漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

アンナ・カヴァン『草地は緑に輝いて』

2020年02月09日 | 読書録

アンナ・カヴァン『草地は緑に輝いて』(安野玲訳/文遊社)読了。

『草地は緑に輝いて』
 表題作。旅先で、色を失ったような風景ばかりを目にしていた語り手の目に、まばゆくエメラルドのように輝く草地の丘の斜面が目に飛び込んでくる。よく目を凝らすと、その斜面には黒い滲みのようなものがいくつも見える。それは…という物語。鮮やかな差し色も相まって、その深淵までも描き出したシュールな絵画を見ているかのような、強烈なインパクトを残す一篇。

『受胎告知』
 おそらくは治安もよくないであろう植民地に住む、裕福な白人の幼い娘が初潮を迎える物語。何が起きたかわからず不安に苛まれる中、その日を堺に、周囲に対する見方を変えるように強いられる少女を通して、彼女を取り巻く環境の不穏な空気を描き出している。

『幸福という名前』
 裕福な家庭に生まれたが、幼い頃に父親にスポイルされてしまい、自分の人生を失ったまま零落し、安ホテルの一室で老境を迎えている女性の物語。重い。

『ホットスポット』
 ある港の手前に停泊した船の上で交わされる会話のワンシーン。船から海を見ているうちに、ここから身投げをしたらどうなるだろうと思った女性が、パーサーに、船から身投げをした人を見たことがあるかと尋ねる。彼はあると答え、少し不思議な話を聞かせてくれる。

『氷の嵐』
 ニューヨークでの生活に見切りをつけるつもりで、列車でコネチカットへと向かうが、雪と氷に覆われた町を歩きながら、その氷に惹かれつつも怯え、再びニューヨークへと戻る決意をするという物語。惹かれつつ、というところが興味深い。間に新聞の見出しが挟み込まれるのが不思議な効果。解説にもあったけれど、長編『氷』へと繋がる掌篇なのかもしれない。

『小ネズミ、靴』
 孤児院で育った少女が、10歳のとき引き取り手が現れて、自分とさほど変わらない年頃の少年の下女として売られてゆく、その瞬間を描いた掌編。短い中に、少女の期待や不安、この先の生活についてが描き出されている。

『或る終わり』
 命が尽きようとしているオットセイの視点と、そのオットセイを発見するカップルの男女の視点が交互に語られる。解説によると、ヘミングウェイの同題の短編を意識しているのではないかということ。なるほど、簡潔な台詞といい、そうかもしれない。

『鳥たちは踊る』
 自然を満喫したいと思い訪れた町だったが、その願いは叶えられず、泊まっている宿の支配人も町の外の自然あふれる場所へ行きたいという彼女の願いには奇妙なほど冷淡だった。もう帰ろうと決め、最後にその町の外れの湖へとゆく。そこで彼女が目にしたものは…。
静寂に包まれた前半部から狂騒の後半部への移行が、まるで不意に現れた幻覚のようで、強烈なインパクトを残すが、謎は一切解明されない。まるでいつか見た夢を描いたスケッチのような、静けさと幻想と残酷さの共存する、鮮烈な短編。

『クリスマスの願いごと』
 南洋の心地よい情景から物語は始まる。しかしいささか書割りめいたその穏やかさは急速に遠ざかってゆき、クリスマスにたったひとりで寒い部屋の中にいるという現実が現れて…という物語。対比の中から、なんとも寂しい、おそらくは多くの人が感じたことのあるであろう、孤独の姿が浮かんでくる。それにしても、世界中を旅し、ミャンマーでは結婚生活も送っていたカヴァンにとって、南国とはどういうものであったのだろう、と思う。カヴァンと南国というのは、結構興味深いテーマの気がする。

『睡眠術師訪問記』
 ちょっとした風刺SF風の掌編。自分の人生が自分のものではなくなる、ということを描いているのだが、しかし一体何を風刺しているのか。愛のようなものだろうか。あるいはもしかしたら、後に彼女を死へと導くこととなった、ヘロインなのかもしれない。

『寂しい不浄の島』
 解説によると、おそらくはバリ島を舞台にした、スケッチ風の掌編。人物も含めた光景の描写が主で、さほどストーリーらしいものはない。しかし、バリにはもう30年も前になるけれど、一度行ったことがあるので、懐かしく読めた。

