漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

まりの・るうにい展 再訪

2014年10月28日 | 記憶の扉

 一昨日は恵比寿の「LIBRAIRIE6/シス書店」で開催されていた「まりの・るうにい『月街星物園』展」の最終日でしたが、今回は妻を伴って、再訪してきました。
 午前中からちょっと用事で小手指の方まで出かけていて、6時までの開館時間内に間に合うかどうか、かなり微妙だったのですが、この機会を逃すと後悔することになるかもしれないし、閉店ぎりぎりかもしれないけれども、ともかく急いで行くだけ行ってみようと、駆けつけることにしました。その思いが通じたのか、乗り換えなどがとてもスムーズに行き、5時半頃には到着することができました。
 最終日ということで、画廊は賑わっており、るうにいさんも在廊されていました。改めて展示作品をひと通り鑑賞した後、前回には実物を見てしまうと発色の違いがどうしても気になってしまって買わなかったポストカードを、やっぱり買っておこうと五枚のうち四枚を購入。それから、画廊の中央に置かれたベンチに座っていたるうにいさんに、思い切って、お願いがあるのですが、この本にサインを頂けないでしょうか、と話しかけました。
 実は今回、ぼくが初めてるうにいさんの絵に出会った一冊、妖精文庫の「ナイトランド」(W.H.ホジスン著)の上巻を持ってきていました。三十年ほど前に買った、思い出の一冊です。その本にサインを頂けないでしょうか、と頼んだのでした。るうにいさんは快く了承して下さり、ペンを手にしましたが、そのまま少し考えて、「ひらがなでいいんですか?」と一言。すぐに、これはきっと、この頃の絵のファンならもしかしたらサインはアルファベットの方がいいのかもしれないと、気を回してくださったのだと思いました。確かに、本当は見慣れたアルファベットのサインの方が欲しいという気持ちがありました。それで、「できればアルファベットがいいのですが」とお願いすると、るうにいさんは銀のマーカーで「M.Lounie」とサインをしてくださいました。やはり、こちらのほうがしっくりきます。
 それからしばらく、妖精文庫のことから、ルフラン社のパステルのことまで、いろいろと話をさせていただきました。やっぱりかなり緊張していたので、支離滅裂な応答をしてしまっていなければいいのですが、それでも高校の頃からファンだったこと、妖精文庫の絵で展覧会を開いて欲しいということなどを、どうにかこうにか伝えました。すると、るうにいさんは言います。「わたしもぜひ開いてみたいけれど、こういうファンタジーって、今、需要があるんでしょうか?」
 ぼくは何と答えれば良いのかわからなくて、なんだか色々とゴニョゴニョと言った後、「ぜひ開いてください。ぜったい行きますから」と言いました(あんな姿は見たことがないかも。声が裏返ってたわよ、と後で妻にからかわれました)。妖精文庫のようなファンタジーの需要が今あるのかどうか、ぼくにはわかりません。けれども、妖精文庫の表紙絵の数々には、他の画家の絵には感じなかった奥行きや気配が、それこそ粒子のように、濃密に浮かび上がっているように思います。足穂ワールドも素敵だけれど、しっとりと深いファンタジーの世界を、るうにいさんの独自の視点と色彩でファンタジックに描き出した絵の数々は、もしかしたらそれ以上に素敵だとさえ思っています。夜の光景なのに、夢見るような色彩で鮮やかに描き出された絵の世界は、まるで時間の彼方で、物自体が自ら光を放つ力を得て、夜の中に浮かび上がっているかのようです。このままひっそりとしまわれたままになってしまうのは、とても惜しい。
 るうにいさんは、ルフランのパステルを主に使用するようです。るうにいさんによると、ルフランのパステルは、例えばゴンドラのパステルなどとはのび方が違うし、青のパステルも、濃い青は他のものでも代用できるのだけれど、薄い色の青は、替えがきかないそうです。ただし、ルフラン社は倒産してパステルもすでに入手ができなくなっており、手持ちの残りがもうわずかしかないとのことでした(指で一センチくらいの長さを示して、「もう、このくらい」と。ルフランのパステル、どこかで手に入らないものでしょうか?)。
 話は、いくらでもしたかったのですが、サインを待っている方もいることですし、適当なところで切り上げて、失礼しました。それでも、どうしても伝えたいことは伝えたので、満足しました(もし今度個展をひらくことがあればお知らせします、と約束してくださいました)。
 画廊を出たあと、本当はどこかで食事でもして帰りたいとも思いましたが、家で娘が待っているので、そうも行きません。それで、あまりゆっくりもしていられなかったのですが、少しだけ寄り道をして、散歩がてら、渋谷まで歩くことにしました。途中、暖かかったこともあって、休息がてら公園に立ち寄って、星のマークのビール(つまり、黒ラベルです)を一本、飲みました。ふと妻が、「ベンチから見える公園の感じが、なんだかまりの・るうにいさんの絵みたいに見える」と言いました。なるほど、確かにそんな気もします。そういえばぼくにも、るうにいさんの絵を見た後では、ずっと街の光景がどことなく、るうにいさんの絵めいて見えるように思えていたのでした。


