかった気がする。なのに今の自分は、その頃の自分が半分に薄まった程度の現実感しかない。幼い頃のことを思い出しながら、ツァーヴェは時々そう思った。一度ならず、彼は友人にそうした自分の感じていることを話してみたことがあった。だが、まともに取り合ってくれる友人はいなかった。年長者に話してみたこともあったが、若い頃にはそうして心と身体が不安定になっている時期があるものだと、優しい言葉で諭されるだけだった。そうではないのだとツァーヴェは思ったが、いくら言っても理解されることはないだろうと、それ以上のことを言うことは一度もなかった。そしてそれも、彼が自分のことを醒めた目で見ている証拠のように思えた。
 ではいつから自分には欠けたところが出来てしまったのだろう、とツァーヴェは思った。何度も自分に問い掛けた問いだったが、行き着く先はいつでも同じだった。
 ツァーヴェは窓の外を眺めた。雪が次第に強くなってきていて、風景が白く霞んでいた。世界から色彩が消えてゆくようだった。そしてその色彩とともに、音も虚空に吸い込まれて消えて行くようだった。
 その風景を見ながら、ツァーヴェの記憶は、いつものように同じ夜に辿り着いた。
 幼い頃。母の死ぬ少し前。
 明るすぎる月が煌々と輝き、雪原を照らし出していた一夜に。

月の雪原 / 序章・1

2007年05月29日 | 月の雪原
月の雪原


序章 / ツァーヴェ


 誰もいない停車場を出て走り始めた列車の中に、くぐもった声のアナウンスが流れた。声は響かずに消えた。ツァーヴェは窓ガラスに頭を押し当てて眠っていたが、列車の振動で目を覚ました。
 列車の中には、暖房が効いてはいたが、それでも外の冷たさが染み入って来るようだった。
 ツァーヴェは上着を口元にまで引き寄せ、半ば夢見心地のまま耳を澄ました。アナウンスは再び鈍い声で、次はクルーヴと告げた。そしてまた静けさが戻った。聞こえてくるのは、レールの上を走る列車の振動と、軋轢の音だけになった。ツァーヴェは身体を起こし、通路に身体を乗り出して、辺りを見渡した。彼のいる車両には誰の気配も感じなかったが、前後どちらを見渡しても、並んでいるのはボックスシートばかりだったから、はっきりとは分からない。ただ、ずっと先の網棚に荷物が幾つか乗っていたから、きっと他にも乗客はいるに違いなかった。きっとシートに深く身体を埋めて眠っているのだろう。
 ツァーヴェは窓の外を見た。列車は山間部を走っていて、見えるのは山肌と、モミやトウヒの針葉樹ばかり。それでも、いつ果てるともしれないのっぺりとした平原に比べれば幾らかは変化のある風景と言えそうだった。見上げると空は鉛色にぼんやりと霞んでいて、太陽はどこにあるのか分からず、今にも雪が降りそうだった。
 いや、もう降り始めているようだ。ツァーヴェは額を窓に押し当てた。そして、窓を手で拭いた。窓の外に白い雪が舞うのが見えた。静かに、真っ直ぐに降りてくる雪。目を凝らしていると、それが次第に増えてきた。降り積もるのも時間の問題だろう。そうしたら、辺りは一面の雪景色になる。深い冬の始まりだ。
 ツァーヴェは時計を見た。午前十時。宙に浮いたような時間だ、とツァーヴェは思った。そう思いながら、窓に額を押し当てていたら、叩くような衝撃とともに、突然暗くなった。列車がトンネルに入ったのだ。窓には自分の顔が映っていた。白く疲れきったような顔で、実際の年齢よりも遥かに老けて見える気がした。こうして窓に映る陰影の濃い姿を見ていると、なおさらそう感じた。だが、そのことにツァーヴェはそれ以上何の感想も抱かなかった。ただぼんやりと自分の白い顔を見ていた。
 列車はトンネルを抜けた。開放されたかのように、さっと視界が開けた。雪は次第に強くなってきていた。今夜にはきっと降り積もるに違いない。ツァーヴェの目的地、クルーヴァーに到着する頃には、辺りはきっと一面の雪景色になっているだろう。
 ツァーヴェは故郷に向かっていた。彼が故郷に帰るのは、もう十数年ぶりのことだった。だが、移動する列車の窓の外に広がっている風景は変わらない。少しくらいは変化もあるだろうと思っていたが、拍子抜けするほど記憶のままの風景が広がっていた。懐かしいといえば懐かしい。しかしそれ以上に寂しくなった。この辺りは世界がいくら変化しようとも変わることがない。人が住まない場所は、誰の手も入りようがない。十数年程度の時間は、大地にとっては一瞬のことにすぎないのだ。ただ、それを見ている自分は人の速さで時を重ねている。だから最早かつての自分ではないし、この風景が変わる前にはこの世界から姿を消してしまうのだろう。

