漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

紫の雲・・・126

2012年03月31日 | 紫の雲
 船の方へ行こうと基底の東の階段を下り、もう少しで半ば辺りに差し掛かろうという時、ツルツルとした金の上で足を滑らせた。落下は不注意に歩いていたせいではなかったから、ぼくはその転落という暴力は、押されたせいだと毒づいた。ぼくは頭を打ち、それから転がるように落ちて行って、気を失った。意識が戻った時には、一番下の階段に横たわって、ワインの波に身体を少し洗われていた。もう一転がりしていたら溺れ死んでいたに違いない。ぼくはそこで一時間ほど座り込んで、呆けたようになっていたが、それから舗装道路を横切り、自動車に乗ってスペランザ号の方へと下っていって、船に乗り込むと、その日は一日中働き続け、船上で眠り、翌日もまた、船とタイム・ヒューズ(ぼくはヒューズを700個だけを持って出たが、ガラタ、トファナ、カシム・パシャ、スクタリなどは数に入れないとしても、スタンブールだけでも8000戸の住宅があるだけに違いない)の両方の場所で四時まで働くと、五時三十分に船出した。そして午後十一時現在は、マルモラ島の北海岸の二百マイル沖で横になっているが、月の光が海の面でほくそ笑み、一陣の北風が吹いていて、小さな薄っぺらい陸地が、厳かにそして偉大に、まるでそれこそが世界の全てであり、他には何もないかのようにずっと広がっているのが見えていた。小さな島は広大で、スペランザ号は巨大だが、ぼくはちっぽけだった。明日の午前十一時にスペランザ号をゴールデン・ホーンの湾内に係留する予定であるが、そこには海軍雑誌の後ろの方のページに載っているような低俗な薄暗い売春窟があり、丘にはキャピタン・パシャの宮殿がある。

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Descending to go to the ship, I had almost reached the middle of the east platform-steps, when my foot slipped on the smooth gold: and the fall, though I was not walking carelessly, had, I swear, all the violence of a fall caused by a push. I struck my head, and, as I rolled downward, swooned. When I came to myself, I was lying on the very bottom step, which is thinly washed by the wine-waves: another roll and I suppose I must have drowned. I sat there an hour, lost in amazement, then crossed the causeway, came down to the Speransa with the motor, went through her, spent the day in work, slept on her, worked again to-day, till four, at both ship and time-fuses (I with only 700 fuses left, and in Stamboul alone must be 8,000 houses, without counting Galata, Tophana, Kassim-pacha, Scutari, and the rest), started out at 5.30, and am now at 11 P.M. lying motionless two miles off the north coast of the island of Marmora, with moonlight gloating on the water, a faint north breeze, and the little pale land looking immensely stretched-out, solemn and great, as if that were the world, and there were nothing else; and the tiny island at its end immense, and the Speranza vast, and I only little. To-morrow at 11 A.M. I will moor the Speranza in the Golden Horn at the spot where there is that low damp nook of the bagnio behind the naval magazines and that hill where the palace of the Capitan Pacha is.

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"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki



マイナス・ゼロ

2012年03月30日 | 読書録

「マイナス・ゼロ」 広瀬正著
集英社文庫 集英社刊

を読む。

 この本は、中学校の頃に持っていて、読んだことがあるのだが、内容はすっかりと忘れてしまっていた。同じ作者の作品でも、「ツィス」とか「鏡の国のアリス」は結構印象に残っているのに、一番有名なこの作品の記憶が薄いというのは、考えてみれば不思議だ。それで、図書館で借りて再読した。
 この小説は、いわゆる「タイムパラドックス」ものだが、「記憶の自浄作用」という、パラドックスに対する一つの解決法を提示したことで有名。今回再読してみて、正直その部分は多少無理があるような気がしたけれども、綿密に取材された物語の舞台そのものがとても生き生きと魅力的に書かれているので、そんなことは棚にあげても、面白く読める。それにしても、若くして亡くなった広瀬正の小説は、時々思い出したかのように再刊されるから、根強い魅力があるのだなと思った。

ついでにもうひとつ。

「レインツリーの国」 有川浩著
新潮文庫 新潮社刊

を読む。

 明らかに笹本祐一の「妖精作戦」をもとにした、(一応)架空の伝説的ライトノベル「フェアリー・ゲーム」のトラウマ的ラストが取り持つネットを介した恋愛を描いた作品。同じ作者の有名な「図書館戦争」シリーズの、一種のスピンオフ作品らしい。この作品の影響か、最近東京創元社から「妖精作戦」が再刊された。
 この小説は、難聴者と健常者の恋愛を描いたものだが、面白いのかといえば、ちょっと読んでいて恥ずかしかったというのが一番的を得た感想かもしれない。
 それにしても、「妖精作戦」とは、懐かしい。
 高校の頃、仲の良かった友人がやはりこの作品の大ファンで、物語のラストの切なさを切々と僕に訴えかけてきたのをよく憶えている。確か貸してくれたはずだが、読まなかったとずっと思っていたのだが、つい最近、図書館でまとめて借りて、ざっと読んでみたところ、なんとなく覚えがある。どうやら一度斜め読みしたことがあるようだと、初めて気づいた。ざっと読んで、読んだことにして、返したのだ。なんで忘れていたのだろう。たぶん、ぼくには面白くなかったからだ(笑)。

兇天使

2012年03月29日 | 読書録

 最近は、読書はかなりしているが、感想をアップすることは少なくなっている。読む本のほとんどが、日本のエンターテイメント小説、あるいはヤングアダルト向けの小説なので、ちゃんと感想を書こうという気にまではなかなかならないせいかもしれない。なぜそうした本ばかり読むのかといえば、いろいろな小説をさらりと大量に読んでみたくなったからで、特に意味はない。日本の小説が多いのは、やはり翻訳ものは読みにくいから。長い間翻訳小説ばかり読んできていて、最近こうして日本の小説ばかりまとめて読んでいると、改めて翻訳小説の読みにくさを感じる。光文社の古典新訳文庫のように、単に漢字を減らして平易な言葉を使った書き方をすればいいというのではなく(何冊か読んだけれど、これではかえって読みにくいと感じることがあった)、もっと別の、根本的な問題なのだろう。
 
