漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 

年末  



 年末。
 何だか、ちょっと気が抜けてしまった感じになっている。
 掃除とか、やることはいろいろとあるのだけれど、今年はもう実家にも帰らないし、特に予定もない。そのせいだろう。
 掃除をしたり、ぐたぐたしたり、その合間に、頼まれていた仕事をこなしたり。いろいろとやってはいるのだけれど、気分的には、だらだらと過ぎてしまった感が強い。正月前にこれではまずいと、この時間になって、ビールを飲みながら、ぼんやりと考えている。
 明日からは、来年に備えてちょっと色々と頭を働かせないと。
 いや、まだ今日は一時間あるから、もうちょっと何かしようかな。

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 小川未明といえば、「野ばら」や「赤い蝋燭と人魚」などの作品を書いた童話作家として有名だ。とはいえ、長く忘れかけられている作家のような扱いだった。その作風の暗さが退廃的とされて、避けられていたのだろう。だが、一、二年ほど前から若い人を中心にして、再評価がされつつあり、新潮文庫の小川未明童話集などは随分と売れていたようだ。その勢いに乗って、講談社版の三巻本の文庫の復刊や、あるいは新たな選集などが編まれないかと思ったが、そういう動きはなかったようで、残念だった。
 小川未明といえば、童話作家というイメージが強い。実際そのとおりで、代表作と呼ばれるものは殆どが童話である。だが実は、彼が童話を手がけるようになる前には、小説家として随分沢山の作品を物にしており、自分としてもそちらが本懐と目していた。
 講談社版の文庫では、各巻の最後に一つづつ小説作品が収められていた。それがないというのが新潮文庫版の物足りない点だった。僕には、講談社文庫版で読んだ小説作品「火を点ず」などが衝撃だったのだ。
 小川未明の小説作品は、今ではなかなか入手は難しいという状況のようで、以前に出版された講談社版「定本小川未明小説全集」全6巻などは、ネットで調べると、揃いで7万円ほどもするようだ。ただし、大きな図書館になら蔵書があると思うので、読むだけならそれほど難しくはないかもしれない。
 今、僕の手元にある小川未明の小説作品の載っている本は、通りすがりの古書店の店頭にあった百円均一棚で掘り出した、昭和五年に出た改造社版の全集
「現代日本文學全集第二十三編 岩野泡鳴集 上司小劍集 小川未明集」
のみだが、ふと思い立って、最近図書館で前述の「定本 小川未明小説全集」の第二巻を借りてきた。
 この巻には、彼の代表作がいくつも収められているが、中でも「薔薇と巫女」や「星を見て」などの作品は、その暗さにも関わらず、異様な陶酔感がある。「持ってゆかれる」というやつだ。文章も、小説作品は童話作品に比べても遥かに蠱惑的である。ちなみに、「薔薇と巫女」と「火を点ず」は、国書刊行会版の「日本幻想文学集成」の小川未明の巻にも収録されているようだ。「金の輪」や「赤い蝋燭と人魚」なども収録されているので、こちらの本が今のところ決定版かもしれない。
 小川未明の作品は、似たような印象の作品が多いのも確かで、続けて読むと飽きてもくるが、時々取り出して読むと、とてもいい感じだと僕は思う。