「龍神の雨」と「神話の島」

2014年10月24日 | 読書録

「龍神の雨」 道尾秀介著
新潮文庫 新潮社刊

を読む。

 大藪春彦賞受賞作品。
 道尾作品を読むのは、「向日葵の咲かない夏」に次いで、これが二作目。なんとも言えない陰鬱なトーンや、パズルのような叙述のトリックは、「向日葵」にも共通している。二組の、実の親をなくして義理の親に育てられている兄弟(兄妹)が主人公だが、まさかこういう展開になるとは、想像できなかった。決してすっきりとしたハッピーエンドにならないあたりも、一筋縄ではゆかない、才能のあるこの作家らしいところなのだろう。ただ、それだけに、続けて何作も読むと、胃もたれがしそうでもある。



「神話の島」 久綱さざれ著
ミステリ・フロンティア 東京創元社刊

を読む。

 面白く読めるけれども、こういった、孤島や人里離れた山村といった、閉鎖的な村社会を描いたミステリー小説にありがちなストーリーという気もする。ただし、最後の謎解きはちょっと唐突すぎるし、都合が良すぎる。話があれよあれよという間に進んでいって、置いてけぼりを食らった気分になった。

まりの・るうにい 「月街星物園」展

2014年10月19日 | 記憶の扉

 昨日は、「まりの・るうにい『月街星物園』展」に出かけた。
 仕事を早めに切り上げることができたので、恵比寿のギャラリー「LIBRAIRIE6/シス書店」にいそいそと到着したのは17時半頃。初めて伺うギャラリーで、恵比寿駅からもすぐ近く、古いけれども雰囲気のあるアパートのような建物の一室にあった。今日はるうにいさんが在廊の日ということで、もうすでにいらっしゃってるんじゃないかとも思っていたけれど、それらしき姿はない。こんな機会はもう二度とないかもしれないから、ひと目でもお会いしたい。それで、展示作品を鑑賞しながら、待つことにした。
 展示作品は、作品集「月街星物園」に収録されていた絵を中心に、20点ほど。新作の小品を入れれば、もう少しあったかな。本などで見覚えのある絵が、ずらりと並んでいる。妖精文庫の飾画がないのは少し残念だが、実際に実物を見ると、どんなふうに描かれているのかがよくわかる。部分的にちょこちょこ絵の具も使っているんだな、とか、厚塗りの絵とそうでもない絵があるんだな、とか。
 ギャラリーに入って、入り口にいちばん近いところに飾られていた絵「土星の夜」をひと目見た瞬間から、心が持ってゆかれた。「あっ、本物だ」と思った。こうやって書いてしまうと馬鹿みたいだが、ぼくにしてみれば感無量の、静かな感動だった。なにせ、神戸の西の片隅に住んでいたぼくが、初めて妖精文庫のカバーに描かれたるうにいさんの絵を見て衝撃を受けた16歳の頃から、今年でちょうど30年経つのだ。
 当時、新刊で簡単に手に入る、るうにいさんの絵が使われている本や雑誌はせっせと買い集めたし、倒産したばかりの月刊ペン社から妖精文庫の揃いを一括で買って(倒産した会社に、いきなりお金を送りつけて、売ってくれと言ったのだから、今ではかなり無茶なことをしたんだなと思う)、夜ごと書架から取り出して眺めていたこともあった。当時よく利用していた神戸市中央図書館にたまたまあった「遊」の野尻抱影、稲垣足穂追悼号を借りてきて、大きな絵が載っているのでどうしても欲しいと思い、るうにいさんの絵を、三ノ宮の四階建ての大きな文具店で、その頃にはまだほとんど普及していなかったばかみたいに巨大なカラーコピー機を使ってコピーをしてもらい、その再現率の低さにちょっとがっかりしたのも、懐かしい。