 「兇天使」 野阿 梓 著
 ハヤカワ文庫 早川書房刊

を読んだが、舞台がヨーロッパにも関わらず、さすがに読み難さは感じない。これは随分と昔の作品で、刊行当時は萩尾望都の表紙で、二分冊されていたのを憶えている。高校の頃、めったに大賞を出さないSFマガジンの大賞を受賞した、同じ作者の「花狩人」を読んで、なんだか読みにくいなあと感じたのは、その少女漫画のような耽美的な世界観のせいだったのだろうと思うが、相変わらず萩尾望都的な少年愛趣味満載とはいえ、今ではほとんど気にならないで読めた。今でも余り古く感じないのは、さすが独自の世界を描き続けている作家だけのことはあるのだろう。

死都ブリュージュ

2012年03月28日 | 読書録

「死都ブリュージュ」 G.ローデンバック著 窪田般彌訳
岩波文庫 岩波書店刊

を読む。

 二百ページにも満たない、中編といっていいほどの短い小説なのに、なんて長く積読していたのだろう、と思う。初めて「死都ブリュージュ」を知った、高校生の頃から考えると、四半世紀で、本当に長い。これには理由があって、当時、読んでしまうのがもったいないような気がして、後回しにしたのだ。それ以来、今に至っていた。
 もったいないような気がしたのは、当時が多感な時期であったのと、ゆっくりと物語を味わうように読むというやり方をしていた時期であったせいだ。国書刊行会の「フランス世紀末文学叢書」の一冊として刊行された「死都ブリュージュ・霧の紡車」を神戸市の中央図書館から借りてきて、最初に「霧の紡車」を読んだのだが、とても美しいと思った。それで、その同じ作者の長編はもっとすばらしいのだろうと思い、今度買って読もうと決めたのだ。ところが、その後で色々と欲しい本が出てきて、どんどんと後回しになり、やがて岩波文庫から窪田般彌訳のこの本が出たので買ったのだが、その頃はちょうどほとんど本を読まない時期だったので、書架にしまったままになってしまっていた。結果として、読む時期を逃してしまった一冊になってしまったわけだった。
 今回、ふと久々に手にとって、通勤の間にさらりと読んでしまった。感動したというより、やっと読んだなという気持ちだった。よい小説だとは思うが、物語世界にどっぷりと耽溺できる頃に読むべき本だったとも思った。
 この一作で、ブリュージュという町を「殺して」しまったローデンバック。町の人びとにしてみれば、そんな形で町が有名になるのはいい迷惑だろうが、考えてみれば、そんなことはなかなかできることではないから、すごいことだと思った。ローデンバックの想像力の勝利だ。一人の詩人のイメージが、現実を侵食し、町をまるごと包み込んでしまったのだから。

東京ゲートブリッジ

2012年03月27日 | 近景から遠景へ
 先日の日曜日は穏やかに晴れていたので、夫婦でぶらりと家を出て、新宿方面の電車に乗った。
 最初は特に行き先を決めていなかったのだが、電車の中で、新木場まで行って、最近完成した東京ゲートブリッジを見ようと決めた。
 新木場の駅前のsubwayでサンドウィッチを買い、同じく駅前のセブンイレブンで飲み物などを買い、そこから延々と若州公園を目指して歩いた。片道で、たぶん三キロから四キロちかくあると思う。場所が場所だけに、木材関連の工場が多い。湾港地帯なので、平日ならば物流関係や工場関係の車などでごった返しているのだろうが、休日にはほとんど人の姿がない。
 随分と歩いたところで、彼方にゲートブリッジが見えてきた。なんだか、二匹の動物が顔を寄せ合っているような感じ。
 さらに歩いて、若州公園の遊歩道に入る。そこからは、若州ゴルフリンクスに遮られて、橋は見えない。代わりに、舞浜方面にディズニーランドが見える。遊歩道は、たぶん一キロ以上に渡って、延々とまっすぐに続いている。その途中で、昼食をとった。そしてさらに歩く。
 遊歩道が突き当たり、曲がったところで、一気にゲートブリッジが見えた。開放的な気持ちになる。



 橋の周囲には、結構な数の観光客がいた。自転車で来ている人も多そうだ。
 橋には、エレベーター、または階段で上がる。建物で言えば、だいたい八階ほどの高さ。



 ゲートブリッジは、高すぎず低すぎずということで建設されたということだが、やはりかなり高い。東京の湾岸線が一望できる。東京スカイツリーと東京タワーが同時に見える。こうしてみると、スカイツリーの高さが際立っているのがよくわかる。東京タワーは、ビル群の中から頭ひとつ出ているものの、スカイツリーは、目算でその倍ほどある。じっと見ていると、なんだかスカイツリーの周囲がなんだかスチームパンクの香りがしてみえる。
 この橋は、渡ることはできるけれども、反対側には降りることができない。向こうまで行ったら、そのまま引き返すしかない。行き先が、絶賛開発中の埋立地なので、仕方ないだろう。僕たち夫婦は、結局橋の一番真ん中まで行って、折り返してきた。

