漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 



「この世界の片隅に」 片渕須直監督 こうの史代原作

を観る。

 非常に評判の良い映画のようなので、観てきた。
 凄かった。
 ちょっと、他になんと言って良いのか。
 良かったとか、感動したとか、なぜだか言いたくない。もちろん、面白かったというのは、さらに違う。観終わったあと、まるですっきりしない。ただ深い気持ちになって、映画館の照明が灯るまで、座っていた。ぼくだけではなく、誰も席を立とうとはしない。誰も喋らない。照明が点って、やっと観客は立ち上がって、出口に向かったが、口数少なだった。
 妻は、「『ピアノレッスン』や『パフューム』を観た時のような、もの凄いものを観た感じに近い」と言っていたが、まさにそれ。安易な方向に逃げず、隅々にまで何度も手を加え、できる限りの事はやったという真摯な姿勢が感じが伝わってくる。作品を作り上げるということは、こういうことだと思った。メディアであまり取り上げられなくなるであろうというリスクを犯してまで能年玲奈(本名)を起用したのは、彼女でなければだめだと監督が確信していたからだろうし、実際見事に合っていた。本当に作りたいという気持ちだけを武器に、妥協できないところは妥協せず、クラウドファンディングを利用して、公開にまでこぎつけたのだ。市場調査をし、こうやったら受けるだろうという姿勢で、スポンサーの顔色を見ながら作り上げられた映画とは、背骨の入り方が違う。
 物語はユーモアを交えながら淡々と進むが、非常に重く、文学的である。アニメでありながら、ファンタジーへの飛躍はほとんどなく、まるで小津安二郎の映画のようだと思える場面さえある。波乱万丈のストーリーではなく、ディテールの積み重ねで説得力をもたせてゆくのだが、そのディテールのひとつひとつに確かな手触りがあり、まるで自分の記憶のように印象に残った。ぼくは、すずと水原がふたりきりで土蔵の中で過ごしたときのむせかえるような緊迫感をそっと覗き込んでいたような気がしたし、被爆し、ひとり実家へと帰ってきたが、誰にも気づかれぬまま死んでいった少年を目にした気がした。そして、何度ももうんざりしながら防空壕に逃げ込む事を繰り返していた気がした。空襲のシーンは、これまでに観てきたどの映画よりも怖かった。たったひとりのヒーローも登場せず、戦時が日常になってゆく時代の流れに押し流されてゆく人々ばかりが現れては消える。普通の日常が、徐々に歪んでゆき、気がついたときには根こそぎ奪われている。悲しみさえ、麻痺してゆく。きっとこういうことが、あの当時、日本中で起きていたのだと思った。原爆のシーンなど、もっとエグくて生々しい表現をしようと思えばできたシーンはたくさんあるのだろうが、あえてあっさりとした表現にしたのは、あるいは原爆の目を覆いたくなるような悲惨さというその鮮烈さに目を奪われて、この物語が本当に語りたかったことが伝わらなくなることを避けようとしたのかもしれない。
 非常に文学的な映画だが、一方で、アニメだったから良かった、というのもある。これは、実写でやると、多分、逆に嘘くさくなる。想像力の入り込む余地を大きく残したアニメだからこそ、そしてあの絵だからこそ成し得た、本質的な表現。これをどう消化するのかと、そっくりこちらに投げられた感じがする。人が起こした戦争が、大切なものをたくさん奪い去ってしまった。一億総玉砕の掛け声のもとに戦ってきたが、戦争を始めた人たちは、死よりも降伏を選んだ。最初から、自分たちは死ぬつもりなんてなかったのだ。そうして敗戦を迎えた後も日常は続いてゆく。あの戦争は、いったい何の、誰のためだったのか。死んでいった人は、失ったものは、いったい何のため、誰のために消えてしまったのか。どんな言葉でも、癒やされはしない。どんな理由をつけられても、納得できない。この悲しみは、いったいどこに埋めてやれば良いのか。
 「良かった良かったというけど、ちっとも良くない」と叫ぶすずの声が、耳の奥で鳴っている。