『万聖節』
 これはちょっとわかりにくいんだけど、解説によると散文詩的な小品ということで、確かにそうなんだろうと思った。印象に残るのは最初は青、それから白だのすみれ色だのといった、様々な色彩が次々に用意されて、そのカラフルな色彩の中をドブネズミが貫いているという構図。もうちょっと読みこめば、もっと上手く表現できるかもしれないけれど、今はそんな程度しかわからない。

『未来は輝く』
 両親を亡くした少年は、〈高楼都市〉と呼ばれる都市で「常任主席サイバネティックス顧問」という重要な役職についているという伯父を頼って船旅をする。しかし、到着するやいなや、まるで汚いもののような不当な扱いを受けるものの、伯父の役職を出した途端、扱いは一変する。どうやらその都市には、想像を絶するような格差が存在するらしい。裕福な上流階級の人々が住む〈ハイシティ〉と、貧しい下級階級の人々の住む〈レーンズ〉。彼は伯父に連れられて〈ハイシティ〉でのなんの不自由もない生活に入ってゆくが…というディストピアSF風の中編で、この本の約1/3を占めている。ただしSF風なのはその外見だけで、限りなく不条理な物語が展開される。カヴァンの小説は大抵そうだが、この世界の成り立ちについての説明は一切されないし、物語は限りなく絶望に近いところで途切れるように幕が下ろされる。どう考えたって楽しくない、暗闇でさえない白い白痴的な暗闇をまっすぐに見つめ、そこに説明もできないような奇妙な安らぎを見いだせる人だけがカヴァンを読む資格がある。そんな風に改めて感じさせられた気がした。

 というわけで、全13篇。シュールで、少し白の混じった、それでも多彩な色彩を感じることのできる作品集。
 特に好きだったのは、表題作の『草地は緑に輝いて』と『鳥たちは踊る』の二篇。

『平成怪奇小説傑作集2』

2020年02月02日 | 読書録

『平成怪奇小説傑作集2』(東雅夫編/創元推理文庫)読了。

小川洋子『匂いの収集』はよく出来た短編。阿刀田高の小説を村上春樹風に書いた感じ、というか。

飯田茂美『一文物語集』はすごい。一冊だと濃厚過ぎるかもだが、アンソロジーにこうしてそっと入ってると、ピリリと効いていて、忘れがたくなりそう。

鈴木光司『空に浮かぶ棺』はヒット作『リング』シリーズのスピンオフ短編。これ一作でどれだけ面白いのか、ちょっとよくわからないところもあるけれど、平成のホラーを語る上で『リング』は欠かせないので、一種のマイルストーン的な意味もありそう。

牧野修『グノーシス心中』は、美少年+耽美+スプラッターというか。とても牧野修さんらしい作品。東京グランギニョルとか丸尾末広とか、ああいう流れのものが好きな人には多分たまらないと思う一篇。

津原泰水『水牛群』は連作長編『蘆屋家の崩壊』より。これは昔読んだことがあるので、さらりと読んだ。連作長編という言い方はおかしいかな。細かいところは忘れてしまったけど、バディものとしてかなり面白かった記憶があったが、今回もとても楽しく読めた。このシリーズはあと二冊ほど出ているようだが、そちらは未読。

福澤徹三『厠牡丹』は、牡丹の花に導かれて開かれる暗い記憶の物語の中で、客体と主体が転換する語りに時間や空間が溶けてしまう小説だった。

川上弘美『海馬』。これはずっと昔読んだことがあるが、例によって忘れてた。一種の人魚譚。なぜタイトルが海馬というのか、一瞬脳の海馬との関連も考えたが、よくわからず、単に海馬がトドやジュゴンやタツノオトシゴといった生物を指すせいなのかもしれない。此岸と彼岸が融け合うような川上さんの小説は昔からかなり好き。

岩井志麻子『乞食柱』は、土着的な蛇への信仰と性をからめた物語。ほとんど自分では動くこともできない巫女となった女性の視点から描かれていて、息詰まるような気配が満ちていた。

恩田陸『蛇と虹』は、ちょっと「胎児の夢」のような感じだった。

朱川湊人『トカビの夜』。トカビとは朝鮮で幽霊を指すらしい。ぼくも関西なので、良くも悪くも、この小説の中の空気感はとてもよくわかって、怖いというより少し懐かしかった。物語自体も、ジェントルなゴースト・ストーリー。それにしても、パルナスのCMソングなんてもう…。