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 途端に眩暈のようなものに襲われて、体中が痺れたような感じがしたが、それはほんの一瞬のことで、気がつくとツァーヴェは窓を超えていた。そして妖精を追って空を舞っていた。自分の意志で飛んでいるのか、それとも風に弄ばれて運ばれているのか、ツァーヴェにはどちらともわからなかった。だが確かなのは、彼方にゆっくりと離れて行く妖精の軌跡を辿るようにして自分が舞っているということだった。ツァーヴェは手を伸ばした。妖精の軌跡は微かに金色に輝いているように見えたから、その美しい色彩に触れたかったのだ。だがその金色の軌跡は彼の手の中で跳ねるようにして散ってしまった。そうこうしているうちにも、ツァーヴェの身体はどんどんと上昇していった。そして彼の家から随分と離れて、そして切り立った崖の向こうへ乗り出していった。遥か眼下に、雪を抱いた森が見えた。その雪が輝いている。彼は首を巡らした。森の向こうは、ざっと開けたアラースの平原だが、そこも一面に雪が柔らかそうに積もり、眩しいくらいの白金に輝いていた。
 空は一面に真っ青だった。見たこともないほどに深いコバルトブルーだった。見あげると中天に、正視できないほどに眩しく輝く月が、驚くほど巨大に見えた。月は白金の光を溢れさせていた。その光に、空はその深く透明な青さの中にきらきらとした輝きの粒子を練りこみながら、渦巻いているかのようでさえあった。
 その光景にツァーヴェは圧倒され、陶酔した。虚空に頼りなく浮かんでいるのに、恐怖は感じなかった。薄い寝間着だけしか身に着けてはいなかったのに、全く寒さも感じない。感じるのはただ心地よさ、月に照らされた雪原の上を渡って行く、夢のような悦楽だけだった。
 ツァーヴェは振り返った。かつて彼がいた家は、遥か後方に小さくなってしまっていた。これだけ離れて自分の家を見ると、その余りの小ささに寂しくなった。あの家の中に母は眠っているのだろう、とツァーヴェは思った。そしてさらに寂しくなった。だが、戻ろうとは思わなかった。ツァーヴェはまた前を見た。すると妖精はさらにずっと彼方へ離れてゆく。ツァーヴェは少し慌てた。なんとしてもあの妖精に追いつかなければならない、なぜならあの妖精はお父さんに違いないのだから、とツァーヴェは思った。追いついて、話をすればきっとお父さんは記憶を取り戻して、僕とママのいる家に戻ってきてくれるはずだ。そうすればまた、全ては上手くゆくに違いない。だから何としてでも。
 随分長い間、そうしてツァーヴェと妖精は眩しいほどに白い平原を眼下に見ながら、飛び続けた。彼方では巨大な月が廻り、空が様々な青さに揺れていた。やがて少しづつ妖精が高度を落とし始めた。それにつれて、ツァーヴェの身体も次第に高度を落としていった。そして妖精はふわりと白い雪の上に降り立ち、小さな足跡をぽつぽつと残しながら走り始めた。それに随分と遅れて、ツァーヴェも光り輝く雪原に倒れこむようにして降り立った。

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山下公園にて。



港の見える丘公園にて。


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満月。



横浜にて。

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時折吹く風に心が揺れる
わたしの身体には無数の孔が空いているのだろう
通り抜ける風が心を冷たくする
だが時々はとても良い音がする

風を避けるように身体を傾ける
風を受け入れて身体を立てる
風など吹いていない振りをする
風の中に立って風と話す

時折吹く風に弄ばれる心は
身体に空いた無数の孔の中で転がっているようだ
だが時折は良い音を鳴らす
わたしはその音が聞きたい



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姉妹サイト「Sigsand Manuscript」に、ホジスンのデビュー作である短編「死の女神」(The Goddess of Death)の翻訳を連載中です。
また、kaneさんによる、ホジスンの《ボーダーランド三部作》の末尾を飾る長編「幽霊海賊」(The Ghost Pirates)の翻訳も連載中です。
よろしければ、あわせてご覧ください。

 写真は、先日行った三浦半島の「黒崎の鼻」にて。

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 穏やかな入江で
 波の音を追う
 波の音は穏やかで
 まるで繰言のようだ

 穏やかな入江で
 波打ち際に佇む
 波は揺れるようで
 まるで寝返りのようだ

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 「万物理論」 グレッグ・イーガン著 山岸真訳
 創元SF文庫 東京創元社刊

