漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

大きな台風が来るというので

2005年07月30日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 大きな台風が来るというので、足早に家路を急ぐ。
 確かに辺りは少し薄暗くなってきている。空を見上げると、斑模様に、雲が少し渦巻いて見える。だが、風はまだ全く吹いてこない。本当に台風が来るのか、疑わしくなってくる。それでも、じっとりとした湿気が肌に吸い付いてくるようで、不快だった。
 辺りは工場街である。あちらこちらから、機械の音が聞こえてくる。だが、その音は今日に限って、遠くから聞こえてくるようだった。湿気が音を吸い込んでいるのだろうか。そんなことを思った。
 やがて、大きな公園の側を通った。公園の周りには、黄色いタクシーが何台も停まっていて、運転手が眠っていた。夜に備えて、昼寝でもしているのだろう。
 公園には、巨大な樅の樹が植わっていた。ふと見上げると、その樅の樹の先に、何かの影が見えた。私は立ち止まって、目を凝らした。最初は鳶かとも思ったが、それにしては大きすぎる。しばらく見ていて、私はそれが、人の影だと気がついた。
 その人は、足元までの緑のマントを着て、じっと空を見ていた。表情まではよくわからないが、身動きもしない。台風が来ているというのに、余りにも危険すぎる。一瞬私はそう思ったが、その人の余りの静かさに、私は言葉を飲み込んでしまった。そして、しばらくして、その人はどうやら自分が樅になった気分でいるのだと気がついた。
 私は公園を後にして、また歩き始めた。やがて、巨大な貨物用クレーンの側を通り過ぎたとき、風がやってきた。

まだ辺りが暗い時間に

2005年07月26日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 まだ辺りが暗い時間に、そっと家を抜け出して、小学校に向かった。
 町は、しんとしていた。夜の忘れ香のような霧が、ぼんやりと、道路の底のあたりを這っている。遠くで、信号機の明かりが、赤から青へ、そして束の間の黄色へ、移り変わって行く。だが、車は全く通らないから、その光はとても静かだ。
 肩から、ざっとたすきにかけた鞄には、昨日から用意していた今日の授業の用意が、ちゃんと揃って入っている。私はそれを軽く抱えて、重みを確かめた。忘れ物はないと、自分に言って、悦に入った。
 学校の、古い鉄の門は、まだ閉じられたままだ。それはわかっていたから、私は正門をやりすごして、校庭の方へ向かった。そちらの門からなら、容易に入る事ができることを、知っていたからだ。私は格子の間から手を差し入れて、通用口の閂を外し、中に入った。そして、誰もいない校庭を横切って、教室へ向かった。
 誰もいない教室は、埃とチョークの匂いが入り混じったような、湿った匂いがした。鞄を机の横に吊るして、机の上に腰掛け、教室を見渡した。様々な気配ばかりが漂う、がらんとした部屋には、不思議なくらい、心を落ち着かせるものがあるように思えた。窓を開くと、すっと風が吹き込んできて、クリーム色のカーテンを揺らした。
 そうしてしばらく教室にいたが、やがて、さすがに飽きてきて、校庭に出た。校庭の遊具で遊びながら、皆の登校を待とうと思った。
 校庭には、巨大なジャングルジムの遊具があって、私のお気に入りだった。随分長い間、私はその迷路のような遊具で独り遊んだ。独り遊びは得意だったから、そう簡単に飽きるということはない。そうして、数時間は遊んだように思った。
 けれど、いつまで経っても、誰も登校しては来ない。休みでもないはずなのに、どうしたのだろう。それに、今は一体何時なのだろう。さすがに不安になってくる。見上げても、学校の時計は、どうやら壊れているらしく、さっきからまるで動かないのだ。
 授業開始のチャイムは、いつまで経っても鳴らなかった。
 

田金魚

2005年07月25日 | 記憶の扉
 お世話になっているshuさんのブログの中で、「田金魚」というものに触れたことがあります。shuさんは田金魚というものを知らないということでした。
 考えてみれば、僕らの間ではそう呼んでいただけで、それが正式な名称だかどうだか知りません。しかも、長い間見ていないから、記憶も定かでなくなりつつあります。それで、ちょっと調べて見ました。
 調べてみて、すぐにわかったのは、やはり「田金魚」というのは地域によって名称の変わる、いわゆる「通称」で、正式には「豊年エビ」というそうです。エビとはいうものの、ミジンコや、シーモンキーの仲間だとか。まあ、ミジンコだろうなとは、思っていましたが。このサイトなどが、参考になるかもしれません。
 しかし、すごいですね、その生命力は。
 子供の頃は、どこからやってくるのか不思議でしたが、なるほど、そういうことだったんですね。
 