ゴンドラパステルの大きいやつを買って、「パステル飾画」を参考に、パステル画の練習をしたものの、どうも上手くゆかず(使いこなせず)、使い慣れたアクリル絵具でなんとかそんな感じの質感を出す工夫をしたりもした。東京に出てきた二十の頃、当時住んでいた阿佐ヶ谷の、今にも潰れそうな小さな古本屋で、ずっと探していた「月街星物園」を見つけて小躍りしたこともあった。今では古書価が高価になってしまっているが、その時は600円だったということもよく覚えている。書き出すと、きりがない。時が経つとともに、一時の熱狂は失われたものの、ずっとファンだったし、自分が絵を描く上で、一番影響を受けた画家さんなのだから、感無量な気分になっても仕方がないと思う。
 絵は、思っていたよりも少し大きく思った。本の飾画でしか見たことがなかったから、そう思ったのだろう。随分と昔に描かれた絵なのに、パステルの色彩はあまり退色していないように見えた。厚めに塗られたパステルの発色や質感は、ふわりと生々しい。数点、ハガキサイズの紙に描かれた新作の小品があって、それらは販売していたようだったが、すでに完売状態。きっと初日には早々と売り切れていたのだろう。残念だが、仕方がない。画廊内には、タブレットにレナウンのCMが流れ続けていた。るうにいさんの絵が実写化された、伝説的なCMである。展示作品には、そのCMでも使われていた「ツァラの住んでいた街」や「黄昏色の方向」、「土星酒場」といった絵も展示されていた。
 少し遅れるのかなと思っていると、画廊の方が、「るうにいさんと連絡がとれなくて、もしかしたら一時間くらい遅れるかもしれない」とアナウンス。るうにいさんの姿をひと目見ることなく帰るつもりはさらさらなかったけれども、さてどうしようかと思っていたところ、しばらくして、るうにいさんが来廊された。
 再刊された「月街星物園」をその場で買い、るうにいさんに金の色えんぴつでサインをして頂いた。丁寧に、ゆっくりと、「まりのるうにい」と。マイペースで、ゆったりとした雰囲気を纏った方だった。なんだか、年甲斐もなく変に緊張してしまって、サインをお願いするだけでせいいっぱいで、他に何も言えない。言葉が出てこない。ちょっと情けなかったけれども、特に何か言うことを前もって考えていたわけでもなかったから、仕方がないのかもしれないと自分を慰める。帰りがけにふと、「今度はぜひ妖精文庫の絵で個展を開いてください。妖精文庫の表紙絵がとても好きなんです」と言ってみようかと思いついたものの、他のお客さんとの会話が弾んでいたようなので、結局言えずに出てきてしまった。これは、ちょっと悔いが残っている。時間が経つにつれ、その悔いが、沸々と大きくなっているような気もする。やっぱり、それくらいは言っておくべきだったかもしれない。実現するかどうかはともかくとして、声を届けることはできたのだし。機会があれば、もう一度くらいお会いして、そう言ってみたい気もする。
 今回購入した新装版「月街星物園」は、正確には以前に北宋社から出版されたものとはかなり異なっている。サイズが一回り小さいし、何より収録されている絵が異なっている。細かい情報は省くが、北宋社版はカラーが8葉、モノクロが16葉だったけれどもLIBRAIRIE6版はカラーが12葉のみでモノクロは無し。収録作品にも多少、異同がある。エッセイに関して言えば、以前は縦書だったのが横書になり、文字も小さくなっているけれども、内容は同じようだ。ただし、あとがきが以前とは差し替えで、新たに書き加えられている。したがって、LIBRAIRIE6版の「月街星物園」は、復刊というよりも、今回の展覧会の図録と考える方が良さそう。