紫の雲・・・125

2012年03月21日 | 紫の雲
 ぼくはずっと、自分の人生のことについて、考えてきた。そこには何か、ぼくには理解できないものが存在しているのだ。
 暗い過去、時の深淵の中で、かつて出会った、一人の男がいた。そのときぼくはまだ青二才だったにちがいない――英国にある学校か大学にいた時のことだった思う。そして彼の名前は、今では記憶の中からこぼれ落ちて、過去の出来事の広大な深淵の中に失われてしまっている。だが、彼は事あるごとに「黒」と「白」の力について、そしてこの世界に対するその二つの力の争いについて、語ったものだった。彼はローマ風の鼻をした、背の低い男だったが、太鼓腹が成長してゆくのを心配していた。彼の額の額の一番出ている部分は、横を向くと鼻の先端よりも高く、髪の毛を真ん中で分けており、そして男は女よりも美しい容姿を持っていると信じていた。彼の名前は忘れてしまった――ぼんやりとした、透明で曖昧な存在として。彼の言葉は、とても深く心に残ったが、それにも関わらずぼくはそれを嘲笑ったものだった。この男は常に「黒」が最後には勝利を収めると断言していた。そう彼は信じていた、信じていたのだ。
 この「黒」と「白」の力が存在すると仮定するなら――そしてもしぼくの北極点への到達と人類の破滅に関連性があるとするなら、あの常人離れしたスコットランド人の牧師の考えによると――そのとき「黒」の力があらゆる障害にも関わらず、ぼくを北極点にまで連れていったに違いないのだ。そこまではいい。
 だが、ぼくが北極点に到着したその”後”は、「黒」と「白」のどちらがぼくにより強く作用したのだろうか?「黒」と「白」の――そのどちらが――氷上の長い帰路のあいだ、ぼくの生命を保たせてきたのか――そして、それは”なぜ”なのか?それが「黒」であるはずは”ない”!なぜなら、ぼくが北極点に到着した時こそが予め準備されていた、「黒」の唯一の望みである以上、その瞬間に役目は終わり、殺されてしまっていたに違いないと容易に推測できるからだ。つまりそれは「白」であったに違いなく、戻るために長い時間をかけさせたのは、ぼくに毒の雲の中を通らせないためであり、それから忽然と、ヨーロッパへとぼくを帰すためのボレアル号を、目の前にまで運んできて渡してくれたのだ。だが、その動機はなんだ?そしてその沈黙の果てに、この再び溢れ出した争いの意味は?これがぼくには理解できないのだ!
 呪わしい、忌まわしい、その狂気の混乱が!ぼくは彼らのために何一つ心を砕くまい!そもそもが、どんな「白の阿呆」や「黒の阿呆」がいるというのだ――?あるいは、ぼくが耳にしたそうした「声」は、自分自身の張り詰めた神経の叫び以外の何者でもなく、そしてぼくはすっかりとおかしくなって病み果てている、病的で狂気、狂っているというのか、神よ?
 この怠惰さ、この場所はぼくのためにならない!この宮殿の周りを歩き回ることは!そして「地球」と「天国」、「黒」と「白」、「白」と「黒」、そして星々の彼方のものについて、思い悩むことは!ぼくの脳はまるで、哀れな頭骨を破って飛び出してしまいそうだ。
 明日は、そう、コンスタンチノーブルだ。
 
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I have been thinking, thinking of my life: there is a something which I cannot understand.
There was a man whom I met once in that dark backward and abysm of time, when I must have been very young―I fancy at some college or school in England, and his name now is far enough beyond scope of my memory, lost in the vast limbo of past things. But he used to talk continually about certain 'Black' and 'White' Powers, and of their strife for this world. He was a short man with a Roman nose, and lived in fear of growing a paunch. His forehead a-top, in profile, was more prominent than the nose-end, he parted his hair in the middle, and had the theory that the male form was more beautiful than the female. I forget what his name was―the dim clear-obscure being. Very profound was the effect of his words upon me, though, I think, I used to make a point of slighting them. This man always declared that 'the Black' would carry off the victory in the end: and so he has, so he has.
But assuming the existence of this 'Black' and this 'White' being―and supposing it to be a fact that my reaching the Pole had any connection with the destruction of my race, according to the notions of that extraordinary Scotch parson―then it must have been the power of 'the Black' which carried me, in spite of all obstacles, to the Pole. So far I can understand.
But after I had reached the Pole, what further use had either White or Black for me? Which was it―White or Black―that preserved my life through my long return on the ice―and why? It could not have been 'the Black'! For I readily divine that from the moment when I touched the Pole, the only desire of the Black, which had previously preserved, must have been to destroy me, with the rest. It must have been 'the White,' then, that led me back, retarding me long, so that I should not enter the poison-cloud, and then openly presenting me the Boreal to bring me home to Europe. But his motive? And the significance of these recommencing wrangles, after such a silence? This I do not understand!
Curse Them, curse Them, with their mad tangles! I care nothing for Them! Are there any White Idiots and Black Idiots―at all? Or are these Voices that I hear nothing but the cries of my own strained nerves, and I all mad and morbid, morbid and mad, mad, my good God?
This inertia here is not good for me! This stalking about the palace! and long thinkings about Earth and Heaven, Black and White, White and Black, and things beyond the stars! My brain is like bursting through the walls of my poor head.
To-morrow, then, to Constantinople.

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"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki



紫の雲・・・124

2012年03月16日 | 紫の雲
 そいつらはぼくとの関係を絶ったのだと思っていた!何もかもが、すべて、みんな、終わったのだと!ぼくはこの二十年、声を耳にしたことなどなかったのだ!
 だが今日――はっきりと――騒々しく争いながら、ぼくの意識の中にいきなり割り込んでくるのを……ぼくは聞いたのだ。
 このごろはファー・ニエンテ(訳注:イタリア語で「憂いがない状態」の意)で、虚しい怠惰が、ぼくの魂をだめにしてきていた。この地球上で、生気もなく、気が滅入っている。空虚な生、破裂しそうな頭!今日の昼、食事の後、ぼくは自分に語りかけた。
 「ぼくは宮殿のせいで騙されていた。心のやすらぎを求めつつ宮殿を建てることで、自分自身をすり減らしてきたが、そこにはやすらぎなどなかった。だからもう、ぼくはそんな場所から旅立つべきなのだ――もっとほかの、もっと甘美な仕事へと――建てるのではなく壊す仕事へと――天国ではなく地獄へと――自己を否定するのではなく、赤い狂騒の中へと。コンスタンチノーブル――覚悟するがいい!」ぼくは椅子を脇に放り投げ、音を立てて立ち上がった。そして立った時に――再び、そう再び――ぼくは聞いたのだ。驚くほどに唐突な口論を、荒々しく品のない放言と、弁舌さわやかな争論を、それはぼくの意識がそれを聞き取れなくなるまで続いた。片方は煽り立てていた。「やれよ!やっちまいなよ!」そしてもう片方は「そこはだめだ!ほかの場所ならともかく……そこはだめだ!身の破滅だぞ!」
 ぼくは行かなかった――行けなかったのだ。ぼくはそれで打ち勝った。ぼくは震えながら長椅子の上に崩折れた。
 明らかに昔なじみのように感じたこうした声、あるいは衝動は、今ぼくの中で目新しい率直さで口論をする。最近では、自分の習性的な科学的思考のせいで、かつて自分が「二つの声」と呼んでいたものは現実のものではない二つの強い本能的な衝動であり、ほとんどの人びとが、もしかしたらずっと小さな力ではあるかもしれないが、感じていたようなものなのかもしれないと考えることもあった。だが今日、疑惑は去った、疑惑は消え失せた。そうではなかったのだ、もしぼくが狂っているのなら、ふたたび疑うことができたはずはない。