再び、ピンボール

2005年07月24日 | 消え行くもの
 以前、ピンボールのことをちょっと書きました。で、ちょっとピンボールについて検索しているうちに、「オモロン新小岩」というゲームセンターにかなりの数のピンボールが残っているという事を知りました。その時は「へえ」という程度だったのですが、ふと思いついて、今日ちょっと妻と二人で出かけてみました。
 実際に行くと、三階建てのオモロンビルの三階に、相当数のピンボールがありました。今となっては、壮観という感じです。先客が一人いましたが、この方は相当上手なようで、僕達がそこでいる間、ずっと一台の台で打ちつづけてました。
 ピンボールは、懐かしいものに混じって、「スターウォーズ:エピソードⅠ」という、映像を駆使した、ちょっとはじめて見るタイプの台などもありました。僕達も幾つかの台をプレイしましたが、スコアは、聞かないでください。。。
 その後で、ずっと錦糸町まで散歩して、それから電車に乗って帰ったのですが、その途中、平井駅の近くにあるオモロン新小岩の系列店には、「ロード・オブ・ザ・リング」の台もありました。上の写真がそうです。これは、相当新しい台でしょう。で、一度やったのですが、やっぱりスコアは聞かないでくださいね。
 どうやら、この辺りにある「オモロン」系列のゲームセンターでは、ピンボールに力を入れているようで、たまに大会なども行われているようです。店には、ピンボールのテクニックなどを解説したシートなども置いてくれていて、大変参考になります。

真夜中に、寝苦しくて

2005年07月22日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 今月は、余程のことが無い限り、毎日更新しようと決めている。
 カレンダーが埋まっていくのを、ちょっと見てみたい。ただそれだけの理由だが。

 ところで、ちょっとくたびれている時は、息抜きに、軽い法螺話を書くことになる。
 つまり、以下の文章である。
 


 真夜中に、寝苦しくて目が覚めた。だが、実際のところ、目が覚めたのは寝苦しさのせいだったのか。むしろ、何かに引き戻されたか、それとも呼ばれたか、そんな感じもした。意識が戻る途中には、どこからか、煤けた木材のような匂いがしていた。
 布団から身体を起こした。部屋は、廊下に面した障子からの月明かりでぼんやりと明るかった。白い掛け布団が、何だか浅黄色に見えていた。
 頭上で、ダッダッという、切羽詰った足音のような音がした。音は、天井から聞こえる。そして、その音に続いて、ズザザザッという、何かが這うような音がした。鼠が、蛇に追われて逃げる音だと、私は思った。何度も聞いている音だ。ここのような古い家には、家を守る蛇がいる。蛇は、穀物を食い荒らす鼠を、捕食してくれる。さもないと、家の中はたちまち鼠の子らでいっぱいになってしまうだろう。太い梁に、絡み付いている蛇を見たこともあったから、私には蛇は怖くなかった。ただ、その音を聞いていると、とても遠い、月に照らされた草原を思い出すのだった。それがどうしてなのか、私にはわからない。
 そうしていると、突然天井の騒ぎが収まり、音という音が消えた。同時に、そっと奥の扉が開いた。そして、何だか細くて黒い影が静かに入ってきた。それは人影なのだが、なんだかただ「影」とよよぶ方がしっくりする気がした。影は、頭の位置が変わらないのに、体だけが静かに左右に揺れている。私はじっとその影を見ていた。影は、私のほうをじっと見たまま、ゆっくりと身体を滑らせて、部屋の中へどんどんと入って来る。その影は、身体は妙に細いのに、頭ばかりが大きい。だが、肝心の顔はわからない。というのも、顔には大きな茶色の紙袋を被っていたからだ。
 その影は、静かに横に歩きながらも、私から目を離そうとはしない。紙袋を被っているのだが、じっと私を見ていることはわかる。やがて、廊下側の障子にまで辿り付くと、後ろ手で、私の方を見詰めたまま、ゆっくりと障子を開いた。すっと月明かりが部屋に流れ込んだ。すると、その「影」の影が、長く部屋に伸びた。その「影」は、自分の影をさささっと手繰り寄せて丸めると、静かに部屋を出て行った。
 それからしばらくして、また天井で、鼠と、蛇の音が聞こえ始めた。