「星を撃ち落とす」と、「まりの・るうにい展」

2014年10月17日 | 読書録

「星を撃ち落とす」 友桐夏著
ミステリ・フロンティア 東京創元社刊

を読む。

 四人の女子高生の物語。その四人の中のひとりが、自殺未遂を起こす。なぜそんなことになったのか。真実が二転三転し、最後に見えてくるものは・・・というのが基本的な物語なのだが、実は「全ては白日のもとにさらされ、たったひとつの真実が見えてきました」とはならない。なぜなら、本当の真実を知っている少女は、意識を取り戻さないままだからだ。それとは別に、サイドストーリーのように展開されるもうひとつの謎があるのだが、そちらについても最後まで真実が明らかになることはない。つまり、「おそらくはこうなのだろう」という結論しか出ないミステリーなのだ。こういうのは、ちょっと珍しい。スッキリしないったらないけれども、それでも結構面白かった。

 それはそうと、ちょっと不思議なことがありました。
 二週間ほど前のことだったか、まりの・るうにいさんの夢をみました。まりの・るうにいさんというのは、稲垣足穂の本のイラストなどを描いていた画家さんです。こういう書き方をすると、まるで知人のような感じですね。ですが、残念ながら全く面識はありません。それどころか、絵の実物(原画)を見たことさえありません。あくまでも本などで知っているだけで、どんな方かも知らないのですが、ぼくは高校の頃から彼女の絵の大ファンでした。
 けれども、正直に言って、ここ数年はほとんど忘れかけているような状態になっていたのですが、そんなふうに思いがけず、会ったことさえないまりの・るうにいさんの夢を見たものですから(会ったこともないのですから、当然、夢の中でその人物をるうにいさんだと認識していただけです。夢のこまかい内容は忘れました)、ちょっと気になっていて、数日前に、ふと思いついて検索をしてみました。すると、なんとまさにちょうど今、恵比寿のギャラリーで、三十数年ぶりくらいの個展を開いているというではありませんか!夢のお告げというか、共時性というか、月の囁きというか、本当に驚きました。しかし、こんなことって、たまにありますよね。夢を見なければ、完全に気が付かないで終わってしまっていたところです。
 個展は今月の28日までということで、この機会を逃せば、二度とるうにいさんの原画を見る機会もないかもしれませんから、これは絶対に見に行かなければならないと思っています。まさか、るうにいさんの絵の原画が見れるなんて、思ってもいませんでした。明日の土曜日の夜には、るうにいさんが在廊ということで、できれば明日に行きたいのですが、仕事が休みではないので、間に合うかどうか、仕事終わる時間次第になりそうです。
 