 を読む。

 600ページを超える大冊で、しかもその中に長編数冊分のアイデアが詰め込まれているものだから、お腹いっぱいという感じ。ただ、正直に言うと、イーガンの一つの到達点ともいえる「ディアスポラ」を読んだ後では、この長編は何となくとりとめがなく感じるのは確か。「万物理論」がどういうものかも、読みながらなんとなく想像がついてしまう。
 とはいえ、面白くないわけではなく、イーガンの長編作品の中ではやや冗長な感じがするというだけ。ハードSFの名作には違いない。

 写真は、先日の小網代の森。

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 小網代の森は、関東では唯一残された、「ひとつづきの水系」を持った貴重な森。
 つまり、水源から湿地を通り、干潟の海へ流れ込む川を抱えた森という意味である。他にもどこかにありそうな気がするのだが、考えてみれば海に面した森は確かに余り思い当たらない。
 だが、これは故意に残したというよりも、偶然残されたと考える方が正しいのだろう。谷戸地形なので、放置されてきてしまったわけだ。それが、近年の環境保護運動の影響で今でも残されている。
 小網代の森については、こちらこちらなどに詳しいし、また、shuさんのブログ「三浦半島デジカメ便り」のエントリーには美しい写真なども紹介されている。

 入り口から海まで歩いて一時間から一時間半ほど。
 鬱蒼とした森だが、頻繁に人が入っているので道らしいものがあり、迷う事はない。ただし湿地なので、コンディションによって随分歩きやすさは変わるだろう。僕たちはスニーカーで大丈夫だったが、長靴のほうがいいのは確か。森の中はひんやりとしていて、草木の香りが心地よい。あちらこちらで倒木があり、キノコの温床になっている。
 また、森のなかには所々にふと開けた場所があり、しばらくそこに腰を落ち着けたくなる。

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 一度は行かなければ、と思いつづけていた「小網代の森」へ行った。
 この時期を選んだのは、蛇や虫に悩まされる心配が少ないと思ったからである。
 
 三崎口の駅から歩いて森へ向かった。
 森の中へ入ってゆくと、外の世界から遠く隔離された感じがする。
 空気がとても清清しい。
 森の中は、思ったよりもずっと広く感じる。
 
 森を抜けると、小網代湾に辿り着く。
 暖かくて、風もない穏やかな一日。
 とても幸せな気分になった。
 

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 先日行った科学未来館の「地下展」で紹介されていたのが「ボストーク湖」。
 南極の地下4000メートルにあるらしい、地球最大の地底湖である。
 想像するだけで、圧倒される。
 wikiにはこのような紹介文がある。
 湖の中央には島があるらしいというあたり、ヴェルヌの「地底旅行」を思い出させる。だが、実際は真っ暗闇の中にただ広く広がっている湖なのだろう。しかも、2000万年以上も昔の空気を封じ込めた、タイムカプセルである。仮にそこにも何らかの生態系があるとしたなら、それは一体どういうものなのだろう。
 ボストーク湖の大きさは、表面積14000平方キロメートル、貯水量5400立方キロメートルということ。気になって、地球最大の湖であるバイカル湖と比較すると、バイカル湖は表面積31494平方キロメートル、貯水量23000立方キロメートル。表面積ではボストーク湖はバイカル湖の約半分だが、貯水量では随分違う。それもそのはずで、水深がまるで違う。バイカル湖の最大水深は1637メートルで、ボストーク湖は1200メートル。
 バイカル湖は地球の全淡水の約五分の一をそこに蓄えているという。もしバイカル湖を空にして、そこに世界中の河川がすべて流れ込むようにしたとしても、水を満たすには一年では足りないというのだから、信じがたいほどだ。
 だが、そのバイカル湖の約四分の一の貯水量を持つ湖が、南極の下に広がっているというのは、とても不思議な気分がする。


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「生物と無生物のあいだ」 福岡伸一著 
 講談社現代新書 講談社刊