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「風立ちぬ」 宮崎駿監督

を観る。

 言わずと知れた、スタジオジブリの最新作。宮崎駿作品を観るのは、「千と千尋の神隠し」以来だ。
 今までの作品と比べて、この作品の評価には賛否両論があるらしいという噂を聞いていた。観る前にちょっとネットの映画評を眺めたが、評価が両極端のようだった。ということは、実際に観てみなければどちらとも言えないということだと思った。実在の零戦の設計者、堀越二郎を主人公にしたフィクションであるということで、物議を醸すのも当然だとも言えるが、それだけにどんな描き方をしているのか気になった。宮崎駿は、なぜこのタイミングで、そんな映画を撮ろうと思ったのだろう。
 だがそうした疑問は、見終わってしまうと、すんなりと合点がいった。これは良い映画だと思う。「アニメ映画の名作」というよりは、普通に「名作映画」であると言うべきかもしれない。上映時間は二時間以上で、ジブリの映画としては長いが、その長さが気になることはないから、面白くないかもしれないという心配なら杞憂だ。庵野氏の声も、賛否があるようだが、悪くない。ちょうどいいんじゃないかとさえ思った。
 確かに内容的にはやや難しく、早熟な子であっても、小学校の高学年以上でなければちょっと理解はできないだろう。基本的には、対象年齢は中学生以上で、全く子供向きではない。だが監督がしっかりと自分の思いを伝えようとするなら、「自分では何も考えようとしない馬鹿にでも分かる」という安易さは捨てざるを得なかったに違いない。楽しめる作品にはしているが、できるだけ平易にしてさえ、このレベル以下に落とすことはできなかったのだ。
 印象的なシーンがいくつかあって、例えば関東大震災の映像。この部分は、アニメでなければ表現できない非現実的な映像を使って、より強い恐怖を描き出しているように思う。なぜ実際の堀越は体験していないであろう震災のシーンをあえて使ったのかは、少し考えてみれば誰にでも分かるだろう。かつて、日本は不況から震災を経て、満州に侵攻し、太平洋戦争に突入していったのだ。もうひとつ、印象的なシーンは、どうやら連合国軍のスパイとおぼしき、ドイツ人のカストルプが堀越に「ここにいると、すべてを忘れてしまいます。日本が満州国を作ったことも忘れます。国際連盟を脱退したことも忘れます。戦争になれば、日本は終わってしまうでしょう」と語りかけるシーン。このシーンには、時を超えた痛烈な皮肉があり、カストルプの顔は画面に大写しになって、観客に語りかけているかのようだ。彼は、おそらくは最初は意識的に爆撃機の設計者である堀越に近づいたのだろうが、彼が恋をしていて、良い青年であることを知ったせいだろうか、深入りすることをやめて、姿を消す。他にも、飛行機の残骸の中でカプローニと語るシーンとか、色々と考えさせられるシーンがある。
 この映画の評価が別れる大きな原因の一つは、現在の社会に警鐘を鳴らす映画という側面を持っていることがあると思う。右寄りの人には印象がよくない映画だろうし、左寄りの人にとっても、決して座りの良い映画ではないだろう。ネット上での極端な低評価には、その辺も大きく影響しているように思える。零戦を取り上げた映画であるということで誤解を与えぬように、前もって宮崎駿自身が、様々な場で色々と語ったというのも異例だった。おかしな曲解をされて、利用されては困るという意思表明だったのだと思う。
 そういった意味では、この映画の始まる前の映画予告で、やはり零戦を題材にした「永遠の0」をやっていたが、その主題歌を歌ったサザンオールスターズが、間髪を入れずに「ピースとハイライト」という歌を発売したのも、同じような意思表明ではないかと思う。桑田の才能を持ってすれば、もっと解釈の幅の広い、普遍性を持った歌詞を書くこともできるのだろうが、あえて解釈を間違えようがない、ストレートすぎる歌詞をつけたのだろう。タイトルからして、「ピース(平和)とハイライト(極右)」である。宮崎や桑田のように、巨大なファン層を抱えるアーティストが、自らの矛盾を認めてさらけ出しながら、それでもそうした反戦の意思表明を行うことは、非常に意味があることだと思う。
 