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I thought that they were done with me! That all, all, all, was ended! I have not heard them for twenty years!
But to-day―distinctly―breaking in with brawling impassioned suddenness upon my consciousness.... I heard.
This late far niente and vacuous inaction here have been undermining my spirit; this inert brooding upon the earth; this empty life, and bursting brain! Immediately after eating at noon to-day, I said to myself:
'I have been duped by the palace: for I have wasted myself in building, hoping for peace, and there is no peace. Therefore now I shall fly from it, to another, sweeter work―not of building, but of destroying―not of Heaven, but of Hell―not of self-denial, but of reddest orgy. Constantinople―beware!' I tossed the chair aside, and with a stamp was on my feet: and as I stood―again, again―I heard: the startlingly sudden wrangle, the fierce, vulgar outbreak and voluble controversy, till my consciousness could not hear its ears: and one urged: 'Go! go!' and the other: 'Not there...! where you like, ... but not there...! for your life!'
I did not―for I could not―go: I was so overcome. I fell upon the couch shivering.
These Voices, or impulses, plainly as I felt them of old, quarrel within me now with an openness new to them. Lately, influenced by my long scientific habit of thought, I have occasionally wondered whether what I used to call 'the two Voices' were not in reality two strong instinctive movements, such as most men may have felt, though with less force. But to-day doubt is past, doubt is past: nor, unless I be very mad, can I ever doubt again.

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"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki


2012年03月11日 | 読書録
 
 「光」 三浦しをん著 集英社刊
 
 を読む。
 このタイミングで読んだのは、全くの偶然だったが、伊豆七島のどこかをモデルにしたと思われる島が津波で壊滅するシーンから始まる。物語自体も暗くて救いがなくて、何とも言えない空虚さ。震災以前の出版された本だが、震災後の今ならもしかしたらお蔵入りになってしまったんじゃないかというほどで、後味も最悪。なぜだろう、読み終えた時の印象が、村上春樹の「国境の南太陽の西」を読んだときと似ている気がした。どちらの物語の主人公も自分勝手な衝動に突き動かされて日常を逸脱し、最後には何事もなかったかのような日常に帰ってゆくが、その日常はもはやかつての日常とは根本的に違ってしまった、底のない空虚さがぽっかりと口を開けている日常なのだ。

 今日は震災から一年目だが、様々に深刻な問題を内在しながら、まだまだ薄闇の中を進んでいるようだ。根本に横たわる経済という怪物を飼い慣らすための、真摯で繊細な政治的な舵取りがますます重要となっているように思うが、聞こえてくるのは「とりあえずは増税」という言葉ばかり。追うように、大阪からは、不気味な極右的な声が聞こえてくる。ヨーロッパや中東にも黒い雲が見える。薄闇の彼方に見えるものが、本当の「光」であるようにと祈らずにはいられない。

紫の雲・・・123

2012年03月09日 | 紫の雲
 だがこの記述はしていなかった――何一つ!
 この宮殿に備え付けた家具のことを、ぼくは何一つ書いていない……だが、なぜぼくが自分が「知っている」ことを明かすのをためらうのかは、はっきりしない。もし「神々」がぼくに話しかけるなら、ぼくは間違いなく「神々」のことを書くように思う。なぜならぼくは「神々」を恐れているのではなく、「神々」と対等な者なのだから。
 島のことをぼくは何一つ書いていない。その大きさ、気候、形状、植生……。ここには二種類の風が吹きつける。北風と南風だ。北風は冷たく、南風は暖かい。南風は冬の数カ月の間に吹き、そのおかげで時にはクリスマスの期間は本当に暖かい。冷たい北風は五月から九月に吹くから、夏が耐え難いということはめったになく、気候はまるで王の為にしつらえたかのようだった。南の広間にあるマンガル・ストーブに火を入れたことは一度もない。
 島の全長は、十九マイルほどのはずだ。幅は十マイルか、そのくらいだ。最も高い山は二千フィートにも達するほどだが、登頂したことはない。島の大部分は深い森に覆われており、明らかに野生化した小麦と大麦が伸び邦題に生育していて、スグリ、イチジク、バロニア、タバコ、様々な蔓植物、それに二箇所の大理石の採石場があった。日当たりの良い、美しくスロープを描く高原の草地には、十五本の巨大なヒマラヤスギ、そして七本のプラタナスの投げかける円形状の影が点在していて、そこに建っている宮殿からは、森の際の側面と、北へと広がる湖の微かな輝き、そして小渓谷には東へと流れてゆく小川と小さな橋、それに少しばかりのこじんまりとした茂みと花畑が見えた。ぼくはまた、じっと眼を凝らした――

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 今こそぼくは書くべきだろう。
 今日、ぼくは自分の中で「声」が争うのを聞いたのだ。

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But it was not to write of this―of all this―!
Of the furnishing of the palace I have written nothing.... But why I hesitate to admit to myself what I know, is not clear. If They speak to me, I may surely write of Them: for I do not fear Them, but am Their peer.
Of the island I have written nothing: its size, climate, form, vegetation.... There are two winds: a north and a south wind; the north is cool, and the south is warm; and the south blows during the winter months, so that sometimes on Christmas-day it is quite hot; and the north, which is cool, blows from May to September, so that the summer is hardly ever oppressive, and the climate was made for a king. The mangal-stove in the south hall I have never once lit.
The length, I should say, is 19 miles; the breadth 10, or thereabouts; and the highest mountains should reach a height of some 2,000 ft., though I have not been all over it. It is very densely wooded in most parts, and I have seen large growths of wheat and barley, obviously degenerate now, with currants, figs, valonia, tobacco, vines in rank abundance, and two marble quarries. From the palace, which lies on a sunny plateau of beautifully-sloping swards, dotted with the circular shadows thrown by fifteen huge cedars, and seven planes, I can see on all sides an edge of forest, with the gleam of a lake to the north, and in the hollow to the east the rivulet with its little bridge, and a few clumps and beds of flowers. I can also spy right through――
It shall be written now:
I have this day heard within me the contention of the Voices.