日はまた昇る

2005年07月21日 | 読書録
 「日はまた昇る」
 アーネスト・ヘミングウェイ著
 大久保康雄訳 新潮文庫

 ヘミングウェイには、長い間妙な偏見があった。
 そもそも、最初が良くなかった。
 僕が始めてヘミングウェイを読んだのは、中学校の一年の時。「殺し屋」や「キリマンジャロの雪」などが収められた、旺文社版の文庫だった。
 そんなものが、中学一年の男子生徒に理解できるわけがなかった。
 次に読んだのが、「老人と海」。読む前から、あらすじを知っていたので、これは適当に読み飛ばしてしまった。
 その後は、1920年代のパリの文献などを読んだり、映画「モダーンズ」を見たりしたせいで、ヘミングウェイの印象がますます悪くなってしまった。一言で言えば、「マッチョな仮面を被った、実は小心者の俗物」のようなイメージが、僕の中で出来上がってしまったのだ。
 その印象が変わったのは、26歳の時。「日はまた昇る」を、再び読んでから。ちょうどヘミングウェイが、処女作であるその小説を書き始めた年齢だ。
 「再び読んでから」と書いたのは、文字通り再読だった。最初は、二十歳の頃に読んだのだが、斜め読みだったからか、全く印象に残っていなかった。

 ヘミングウェイの小説は、あるとき突然しっくり来る。そんな気がする。
 彼の残した短編も、今なら理解できる。
 「日はまた昇る」を、26歳という年齢で書き上げたということは驚きだ。
 完璧な、「午後の神話」(と呼びたい)だと思う。

わが赴くは蒼き大地

2005年07月20日 | W.H.ホジスンと異界としての海
 「わが赴くは蒼き大地」 
 田中光二著
 を読んだ。1974年発表の、日本のSFでは古典の一つと言っていい作品である。

 実は僕は、田中光二の作品を読むのは、初めてだった。
 日本での海洋SFの第一人者だということは知っていたし、氏の作品には例えば「幻覚の地平線」とか、魅力的なタイトルの作品が多いとも思っていたが、それにも関わらず、長い間読まないままで来た。特に他意があるわけではなく、本当に何となく、手を出しそびれていただけだ。
 だが、海洋怪奇小説に拘っている以上、いつまでも無視しているわけにはゆかない。そう思って、ようやくこの本を手にした。
 ストーリーを簡単に紹介すると、

 遥か未来、人類は増えすぎた人口問題を解消するために海中都市に活路を見つけていた。ところが、突如現れたUFOと異星人たちによって、地上は瞬く間に壊滅させられてしまう。生き残ったのは、地球に数箇所ある海中都市で生活していた、僅かな人々だけだった。地上は異星人達の支配化にあるうえに、海には異星人たちによって変異させられた海獣たちが跋扈していたから、生き残った人類は海中都市同士の交流もすることが出来ず、「孤島」の中での生活を余儀なくされていた。だが、あるとき異星人にとって致命的なウィルスが偶然発見された。だが、そのウィルスを培養するために必要なものは、遥か遠くカリブ海にしかない。かくして両棲人であるチヒロとテレパスのジャンは、人類の英知を尽くした潜水艇「ノーチラス十世」に乗り込み、カリブにあるバハマ・シティに向かう・・・

 というもの。

 一読して思ったのは、確かに物語自体が平坦であっさりしすぎているし、若書きだと感じる部分も多いし、SFとしての新味がない(例えば、異星人の弱点がインフルエンザウィルスというのは、ちょうど映画で公開中の、ウェルズの「宇宙戦争」とほぼ同じだ)というきらいはあるにせよ、今から30年以上も前に書かれた小説にしては、今でも読むに耐えるということだった。
 何よりも、著者の海に対する思い入れが伝わってくるのがいい。読んでいるだけで、ああ、この作者はダイバーだと、はっきりとわかる。スキューバをしたことの無い人に、これは書けない。それに、サルガッソーだとかブルーホールだとか、名前が出てくるだけでわくわくしてくる場所がぞろぞろ出てくる。

 ホジスンとの関わりについて、少し思ったことを書くなら、例えばこの「アクアポリス」の位置づけが、「ナイトランド」の「ラストリダウト」を思わせる部分があるかもしれない。ただしこれはこじつけで、多分偶然でしかないのだろうが。

