漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 




「桐島、部活やめるってよ」 浅井リョウ著 集英社刊

を読む。

 映画を先に見ていたので、だいたいのストーリーの流れはわかっているつもりだったが、映画と小説とでは、やはりやや違う。勿論、大筋では違わないのだが、印象としては、映画の方がもしかしたら優れているのではないかという部分がいくつかあったように思った。
 最も映画の方がいいと思ったのは、映画少年である前田涼介の描き方。さすがに映画監督だけあって、映画版ではその造形にこだわりが細かい。何より、「僕らにとって、恋愛映画なんてゾンビ映画以上に非現実的」であるとして、あくまでもゾンビ映画を撮ろうとしたところが秀逸で、ここの部分は、原作の上をいっているように感じた。それに、原作の中でもやや浮いているように感じる実果のエピソードを、思い切りよくごっそり削ったのもよかったと思う。
 逆に小説のほうがよかったと思うのは、それぞれの登場人物について、もう少しその心情にふみいって書かれているところで、結果として映画よりも随分とわかりやすいものになっている。映画で菊池がながした涙の意味もはっきりと描かれているし、桐島についても、映画では、その実像にほとんど触れられることがなかったが、小説ではもう少し突っ込んで描かれていて、部活をやめようと思った理由も示唆されている。ただし、映画版が好きなひとにとっては、それはむしろ蛇足のように思えるかもしれない。
 僕の素直な感想は、小説や漫画を納得のゆく形で映画化するのはかなり難しいと思うのに、それを見事にクリアしてみせたこの映画のシナリオの完成度の高さに、本を読んで改めて感心した、というものだった。もちろん小説は小説でおもしろかったし、小説より映画のほうがよかった、とまでは言わないけれども。



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「おおかみこどもの雨と雪」 細田守監督

を観る。

 話題になっていた、細田監督のオリジナルアニメ映画。
 「狼男」ものだが、過去にたくさんある狼男ものとは全く違う視点で描かれている。これまでの狼男を題材にした作品は、狼男の超人性に焦点を当てたものがほとんどだったが、この作品は、狼男との間に生まれた子供を育てる人間の母親に視点が置かれている。人間の母親の名前が花で、娘が雪、そして息子が雨である。この命名に意味があるのかどうかは、分からない。
 この映画の中で、人狼は人に比べてそれほどの特殊な力を持ってはいない。ただ、自由に狼に変身できるというだけである。息子が生まれた直後に不慮の事故で狼男の主人を失った母親の花は、二人の子供を普通の人間として育てようとする。だが、都会ではそれがうまくゆかず、Iターン制度を利用して、人里離れた過疎化しつつある村に移住することにする。物語は、その村の中で雪が人として、雨が狼として、生きてゆくことを決意するまでを描いている。
 映像はわりにきれいだったし、面白かったけれども、唯一、雨が消えてしまった後に、村でひと騒動が起こらなかったのだろうかということが妙に気になってしかたがなかった。村人にしてみれば、なにせ、子供がひとり、行方不明になってしまったのだ。ずっとシビアな描きかたをしていたのだから、そこのところももう少し描いた方が、もっと説得力が出てよかったんじゃないかとちょっと思った。

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「鳥の神殿」 リチャード・ブローティガン著 藤本和子訳 晶文社刊

を読む。

 盗まれたボーリングのトロフィーを探す三兄弟と、ひと組の夫婦の物語が並行して語られ、最後に交わるという構成の作品。そう書くと、結構きちんとした構成がなされた長編のようだけれども、そうではなくて、いつものごとく、ひとりごとのような短い断片でできている。読み方次第では、結構深いことが書かれている作品のような気がするが、結局何の物語だったのかと、読み終わった後に首をひねる作品でもあった。面白いかと聞かれれば、別に面白くないと答えるが、じゃあ駄作なのかと聞かれれば、そういうのともちょっと違うと答える。それ以外に、感想が思い浮かばない。

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「22世紀のコロンブス」 J.G.バラード著 南山宏訳 集英社刊

を読む。

 原題は「Hello America」。もう二十年近く前に原書で読んだが、最初のイメージこそ鮮烈だったけれども、途中でなんだか面白くなくなってきて、一応最後まで読みはしたものの、分からないところもそのままにして適当に読み終えてしまった記憶がある。それで今回は、邦訳書で再読してみたが、やはり印象としては二十年前と同じで、途中で飽きてきて、そこからは駆け足で読みきってしまった。
 舞台は、石油が枯渇した近未来(とはいえ、もはや今では過去のことになってしまうのだが)のアメリカ。その頃には、人々はエネルギーなしではやってゆけないアメリカを捨てて、ヨーロッパに移住してしまっており、アメリカは打ち捨てられた大陸になっている。そこへ、主人公たちが船でやってくるところから物語は始まる。
 沈んだ自由の女神像が海面下から見上げ、マンハッタンは黄金に染まっているという導入部は印象的だし、現代のアメリカをユーモアたっぷりに強烈に皮肉っているあたりは面白いと思うのだけれど、マンソンが出てくるあたりで、いつもだんだんと飽きてきてしまう。いくらエネルギーがないからといって、アメリカが完全に打ち捨てられてしまう理由が今ひとつわからないとか、高速道路とか色んな施設とかがそのまま残っているのがおかしいとか、もともとバラードにそんなツッコミをいれても仕方がないというのは充分にわかってはいるのだが、この小説に関しては、石油の枯渇が引き起こした未来図という中途半端にリアリティのある設定が災いして、どうしてもそうした細かいところが色々と気になり始めて、白けてしまっているところに、偽物のチャールズ・マンソンに過去のスターのホログラム、歴代大統領のロボットだから、「なんだそりゃ」って気分になってしまうのだ。結局のところこの作品は、アメリカという国に対する、愛憎を半ばにした一種の風刺小説だというのはわかるのだけれど、今となっては目新しい視点ではないし、何よりぼくには面白くないのだから、しょうがない。