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"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki


紫の雲・・・122

2012年03月07日 | 紫の雲
 今ぼくの目の前に聳えているこの宮殿の、壮麗で素晴らしい光景は、ペンと紙とで書き表すことなどできないが、とはいえ、言語の語彙の中にはそうした単語があるの「かも」しれず、もしぼくが建設のために費やした十六年という歳月と同じ歳月を、インスピレーションを受けたウィットを持ってそれを探し求めていたなら、ぼくの考えを紙の上に鮮やかに表現できたかもしれない。寄せ集められて構築されたそれを、目に映るままに表現する、賢者の石のように。だがそのような仕事や技能は、他の人間がいて、そしてその天啓とも言えるような繊細な観念を伝えようとする努力をしないのなら、衰えてゆくものだろう。
 その構造物は疑いもなく、太陽にも比するほどに清々しく、月にも劣らぬほど美麗だ――人の手で作られた、コストという抑制に囚われていない唯一の仕事である。階段ひとつだけをとっても、ニムロデ(訳注:ノアの曾孫)の時代とナポレオンの時代の間に建てられた全ての寺院、モスク、バザール(besestins)、宮殿、仏塔、大聖堂などよりもずっと経費が注ぎ込まれているのだ。
 居住部そのものはとても小さい――四十フィートの奥行き、三十五フィートの差し渡し、二十五フィートの高さしかない。だがその建造物全体は相当に巨大で、高く聳えていた。その容積の大部分を占めるのは基底であり、底の一辺がそれぞれ四百八十フィート、頂上から底までの高さは百三十フィート、頂上部は四十八平方フィートの正方形になっており、そこまではちょうど三十階ほどの階層があって、周囲の四辺から頂上へは、滑らかな溶解金でしっかりとコーティングされた、百八十三段の低くて長い階段が伸びていた――連続的なひと続きの階段ではなく、三、五、六、九の数字のつく段には踊り場があり、頂上からの眺めは、まるで大いなる黄金の階段状のバルテール(花壇)のようだった。その建造物は、アッシア人の宮殿をモデルにした。ただし、基底の階段は一面だけではなく、全ての面に作った。その基底の上、縁から住居の黄金の壁までは、一辺が二フィートの、ガラスのように磨いた金の正方形のタイルと磨いた黒玉の正方形のタイルのモザイクでできていた。基底の四十八平方フィートの頂上部の縁周りにある各辺のプレートのうちの十二枚は二フィートの高さがあって、上に向かって先細りになっており、先端には純金のノブがあって、そこに空いた穴には大体一インチ半ほどの色あせた銀の鎖が通り、その鎖には、そよ風でさえカチカチと触れ合う、小さな銀の玉がぶら下がっていた。この大邸宅には、海へと続く東方に面した外庭と、そしてその住居に似合った中庭があった。外庭は、幅が三十二フィート、長さが八フィートの長方形の窪地で、その三枚の壁の頂上部は銃眼付きの胸壁になっていた。胸壁は18と1/2フィート、あるいは8と1/2フィートの高さで、住居よりも低かった。その黄金の側壁の周りには、内側にも外側にも、天井から三フィートのところに、幅が一フィートで三分のニインチ突き出した、簡素で平らな銀の帯が走っていた。そして東に面した簡素なエジプト風エントランスのゲートのところに、下底よりも上端がニと二分の一フィートほど細くなった、四十五フィートのの高さの、閉じた蓮の柱頭、そして細い柱礎を持った、どっしりとした純金製の二本の巨大な方角柱が立っていた。外庭の中、門のすぐ反対側には、3×12フィートの長方形の井戸があって、庭の形を小規模に再現していたが、その井戸の側面には金の裏打ちがあって、下に向かうにつれて次第に細くなりながら、基底の底近くにまで伸びており、そこには1/8インチの直径の導管があって、年間に湖水が蒸発する平均的な値の量を自動的に充填できるようになっていた。その井戸には、ほぼ満たした状態だと105,360リットルのワインが貯められるようになっており、湖は直径が980フィート、深さが3-1/2フィートで、基底の周りを囲んでいた。井戸の周りには、小さな玉の付いた銀の鎖によって結合された柱形が並んでおり、井戸からは1/8インチの導管によってワインが中庭に導かれていたが、これは八本の背が高く細い金製のタンクから供給されているもので、そのタンクは上の方が次第に周囲が細くなっており、それぞれに異なった種類の赤ワインが満たされていて、ぼくの一生分の、あらゆる目的のためには十分に足るものだった。またその外庭の地面には、黒石と金のモザイクが敷き詰められていた。だがその時から黒石の方石は銀の方石に、そして金の方石はオイルを固めたかのような透明な琥珀の方石に、完全にその場所を譲った。入り口はエジプト風の戸口に倣って、内開きの、金メッキをしたヒマラヤスギの折れ戸で、三と二分の一フィートの幅の極めて単純なラインを持つ、純銀のとても大きく突き出した笠石によって囲まれ、隅々に至るまで、物質的に極めて豊かに見える効果を倍増していた。その装飾は、アーシリア風やエジプト風の家というより、ホメロス風だとぼくは考える――ただし、”回廊”だけは、純粋にバビロン風であり、古代ヘブライ風だ。ワインのプールと貯水槽がある中庭は、9×8フィートの小さな長方形をしていて、その上には開いた同じ比率の四つの銀メッキの格子窓、そして二枚のドアがあり、前のドアも後ろのドアも、同じ比率の長方形だった。この周りには、その住居にふさわしい八枚の壁が続き、外と内とは十フィートの間隔で、それぞれ並行する二枚がひとつの長い小部屋のような回廊を形作っており、正面(東)の二枚を除いて、三つの区画に分かれていた。住居のそれぞれ側面には、巨大な純銀製のパネルが六枚あって、真ん中の空間が半インチ薄く、そこには絵が貼られているが、そのうちの二十一、二枚はパリを焼き尽くしていたときにかつては「ルーブル」と呼ばれた場所から持ってきたものであり、ニ、三枚はイギリスから持ってきたものであった。羽目板が額縁のように見えるようにと、ぼくが見つけ出したいちばん淡い色のアメジスト、トパーズ、サファイア、トルコ石を卵型の花冠にして周りを飾ったが、それぞれの花冠は、側面では二フィートの幅を持ち、天地で一インチにまで細くなっている一種類の宝石だけで作った単なる輪にすぎず、デザイン性に欠けたものだった。回廊には五つの窪みが別個に、屋根の下の外壁に穿たれてあり、東のファザード(建物の正面)には二つ、そして北、南、西のファザードには一つづつあって、パープル、ブルー、ローズ、そしてホワイトの、リングと金のロッドの付いたシルクの天幕が張られ、金の柱形と手すりがあって、それぞれ屋上から四つの階段で入るが、そこへ導くのは、北と南の、二本のヒマラヤスギの螺旋階段である。東の屋上の上には、阿舎があって、その中には小さな月望遠鏡があった。そしてその高所から、回廊から、この地域の明るい月明かりの、まさにライムのような光の下で、マケドニアの永遠の静寂の青い丘、サモトラキ島、レムノス島、テネドス島が、エーゲ海に浮かぶ紫の妖精のように、まどろんで見えているのを眺めることができた。大抵は、ぼくは日中に眠って、夜は長い不寝番を続けていたが、しばしば真夜中に下へと降りていって、ワインの湖の中に入り、色付きの風呂を浴びたが、それは鼻孔、眼、毛穴の奇妙な陶酔で自分自身を楽しませるためで、その底で、長い時間大きく開いた瞳で夢見ていたが、放心して戻ると、力無く酔っ払っていた。あるいは再び――これら六ヶ月の空虚と怠惰の中で二度――ぼくは自分の派手なボロ服を引き裂いて、吠えながらこの豪華絢爛な神殿から突然走り去り、岸辺の小屋に身を隠して、強烈な一瞬で滅ぼされたこの地球の過去を理解して、嘆き続けた。「一人だ、一人だ……完全に一人きり、一人きり、ひとり………ひとり、ひとり……」その出来事はまさに、ぼくの脳内で生じた爆発のようだった。そしてある光り輝いていた夜には――ああ、何と輝いていたことか!――ぼくは屋上に崩れるように跪いて、顔を上に向け、大きく手を広げ、「永遠なるもの」への愛を込めながら、畏れに打ちのめされていたかもしれない。その次には、ぼくは雄鶏のように気取って歩き回り、罪にも等しい奔放さで街を燃やすことへの強い欲望を抱きながら、ゴミの山を転げ回り、まるでバビロンの狂人のように、自分を天にも等しい者とみなしていたのかもしれない。