放浪者メルモス

2007年05月28日 | 読書録

「放浪者メルモス」 C.R.マチューリン著 富山太佳夫訳
世界幻想文学大系5(上・下) 国書刊行会刊

を読む。

 正直、長かった。下巻など、読んでいて苦痛なほどで、何度も投げ出しかけた(イシドーラが出てきてからが、一番辛かった)。けれども、これを読まずにゴシックを読んだとは言えないから、耐えて読了。ただし、後半はかなりすっ飛ばして読んだので、読者としては最低かもしれない。
 それでも、この作品が他のゴシックとは明らかに一線を画していることはすぐに分かる。他のゴシック作家は、貴族など裕福なバックグラウンドを持っているのだが、マチューリンは貧しいプロテスタントの牧師で、小説も切迫した経済状態から書いたらしい。そのせいだろうが、この小説はつまり、カトリック教会と貧乏に対する呪詛で出来ていると言っていい。
 クリスチャンでもない僕には、この小説の面白さがどれほど分かったのか心もとないが、彼が窮乏していたことは、切実に感じられた。ゴシックロマンスがこの「メルモス」をもって終わったとされるのは、その「貧しさ」という現実に着地したせいだろう。ロマンスは現実の前に潰えたというわけだ。
 ちなみに、世紀末作家のオスカー・ワイルドは晩年、この小説からとった名前「セバスチャン・メルモス」を名乗っていたという。「私は自分の天才を全て生活に使い、作品には才能しか使わなかった」と語った作家の心境が、どことなく理解できた気がした。
 

ロックスピリット

2007年05月27日 | 

 今日は、奥多摩方面へ散歩。
 写真は、澤の井酒造にいた、ドラ猫。
 意地悪く笑っているように見えるあたり、チェシャ猫っぽい。

 今日は一日、ふとした時に頭の中を竹内まりあの新曲がループして、困った。
 ラジオから流れていたのを覚えた曲で、タイトルさえよく知らないのに。そういうことって、たまにありますね。
 「気がつけば五十路を超えた私がいる」とか、すごい歌詞がある。僕はあまり歌詞をちゃんと聞かないほうなんだけれど、これは嫌でも印象に残る。これを歌って、てらいもなく、必要以上に重くもなく聞こえるのは、やはり才能というか、人徳というか。
 
 ラジオといえば、土曜の夕方の番組で山田五郎と中川翔子がパーソナリティーを勤めている番組があって、仕事をしながら聞いていたのだが、そのときのお題が「ロックスピリット」。高嶋政宏がゲストで熱く語っていた。ピストルズが再結成して来日したのを見に行って、これで完璧にパンクは終わったなと感じたとか、キングクリムゾンが大好きだとか、そんな話。へえ、高嶋政宏って、ロックが好きなんだとか、考えながら聞いていた。
 でも、何をもってロックスピリットと言うのかというと、これはかなり個人差というか、それぞれの意見があるはず。
 僕の場合は結構はっきりとしていて、「ギターがかっこよくて、『突破力』のある音楽」がロックだと考えている。だから、ギターのないものはロックではないと思っているし、しかも、ただ上手いのは駄目で、ロックなら、何かを「突破」して行く感じが欲しいわけだ。 
 なんてことを、考えていた。もちろん、ロックは大好きだけれど、別にロックじゃなくったって好きな音楽は沢山あるわけで、ただ、「ロックとは何か」ということになると、僕はそう考えるというだけの話。