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「おおかみこどもの雨と雪」 細田守監督

を観る。

 話題になっていた、細田監督のオリジナルアニメ映画。
 「狼男」ものだが、過去にたくさんある狼男ものとは全く違う視点で描かれている。これまでの狼男を題材にした作品は、狼男の超人性に焦点を当てたものがほとんどだったが、この作品は、狼男との間に生まれた子供を育てる人間の母親に視点が置かれている。人間の母親の名前が花で、娘が雪、そして息子が雨である。この命名に意味があるのかどうかは、分からない。
 この映画の中で、人狼は人に比べてそれほどの特殊な力を持ってはいない。ただ、自由に狼に変身できるというだけである。息子が生まれた直後に不慮の事故で狼男の主人を失った母親の花は、二人の子供を普通の人間として育てようとする。だが、都会ではそれがうまくゆかず、Iターン制度を利用して、人里離れた過疎化しつつある村に移住することにする。物語は、その村の中で雪が人として、雨が狼として、生きてゆくことを決意するまでを描いている。
 映像はわりにきれいだったし、面白かったけれども、唯一、雨が消えてしまった後に、村でひと騒動が起こらなかったのだろうかということが妙に気になってしかたがなかった。村人にしてみれば、なにせ、子供がひとり、行方不明になってしまったのだ。ずっとシビアな描きかたをしていたのだから、そこのところももう少し描いた方が、もっと説得力が出てよかったんじゃないかとちょっと思った。