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「ビジネスマン」 トマス・M・ディッシュ著 細美遥子訳
創元推理文庫 東京創元社刊

を読む。

 ニューウェーブSF運動の中心人物のひとりとして、あるいはサミュエル・R・ディレーニと並ぶゲイのSF作家のひとりとして有名だが、これはホラー。ただしそこはディッシュ、一筋縄ではゆかない。妻を殺害したデブのビジネスマンが最後には報いを受けるというのが大筋なのだろうが、勧善懲悪的な話だというには、やや迷う。殺された妻ジゼルは、昇天することもできず、死んでなお因果的に自分を殺したビジネスマングランディエに繋ぎ止められている上に、復讐をすることもできない幽霊の状態で、彼に妊娠までさせられてしまい、その結果として、生者と死者のあいの子として、とても邪悪な子供が生まれてしまうのだから。
 生者と死者の世界が、境界線を持ちながらも曖昧に重なりあっているこの小説は、チャールズ・ウィリアムズの「万霊節の夜」のようなスリラーになりそうな題材でいながら、軽くて、しかも意地の悪いユーモア小説の体裁をとっている。「夢幻会社」の頃のJ.G.バラードに似ているところもあるし、どこか人をくった小説でもあるので、好き嫌いは分かれそう。僕は、実はあまり乗れなかった。

 写真は、神奈川県庁本庁舎、通称「キング」の屋上。関東大震災後に建てられた帝冠様式の厳しい建物で、1996年に有形文化財として登録された。「クイーン」の塔が内部をリニューアルしているのに対して、こちらは昔のままの姿を残している。先日、一般公開されていたのでちょっと入ってみた。厳しい上に天井が低く、どこか暗いので、使いやすそうな建物ではなかったけれども、雰囲気だけはさすがにあった。

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「アサイラム・ピース」 アンナ・カヴァン著 国書刊行会刊

を読む。

 おそらくは「ビブリア古書堂の事件手帖」で彼女のサンリオ文庫版「ジュリアとバズーカ」がちらりと出てきた、その影響が後押ししたせいだろうが、三十数年ぶりに新しいアンナ・カヴァンの翻訳書が出た。数年前に「氷」がバジリコから一部改訳で出版されたことがあるものの、未訳単行本の翻訳出版は本当に久しぶりのこと。ちなみに、この本が出てしばらくして、つい先月の終わりには、「ジュリアとバズーカ」が文遊社から単行本として復刊されたが、こちらは中身はサンリオ版のままのようで、改訳はされていないようだ。どうしても読みたいと思っていた人には朗報だろうが、いざ復刊されてしまうと、「ジュリアとバズーカ」に関しては、どうしてもサンリオ文庫の表紙や白っぽい背表紙とセットになっている、「ノスタルジー込み」の一冊のように思えてきて、サンリオ版も持ってはいないけれども(「氷」と「愛の渇き」は、当時に買っていたのに、どうして「ジュリアとバズーカ」は買わなかったのだろう)、買わないと思う。読むだけなら、図書館でも読めるのだから、もしそのせいで少し値段が落ち着いてくれたとしたら、サンリオ版で欲しいとは思ったりはするけれども。これは、読みたい本というよりは、サンリオSF文庫という形で、手元に置きたい本なのだ。これで、カヴァンの最も読むのが難しい本は、「愛の渇き」ということになったようだ(ところで、カヴァンとは関係ないが、やはりサンリオ文庫の古書価の最高値、ピーター・ディキンスンの「生ける屍」も、ちくま文庫から復刊されるようだ。これで、五万超えの馬鹿げた値段、少しくらいは落ちつくのだろうか)。
 「アサイラム・ピース」は短篇集だが、同じ空気感を持つ作品ばかりが収録されており、断片的な長編小説のようにも思える。それは、「アサイラム(精神病院)・ピース(断片)」というタイトルからも伺える。一冊の本を通じて、漂ってくる空気とは、孤独と絶望、そして疎外感である。どの作品をとっても、ひたすら冷たくて暗い。だがその病室の壁のような冷たさが、クセになってくるから不思議だ。アンナ・カヴァンの小説を読むということは、その冷たさを共有する経験なのだろう。
 収録作の中で、最も有名なのは冒頭の「母斑」で、岸本佐知子編訳のアンソロジー「居心地の悪い部屋」などにも収録されている。いかようにも読める作品だが、例えば自分の昔を振り返ったとき、ほんの小さな罪の意識を思い出すような、そしてそこから現在までの距離感を感じ、軽い自己嫌悪を覚えるような、寂寞とした気分になる名品。ずっとむかし、村上春樹の「国境の南、太陽の西」を読んだ時も、虚ろな姿をした過去が扉を叩くような、こんな感覚を描こうとした作品なのかもしれないと思ったことがあったが、こちらの短編は、ごく短い中でそれが見事に表現されているように思える。
 「アサイラム・ピース」は、アンナ・カヴァンがカヴァン名義になってから初めて書いた作品集で、カフカにも比されたこの一冊で文壇に認知されたという。ある意味で、これ以降のカヴァンの作品は、どれもがこの一冊の延長線上にあって、それこそ「断片」として存在していると言えるかもしれない。収録作の中で、きちんとした物語として完成されたものはほとんどないし、どれも似たりよったりだが、それだけにカヴァンの「核」となる一冊なのだろうと思う。
 

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