ζ・・・プログラム・2

2007年05月26日 | ティアラの街角から

 彼のことは、「ゼータ」としておこう。それが彼の綽名だったし、私も大抵は彼のことをそう呼んでいた。綽名の由来は、彼は決して教えてくれなかったので、私ははっきりとは知らない。だが、彼の昔からの友人からちょっと聞いたところによると、何かのキャラクターか何かから来ているらしいということだった。
 彼はゲームの製作に携わっていた。もともとプログラマーとしては優秀だったらしいが、最近はもっぱら監修の方をやっているとのことだった。彼としてはプログラムを書いてゆくという地道な作業が結構好きだったらしいが、会社の中でキャリアを積むと、次第に監修の方に移された。勿論それは仕事が認められているということであり、喜ぶべきことではあった。実際、彼の作ったゲームはかなりの人気を獲得しており、ゲームファンの一部には名前を知られる存在になっていたと聞いている。
 だが、彼はその片手間に、自分で時間を見つけては、完全に趣味のためのゲームを一人でこつこつと作り、フリーソフトとして、匿名で幾つか発表していた。ほんの息抜きのつもりで作られたそれらのゲームは、どれも一定の評価を受けていた。中でも彼が最も力を入れていたのが、「神々の生贄」と名付けられたロールプレイングゲームだった。これは、オンラインでも楽しむことの出来る、凝ったゲームだった。最初の頃は気軽にやっていた趣味のゲーム開発だったが、ある時期からゼータは、この「神々の生贄」の改良に絶えず取り組むようになっていた。仕事を終えて家に帰ると、遅くまでゲームの改良に取り組む日々が続いた。
 「最初の頃は、いつかこのゲームを商品として、自分で立ち上げる製作会社の目玉としたいと考えていた」とゼータは言った。
 「会社に入った当初から、いずれは独立して仕事をしたいと思っていた。ずっとゲームが好きでこの業界を目指したのだから、そのくらいの野心はあった。それで、会社でやっている仕事にも勿論全力で取り組むけれど、それは自分の名前を認知してもらうための仕事で、本当はもっと上を目指しているんだと常に考えていた。それはまるで二つの顔を持っているみたいで、愉しかったよ」
 「二つの顔?」
 「そうだよ。有能な会社員としての顔と、求道的なクリエイターとしての顔だ。そうした二面性を、自分で感じて、楽しんでいたんだ。まあ、自己満足というか、ナルシスティックな妄想だね」
 分かる気がする、と私は言った。彼は頷いた。
 「でも気がつくと、時々言いようのない疲れを感じるようになっていた。やればやるほど、自分が何をしているのか、分からなくなっていった。いや、ゲームを完全なものにしたという気持ちはぶれないんだ。だが、それ以外の部分では、よくわからなくなっていた。どうしてなんだろうと、何度も考えた。だが、答えは出ない。それで僕は、とりあえずはそれはそういうものなのだと思うことにした。」
 私たちはその時、小さなバーで話をしていた。昔から行きつけの、穴倉のようなバーだった。
 「ゲームは、会社には内緒で作っていた。だから、誰にも相談はしていない。本当にたった一人で、何年もかけて、何もかもを作っていた。頑張ったかいがあって、フリーのゲームとしては異例なほどの人気も出た。商品化のオファーも来た。だが、僕はすべて断った。完成するまで、余計な横槍は入れて欲しくなかったからだ。そして、さらに開発を進めた」
 「ストイックなんですね」
 「オタクなんだよ」と彼は言った。「やめられなくなっていたんだ。いくらやっても、終りということがなかった。アイデアが尽きないんだ。何でも盛り込むことが出来てしまう。最初は、それが凄いことだと思ったから、自分の才能に鼻高くも思った。だが、あるとき気がついた。これは、才能なんかじゃない。広げた風呂敷が、余りにも広すぎて、自分の全てを包んで余りあるだけなのだと」
 「それを才能というんじゃないのかな?」と私は言った。
 「まあ、そうかもしれないが」とゼータは言った。「制御できないのは、致命的だ。仕事としては出来ることが、趣味では出来ない。思わせぶりな細部の伏線ばかりが増えて行くのに、その収束点が、作っている本人にも分かっていないんだ。いや、違うな」