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「桐島、部活やめるってよ」 吉田大八監督

を観る。

 何となく気になっていた映画。レンタルになったので、借りてきた。
 タイトル等から、なんとなく気にはなっていたけれども、予備知識はほとんど何もなかった。なので、始まってしばらくは、ストーリーがつかめず、いったい桐島はいつ出てくるのだろうと思っていた。中盤になると、さすがにどうやらこれは「ゴドーを待ちながら」みたいに、桐島が出てこない作品なのだということに気づいたけれども、逆に言えば、そこまでは「桐島の不在」というものがテーマであると納得しなかったわけだった。さらに正直に言えば、最後まで、物語の最後には出てくるのだろうとちょっと考えていた。そして、この漠然とした物語になんらかの結末をつけてくれるのだろうと。まあ、たしかに全く出てこないわけではなかった。だけど、きちんとした形では、結局不在のままだった。それで、唐突にエンドロールが流れた時には、「あれ、これで終わりか」と呆然としてしまった。
 映画自体は、もしかしたらかなりいい映画じゃないかと思う。一度見終わって、もう一度最初から見ると、さらによく分かるようになる映画だと思う。人間関係の説明が丁寧にされているわけではないし、金曜日から始まる数日間のストーリーの時間軸が、やや視点を変えて、繰り返されたりするので、最初は余計にわかりにくい部分もある。だけど、見終わってから思い出すと、なるほどそういうことかと納得できる。最近の、涙あり笑いありという、どれも同じような映画とは全く違う文法で作られているのがいい。
 映画の主人公は、一人に固定されず、誰が主人公であっても成立するようになっているが、それでも大きく全面に出てくるのは、学校の中での立ち位置が対照的な二人。キクチとマエダである。キクチというのは、野球部らしいのだが、現在休部しているようで、それでもほとんど練習しなくても結果を出せるような少年。ルックスも良く、彼女にも不自由しない。嫌味なくらいに、何もかも揃っているが、だからといって、嫌なやつというわけではない。逆にマエダは地味な少年で、映画研究部の部長。剣道部の片隅にある狭くて臭そうな部室に、オタクの仲間たち(男ばっかり)と一緒に巣食っている。もちろん、女子には全く相手にされていない。それでも、顧問の先生に「お前たちの年にしかわからないリアルな青春恋愛映画を撮れ」と言われても、「それは僕たちにとってはちっともリアルじゃない」と突っぱね、撮りたいゾンビ映画を撮ろうとする程度の気概は持っている。女子に相手にもされない彼にとって、甘酸っぱい青春映画など、ゾンビ映画以上に非現実的な世界なのだ、ということを自覚している。
 物語は、このキクチたちの周囲の「桐島という学校一のスターがいなくなって右往左往している世界」と、マエダたちの「桐島がいなくなったことなど、どうでもいい世界」とが平行して語られる。象徴的なのが、映画の最後で、屋上に桐島の姿を遠目に見たと連絡を受けたキクチたちの世界の生徒たちが、大挙して学校の屋上に向かうが、それより先に屋上でロケをやろうとして向かっていたマエダたちは、階段ですれ違った桐島に、ほとんど興味すら示さないというシーン(桐島は後ろ姿しか映らない)。屋上に到着した「桐島たちの世界」にいる生徒たちが、そこには桐島はおらず、いるのはゾンビの格好をしたマエダたちだけであるというのを眼にして、絶望に打ちひしがれる姿とは対照的である。そして、物語のクライマックスも、ここにある。ここで、実は密かに「桐島たちの世界」と「マエダたちの世界」の、力の逆転が起きているのだ。それはもちろん、誰にも気づかれない。当のマエダでさえも気づくことはなく、カメラの部品を拾ってくれたキクチに対して、悠長に彼をカメラ越しに見ながら、「やっぱり格好いいね」とか言っている。だがただひとり、キクチだけは、そこで起こったことの真実を垣間見ている。実力があるはずの自分たちは、その中でも最も才能のある桐島がいないということで右往左往し、絶望感に打ちのめされている。それに対して、桐島の不在など何の関係もなく、自分の持っている力の限界を自覚しながらもなお、自分たちの価値観で行動するマエダたち。自分は本当は深い虚無の中でいて、心の底ではマエダたちや野球部の先輩のことが羨ましいのだと気づいたとき、それまでほとんど無表情だったキクチは、涙を流すのだ。
 映画の最後で、キクチは初めて親友の桐島に電話をかける。その電話がつながったのかは、わからない。彼が何を言おうとしたのかも、分からない。もちろん、桐島が何を考えているのかも語られない。分かるのは、キクチの中で何かが決定的に変ってしまったということだけである。
 見終わった後に、じわじわといい映画だったという気がしてくる。誰にでも簡単に理解できるような映画は、すぐに忘れてしまうものだし、こういった、自分でいろいろと考える余地のある映画は、最近では特に、貴重だと思う。


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「僕の大事なコレクション」 リーブ・シュライバー監督

を観る。

 chakaさんに教えてもらった映画。良い映画だった。
 ユダヤ人のジョナサンが、祖父のルーツをたどってウクライナへと向かう。そこで祖父と一枚の写真に隠された真実を知ることになる……というストーリ。第二次対戦の生んだ悲劇を、軽快なロードムービーに仕立てている。細部にこだわりぬき、練られたストーリーも感動するのだが、アレックスをはじめ、俳優の演技がとてもいい。
 映画の最後のほうで、いくつかのきちんと解決されない謎が残される。だがそれは、解決されなくてもよいものなのかもしれないと、そう思えるから不思議だった。それはおそらくは、「大切な余白」とでも呼ぶべきものなのだろう。

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「ヒューゴの不思議な発明」 マーティン・スコセッシ監督

を観る。

 SFXの父、ジョルジュ・メリエスを扱った映画。物語そのものは虚構だが、メリエスの生涯については、ほぼ史実に沿っているということ。日本では稲垣足穂らに強烈な影響を与えたメリエスは、晩年にはモンパルナスの駅の小さなおもちゃとキャンディの売店で、実際に売り子をして生計を立てていたというが、この映画はその頃を舞台にしている。人びとに忘れ去られ、負債だけを抱えて全てを失ってしまった失意のメリエスが、この映画の中に登場する孤児のヒューゴの活躍によって、再評価されるまでを描いている。
 メリエスは、かつては「月世界旅行」がミニシアターなどで定番のプログラムだったし、異端文学者の稲垣足穂をはじめ、さまざまなサブカルチャーのクリエーターらに影響を与えたことから、日本とのつながりも深い。映画自体、とても面白い映画で、スチームパンク的な映像もすばらしかった。映画館に観にゆけば、もっと楽しめたかもしれないとちょっと思ったりした。