浅田次郎『お狐様の話』は狐憑きの少女の話。手慣れた感じの短編らしい短編。破綻のないのが破綻と言いたいくらい。

森見登美彦『水神』は琵琶湖近くを舞台にした、これも一種の人魚もの。美しい文章でしっかり紡がれつつも、破綻のさらに先に向かう。これはすごく好きで、今のところやや特殊な飯田茂美さんを除けば、ベスト。ぼくは怪奇幻想のうちあまり怪奇の方には重心を置いてなくて、小説としての美しさや得体の知れなさの方に嗜好があるので、こういう幻想小説は理想的なもののひとつ。

光原百合『帰去来の井戸』。尾道あたりが舞台かと思ったが、やはりそうみたい。ひとつ前の『水神』にもちょっと通じるところがある内容を扱っているが、こちらはもっとジェントルで分かり易いゴースト・ストーリー。

綾辻行人『六山の夜』。「五山送り火」を題材とした短編(ぼくには「大文字焼き」という呼び方の方が馴染みがあるが)。しかし、どうやらこの短編の中で行われているの送り火はこの世界のものではないようで、そのズレの部分が奇妙な不安を募らせてゆくが、ぼくにはこの作品の上手い解釈ができない。どうやら連作の一篇らしいので、一冊を読めばもう少しわかるかもしれない。綾辻さんは、欅坂46ファンということで勝手に親近感を持っているので、今度読んでみよう。
ここからの三作は『てのひら怪談』より採ったということで、見開き一ページの作品。でもちょっと感想は保留。

山白朝子『鳥とファフロッキーズ現象について』
これはちょっと面白いなと思った。ストーリーそのものは別に目新しいものではないのだけれど(むしろベタなくらいだけど)、そこに異形の「鳥」が当たり前のように介在することで、不思議な味わいになっている。こういった感覚は、どちらかといえば少数に支持されるマンガによくあるものだろうが、なるほど怪談の世界も日常と異形のものがシームレスに同居するようになってきているのかとふと思った。

というわけで、個人的なこの本のベストは
『一文物語集』
『水神』
『鳥とファフロッキーズ現象について』
でした。

『平成怪奇小説傑作集1』

2020年02月01日 | 読書録

『平成怪奇小説傑作集1』(東雅夫編/創元推理文庫)読了。

吉本ばなな『ある体験』は出た当時に読んだことがあった。すっかり忘れていると思ったけど、文章の所々に覚えがあり、若い頃の記憶力ってすごいものだ、取り戻したいなあと変な感想を…。

菊地秀行『墓碑銘〈新宿〉』は極端に影の薄い人の物語。読みながら、ぼくもどっちかと言えば飲食店で注文を忘れられるタイプなんだよなあ、と思った。タイトルを見ると、魔界都市〈新宿〉のスピンオフかと思ってしまうけど、関係なかった(多分)。

赤江瀑『光堂』
新宿のミニシアターの前を通りがかった主人公が、行列に何かと思い足をとめて訊ねると、カルト化した映画が数十年ぶりに公開されるのだという。しかしその映画は、自分がかつて関わったことのある映画であった…という物語。怪奇小説というよりは青春の光と影を描いた物語という方がしっくりくるかも。
ところで、第二巻を読んでいる時も思ったのだが、この傑作集、編年体の形式をとってはいるのだけれど、それと同時に、前後の物語にとても緩いつながりのようなものがあるような気がする。説明も難しいような、とても緩くささやかなつながりなので、もしかしたらぼくに「ないものが見えている」だけなのかもしれないけれども。

日影丈吉『角の家』
この小説は面白い。読みながらも、ぼくはいったいこれが怪談なのかユーモア小説なのか、考えあぐねながら読み進めることになった。物語の先が見えず、そして最後にはちょっと唖然とするような結末を迎える。傑作というより、変な小説としか言いようがない。

吉田知子『お供え』
ある時から、家の角のところに、空き缶にさした花が置かれるようになった…という導入から始まる、なんとも薄気味悪く怖い小説。この本で、ここまで読んできた中では一番怖い。というか、この小説はかなり怖い。シャーリー・ジャクスン『くじ』をちょっと思い出した。