ウサギのシロのはなし

2005年07月19日 | 記憶の扉
 seedsbookさんから「ウサギの不思議な話をして欲しい」と要望があったので、少ししてみようと思います。たいした話でもないのですが。

 「ミニウサギのシロ(実際は、ミニウサギなんてものはない)」を飼い始めたのは、中学二年の時だった。親が気まぐれに買ってきたのだ。買って来た翌日には、一メートルほどの高さなら軽く飛び越えるので、ウサギのジャンプ力は馬鹿にできないと、驚いたのを覚えている。
 初めは、床の間に柵を作ってそこで飼おうと思っていたが、二メートル近い柵を作っても、壁を蹴って飛び出してくるので、次第に諦め、家の中で放し飼いにすることになった。夜には、小さなキャリーボックスの中に閉じ込めた。
 だが、ウサギのしつけには、相当苦労した。例えばトイレ。犬や猫よりも覚えが悪いので、長い間、家にはウサギの糞が散乱する羽目になった。それに、ウサギは糞を一度また食べるので、さらに性質が悪かった。何となく、全部掃除してはいけないような気分になるではないか。
 あるとき、ふと思いついて糞をフィルムケースに集めたりした。庭の草木の肥料になるかもしれないと思ったのだ。庭では朝顔ときゅうりを育てていた。一度目の糞は、相当栄養が残っているはずだから、肥料にいいかもしれないと考えたのだ。だが、効果はよくわからなかった。そして、いつのまにかそれはやめてしまった。
 余談だが、ウサギは糞を食べる癖があるからなのか、人の耳垢の匂いが堪らないようで、耳を掃除していると寄って来て、まるで中毒患者のように、夢中になって人の耳垢を食べる。寝転んでいると、人の耳に口を突っ込んでくる。こうしたことは、あまり知っている人はいないだろうが、機会があれば試してみると面白いかもしれない。
 トイレのしつけより性質の悪かったのは、土壁を食べること、コードを齧る事、本を食べることだった。ウサギといえばにんじんのイメージがあるが、実際は、肉以外なら大抵何でも食べる。雑食もいいところなのだ。ちなみに、うちのウサギに関して言えば、ラーメンが大好きだった。さらに成長すると、年中発情しているし、男にはやたらと攻撃的だということで、非常に困った。部屋の中で放し飼いするものではないなと、つくづく思った。
 けれど、可愛いことも確かだった。寒がりだから、炬燵が大好きで、冬には中で丸くなっていた。そうした姿は、とても可愛いい。
 
 前置きが随分長くなった。
 ちょっと不思議だったことについて、書こうと思う。

 最初は、学校の授業中。
 高校の時だったが、教卓のすぐ前の席にいたとき、ふと居眠りをしてしまったのだが、その夢の中にシロが出てきて、こちらに飛び掛ってきた。はっとして、思わず手を振り・・・持っていた鉛筆が教室の隅まで飛んでいったとさ。

 次は、もう少し不思議なこと。
 家の親が金縛りにあった。
 ふと気が付くと、身体は動かず、布団の周りを牛のお化けのようなものが走り回っていた。
 余りの怖さに身体を硬くしていたら、その部屋にいたシロが、後足で思い切り威嚇の音を鳴らした。すると、そいつはすっと消えてしまった。

 最後は、シロが死んだ時。
 シロは病床にあった。もう長くないと思いつつ、僕は風呂に入っていたのだが、何だかふっと天井が高くなったような気がして、風呂を上がってシロのところに行くと、ちょうど息を引き取ったところだった。

 とまあ、ちょっと走り書きのようになりましたが、こんなところです。

 なんでもないような話でした。

耳をすませば

2005年07月18日 | 映画
 昨日、伸ばしに伸ばしていた髪を、ばっさりと切った。
 三十センチくらい切ったかな。
 もう少しで坊主頭。随分と頭が軽くなった。
 切った理由は、邪魔になったからで、伸ばしていた理由と同じく、何と言う事もない。