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「コクリコ坂から」 宮崎吾朗監督

を観た。

 妻が原作本を映画化以前から持っていたので、原作をパラパラと読んだ後に観たのだが、ほとんど別物になっていた。
 何より、原作のキャラクターたちは、あんなに「いい子」たちではなかった。ジブリ路線からすれば、原作どおりのキャラクターにするわけにもゆかなかったのかもしれないけれども、そこを無難にいつもの感じにしてしまったところが、映画を「何とも言えない、薄っぺらくて漠然とした感じ」にしてしまった大きな原因なのかもしれないと思ったり。光と影のコントラストが弱いんだろうな、という気がする。
 ラストも、あまりに唐突にまとめてしまった感があるし、伏線っぽいところが、見事に回収されないままに放って置かれているように感じた。あれ、あれは伏線じゃなかったのか、というところがやたらと目についた。シナリオがどこかいきあたりばったりで、練りこまれていない気がする。絵にも、なんだか魅力がないし。
 同じようなジブリの「爽やかな青春映画」でも、「耳をすませば」とは随分と完成度に差があると思った。

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「亀は意外と速く泳ぐ」 三木聡監督

を観る。

 「The Mist」の後味がとても悪かったので、面白そうなものをと思い、借りてきた。
 面白い。平凡な主婦がスパイになる(んだかならないんだか)という話で、特にこれといったストーリーがあるわけではない。だけど、小さな笑いが積み重なって、気がつくと別世界にいる。そんな感じ。

 日曜日には、清瀬でひまわりフェスティバルがあるというので、ちょっとサイクリングがてらに自転車で遠出。都内最大級というが、遠目にはそんなに広くもないなあという印象。だけど、その中に入るとやはりひまわりの中に埋もれるような感じ。スペインのアンダルシアとか、すごいんだろうなと思った。

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「ミスト」 フランク・ダラボン監督

を観る。

 スティーブン・キングの中編が原作となった映画。
 脚本はよく練られているし、悪い作品ではないと思ったが、最後の最後でやらかしてくれていて、なにせかなり後味が悪い。映画に関してはハッピーエンド、というか腑に落ちる作品が好きなので、単純に好みの問題だが、その点では不満だった。途中までは、「ウィリアム・ホープ・ホジスン作『ナイトランド』につづく」といった感じだなあとか、ちょっと思いながら観ていたが、何もこんな終わり方にしなくてもと唖然。もっとも、原作ではこのエンディングはちょっと違うらしい。
 ただし、物語自体はキングらしい内容。一番怖いのは、霧そのものではなくて、人間そのものであるという点で。

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「借りぐらしのアリエッティ」  米林宏昌監督

を観る。

 スタジオジブリのアニメ作品。
 「となりのトトロ」なんかと同じで、大作というものではないけれども、日常のある一時期を描くタイプの、ささやかないい映画だった。なにより絵が綺麗。小さなアリエッティらから見た世界の感覚も、とてもリアル。アニメとか漫画とかは、やっぱり絵だとつくづく感じた。かなり好きな映画。

 映画の舞台は、おそらくは武蔵野だろうと思う。自転車などで通って、見覚えのあるような風景がところどころで見られた。あの川は野川だろうなとか、あそこはきっと天文台の裏だとか、考えながら観た。


 実は先月に職場を変わったため、どうも落ち着かず、ブログの更新は途切れがちになっていますが、飽きたわけではありませんので(笑)、どうぞこれからもよろしくお願いします。