イタリアの惨劇

2007年05月23日 | 読書録

 「イタリアの惨劇」I、Ⅱ アン・ラドクリフ著 野畑多恵子訳
 ゴシック叢書1、2 国書刊行会

 を読みかけて、150ページほどで挫折。残りは、ぱらぱらとめくって、大まかな筋だけを追った。
 女性による女性のための正調ゴシック「ロマンス」は、さすがに男性にはちょっと荷が重い。どういう内容かと言うと、とある身分が低く貧しいが凛と生きている美しい女性主人公エレーナに、ふとしたことから彼女を見かけた侯爵の子息ヴィヴァルディが一目ぼれしたものの、その身分の差から二人の仲を引き裂こうとする思惑によって様々な障害に合うが、最後には愛を貫いて結婚するというもの。しかも、最後にエレーナは、自分でも知らなかったが、実は身分の高い家の出だったということが分かる。
 絵に描いたような少女漫画的なストーリーである。だが、この小説が「ゴシックロマンス」の一つの典型なのだ。

 さて、「イタリアの惨劇」に挫折したので、いよいよ根性を決めて、「放浪者メルモス」に移る。実はもう150ページほど読んだが、これはかなり読み応えのある本で、それだけ読んだだけでも、ゴシックの集大成の趣があるのが分かる。感想は、読了後に。

悪の誘惑

2007年05月22日 | 読書録

 「悪の誘惑(義とされた罪人の手記と告白)」 ジェイムズ・ホッグ著
 ゴシック叢書13 国書刊行会

 を読む。

 読みたいと思っていた本だったが、近くの図書館にないから、どうしようかなあと思っていた。しかし、よくよく調べてみると、隣の杉並区の図書館にあることが分かり、早速借りてきた。杉並図書館は、結構蔵書が豊富で、中央図書館所蔵分と高井戸図書館所蔵分で、ゴシック叢書はすべて揃う。国書刊行会の幻想文学全集は、「世界幻想文学大系」や「フランス世紀末文学叢書」は大抵の図書館に揃いであるのだが、この「ゴシック叢書」全32巻だけは、意外と所蔵している館が少ない。杉並図書館にしても、一館で揃っているわけではないのだ。叢書としては、ゴシックの古典を総覧できるかなり充実したものだから、もっと所蔵館が多くても良さそうだと思うのだけれど。

 ともあれ、「悪の誘惑」は期待以上の作品だった。
 「悪の誘惑」というのは、出版社の意向で付けられた邦題で、原題は、副題として掲げられている「義とされた罪人の手記と告白」である。
 この小説は、1824年の出版で、今から二百年近くも前の作品なのだが、とてもそうは思えないほどで、今でも十分に読むに耐える。邦題からは、「マンク」や「悪徳の栄え」のような作品を想像するだろうが、とんでもない、ミステリー(推理もの)の形式を借りた、メタフィクションだった。日本の作品で言えは、例えば「ドグラ・マグラ」を髣髴とさせるような仕掛けがある、そう言えば何となく分かるだろうか。邦訳には、この作品を再発見したアンドレ・ジッドによる序文があるが、ジッドをして驚嘆させたのもわかる。物語自体が迷宮になり、現実と虚構の区別がつかなくなるという仕掛けは、今でこそ珍しくはないが、当時としては相当に斬新であっただろうし、もしかしたらこの作品が最初だったのではないだろうかとさえ思う。
 いずれにせよ、この小説はゴシックの中でも特にユニークであり、かつ物語としても面白く読めることは保証できる。
 

団地萌え

2007年05月20日 | 近景から遠景へ

 最近、「工場萌え」という写真集が出て、話題になっていた。
 「萌え」という言い方ではないが、例えば川崎の夜光地区とか、そうした工場地帯に惹かれるという感覚は昔からあって、今急に出てきた感覚ではないから、僕にもよく理解できる。こうした感覚は、「過剰性を持った、限りなく廃墟に近いもの」に憧れる感覚に近いのだろう。最近、僕の中で妙なブームになっている「ゴシック小説」もそうだろうし、ピラネージの絵画もそうだ。誰にでもある感覚でもないのかもしれないが、ある一定の数の人々には、確実に共感できる感覚なのではないか。
 工場だけではなく、例えば「団地」に萌える人もいる。
 僕も、実は結構その気があって、通りがかると、団地が気になってしかたない。
 「萌え」というと、ちょっと違う気がするが、その不思議なのっぺりとした光景に、はっとするのだ。
 僕は思うのだが、工場や団地に惹かれる感覚というのは、同じ根を持つのではないか。僕がそうだから、勝手にそう思っているのだけれど。とはいえ、別に工場で働きたいとか、団地に住みたいとか、それは全く思わないのだけれど。
 浦賀に、「かもめ団地」という場所があるが、三浦半島の海岸線を歩いていて見た団地のなかでは、ここは特に印象に残っている。
 写真はないのだが、またそのうち行ってみよう。