 そのあとで、妻子をつれて、聖跡桜ヶ丘へ行った。
 この前、仕事中によく聞いているラジオ番組で、宮崎駿の「耳をすませば」が十周年ということで、街を上げてのキャンペーンをしているということを耳にしたからだ。なるほど、あれは桜ヶ丘だったのかと思った。その事を妻に言うと、ぜひ行ってみようということになった。あの映画の中で描かれていた多摩丘陵が、とてもよさそうな場所に見えたからだ。
 京王線に乗って、聖跡桜ヶ丘の駅で降りた。しかし、思ったほど盛り上がっている感じはしない。駅前の交番の脇の掲示板に、「耳をすませば」のゆかりの場所をめぐるための地図が張られていたくらいだ。それを見て、とりあえず歩き始めた。
 映画でも出てきたファミリーマートの脇を通って、延々と長い坂道を登り始めた。やがて、坂道は急になって、大きなS字を描き始める。歩道は、そこを横切るショートカットの階段である。
 この階段を登った所の、見晴らしはいい。多摩が一望できるという感じだ。映画でも出てきたのは、ここだったか。そう思った。
 そのあとは、延々と桜ヶ丘の住宅街を歩く。高級住宅地といった感じだ。映画で骨董屋のあったロータリまで歩いた後、道を折れて、原峰公園へ。そこで休息。この公園は、自然をそっくり残した公園で、中にあるあずま屋など、不気味なほどだった。
 特にすることもなく、そのまま散歩しながら駅に戻ったのだが、途中で「耳をすませばツアー」のような集団に、何組も出会った。不思議に思ったが、帰りがけに気が付いた。その日はちょうど映画の上映会があって、そのあとで映画のゆかりの地を訪れるという企画があったようだ。ちょうどそこに出くわしたというわけだ。

 「耳をすませば」というアニメは、宮崎作品の中でも特に女性のファンが圧倒的に多い作品だと思うが、僕はかなり好きな作品。ありえない恋愛譚かもしれないが、この爽やかさは、なかなか捨て難い。

今夏初めての海水浴

2005年07月16日 | 三浦半島・湘南逍遥
 
 写真は、黒崎の鼻から三戸方面を眺めたところです。

 いろいろあって、なかなか行けずにいた今夏初めての海水浴に、今日は出かけました。
 ただし一人きりで。その辺はやや淋しかったのですが、付き合ってくれる人がいなかったので仕方ありません。思い立って、という感じだったので、まあ仕方ないです。それに、たまには一人で出かけたかったというのも、ありましたし。
 行き先は、いつものように三浦半島。三戸浜から、黒崎にかけてです。天気が良くて、泳ぐには絶好の日よりだったのですが、台風が近づいているせいなのか、水の透明度が極端に悪く、1メートルほどしかありません。普段は、多少透明度が悪くても、潜ってしまえば結構見えるものですが、今日は完全にお手上げでした。少し沖の方へ行けば少しはましかと思い、100メートルほど沖に出てみたのですが、駄目でしたね。プロ(?)の方も、「ぜんぜん見えやしねえや」と言ってました。仕方ないので、シュノーケリングを楽しむのは諦めて、水に身体を揺らせるという事を楽しんでました。
 黒崎でも試してみましたが、やはり同じことでした。
 まあ、でも、久々に黒崎の鼻でくつろいだし、楽しい休日でした。
 帰りに、路端でおばあちゃんからとうもろこしを買って、帰りました。

夏への扉

2005年07月15日 | 青を摘む
 天気予報によると、梅雨も今週までとか。
 いよいよ、夏本番ですね。

 


 これまで読んだSF小説の中で、最も読後感が爽やかだったのは、多分、
 
 「夏への扉」
 ロバート・A・ハインライン著

 
 だと思う。
 まるで少女漫画のような、という言い方が良いのかどうかわからないが、幸せが香ってくるような小説だった。こういうのも、センス・オブ・ワンダーというのだろうか。
 この小説の、影の主人公は猫のピートである。ピートは、扉を見ると開かずにはいられない猫だ。というのも、寒がりのピートは暖かい夏が大好きで、こうして扉を開けば、そのうちのどれかは夏へ通じる扉に違いないと信じているからだという。この小説の最後は、すっかり年をとってしまったピートが、相変わらずそうして扉を開きつづけている姿を見ているところで終わる。
 最後を引用してみる。


 ・・・ただし、ピートは、どの猫でもそうなように、どうしても戸外へ出たがって仕方がない。彼はいつまでたっても、ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を、棄てようとはしないのだ。
 そしてもちろん、ぼくはピートの肩を持つ。

(福島正実訳)



 これだけ読んだだけではわからないかもしれないが、一冊通して読むと、特に猫の好きな方には、落涙もののラストシーンであると思う。

 扉の向こうの夏の、抜るような空の青さを、摘む。