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It is a structure positively as clear as the sun, and as fair as the moon―the sole great human work in the making of which no restraining thought of cost has played a part: one of its steps alone being of more cost than all the temples, mosques and besestins, the palaces, pagodas and cathedrals, built between the ages of the Nimrods and the Napoleons.
The house itself is very small―only 40 ft. long, by 35 broad, by 27 high: yet the structure as a whole is sufficiently enormous, high uplifted: the rest of the bulk being occupied by the platform, on which the house stands, each side of this measuring at its base 480 ft., its height from top to bottom 130 ft, and its top 48 ft. square, the elevation of the steps being just nearly 30 degrees, and the top reached from each of the four points of the compass by 183 low long steps, very massively overlaid with smooth molten gold―not forming a continuous flight, but broken into threes and fives, sixes and nines, with landings between the series, these from the top looking like a great terraced parterre of gold. It is thus an Assyrian palace in scheme: only that the platform has steps on all sides, instead of on one. The platform-top, from its edge to the golden walls of the house, is a mosaic consisting of squares of the glassiest clarified gold, and squares of the glassiest jet, corner to corner, each square 2 ft. wide. Around the edge of the platform on top run 48 square plain gold pilasters, 12 on each side, 2 ft. high, tapering upwards, and topped by a knob of solid gold, pierced with a hole through which passes a lax inch-and-a-half silver chain, hung with little silver balls which strike together in the breeze. The mansion consists of an outer court, facing east toward the sea, and the house proper, which encloses an inner court. The outer court is a hollow oblong 32 ft. wide by 8 ft. long, the summit of its three walls being battlemented; they are 18-1/2 ft. in height, or 8-1/2 ft. lower than the house; around their gold sides, on inside and outside, 3 ft. from the top, runs a plain flat band of silver, 1 ft. wide, projecting 2/3 in., and at the gate, which is a plain Egyptian entrance, facing eastwards, 2-1/2 ft. narrower at top than at bottom, stand the two great square pillars of massive plain gold, tapering upwards, 45 ft. high, with their capital of band, closed lotus, and thin plinth; in the outer court, immediately opposite the gate, is an oblong well, 12 ft. by 3 ft, reproducing in little the shape of the court, its sides, which are gold-lined, tapering downward to near the bottom of the platform, where a conduit of 1/8 in. diameter automatically replenishes the ascertained mean evaporation of the lake during the year, the well containing 105,360 litres when nearly full, and the lake occupying a circle round the platform of 980 ft. diameter, with a depth of 3-1/2 ft. Round the well run pilasters connected by silver chains with little balls, and it communicates by a 1/8 in. conduit with a pool of wine let into the inner court, this being fed from eight tall and narrow golden tanks, tapering upwards, which surround it, each containing a different red wine, sufficient on the whole to last for all purposes during my lifetime. The ground of the outer court is also a mosaic of jet and gold: but thenceforth the jet-squares give place throughout to squares of silver, and the gold-squares to squares of clear amber, clear as solidified oil. The entrance is by an Egyptian doorway 7 ft. high, with folding-doors of gold-plated cedar, opening inwards, surrounded by a very large projecting coping of plain silver, 3-1/2 ft. wide, severe simplicity of line throughout enormously multiplying the effect of richness of material. The interior resembles, I believe, rather a Homeric, than an Assyrian or Egyptian house―except for the 'galleries,' which are purely Babylonish and Old Hebrew. The inner court, with its wine-pool and tanks, is a small oblong of 8 ft. by 9 ft., upon which open four silver-latticed window-oblongs in the same proportion, and two doors, before and behind, oblongs in the same proportion. Round this run the eight walls of the house proper, the inner 10 ft. from the outer, each parallel two forming a single long corridor-like chamber, except the front (east) two, which are divided into three apartments; in each side of the house are six panels of massive plain silver, half-an-inch thinner in their central space, where are affixed paintings, 22 or else 21 taken at the burning of Paris from a place called 'The Louvre,' and 2 or else 3 from a place in England: so that the panels have the look of frames, and are surrounded by oval garlands of the palest amethyst, topaz, sapphire, and turquoise which I could find, each garland being of only one kind of stone, a mere oval ring two feet wide at the sides and narrowing to an inch at the top and bottom, without designs. The galleries are five separate recesses in the outer walls under the roofs, two in the east façade, and one in the north, south, and west, hung with pavilions of purple, blue, rose and white silk on rings and rods of gold, with gold pilasters and banisters, each entered by four steps from the roof, to which lead, north and south, two spiral stairs of cedar. On the east roof stands the kiosk, under which is the little lunar telescope; and from that height, and from the galleries, I can watch under the bright moonlight of this climate, which is very like lime-light, the for-ever silent blue hills of Macedonia, and where the islands of Samothraki, Lemnos, Tenedos slumber like purplish fairies on the Aegean Sea: for, usually, I sleep during the day, and keep a night-long vigil, often at midnight descending to bathe my coloured baths in the lake, and to disport myself in that strange intoxication of nostrils, eyes, and pores, dreaming long wide-eyed dreams at the bottom, to return dazed, and weak, and drunken. Or again―twice within these last void and idle six months―I have suddenly run, bawling out, from this temple of luxury, tearing off my gaudy rags, to hide in a hut by the shore, smitten for one intense moment with realisation of the past of this earth, and moaning: 'alone, alone ... all alone, alone, alone ... alone, alone....' For events precisely resembling eruptions take place in my brain; and one spangled midnight―ah, how spangled!―I may kneel on the roof with streaming, uplifted face, with outspread arms, and awe-struck heart, adoring the Eternal: the next, I may strut like a cock, wanton as sin, lusting to burn a city, to wallow in filth, and, like the Babylonian maniac, calling myself the equal of Heaven.