銭湯

2007年05月18日 | 雑記
 今週は、風呂場が工事中なので、仕方なく銭湯に通っている。
 日曜日には使えるようになるが、不便といえば不便である。
 
 銭湯に通うのは、久々で、多分十年ぶりくらいだろうと思う。
 独身の頃は、二年間くらい、風呂なしの部屋に住んでいたから、よく銭湯に通ったものだが、家に風呂がある生活になると、当然のように、銭湯に通うこともなくなった。
 今、銭湯の値段は430円である。ビックリするくらい、値段が上がっている。これでは、風呂なしの部屋に住む意味が無いくらいだ。
 
 銭湯は、僕が通っていた頃にも、行きつけだった銭湯が一軒減り、二軒減り、という具合だった。銭湯を閉めるという日には、無料で入ることができて、かつて馴染みだった人たちが集まり、盛り上がっていた。そんなことを思い出す。

 今回、主に通っているのは、吉祥寺にある銭湯「弁天湯」。ここは繁華街の外れにある銭湯で、一日に利用する人の数はだいたい140人くらいだという。
 この銭湯では、現在は休止中だが、「風呂ロック」というイベントが行われていた。「日本最年長のロックンローラー」遠藤賢司や、サニーディサービスの曽我部恵一などが参加していたようだ。僕は見ていないので、詳細は分からないけれども、「風呂ロック」のサイトがあるので、見て頂くと分かるだろう。
 
 久々に銭湯に通ったが、たまには悪くない。
 これからも、時々行こうかと思う。

フランケンシュタイン・最終回

2007年05月15日 | 読書録

 最後に、「ゴシック」について少し。
 「ゴシック」とは、中世のいかめしい建築様式を指す。「ゴシック小説」とは、だからもともとは中世趣味に彩られた小説だったとも言えるわけである。だが、いつしか「ゴシック」という言葉が一人歩きして、幾つかのキーワードによって醸し出される、一つの雰囲気を表すようになった。そう僕は解釈している。
 そのキーワードとは、廃墟、複雑な血縁、怪奇趣味、息づまる迷宮のような場所、崇高なものの存在の気配、性的な気配、箱庭的な舞台、濃密な夜、逃れられない運命、眩暈の感覚、などである。これは僕が勝手に並べたものであるが、それほど間違ってはいないと思う。また、ゴシックは大抵、悲劇と、その悲劇を超えるものをその中に内在している。さらに、アイデンティティの問題を提議しているものも多い。
 ゴシックロマンスは、18世紀から19世紀にかけて流行した小説の形式だが、その脈絡は、いまだに途切れずに続いている。そして、大きな存在感を放っている。
 ざっと、思いつく「巨大な」作品を挙げて、締めにしたいと思う。

 マーヴィン・ピークの「ゴーメンガースト三部作」は、ダークファンタジーの金字塔であり、同時にゴシックとしか言いようのない作品である。また、W.H.ホジスンの「ナイトランド」も、舞台は百万年の未来と設定されているが、その文体も含めて、ゴシック的であると言えるのではないか。
 一時期ブームとなった、ラテンアメリカのマジックレアリスム文学の大半も、極めてゴシック的だ。その代表的作品であるマルケスの「百年の孤独」は、ゴシックの新しい可能性を押し広げたとさえ言える。
 北米に目を向けると、最近ではスティーヴ・エリクソンの「黒い時計の旅」などが、南米のマジックレアリスムを経由して、ゴシックの影響を強く受けているように思える。
 SF作品には、数にいとまがないが、ジーン・ウルフの「新しい太陽の書」のシリーズは特筆すべき作品だ。
 日本では、村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」が極めてゴシック的だと僕は思う。