小池真理子『命日』
これも家の物語。幼くして死んだ少女の霊に取り憑かれるという話だけれど、筆致がスティーヴン・キング的というか、まさにモダン・ホラーといった感じ。『リング』とかともちょっと近い。嫌な話だったなあ。だけど、個人的にこの小説でいちばん怖いと思ったのは、その家の間取りの記述だったかもしれない。すごく嫌な間取り。なんだかゾッとした。

坂東眞砂子『正月女』
病のせいで余命がどれほどなのかも分からない女性の物語だが、伏線が分かりやすいので、結末はだいたい想像がついたけれど、登場する女性たちのエゴがからみ合って、まあ、嫌な話だった。

霧島ケイ『家――魔象』
通称『三角屋敷』と呼ばれる、実話系怪談の中では最も有名な話の、おそらく最初に発表された形での作品(『幻想文学48号/1996年』)。それだけに比較的シンプル。語り手である著者が実際に住んだことのある、Y字路に建つ三角形の形をした三階建てのマンションの怪異について記録したもの。非常に不穏な空気に満ちている。これも家についての怪異だが、決定的に違うのは、最初から悪意のもとに、わざと怪異を呼びこむように計算されて建てられた物件であるという点(この建物は現存しているらしい)。ちなみに、この作品の中で著者が相談を持ちかけた友人というのが、この本にも収録されている作家加門七海氏で、この話がネットなどで騒がれるようになったのは氏の著書『怪談徒然草』で紹介されたのがきっかけだとか。
怪談実話というのは昔からあるし、例えばぼくが昔に親しんでいたのはテレビ『あなたの知らない世界』だったり、雑誌『ムー』の『わたしのミステリー体験』のコーナーだったりするけれども、実際に単純に怖いというなら、実話(実際にそうなのかは別として)がいちばん怖いとはぼくは昔から思っていた。特に、「亡くなった祖母の霊が」とかいった因果がはっきりしたものではない、わけのわからない現象についての話は、「もしかしたら他人事ではないかもしれない」と肌で感じる分、怖い(記憶にあるものでいえば、例えば「夜中に目が覚めて階下のトイレに行こうとしたら、廊下の突き当りに置いてある使っていない古いミシンを目のない女性が一心に踏んでいた」とか)。ただし、そういった「実話」は、どこまでも自由な「怪奇小説」とは決定的に違っているとも思っていた。ところが、本職の作家がそうした物語を書くことが昔からままあって、そうしたものはやはりさすがに怖いし、「実話」と「怪奇小説」の間にあるものだという風に思う。この作品などは、さらにネットロア的なものまで付加していった、興味深いサンプルなのかもしれない。

篠田節子『静かな黄昏の国』
近未来。世界の経済的発展から取り残された日本では、普通の人々は高価過ぎて、生鮮食品を食べることさえできなくなっている。高齢化が進み、開発も行き着くところまで行って、広大な自然などほとんど存在しなくなっている。ある夫婦が人生の最後を過ごすために、自然に囲まれた「リゾートピア・ムツ」と呼ばれる終身介護施設に入居することに決める。あらゆるものが揃っている上に、ただし、その場所は教えられないという。一見理想的な場所に思えたが、妻はふと既視感を感じ、やがてその場所の秘密に気づく…
東日本大震災以前に書かれたこの作品は、ホラーというよりもディストピアものの近未来SFといった方が良さそうだが、いまここにあえてこの作品を収録した意図は…といろいろ考えさせられる中篇。

夢枕獏『抱きあい心中』
釣りを趣味にしている語り手は、電車の中で一人の男と出会う。彼はそのあたりの川に詳しく、とっておきの穴場ポイントを教えてくれ、さらに自作の針もプレゼントしてくれる。そこで、地元の釣具店の人にその場所を尋ね(なぜその場所を知ってる、と怪訝な顔はされるが)、その淵へと向かう…
比較的オーソドックスな因縁ものだが、夢枕さんの山や川といった自然を描く筆致はいつも鮮やかで、すっと目に浮かんでくる。

加門七海『すみだ川』
この作品は、川から立ち上る幻燈のようで、わかるようなわからないような感じだった。

宮部みゆき『布団部屋』
江戸時代の、ある商家の秘密と姉妹の強い絆を描いた作品。上手くまとまった、怪談という言葉がしっくりくる一篇。

というわけで、この本でぼくがベストだと思ったのは、ダントツで
吉田知子『お供え』
でした。次点で
日影丈吉『角の家』
霧島ケイ『家――魔象』
あたりかな。