「砂漠」と月食

2014年10月13日 | 読書録

「砂漠」 伊坂幸太郎著
新潮文庫 新潮社刊

を読む。

 青春小説。読んでいる間は、それなりに面白かったし、すごくいいことを言っている気もするのだけれど、読み終えてしまうと、それ以外に特に感想はないのが不思議なところ。青春小説には、いくつで読んでも面白いものも多いけれども、これは多分、十代か二十代の前半くらいで読むべき本なのだろうなと思った。もしかしたら、作者のいちばん言いたいことは、西嶋らの言葉よりも、(ある意味、砂漠の民とも言うべき)鳩麦さんや学長の口を通じて語られている言葉なのかもしれないけれども、例えば村上春樹などに比べると、物語のエンターティメント性が高く、きちんと完成されすぎているので、読者に必要以上の深読みを促さないというのもあったかもしれない(ここで村上春樹の名前を出したのは、なぜか伊坂作品を読んでいると村上春樹のことを時々思い出すからで、この作品を読みながらも、ふと「国境の南、太陽の西」を思い浮かべたりした。別に似た小説というわけでもないし、理由を深く考えてもいないので、さらりと聞き流して欲しいのだけれど)。
 きっと、学生は西嶋らの言葉に共感したり反発したりしながら、鳩麦さんや学長の言葉を心の片隅に留めて読み、ある程度社会経験を積んだ大人は、最後の学長の言葉に静かに頷けばよい小説なのだろうな。
 

 ちょっと遅くなったけれども、画像は先日の皆既月食。ぼくの持っていた古いコンパクトデジカメでは、これが限界。
 ちょうど誕生日の日に月食なんて、なかなか珍しいことだったし、寒くもなく、観測の条件もよかったので、家族で近所の小金井公園へお月見に出かけた。
 仕事が終わってからだったので、公園に到着したのはもう19時を過ぎていて、かなり月は欠けていたけれども、そこから4、50分ほど、芝生に敷いたシートに座って、ゆったりと楽しめた。
 さすがに同じように月食観測に来ているひとも、回りにニ、三十人はいたけれども、なにせ広い公園なので、まったく気にならない。
 久々に、長い時間月を眺めて過ごせたのは、心地よかったです。

せどり男爵数奇譚

2014年10月08日 | 読書録

「せどり男爵数奇譚」 梶山季之著
ちくま文庫 筑摩書房刊

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 「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズで有名になった作品。もちろん、それ以前から本好きの間では結構有名な作品だったのだけれど、多くの読者を得るようになったのは、「ビブリア古書堂」以降のはず。そういう僕も、作品の存在自体はずっと前から知っていたけれど、読んだのは今回が初めて。
 もちろん、かなり面白く読んだ。ある程度の年季の入った本好きで、これをそれなりに面白く読めない人は、あまりいないんじゃないか。多少、エログロ趣味があるので、その部分では好き嫌いは別れるだろうけれども、まさにその最後の短編で、もう引き返せない、一線を超えてしまった領域に入ってゆく感じがいい。
 その最後の短編で扱っている本が、「人皮装丁本」。その、おそらく最も有名なもののひとつが、作中でも触れられているように、カミーユ・フラマリオンの詩集「空の中の地」。フラマリオンを信奉するある女性が、その遺言で、自分が死んだらその皮で装丁して欲しいと訴えたため、作られたものであるという。
 フラマリオンは、天文学者として、文学者として知られている。また、天文学の普及に尽力した啓蒙家としても知られていて、一般向けに書かれた著作「大衆天文学 」は当時のベストセラーになった。日本への紹介も早く、1923年に「此世は如何にして終るか」の邦題で、彼の書いた予言的な終末SF小説の翻訳が出版紹介されているが(国会図書館の近代デジタルライブラリーで、ウェブを通じで読むことが可能)、夏目漱石や稲垣足穂のエッセイにもフラマリオンの名前が出てくるくらいだし、大正期にはすでに日本でもかなり有名な人物であった。もっとも、フラマリオンにはオカルト寄りの人物という側面もあって、心霊研究にのめりこんでいたから、心霊科学が流行りであった当時ならばともかく、今となっては相当の胡散臭さがつきまとう人物ではある。日本におけるフラマリオンの紹介も、どちらかといえば心霊科学の方面が先行したようで、1924年には「未知の世界へ」、1925年には「死とその神秘」等が翻訳紹介されている。そうした人物の残した奇妙なロマンスの挿話だから、なおさらこの人皮装丁本の話が引き立ち、語られるのだろう。