フランケンシュタイン・4

2007年05月14日 | 読書録
 とはいえ、何せ「フランケンシュタイン」は200年も前の小説だから、そうしたポストモダン的な作品として書かれているわけではない。怪物は、フランケンシュタイン博士とは別に、ちゃんと存在するものとして書かれている。だが、そもそもこの物語そのものがロバート・ウォルトンという海洋冒険家の手記として書かれていることを考えるとき、この小説が何重もの入れ子構造になっていることに思い至り、実はそれも確かではないということに気付く。読み手にしてみれば、ウォルトンの手記を信じるしかないわけである。
 
 「フランケンシュタイン」の物語は、小説としての完成度が高いとは言えない。破綻の多さは、隠しようもない。例えはブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」と比べると、物語の巧みさには明らかな差がある。だが、それにも関わらず「フランケンシュタイン」の物語は、「ドラキュラ」よりも遥かに普遍性があり、今なお読むに足る物語だと思う。それはなぜか。簡単なことで、「フランケンシュタイン」が一つのメタファーとして機能するからだ。
 「フランケンシュタイン」は、読みようによっては、様々な読み方ができる。メアリが意図していたかどうかは定かではないが、それほど「開いた」物語である。
 ヴォクトの「スラン」やスタージョンの「人間以上」などの新人類テーマのSFは「フランケンシュタイン」の子供であるだろうし、ステープルドンの「シリウス」やキイスの「アルジャーノンに花束を」ともなれば、なお直裁的だ。「鉄腕アトム」や「ブレードランナー」などのロボットテーマのSFは言うまでもない。さらには、映画「ミツバチのささやき」や「ロッキーホラーショウ」のような作品にまで、その影響は波及している。
 「フランケンシュタイン」は、親子のテーマを取り上げた作品だと僕は思う。それは単純な血縁という意味だけではなく、「造るものと造られたもの」という意味でもある。人が、便利さを求めて開発を進める。しかし、それは常に影のように人の首を締める。誰もが感じている現代のジレンマ、例えばそれもそのまま「フランケンシュタイン」の怪物なのだろう。
 さらに付け加えるなら、芸術の分野においても、作家と作品の関係に、この「造るものと造られたもの」の図式を見ることができるだろう。
 親子という個人的なものであれ、文明という巨視的なものであれ、言い換えれば、人は常に「フランケンシュタインの怪物」を背負い続ける宿命にあるに違いない。「フランケンシュタイン」が切実さを失わずにいる理由はそこにあるのだろう。ゴシックという過剰、それは人の無意識から生まれた過剰である。過剰は、合理的ではない。だが、存在している。だからこそ、そこには人にとって切実な何かがある。僕にはそう思えて仕方がない。
 

横須賀美術館・谷内六郎館

2007年05月13日 | 三浦半島・湘南逍遥

 海岸線を散歩しつつ、観音崎公園内に先月末オープンした「横須賀美術館」へ行ってきた。
 ここには、別館として「谷内六郎館」があり、本館の常設展とこの谷内六郎館だけだと、入館料は大人300円、子供は無料。