を読む。

 話題になっていた本だが、やっと読んだ。
 ぱらぱらとめくっていたときは、難しそうだとも思ったが、読み始めるとそんなことはなくて、面白い本。アン・モロウ・リンドバークの「海からの贈り物」を思わせるような文章が時折挟まれるのがいい。
 生物学でも物理学でも、最先端のことを垣間見るときにつくづく感じるのは、そのダイナミックな有機性だ。この本を読みながら、生物学と量子力学がシンクロして感じてならなかった。あらゆる存在は、「ゆらぎ」の中にある。
 著者は言う。生命とは自己複製するシステムであるという意見は確かに的を得ているが、それだけでは十分ではない、生命は美しいものだと。僕もそう思う。そこに超自然的なものを想定しなくとも、生命はそれだけで十分に不思議で美しい。
 それに、もしかしたらこの宇宙を司っているものも、やはり一つの「生命」と呼んで構わないのかもしれない。神ではなく、純粋な「生命」という意味に於いての。

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 ツァーヴェはよく見ようと窓に額を押し当てた。その妖精(とツァーヴェは思った)は、窓から十メートルほど離れた辺りで頼りなく浮かんでいる。その様子は、これからどこへ行こうかと迷っているかのようにも見えたが、同時に、ツァーヴェを誘っているかのようにも思えた。ツァーヴェにはなぜ妖精がそんな動きをするのか分からなかったが、それでもどうしてもその動きから目が離せなかった。何かが、ツァーヴェの感覚に触れるのだった。
 妖精は今、向こうを向いて浮かんでいたが、時折身体を小刻みに震えさせ、髪を波打たせた。すると風に乗って大きくすっと移動するのだったが、妖精の移動した軌跡には銀色に輝く燐粉のような輝きが残った。その軌跡は、しばらく月の光を反射させながら空中に漂った後に、霧散して消えていった。とても儚くて、美しい光景だった。
 ツァーヴェがじっと見とれていると、それを察したかのようにすっとその妖精が身体を翻し、こちらへ向かって進んできた。妖精は、真っ直ぐにツァーヴェのことを見詰めている。大きな目をした、少女のような貌だったが、どこか現実感を欠いていた。それに、その顔は確かに見覚えがある気がした。誰だったろうと彼は思ったが、それはほんの僅かな時間だった。すぐにそれが誰に似ているのか、はっきと分かったからだ。
 ─お父さん……!
 ツァーヴェは思わず口の中で呟いた。妖精は、両手で何か丸いものを抱えたまま、じっとこちらを見詰めながら浮かんでいる。瞬きさえしない。ツァーヴェには、そこに何の感情も読み取ることができなかった。だが、確かに妖精はこちらを見ていた。そこにどんな感情も読み取る事ができなくても、ただこちらをじっと見詰めているという事実が何よりも雄弁に思えた。
 随分と長い間、ツァーヴェと妖精は見詰め合っていた。どちらも凍りついたように互いを見詰めていた。その均衡を崩したのは妖精だった。不意に妖精は、まるでツァーヴェになど興味を失ったかのようにつっと踵を返し、ゆっくりと移動を始めた。その姿に、ツァーヴェはぐっと顔を窓に押し当てた。何かを叫ぼうとするのだが、声が出ない。そうしている間にも、妖精は銀色の粒子を撒き散らかしながら、平原に向かって離れて行く。父さん、とツァーヴェは心の中で繰り返した。ツァーヴェには確信があった。あの妖精は、きっとお父さんに違いない。姿形は随分とちがっているけれど、きっとそうだ。
 その妖精が離れて行く。ツァーヴェはたまらない気持ちだった。今離れてしまうと、もう二度と会うことができない気がしたからだ。どうしてお父さんは僕に何も言ってくれないのだろう、とツァーヴェは思った。思えば思うほど悲しくなった。その悲しみが耐え切れなくなって、ツァーヴェはもう一つの窓を力いっぱい開いた。

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