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"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki



三浦しをん

2012年03月04日 | 読書録

 最近、三浦しをんさんの小説を続けて三冊読んだ。特に理由があった訳ではなく、たまたま図書館で、直木賞受賞作で映画化もされた「まほろ駅前多田便利軒」を手にとって、借りてきたのが最初。
 「まほろ駅前多田便利軒」は、作中ではまほろ駅となっているが、明らかに町田駅周辺を舞台にした、推理小説的な要素がちょっとある小説。これが結構面白かった。それまで三浦しをんという作家の名前だけは知っていたが、名前等から何となく、長野まゆみみたいな「腐女子作家」という感じの作家なのかな、と思っていた。ただ、娘が中学校の時にこの作家の作品が課題図書になっていて、結構面白かったと言っていたので、気にはなっていたのだ。実際に読んだ感想は、物語作家としての才能のある人だな、というものだった。
 次に読んだ「木檜荘物語」(祥伝社)は、「まほろ駅前多田便利軒」に比べると、余技的というか、やや流して書いている感じがしたけれども、構造的には同じような小説。一読して思ったのは、これは小説版「めぞん一刻」という感じだなあということ。そんな感じの、コメディ小説だった。セックスがテーマになる短編がほとんどだったので、それよりはややアダルト向けではあったけれども。
 それで次には娘に、学校の課題図書になっていたという「風が強く吹いている」を借りて読んだ。
 これが、びっくりするくらい良かった。
 十人中、二人を除いてすべてマラソン素人の集団が、半年間で箱根駅伝を目指す物語である。ありえないといえばありえない、言ってみれば、スポコン小説版「ドラゴン桜」といっていいような小説。それが、この人の手にかかれば、異様な高揚感を持った小説に変ってしまう。最終章の「流星」の章などは、圧巻という他はない。天分を持った作家と言うしかない。以前、桐野夏生の「メタボラ」という小説を読んだときに、これは漫画でもいいんじゃないかと書いたことがあるけれども、これは小説でなければダメだ、と思った。「メタボラ」は、あくまで社会的リアリティを背景にした小説で、様々な現代的な病巣を盛り込んでいたが、それとはうらはらに、というべきか、それゆえに、というべきか、漫画で読者の裾野を広げても扱う内容から受ける印象が大きく変化することはないし、むしろ強烈になる可能性があると思ったのだ。だけどこの「風が強く吹いている」は、漫画みたいな設定にも関わらず、実際に漫画にしてしまっては台無しになる可能性が高いと感じた(実際には、読んではいないが漫画化されているし、それだけでなく映画化さえされているけれども)。これは、直感的なものだ。僕の印象としては、三浦しをんは、文章で漫画を描いているのではないだろうかと思う。それも、徹底的に真摯に。
 ところで、随分と前のことだが、実は三浦しをんさんを一度見かけたことがある。場所は町田の有名な大型古書店。店員さんとずいぶん親しい話をしている女性がいるなと思い、階段を下りながらふと脇を見ると、三浦しをんさんのサインが写真入りで飾ってあった。それを見て、「あ、さっきのひとだ」と気づいた。たったそれだけのことだけれども、面白い出来事だったので、印象に残っている。
 