 目の前には、海岸線に沿ったボードウォークなども整備されている。美術館も居心地のよい造りで、家族で観音崎公園に行くついでに寄るのには丁度よさそうだった。

フランケンシュタイン・3

2007年05月12日 | 読書録
 
 「フランケンシュタイン」は、「そのタイトルを知らない人は稀だが、実際に小説を読んだ事のある人も稀だ」ということがよく言われる。これは、余りにも有名になりすぎた作品にはよくあることだが、「フランケンシュタイン」の場合には特に、1931年に封切られた映画でボノフ・カーロフが演じたフランケンシュタインの怪物のイメージが余りにも嵌り過ぎて、映画館でもテレビでも繰り返し上映されたから、そちらを見て小説を読んだ気になった人が多いせいもあるだろう。実際僕もそうで、だからこれまで読まないで来ていた。
 今回初めて小説の「フランケンシュタイン」を読みながら、最初に思ったのは、これはドイツロマン派の影響が相当強い作品だということだった。怪奇小説と呼ぶには詩的過ぎて、確かにこれはゴシック小説としか呼べそうにない。また、映画と違い原作では怪物は最後にフランケンシュタインとともに死ぬのだが、後年にイメージされるような「心優しき怪物」とは多少ギャップがあった。原作では、フランケンシュタインの怪物はまるで親の愛を知らずに育った子どものようで、その屈折した心情は遥かに複雑である。読み方によっては、これはまるで愛に飢えた不良少年の物語のようにさえ思える。メアリ・シェリーは、この物語の第一稿を若干十八歳で書いた。若いからこそ書き得た怪物の心情だと言ったら、言いすぎだろうか。ちなみに、当時彼女は、既にハリエットという身重の妻のあったシェリーと駆け落ち同然の暮らしをしていたが、この小説を書いたその1816年にハリエットが入水自殺をしたため、正式な妻となった。そういう経歴から考えると、なかなか激しい面もあった女性には違いない。
 もう一つ、これも原作を読むまでは全く知らなかったのだが、どうやらフランケンシュタイン博士と怪物とは、一種のドッペルゲンガー的な関係にあるようだ。後年、フランケンシュタインと言えばそのまま怪物を指すようになったのも、もしかしたらこの点もいくらか作用しているのかもしれない。実際、小説を読んでいて一番薄気味悪かったのは、フランケンシュタインがどこへ行こうと、必ず怪物が現れるという点だった。船に乗ろうと、汽車に乗ろうと、必ずついてくる。怪物の口から、その行程は幾らか語られるのだが、記述として、怪物は見るもの全てに嫌悪を抱かせるほどの醜い容貌であるわけだから、そうした大きな旅行が容易くできるとは思えない。にも関わらず、必ず行く先に現れるのである。読んでいて、誰もがきっと、これは影のようなものではないかという印象を抱くに違いない。おそらくは意識的に、そういう書き方をしているのである。

(続く)

フランケンシュタイン・2

2007年05月11日 | 読書録
 

 ゴシックは過剰である。そしてその過剰は、想像力というより、むしろ妄想によって生まれた過剰だ。僕は、ゴシックの本質はそこにある気がする。妄想であるからこそ、扱われてる題材が幾ら奇矯であっても、より人間的な本質に迫ってるのではないか。そう思えば、ゴシックが今に至るまで、様々なジャンルに影響を及ぼしている理由が理解できる。

 前置きが随分長くなってしまったが、「フランケンシュタイン」である。
 ドラキュラ、狼男と並んで有名な怪物である「フランケンシュタインの怪物」は、言うまでもなく、メアリ・シェリーの想像力によって創造された、史上初の科学的な方法で作られた人造人間である。このことから、ブライアン・オールディスはその著書「十億年の宴」で、「フランケンシュタイン」をSF小説の原点と位置付けているが、これはなるほどと頷ける説だ。僕が読んだ創元文庫版の「フランケンシュタイン」には、そのことも含めて、新藤純子氏による詳細な解説があり、これをまるまる掲載してしまえば事足りてしまいそうだが、そうもゆかないので、多分に重複するだろうが、僕は僕の言葉で「フランケンシュタイン」を読み解いてみる。
 「フランケンシュタイン」は、ゴシック小説の一つの成果として理解されている。この小説の生まれた背景は、同文庫の巻頭に著者の第三版の序として掲載されている。これは有名な話だが、かいつまんで言うと、1816年にジュネーヴ近郊のバイロン邸に、メアリと夫のシェリー、バイロン、バイロンの愛人クレア、バイロンの主治医ポリドリが集まり、ふとしたことからバイロンが、「皆でひとつづつ怪談を書いてみないか」と提案したことがその発端となっている。結局、この提案から生まれたのが、メアリの「フランケンシュタイン」と、ポリドリの「吸血鬼」─これは、吸血鬼小説の元祖とされている─だったのだ。なお、ケン・ラッセルというカルトな映画監督は、このバイロン邸での一夜を題材にした「ゴシック」という映画を撮っていて、これはなかなか気味の悪い、どこまでが現実でどこからかがアヘンの幻覚かわからないという、印象的なトリップムービーだった。DVDには多分まだなっていないので、なかなか見つからないかもしれないが、見る価値のある映画だと思う。

(続く)