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「ぼくのエリ」 トーマス・アルフレッドソン監督

を観る。

 吸血鬼もののスウェーデン映画。ハリウッドリメイクが企画されているとかいないとか。
 脚本や演出はとてもよく練られていた。映画自体が、円環を描いているようなところも、スマートな印象。残酷なシーンも多いが、そんなに嫌な感じはしない。ちゃんと描かれてはいないけれども、それぞれの人間の置かれている状況が把握できる。内容が内容だけに、強く訴えかけてくる映画でもなかったけれども、短編小説には向いているかもしれえない。

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「サマーウォーズ」 細田守監督

を観る。ストーリー的にはライトノベルの映像化という感じ。映像はなかなか綺麗だが、これといった印象は残らないかも。


「曲がれ!スプーン」 本広克行監督

を観る。「サマー・タイムマシーン・ブルース」の監督の作品だが、面白さではちょっと劣る。でも、「しょうもなさ」に徹しているのはいい。

 今日は一日雨。写真は、井の頭公園にて先日撮った一枚。ソメイヨシノの芽も、膨らんできていた。

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 昨日は天気が良かったので、国立まで自転車でポタリング。片道20kmくらいだろうか。特にこれといった目的があったわけでもないのだが、強いて言えば「谷保天満宮の近乗会」があるということを妻が言っていたから。別にクラッシックカーがとりたてて好きというわけでもない。どちらかというと、僕は車にはものすごく疎い方で、なんとか運転できるだけという程度。基本的に、車の運転はあまり好きじゃないのだ。
 国立では、駅前の広い並木道を、何台かのクラッシックカーが走ってゆくのを見ることができた。印象的だったのは、僕たちのとなりで上品そうなおばあさんが一生懸命に携帯で写真を撮っていたこと。若い頃のことなどを思い出しているのかなとか、勝手な想像を楽しむ。
 夜は、たまたまつけていたテレビで紀里谷和明監督の「GOEMON」をやっていたので、観た。これが、とても面白かった。多分、評価はまっぷたつに分かれる作品なのだろうが、僕は笑いながらとても気持ちよく観た。時代考証とか、お約束とか、全部すっとばして、ぐいぐいと魅せてくれるのがいい。最後のゴリの場面だけは、多分世の中が乱れるということをずっと危惧していたゴリが思わず取った行動なのだろうが、それにしてもちょっと説明不足というか、唐突な感じがしたが、それ以外は言うことなし。やりたいようにやって何が悪いという、この確信犯的な破綻は、もっと評価されていいんじゃないかという気がする。

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 「幻影師アイゼンハイム」 ニール・バーガー監督

を観る。

 
 スティーヴン・ミルハウザー原作の同名作品の映画化。原作は、読みかけたことはあったと思うのだが、もう十数年も前のことなので、すっかり忘れていた。
 映像がなかなか綺麗だったし、楽しめた。最後の仕掛けは、ちょっと強引すぎて、色々と突っ込みどころ満載なのだが、それを言うのはそれこそ野暮というものだろう。

 先日は、娘の学校の合唱コンクールで、これが中学生最後の合唱コンクールとなるから、初めてでかけてみた。何だか懐かしくて、自分の合唱コンクールのことなどを思い出したりした。

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「イン・トゥ・ザ・ワイルド」 
ショーン・ペン監督

を観る。

 公開されていたとき、話題になっていた映画。平たく言えば、自分探しの旅の果てに死んでしまうという内容だけれど、視点が登場人物の誰かに寄り過ぎることがないので、なかなか面白かった。

 ところで、僕は自分のサイトとして、ウィリアム・ホープ・ホジスンのファンサイトをやっているのだが、借りていたインフォシークのサービスが今月いっぱいで終了するということを、なんと昨日知った。最近放置していたので、気がつかなかったのだ。困ったけれど、急に移転の作業も出来ないので、しばらくはそのまま放置になってしまうかもしれない。やめるつもりもないので、近いうちに移転はするつもりだが、いつになるかはまだわからない。今度はniftyの中につくることになると思う。

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