紫の雲・・・121

2012年03月01日 | 紫の雲
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 今から六ヶ月前、それは完成した。建設に携わっていた十六年間よりも、孤独や苦しみに苛まれた六ヶ月。
 一人の男が――他の男だ――例えばシャー(訳注:イラン国王の尊称)、あるいはツァー(訳注:旧ロシア皇帝の称)のような、遠い過去の人間が、今のぼくを見たら何と言うだろうかと想像する!畏怖とともに、この眼差しに宿る荒々しい威厳を前にして、間違いなく縮み上がるだろう。そしてぼくが狂人ではないにも関わらず――違う、ありえない――そいつはぼくに向かって何と感嘆の声を上げるだろうか。「ここにいるのは、真の狂気に犯された『尊大なる者』だ!」
 彼にはそう見えるだろう――そうに違いない――ぼく自身が、ぼくの周りにあるものが、何か途方もなく高貴で、戦慄を禁じえないもののように。ぼくは太って、胴回りには今ではたっぷりと肉が付いているが、そこには銀と銅と東洋の金の硬貨がぶら下がっている、細かい金刺繍が施された幅の広い真紅のバビロン風の布の腰巻きを巻いている。まだ黒々としている顎髭は、二つに分けて束ねているが、それが腰にまで伸びていて、風が吹く度に揺れていた。この宮殿の中を歩くときには、その琥珀と銀の床の深みに、ぼくの着ている胸元の開いて袖の短いローブの、紫と青そして深紅の色彩が、光り輝く宝石とともに映り込んだ。ぼくは十倍もの戴冠をした君主であり、皇帝だった。ぼくは百倍もの正式な王位についた、でっぷりと肥えたいにしえの王族だった。ぼくに挑戦したければするがいい――ぼくに挑戦するだけの勇気があるなら、誰であろうと!ぼくが夜毎に考えを巡らせているこの無数の世界の中に、ぼくは自分と『同等の者』、『仲間』、『永遠の住人』たちを持てるのだろうか……だが『ここ』には、ぼくはたったひとりだ。地球は、ぼくの古来よりの支配と伝来の笏を承認した。地球はぼくを魅了する、今なお、飽きることなく、ぼくは地球のものなのかもしれないが、地球はぼくのものだ。ぼくには、多かれ少なかれぼくに似ている他の人間たちが、今では正式にぼくのものであるこの惑星上を、明るい太陽の光の中、我が物顔に歩いていた時から、少なくとも永劫の時が経ったように思える――ぼくには実際、もはや想像できないだけではなく、認めることも難しい――余りにも空想的で、有り得そうもない、ひたすら滑稽な、そのような状態が存在し得るなどということは。だが心の奥底では、それが本当にそうであったに違いないということはわかっているのだと思う。十年前に遡れば、実際、ぼくは他の人間が生きているということをしきりに夢見たものだった。彼らが通りを幽霊のように歩いているのを見るのではないかと不安になり、驚いて目を覚ましたものだ。だが今では、夢の中でさえ、そんなことはあるはずがないとぼくは考えている。なぜなら、荒廃した環境は確実にぼくの意識を打ちのめし、そしてすぐに、夢は夢なのだと思い知ることになった。今では、少なくとも、ぼくは一人きりで、王なのだ。ぼくが建てたこの宮殿の黄金の壁が、最高級の、これ以上ないほどの深い紫色のワインの湖にその壁が映り込んでいるさまに魅了され、見下ろしている。
 湖をワインにしたのは、貴重品だからではない。壁を金にしたのも、貴重品だからではない。それは余りにも子供じみていることだろう。そうではなくて、他の人間の手による仕事に匹敵するような、美しい、人の手による仕事をしようとしたのだ。それゆえに、この地球の不屈の変人が、一般的に最も美しいものとは、最も貴重で高価なものであると考えるに至ったから、選んだのだ。

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Six months ago to-day it was finished: six months more protracted, desolate, burdened, than all those sixteen years in which I built.
I wonder what a man―another man―some Shah, or Tsar, of that far-off past, would say now of me, if eye could rest upon me! With what awe would he certainly shrink before the wild majesty of these eyes; and though I am not lunatic―for I am not, I am not―how would he fly me with the exclamation: 'There is the very lunacy of Pride!'
For there would seem to him―it must be so―in myself, in all about me, something extravagantly royal, touched with terror. My body has fattened, and my girth now fills out to a portly roundness its broad Babylonish girdle of crimson cloth, minutely gold-embroidered, and hung with silver, copper and gold coins of the Orient; my beard, still black, sweeps in two divergent sheaves to my hips, flustered by every wind; as I walk through this palace, the amber-and-silver floor reflects in its depths my low-necked, short-armed robe of purple, blue, and scarlet, a-glow with luminous stones. I am ten times crowned Lord and Emperor; I sit a hundred times enthroned in confirmed, obese old Majesty. Challenge me who will―challenge me who dare! Among those myriad worlds upon which I nightly pore, I may have my Peers and Compeers and Fellow-denizens ... but here I am Sole; Earth acknowledges my ancient sway and hereditary sceptre: for though she draws me, not yet, not yet, am I hers, but she is mine. It seems to me not less than a million million aeons since other beings, more or less resembling me, walked impudently in the open sunlight on this planet, which is rightly mine―I can indeed no longer picture to myself, nor even credit, that such a state of things―so fantastic, so far-fetched, so infinitely droll―could have existed: though, at bottom, I suppose, I know that it must have been really so. Up to ten years ago, in fact, I used frequently to dream that there were others. I would see them walk in the streets like ghosts, and be troubled, and start awake: but never now could such a thing, I think, occur to me in sleep: for the wildness of the circumstance would certainly strike my consciousness, and immediately I should know that the dream was a dream. For now, at least, I am sole, I am lord. The golden walls of this palace which I have built look down, enamoured of their reflection, into a lake of the choicest, purplest wine.
Not that I made it of wine because wine is rare; nor the walls of gold because gold is rare: that would have been too childish: but because I would match for beauty a human work with the works of those Others: and because it happens, by some persistent freak of the earth, that precisely things most rare and costly are generally the most beautiful.

"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki